2001年09月の記事


蒲田駅前朝8時。いきなり北風
久しぶりに仕事の打ち合わせがあるせいなのか、興奮して眠れず。困ったものである。
タバコと新聞を買いに駅まで行ったが、北風。予報より、きょうは寒くなりそうだ。
駅前で朝の八時からサラ金のティッシュ配っているスーツ姿の青年がいた。その二メートル後ろで髪の長い浮浪者の青年がチラシを眺めながらにたついていた。素足にサンダル。コットンパンツに薄手のトレーナー。無精ヒゲ。ふと気づくとおれとまったく同じスタイル。おう、三ヶ月の無頼も板についたか、となんだかすこし嬉しかった。ポンパドゥールが開くまでその浮浪の青年と並んで日刊スポーツを読んだ。タバコを二本。カマタにはまだガングロ高校生が生息していることを横目で確認。きちんとスーツを着てクラッチバッグを小わきに抱えたバーコードヘッドの勤め人がどうしたことか天をあおいで歌をうたいだしたのには驚いた。いや朝の駅前はなかなかだ。


仕事をするようになって三ヶ月もあいたのはさすがに初めての経験なので、ウブな娘が見合いにのぞむ日のようである。
新宿で二時からなので何時に家を出ればいいのか考えたりしているうちに朝になったのだ。
蒲田から新宿が40分だから、一時でいいのは、高校生の頃と同じなのに、池上線で五反田に出た場合をホームページで見たりしていた。
なんだかこのままげっそり疲れそうだ。

毎日、朝起きて、きちんと通勤している人に、今朝は尊敬の気持ちがわいている。
みんな偉いじゃん。
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《女鬼》は、そしてこんなふうに閉じられる。
 くれて
 しまった夜は
 山の高さを思わせる
 海の深さを
 思わせる
 
 静かさの中で
 別の世界の
 別な動きが
 はじまっている

 吹きぬける風が
 ボー
 ボー
 と あちらこちらで
 声をあげる



       今井保之《女鬼》より
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《女鬼》は、こんなふうにはじまる。
 秋の
 おわりの山は
 黒ぐろと深く
 吹きぬける
 風に答えて
 ボー ボーと
 あちら こちらで
 声をあげる
 その声を遠くに
 ききながら
 小さな村の
 人々は
 自分の心を
 のぞきこむ
 そうして
 長く暗い冬の間に
 何度も
 わけもないのに
 ためいきを
 する

        今井保之《女鬼》より
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終りの日に向けて
《フィナーレ》に向けたラストMLから転載

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益子です。


解団式のときに配ることになったという《外伝2》の簡潔版用の
パッケージカバーを一枚一枚裁断してている渡辺を見ながら
あと三日と思いながら胸に迫るものがあります。

7月3日の結団式の様子を渡辺が15分にまとめたビデオもあるらしいので
解団式ではみなさんの三ヶ月前の様子が同時に流れることにもなるらしい。

外伝シリーズは、フィナーレの記録も含め、この二年間の撮影記録などを
集大成したものが年内にできあがる予定です。
現在のところ渡辺が記録したビデオ素材が主ですが、写真等みなさんが
秘蔵されている「こいつも入れろよ」という材料がありましたら
時間のあるときにぜひ渡辺にお渡し下さい。

確約はできませんが、
年末までにVHSで、
最終的にはすべてをまとめてDVDにして配付するつもりです。



6月から公開している「むじなの森」のホームページですが、
記念として三年間、あのままにしておきます。
みなさんがそれぞれの忙しい日々の中で
21世紀最初の夏の記憶をたどりたくなったら、
あるいはほんの少し元気がなくなったら
いつでも訪ねてください。
むじなの夏が、待っています。



渡辺は28日早朝に東京を発ちます
三日間、記録できるすべてのものを記録するように頼みました。
会場のどこかで、とつぜん、いきなり、ひげ面男がカメラを向けても
どうか驚かないでください。恥ずかしがらないで下さい。
とびきりの笑顔でも、底なしのさびしい顔でもいい。
彼の向けたレンズに向かって、何かコトバを残して下さい。
どんな内容でもかまわない。すべてを引用します。残します。
できればひとり60秒以内が望ましいけど、必要なら5分でも10分でもいいよ。
DVDにするときに「Voices2001 Mujinanomori」としてすべて収録するから。
なお、渡辺は三日間いるので、いやもういちど話したいという方は
どこかでひげ面男を見つけて何度でもチャレンジして下さい。


