2017年11月の記事


雪空
 空を見ると雪になるかどうかが、ほぼ分かる。日陰に僅かな残雪はあるが、これから降るであろう雪が根雪になるかどうか。

 冬が始まる。師走に入る。人々の暮らしは続く。
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記憶
 よく物忘れをするようになった。年齢からすればおかしなことでもない。自然の流れと思う。

 それにしても記憶していなければ、学習もすすむまい。やはり覚えて置くべきことはしっかりと記憶し、忘れないようにしようと思った。特段の無理をするでもないが・・・。
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音読
 あれはいつころまでだっただろうか。家並みを歩いていると、子供が音読する声が、聞こえてきたものだった。

 今では音読の声どころが、第一子供がわずかだ。

 しかし自分では、ときどき音読をする。パソコン関係の解説なども、音読すると素直に頭に入るような気がする。

 そのせいかどうか、電話での声が若々しいとおだてられる場合が多い。軽度難聴なので、声がい大きいだけなのであろうけれども。
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芍薬
 芍薬は木ではなく、草だと教えられた。きれいに雪囲いがされてあったが、それはそれで微笑ましかった。
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連絡
 「兄弟は他人のはじまり」という言葉がある。我ら兄弟姉妹には、自慢ではないが、そういう傾向はない。

 ただ加齢により、みなが相応に身体能力が衰え、行動力が減少することが不都合である。

 これからの世の中では兄弟といっても一人か二人、一人っ子も珍しくない。どうなる・・・。
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困難
 生きている以上、楽なことばかりではない。予想もしなかった事態に対応を迫られることもある。

 受け止めるという姿勢から一歩進んで、次便から立ち向かっていくように努めると、意外に気持ちが楽になるものだと思う。経験談のつもりで・・・。
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 千日回峰を達成した大阿闍梨は「行だからできたので、スポーツだったら駄目でしょうね」と語ったと書かれてある本を読んだ。

 行だと思って、週に1度は家の1・2階全ての掃除をする。このごろ終わると息切れがする。ピッチを変えるにしてもやめまいと決心をしている。

 男児九十にして、時には厨房に立つこともある。やれる間はやるべきだと思っている。
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屋根融雪
 屋根にパイプを敷設し、不凍液をボイラーで熱して循環させる。これによって屋根雪を融かす。ほどんど生産性のないことではあるが、致し方ない。

 すでに屋根にあがって除雪をする人も少なくなった。屋根からの落下事故もあとを絶たない。燃料代もバカにできないが、せめて豪雪にならないうように祈るばかり。
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半袖シャツ
 耐寒訓練のつもりで、ここまで半袖のアンダーシャツでとおしたが、遂にギブアップ。

 一昼夜、石鹸水につけておいて洗ってしまう予定。これで黄ばみがつかなくなると、いつごろ誰から聞いたことだったか、たしかに効果がある。
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 多寡を括っていたら、一夜にしてけっこうな量の雪になっていた。このまま根雪かと思うほどだ。

 毎年のことなのに、虚をつかれたように、人々の動きが慌ただしい。とにかく消雪パイプでシャーベット状になった雪の上を歩くのには苦心する。うっかりすると噴き出す水をまともに浴びてしまう。
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ゴム長
 初雪はこの程度かと思っていたのがなんとやら。本格的に降ってきた。慌ててゴム長を用意する。

 都会ではゴム長を履いて、病院や劇場などに入るべきではないとされるのではあるまいか。

 この土地では消雪パイプが普及しても、ゴム長でないと歩けない場所が多い。雪国なら雪が少ない地域でも、認めてもらえるように思っているが、最近はマイカーから降りる人はほとんど短靴のようだ。
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変貌
 初雪が融けたあとを眺めてみた。養鯉池だったところは保育園に、川の大半が暗渠に、隣の集落に続く道から国道にあがるヘヤピンカーブ。美田は病院とそれを取り巻く薬局に。そして新し住宅の数々。

 山側に目を転じれば、中世の城跡だったことを示す看板が撤去され、沢に残った僅かな雪が見える。おそらくは刻一刻と変わって来た結果なのだろう。ただ気にもしないでいただけだったと思う。
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 うっすらと初雪が積もった。眺めているうちに、唐突に自分の癖を思い出した。チラシの裏でもなんでも、白い紙があると使わなくてはならないとして笑われている。

 終戦の年、授業を聞くにもノートがなく、伯父から藁でつくったような紙をもらって、嬉しかった記憶がある。そういうことが、まだ心のどこかに残っているのだろうか。
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初雪
 予報が一日ずれた。わずかに5センチほど積もただろうか。まだ根雪にはなるまい。陽射しが輝く日もあろうと期待している。

 しかし、きっかりと、冬がまたくる。雪と対峙しながらの日々となる。
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年賀状
 繁文縟礼という見方もろう。年に一度の消息で、昔を思うよすがになるとも言えよう。そろそろ年賀状の季節になった。

 喪中欠礼の葉書も届き始めた。高齢につき年賀状をやめる旨の通知もある。前年の年賀状に記してあったことを思い出す。

 やれるうちはやろうと決めて、とりかかるか。ゆっくりでないと苦痛を感じる年齢でもある。それにしても霜月半ば過ぎなのに「新年おめでとう」。あまり違和感を感じなくなったのがおかしい。習わしはこうして出来ていくのだろうか。
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年賀状
 繁文縟礼という見方もろう。年に一度の消息で、昔を思うよすがになるとも言えよう。そろそろ年賀状の季節になった。

