2017年03月の記事


困っている人
 一定以上の深い関係にならないと分からないことではあろうが、金のことで困っている人は意外にいるような気がする。金のこととなるとひとが変わってしまう例にも事欠かない。

 世界第三位の経済大国ながら、欲をいわなければ、まずまずの生活を送れるのは幸せと考えていいようだ。
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 金が絡んだ話となると、人間は変わるものだといういい体験をした。昔あったような義理人情、助け合い、場合によっては自分を犠牲にしてもというような空気が薄くなった世の中になったのかなあと感慨ひとしお。
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自転車
 空気をいっぱい入れたはずの後輪がガタガタする。チューブが破れているのだろう。お天気をみて、2キロほど先の輪店まで引っ張っていこう。いい運動になると思えばいいのだ。
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老人になって
 齢(とし)だなあと思うことがしばしばある。高齢になったからといって、偉くなった訳でも立派でもない。地位や財産はもともとない。しかし「あきらめ」が早くなったようなき気がする。

 物事について断念するという意味ではなく、「は、はあ、そういうことか」と本当のところが分かるようになってきたということか。
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積雪
hana
3月27日朝から雪。顔をだした福寿草が、じっと縮まっている。
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春雨
 「春雨じゃ、濡れていこう」という台詞は月形半平太とわかれば、その人の年齢も推測できそう。雪融け時季、春雨というべきかもしれないが、とても濡れて行くどころか、うそ寒いばかり。
 残雪も80センチほど。早く暖かになってもらいたいと思う。
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福寿草咲く
 満開。写真を撮ろうとしたら、電池切れ。充電しようとしたら充電エラー。致し方なし。こういうこともあるものだ。
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幸福
 上を見ても下を見てもキリがない。現状に大きな問題点や不満がなければ幸福だと思っていいのではなかろうか。自分の場合はありがたいことだと思っている。

 もちろん日常での小さな不満もあれば義憤を感じることもある。総体としてどう感じているかが問題のように思う。地位や資産に関係なく。
 窓の外では春の雪が降っている。
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同情
 事情はよくわかるし、できることならと思いもするが、それが仇になる場合もあろう。厳しい対応をしたケースだが、さてどうなるか。世の中にはさまざまな問題がある。省みて不足は言うまいとしみじみ感じた。
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記憶
 「記憶にない」で済んだことなど一度としてない。庶民の生活は意外に健全なのかもしれないと、ふと思った。
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消雪
 春先になるとせっせと雪を消す。戦前、、道路に積んだ雪を鋸で切り分け、橇に載せて川に捨てる作業を全世帯協力でやっていた。戦時中は労力がなく、自然に消えるのを待つしかなかった。

 今ではダンプやトラックが雪を積んで、雪捨場に運んでいる。
其の雪もいつしか融けてなくなる。
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弱音
 行動がいささか不自由ではあるが、弱音を吐かぬことに決めている。代わりに気合をかけて動く。立つときも「腰が痛くて・・・」とは言わない・「ドッコイショ」とも言わない。

 低く、鋭くはないが自分の体に命令するともりで「エイッ!」と気合をかけながら立つ。けっこううまくいく。
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寝不足
 年齢のせいであろうが、睡眠が浅くて短い。翌日はなんとなく体調が悪い。この「なんとなく」が曲者だと気づいた。悪循環の始まりだ。やるべきことはキチンとやるべきだった。

 うつうつとしていても始まらない。一晩くらい眠らなくとも、死にはしないというほどの気持ちが大切のようだ。
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ご同役
 上下三歳くらいの幅で、かつての仲間の消息を聞いてみた。驚くほどの差が生じている。自分より若い人が他界したと知ると儚さを感じ、病気で苦しんでいる人がいれば、大変だろうと思う。

 痛いところがあり、動きが満足でなくとも、日々を無事に消光している自分をありがたく思うこと切なるものがある。
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せっかち
 人の話が終わってから、若干の間をおいて話しだすようにしたいと、大いに反省した。まだ話しているのに、こちらが喋り始めたのでは、相手は愉快なはずがない。今日の行動を省みてのことだ。

 根がせっかちなせいか、それとも歳のせいで気短になったためか、多分両方だろうが、心すべきことと痛感した。
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百年経てば
 身の回りをさっと思い浮かべてみた。自分が少年のころ大人だった人々は全くいない。当然である。田舎町の片隅の家々もほとんど改築、解体、田畑さえさまざまの変わりようである。

 まだ百年にはいくらかの間があるのにこの変化だ。今から百年後にはどうなっているか、と思えば怒ったり、あせったりしないですむような気がした。
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予定
 藁半紙四つ切にりに、いちおう予定をたてている。予定外のことが出てくると、イライラすることがあった。

 このごろでは、予定はちょくちょく変更するものだと思うことにしている。融通無碍というほど高いレベルの話ではない。そう考えるほうが楽だからだ。初めから融通性があるようにしておけばいいのかとも思う。
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形ある物
 祖母の物と思われる櫛、笄が箪笥の底にあったはずだった。それが見えなくなって、かなりの日数が経った。綿密に探したがない。だれともわからないのに、だれかが持っていったかと疑心暗鬼。

