2016年09月の記事


食欲の秋
 食欲不振というようなことは、ほとんどないことを喜び、ありがたいと思う。別に大食いでもグルメでもない。
 食生活にも規律を保つよう努めたいものだと思う
コメント (2)

読書の秋
 昔から「灯下親しむ秋」というわけで、読書に適した季節とされている。最近では若い人が本を読まないという声がある。しかしネット上の文字は、多く読んでいるのではあるまいか。

 読むだけで終わりとする傾向ありとすれば問題であろう。自分の頭で考え、判断することを忘れたくはない。
コメント (3)

スポーツの秋
 金銀銅のメダルには絶大な価値がある。国体その他の競技会も大切。ところで、スポーツを観るものとしている傾向はないであろうか。

 「体育の日」というのもカレンダーの上にあることでもある。自分の体を健全に保つためのスポーツこそ大切。昔、街の角、村の辻で朝のラジオ体操が励行されていたが、あのような形にも意味があろう。
コメント (2)

・・・の秋
 ナニナニの秋となるが、今年の場合は、まず「天候不順」と言いたくなる。すっきりとした秋晴れがなく、気温ばかりが、やけに高い。
コメント (3)

未練
 わすか2時間ほどの作業で翌日は半日臥床。情けないなあと、昔の自分を思う。これを未練というのであろう。年齢を思えば当然のことだ。
コメント (2)

晴天
 22日ぶりに拝む太陽。更地になった所から、気にする者もいないでは気の毒に思い、居宅裏に芍薬を移植する。2時間の作業でクタクタに疲れる。午後からまたも曇ってきた。
コメント (3)

草茫々
 家屋が解体された空き地が目立つ。このごろでは、そういう土地が草茫々である。当初はなんらかの対応をしていたと思われる。しかし手が回らなくなってきたためと思われる。

 機械除草は手間がかかり労力も大変、さりとて除草剤には抵抗もあり、近隣への影響も考えなくてはならないからたいへんである。
コメント (2)

・・・から
 彼岸も明ける、月は下弦、空気は冷たい、合着を出そうかと思う。ところが「彼岸まで」ならずして、「彼岸明け」からまた気温が上がるとの予報。自然体で対応することにしよう。
コメント (3)

雨天曇天
 今月6日以降、晴天の日がない。曇天と雨天ばかり、どうなっているのかなどと思うも詮なし。
コメント (0)

おおきに
 関西ではありがとうの意味で使われていると思う。さて当地ではとなるが、現在の話ではない。半世紀も前のことになるか。

 隣近所、あるいは同業とか仲間の会合で、誰彼の発言に対し「おおきに」と相槌を打つ姿があった。発言に対して賛成でも、反対でもないというニュアンスがあった。

 イントネーション、アクセントも、関西のそれとはまったく違って平板だった。あれは融和を保つための、生活の智慧がなせる表現だっかもしれないと、このごろ思う。
コメント (2)

義歯 
 永く生きていると、いろんなことがあるものだ。 

 冬から四ヶ月くらいの間に、左右上下の奥歯はすべて抜歯だった。義歯ができるまで、ビーバー状態五ヶ月」、前歯だけでの食事だった。

 出来た義歯の調子が悪い。調整に行ったら、さらに二本の歯の骨が痩せているから抜くという。最初レントゲンを撮ったときには、わからなかったのだろうか・・・とは思ったが専門家ではないから黙っている。

 先を見越して治療してくれるのはありがたいが、またビーバー状態になるのが、なんとももの悲しい。
コメント (2)

新米
 台風による稲の倒伏と雨を恐れて、いささか早刈りながら新米が届いた。玄米を手にすると、日本は「豊葦原千五百秋瑞穂国だ」などという感慨がうかぶのだから、年齢が知れるというものであろう。
コメント (2)

気候の変わり目
 加齢とともに、体に響く度合いが増す。去年まではこんなではなかったと、毎年思っているのかもしれない。しかしこの秋は特にきついように感じる。年齢のなせるところか。
コメント (3)

食器棚の裏
 米麹の袋を食器棚に置いたままにした。発酵して中身が流れだした。この機会に2つの棚を総ざらいして大清掃にかかる。

 体調不良で終日臥床の翌日だったから、最初は朦朧としていたが、しだいにシャンとしてきた。動くことの大切さを思う。それにしても棚の後ろとは、意外に汚れるものだと痛感する。
コメント (1)

睡眠時間
 一日8時間は眠るべしという固定観念のようなものがあった。しかし加齢とともに睡眠時間も短くなる。自分の年齢ならば5〜6時間で足りるものだとか。年齢相応の変化には謙虚でありたいと思った。
コメント (2)