集いの湖の前で何人の顔と再会できるのか、胸が弾みます。


さみしくもあるが、まずはめでたい。
では、フィナーレの日、

  「はかない夢と情熱が確かに存在した」

そのむじなの森のジ・アースの前で。



      2001.9.28未明  T.M
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三ヶ月ぶりに社会生活
明日、新宿。まともな打ち合わせの席というのは考えてみると三ヶ月ぶりか。
どんな顔をしどんな仕草で22階に降りればいいのか、なんだか就職面接(したことはないが)を控えた学生のようだ。
「こんにちは、ごぶさたしてます」でいいのか
「おまたせしました、ポチです」とおどけりゃいいのか。
クライアントとは八月の半ばにむじなの森のジ・アースの前で別れて以来だから照れる。
八年つきあって、こんなに顔を合わせなかったのははじめてだから。
難しい注文が出たらあせるかな、意味がわからないうちに先に進むとやだな。

けっこう動転するもんだ。
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《湾岸リベンジャー》★★★?
《湾岸リベンジャー》戸梶圭太著/祥伝社を読む。

読み始めてからしばらく放っておいたが、残りを片づけた。戸梶はこれがはじめて。
帯に「ポップでラウドでクレイジーなダーティ戸梶」とあるが、ま、そんなところ。
面白いといえばオモシロク、つまらないといえばツマラナイ。「なぎらツィスター」を読んでみてからだな。
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《女鬼》ついに発見!!!
《女鬼》を読んだ。
ゆうべ渡辺くんがオフィスの外で月を撮っていて伊藤さんに会った。
伊藤さんは学校で子供たちに月の満ち欠けを教えるのに困っていたらしい。オフィスにやってきて《月》のコレクションを見せたら、ぜひ学校で子供たちに見せたいという。快諾。そのお礼というわけでもないだろうが、探していて見つからなかった今井保之の《女鬼》を貸してくれた。春の引っ越しの時に他の五冊の絵本は出てきたのだがこの《女鬼》だけが見当たらなかったので、あきらめかけていた。
さっき読み終わった。涙が止まらなかった。この手書きの童話をはじめて読んだのは30歳の頃だった。仕事をせずにぶらぶらと遊んでいたころに出会って、激しくうたれたことをいまもあざやかに記憶している。
いつか機会があれば、映像にしたいと考えていた。
デジタル・ジャパネスクをスタートするにあたって思い描いたのがこの《女鬼》だった。8月5日に真っ暗やみの湯の花で月の出を待ちながら浮かんだのが、この《女鬼》だった。
ついに、手に入れた。おれの手に戻ってきた。八重洲ブックセンターで20冊あまりまとめ買いして、辻と二人であちこちに配った。オフィスを始めるにあたって、最低限守ることがあるとすれば、この今井の書いた《女鬼》だよな、とよく二人で神楽坂で話した。
いつか映像化権をとろう、と約束しながら果たせずに今に至った。
同じころ、映像にしてみたいと考えていた佐々木洋一の詩集《未来ササヤンカ村》と福島泰樹の短歌世界は、十年前にひとつのカタチにした。
あとは《パパラギ》とこの《女鬼》である。
《女鬼》をデジタル・ジャパネスクシリーズの幕開けの一巻とできれば、おれの目論見はほぼ成功するだろう。エンドレスシリーズの冒頭に《女鬼》を据えさえできれば…
そう願って十年が過ぎた。
読み直してみて、胸の底に沈めた想いはほんのわずかさえもずれても狂ってもいなかったことを確認できた。《女鬼》。ついに再会した。
24日に抜け出たと実感してから四日。平穏な時間をこの三ヶ月ではじめて過ごした。
その行き着いた先が、ここにある。《女鬼》。祝杯をあげたい。デジタル・ジャパネスクシリーズの制作を通して、いつか出会うことになるすべての人に向かって。乾杯。



