2016年12月の記事


降る雪や
 一年を送ることになる。有名な句をもじって「昭和も遠くなりにけり」と言いたい気分もある。

 年齢相応に出てくる体の支障にも、適度に手入れもした。まァ人生こんなところだろうと思い定めて、淡々と過ごしてきたつもりではあるが。

 新年には、よりいいことに縁があるようにと、切に祈るばかり。
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回顧
 一年を振り返るのも悪くはないが、日記帳を繰り返してみるのは大晦日のこととして、とりあえずは男手を要する年末年始の作業。
 
 その間にいたずら心から、何かで読んだ「うしろ歩き」をやってみる。意外に気持ちがいい。それに腰の痛みがいくらか和らぐような感じもした。たまには過去を振り返るもよし、いい副産物があると知った。
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年の瀬
 今年もあと3日となると、さまざまな感慨も浮かんでくる。毎年のことながら、普段やってきたことを振り返れば、恥ずかしながらということも多々ある。

 悠々自適と無為徒食の中間あたりをさまよっている人間にしてこうだから、ましてや職業を持てば、なおさらであろう。聖人君子はいざしらず、人間につきまとって離れぬものがあるのかも。
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工夫
 寒さを感じなかったわけではないが、寒さや冷えを跳ね返すだけの力があった。ところがこのごろでは駄目になった。発見したことはタオル一本首に巻けば、随分温かになるということ。

 もう一つ。ズボンや靴下を履くとき、片足立ちになる。膝を曲げて、下腹あたりに重心を置くとふらつかないようだ。

 その年齢にしては立派だと言ってくれる人もある。
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感動
 年を取るに従って、感動することなど少なってくるという。しかし、この度は涙がでるほど感動した。

 自分ではどうすることも出来ないホーム・ページ上の支障について、ネットを通じてKさんに教えを乞うた。さしたることでもないと自己納得をはかって忘れたままになっていた。

 ところが今日、実にご懇篤なご教示をいただいた。しかもKさんは現在、安静を要する状態にあられるという。なんとお礼を申し上げたらいいか、言葉を知らない自分が恥ずかしく残念だった。

 唯々、ひたすらKさんの完璧なご回復をお祈り申し上げるばかり、お元気ななられる日を一日千秋の思いで待つばかりである。
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雪道
 路上に雪がある所は少なくなった。しかし油断はできない。足元ばかり観ていたのでは交通安全にもとる。出来る範囲で腰を伸ばし、重心移動をはかるがごとく歩むこととしている。

 世間をわたる歩き方も、これがいいかも。あまり颯爽とは歩かないことになるが、安定感がある。
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 いいとか悪いとかいうが、なんとなく運がいい場合もあれば、悪い場合もある。原因がある程度わかっても、運が悪かったですます場合がないではないが。悪くなけれが幸運だと思うに限る。
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いろいろあるわさ
 自分も老人なのに、相手が老人だと、つい若い気になってしまう悪い癖があるようだ。そのご老人は、はたからみて恵まれた境涯とはいえない。しかし今朝、雁木路であった時の話の中で印象的な言葉ががあった。

 「なあに、いい時もあれば、悪い時もあるわさ。たまには面白いこともあれば、嬉しいこともあるわね」背を丸めてゆっくりと去って行った。
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置かれた状況で
 街で知人と立ち話をした。連れ合いが脳出血をおこしたという。幸い軽くすんだとのことながら、体に不自由な点も残ったらしい。

 しかし当人は、この状態で出来るだけのことはすると、意気軒昂だという。「だから助かります」としみじみ言っていた。置かれた状況でやれるだけやるか。うーむ!
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これが駄目でも
 思いのほか早い根雪で、履物に迷うことがあった。車を運転する人は、冬用のタイヤを履かせるのに、あたふたしただろう。

 ところが歳末近くなって陽が出始めた。これが駄目だったが、あれはうまくいくだろうと考えても、満更誤りではあるまいと思った。天候でもこういうことがあるのだから。
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ものは考えよう
 雪国必需品のゴム長が破れて、気がついたら靴下がびっしょり。「まいったなあ」と愚痴をこぼす。隣家の主いわく「正月前に新しいのを買うも縁起がいいわ」と。なるほどものは考えようか。
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ゴム長
 雪がある間は、ゴム長を履かなくては歩けない場所が多い。雪のすくない地域に行くと、いささか間が悪い。気がつけば電車の中でゴム長なのは自分だけだったり。住む所は雪の中ですのでと、心の中で呟く。
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いつもニコニコ
 近所の某氏が、ナントカ褒章というのを受けた。同業組合の長として業界に貢献したからという。とにかくこの人はいつも明るく、人々を元気づけてくれる。褒められて当然という感じなのだった。
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まあ、こんなもの
 自慢ではないが撓みはするが、折れないような気がする。「不撓不屈」などおよそ無理と心得ている。大きな希望を持つでもないが絶望とも無縁。

 世の中、あるいは人生、まあ、こんなところだろうというあたりで安定。けっして褒められたことではないと承知しているが。
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 雲が低く垂れこめている。ひっきりなしに雪が降ってくる。