脚から弱る
 ほとんど常識のようになっているが、さて対応となると等閑視される場合があるように思う。

 経験的に間違いないことだと痛感している。特に大腿部の筋肉が大切といわれている。まだ若い頃、短距離走で右足の裏側の筋肉断裂を経験した身としては、無理は禁物という思いも強い。
コメント (1)

排問散鬱
 これまた初めての言葉。さる書物にあったが、解説が難解だった。
 自分勝手に「なんとかなるさと考えて、落ち込まないこと」だろうと思うことにした。「これでいいのだ」と思うことでも差し支えない事であもあろう。
コメント (1)

笑い
 「笑う門には福来たる」とか、笑うと免疫力が増大するとも聞く。しかし省みるに、自嘲的微苦笑はしばしばあるが、哄笑などということは、あまりないようだ。

 呵々大笑、破顔一笑、抱腹絶倒などは言葉を知るだけになった感じである。これらの状態になれたら愉快だろうなあと思う。

 せめて嗤われないようにしなくてはと、いささか引っ込み思案。
コメント (2)

ホモ・パティエンス
 初めて知った言葉で「人は病むもの」という意味とか。たしかに80歳、90歳になって、病気も何らの支障もないという人がいたら、稀有の存在であろう。ふと気持ちが軽くなった。
コメント (2)

タイトル
 年来の友人89歳が随筆をまとめた。その小冊子のタイトルに曰く「そんなに そんなに 長生きしたくはないが そんなに早くは 逝きたくない」とある。なるほどなあと思った。
コメント (2)

まだ若い
 雨になるかとは思ったが、2,5キロ先の小さなスーパーまで自転車で買い出し。さすがにペダルが重く感じられる。

 先輩で91歳でなくなる歳まで自転車に乗っていた人がある。それに比べれば、まだ2〜3年は若い勘定である。しかし慎重に運転しなくてはならないことは確かだ。
コメント (2)

本日一日だけ
 歳の功などと威張る気持ちはまったくない。第一威張るほどの内容がない。体のあちこちが痛いのは、年齢のなせる自然現象と受け止めて、僻みを持つまいと思う。

 威張らず、僻みもせず、今日一日はこれでいこうと思っていればいい。明日はまた別の思いが湧くかも。なければ続行でよかろう。
コメント (1)

慎重に
 気温が少し下がった。過ごしやすい気分になり、自分の状態をも顧みず動きたがる。それがいけないこともある。

 力まず、はみ出すでもなく、まずは淡々と様子見をと思う。
コメント (1)

貧困
 どこで読んだのか、4人家族で年収307万円以下は貧困家庭の部にはいるとか。金額はよくわからないが、我が家は2人だから、まぁ、いいかと思う。無理せず急がず、それでよかろう。
コメント (3)

除草
 夏草の繁茂には驚く。旧盆のころきれいにしたのが、まるで化物屋敷ほどに伸びてしまった。電動草刈機を使い、自力で対応できたのは3年前まで。さりとて座して放置しておく訳にもいかない。

 近所に住む甥っ子に頼み、勤務のない時に除草してもらう。軽油で動く除草機は臂力が必要、暑い中よくやってくれる。汗がだらだら流れている。ありがとう、ありがとう。
コメント (1)

暑熱対策
 9月になったが、高温多湿の日が続く。今日は35度。
オヤジの日記をみると、昭和ひと桁時代の話であるが、こらえきれないような暑熱の日、どういう対応をしたかの一文があった。

 雨戸まですべて閉めきって、昼から夜がくるまで皆が寝転んでいたと。熱風が入るのを防ぐためだったのか、エネルギー消費を抑えるためか、井戸水は豊富で清冽、水分には事欠かなかっただろう。
 
 それにしても熱中症という言葉もなかった時代だったではあろうが、気温の記述がない。暑さの程度が不明で釈然としない。おそらくフェーン現象だったのではと思う。
コメント (2)

お元気ですね
 1時間ほどおしゃべりをした。うち50分は自分が喋っていたようである。いちいち頷きながら、なるほどという表情で聞いてくれたと思う。「お幾つですか」「88,7歳です」というやりとりがある。

 そして一言「お元気ですねえ」と。社交辞令とも思われず、満更でもない気分だった。言った相手が「私も来年1年で定年です」と。

 「え、ホントですか。もったいない!」と答える。本音だった。
コメント (1)

加齢
 「歳をとったなあ」と感じるのは何歳くらいからだろうか。65歳は高齢者ではあるが、我と我が身を振り返るのは、もっと先になってからのような気がするのだが。
コメント (2)