2017年10月の記事


読書の秋
 と、いわれているのに、読まなかったという反省がある。新刊は多すぎて、どれを求めるかに迷い、金もないしけっきょく「世界史大講義」一冊買っただけ。

 書棚を眺めて、山本七平「空気の研究」を引っ張り出す。内容をかなり忘れていたので、なんだか得をしたような気分になる。紙が灼けはじめた文庫本二、三を読破。

 寒くなるから、本を読む機会が増えるかも。運動不足を警戒しよう。
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軍手
 裏の出口に、屋外作業用の服装一式をおいてある。軍手が汚れていない。汚れるほどの作業ができなくなった証拠のようだ。我が体力の低下、老齢化の象徴でもあろう。
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未練
 自分の持ち物には未練がない。本を200冊ほど処分した。もはや自分以外に読む者もなかろうと思って。

 ところが和裁をやっていた母親の裁ち台とか、洗い張り用の張り板などの処分に迷う。大型ゴミにするには、躊躇してしまう。これを未練というのだろうか。
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筆記具
 矢立が残っている。明治初年生まれの祖父が使っていた。途中から万年筆を使い、「これは便利だ」と喜んでいた。万年筆は貴重品扱いだった。

 戦後、ボールペンが出回ったころ、明治生まれは「ゴミを食いながら書いているものが・・・」と相手にしなかったような傾向があった。ところが技術は・・・。

 昭和初期生まれの自分ですら、少年時代には、インク壺のインクにペン先を浸して、文字を書くのに、優越感を持っていたと思う。インク壺は憶い出の品になっている。

 運動会の賞品が鉛筆だった時代から、やたらボールペンが配られる時期があって、いまやキイの頭を叩くことが先に立っている。

 これも世の変遷を示す一断片であろう。AIの発達などで先々どうなるものか。しかし鉛筆も、墨をする事も、やってみるといいものだなあとしみじみ思う。
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世代
 世代と言っても、どこか大雑把な感じがしないでもない。しかし自分が戦争体験世代であることは紛れもない。

 しかし受験戦争と言うものを知らない。氷河期なるものの苦しみもなかった。

 ベービーブーム世代を相手にし、いまや非正規の若者の行く末を案じている。

 生まれる時代を選べる訳もないが、やはり世代の問題はあるようだ。
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老人と自転車
 「老人と海」ならば感動的な小説として喧伝されている。こちらは「老人と自転車」・・・車の運転はやめて久しいが、食料買い出しはやめるわけにはいかない。

 老人とみて速度を落としたり、止まってくれる車があると感動する。後ろからすれすれに、かなりのスピードで追い越していくのもいる。聞こえない声で「危ないぞ、注意しろ」と叫んでいる。
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大小上下
 国家的な大きな問題もあろう。反面に個人的な、どうしてみようもない生活苦もある。その一面に接した。

 「気の毒だのう」と頭は方言で考える。しかし「自己責任の世の中とあっては・・・」と共通語で思う。

 そしてまた「おおごったろうなあ(おおごと、難儀なことであろう)」と、頭の中の方言で同情もするが、どうすることもできない。上をみても下をみても、キリがないということか。
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言葉
 「台風一過、素晴らしい秋空に恵まれました。この佳き日に本校の運動会が行なわれることは、小職のもっとも欣快とするところであります」

 昭和ひと桁のころ、小学校の運動会にくる来賓の挨拶を覚えている。毎年同じようなフレーズだったからだろうか。記憶の断片を自分で繋いだのだろうか。

 「佳き日」「小職」「欣快」そのころでも、なんとなく意味を理解していたように思う。

 さて自分がこうして書いている一文も、同じように古いのだろうと思う。人間が古いのだから仕方がない。明日から、ぐっと趣を変えてみるか。

 多分「よせ、よせ」と言われるだろうけれども。
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選挙
 主義主張、政策を中心に選ぶということもよくわかる。
二大政党対立の構図が必要もわかる。

