2016年11月の記事


夕暮れ診療
  当地の県立から市立に移った病院の院長さんは、午後6時過ぎからの診療を、自ら実施している。雪が輝く、四季が美しいと謳い文句はいろいろあるが、自慢できるものはない土地である。

 しかしこの院長さんの快挙と言いたいことだけは、深い尊敬の念とともに、どこに行ってでも自慢できる。
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上から目線
 自治体の小さな選挙が始まった。ふと耳に入る声がある。「どうして当選すると偉くなったような気になるのかなあ」「選挙の時は別として、もともとそういう人間なのさ」などなど、陰の声はさまざまな模様。
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一服
 仕事のあとの一服は気分がいいものだ。別に煙草を吸うわけではないが
「一服」という休み方はいいものである。気分がいいものだからといって、無限に休んでいろと言われたら、これはたまらぬ苦痛になろう。

 一服のあと、ヒョイと腰を上げるその気合も大切だ。休みを苦痛にしない最高の術として、昔から使われてきたに違いなかろう。
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時間
 同じ思いの方もおいででもあろうが、時間のスピードは、人によって、あるいはその人の時代によって違うような気がする。

 子供のころは長かったように思うし、今ではあっという間に時間が過ぎる。毎日が早いという人もいれば、まだか、まだかと言う人もいる。意識の問題であろうか。
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忘却
 「忘却とは忘れさることなり」戦後、一世風靡のラジオドラマ「君の名は」の冒頭のナレーション。忘れもしないで覚えている。

 「忘れたいことは誰にでもあるだろうが、なかなか離れないものじゃなかろうか。ところが大切な人の名前などを忘れてしまう、それを突然思い出すこともあるのだが」同年齢の友人が言った。全く同感です。
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のんき者
 知り合いの中年のことである。万事にのんきな言動が目立つ。「まあ、いいじゃないの」というのが口癖。のんきな人だという評価が定まっているようだ。

 病院の待合室であったとき、とてものんき者という印象ではなかったことがある。表情も曇っていた。なにか悲しいことがあって、それをカバーするために呑気なさまをよそおっていたとみるは、穿ちすぎだろうか。

 のんきオンリーの人など、案外いないのかもしれないとも思った。
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ラッキー
 そこここで家屋解体が進んでいる中で、豪華な改築をやった家がある。何かの籤で、ン千万円あたったからだというもっぱらの噂である。羨望の念をまとっているのもたしか。

 この年齢ともなると、それは幸運ではあったと思うが、幸福となると話は別、幸福は日々の些細なことのなかに隠れていると思う。 しかしどちらもラッキーでいいではないか。
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浪費
 金銭はなかったから浪費せずにすんだ。いまさら間に合うものでもないが、時間を浪費してきたような気がする。もっとも戦時中は浪費させられた部分もあるが、その中からも学ぶべきものはあっただろうけれど。

 遅まきながら、残り少ない時間ではあろうが、有効に使わなくてはと殊勝にも考えてはいるのだが・・・。
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笑い
 自分だけの話ながら、このごろあまり笑わないような気がする。笑うようなことがないかといえば、苦笑,憫笑、嘲笑のたぐいはある。明るく大笑いしたいようなことがないのだ。

 と思って周囲をみていると、たしかに大笑いしている姿を見かけない。自分が笑いに飢えているのかなあなどと思う。
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変化
 時の流れとでも言おうか、抗しようのない流れがあるような気がする。
なんとかなる事ならば全力を尽くすが、出来ぬことは謙虚に受け止めるべしと、このごろつくづく思う。
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出不精
 これも加齢現象の一つか、出かけるのが億劫になった。これではならないという気持ちと半々か。
 
 努めて自然体で歩こうと思うが、いまや冷雨の毎日。晴天を待つというのでは口実になってしまう。

 そうだ。雨に当たらないですむアーケードを、雁木路を歩こう。カメラ持参ならば、意外な拾い物があるかもしれない。二本杖で颯爽と。
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万年筆
 祖父は矢立を使っていた。昭和ひと桁のころ、初めてっ万年筆を手にした。「おお、これは便利だ」と感嘆の声をあげたことを覚えている。

 ボールペンはゴミを食うから駄目だと言われていたのが、今日の進歩。シャープペンシルは、少年が持っているとすれば宝物だったのも、そう遠くはない。

 このごろでは手書きが貴重などという声もある。人はその生きている時代から抜け出すことは出来ないと、しみじみ思う。
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鉛筆
 長さ2センチになるくらいまで使う。キャップとはめれば楽に使えるが、これが不思議に見える場合もあるらしい。

 小学校1年生の1学期間は鉛筆やノートが与えられず、石板と石筆だった世代としては、当然なのだが。

 小・中学校の運動会の賞品に、1位は1本の鉛筆だった。戦中戦後はリボンを小さく切ったものに変わった時期もある。鉛筆が貴重だった思い出もある。
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眼鏡
 目は心の窓とか。「孟子」の中にも人の瞳を見て、その言を聞けば、人柄がわかるというようなことがあると聞く。

