2010 11/04 20:13
Category : 日記
(承前)
60世帯ほどであった。その町内費を、箇数割りという方式で定めていた。
総額を1万とし、各戸の経済力に応じての、分担とするものである。A家は1万分の600、B宅は1万分の50というように。全員の合意で、各戸の分担額を決定する。
つまり町内の全家庭が、互いの経済力を知っていた事になる。これ以上に濃密な関係はなかろう。江戸時代の五人組制度には及ばないにしろ、戦時中に推奨された隣組など、足元にもおよぶまい。隣同士ともなれば、裏口からのいったり来たりで、縁側が顔を合わせる場所だった。
それがなぜ、高度経済成長期とともにくずれてきたか。正直に言って、よくわからないが、明日に譲ろう。
60世帯ほどであった。その町内費を、箇数割りという方式で定めていた。
総額を1万とし、各戸の経済力に応じての、分担とするものである。A家は1万分の600、B宅は1万分の50というように。全員の合意で、各戸の分担額を決定する。
つまり町内の全家庭が、互いの経済力を知っていた事になる。これ以上に濃密な関係はなかろう。江戸時代の五人組制度には及ばないにしろ、戦時中に推奨された隣組など、足元にもおよぶまい。隣同士ともなれば、裏口からのいったり来たりで、縁側が顔を合わせる場所だった。
それがなぜ、高度経済成長期とともにくずれてきたか。正直に言って、よくわからないが、明日に譲ろう。