2016年02月の記事


小雪と電車
山小雪の冬が過ぎローカル線が往く
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このくらいの
 「このくらいの雪ですめば、このあたりはいい所だなあ」という声しきり。「台風がくるでなし、津波の心配もなし、地震は当分こないだろうし」と続く。

 そのとおりである。しかし若者の仕事はあるか、医療、文化とまでは、日常的には考えが及ばないうちに春がくる。
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酒屋へ三里
 「豆腐屋へ二里」と続く。なにしろ商店がなくなってしまった。ところが敢然として営業している豆腐屋さんが近所にある。豆腐、油揚 豆乳、厚揚思いのまま。

 これだけはありがたいやら、嬉しいやら、子供のころ鍋を持って買いにいったころと同じ味、おなじ店のムードよ、いつまでも。
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ノルディックウォキング
 必要に迫られて、つまり腰痛カバーのために、二本杖歩行をしているのだが、自分もやってみたいという人は、けっこういるようである。路上でしばしば使い心地を聞かれる。

 そこで持ちだしたのが知ったばかりの表記の言葉である。「腰痛のためです」などというよりも、気持ちがいいではないか。
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小雪
 雪が降らないと困る職業もある。スキー場は当然ながら、除雪業者、燃料業、冬物衣料エトセトラ。人間は自然から離れることはできない。
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入浴
 給湯器取り換えで、二日入浴出来なかった。昭和19年から終戦の20年にかけての冬、およそ3ヶ月の間に、一度しか入浴出来なかったことを思い出した。

 慣れてしまうと、毎日入浴するのが当然のように思ってしまう。「不自由を常と思はば不足はなし」と徳川家康遺訓にあるが。
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負けまい
 年齢を重ねると、いろいろと心身に支障が出るものだとつくづく感じる。負けまいと思う気持ちとともに、今更こだわることもあるまいという気持ちが働くのだった。
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 積雪の一部分が融けて落ちるかすかな音を聞くようになった。「カサッ」という音は春の前触れのようだ。例年にはない早い時期なのは、小雪だったからだろうか。
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青年
 「一国の青年をみれば、その国の将来がわかる」といったのは、ドイツの宰相ではなかったか。ひるがえって日常接する若い人に、実に爽やかな人物が多いのを心強く思うことがある。

 手に負えないような事例もあろうが、若者を酷使するようなことはあってはなるまい。厳しく育てることとは別問題といえよう。
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年を取る
 人間、生きている以上は必ず老年を迎える。我が身を振り返れば「下流老人」のはしくれかも知れないが、ものは考えようである。自主独立の気概だけは捨てていないつもり。

 白内障になり、腰痛に苛まれ、歩みがのろくなり、それが日常であるが、「いずれ自分も」という話がほとんど耳に入って来ないのが不思議である。歳は取りたくないという気持ちの作用だろうか。
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風呂ボイラー破損
 耐用年数が来たのだおろう。取り換え工事中は温水の使用、入浴はできない。こういう状況にわれら戦中派末期は強い。

 終戦の年の冬、3ヶ月間に一度しか入浴しなかったことを思い出す。
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雪上を歩く
 一片の雲もない日本晴れ、思い立ってノルディックポールをスキーのストックに代え、ゴム長程度の積雪の中を歩いてみた。

 空気冷たく日差しやわらかくして爽快。川っぷちまでたどり着いて雪まだらの山、川瀬を見せる流れを満喫。

 ひと昔前には、3月に入れば自由に雪上をあるけた「しみわたり」が楽しみだったものだが、いまやそういう日はない。
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窓口
 さる公的機関で、用のある部署の名をいったら、当の相手がその窓口のほうを顎でしゃくった。別に悪意があってのことではなかろうし、それでこちらの目的も達したからいいようなものである。

 そこで一言「あちらです」とでもあれば、また違った感じになるのだろう。窓口の業務は、その組織機関の表情のようなものと思った。
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対応
 歯茎の腫れに抗生剤と塗り薬投与。効を奏してもらいたいと願うのみ。どこが痛くても、なんとなく不安定な気持ちになる。弱いものだとも思うが、自分だけのことであろうか。
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 「雪はこんこん降っている 人間はその下で暮らしているのです」とは、うろ覚えながら「やまびこ学校」にある詩だったと思う。
  
 大雪では「ぼさぼさ降る」「どかどか降ってきた」などと、このあたりではいう。小雪の冬ながら、いまや「雪がチラチラ降っている」というほどである。どこかに春の息吹がかすかながら感じられる。
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 奥歯を二本抜歯。その後歯茎の腫れが引かず痛みもある。
「古傷が痛む」「泣きっ面に蜂」「一難去ってまた一難」「弱り目に祟り目」などの言葉が唐突に浮かんでくる。

 それにしても、諺はうまいことを言っているものだと感心しながらも、痛む所に手がいくのだった。
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路傍で
 「豪雪地と聞いていたんですけど、これくらいですか」
「いや、例年ですと、いまごろはこの2倍ほどの積雪です」
 話しかけられて説明したが、納得してもらえなかったようである。

 地元のこちらが驚くほどの小雪なのだから無理もない。これほども降らない土地も多いことであろうが。
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雪道
 昭和30年代まで、我が家を2百メートルも過ぎると、そこから先は県境の村まで、一本の雪道だった。馬の背のようになっていて、滑るたびに両側の柔らかい雪に、膝のあたりまでぬかる。

 今では冬でも車が疾駆している。たかが道一本と言われるにせよ、それを作ってもらったほうからすれば、どんなにありがたかったことか。立派な道路がある所に生まれれば、わかるはずもなかろう。

 簑笠に藁沓で橇を引き、山の方に向う姿が目に浮かぶ。一本の雪道にかかわるさまざまな苦労は、今では昔話にもなっていないのだが。

 そこに着目してくれた政治家がいたことを、まだ忘れていない人々がいることは確かだと思う。あるいはまた・・・。
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建国記念日
 この日から動いていないに限る。2月11日に定めたには、それなりの訳があってのことであろうから。(紀元節体験世代が、こういうことを言ってもいいのかなあ)
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抜歯
 右の上下の奥歯2本を、二度に分けて抜く。かなりの出血があった。まだ血の気がおおいのだなと思って苦笑。「8020」とか、80歳で20本の歯を維持できてればいいほうだといわれている。

 過ぎること8年にして「8020よさらば」となったのも自然の成り行きであろう。未練はない。
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動くこと
 大事を取って2日半寝ていただけなのに、少し歩いてみれば脚力の低下がわかる。心して動いていると、自ずと足も軽くなり、二本杖歩行も颯爽たる姿になるような気がする。
 
 88歳だ、無理をしなさんなと言われる。お心遣いに感謝しつつも、されど米寿だが、たかが米寿だとも思うのは不遜かなあ。
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先手必勝
 「寒いなあ」と思いながらのやせ我慢数時間。途端に夕刻38,2度の発熱。直ちに臥床し汗ばむほどの状態に身を置く。翌日の午後にはほぼ平熱。2日半の闘病体験から、先手必勝を再認識。
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やるなら一気に 
 今度は2本の抜歯を要すると判明。すでにして米寿を超えていながら、20本の歯があったことのほうが不思議と思う。

 万事良くなる時は、一挙によくなると信じて治療開始。歯を抜くも削るも、なんともない自分である。終わる頃には天地躍動の春がくると、明るい先を思い描きながら。

 
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