2010年09月の記事


枝豆
 ビールに合うというので、もてはyされている。

その枝豆が、まだ収穫できる。夏の気温が高かったせいか

実の入りが方が、いくぶん悪いようである。
コメント (3)

漠然とした不安
 芥川龍之介ではないが、このごろ漠然とした不安を感じさせることが、しばしばみられる。

 中央でもまさかと思うようなことがあり、身の回りでも、地方に権限を委任などといって、本当に大丈夫なのかと言いたいような事がある。困ったものだと思う。
コメント (0)

亜寒帯
 ついこの間まで、35度くらいの気温だったのが、一転して肌寒いほどになった。昨日今日あたりは日中でも17度ほどである。

 猛暑の日々、本州も亜熱帯になった、などという言い方が流されていた。このまま暖かな冬になればいいのだが。

 被害妄想かもしれないが、この冬は雪が多く寒さが厳しいという事になりはしないか。本州は亜寒帯化して、などといわれても困る。

 どこかの方言で、困ったものだという意味で「あかんたい」という所があったように思う。うろ覚えだが。
コメント (1)

彼岸の中日
 肌寒いような雨。空き地が増え、また一軒の家の解体作業が進んいる。

 店を閉めた家が多い。50年前、100年前に生きていた人が見たら、なんと言うだろうか。50年経てば様変わりし、100年もすれば、一変するの人の世の常か。
コメント (0)

お彼岸まいり
 春秋の彼岸になると、蝋燭の包みなどもって、土地に残る親戚同士で、お参りに行く。お墓ではなくその家の位牌にである。昔からそういうふうになっている。

 行ったり来たりするのは老人だけ、若くとも60歳以上。第一、若者などいない。

 先祖が取り持つ縁で続いてはいるが、近隣を含めた地域社会となると、ほとんど崩壊、形骸化した風習が残っているだけか。その姿は、危機的状況において、はっきりとするだろう。

 地域社会の復興復権が言われるが、簡単なことではあるまい。何よりも人力が不足していると思う。地域社会の復興とは、逆の方向に働いている作用も、ないばかりではない。

 先祖代々はどう思って見ているのだろうか。
コメント (0)

おはぎ
 尊敬する方からのBBSに、彼岸というのに残暑が厳しく、おはぎを作る気にもなれないとあった。今も彼岸のおはぎを作っておいでなのだと察する。

 我が家でも秋の彼岸には、おはぎを作って重箱に入れ、本家分家にも配ったものだった。それも祖父母の時代までだったか。戦争を境にして、ぱったりと途絶えてしまった。

 慣習の変化があまりに激しい時代だった。おはぎを家で作ることなど、まったく知らない世代が多いようだ。我が家の物置にも、五段重ねの重箱が何組も眠っている。
コメント (0)

乱調
 「暑さ寒さも彼岸まで」といわれる。今年は猛暑こそ去ったようだが、うそ寒いような日もあり、半袖がいい日もある。

 彼岸の入りになったが、天候が乱調・・・と呟く。
コメント (1)

アメシロ
 ひと昔以前、脅威だった事がある。最近また出始めたという。市役所では「庭木は私有財産だから、駆除器具は貸し出すが、作業はしない」とのこと。

 わかりました。しかしこの季節からして、繁殖はしないだろうと思う。それにしても、私有財産だからとは、うまいものだなあ。いろいろある、ある。
コメント (0)

不意に訪れる
 不意に訪れる客というのがある。そのように、不意に浮かんでくる脈絡のない言葉もある。

 内閣改造の新聞記事を読んでいるとき、不意に浮かんだ言葉は「斜陽族」「社用族」「官々接待」「居酒屋タクシー」。

 その時々に知っただけで、これらの実態と縁も所縁もなかった。言葉だけが記憶に残っているのだろうか?
コメント (0)

おもしろき
「おもしろき事もなき世をおもしろく」とは高杉晋作の言葉だったか。

 体調が悪かったリすると、「気合イダ、気合イダ」といってみても駄目。頭の中で、おもしろくするもしないも、自分の心がけしだいだと考えて、妙に納得してしまう。
コメント (0)

老化
 天候の変化に、体がついていくのが、簡単な事ではなくなった。年齢を思えば、少しも不思議ではない。

 老化とは、鈍化でもあるようだ。疲れが何日か経ってから出てくる。硬化ということもありそうだ。体が堅くなって、動きが不自由になる。いずれも自然なことであろう。
コメント (1)

日影から
 この暑さで、鉢植えを幾つか枯らしてしまった。片付けようと思って外に出た。日影でしか仕事が出来なかった。

 ふと往来のほうを見たら、車の往還、人の行き来、自転車、バイクとその姿が鮮明に見えた。

 日影にいたほうが、明るい所を動き回るさまが、はっきりと見えるのかもしれないと思った。
コメント (0)

