2010年12月の記事


屋根雪
 降り始めは、畳1枚の面積で、高さ1メートルの積雪の場合、およそ500キロの重量になると聞く。
 
 湿った雪になると、その2倍、3倍の場合もあるという。一昼夜で1メートル弱、この度は、降ったあと、太陽がでてくれたので助かった。断続的降ってくれればいいのだが。
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日記
 地方紙の投書欄で、30数冊の日記を焼いて、さばさばしたというご老人の一文があった。

 さもありなんと思って、自分の古い日記を出して読んでみた。とても遺せるようなシロモノではではない。

 妙な未練があるので、ダイジェスト版を作ろうかと思う。
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やり手がない
 貸してある畑を、やめたいとの申し出あり。年齢を重ねたので、疲れて駄目だという。

 後継者を探す。これがまた一人もいない。

 100余坪の土地に、草が生えないように手配するだけで精一杯。中山間地には空き地が増えつつある。先々どうなるのだろう。
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立ち位置
 と言っても、問題に対する立場などという大きなことではない。
 
 都会では、駅のホームでも、線路寄りに立っていたので、危険な場合があると聞いた。このあたりでは、露出している流雪溝がある。そこに落ちないように注意する必要あり。

 老年になると、足元が確かでなくなる。雪が崩れたり、滑ったりすることもある。冬は特に自分の立ち位置を確認しておきたい。
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年の瀬や
 年の瀬や水の流れと人の身は(宝井其角)とうような感懐が浮かぶ師走の後半、土曜日の昼。

 子葉、こと大高源吾ではないが「明日待たるる」と思いたい。宝船と続けばいう事はない。

 窓外の雪が激しくなってきた。
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すき焼き
 自転車で3キロ先のスーパーに行く。雪が降る日には、自転車にも乗れなくなるので、買いこんでおくつもりだった。肉売り場の前を歩く。

 「しゃぶしゃぶ用」のパックを求める。戦後はじめて、フライパンで、すき焼きの真似事をした。生卵を使うことなど知らなかった。いわんやしゃぶしゃぶにおいておや。

 昭和22年の冬だった。あれから60余年、贅沢になったものだなどと思うのは、飢餓体験があるからだろうか。
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口笛
 15日に初雪。例年より1ヶ月以上遅い。寒気も流れ込む。
少しばかりの用があって、コートも着ないで外に出た。寒いので背wをまるめ、口をトンがらがせていたようだ。

 息をしたら、高い音が出た。そうだ、口笛の音だと思う。

 もう何年も口笛を吹いた事がない。「心に太陽 唇の歌」と思いながら吹いてみた。途切れ途切れの音だった。
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別れましょう
 スーパーで買い物をしていたとき、5~6歳くらいと思われる女の子が、むやみに騒ぎ立てていた。
 父親らしい人が
「静かにしなさい。あまり騒ぐと、本当に怒るよ」
 と注意した。女の子が言う。
「じゃあ、別れましょ」
 
 昭和ひと桁としては、絶句。
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忘年会
 現役を退いて20余年、忘年会なるものと縁遠くなった。不景気ではあるが、公務員らしき一団が、料理屋から出てきた。

 われらが時代の公務員は恵まれていなかった。しかし回る輪廻の因果、これから先の事は分からない。

 それにしても閉塞感に包まれた昨今なのではなかろうか。
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メートル法
 従兄弟が老人クラブの機関紙のようなものをくれる。投稿の1編に93歳のご老人が書いたものがあった。

 曰く「子供のころ、メートル法になって、先生も生徒も、とても困った」とある。

 93歳の見事な一文と思った。同時にそういえば、自分が子供の頃、母親は鯨尺で仕立て物をし、物の目方は貫と匁だったことなどを思い出し、世の変化を思った。
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老人クラブ
 地区のクラブ機関誌をもらった。会員が減少しつつあるという。その原因がわからないでもない。

 活動している会員、会費会員、加入しない者と老人にもさまざまな姿がある。

 「老人扱いするな」などと息巻くつもりはないが、願い下げにしている。
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失ってみればわかる
 健康。1週間ほど寝込んでいると、いろんな妄想が浮かんでくる。復調すると、それらが見事に消えていく。

 過去に2年半も病床にあったのに、その経験が生きてないのだろう。なんとも不甲斐ない話である。

 失ってみてわかることは、ほかにもたくさんあろう。「孝行をしたいときには親はなし」とか、「1銭を笑う者は1銭に泣く(今は円か)」とか。
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戦線縮小を
 若い時は大人扱いされたかった。とうの昔に折り返し点を過ぎてから、方向が逆になったはずである。それを今ごろになって気付いている。

 アルバム、日記、がらくた等々、整理しなくてはならないと思うが、これが億劫なのである。少しずつ手がける以外に方法はあるまい。

 シュレッダーにかけるか、燃やすか、そんなところで迷っている問題ではないのだが。
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年取り魚
 雪深い山国だったからか、師走にはいると鮭の塩引きを求め、吊るしておいた。大晦日に一家そろって食し、過ぎ行く年での無事息災を感謝し、新年を迎えるのである。

 飽食の時代とはよくぞ言ったものである。我が少年時代は、その一匹の鮭が、楽しみでならなかった。今日では、塩引きの鮭等ありふれたものとして見過ごされている。
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中高年
 新聞の当投書に、何かの会場だったか、車内だったかで、若者よりも、中高年のマナーが悪かったという話が載っていた。

 「中」ではなく「高」の、それも真ん中以上の高年であるが、なんだか申し訳なく感じた。

 自分くらいより上の年齢なら、そういわれるような人は、滅多にいないはずだなどと、弁解がまいしことを考えてもいた。
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