 無理なのかもしれないが、どうも人を選ぶ幅がせまくなってしまったような気がしてならない。

 国政を任せられると思われるような人を立ててほしいと、思うことさえないでもないという欲求不満を感じる。
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所変われば
 「台風が来そうですから気をつけて」
「これが台風かと思うことがあります。ぼくは九州の生まれなもので・・・」
 
 「なんでこんなに庭木を厳重に囲うのかと思っていましたが、一年過ごしてみてやっとわかりました」
 と言ったのは青森の人。当地の雪は湿って重いのです。

 日本は広いというか、長いというか、所変われば品変わる・・・なんでもないことなのだが。
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天候不順
 爽やかな秋晴れの日がない。台風接近のニュースが流れている。「台風一過素晴らしい秋晴れに」なるという予報もない。

 なんとなくうんざりした気分になる。気候風土が人間に及ぼす影響を改めて思った。

 まあ、そう言っていても仕方がないので、無理にでも笑って過ごすか。
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農地
 戦前から耕作をお願いしていた人が、高齢化で契約解除の申し入れ。手続きに入ったが、分庁舎方式の居住地に問い合わせても、なんとなくトンチンカン。

 それはさておき、後継者を見つけなかったら、美田はたちまち草茫々。さてどうするか、ハムレットもどきに、ここが問題だ・・・。
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暗算
 暗算の名手の記事があった。算盤をイメージしながら、三桁の小数点入りの掛け算などを簡単にこなすという。

 算盤をイメージするといっても、静止画像しかうかばない。電卓をイメージしても、これは完全に駄目だろうなどとバカなことを考えた。
 
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マッチ
 マッチの頭に指を添えて擦ったら、見ていた子供が驚いたような顔をした。「やってみるかい」と、声をかけたが尻込みしていた。甥っ子の子供12歳女の子である。

 そう言えば、我が家でも神仏に燈明をあげる時くらいしかマッチを使わないことに気づいた。概ねスイッチなのだった。
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脚力
 気が早いようだが庭木囲いの準備を始める。ここまでくるとお天気次第、雨にでもなると作業がはかどらない。

 「村の渡しの船頭さんは・・・歳はとってもお舟を漕ぐときは・・・」と昔の唄を、とぎれとぎれに口ずさみながら、植木鉢移動程度の軽作業が関の山。

 ところがだった。しゃがんで、いざ立とうとしたら、膝の蝶番がうまく動いてくれない。脚全体にも力がはいらない。致し方なく手をついて立ち上がる。

 唄の文句の船頭さんよりは二十年上だからと、おかしな理屈をつけて作業を止める。汗びっしょり、ゴム長で庭石の上にあがると、微妙に体が傾く。

 バランス感覚と脚力から衰え始めると聞いたが、まさしくそのとおり、自戒とともに、粗末な見本にでもなれればと思って記す。

 
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こんなはずでは・・・
 こんなはずではなかったと思うことも多々ある。しかし冷静に考えてみると、なるべくして、こうなったと思われるようだ。世間ではどうなのだろうかと、ふと思う。
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数の力
 堯舜の世のように、帝王が賢明ならば独裁的でも救いがあろう。寡頭態勢でもいい点があるかもしれない。民主主義は所詮数の力となるか。絶対ではないにしても、これに優るものもなかろう。

 しかし大多数が愚かだとするとどうなるか、衆愚の赴く果てはと、ここを考えておかなくてはと思うことを、選挙があるたびに感じてしまう。
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時計
 戦前の腕時計は貴重品だった。戦時下の国産普通品はうまく動かなかった記憶もある。

 いまや時計は身の周りに溢れている。時刻表示も、そこらじゅうにある。腕時計も装飾品としてほしいと思わなければ、さしたる負担なしに入手出来る。

 レトロ趣味だが、自分の居室には、大正元年購入と書かれた柱時計を置いてある。ボーン、ボーンと時刻を知らせてくれる。思い出を蘇らえさせてくれながら。
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思うままには
 「三度炊く飯さえこわしやわらかし思うままにはならぬ世の中」という戯れ歌を見つけた。

