2011年12月の記事


除雪
 僅かの時間、雪がやんだ。すぐさま除雪にかかる。     昭和10年代、屋根の除雪は一家総出での作業だった。10歳になったころ、馬篭に入れた雪を背負って、屋根から梯子に渡した板の上を歩き、雪の山に捨ててくる仕事をやった記憶がある。屋根雪を捨てる場所がなかったのだ。

 今、中東あたりで採れたであろう灯油を燃やして屋根融雪をしている。今昔の感がある。

 道路の除雪をやっていると、車が消雪パイプで融けた雪の泥飛沫を浴びせながら疾駆していく。老人はそれを見送っているしかない。
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大雪
 ひっきりなしに雪が降る。みるみるうちに積もる。東北の被災地を思えば、これくらいの雪に恐れをなすわけにはいかない。

 年を越してからも降り続けば、豪雪と言う事になろう。油断なく備えておこう。すでに老人の除雪中の死亡事故が起きている。屋根にあがれない年齢になったのが残念ではあるが。
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歳末は多忙
 年賀状をポストに入れ終えた途端に、脇にいた車が発進して去った。車体に赤い〒マークがついていた。待ってなどいられまい。歳末はどこも忙しいのだった。
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雪が降る
 遅いと思っていた雪が降り始めた。今日で3日、やむことがない。降り始めながら「バサバサ降る」と、このあたりではいっているほど、かなりの降雪量である。

 これがひどくなると「モサモサ降る」となる。」雪がコンコン降る」というときは、乾いたあまり重量のない雪、「チラチラ降る」くらいでは雪降りの部に入れていないようだ。

 四月半ばまでは、雪の中での生活となる。「津々と更ける」雪の夜もある。
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屋根融雪
 屋根の除雪をする人がいなくなろうとは、夢にも思わなかった。最近では若い人でも、屋根に上がりたがらない。人力での屋根除雪は重労働である。老人に出来る仕事ではない。

 除雪中に屋根から落下する老人の事故があとを絶たない。先見の明があったわけではないが、不凍液を温めてパイプで循環させる融雪装置をつけて7年目の冬を迎えた。

 かなり大量の灯油を消費する。出費がすごい。太陽光の利用といっても、冬の間は太陽が顔を見せる日は僅かなのだ。
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経済力
 欧州の金融不安などについては、門外漢同然である。しかしこれを契機に、高齢になるにしたがって、一定の経済力がないと、生きていくのが苦しかろうと思うようになった。

 定期的に通院に、新幹線に乗れるのは経済力にほかならない。っとも全国民の経済力を10段階に分けたとすれば、自分はおそらく下から3番目あたりの段階と思う。

 それで不満もないが、加齢とともに、貯えも減少してくるのが、いささか不安ではある。歳をとるということは、体力気力も低下してくるということなのだった。

 悠々自適などという身分ではないが、さらに多少の人的ネットワークもあるとすれば、感謝しつつ生きるべしと思った。
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石焼芋
 まだ路上に積もってはいないが、湿った雪になったと思う夕方、石焼芋の音がした。呼び声はない。ただ軽自動車出回っているらしく、ピューというような音を流しているだけである。

 それがまた一段と侘しく聞こえる。買う人があるのかどうか、余計な心配をしてしまう。郷愁をそそられたが、外に出て買う気はしなかった。世の中、豊かなのであろうか。
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逃げる勇気
 先にキイボードがおかしくなっと書いた。原因を突き止めた。それなりの操作も行った。それでいいということだった。

 しかしレジストリーを、書き直す必要もあるとわかった。やって出来ないこともないような操作と思った。しかし一切は自己責任で、失敗は重大な結果を呼ぶとある。

 さしたる不都合があるわけでもない。危険をおかすまでもない。ここは逃げる勇気を持とうと思って撤退した。それでいいのかどうかわからないが。
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ものは考えよう
 ウェブ上だけの事ながら、記号の入力がおかしくなった。原因不明、アットマークを押すと「となり。アットマークは数字の2を、シフトを押しつつ入力できる。その他いおろいろ。

 変わってしまった位置に戸惑っている。しかしものは考えようである。修復の方法がわからない以上、使えるだけでもありがたいと思えばいい。教えていただいたご恩もあるのだが。

 もっとも10年も前のソフトを使っているのだから、笑われても仕方がない話であろう。ゆっくりとやれるから、老人向きだとでもいう事にしようか。
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