2015年06月の記事


心身一如
 体調不良を気の持ちようで回復をはかろうとする。精神だけで出来るはずもないことなのに。体には体に則した手当をし、気構えはしっかり保とうと、毎度のことながら考えた。無理はよせ、よせ。
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不覚にも
 体調をくずしました。無理をしたという自覚もあります。間に合うかどうかはわかりませんが、これ以上悪化しないよう、暫時骨休めをと考えております。

 ご光来いただいても、お返事もままならぬこともあろうかと思いますが、ご海容をお願いいたいます。必ず回復するとの決意を秘めております。
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そんなになるまで
 「そんなになるまでやる奴がいるかい?」私が仕事を始めて、とことんやってその果てに、疲れてダウンすると、必ず言われることばである。

 我が世代は命令一下、最後まで突撃する精神が、頭の底にこびりついているようである。これは前の世代、その前の世代あたりからの影響も多大と思う。少なくとも三世代にわたっていることと思う。

 とすれば、命令に絶対服従、突撃命令一下、最後の最後までなどという精神は、それほど短時間では形成されないことになる。あまり威勢のいいことは言わずに、慎重であるに越したことはあるまい。

 けっきょくは教育の問題なのかなあ。
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鼠小僧次郎吉
 本当のところはわからないが、義賊ということになっている。町奉行所を手玉にとり、大名屋敷まで恐れず荒らす。盗んだ金は貧乏長屋にばらまく。江戸庶民が拍手喝采するように仕立てられている。

 見てきたようなウソなのかとも思うが、悪の裏にもあった義というようなものも、乏しくなって来たようなので思い出した話。

   
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笑われそうだが
 知り合いの百歳老人は、新聞折込のチラシで裏が白いものは、すべて二つ折りにして綴じ、メモなどに使っていると、そこの家族が苦笑していた。

 さて自分でも、ほぼそれに近い習慣がある。戦後ノートをとる紙がなくて困った経験があるからだと思う。人間はその生きてきた時代からは逃れられないのかもしれない。
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あの時代
 書き物を捨てることとし、手作業とシュレッダー併用で取り組む。
明治から大正ころは、生紙つまり和紙を使っている。これが実に丈夫である。

 戦後も次第に紙質がよくなり。簡単には破れない。昭和10年代からつまり戦時中から敗戦後にかけての紙質の悪いこと、もう少し経過すれば粉になりそうな紙を使っている。

 大変な時代だったのだと、あのころの経験や思い出とともに痛感。

            
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茶碗 
 夕食後の食器洗いで手が滑った。しまったと思って、自分用の茶碗をみたら、縁が欠けている。食事にも洗うにも危険性がる。    
 
 新調しようと思って、はっとする。合併前の我が町の、セトモノ店はみな廃業した。客用の小ぶりな茶碗をだしてくる。総カロリー制限になって、いいかなどと失敗の負け惜し

 セトモノ店がないとは、これはまた。地方創生のまったきを祈る。
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形あるものとて
 生あるものは必ず死す、形あるものは必ず滅すとわかっている。しかし昔から使ってきた、先代以前の汗もしみているであろう民具を、処分するほかない。展示施設があるほどの地域でもない。

 ここに至って先祖には申し訳ないと思いつつも、「立つ鳥あとを濁さず」すっきりといこうときめる。これも少子高齢化の一断面か。

 次の世代が、我らを乗り越えて颯爽と進み、新時代を築いてくれれば、今日を顧みることもあろう。
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もったいない
 年齢的にも「もったいない」という感覚が強い方である。客用座布団20枚余をゴミにする。桐箱の中に5枚ずつ入っていて、絹で包まれている。勿体ないが、もう使う人間がいないから。
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体力 
 我が家では、もう使う人間がいないと判断し、何組もの木綿綿の布団をゴミとすべく運び出す。この年令になると、およそ5〜6キロの布団を抱えて14−5メートルの往復がきつい。

 モーグルで海外に遠征もした姪に応援を頼む。あっという間に運んでくれた。体力の差、自分にもこういう時代があったのだとは思うが、感無量。
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断絶
 世代間の断絶などという。今まで実感を伴わなかったのが、ここにきて、いやというほど味わうことになっている。我が家に限ったことかもしれないが、考え方、感じ方の差は相当なものだ。
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寒かった
 今朝5時ころ、寒くて目が覚めた。予報では午後から30度近い気温になるとか。地震に噴火もある。どうも・・・どこか・・・と思ってしまう。
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