2008年05月の記事


自然の力
 「この小さな苗が、9月に入れば豊かな実りを見せる。人も日々、心に実りを」と言い聞かされ、励まされた。写真の貼り方も教えていただいたものである。ありがたいことである。
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体調の悪い日
 生きていれば、いいこともあるし、悪いこともあると思って、好天をよそに臥していた。
 
 病気の犬は、治るまで、じっとうずくまっている。調子がいいと動き出す。後期高齢者と言われ始めて数年、なんだか生きているのが申し訳ないような雰囲気があるような、ないような。まあ、気にしないことにする。本来、明日のことは誰であってもわからないのだから。
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無知の悲しさ
 田植えの画像をいれて、食にまつわる愚感を書こうと思った。CSSという技法を知らない悲しさで、画像の入れ方が分からない。
 致し方なくブログの画面を借りて、記しておく事にした。ちょっと努力すれば出来るのかもしれない。しかしこの年齢ともなると、根気が続かないようである。
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i一升飯
 いろんな思いがあって、この内容はブログにかく事とする。とりあえず、田植えが始まる。
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雑草
 草がはびこり始めた。除草剤は原則として使わないことにしている。
 ちょっと手を抜くと、草との格闘をする日々となってしまう。だから、毎日少しずつでも、やっておくのがいいと、わかってはいるが。
 竹箒で毎日掃く部分には、草が生えないのだった。
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疲労感
 気候がよくなったので、年齢をも顧みず、冬道具の整理をした。「疲れるなあ」という感じがした。
 そこが戦中派の悲しさで、やり遂げるまでは手が止まらない。そして夕方、全身がぐったりした。疲労そのものである。

 「まだ若い証拠でだ。年をとると、3日も4日もあとに、時によっては2週間も経ってから、疲れを感じるものだ」といわれた。慰められたのだろうか、激励か。コントロールなのか。

 すると、まだ疲れた状態に襲われる可能性があるわけである。予防するには、疲労感を感じたら、すぐに休憩を取ることでもあろうか、と考えた。
 我ながら、「年寄りの冷や水」をよくやる男だと思う。
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年はとりたくないが。
 こればかりは、どうしようもない。涙もろくなり、足が弱り、こんなはずではなかったと思いながら、それでも懸命に生きているつもり。

 久しぶりで会う人をみると、ずいぶん年をとったなあと痛感させられるご様子である。自分も同じ事になっているのだろうが、自分では見えないところがミソである。

 このところの天候不順に、いささか参りながらの、ありきたりの感想である。
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氷河期
 GWのさなか、気温は31,4度を記録した。昨日今日とストーブなしではいられない寒さである。
 
 氷河期になる予告というわけでもあるまい。それにしても、先年のいわゆる氷河期に学校を出た人々は、うまく就職できたのだろうか。

 敗戦直後の時代を経験した世代としては、そのころと氷河期の時代に遭遇した人々と、いずれが多くの不幸を体験したのかと、つい考え込んでしまう。
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 薬局で薬を買った。薬も結構な値段である。ふと思い出した。昔は医師の往診を受けて、あとから薬を貰いに行ったものだった。たいていの場合、粉薬と水薬の2種類を渡された。

 水薬の瓶には目盛がついていた。粉薬は1回分ごとに,紙で包まれていた。「薬包紙」という言葉があった。今では錠剤とカプセルが大部分のようである。
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鍍金(めっき)のGW
 GWで海外に行く人も多いと聞く。若いころにも祝日はあったが、休まなくとも特別のことと思わなかった。しかしあっという間に世の中が変化してゆく。

 今年のGWも暦の上だけのことだった。天候がよいことを幸いに、家の中の整理で、普段の日よりも忙しい思いをした。

 ゴールデンとはいえ、どうも当方のそれは鍍金の、それもごく薄いものだったようである。しかし動けるだけでも幸せと思っているのは、後期高齢世代だからなのだろうか。
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憲法記念日
 急に暑くなった。外を歩いてみたが、国旗を掲げている家は珍しいくらいに少なかった。国歌を歌わないと処分されるという話もある。
 一度、現行憲法でいいかどうか、国民投票くらいやってみてはどうかという意見があったのを思い出した。
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空き家
 町内に空き家が目立つようになった。すでに解体されたた建物もある。
 この傾向はさらに進むであろう。少子化、人口減、そして高齢化を、身に沁みて感じている。
 後期高齢者と呼ばれているが、こういう世の中になろうとは、夢にも思わなかった。
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