記憶
 昭和十年代の小学校でのこと。教師から指名されたとき「わかりません」と「忘れました」を上手に使い分けする傾向があったことを思い出す。

 「忘れました」と答えて、「こんなことがわからなくてどうする」とは言われずにすみ、実は知っていたのだがというポーズも示せたからであろうか。

 成績優秀な部にいる者には、まったくない事だった。さて時は移った。今日では大人子供を問わず、このあたりの駆け引き、事情は、いったいどうなっているであろうか。

編集 ペン : 脳の中は他の人には見えませんから上手い言い抜けだと思います。。それでも自分は解っているはずなのです。自分でも見えなかったらそれは「忘れた」ではなくて「知らない」のでしょう。それさえも「解らない」のか?とおえらいさんに問うてみたいものです