2010年08月の記事


という訳で
 昭和ひと桁前半生まれも、いつの間にか後期高齢者といわれる仲間になった。

 これも自分だけのことではあるが、漫然と老いつつあるのと、ライフワークというほど大袈裟ではないにせよ、老化を意識しつつも、ある程度の目的意識を持つのとでは、かなり違うと思っている。要するに生活に「張り」があればいいのではなかろうか。

 食事はうまいし、気になることは考え始めれば無数にある。しかし考えることをしない。ストレスもいっぱいあるのだろうが、先方がなんとなく過ぎていく。

 人生、まあこんな所だろうと思いながら、昭和ひと桁前半生まれについての愚感を止める事にしよう
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仕事人間
 すべての昭和ひと桁前半生まれがそうだというのではない。自分を通してみたときの話である。

 仕事一途の傾向が強い。何かしていないと落ち着かないのである。仕事以外の生き方がまずい。つまり先頭にたって粉骨砕身はできるが、人間の管理などということ不得手。

 「遊びが人生」といわれても納得しない世代なのかなあ?
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命令遵守
 「上官の命令は・・・」という時代だけに、その原因を求めようとは思わない。しかし趣味も家庭もすっぽかし、命令されたことは、とことんやる傾向がある。

 部下としては使いやすかったであろう。下の世代からみればゴマスリに見えたかも。体力勝負のようなところがあって、遮二無二進むが、「ゆとり」がなかった。

 
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平らげる
 これまた昭和ひと桁前半生まれのためかと思う己の傾向。

 出された食事は、綺麗に頂戴する。そもそも食べ物の好き嫌いがない。食糧欠乏時代の経験がそうさせているのか。

 飽食の時代と言われているが、グルメなどとは縁遠く、なんでもありがたくいただく人間も、まだいるということか。

 汽車弁を食べる時は、蓋についた米粒を食してから、箸を運べと躾けられた。今でもそれに準じた食べ方をしている。
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ダンスが駄目
 上手な方もおいでではあろうが、自分を見ての、昭和ひと桁前半の話である。
 その2は、ダンスが駄目。若い時に無縁であったからであろう。大正ひと桁の航空隊帰りは、ダンスがうまかった。基地内では、よく踊っていたと聞かされた。

 ついでに言えば、オンチでもある。なにしろ音楽(当時は唱歌と言っていた)の時間には、今の音は敵機の爆音だ、などというレコードを聞かせられる事が多かったから。
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英語がまるで駄目
 自分の無能を棚に上げてのことである。「菊と刀」にみられるように、日本は研究されていた。こちらは、米英にケモノヘンをつけて書くという有様である。

 英語の時間は食糧増産作業にまわされる事が多かった。習うほうも、「smellもsmallも関係ない」などとうそぶいている空気が支配的だった。

 英和辞書は、配給の煙草の葉を巻くために1枚ずつ切り取られた。英単語を覚える苦労はなかった。代わりに強制的に暗記させられたことは、いっぱいある。
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昭和ひと桁生まれ
 世代全般にわたってのことではない。自分ひとりの傾向である。ただし昭和ひと桁前半生まれに起因していると思われる特徴を、日を追って記してみる。

 もし自分にもそういう傾向があるという同世代の方がいられたら、あるいは不思議なのかも知れない。

 その第一。英語がまるで駄目である。その一事例を明日にも記してみよう。
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よく学び よく遊べ
 小学校のころ、しきりに言われた。「よく学び学びよく遊べ」と。戦争が進み、学校の名称が「国民学校」になったころにはあまり言われなくなったような気がする。

 その「よく遊べ」のほうであるが、生育期から戦争だったので、遊ぶという事がうまくできないままである。同世代でも「遊び」上手はいる。しかしどこか「あそび心」がないのだ。

 ひと様は別として、自分を考えると、ものの考え方なり感覚に、大きく言えば人生観に「あそび」がない。なぜかを考えてみようか。車のハンドルにもアソビがあるのに。

 大切な時期に軍事訓練や工場動員ばかりだったから、基礎学力は決定的に不足している。だから「よく学び」もなかった。勉強して、名を成したした人もいるけれども。
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長寿
 100歳以上老人の問題が賑やかである。いったい何歳くらいから上を、長寿というのだろうかと、ふと思った。

 血圧がいささか高いといわれ、悪玉コレステロールも、また高めだといわれている。むやみに永くとは望まない。ありきたりではあるが、ピンピンコロリが希望するところである。