 晩秋の抜けるような青空、浮かぶ雲を思い出す。当分は青空、浮かぶ雲、太陽にはお目にかかれない。そのうちに晴れる日もあるだろうけれど。今はグレーと白のだんだら模様だ。
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嫌いな事
 嫌いだ、いやだと思ってもやらなければならない場合がある。嫌いだ、いやだと思いながらやったところで、モノになるとは思えない。

 「ようし、やってみせる」とか、「やれば出来るさ」などと、自分に暗示をかけるだけで、けっこうやれたなあという記憶がある。好きなことなら、スイスイやれて当然なのかも。
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背中
 「人の現況は後ろ姿に現れる」と聞いたことがある。背中を丸めて雪の中、葉書を投函して帰る途中に、背中を叩かれた。特段のこともない日常なのだが、背中が何かを語っていたか。叩いたのは隣家の主人。

 「寒いねえ」「まったくー寒いねえ」これだけで気持ちが通う。今冬も自宅前の、道路の除雪を頼まなくてならない。ボランティアでやってくれというほうは、暖房のきいた中、デスクに向かっているか。
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金を貸す
 この行為は自分を試すことにほかならないと、つくづく思った。相手を信用してよかったと思っているが、気持ちの何処かに不安とか疑いの影が朦朧と浮かぶのも事実だった。

 相手が善良な人だったからよかったものの、小心翼々たる人間は金を貸すなどやってはならない、やる価値がないのかも。
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心の様相
 青春とは心の様相、歳を重ねただけでは人は老いないと謳ったアメリカの詩人がいたと聞く。そこで自己分析。
 
 「理想を失う時初めて老いが来る」ともあるとか。理想というほどでもないが、年齢を持ち出して、物を言うのではなく、おこがましいが飄々とありたいものだというあたりで、まずは立ち止まっているのかなあと思う。
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老化現象か
 メニュー欄の写真が消えた。おかしな形が残っている。いじってみてもウンともスンとも言わない。さして影響があるわけでもないから、まあ、いいかと放置する。

 面倒な事が嫌になったという老化現象の一つか。やれないことがわかって、やれるほうのこともわかったような気もするが。
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負け惜しみ
 何事でもトップになるには、努力が肝心、無理をすることもあるだろう。どうあがいてもトップになることなどないと思っている身としては、負け惜しみになるのは承知の上で、ごく自然にいこうと思う。

 満月も翌日からは欠け始める。水が流れるようになめらかに、そして自分の志すほうに向かう、それでいいではないかと、これも負け惜しみか。
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一栄一落これ春秋
 晩秋の野良を歩いているとき、不意にこの言葉が浮かんできた。自然の移り変わりは確実で、もうすぐ冬、しかし春の来ない冬はない。

 しかし人間の世では、一栄の姿は目につくが、一落のまま終わる場合もあるようだ。毎日を「一楽」として、楽天的に生きるのも、悪くはないなあなどと夢想する。菅原道真公には申し訳ない気もするが。
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やられて嫌なこと
 日常で、あるいはどんな組織や機関に行った場合でも「なんだこれは」と思うような、嫌な言動に出くわすことがないではない。

 当方は小心だから、言い返すはおろか、黙って引き下がるばかりだ。しかし、こういうことを、ひと様にはしないようにしたいと思う。そのようにしたいと思うような例については、意外に駄目なので自嘲の有り様。
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筆とペン
 大抵のことはパソコンですましてきた。ここにきて妙に筆で字を書きたくなったり、ペン軸の感触が懐かしくなったりする。考えてみれば、それらを使っていた時間のほうが長かったわけである。

 パソコンに触る時間は減るにしても、ペン先にインクをつけて、あるいは硯の墨を筆に含ませて、いたずら書きでもしてみるか。

 さしあたり、目の前のことばかりにまぎれていないで、ちよっとコースを変えてみるのもいいかもしれない。
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連呼
 市長選挙告示後、お定まりの街宣車が回ってくる。金切り声に近かったり、喚いているとしか思えないことのほうが多かった。

 市の将来についての抱負を語る時間的余裕などないのだろう。この人ならばと思っても、裏切られる場合もある。面倒なものだなあと思いながら、スピーカーからの割れた音を聞く。
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師走
 貝原益軒ではないが、若い時に比べて、月日の経つのが早くなった。「十倍なれば・・・」と書かれているほどではないが、あっというまに今年も師走。

 昔のように煤払い、節季払い、餅つきなどなどやる事もないのだが。ともあれ、あだやおろそかに時を過ごさないように努めるとしよう。
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青空文庫
 文字を大きく出来るので、漱石の「それから」を読む。はっとする一文があった。

「現代の社会は人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、たちまち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった」と。

 なるほど、漱石の時代でもと思う。しかし昨今は集合体ではあろうが、何かの拍子でバラバラになるところが、「切れ切れになってしまった」と違うような気がした。人間関係が砂のような。
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本人は
 世間には図々しい人間、こせこせ動く人、時には毒を撒いているような感じの場合さえみられる。しかし当人は、自分がそういう人間だとは思っていないであろう。

 これを我が身について考えてみれば、おそらくそういう部分をすべて持ち合わせているような気がしてならない。さあ、どうするか。
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