 「はじめちょろりょろ中パッパ・・・」の薪での炊飯時代だけでなく、電気釜の現代でも、十分に通じるところがあると思った。

 もっとも飯(まま)は、まず失敗することはない時代にはなったが。
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 八十五歳まで歯が20本あった。自慢をするでもなかったが、羨ましいという人もいた。昨年ついに奥歯はすべて義歯となった。全身的にはこのほうがいいらしい。

 しかし本日、点検を受けたところ、前歯にう歯があるとのこと、即座に治療をお願いした。先手必勝だと思って。
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国政を担う
 国の前途を定めていく選良。地元から選ぶからとて、地元代表というだけではないと思わなくてはと考える。

 それにしても世の移りはげしく、党利党略を超え、乃公出ずんば蒼生をを如何せん」といった志を感じることが乏しくなったような気がする。
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一ランク
 無責任な噂では町議S氏は、こまごまとした町内の雑事を引き受けている。それはいいのだが、彼は議会での働きが乏しいとか。町内の票が大切だから無理もない。

 しかし、町議は町全体のことを考えるべきで、町内仕事をやっていればいいというものでもあるまい。一ランク下の仕事にかまけているなかれ。

 県議、代議士、みな県全体、国家を考えているのであって、地元優先とはしていないはず・・・。
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ガラ携
 未だにガラ携を使っている。といっても、いざという時連絡がとれるようにという程度で、お守り袋のようなものである。

 戦前は「呼び出し」が普通で、電話のある家から、「電話です」と、わざわざ歩いてきてくれたものだった。かけたほうは、その間ずっと待っていたのであろう。

 時間がゆっくりと流れていたのか、スマホが普及している現在では、昔を今になすよしもがな。
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ランク
 小学校での成績は「甲乙丙丁」、その後「優良可不可」に、後年は「54321」の五段階評価、そして「ABCD」で示されるに至った。

 特に優秀だと「甲上」とか、優の上に「秀」というのがあるとか、「A」の右肩に「。」がつくこともあったという。しかしそういう評価とはまったく無縁だった。

 生きている間は、ランクづけから逃れることができないのかもしれないとも思った。しかし自分は自分に変わりがない。
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思い出す
 唐突に「ハッスルする」という言葉が流行った時期があったと思う。40年も前のことだ。いまやハッスルするほどの事もないので、この言葉も消えたのだろうか。

 その後「ナウい」という表現が使われていたことがある。使ったことはないが、しばしば耳にした。新しいものがはばをきかしている昨今、これもお役御免となって何十年も経つ。

 このような言葉を突然思い出すとは、よほど暇になったせいでもあろうか。
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すすき
susuki

秋が深まり、日暮れも早い。すすきが揺れている。
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自分が大事
 人間は誰でも自分が大事なことはよく分かる。しかしそうとばかり言ってもいられない様子が、このごろはっきりと見えてきた。なんでも担げばいいというものでもあるまい。
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べからず
 お墓詣りをしたついでに、あたりを歩いてみた。墓地のはずれにある三角地に立て札があった。
 「このあたりにゴミ捨てるべからず ○○区長」

 断固とした口調を感じた。昨今はやるべきことでも「〜しましょう」と言わなくてならない空気がある。「べからず」がよかったと言ったのでは、レトロ趣味と言われることになるか。
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消えた仕事
 将来的には、人口頭脳が人間の職業を奪うに至るというような記事があった。あり得ることだと思う。

 この地域でさえ、戦前から戦後しばらくのころまではあった家業が、十種類くらいなくなっている。百年も経てば世の中は一変するものかも知れない。
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歩く人
 夕暮れ近くに野良を歩く。おおむね初老以上の年齢と思われる人が歩いている。男女にかかわらずせっせと歩いて行く。二本杖の当方など到底ついていけない。

 おそらくは医師の指示で歩くように言われているのであろう。内臓の疾病が原因での歩行だとすれば、よほどありがたい我が身と思って痛む足を引きずる。
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