2017年01月の記事


近況
 年賀状で近況を知らせてくれる人がある。病気だ老々介護だなどとあると、ひとこと言葉がけをしようと思う。返信無用として。
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ピンとキリ
 どこの世界にもピンからキリまでは存在するようだ。ときには同じ場所で、ピンとキリにあたることもある。
 
 さる金融機関での窓口の応対は良かったが、ちょっとして用向きで、背後にいたのが出てきた。これがキリだった。客商売でもいるのだ。個人的に自分のスペックを過大に考えているのでもあろうか。
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古時計
 物置に古いボンボン時計が転がっていた。レトロ趣味に任せて油をさし、二十四時間観察をしてみた。カッチン,カッチンと動き、時刻になれば音高く鳴る。さしたる狂いもない。

 裏を見たら大正四年に購入とある。百年経過しているのだ。昔の人はすごい仕事をしたものだと感じたところ多大。
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反省
 歳をとると気が短くなると聞く。そのせいかもしれないが、ある品が欲しくなった。物忘れ防止に役立ちそうな気がしたからである。

 ところが、ちょっと思いついただけのことで、本当に役立つか、その品の性能はなどなど、およそ熟慮するということはなかった。

 文章よりは画像、熟慮よりは直感、なにか易きに流れている自分を垣間見た思いがした。
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氷柱
 つららがさがった 氷の棒 かたいぞ つめたいぞ
 窓からのりだし つかみたい 長いつららだ 氷だぞ

 と、ここに写真を入れる技術がないので、呟きだけにしておくことになる。
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太陽が出た
 ありがたいし貴重でもあり、屋根除雪に励む姿もいたるところに見られる。氷柱は下がっているが、雪原は眩しく、陽射しは暖かい。航空機が音もなく雲を引いて翔んで行った。
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バチアタリ
 久しく聞かなかった言葉だった。子供のころはよく「バチアタリな事をするな」などと言われた。食事を残しても。
 高齢者と思われる人が、呟いているのを通りすがりに耳にした。

 何を指していったのかわからないが、「もったいない」以上に厳しい言葉であることは確かだ。「バチアタリ」のことが多くなりすぎて、それで使用頻度が減ってきたのかとも考えてみたのだが。
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忠魂碑
 神社の境内に忠魂碑が建てられていた。木陰にひっそりと。大正四年とあり、当時の有名な将軍の揮毫になる文字だった。

 国が軍国主義に向かい始めたころを思い起こす。この小さな村からも何人かの戦死者があったのだろう。

 今この村も高齢者がほとんど。百年も経てば世の中は一変するのだと、しみじみ感じた。 
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雪 
 細かな雪がひっきりなしに降っている。今冬二度目の大雪になるかどうか。老人が道路の雪を流雪溝に流している。車がドロ飛沫をあげながら疾駆していく。それぞれの冬がある。
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スコップ隊
 除雪応援のボランティアである。独居老人、高齢者世帯の増加も予想されるなか、ボランティアだけではなく、行政としての措置が必要になってくると思われる。

 うまい方法はないものだろうか。ありそうな気もするが、それを述べると、古い、古いといわれそうだからやめておく。
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客のいる店
 町の中心部をはずれた所にある小さな店である。昔は乾物屋だった。食料品や日用雑貨を商っている。店にはいつも人がいる。繁盛しているなあと思っていた。顔ぶれはおおむね初老以上という感じだったが。

 そこの主人は八十歳近いが元気である。いわく「うちのお客さんは、話をしにきてるんです」と。人と話すとは大切なことだったのだ。
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陽光
 昨日同様、午前中晴れる。屋根の雪が目にみえて減っている。自然の力は大きい。人間が除雪をするのも大切でもあるが。

 忍耐の 日々顕ちてくる 冬木立
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塞の神
 左義長と呼ぶ土地もあるとか。当地ではこれがまた気息奄々たる状態になった。まず注連縄を門先に飾る家が減少している。飾るにしても棒注連(ぼうじめ)とよばれる市販品。昔のような注連縄ではないから品不足。

 子供が少ない。高齢化。そこでPTA役員が辛うじて行うという有様となった。時代は風習をも変えるのだろう。
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太陽
 大雪が続いたが18日は、いいお天気だった。おもいっきり陽光を浴びた。太陽というよりも「おてんというさま」と言いたい気持ちだった。
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屋根の除雪
 屋根除雪中の落下事故が絶えない。昔はほとんどなかったような気がするので、当時のやり方を思い出してみた。