親孝行
 K氏は遠距離通勤の由、駅に車を置いて、電車で通っている。帰途には逆方向から、同じ駅に降りる高校生の息子を拾う。

 部活動で疲れているだろうからという親心もあるという。息子は車にのるとき、きまって「すまんのう」と言うと。

 「いい話ではないか、それが本当の孝行の発露だ」といったら、K氏は、嬉しそうな笑みをもらした。
コメント (0)

犯人
 水曜日は危険物回収の日である。その朝、新聞紙を束ねたものが置いてあった。皆が非難の眼差しを投げていた。

 一人の青年が現れた「間違いました。犯人はわたしです」と、彼は新聞の束を小脇に、周囲に会釈しながら帰っていった。

 その場にいた人々は、微笑を浮かべて彼を見送っていた。
コメント (0)

米田氏の失敗
 「参ったなあ」と呟きながら語る。幅5~60センチくらいの用水を、サンダル履きのまま飛び越えようとしたという。
 
 年齢72歳を忘れていた。簡単に向こう岸に移っているはずが、水のなかへボッチャリ。畦道のわきだったので、怪我はないという。憮然とした面持ちで「歳だねえ」と付け加える。

 暴れ馬のそばを通るとき、さっと体をかわした剣客がいた。その馬を避け、遠回りをした剣客もいた。後者の方が達人であると。昔読んだ少年講談の一節を思い出した。        
 「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」としばしば聞く事は、こういう場合にも当てはまるようだ。
コメント (0)

美点の発見
 知り合いの岡田氏(74歳)曰く「ワタシャ女房に惚れていますからね」と。

 はたから見ていて失礼ながら、頭はいいようだが、どこが取り柄なのかと思っていた。                 しかしパートナーの美点を見出してのことであろう。まことにお見事、立派なものだと思った。己を省みるとき、「やれやれ・・・」という思いであったことも告白しなくべきか。
コメント (1)

バナナ
 朝食はパン一切れ、バナナ1本、トマトに添えたハム少々にコーヒー。けっこう贅沢だと思っている。

 昭和ひと桁前半生まれの少年として、戦前にバナナを食べたのは昭和14年が最後。そして戦後初めてバナナを口にしたのは、昭和33年だった。15年ほどの空白がある。

 魚雷と一緒に積んだバナナが熟れたというような、戦争応援歌とでもいう歌詞も、記憶が定かでなくなった。
コメント (0)

日本はどうなる?
 敗戦直後、話の端々で、「これからの日本はどうなるのかな」と、口癖のように言う人がいた。鮮明な記憶がある。

 あれから65年、今でも「日本はどうなる」という思いが、不意に訪れる客のように、頭のなかにわいて出るのは、どうしてだろうか。
コメント (0)

酒場にて聞く
 「日本は民主主義だといっても、戦後民主主義という言葉もあるだろ、な。文化国家といってもよ、一億総白〇化という現象もあるじゃん。平和国家はいいけどよ、攻められて戦うだけの力があるのかね・・」
「まあ、まあ・・・」
 
 初老と思われる二人連れだった。勢いのいいほうの話を、何とかまとめてみると上のような次第となる。

 早く酔ったほうが勝ちだったような。
コメント (1)

どっち?
 電車の中で自然に聞こえてきた会話。
「Aの家では夫婦で役所に勤めているから、このご時世では特別な階級だね」
「不景気になると公務員はいいというからな」
「運がいいのだなあ」
「いや、先見の明があったのかも」
 他愛のない会話を乗せたまま、私が降りたあと電車はすぐ発車した。特別暑い夏の夕方だった。
コメント (0)

移ろう世の中
 地球が生まれてから、人類が誕生してから、歴史が始まって以来、などを引き合いに出されると、人間の一生など、まことに短いものだと思ってしまう。

 それでもいろんな変化がある。子供の頃、「産めよ殖やせよ」といわれていた。戦争の後は「産児制限」と。そしてあっという間に人口一億二千万突破。そして今「少子化」おまけに高齢化」・・子供手当てと続く。
 この先、あっという間に、人口が一億を割るのだろうか。
コメント (1)

公用車
 何かの雑誌で読んだ気がする。名古屋市長は、公用車を軽自動車にしたとか。

 ここに、人口4万強の平成合併市があり、市長公用車が運転手付きの契約で、年間3~5百万円と聞いた。

 仕事のない青年も多い世の中、無駄を省ける部分は、まだまだ多いのだろうなと、つくづく思った。
コメント (0)

亜熱帯化
 今夏の猛暑で、日本列島は亜熱帯化したという声が高かった。積雪3メートルが常の土地に住んでいて、それがホンモノならば、ありがたい一面もあると思った。

 しかしこの夏も、初めの頃は「冷夏」などと言われていた。来るべき冬は、豪雪などということのないようにと、心配性のようだが考えてしまう。

 お天気もまた、先の事は分からないということか。
コメント (0)