 珊瑚も鼈甲も使ってあるのになどと、ロクでもない考えが浮かぶのが常だった。このごろ、ようやく「形あるものは必ず滅す」と針仕事をしながら母親が言っていたことを思い出している。

 まさにそのとおり。なぜ気がつかなかったのか。いまさらながら己の内部の未練、貪欲をおぞましく思った。
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天候
 気圧か気温の変化か、いずれにしても天候によっ、て体調の良否を感じる年齢だ。愚痴を言っても始まらない。人間はだれでも歳を取る。長く生きているだけでもありがたいと思え、などと己を叱咤激励するのだが。
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目礼 会釈
 野道を歩いているとき、見知らぬ人とすれ違う事がある。統計をとったわけではないが、殆どの場合、会釈をしたり、目礼を交わしたり、時には言葉がけもする。

 街なかでは、そういうことがほとんどない。都市に近い様相になると、人間関係も砂のように結びつきが薄れるのだろうか。人通りも野道と大差がないほどなのだが。
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雪割草
 勧められて、ひと鉢入手した。移植から季節に応じた管理の仕方などを聞かされ、けっこう面倒だと思った。始めないうちから二の足を踏んでいるようでは、我ながら愛情の乏しい人間だと自覚せざるを得ない。

 育てようという気持ちがなければ、来春には花が咲くまい。面倒をみなくとも、何も言わずに萎れていくだけだろうから、それでは草が気の毒だ。これは自分自身の問題だなあ。
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雪割草
 勧められて、ひと鉢入手した。移植から季節に応じた管理の仕方などを聞かされ、けっこう面倒だと思った。始めないうちから二の足を踏んでいるようでは、愛情に乏しい人間だと自覚せざるを得ない。

 育てようという気持ちがなければ、来春には花が咲くまい。面倒をみなくとも、何も言わずに萎れていくだけだろうから、それでは草が気の毒だし。自分の問題だなあ。
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少しずつ
 日足が伸び、暖かく感じるときもある。自然の移りはゆっくりと、確実なのだと、しみじみ思う。
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推移
 万物流転と大見得をきるつもりはまったくない。しかし自分が生きてきた周囲を見ただけでも、世代が変わり、以前あった家の面影はなく、畑が道になり、小川が暗渠になってかくれてしまった。

 自分一代でもこの変化だ。百年も経てば、世の中はすっかり変わってしまうのだろうなと思う。なればこそ今が大切ということになるか。
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瞑想
 年齢のせいもあろう。なんとなく疲れて椅子の背を倒し目をつむる。次々とどうということもない思いが浮かんでは消えていく。そのままにしていると、心身ともに楽になってくる。

 瞑想というほど高尚なことではないと自覚してはいるが、雪が消えたら川波の音でも聞きながらぼやっとしてみるか。
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ぼんやりする
 窓の外では雪がチラホラ。それを眺めてぼんやりしている。これがなかなか面倒なのだ。すぐに何かやらなくてはと思ってしまう。

 ぼんやりしているにも練習が必要なのかなあと思う。

 それにしても、ぼんやりしている時間はわるくない。おまけにあとですっきりして爽やかな気分にもなれるようだ。必要な時間ではないかなあ?
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ごもっともです・・と
 相手は自分が正しいと思って言っているのだろう。こちらが弱い立場の時、上からの目線で物を言われると反発したくなる。反発した覚えもかなりある。「先方が正しい」と、出来ることなら思って過ごしたい。

 しかし自分にとって、譲れそうもない大切な意見というのもあるから、なかなか出来ることではあるまいとは思うが。
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聞く
 何度か失敗したと思うことはあった。人の話を途中でさえぎって、自分が話し出す・・・相手が愉快なはずがない。加齢とともに気が短くなるのか、その頻度がいささか多くなったような気がしてならない。

 「最後までキチンと聞け、聞き上手になれ、いたずらに歳をとったのではないぞ」と、自分に言い聞かせてはいるのだが。
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頭の中
 体調管理のために一日半臥床した。頭の中にさまざまな思いがわいてくる。ハッと気がつけば、空想の世界に潜り込んで、およそありえないような事を事実のように思っている。

 これはいけないと感じた。頭のなかで幻影を作り出し、それに左右されているようだ。日常でもありそうなことではなかろうか。特に悪い方に傾いているときには。
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凍み渡り
 3月上旬の朝方、急に気温が下がり、雪面を歩いても足が埋まることがなくなる。「凍み渡り」というので、田畑の上を歩いて登校する子どもたちもいたものだった。

 今では、この時季を「寒の戻り」とするほうが主となって、老人が体調を崩さないように注意している。自分では昨日一日寝込んでしまったが。
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動く効用
 冬は体を動かす機会が乏しくなる傾向がある。体調不良で二日も臥床して起きると、なんとなく足首が細くなったような気がする。「これはいかん」とばかりに雪消え道を歩きすぎてもよくない。老人だからという甘えは別として。

 バランス感覚がいちばん早く衰えると言われるが、まさにその通り。適度に動くことの必要と効用を痛感する冬の終わりごろ。
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