2016年04月の記事


ポイントその2
 ドコモポイントというのが、まったくわからなったところ、熊本震災に寄付できると知った。大発見、持ち分全額寄付と決める。
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ポイント
 「おまけ」というのには縁があるが、「ポイント」となると別世界のように感じてしまう年齢である。

 大型電気店から使わないと無効になるとの知らせがきた。1ポイント1円、ところが7千ポイント近くあるという。

 や、や、こうしてはいられないと、ハッとした。が、ほしいものがない。
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五月晴れ
 空は高く、雲がながれ、山は緑に草木の芽吹き。この豊かな自然の表情。ありがたいことではないか。自ずと何かひと様の役に立つことはないかという考えが浮かんできた。
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朗人会
 持病の話などせず、それぞれが自分とお互いの「老い」を認め合っての集いだった。悟ったような、悟りきれないような、そういう雰囲気がよかった。酒はごく少量の消費ながら、明るい空気に満ちていた。
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米寿同級会
 近くに住んでいて集まれるもの5人。うち1人は重度難聴で今年は欠席。幹事役の小生は、案内状の末尾に「この会に出れば、元気が出ること必定」と記した。

 集まれるだけありがたいことである。集まるだけ殊勝なことでもある。動きは鈍くとも、口だけでも達者ならもって瞑すべし。
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自己
 人のふり見て我がふり直せと言われる。自分は正しいとだけ考えていたのでは、だれからの理解も得られまい。しかし人間はしばしばそういう闇の中に迷い込むとか。心したいと痛感した。
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品性
 などというと、上から目線の物言いと言われそうである。しかし「互いを敬う心」「自然のような大きなものへの畏れ」は、忘れてはならないのではなかろうか。

 これがないと、いくら立派なことを言っても通用しまい。加えて自己中心であれば、品性下劣と言われても仕方あるまい。
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 熊本の大地震被害に心がいたむ。同規模の地震を経験した身としては、人々の絆を思う。あの地震のあと、我が地域でも「絆」という文字がみられ、口にもされていた。

 所詮、人間は自然から見れば微々たる存在であろう。謙虚になり互いに支え合い、自然とともにある態勢を作り上げるには、まだまだ多くの問題がありそうな気がする。
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地震
 いつどこで、何が起きるかわからないと、しばしば思う。現実に自分でも体験したと同じくらいの強い揺れがあった由。熊本、大分はじめ被災地の驚きと困苦がわかる。

 当面何をすべきか明確にできないじれったさもあり、ただ平穏な日々の到来を祈るばかりである。
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当然のこと
 自主性も個性尊重もけっこうである。しかし具体的に人間の在り方とか、行動規範をはっきりと示して、厳しく躾ける姿が殆ど消えたように思うのはひが目であろうか。

 中国の小学校生徒規則の一部分を見る機会があったので感じたことである。そこに曰く「・・・父母を敬愛し兄弟姉妹を愛護する。老人を尊敬する。うそを絶対に言わぬ・・・etc」と。
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生きる力
 新聞で教育についての記事をみると、学校教育で「生きる力」を育むというような言葉をしばしば目にする。

 物質的に恵まれた生活実現を意味するとも思えない。あるいは苦しみや悲しみのうちにも安定した心を保つ、これが生きる力なのか。大人は「生きる力」をどのように捉えているのだろうか。
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刮目期待
 致し方なく一時的サイト閉鎖等の場合もあろう。対応にもさまざまあろうが、新たな名において、新鮮な内容を持って「新生」を期してはと思う。「捲土重来」という言葉もある。

 江戸の俳人は「昨日の我に飽きたり」と言ったと聞く。昨日と違う自分を創出する夢だけでもいいのではなかろうか。
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礼節
 人と応対していると、こちらを軽んじているか、適切に遇していてくれるかを、自ずと感じ取ってしまうようである。受付を訪れた人を「おめえ」と呼ぶ公務員がいた。大学院を出ているとか。

 学歴でははかれないものの一つに「礼節」とでも呼べるものがあるのでは。思わぬ場面で勉強になることに出くわすことがある。
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歯の治療
 逐次すすめられて、現在右の奥歯上下四本、左の奥歯下の一本が抜歯されている。左の上はもともと入れ歯になっている。

 物をか噛めないので、流動食の毎日である。いつまで続くのかわからない。治療にはどこか犠牲が生じるものと知った。

 舞台は前の席の人の陰になって見えないが、まわりが拍手し笑っているから、自分も拍手し笑っているようなものかも。
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建付
 築百年を過ぎた家に住んでいる。戸の開けたてもガタピシしてうまくいかない所がある。

 この頃の騒々しい世の中も、どこかガタピシしていると言っていいのかなあ。
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 雪が消えて黒い田の面がでた。雨の後はまさに泥田となる。夜になって月が出ると、その水溜りに朧月が映る。

 泥田の中にも美しいものがあった。
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事件
 寒々とする事件が起きるたびに思う。人間どうやら教育の問題ではなかろうかと。

 ただし学校教育だけを指しているのではない。もっと大きな力が現実の教育を左右しているような気がする。なんだろう?
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ゆとり
 物は豊かになったが、その分、精神的には荒廃してきたという意見がある。しかし折角の人生、あくせくと物質的なことを求めてもキリがあるまい。負け惜しみのようであるが、そうでもないつもり。

 ゆとりというものが、そこにちゃんと座っているなどということはあるまい。ゆとりは自分で生み出すものではなかろうか。

 なかなかそうはいかないが、物質的なことでも、これで足りている,充分と思えば、おのずとゆとりが生じてくると思いもするが。
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蓋の飯粒
 折り詰め弁当の、蓋についた飯粒を食べるかどうかで、戦前戦中の躾を受けたかどうかわかるとか。

 食料不足時代だったからというよりも、米という生命と、それにこめられた労力に対して、一粒でももったいないと感じるように躾けられたのだと思う。いまや躾はどういう形になっているのやら。
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お互い様
 皆が雪のやり場に困っている。だから隣の軒下であっても捨てたり、捨てられたり、お互い様なのだった。

 お互いにそれほど偉いわけでも立派でもない。だから助け合い、支えあっていけばいいのだ、というこんな気持ちが、どうやら薄れて来たようだ。上から目線などという現象もしばしば目につく。
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人間往来
 4月は転勤だ転居だなどと慌ただしい一面がある。その中で人間模様が織りなされていくのであろう。このごろは、テレビのチャンネル合わせのような人間関係が増えているのではなかろうか。

 人生は巡りあいだとも言われる。その時は楽しいかもしれないが、深いところでの結び付きが乏しくなりつつあるような気がしないでもない。
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上機嫌
 この人も花粉症とすぐわかる状態。ところが明朗そのもの、やわらかな物腰、穏やかな話しぶり。「時季がくりゃ治りますよ」と、こちらをなごませてくれる。

 屈託のないその機嫌のよさに、こちらも釣られてか、花粉j症のムシャクシャが軽くなり、まさに上機嫌。
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