2017年07月の記事


病院
 病院二箇所で診察を受ける。ドクターの高い人格と人間的な対応に接すると、心があたたかになる。待ち時間とても気にならなくなる。
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衰え
 加齢とともに、衰えを自覚するのはバランス感覚と脚力だと聞く。確かにそのとおりだと痛感する日々である。

 意識して歩くことに心掛けてくださいと申し上げたい。
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負けるが勝ち
 子供のころ教えられていたと思う。要するに突っ張っていたり、力を頼みにのしかかってくるような手合に対しては、一歩引いて対峙するという態度のことだったと思う。

 我慢も大切、先を見る目を持つことなども含まれていたような気がする。優位にあるときこそ大切にしたい態度のように感じられてならない。
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記憶
 昭和十年代の小学校でのこと。教師から指名されたとき「わかりません」と「忘れました」を上手に使い分けする傾向があったことを思い出す。

 「忘れました」と答えて、「こんなことがわからなくてどうする」とは言われずにすみ、実は知っていたのだがというポーズも示せたからであろうか。

 成績優秀な部にいる者には、まったくない事だった。さて時は移った。今日では大人子供を問わず、このあたりの駆け引き、事情は、いったいどうなっているであろうか。
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有り難み
 体調不良と腰痛激化で食事も抜きで臥床。国会閉会中審議の模様をテレビで観る。

 ちょっとしたことでも、失ってみると健康の有り難みがわかる。国家も健なる歩みを続けていかなくてはならないと痛感。あるものは「ない」と言ってもあるはず。
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大雨洪水
 大雨警報が出ている。しかしまだ降っていない。これからかと思い、緊張感と不安に感じることが交錯する。

 テレビをみれば国会中継。こちらの方でも、なんとなく嫌な感じがしてならなかった。どうなっているのやらという点では、まだ来ぬ大雨の状況と似ているような・・・。
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芍薬
 本来、強い花卉だと聞く。解体した家のほうから持ってきて庭先に植えた。しかし今年は花が咲かなかった。

 きっと目には見えない土の中で、根が力を張ろうと、真剣に活動しているのだろうと思う。根が強くなれば、花も必ず咲くだろう・・・と期待して。
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紫外線
 テレビでも注意をうながす情報が出る。さすがに日中,陽当りを歩くほどの体力、あわせて気力もなくなった。

 年齢からすれば、それが自然なのであろう。負け惜しみではなく、これでいいのだと思うことにしている。それにしても若い人は元気だなあと、高校野球の中継を見て痛感する。
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手拭い
 やたら熱い日が続く。かと思えばときならぬ豪雨で、いちおう作業もやる。汗を拭くのにハンカチでは不足。

 昔は手拭いを折りたたんで腰に挟んでいた人、ぶら下げている人も珍しくなかった。思い出して、貰い物の手拭いを活用してみた。これが意外に便利だった。

 下駄の鼻緒にも、傷口の手当にもというわけにはいかない時代ながら、捨てたものでもないと思った。
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瞑想
 瞑想というと、なにか奥深い高尚なことのように感じてしまう。しかし・・・

 頭の中に浮かんでくるさまざまなことも、気持ちの持ち方により、妄想にも空想にも雑念にもなるのではなかろうか。だから瞑想に近いことも、できるだろう・・・

 と思い、ときに湧いてくる思いのままに過ごすことがある。錯覚かもしれないが、そのとき気持ちは安定していたと思う。
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水害
 全域に避難勧告が発令された。幸いにして自宅周辺は無事であった。暴れ川を治めようと、美田を潰して流れを変えた先人のおかげである。

 自宅での水害経験は昭和9年が最後だった。流れを変える工事に当たっては、当時のことなので検束される人もいたのを目撃した記憶もある。
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自分のところは
 三度目の避難準備警報。市で特定した地域外ではあるが、自分の意識に問題ありと思った。

 なんとなく自分の所は大丈夫と思ってしまう。根拠があるわけではないが、条件的には心配ないと思われるから。

 これも平和ボケの一種かなあと思いもする。地震のときには、戦中経験が役立ったが、いまや体力低下著しく、いかんともなし難いのが残念である。
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三連休
 三連休最後の日、海水浴を楽しんだ人もあろう。温泉に浸かってきたという場合もあろう。しかし休みもなしでフルに働いている人が、少なからずいることを知っている。

 今日もそういう立場の人から、熱源関係のメンテをやってもらった。一日も休んでいないと言っていた。

 「働き方改革」とはいうが、問題は山積しているようだ。
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空梅雨
 六月一日以来今日までに、雨という日は二日だけ。ときどきパラパラと降った日を数え上げても九日だけ。

 子供のころ近くの神社で雨乞いの祈祷をする太鼓の音を聞いた、かすかな記憶がある。昔ならば雨乞いの祭りをやっただろう。水争いがあったかどうか。
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炎天下の工事
 近くの病院の新築が終わり、駐車場を造成しているようだ。少年時代に虫垂炎で手術を受けて以来、建物は全面的に建て替えられること三度目、炎天下で重機が唸っている。

 周囲は一面の田だったが、いまや跡形もなく、わずかに稲荷様の祠と木が名残を留めている。こうして時代が移っていく。
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家屋建築
 解体のほうはしばしば目にしている。珍しく新築工事中の現場があった。人間の営みは続けられていくものだと、なんとなく納得した気分だった。
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保育園
 近所の保育園の工事中である。電動ノコギリの音まで識別できるほどだが、誰も騒音だとは言わない。

