2017年09月の記事


お父さん
 高齢のお二人がウインドウの前で品選びをているふうだった。自ずと耳に入ってくるところでは、女性が連れ合いを「お父さん」とよんでいた。

 「お爺さん」と呼ばないところがミソ。まあ、どうでもいいことではあろうが、すすんで老人扱いすることもない訳だから、なんとなく微笑ましかった。自分の年齢をも忘れて・・・。
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ノーブレス・オブリュージ
 何かの本で知った言葉である。人の上にたつならば、平素はいくらか尊大でもよかろうが、いざ鎌倉というときには、先頭に立って、犠牲になる覚悟が必要だというような意味とか。

 狙撃され重症の身でありながら、靴も重くて履けぬため、黒く塗った布を足に巻いて登院した宰相がいたという。

 今でもそういう気迫を秘めた人がいるのだろうが、そういう人こそ表に出てきてほしいと、切に思う。
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いじめ
 子供のいじめは、大人の過労とならんで悲劇だと思う。事件として報道されるのは、犯罪ないしそれに近い場合が多いような気がする。水面下にはさまざまであろう。

 いじめが発覚したら、なんらかの処分が下ってしかるべきと考えるのは間違いなのだろうか。もちろん指導を含めてのことではあるが。正義の味方いまいずこ。
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近辺徘徊・2
「大地の表情」 
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取り入れの終わった田の面、日陰になった山、大地の表情はつきるところがない。
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近隣徘徊・1
「岩陰部隊長」
 堤防散策中95歳のご老体がお嫁さんの介助で散策中。
こちらも老人なので立ち話となった。

 軍隊経験豊富な方らしい。
「岩陰部隊長というのがおってのう」と。
要するに、自分は弾丸のこない岩陰にいて、
「撃て!」とか「進め」などと命令、号令をだけ
かているといったこと。
 聞いたことがあるような気もする。

 ふと今でも岩陰部隊長のような姿は、あちこちにありそうな気がした。
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近辺徘徊
 脊柱管狭窄で、長くは歩けない。途切れとぎれながら頑張って、ノルディックポールを使って野良を歩き、堤防の上を辿り、路地に入り、アーケードの中にも歩を運ぶ。

 実にいろんな様相に接するので、我ながら驚く。人間の生活には、尽くせない何かがあるような気がしてきた。
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唖然
 開いた口がふさがらない、もはや言葉もない・・・というようなことが、世間にはあるものだと、当方が思うことでも、思われた方からすれば、そう思うのがおかしいという事になるかも。

 ややこしいのが世間の常か。
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いつごろから
 いつころから、こうなったかはっきりしない。とにかく物を大切にしない風潮があるようなきがする。

 修理して使うよりは買ったほうがはやい、食べ物飲み物は余れば捨てるなどなど・・・。

 物が豊富になったからこそ、もったいないと思う感性を保ち続けたいものだと思う。食うもの着るものがないという経験も大切なことなのかも。
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近所のおばさん
 子供は都会で働いている由。はたからみて、けっして楽な生活ではあるまいと思われる。

 しかし、このおばさんは人の前で愚痴をこぼすということがまるでない。万事淡々と振る舞っている。町内の残ってしまった仕事なども、黙って処理している。

 自分よりは30歳以上若いということになるが、簡単には真似もできない勉強になると思って感嘆するばかり。
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運勢
 今朝ふとみた地方紙の運勢欄。「金づかいに注意」とあった。パソコンを開いたら、星座運勢が目に入った。こちらは「金運好調、云々」とある。

 どちらも当たっているのだろう。それが運勢というものかも。買いたいものもないし、お金もないから気が楽だ。
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変化
 若い時活躍していた俳優やタレントがテレビに出る。外見の変化に驚く。驚くことはなかろう、同じ時間を経てきた自分とて、変化しているはずである。

 自分には、精神的成長はほとんどないという自覚はある。それにしても外見を含め、ある日突然変わった訳ではない。毎日、瞬時にごく少しずつ変わっているのだろうなあ、と思った
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忘れ物
 メモを書き、必要な物を点検の上バッグに入れる。何日ぶりかの買い出しをふくむ自転車走行。

