2017年02月の記事


準から超まで
 高齢者を年齢によって「準・前期・後期・超」の四区分にする話があるとか。ともあれ2025年になると、団塊世代が75歳に到達、高齢者人口3千6百万人ほどにもなるとか。

 東京オリンピックのあと5年後ということになる。さほど時間があるとも思えないのに、大きな問題なのではと、老爺心ながら。
コメント (3)

矍鑠{かくしゃく)
 晴れ間を利用して、カメラを首にかけ二本杖で歩く。中年が声をかけてきた。「矍鑠としていますねえ」と。挨拶代わりの褒め言葉とは思うが面映い。

 「”老爺は一日にしてならず”です」と返したが、通じたかどうか。ローマほどの長い歴史ではないが、戦中、戦後の混乱から今日までが、漠然と胸中をよぎった。
コメント (3)

一日を十日として
 貝原益軒「養生訓」を走り読み。読めば思い出したり思い当たったりすることがある。

 「老いて後は一日を十日として日々楽しむべし」か・・・。「楽しむ」というのは安楽、安逸などではなく、微笑の浮かぶような事を経験せよということかと、またまた勝手に解釈する。
コメント (2)

掲示板の教え
 買い物の途次、禅寺の前を通ったら、掲示板のようなものがあって、以下の言葉が書かれてあった。
 
 「昨日の非は根悔すべからず 明日の是は慮念すべからず」わきに細かな説明もあったが、文字が大きな部分だけを覚えてきた。

 考えながら自分なりに訳してみた「くよくよするな」ということかなと納得している。過去についても未来に対しても。
コメント (3)

重心移動範囲の自覚
 70代の頃一度つまずいてかなりひどい転び方をして以来、転倒しないように注意している。バランス能力が低下しているのだから、素早く大きく動くことは禁物なのだと心得て行動しているつもりではあるが。
コメント (2)

物好き
 好奇心を失うなとしばしば説かれる。ごもっともである。それはさておき、漢字を忘れているなあと痛感する。いまや忘れるのは仕方がないとして、辞書を引くことだけはこまめにやろうと努めている。

 忘れたままではくやしいし、いまさら物好きなという批評に抵抗感もあるから。これ、好奇心の部にはいるだろうか。
コメント (3)

笑い
 笑うことの効用は読みもするし聞かされもする。いいことだなあと思いもする。しかし日常の中に抱腹絶倒とか呵呵大笑するなどというネタがない。笑い顔を作ってみるだけでもいいという記事もあった。

 せめて、いつも微笑を浮かべていることにするか。自分の顔は見えないけれども。鏡をみれば、我と我が顔に自ずと笑いが生じてくるだろう。
コメント (3)

肩書
 肩書を捨てて、ほどなく30年になる。もともと肩書を好きなほうではなかったので、せいせいした。あとは口下手であり、好奇心旺盛にして物好きと言われ、腹を立てずに家事の手伝いもする。
 
 それでいいのだと、別に達観しているわけではない。自然の成り行きまかせていた結果とでもいうか。
コメント (2)

老臭
 老臭なるものがあるのだとすれば、自分だけは例外とはなるまい。気づくことがないだけに、極力身ぎれいにして、無精にならないように努めよう。

 老臭放置から老醜に至るおそれもないではない。旧来の陋習にとらわれてはいないつもりではあるが。晩節を汚す例は世に多い。
コメント (4)

若いつもり
 早々と車の運転免許を返納したことを、いまさらのように惜しいと思っている。免許があれば運転くらいできるという気もある。

 そうはいかないのだ。脚立に登ってみれば、4段目あたりでおっかなくなる。いわんや車の運転など・・・若いつもりと、思っているあたりでやめておくがよし。実年齢に逆らわずして。
コメント (3)

ガラス1枚
  不注意で額縁のガラスを割ってしまった。さてそのガラス1枚を入れるのに一苦労。いまさら愚痴をいっても仕方がないことながら、日常生活に必要な物を商う家が消えてしまった。ガラス屋もその一つ。

 提灯屋、下駄屋が消えたあたりから、消え行くスピードが上がったような気がする。これも時代の流れというものであろうか。
コメント (3)

卆寿
 日記帳の便覧にあった。卆寿は数え年九十歳、満年齢八十九歳。うわぁー、そんな年齢になったのか。
コメント (6)

働き方
 働き方改革の記事をしばしば見る。体調が悪いので横になって考えた。風邪を引いても屋外作業を休めない人がいる。事情もあるのだろうが、なんとかならないものかと、我が身に引き比べて思ってしまう。
コメント (2)