 屋根に上る梯子を堅く固定する。かんじきを履く。屋根に達したら自分の位置を確保すべく梯子近くの雪を落とす。スコップ(または木鋤)で右または左回りの得意な方向に回りながら、周囲から雪を落とす。

 雪庇を想定し、軒からかなりさがった位置より前に出ない。中央に進むにしたがって、遠くなるので、雪樋を使って流す。終了したら、ゆっくりとおりて、落とした雪を片付ける。一日仕事と考えて急がない。

 今ではスノーダンプが中心、スコップの5倍くらいの能力はある。しかし軒端まで雪を運んで落とすとき、引っ張られる危険がある。さりとて手を離せば鉄製のそれが落ちていくことになる。

 とっさの場合、手を離せなくて、人間も落ちるのではなかろうか、という推測でしかないが。滑り止めにも有効だったかんじきも使われなくなったようだ。体力を要するから高齢者の場合が問題となる。
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 大雪
 突然のドカ雪で、交通状態にも運休や間引き運転、遅れなどが目立つようになった。

 戦前、石炭で汽車が走っていたころ、こういう状態になると、キマキロといわれる機関車、マックレー、機関車、ロータリー車を連結した編成で、夜通し線路を確保する作業が続いていたようだ。

 吹雪の夜、悲鳴のようなその汽笛を聞きながら、炬燵に足を入れて眠ったことを思い出す。
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ゴム長 
 同じ県内でも、冬のさなかとて、県庁所在地にゴム長で行くのには、いささかの勇気がいる。ところが海抜百メートル前後からの地域ともなると必須の履物となる。消雪パイプが大活躍をしていてもである。

 所変われば品変わる。足元を見られそうな話ではあるが、実利実益第一に冬を過ごすにかぎる。
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除雪
 さすがに大屋根と呼ばれている二階部分の屋根にはあがれなかった。特に1回目は下の雪がすくないから危険でもある。せめてと思って、小屋根と呼ばれている一階部分が張り出したところの除雪を試みる。

 スコップ片手に手すりを越えて、まず安全な位置を確保をして、ゆっくりと進める。2坪ほどで積雪1メートルほどか。体に負担がかからないうちにと思って、半分ほどの高さにしてやめる。

 効果はないに等しいのだが、爽快感が残った。老人の趣味のようなものだという自嘲めいた気持ちもあったが。
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大雪
 屋根融雪の灯油代の心配をしても始まらない。降るだけは降るのだ。いざとなれば、89歳まだ屋根にあがって除雪をするくらいの、意気込みだけはある。
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冷え
 雪国に住んでいながら「冷え」に神経を使わなかった。寒さには対策を考えたものだった。足裏を温めておくと、寒さに対する抵抗力が増すなどということも、体験として確かであると思う。

 加齢とともに「冷え」に弱くなった。机に向かっていても、膝掛けは必須、首を暖かくしておくことも重要なのだと知った。マフラーとは役に立つものだと思う。
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降雪
 1月上旬、地上にほとんど雪がなかった。このままではすむまいと思っていたとおり、11日朝からの雪で、夜には40センチくらいにはなろうと思われるほど。これが自然だと思うばかり。
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物忘れ
 頭は悪いが、物忘れなどということはなかった。加齢とともに物忘れ岩礁が出てきた。まずはメモを活用した。しかしこれは行動開始の催促をしてくれない。そこでいま対策研究中。
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ストレッチ
 腰痛対策に朝夕20分たらずの時間を掛けてストレッチをする。良いといわれていることは、なんでもやってみるにかぎる。幾つかの組み合わせがあったが、残ったものは7種類ほど。

 続かなかったこととは、縁がなかったと思うことにする。目の色変えてやるではなく、趣味のようなものにしているのかも。
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均等・平衡
 自分の腰痛の遠因は、五十代初めのころ、重いカバンを肩に朝夕3キロの道を歩いての通勤だったと思う。その時ギックリ腰を起こしている。

 何事もバランスよく、手足を使うのも、肩の負担も均衡を保つにかぎると今になって気がついた。しかしまだ遅くはないのだ。
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体調
 正月早々に体調をくずして寝込んだ。言いたくはないが、正月には疲れる部分がある。それにしても自分の身体の調子に合わせられないようでは、何のために年を拾ったのかわからない・・・いやはや。
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亭主役
 正月ともなれば、身内が主としても来客が多い。一家の代表として座りっぱなしでの応対は、かなりの体力を要する。時々立って皿小鉢を運ぶなど、こまめに動くほうが案外楽らしい。と思うのは年齢のせいか。
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貫く
 「去年今年貫く棒のごときもの(高浜虚子)」新年も二日目。いざスタートと、まずはゴールを見定めて。
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