今井はあとがきにこう書き残している。

『どんな人にも 
大人にも子供にも自分の内だけに
しまっておかなければならないことがきっとあります。
他人の内に伝わらないものが、
そんなものを自分の内で何度も何度もくりかえし
想いおこしていくとひとつの話がうまれると思うのです。
時代に合った新しい話はどううしてもかけません。
ひとりの人間の内で
いつまでも持ち続けている心をかきたいと思います。
新しいものはいつか古くなります。
かわらずあるものをつかまえたいと思うのです。
はじめに、にもかきましたが読んでくださった皆様と
一回のぎりぎりのこの本を創りたい。
あなたがもう少し大人になったとき、
そのときにも一回のぎりぎりで出あえる本でありたいと思います。
さよなら このことばの響きは胸の内で痛くて仕方ありません。
いきぐるしくなって口ごもってしまいます。
私はどうしてもさよならが上手にいえないのです。
どうぞごめんして下さい』
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北方の《水滸伝》第二十五回
小説すばる10月号の《水滸伝》第二十五回を読む。単行本が途絶えてからやむを得ず雑誌で連載しているのを読むというまだるっこしさに耐えているが、耐えるだけのことはある。北方がなぜここまで《水滸伝》に思いを深めていくのか不明だが、一昨年の《三国志》とはまったく異質で次元を越えた世界はさらにホットさを増大させている。これまで数ある《水滸伝》を読んできたが、北方の世界にもっとも近いのは真崎守が未完のままにしているものといちばん近いように思う。あの未完の書のラストで真崎が描こうとした「教育論」はこれまでに目にしたもっともすぐれたイメージを残している。

それにしても三段組でぎっしり埋まったちっぽけな活字で読まされるのは高校時代にさぼって読みふけった平凡社版以来のこと。

北方は、この《水滸伝》が代表作となるだろう。新世紀に書き改められことの意味が、ひしひしと伝わってくる力作である。

官に向かって、大勢に向かって、体制に向かって翻す叛旗の意味は、いつの時代にも哀切で雄々しい。

無数の無辜の市民を殺戮するのが憎むべきテロリズムであり、全世界はテロリズムを許さないという。そりゃあたりまえだ。
広島に長崎に無垢の市民はいなかった。
ベトナムに無垢な市民はいなかった。
少なくとも遺伝子にまで影響を及ぼしいくつもの世代を越えて殺戮を続けるような武器に敗戦の趨勢が見えた後に実験代わりにさらさせる無垢の市民はいなかったよな。
ネバダで再開したという「実験」て何だ。
真珠湾を忘れるなというキャンペーンは何だ。



《水滸伝》とは何の関係もねえけどな。
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あと四日。
未来博のホームページに、カウントダウンが「あと四日」となっていた。

  《はかない夢と情熱がたしかに存在した場所》


と位置づけた《むじなの森戦記》が、四日で消えるのだ。いまとなっては「あとかたもなく」というコピーを笑えない。
明日にでも駆けつけ、あの湖のほとりのケヤキの樹の下に立ち、ラストの瞬間まで風に吹かれていたいと痛切に思う。

80数日前の結団式の夜のスタッフ達の顔を見ながら、彼らがこの三ヶ月でどんな変貌をとげたのか、そんなことを楽しみにしながら週末を迎えたい。

泣くことになるのかな、やはり。

渡辺は記録撮影もあり、28日早朝に現地入り。おれは午後の積水ハウスの打合わせを終えたら新幹線で現地に。
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解団式用の「結団式」ビデオアップ
かろうじてベッドから這いだしオフィスへ。渡辺くんがまとめた7月3日の「結団式」の記録を見る。少し足し引きし、16分でOKに。しかしよく撮っておいたな、とあらためて。こんどの須賀川では渡辺が一心に記録係をつとめてくれたおかげで思いがけないものがいろいろまとまることになった。

