2015年10月の記事


山に雪
 1,500メートル級の山が冠雪、五合目あたりまで白い。こうなると冬囲い開始となる。陽射しが恋しくなる。
コメント (1)

愛着
 本の整理を始める。気合をかけて捨てる本を選ぶ。「だがしかし」という気持ちになって躊躇する。見えんなのか、愛着か。
コメント (1)

家屋解体
 雨の中近くの家屋解体の音がする。

 やってしまったあとにくる感情、悔恨ではない、未練でもない、
なんだろう。何かがつきまとっているような。
コメント (1)

思うママには
 「三度炊く飯さえこわし柔らかし 思うママにはならぬ世の中」とか。ママは飯との掛詞。「はじめちょろちょろ 中ぱっぱ 赤子泣くとも蓋とるな」の時代には実感がこもっていたのであろう。

 いまでも万端思うままにはならない点は、変わりががないのだが、電気釜での炊飯に、失敗はなくなったようである。
コメント (2)

さんま
 さんまの漁獲量が減ったというニュースをみたように思う。しかしスーパーには冷凍なのだろうが、箱の中入ったものが売られていた。

 トングで挟みポリ袋に入れながら、「さんま さんま さんま苦いか しょっぱいか」などと、うろ覚えの詩の一節を、ふと思い出す秋の昼下がり。
コメント (5)

 寺山修司「肩」の一節に「肩は男の翼である」とあった。これまで肩こりとか、肩が張るなどということがまったくなかったのに、今やパソコンに向かっキイ聞いを打ち始めると肩が痛む。

 年齢には勝てないと思う。その一節は「ひろげてももう飛ぶことはできない」とあった。でもひろげることは出来るだろう。」
コメント (1)

ダウン
 足掛け3ヶ月、年齢的には負担が大きいと思う仕事を、曲がりなりにも果たした。このストレスが原因だと思う。

 この年齢ともなると、疲れはかなり経ったあとから出てくる。まずいと思った時には、立っていられなかった。身も世もなく臥床。発熱もあった。ひたすら回復を待つ。

 わかったことは、風は万病のもと言われるが、体力が低下した時にもかかりやすい。今回ははやばやと臥したのは正解だった。

 心身一体であると知った。寝ていてロクでもないことを思っていたのでは駄目、安定した気持ちを取り戻した時、回復も早まる。

 無理をすべからず。もう大丈夫と思っても、武道での「残心」よろしく確認してから、ゆっくりと復調をはかるべしと思った。
コメント (5)

気やすめ
 駄目でもともと、気やすめと思ってストレッチ続けてきた。五年が過ぎた。効果を期待してはいなかった。しかし腰痛が一定のところでとどまっているのだから、効果があるというべきか。

 ラジオ体操、ウオーキング、はたまたさまざまな健康法も、やらないよりはいいくらいに考えてやれば、続くかも。
コメント (3)

ゴミ
 知人が家の大整理をするというので行ってみた。業者の手になるものと聞いたが、分別して処理する物が入った袋の山。

 核のゴミも処分場が決まっていないというが。

 ところで自分を省みれば、処分してもいい物の中に、埋もれているようなものかとも思われた。
コメント (1)

秋空の下
 晴天が続いている。外を歩くのも気持ちがいい。しかし颯爽とは歩かない。二本杖を使い、すり足ではないが、重心移動といった塩梅での歩行で、腰痛をかばう。歩けるだけありがたいのだ。
コメント (1)

物は考えよう
 百年以上も前に使い、そして生活してきたであろう道具を、一切古物商に持って行ってもらった。絹や縮の和服、帯も加えて。

 どこかで役に立つかも知れず、捨てずに済んだことを喜ぶ。
コメント (2)

囲い
 雪囲いというのが普通なのだろうが、このあたりでは冬囲いという。樹木だけでなく、1階部分は落とし板で塞がなければならない。半年近くは雪中生活である。生活費もかかる。

 近所界隈の作業中に聞こえる会話は「もうすぐ雪だもん、都会に出れば帰ってこないわけだ」と、まさに異口同音。
コメント (1)

 「みずのえいぬ」の日。戦後もしばらくは、この日に炬燵をセットして、冬を迎えたものだった。いまや我が家では掘り炬燵はとうの昔に止め、電気炬燵もお払い箱。

 自分一代のうちに、囲炉裏,掘り炬燵からガスストーブにまで変化したことになる。
コメント (2)

どこが悪くとも
 体の具合でどこが悪くとも困るものである。この度も三日ばかり臥床。不整脈をこらえながら半夢半睡のテイタラク。

 疲労とストレスが原因らしい。つくづく思った。日々の生活中心に生きていて、己の生命ということを忘れてはいなかったかと。

 生きとし生けるものは必ず死す、ということすら忘れているのでは、本当に生きていると言えるのかと。
コメント (2)

家屋解体
 さほど頻繁に出歩いているわけではないが、どこかで家屋の解体工事をしているのに出くわす。20年前まではなかったことのように思われる。

 しかし百年も経てば、人も家屋も一変することだろうから、驚くことはないかもしれない。ただ解体された跡が更地のままになっているのが気にかかる。人口減と結びつけて考えてしまうからか。
コメント (2)

雀蜂
 空き家にしてあるほうの掃除をしようと思った。鍵をあけて入り窓を開けた途端に耳元をかすめていったものがある。ふとみたら天井のコンセントのあたりに蜂が群がっていた。

 自然調査の仕事をしている姪を呼んだ。小型の雀蜂だという。知らなかった。危ないところだったと思った。

 もう気温が下がったので、それほどの動きもないだろうと言う。それでも殺虫剤をふんだんに振り撒いて駆除した。こんなに身近にいたとは、虚をつかれた。
コメント (2)

鼻歌
 「心に太陽 唇に歌」程ではないが、鼻唄に効用あり。夕食後の食器洗いを担当しているが、作業中に口ずさむ歌の効果。メロdィーと手の動きが調和して、気持ち良くトントンと進んで、きれいさぱりとなる。

 歌や曲はその時の風まかせ。自分の場合は戦前から戦後も30年くらいまでの歌しか知らないが。たまに民謡もはいる。
コメント (2)

過疎
 町内会が形だけになりつつある。向こう三軒両隣が揃っていれば幸い。向こうは一件、隣も一軒という所もある。

 おまけに高齢化、いったいどうなっていくのだろうと思うばかり。
コメント (1)

矛盾
 伝来の品を、ゴミにしてしまうよりはと思って、古道具店から持って行ってもらった。すっきりしたが、これでよかったのかという考えが浮かんでしまう。

 簡素な生活に至るには、まだまだ整理を要するが、いささか自信喪失、矛盾に満ちた自分の気持ちをまず肯定してみるか。

 
コメント (1)

体の声
 「疲れが残っているのだ」「無理をすることはない。少々休め」という体からの声と言うよりは、信号に気づくようになった。気づくはいいが、即座に実行できないところが、未熟というべきか。
コメント (2)

気圧の変化
 気圧の変化が体に影響するなどとはは夢にも思わなかった。ところがこのごろ、体調が悪い時と気圧の関係を感じるようになった。
 
 七捨八入すれば九十歳などと苦笑しながら、そうか、そうかと思う。年齢を重ねないとわからないことがあるものだ。誰もが歳を取るるということも、忘れてはならないということであろう。
コメント (6)

10月
 日ごとに寒さが加わってくるころ。雪国ではそろっと、冬支度の計画も立てなくてはならない。しかし四季おりおりの姿も、天地の恵みもありがたい。
コメント (3)