2011年08月の記事


加齢
 歳をとると、心身に故障も出る。活動範囲も狭くなる。それをみじめだという人もいる。

 しかし、みじめと思ったことはない。当然のこと、自然の成り行きだと思うことはあっても。

 ゆっくりと、やりたいことは何でも始めていいのだ。ただ金銭のかかることには、手がでないのが残念。
コメント (1)

欠けていること
 いまさら反省してみてもと、思わぬでもない。が、自分の欠点はいくらでも挙げられる。

 その事よりも、その欠点を正そうとしなかったことのほうが恥ずかしく思われる。

 だから、なかろうとは思うが、こういう長所があるじゃないかと言ってくれる人がほしいのだろうか。
コメント (2)

童謡
 「村の渡しの船頭さんはー」と歌いだす童謡があった。「今年60のお爺さん」と続く。当方はその四割増しの年齢だから「オジイサン」もいいところである。

 最低限度の経済生活、支障はあっても自立している健康状態、生きがいほどではなくとも、やる事があり、いじるという程度のパソコンなどなど、情報を得る事も出来る。誰に聞けば、どういうことがわかるか、ほぼ知っている。ゆえに「元気いっぱい櫓がしなる」ほどの意気を持っていたいと思う。
コメント (2)

 平均寿命ラインはとっくにオーバーラン。しかし下り坂とは思っていない。もともと人生はでこぼこ道であろう。

 上り坂とも思わないが、やりたいことはいっぱいある。持ち時間を考えて、ひかえてはいるが、それでも「娑婆っ気が多い」といわれる事がある。マサカそんな・・・。
コメント (2)

書く
 それでなくとも頓珍漢なことが多くなった。「忘れました」で、周囲にかかる迷惑を少なくするために、メモをしている。

 厚手のチラシの裏などを利用して、名刺大のカードをつくり、常時持ち歩いている。

 「なるほど」と思うこと、ちょっとした思いつきも書く。
書くこと自体、ボケ防止になるかも、と思って。それでも忘れる事があるが、その時は天命と思って諦めることにしている。
コメント (2)

やはり同じか
 祖父母、父母の晩年をみてきたので、さして驚きもしない。落胆もしない。同じだなあ、と思って苦笑するほどのことである。

 物忘れをするようになり、老眼鏡をかけたまま、眼鏡を捜して、家の中をウロウロしているのに気付いた。「まあ、いいじゃないか」と呟いた。
コメント (3)

それでいいのだ
 お墓参りの野道を歩きながら思った。去年はまだ気にしないで歩けた道が、今年は楽に歩けない。

 この年齢ともなると、1年は貴重だと感じた。

 心身ともに、年齢に見合うように変化しつつあるのであろう。「それでいいのだ」と、どこかで聞いた台詞のようなことを思った。
コメント (3)

訓練
 「避難訓練です。すぐ町内公民館に集ってください」
(3軒先の集会所に集る。集るものはポチポチ)

訓練終了の後でに曰く
「今日は訓練なので、ここに集ってもらいましたが、いざと言いう時は、早く安全な所に避難してください」
 「ン?」
コメント (2)

旧盆
 この折には、必ずお墓参りをします。先祖を偲ぶという気持ちが、消えないようにしたいと思います。

 親の恩さえも、高年齢になってみて、はじめてわかるという意見もあるようです。まして先祖の、とも思いますが、ともあれ、形からはいるのもいいではないかと、ふと思いました。

 
コメント (2)

怪談
 米店に米を買いにいったら、品物がないと言われたという。

 買占めでもあるまいが、まとめ買いがあってのことだとか。考えもしない事がおきるものである。

 機を見るに敏でなければいけないか、背筋が寒くなるような気がしてきた。
コメント (4)

水害対策
 堤防を思い切り高くする(想定外などといわないで)、信玄堤の例のように、堤防を二重にしておく。

 どれも国土の七割が山地の日本では、無理なのでしょうかね。
コメント (4)