 何も努力をしていないから「虫がいいな」といわれることは確実だと思う。しかしこの場合、努力は有効なのだろうか。
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人生いろいろ
 その場にいない人の噂話になる事がある。苦手である。仕方ないから、あごの上下運動で話を合わせておく。

 話の内容に、同意めいたことを求められたとき、または話が終ったあとに、それとなくいう事にしている台詞がある。「いや、人生いろいろ、人さまざまですな」と。

 反響はほとんどない。しかし自分の後ろめたさに近い気持ちを、ほぐしておくという効能はあるような気がする。卑怯な性格なのかなあと、己を省みる。
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盆踊り、そして草相撲
 近年、盆踊りは途絶えていたが、最近ようやく復活したようである。しかし参加者がまだまだという感じである。

 四、五人に 月落ちかかる 踊りかな(蕪村)

 自分が少年だった昭和のひと桁のころ、盆踊りはまだ青年子女の楽しみの一つだったと思う。そして戦時色が、それを塗りつぶしていく。代わって草相撲が奨励された。
 
 草相撲のほうは、復活しそうもなく、神社の土俵には草が生え始めた。強い男の夢の跡か。
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わからない
 プラン、デザイン、プロジェクト、スキームはどう違うと聞かれた。わからないと答える。

 どう違うといわれても・・・。共通点ならば答えようもあると思ったが。

 つまりは「企て」「計画」そんなところではなかろうか。なんとなくわかったような顔をしていたが、さて。
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言い回し
 毎度、どっさりという感じで、各世帯に印刷物が配布される。全部読むにはかなりの時間とエネルギーが必要なようだ。

 意見と答弁が掲載されているものがあった。「検討する」「持ち帰って研究する」「前向きに対応する」などの言葉が繰り返されているのが目についた。

 何をどうするのか、サッパリ見当がつかなかった。己がボケてきたのかとも思った。角がたたないように、微妙な言い回しをすることも、時には必要だとは思うのだが。さて?
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無から有は
 無から有は生じない。まったくそのとおり、一言もない。自分のなかに、いうべきこと、書きたい事などが、何もないとき、つくづくそう思う。
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 現職の頃、しばしば、さるご老人のお供をした。よくやってくれたという意味だったのだろう。書が得意の方で、「江風清月」とかかれ色紙をいただいた。

 先日、架けてあるのをふと見たら。八十一翁として、下に雅号が記していあった。あれぇ、自分はもうその年齢を、とっくに超えているではないか。

 時間とはいったいなんだろう。不思議な気がした。もっとも芭蕉などは、四十代にして自分のことを「翁」といっていたのではなかったか。それにしても参ったなあ。「翁」なのだ。
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源泉徴収方式
 介護保険料を、年金から徴収するという通知がきた。そういえば、サラリーマンの源泉徴収方式は、戦時中の戦費調達のために、編み出された方法と聞いた。

 徴収するほうは、手間がかからず文句なしに集められる。徴収されるほうも、余計な手数がかからないから、税を負担しているという意識も軽くなり、OKとしてしまう。

 現職中、給料から引かれるままに納めた身としては、内心忸怩たるものもあるが、致し方ない。介護を受けずに済んでいることを幸いとしようか。
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国民〇〇
 自転車でなら坂がない限り、往復5~6キロくらいは大丈夫。主な客は老人の小さなス-パーで、日々の食糧を調達している。ペタルを踏みながらふと思った。

 国民服というのがあった。国民帽もあった。国民食というのもあった。米麦を混ぜて1日3合、魚や野菜を含め、カロリーは2.400くらいだったと思う。多分、今日並みだった。

 服や帽子ほどどころか、ほとんど普及しないうちに、食糧欠乏が始まったように思う。南瓜の蔓を食い、天井が写るようなお粥を一杯だけ啜って、日を送った記憶が鮮明に残っている。

 それにしても今では、自分が消費するご飯は、1日に1合でも余るほどだ。変われば、変わったものである。
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 旧盆前にお墓の草取りをしようと考えるのは、どこかで自分が先祖とつながっていると思うからだろうか。

 なにしろ暑い夏だから、日が昇らないうちにと思って、暗がりに起きた。作業中に空が白んできた。

 朝の景色は美しかった。見慣れた場所ばかりなのに。
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カタカナ語辞典
 試みに片端からページをめくってみた。あたらずといえども遠からず程度には、わかるものが多かったので、ひとり悦に入る。

 まったくわからないのが、異国の料理に関する言葉。食したことのないものの名前など、わかるわけもないということか。

 食糧欠乏時代に口にした代用食なら、今でも鮮明に覚えているのだが。ほどなく終戦記念日>。

 
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