 なにしろ情報のかなりの部分は目をとおして入ってくるのだから、おろそかにはできない。目を愛護し、情報もすかさず取り入れることが出来るように、眼鏡を揃えてみた。
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方言
 さる地方の方言が絶滅の危機にあるという新聞記事があった。すべてではないが、単語ないし部分的な言い回しでは、方言のなかから消えたもの、消えつつあるものは多々あろう。

 当地でも一定の年齢以上でしか、それも限られた場合にしか使われない言葉がある。「どうぞ」を「なじょうも」というように。

 放言のほうは健在のようであるが、たまにはご愛嬌といっていいものかどうか。
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待つ身
 待つ身は辛い。貸したお金を持ってきてくれない。コールセンターが「混み合っています」の連続。雨の日のバス停で待つ時。忍耐力を試されているのかも。
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眼鏡
 眼鏡一つで、すべて間に合わせようと思うほうが無理だった。老眼用は実によく手元が見える。バリラックスは限度がある。上半分がカットされた眼鏡があった。近くを見るによし。

 これで常時かけていても不都合がおきないことになる。上は自分の目でみて、近くは眼鏡越しに見る。めでたし、めでたし。
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太陽光発電
 晴天を利してのブラブラ歩き、ふと見上げた家の屋根、その片隅に太陽光発電のパネルがおいてあった。まさに一軒だけである。ほどなく雪になれば、屋根の上の積雪も1メートル以上になる。

 雪国での自家発電による屋根の除雪は無理か。屋根雪除雪には、いまだに決定的な方法がない。
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わからないものだなあ
 ・・・という声をしばしば聞く。選挙結果にかかわることのようである。

 わかるわけがない。選挙は水ものと言われている。民主主義に完璧はないとか、曲がり曲がりしながらもまっすぐな道を求めていくしかないのかなあ・・・などと、これこそありふれた愚感。
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ぼやき
 つい、うっかりと「歳は取りたくないなあ」と言ったら、かたわらから声あり。
 「じゃあ、若死にしかない」と。いやはや、ごもっとも。
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 山沿いは雪になるかもという予報。早いなあ、今年はと思いながら、明日の電車は正常に動くかどうかが気になる。

 昔、吹雪の夜どおし線路の除雪で、ラッセル車やマックレーの汽笛が響いたいたのを、今でも忘れない。随分と楽にはなったが、雪の中の生活には、まだいろんな問題があるようだ。
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上下きりなし
  上をみれば、キリがない。自分の位置がわからなくなりそうなことさえある。

 さりとて下をみれば、これまたキリがない。いただいているありがたさに、ハッとする場合さえ少なくない。

 あっちを見、こっちを見ではなく、自分を見るべきか、自分の何をみるか。忘れていたなあ。
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自転車
 「大丈夫ですか」としばしば言われる。75歳にして免許返納をしたのを悔やみつつ、またある種の安堵感も持ちつつ、大丈夫のつもりで道路の端っこを、ママチャリで走っている。

 追い越していく車がスピードを落として大回りをしていくと気遣いを掛けたなあと思う。風圧もかなりで、すれすれに疾駆していく例もあるから注意が肝心。

 
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山 冠雪
 気がついてみれば、県境の山の五合目あたりまで白くなっている。標高千メートル以下まで雪になったということか。

 ほどなく里も雪となり、人々は雪の中で暮らす。
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晴天
 空に一片の雲もない。
もったいないようなお天気である。
ほどなく、半年は雪と付き合う生活になる。

 空を見上げ、
ぐるっと見回し、
大きく息をしよう。
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避難口
 雪囲いをすると、階下の出口は全て塞がれる。出口がないわけではないが、非常の場合は近い必要がある。引き戸を明けて、落とし板との間から、雪の山に登る経路を確保することとした。

 降雪前に晴天の日にでも設定をしよう。「治にいて乱を忘れず」か。
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雪囲い完了
 懇意のSさんが助手を連れてきて、冬囲いをしてくれた。階下はすべて落とし板でふさがれ、昼でも薄暗くなったが、Sさんが見守ってくれているようで、かえって落ち着く。

 ありがたいことである。小雨の中、往年の自分もやった作業がぐんぐん進んだ。休憩時間中の語らいの楽しさもひとしおである。幸福感に包まれた。ありがたい、ほんとうにありがたいことである
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散髪
 鏡の中をしみじみ見れば、我が事ながら老いさらばえた顔である。「白頭掻けばさらに短く すベて簪に耐えざらんと欲す」とは杜甫の詩にある一節ながら、さてさて・・・。

 昔、整髪はポマードだった頃は漆黒の髪だった(笑い)。ムースをつけるころにはチラホラ白髪がまじり、そして今、一本の髪も、もったいないと思うほど。

 とは言うものの、あまりこだわってもいないのが本音かなあ。
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わからない
 世の中の動きについていけなくなったのか、年齢のなせるわざか、わからないこと、どうしてそうなのか、などと思うことが多くなった。
 それでも、とにかく真面目に生きようと思う。
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