2020 11/09 11:43
Category : 日記
小雨ではあったが、善意のお二人に力をいただき、自分でもオロオロしながら手伝って、庭木の囲いを夕刻までに完了。ありがたかった。疲れもしたが達成感もあった。それにしてもお二人の体力は羨ましかった。61歳と72歳ながら。
戦後間もないころまでは、さらに階下の遮蔽(これはいまでもこれからの作業となるが)、越冬用薪炭の確保、大きな樽に野沢菜や大根の漬物、味噌の中には野菜のほか鮭の切り身を漬け、焼いて干した川魚をねずみから守るため、天井から吊るし、炬燵を出してと、その一切をふくめ「冬囲い」ということもあったような気がする。
「雪囲い」が通常の言い方であろうが、あのころは冬が長かったから
なんとなく「冬囲い」といっても、おかしくなかったようだ。人間も家の中に囲われていたようなものだったのでもあろうか。雪中半年が当たり前だった。
戦後間もないころまでは、さらに階下の遮蔽(これはいまでもこれからの作業となるが)、越冬用薪炭の確保、大きな樽に野沢菜や大根の漬物、味噌の中には野菜のほか鮭の切り身を漬け、焼いて干した川魚をねずみから守るため、天井から吊るし、炬燵を出してと、その一切をふくめ「冬囲い」ということもあったような気がする。
「雪囲い」が通常の言い方であろうが、あのころは冬が長かったから
なんとなく「冬囲い」といっても、おかしくなかったようだ。人間も家の中に囲われていたようなものだったのでもあろうか。雪中半年が当たり前だった。