福寿草
 鉢植えをもらった。雪消えのころには花が咲くだろう。春、夏、秋を黙って過ごしながら、そっと福と寿をもたらしてくれる。
コメント (5)

自主独立
 出来る限り自力で事を処するつもりである。子供のころ接した老人がそうだった。その年令をかなり超えたが、依頼心、依存する言動を、できるだけ慎もうと思う。

 それにしても道路の除雪は各戸のご協力でと言われて、すでに体力がない。これなら出来るかと行政としての代案を示してくれればなあ。
コメント (2)

北風と太陽
 イソップの「北風と太陽」の話ではないが、己には厳しく他に対しては春風のごとく接すべしと聞く。内容は別として、そのような対応を四ヶ月近く続けてみた。

 はたせるかた、先方に感じるところがあったのであろう。一両日中に円満解決に至りそうである。しかし完結までは気を緩めまい。
コメント (3)

睡眠
 若い頃は、布団に入れば3分と起きていなかった。朝まで爆睡だった。それが今や、寝付きは悪い、中途覚醒はあるで参っている。
 人間は次々と変化していくものだと、しみじみ思う。
コメント (4)

シルバーカー
 高齢の女性が押してあるくあれのこと。年齢的には使っても不思議はないのだが、路面が平坦でないと困る場合がありそうだ。当方はもっぱらリュックを背にしている。

 やや前傾姿勢になりながらも、まだ雪面を歩くこともできるし、自分を鼓舞する気分にもなれるので。
コメント (3)

食料調達
 雪が止んだので、食料調達に出掛ける。アノラックにゴム長、毛糸の帽子、革の手袋、二本杖といういでたち。初老と思う女性にどんどん追い越される。

 終戦直後の食料買い出し時代に比べれば、ありがたいばかり。行先は小さなスーパーでも品物はぎっしりと並んでいる。
コメント (2)

寒波
 この冬いちばんの寒気南下などというニュースが流れた。昨夜から寒さが一段と厳しくなった。加齢とともに寒さに弱くなった。
 あと3週間すれば見当がつくと思うことにして我慢、我慢。

 雪が細かくなったり、大粒になったり、横殴りになったりと、一日のうちにでも降り方が変化する。
コメント (3)

屋根融雪
 灯油、電熱、水のどれをとっても、屋根融雪の決定打とはなっていないようだ。ドカ雪になると、設置した機械器具の故障も出る。吹雪の中、屋根にあがって、黙々と細かい作業をしている人もいる。
コメント (3)

雪が少ないと
 困るケースもある。スキー場、除雪業者、積雪地のタクシーetc.うまい具合に降ってくれないものかと思う。豪雪になっても困るが、あまり降らないと妙に落ち着かないことがある。
コメント (2)

まだ間がある
 百歳になるまでには、まだまだ間があると思うことにした。ところが、「百までと、生まれた時にかえるのと、どっちが近いか」というのが現れた。

 いうまでもない。だからこそ百までにはまだ間があると考えるのだと答えはしたが。
コメント (3)

晴天
 1月中に晴れた日は二日、しかし曇天の日が例年より多く、それだけ雪が降らなかったことになる。とにかく冬は陽光に恵まれる日が少ないので、おテント様が顔をみせると、実にありがたいと思う。

 だからすれ違うときの挨拶でも「いいお天気で」「ありがたいのう」などという言葉が、自然に口をつく。
コメント (4)

運勢欄
 地方紙を購読している。「運勢欄」というのがあるので、生まれ月のところだけ目をとおすことがある。妙に当たっているなあと感じることがあり、「何をバカな」と思う場合もあって面白い。

 あたるも八卦、当たらぬも八卦というが、その日の行動に役立つように、利用する方法があるのかもしれない・・・かなあ。
コメント (3)

吹雪
 珍しく吹雪になった。このごろでは地球温暖化のせいだ、などといわれるが滅多にない。何十年も昔、馬の背のような細くて滑る雪原の道を、凍えながら懸命に歩いた子供の頃を思い出した。

 あのころも単純ないじめをする奴がいた。同時に正義の味方も必ずいたと思う。今ではどうか。吹雪のように珍しくなったか。
コメント (3)

約束
 このところ、次々と言い訳をして、約束を果たさない事例に付き合っている。武士に二言なしというような精神が、祖父母の時代には、ありありと見て取れた。そういう時代に育ったから情けなくもなる。

 と思うだけ、まだ自分には、いささか信義を重んじる気持ちが残っているのだろうと、自慢ではないが思うことがある。
コメント (0)