2016年08月の記事


台風一過
 「台風一過、素晴らしい秋晴れになりました」戦前の学校での運動会は、たいて9月だったと記憶する。来賓挨拶の切り出しが、きまったように上記の言葉で始まったのも懐かしく、微笑も浮かぶ。

 昨今は台風は迷走して被害をもたらし、世間も先が見えない、どこか不安定な空気を感じさせているような気がしないでもない。
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台風
 台風10号への警戒がしきりにうながされていた。今日の空はまさに台風を感じさせる模様で、雨も降っている。

 山脈の陰のような土地に住んでいるので、台風には比較的縁遠い。昭和27年本州縦断のダイナ台風(?)のほか、台風の被害経験がない。

 それだけにあらかじめ入念な対応をしておくべきだと痛感。今日はこのあとどうなるか。・・・夕刻当地は無事の模様とわかる。
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夏草
 まさに伸び放題。旧盆前に刈った草が、またまた伸びてしまった。さすがに草刈機を扱う体力はなくなった。また頼むか。

 加齢に伴う喪失感には慣れもしたが、悔しいような気分もある。
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自然
 旧盆から十日ほど間をおいた祭りがすむと、一瞬の涼風が耳元をかすめる。猛暑だったが、今年もそうだった。

 自然の営みはすごい。しかし迷走台風には困りものである。
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樽神輿
 降りそうな空の下、幾つかの地域の樽神輿が回ってくる。担ぐ人大団扇の人、集団の中に知った顔がいない。考えてみれば自分の孫世代がやっていることだ。

 人手が足りなくて、他の地域からの参加を募集しているそうですと教えてくれた人がいる。外人部隊?ではわかる訳がない。
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祭り提灯
 一年に三日だけ使う祭り提灯。普段は木箱に納まっている。我が家のそれは明治末年ころ作られたらしい。かなりくたびれている。

 いずれ下げることもない時がくるであろうが、もうしばらくは確保しておく必要がある。

 祭り提灯をつくる所もあるのだろうが、知るよしもない。
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祭り提灯
 旧盆が過ぎはやくも地域の祭礼とて、玄関先に祭り提灯を下げる。ふと見渡せば、点々としてという有り様。空き地があり、無人の家があり、独居老人はとても提灯を出せまい。

 昔の姿を知る者としては、うたた感無量のものがある。五年先、十年先にはどうなるのかと、そこで考えるのをやめた。
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涼風
 このあたりでは、鎮守の祭礼が終わると、一瞬涼風が耳元をかすめると言われている。

 三日後に、提灯をしまうころ涼風を感じる事ができるだろうか。
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祭礼
 お祭りが近い。お神輿の準備も出来たらしい。担ぎ手は他の地区からの移入もあるとか。若者減少、無理もない。花火もあがる。行事も多い。sしかしー。

 戦争が終わったばかりの頃のお祭りでの、露店の裸電球、アセチレンガスの匂い、境内での余興大会のざわめきなどが懐かしい。

 どこか風情のあったあのころの、祭りの雰囲気だった。平和を喜ぶ気持ちと、オーバーラップする部分があったからだろうか。
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 旧盆帰りの客を見送ろうとしたとき、車のテールランプのあたりに虫が止まっていた。蝗だと気づき、まだ生き延びていたのかと驚く。

 さて、都会からの客も気づいたが、いかなる虫かを全く知らない。手で捕まえようとして、見事に夕闇の中に逃げられた。漱石の「坊っちゃん」はバッタと思った虫である。

 昭和三十年ころまでは、中学生が生徒会の資金稼ぎにと、登校時間を1時間ほど遅らせて、いなご取りをしていたものだった。

 串に刺したのを炭火で焼いて、砂糖醤油をつけて食うのが、おやつでもあった。羽と飛び足はむしってとったが。
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石板
 小学校3年生から英語を習おうという時代である。私立中学受験を予定している6年生など、塾で一日に何時間も勉強していることだろう。

 われらが小学校に入学した一学期間はノートや鉛筆は与えられなかった。ボール紙を黒く塗った二つ折りの石板と称するものに、滑石を細くした石筆なるもので文字を書き、絵を描いた。

