2018年11月の記事


同期からの便り
 妻が退院後寝たきりになって2年余、在宅介護となって「逆らわない」「怒らない」「愚痴を言わない」ことに心がけてきた。そして旅立っていく日がきた。

 誰もがいつか夫婦の死別を迎える。辛く、悲しく、寂しいものだ。87歳の生涯は長寿かどうかわからないが、精いっぱいの手当に悔いはない。

 ほほ笑みを残しての遺影に「俺は大丈夫だ、頑張っているぞ」と声を掛け、冥福を祈りながら九十路坂を登っている。

 という趣旨の手紙に、しばし瞑目した。おれはまだ甘っちょろいと思いながら。
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反省
 只今この家に住むのは自分ひとり。というわけで先祖を祀る部屋の電灯も点けていない。ハッと気づいた。待てよ、自分独りと思っていいのかと。

 自分が曲がりなりにも周囲をおもんばかり、生きていけるのも先祖の奮闘努力があってのことではないのか。

 慌てて病院に顔を出した帰りに、花を求めて供えた。反省しきりのひとときだった。
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ぼうっとする
 今年の流行語大賞の候補に、NHKの番組から「ぼうっと生きてんじゃねえよ」というのが入ったと聞く。言われてみればごもっともだと思う。

 生き方というようなことではないが、このごろぼうっと過す時間も大切と思うことがある。せかせかとしているばかりではいけないようだ。

 何もしないで、ぼうっとしてすごしたひと時のあと、心の引っかかりが消え、さてゆっくりとやるかという気持ちにもなって微笑も浮かぶ。

 自分ひとりのことで、ひと様に勧められることではないが、「ぼうっと過ごしてみるひととき」にも効用があるのではなかろうかと思う。
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歩くために歩く
 己の行動力を維持するためには、それなりの努力をすべしと自覚し、寸暇を利用して歩く。

 文化の日、晴天、野良を歩く。足がふらつきはじめたら小休止1分ほどをとり、休み休み今日は3千歩弱でダウン。

 いささか情けなくも思うが、歩けるだけでも喜ぶべきだと思い直す。仰げば澄みきった無限の空に白い雲
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