 一つずつ確認しながら用を果たして帰宅。バッグを見たら、ナ、ナ、なんといただきものをした返戻を完全に忘れていた。足の疲れは残っていたが。

 落ち込んでいても仕方がない。恩知らずのような気もしてくる。次回には確実に果たそう・・・と思いながらも我が年齢を感じてしまう(のが普通だろうなあ)。
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流れ
 「これは正規の文書だから毛筆で書くように」と履歴書について上司に言われた。
 「ボールペンじゃなくて、ペン書きにしてください」とある機関の窓口で。
 「ボールペンで力を入れて書いてください。3枚の複写ですから」ある申込書記入の時だった
 「いやあ、漢字を忘れて困りますよ。パソコンを使っているせいかなあ」という声を聞く。
 いずれも戦後のこと、星移り世は変わっていく。
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必ず急ぐべからず
 自戒の一言・・・自分にいう言葉だ。体調を整えるには、徐々に体を慣らしていくべきだろう。急ぐ必要もないではないか。
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こういう日もある
 なんとも苦しい体調不良の日であった。こういう日もあると思いながら我慢する。我が身独りのことではない。加齢とともに誰もが経験することになるだろう。
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楽しく明るく
 体調がよくないときなど、なんとなく憂鬱になる。気分がすぐれない日もある。

 無理にとも思わないが、なるべく本日も楽しくと思い、今日は精いっぱいの事をしようと思って起きる。これが案外、健康保持やボケ防止に役立つような気がするのだが。

 渋面作って起きているがよしというので決してない。
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朝起きて
 体調がいい朝、どうもスッキリしない朝がある年齢ともなった。スッキリしない朝ほど、今日一日楽しく過ごそうと思う。

 多少のテクニックも必要で、どうしても駄目と思う時は無理をしないで1時間ほど横になる。するとなんとなく体が動くようになる。
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メモ
 気づいたことは、なんでも書いておくに限ると思う。備忘というだけではなく、書くときには、けっこう頭を使うから緊張感保持の一助ともなろう。
 
 その意味もあって書く。昨夜,近火があった。昨今では個人の家からの出火など、滅多にないと思っているふしがないでもない。「マッチ一本火事のもと」心すべき事と改めて感じた。
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まいった、まいった
 不意に訪れる客のように、体調不良になる。2日間食事も摂らずに絶対安静的な臥床をする。この状態にも、一定の効果にも慣れている。

 次第に快復していくのが、わずかずつながらわかる。もういいかなと思う寸前で起きてみる。そこから徐々に体を馴らすように努める。

 手数のかかかる体になったものだとも思う。年齢のしからしめるところではあろうが、それにしても・・・。
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和顔愛語
  病院に薬をもらいに行く。受付の若い女性たちが笑顔で応対してくれる。看護師さんの言葉が優しい。いずれも人間味のある態度を伴っている。

 人に接するにはこうでなくてはと、かつて別の場所で受けた嫌な思い出を超えて、しみじみと感じた。
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危険
 狭い四つ角を、携帯電話で話しながら、右折していく軽四輪を見た。危険はどこにあるかわからないと痛感。

 老骨ながら自転車に乗る。車線のない狭い道で、後ろから来る車が大回りをして過ぎて行く場合と、すれすれに疾走していく例がある。危険回避は互いの注意あってこそ成り立つ。
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日脚
 少しずつ日暮れが早くなっている。それに順応した生活を送ることを当然としている。今では夜遅くまで働かなくてはならぬ場合あり、遊んでいる例もあると聞く。

 とすると、日が短くなっても、さして変わりがない生活形態も多々あるということか。世の中そうなったのかとは思うが、どこかコツンを落ちないものを感じる。年齢のせいかなあ。
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睡眠
 実に久しぶりに6時間眠り、さらに2時間、合計8時間眠る。体が楽になった。睡眠時間が短くなって当然という年齢だから、いささか不思議にも思う。

 寝る子は育つというから、まだ部分的には若いのだと思うことにしておくか。
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草刈り機
 さすがに自分では扱えなくなった。懇意のSさんが機械持参で訪れる。あっという間に狭いながらも庭がきれいになった。

 金属の歯車回転式は危険性もあった。それがナイロン紐の高速回転に代わり、いまや丸い紐が、角がついている紐となり、能力が一段とアップしたと聞く。

 世間には頭のいい人がいるものだと思った。無名ではあろうが、生活向上に資すること多大なものがある。
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秋の空
 予報では10月下旬並みの気温になるとのことだった。朝、太陽がでたので、半袖シャツでバスで40分先の総合病院に定期検診に行く。

 晴天、暑いくらいになる。それでいて風が爽やかだ。男心か女なのかしらないが、ナントカ心と秋の空という季節になったのだと思った。
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