ラベルだけデザインを変更し、オフィスを後に。空には月。今夜もまたみごとなものだ。
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《眠れぬ夜を抱いて》★★
《眠れぬ夜を抱いて》野沢尚著/幻冬舎刊
野沢はしかし小説はうまくねえんだよな。「青い鳥」の架空の場所/清澄が舞台だというので読み出したけど、なんだかつまらねえ展開だった。この人の才能は小説には向いていない。山田太一と同じことだがシナリオに専念するべきだと思う。きっとディティル書き込んでこの三倍の分量にすれば、もう少し物語の膨らみが出たのではないか。スポーツ紙に連載という理由もあるだろうが、これだけ書き流してしまうとストーリー追いかけるだけの紙芝居で終わる。空気感はべつだん長短とは関係ないのだが、もったいない。

だれか《恋人たち》のビデオを保存していないだろうか。
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《チャーリーズ・エンジェル》★★★
気分転換に映画版のチャーリーズ・エンジェルを見る。テレビシリーズはつまらなかったが、頭痛と悪寒を抱えた身にはちょうどいい塩梅だった。マトリックスのもったいぶったワイヤーアクションに比べると能天気なところがすごくキュートでありました。いや笑った。冒頭からラストまでアクションのくだらなさをここまで徹底してくれると言うことなし。
阪本の意味のわからぬ薄気味悪さを払拭できた。これであっけないほどバカらしい眠りにつけそうだ。
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《顔》-★
阪本順治、ほんとに才能ねえんだな。しみじみとくだらなかった。《福田和子》事件というスーパーリアルの前で日本映画はかくも無残な想像力しか発揮できない。だめならやめりゃいいんだよ。すみからすみまで貧困で力弱く、救いのない一本をよりによってこんなカゼひいて頭痛と悪寒が続いたときに観てしまったおれがバカ。
これで寝てしまおうと思っていたが、腹立たしいので夜食を食って、何でもいいからもう一本観ることにする。
「先生」に、ゆっくり休むように命じられたのだから、言うこと聞いてりゃよかったが…
レンタルビデオ/VHS
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拾ったビタミンCを大量摂取
昨夜の上弦の月をオフィスでチェックしたが、さすがに九月。中秋らしい冴えた月だった。三脚をチェンジしたせいか、ぶれも少なく、これはこれで使えることになりそうだ。

十月一日の解団式でオンエアするための結団式のドキュメントと開幕前後のスタッフインタビュー集を渡辺がまとめるらしい。
乗りかかった舟である。思う存分やってほしい。

わがはいはこれから帰宅して、お約束の資料調べにとりかかる。ああ難儀なことである。さぼらんようにせねばな。

風邪薬のほかに、オフィスのテーブルの下に転がっていたビタミンCを見つけ、大量摂取する。まったく犬のような人生である。
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頭痛、悪寒。
起きたとたんにひどい頭痛と悪寒。
なんとか食事をしてオフィスに来たら、わたなべが「ホッとしたんじゃないすか」と笑う。何がホッとしたのか知らぬが風邪薬を飲んでもいっこうに良くなる気配のない男をつかまえて冷たいやつだ。