 夏休みの宿題である「おさらい帳」から鉛筆使用。それとても1日に1ページ、10分もあれば終わる程度だった。変われば変わる



ものだとしみじみ思う。
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夏バテ
 このあたりから夏バテ的なものを感じるのかもしれない。あと20日もすれば、朝夕には一瞬涼しい風が流れるようになろう。体調管理が必要な時季だという自覚を持とうと思う。
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免許返上
 75歳で右膝が痛いので、普通車、自動二輪などの免許返上。良心的なことをしたと自己納得。そのご膝の痛みはなくなった。

 ところが、今朝お墓に花を飾るにしても、歩くほかない。妹の車で運んでもらった。昨今では免許返上によりタクシー券をくれる自治体もあるとか。はやまったかという思いが浮いてくる。
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旧盆
 旧盆ともなると、とてもパソコンになど向かってはいられない。摂待に大童。がっくりつかれた部分があるのを感じながら、後片付け。それでもうからやからの幸せを祈るばかり。
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帰省客
 所詮、身内ではあるが、旧盆の場合は客である。交通機関や道路の渋滞を思うと、帰って来る方も大変だろうと思う。

 迎える方もそれ相応の苦労はあるが、まずは喜んで準備を始めよう。
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お墓の掃除
 「巻」という「結」と同じような結びつきが遭って、我が家もその一員だった。巻の墓地があって、日を決めて旧盆前に一斉清掃をしていた。

 3年前から、各戸で自由にやろうという事になった。メンバーの高齢化と欠員が原因である。
 これからの事がどうなるか、さっぱり見当がつかない。
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墓参
 都会からの電話で、お墓参りに行くから、墓の掃除をしておいてくれと、関係業者に電話があった由。

 社員のひとり曰く「どうせお墓参りにくるのなら、自分で掃除をしたほうが、先祖も喜ぶと思うのですけれどもねえ」と。声を潜めてのナイショ話だった。
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天下の回り物
 バブル終焉直後の時代、地域の神社改築での寄付集めがあった。集金に各戸をまわる役目だった。一緒に回った何人かが異口同音に「どこの家も金を持っているねえ」といった。同感だった。

 昨今、高度の経済政策などは分からないが、デフレ脱却に懸命なことはわかる。しかし周囲のどこの家も、極力金を使わないようにしているような空気があるのを感じる。
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かんじき
 和式スノーシューである。ふと玄関先の壁を見たら、5足ぶら下がっている。かつては、必要不可欠だった。いまや殆ど使われない。

 この暑さ、冬にはまた除雪で苦労と思ったが、ヒヤリともしなかった。
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挑戦
 去年と同じ仕事ができなくなった、などというのは年齢的に当然のことと思う。しかしどのくらい出来るか試してみたい気持ちがある。

 という好奇心で、台所の排気ファンの掃除をしてみた。脚立をかけての作業ではあるが、ゆっくりとやれば八分通りはできるではないか。あとで疲れが出なければいいのだが。少し体調がいいとこの調子だから困る。
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忘れ物
 暑い。タオルを冷たい水にひたしておいで、体を拭う。実に爽快。こんな簡単な事を忘れていた。

 その簡単なこととて、勤務そのたさまざまな事情で、やれない人が多いであろう事を思い、ありがたいなあと思いながらも、申し訳ないような気にもなる。
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自転車
 脊柱管狭窄症にもいいと聞く。自慢ではないが、大人の自転車に三角跨ぎで乗り始めたのが、小学校4年生から。いささかの自信はある。

 ところが今や後ろからくる車が、大回りをして先に行く。きっと自分では気づかないながら蛇行しているのかもしれない。

 知るかぎりでは、我が町で最高年齢の自転車運転は90歳だとか。まだまだである。とにかく慎重に、慎重に。
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心身一如
 何をいまさらということになるが、体調が回復傾向にあるとき、心も伸び伸びしてくる。現在実感しているのだが、平素は忘れているようだ。

 もちろん反対の場合もある。その時の対処も忘れないことであろう。
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納得
 歳を重ねるとは、こういうことかと思うような状態に、しばしば見舞われるようになった。

 65歳から高齢者などというころには、およそ他人事、自分が老人とはちゃんちゃらおかしいというほどの気分だった。

 75歳を後期高齢者とはよく言ったものである。ここに至るまでに、緩やかな傾斜での体力気力の低下がわかる。
 さて、80歳に至るまでは、これがかなりの斜度になる。そして・・・そのあと。

 米寿到達まで階段を降りるように、去年までやれたことが、今年は出来ないというような状態となる。しかし気力の問題である。その先はまだわからない。
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