 喪中欠礼の葉書も届き始めた。高齢につき年賀状をやめる旨の通知もある。前年の年賀状に記してあったことを思い出す。

 やれるうちはやろうと決めて、とりかかるか。ゆっくりでないと苦痛を感じる年齢でもある。それにしても霜月半ば過ぎなのに「新年おめでとう」。あまり違和感を感じなくなったのがおかしい。習わしはこうして出来ていくのだろうか。
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 プライバシーに関するので、詳しくは述べられない。最近何十年という時間の流れがあったにもかかわらず、往年のままという気持ちになった出来事があった。

 人と人との絆は、物理的な距離や時間に左右されないものがあると、しみじみ感じた。人間は支え合って生きていると思う。遠くにいる人とも。過ぎた時間にいた人とも。
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野良を歩く
 冬囲いに励む家、融雪用の井戸を掘っている家、大根やネギが越冬用に干してあったり、冬に用いるであろう布団や毛布を陽に当てている姿もある。

 いつ初雪になるか、こうしてまたきっかりと冬がくる。人々は雪の下で暮らす。
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冬囲い
 雪囲いが普通の呼称のようだ。しかし庭木のみならず、1階部分を全て塞ぐ当地では冬囲いと言い習わされている。

 毎年、善意のお二人がやってくれる。今年は冷たい小雨の中、黙々と作業を進めている。心からありがたいと思う。

 助けられていると、「助けている」という意識を微塵も感じさせない姿に、特に心を打たれる。いやいや半分でということも、世間には多い昨今、頭が下がる。
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 アメリカでの話。いじめをした子供の親に罰金を課したり、場合によっては何週間か刑務所にいれるとか。

 なるほどと思ったが、それはさておき家庭教育だの躾け、親の責任というようなことが、少々軽くみられている傾向を感じることはなかろうか。

 いじめというも、実態は犯罪のような場合もすくなくなかろう。人格無視はザラ、なにか手ぬるいような気もしてくる。
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向こう三軒両隣
 いつごろまでだったか、この関係は変わらないもののように思っていた。建物も人間も含めて。

 いまや向こうは1軒片隣。顔ぶれも大きな変化。

 驚いてはいられない。万事が損得ではかられる例が多いのなんの。これが世間の基準になったのかと、錯覚を起こすようなことさえある。
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ひとくくり
 何事も十把一からげにして見てはならないと、肝に命じているつもりだが、さらに一歩すすめてみると。

 人間は、その時その場の条件によって、いくらでも変わるものだということも、頭においたほうがいいようだ。

 いい人だと思っていたら、事、損得となると豹変する場合など珍しいことではない。
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変遷
 頭を下げて、引き受け手のない10アール余の田を手が手もらうことになった。年額千円をいただく約束で。

 中山間地の農地は、どうやって維持されることになるのだろうか。所有している以上、草茫々というわけにもいかず、買い手もない。あってもおそらく二足三文。

 時代の移りをしみじみ思うばかり。
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我慢
 物理的な我慢よりは、人間関係などで我慢しなければならないことのほうが多いようである。

 米寿に到達しようという後輩から、わだかまりがあるが、どうしたものかと便りがあった。

 わだかまりを消そうにも消せなかろうから「そういうこともあったなあ」と、思うだけにしておいてはどうだろうと返事をした。さて、どういうものであろうか。
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よもや
 自分一人の人生など、短いものと思っていたが、どうして、どうして、さまざまな変化。

 食料がなくてひもじい思いをしていた時代。今や飽食。おまけに農地を遊ばせるしかない有様。草茫々になっても困るがどうしてみようもない。
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価値あり
 午後から晴れたので、二本杖をたよりに野良を歩く。人影なし。空には雲が流れ鳶が舞う。近くの山も色づき始め、遠い山は雪をいただいている。田には泥にまみれた稲の切り株。。川の瀬音がする。山裾をゆく国道の上り坂に車が続く。

 冷たくなった風が吹き抜けていく。さびさびとした風景、そこには、金では買えない価値があると、ふと思った。
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生活程度
 下流老人という言葉があった。自分を思えば、金銭的には全国的にみて下位3〜40パーセントにいるだろうと思っている。下流であろうがしかし特に不満はない。

 それよりは、懸命に働いているのに、生活が苦しい人が意外に多いこと、それから上下の格差が身の周りをみただけでもすごいなあと思う事のほうが気になる。

 まあ、老骨だから欲がないのだろうと言われれば、そうかもしれないのだが。
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晴天
 11月3日。戦前では文化の日ではなかったが、この日は晴天になるという思い込みというか、ジンクスのようなことがあった。

 戦後、文化の日が制定されても、この思いは伝えられたのか、この日は晴れると思う向きがおおい。

 昨日の予報では雨となっていたのに、当地方は素晴らしい晴天。11月3日文化の日は晴れだった。
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運勢欄
 地方紙に毎日生まれ月ごとの運勢を示す欄がある。1月生まれは全国みな同じ運勢というわけでもあるまいが。

 しかし吉か凶かは、どこかひっかかるものだ。自分の年齢になると、読んでも忘れてしまうから、どうということもない。                       

 しかし、これをうまく利用できる人がいれば、生活技術の達人のような気がする。
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愚痴
 3年後輩から手紙が来た。昔、悔しい思いをしたことが、心から消えない・・・どうしたらいいかと。自ら米寿の自分がというくらいだから、かなり深いもののようだ。

 誰でも同じようなことがあるものだ、と前置きをして、自分なりの処方箋を書いてみるか。
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