未来博協会から
閉会式の招待状。返信用のハガキに書き込みながら、ほんとに終わるのだなと実感。

今日から《研修》ごっこを四日間ひとりでやってみようと思っていたが、頭痛と悪寒であえなく放棄。似合わぬことをはじめようとした報いか。

テーマを《ぽちの来歴》にしぼったまではよかったが…

いよいよ資料にも火がついた。
とにかくどこかで集中して読まねば。
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《ペイ・フォワード》★★★★
「暗闇に置いていかないでくれ もう君なしでは生きられない」とケビン・スペイシーに言わせたのにはさすがに驚いたが、ミミ・レダーの女性ならではの演出力とも感じられた。さらにうならされたのは少年を死なせたこと、誕生日のロウソクを吹き消した後だからもう手遅れだと語らせたこと。性差が問題とは思わないが「女性的な」と言えば近いか。このしなやかで強さを備えた視点を「男性的な」世界は持ちえない。
ER緊急救命室がスタート時に誰の力によってあのトーンとテイストを獲得したのか、ミミ・レダーの《ペイ・フォワード》を見て納得できた。M・クライトンの雑駁な小説スタイルにもスピルバーグの能天気な映画作法にもそぐわないものを吹き込んだのがミミ・レダーであることがよく理解できた。ERはさておき、《ペイ・フォワード》でのミミ・レダーはさらにエンディングで信じられない映像を用意している。少年の家の前に集まる無数のキャンドルを持った人たちのラストシーンは、映画でなければ絶対に成立しない世界を見せてくれる。美の成熟と退廃を知らぬアメリカは病んでいながら、なお底抜けの若さと力を備えていることを、ミミ・レダーはつきつける。ハリウッド、やるもんだ。
ラスト直前までの陳腐さを、大胆な急展開とエンディングのシークエンスでみごとに大人の物語に仕上げている。
レンタルビデオ/VHS
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《CAST AWAY》★★★★
バレーボールのウィルソンと懐中時計の中のケリーはリアルだったのか幻想だったのか。
医学としてではなく、科学としてでもなく、漂流した島にあってこの二つは紛れもなくリアルだった。では現実の中でチャックを諦め、別な人生を選択したケリーの四年間はリアルだったのか。部屋のテーブルに並べられた遭難関係の資料の山と、残されたクルマ、雨の中での行動によりそのリアリティは幻想へと越境する。あるいは見るものの判断を停止させる。チャーリーが唯一開封せずに持ち帰った荷物を届けた壊れた夫婦関係を予感させた荒野の一軒家に暮らす美人画家?の暮らす家に荷物を届けたチャーリーは、その当人から四差路のそれぞれについて知らされる。交点の真ん中に立ってそれぞれの路を見やり、行くべき方向を選んだようにストップしたところで溶暗。クレジットロールとなる。もちろんチャーリーが選んだ道は荷物の送り主の住む方向なのだが、ゼメキスはそれをあいまいなままに突き放す。
典型的なサバイバルものの衣装をまといながら、ゼメキスまことにあざやかに生きることはリアルと幻想の間にボーダーがないことを明示してみせる。執拗にちりばめられたあざといまでのイコンの数も、映画らしさを助けこそすれ損なうことはない。
《CAST AWAY》見ごたえのあるハリウッド。おもしろいのに深い。アメリカもやるもんだ。

レンタルビデオ/VHS
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爆睡十時間と中秋の上弦の月
夜になってあやめ橋の上で上弦の月を眺めた。
さえざえとしてまことに美しかった。
三日続けて、月ばかり眺めていたように思う。ふくらんでいく月は、しかし力が湧いてくる。
2001年、九月中秋。仕事もせずにおくった夏の終りの記憶として、この三日間眺めた月はもうしぶんなし。

これで季節を越えられた、と思えた。


爆睡十時間。三ヶ月ぶりのこと。
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3人と60万人
何しろ月の出の冒頭すぐに福島さんの朗詠で「万物は冬に雪崩れていくがいい追憶にのみいまはいるのだ」と吠えたて、狼の遠吠え、立原道造の詩、古歌と続く。ほうぼうで掟破りだの文法知らずだのと言われた月の出5分1カットプロローグは、βカム素材とは言え見惚れるばかりの凄絶さがある。

と書いたのが8月半ば。
いまいちばん信頼している眼力の持ち主に、偶然《光の日本》を見てもらう機会をもてた。
懸念通り、時間稼ぎのために挿入したシーンについては「冗長だ」と指摘されたが、
もっとも危ぶんでいたプロローグとエピローグの山の昇月、海の日没については激賞された。あちこちで批判されたパートだったが、思いがけない褒められかたに我を失った。
福島泰樹さん自身と駆け落ちした畏友加藤賢明のほかに、ここまで褒めてくれたのは三人目。
十年で三人。嬉しかった。忘れかけていた世界だけに、心が溶けた。
これで大手を振って《光の日本》の世界を完全に否定できる。新しくデジタル・ジャパネスクをスタートするにあたって、迷い続けた想いを完全に払拭できる。
まったく異なる水平線を描けばいいのだと、思い知った。