 むしろ子供が集まるのかという心配をしているほどだ。そういえば、このところ、楽器の音も子供の声も、あまり聞こえなかったように思う。
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融雪装置
 費用がかかるのは承知の上、太陽光発電は無理、地下水は枯れるおそれと地盤沈下も懸念されるので、灯油による屋根融雪を行って十余年。

 タンクとボイラーをつなぐ油送パイプの劣化があるらしいので業者の点検を依頼。またまた出費となる。

 蒸し暑い中での、気持ちだけと、懐が寒くなる話。
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知らないうちに
 日常生活の中でも、知らないうちに起きているさまざまな出来事がある。そのまま過ぎていくこともあれば、適宜取り返しのつくこともある。

 そうは言っていられないようなことが、このごろのニュースには多くあるような気がする。かと言って、どうなるものでもないのが腹立たしい。
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 近所の小川あたりに蛍が飛んでいる・・・という噂がある。機会をみて真偽をたしかめよう。

 いるとすれば、自然の力を改めて知ることにになる。川幅はせばめられ、コンクリート三面張りで一部暗渠になっているのだから。
 
 往年は暴れ川で有名だった。一挙に山のほうから水が出てきた。治水は大切、蛍もいてほしい。
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暑さ克服
 何処も同じか、気温30度超。しばらくは暑い季節となる。老人には暑さ寒さがこたえる。しかしへこたれてはいられない。

 体験的によく眠った翌日は、暑さに抵抗できるレベルがあがる。睡眠がまずいと覿面に体調が悪くなる。

 食事に好き嫌いなく、キチンと摂取する習慣がついている我が事はさておいて、三度の食事はしっかり摂ること。

 冷房などなかった時代を経験しているが、いまや上手に使いこなすべきである。団扇片手も悪くはないが。
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ありがたいこと
 夏草や兵どもが夢の跡(芭蕉)を引き合いに出しては申し訳ないが、先祖は庭木や草花を楽しんで来たのであろうが、いまや油断をすれば草茫々、見るに耐えない有様。

 旧隣村の父上の代から、なにくれとなく世話になっている家の次男の方が、休日になると除草剤を撒き、草刈り機で除草をしてくれる。

 もはや自分では体力的にできないことを、まったくの善意でやっていただいていることのありがたさ。そのありがたさを心に刻みつけている。
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豪雨災害
 国土と国民を守り、安心安全な国づくりとは、よく聞くことであり、大切なことだと思う。

 九州北部の豪雨被害の状況をテレビでみるにつけても、日本列島はまず自然災害に強くなっていなくてはと思う。

 災害が起きたその都度、対応するしかない場合もあろうが、すこしでも対策が進んでいたと思えるようにやっていけないものだろうか・・・個人的な夢想かもしれないが。
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疑い
 本当なのかと、疑い始めればキリがないことが多々ある。いいようなことを言われても、怪しいなあと思うことさえないでもない。それを指摘するのも怖いような気さえしてくる。

 さりとて疑心暗鬼になっているばかりでは建設的ではない。けっきょく自分を充実させる意外なしということか。
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先々を思う
 生まれた直後に世界恐慌、そして事変、戦争は大陸から太平洋へ拡大。そして敗戦。食うもの着るものもなかった。そこから復興、土曜日曜も休まないなど普通だった。

 所得倍増、バブル、その崩壊、失われた20年とか、そして少子高齢化。いろいろあったが、この先の時代を生きる人のほうが、よほど難儀なのではないか・・・。

 などと思うことがあるが、そうはならないでもらいたいと、これはもう願いというよりは祈りである。
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何事も
 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とか。何事も有頂天になったり、唯我独尊では駄目だと、改めて思う。

 こんなことになるのではないかと感じないでもなかったと思いながら観るテレビ。誰が勝ったのでもなく、何かが負けただけという感じ・・・とは間違っているだろうか。
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大雨洪水
 大雨情報が出ている。明日にかけてさらに降るという。河口集合集落タイプなので、雨といえば洪水を予想する。

 我が家の被災は昭和9年の夏が最後で、以後は無事である。隣家まで水が寄せてきたことがあるが、そこで止まった記憶もある。ほんの少し土地が高かったので、床下浸水もなかった。

 僅かな河岸段丘による高低差が、事態を決めてしまう。信玄堤などは、さすがに自然に順応した対策として、学ぶべき点もあるように思う。
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現在
 過ぎてしまえば、あっという間である。先を見ればどうなるなどと、確かなことなど言えるはずもない。

 加齢とともに心身の衰えも自覚せざるを得ない。意外に厳しいものである。なればこそ「今」を充実させること、そこで人間の価値が決まりそうな気がする。

 誰ひとりとして、歳をとらないなどということはないのだから。
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よて
 何十年も前の山間の小学校でのこと。子供たちのあいだで「よて」という言葉が使われていた。教師が特定の子供を贔屓にしているとして、それを非難し陰口で使っていた。

 子供が大人を見る目は、意外に的確であるように、庶民の目にも直観的に真実を感じ取る一面があるのではなかろうか。

 「よて」は現在の世でも、多かれ少なかれ、どの世界にもあることかも知れない。しかしあっては困る世界もあるはずだ。

 残念ながらニュースを見ているだけでも、「あるなあ」と思わざるを得ないことがある。まさに本当に困りものであろう。
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