2011年11月の記事


お下がり
 兄が着た服を弟が着る。わが世代では、お下がりが当然という時代だった。教科書も国定だったから、1学年上の人が使ったものを譲り受ける例も少なくはなかった。

 これもお下がりだったが、愛用のプリンターが壊れた。使い始めからは、10年近くを経ている。今では部品の製造もしていないとされた。大切に使えば長持ちをするものだと思った。

 これには、後日譚がある。

 
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自転車
 「チャリンコ」の名で親しまれている。都会の歩道で、乱暴な運転もあるなどという報道もされている。

 75歳になった時、良心的な(?)なつもりで運転免許返上。むしろこれからいっそう必要になるのでは、という声が多数あった。「しまった」と思わぬでもなかった。                          
 以後はもっぱら自転車。表示のある所では、歩道をゆっくりと運転している。それでも怖い思いをすることがないでもない。後ろから来る車の姿は見えず、空気で感じ取る。

 13歳以下と高齢者の、標識がある歩道での運転だけは許してもらわないと、買い物が出来なくなる。それでも怖い思いをすることがないではない。

 自転車は、スピードを出さずに、安全第一、ゆっくりと走らせたい。そのほうが体も気分も楽々するように思う。
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季節の恵み
 晩秋になると、すっきりと晴れる日が数少なくなる。雪国の特徴のような暗い雲が低く垂れ込めた日が多い。

 それだけに晴れた日は貴重に思われ、自ずと足が外に向かう。澄んだ空、山肌の変化、すすき、野の草、川の水、すべてが季節を反映している。

 詠めはしないが、短歌も俳句も作れそうな気分になる。季節は日常生活に彩りを与えてくれる・・・と、思った。
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あいまいな表現
 十数年まえになろうか、観光バスのガイドが「おトイレのほうとかは、次の・・・」というのを聞いた。率直に言いにくい事をぼかして言っているのだろうとそのときは善意に解釈した。

 その後、どううやら自分の考えや意見をぼかすために多用されているような感じを持つに至った。どこででも、そういう言い方を聞くようになったのである。

 そしていま、「とか」も「ほう」も市民権を得たように思われる。言葉は変化するというが、しかし・・・。
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