むじなの森では、今日24日中に《ジ・アース》の観客が60万人を突破するらしい。
八十日間で60万人。これもまた甘美な数字ではあるが。
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なべづき?
渡辺が多摩川で撮ってきた月をオフィスで。川向こうのビルの陰に紅みを帯びた太めの三日月が沈んでいく。遠近感が消え、紅い月はかなり巨大に見える。ビルはシルエットだったが、次は窓に明かりのともった建物を手前に置くように頼んだ。
九月はなるほど中秋だ。
台風の夜の三日月いらい、新月をはさんで
すでに四つの月の満ち欠けを手に入れた。
今週はまだいい夜が続くのでいっきにコレクションが増えそうだ。
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十年ぶりに《夏の弔ひ》を読む。
久しぶりに立原道造の《夏の弔ひ》を読む。《風のささやんか村》で使っていらいだ。むじなの森があと七日となって、読んでみようか思った。


   逝いた私の時たちが
   私の心を金にした 傷つかぬやう傷は早く復るやうにと
   昨日と明日の間には
   ふかい紺青の溝がひかれて過ぎてゐる
   投げて捨てたのは
   涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだった
   泡立つ白い波のなかに 或る夕べ
   何もがすべて消えてしまった! 筋書どほりに
   それから 私は旅人になり いくつも過ぎた
   月の光に照らされた岬々の村々を
   暑い 乾いた野を
   
   おぼえてゐたら! 私はもう一度かへりたい
   どこか? あの場所へ 
   (あの記憶がある 私が待ち それをしずかに諦めた……)
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青空と夜の月
しかし寒い一日だった。
今朝の気温は東京で13℃とか。どうりでお台場で夜景を撮っていた午前三時に震えがきたはずだ。

それからオフィスに戻り四時間過ごし帰宅。帰るときに見上げた空は真っ青だった。東京で暮らしていて年に数度あんな空におめにかかることがあるが、その一日が
今朝だった。

からだが夜風で冷えたのか、落ち着かず、昼ごろまで眠りにつけなかった。

夕、なんとか起きてオフィスへ。
渡辺は午後四時前後の青い空に浮かぶ月を手に入れていた。

いま午後八時前。西に沈む月を撮りに出た。
雲のない月夜。家庭用のDVC
とはいえこの間からかなりいい状態の月の動きが撮れている。

このぶんたと予想以上に早く素材がコレクションできそうだ。
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突撃中止
一風呂浴びて、からだを温めたらいざ出陣と思っていたが、あらぬところから招集がかかり、あえなく断念。
渡辺は羽田空港ふきんでしっかり月を手に入れたと言っていた。これからオフィスでそのほやほや月を確認予定。
このまま数日晴天がつづけばおもしろいデータが集まりそうだ。

それにしても宇都宮。ギョーザは食えただろうか。たしかおれが案内されたのは神社のそばだった。まあうまくはあったな。

富士山山頂に初冠雪と夕刊に。
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イスファハンブルー
オフィスに向う途中、空を見上げたらひとかけらの雲もなかった。ほぼ完璧な青。東京では年に何度かしかお目にかかれない色。雲のない空はつまらないことが多いのだが、今日はまた別。こんな空はただ眺めているだけで気が晴れる。夕の色がほんのすこしまじって秋の終わりや冬のはじまりの頃だけに見ることができるイスファハンブルーの空の色。

ああ、人が恋しい。
誰でもい、人をさらってこの空をともに眺めながら放念していたい。
渡辺には8時には沈んでしまう三日月を捕獲するように指示したことだし、
久しぶりに夜の街に出撃してみるか。
古い想いでも尋ねてみるか。
秋は、いいな。時間が溶ける。



なんだか血が騒ぐ。
資料なんぞをめくっている場合じゃねえぞ。
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4.7夜
8時間熟睡。カゼのだるさは残っているが、ほぼ爽快。冷たい雨といっきに下がった気温がひきおこした、それだけの時間だったのか。

昼から夜にかけてオフィスに沈没していたときのさめざめとした救いのなさに、別の時間がオーバーラップしたときに問題の在りかをひとつのものと混濁しただけかもしれないな、よく眠ったせいかそう感じている。

迷う、というのはそんなものなのだろうが。

月齢表を見ると今夜はすでに4.7夜。
鎌のような三日月は曇と雨とで今回は撮りそこなった。
ここ数日はしっかり秋空になりそうなので、わたなべのライブラリーもいっきにふえそうだ。
同じサイズでの完璧な満ち欠け。画面の左下から弧を描いて右上に上っていく間に三日月から三日月へと変化させる放物線をつくる。倍率がもう少しあれば申し分ないのだが。

雲の流れもなかなかだから、夕景からチャレンジしてもらおう。

おれはオフィスで資料読みを短時間集中したら、オフにする。今夜も熟睡したい。
起きたばかりでもう眠ることを考えている。
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勇気凛々。
眠い目こすりつつなんとか「勇気凛々」にたどり着けた。窓を開け放つと北風が吹き込んでくる。秋を通り越してこのまま冬になるのかとおもうような寒い風だ。

気になることは何も解決しなかったが、いまここで打てるすべてのことはできたはず。その到達点が勇気凛々である。

今夜は、ここまでがおれの限界。
さて、寝るぞ。

べさめむーちょ、であるわい。
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9days
真夜中に二度オフィスへ。
しかし北風が吹いている。寒いはずだな。

オフィスで「探し物」は見つからず。

あきらめて戻る。

体がばらばらににりそうなくらい眠いのに、眠れない。
あと9日。ほんとうに灰にするのだろうか。
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惜別の歌
誰が歌ったのか忘れたが、

 「遠き別れに耐えかねて
  この高殿に昇るかな
  哀しむなかれ我が友よ
  旅の衣を整えよ…」

といった出だしの歌。たしか《惜別の歌》といったか。
氷雨の中を歩いて、この一節だけを思いだした。むじなの森は、さぞ寒いのだろうな。
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足湯
タバコとコーヒーが切れたので近くのコンビニへ。
ドアを開けた瞬間に北風が身を包んだ。
ぞわっとする冬の感覚。

外は冷たい雨。サンダルだったので戻ろうかとも思ったがそのままで。
久しぶりに足がびしょ濡れになった。
涼しいのではなく、寒かった。

バブを買ってみた。
「足湯」でもしてみるか。
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不評につき撤回
どうもオフィス変更提案は不評のようである。
反論に弱いのが正しい演出家の常なので、ここは撤回することに決めた。ざんねんだが。

これからの季節を思えば
「べさめむーちょでございます」なんてしゃれちゃいるのだが…
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18℃
結局、オフィスには昼前から夜9時過ぎまで10時間いたことになる。
10時間いて仕事はゼロ。ぼんやりとしていただけだ。小説を10ページほど読んでいるとちゅう、イスに座ったまま不自然なかっこうで寝込んだりしていたらしい。渡辺に起こされた。

家に戻る途中、寒かった。外気18℃。
明日はさらに冷え、乾くらしい。

現地のレポートを読むと、月曜あたりに60万人を突破しそうだ。これで目標もクリアしたことになる。

ホッとしつつ、さみしさもまた。
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雨の特別編
雨。
予報どおり。

窓を開けていると、冷たい風か入ってくる。
昼下がりを《外伝2》の特別編づくりで過ごす。七日のオープンに点灯式の夜景を続け、事務所での雑談をカット。

満月《My Revolution》編と《ベサメムーチョ》版を加えて私家版とする。これを永久保存にしよう。

オフィス滞在約6時間。
それだけのワークで過ぎた。本望である。
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屈服は致しませぬ。
我がシ・アースのあるむじなの森は須賀川市。
須賀川の祭りに日本三大松明まつりとして知られる「松明あかし」という変わった火祭りがある。
町中から小さな種火を持った人が丘の上に集まり、巨大な松明の群れに点火。
みんなで燃え尽きるのを見物するという、まことにストイックの権化のような祭りだ。
数百年前に、東北の超巨大帝国だった伊達藩に攻め入られたちっぽけな須賀川の女城主が果敢な抗戦の末に城に火を放って没したことを偲んだ祭りだとか。
圧倒的に強大な武力と軍勢に向い、
女藩主は「屈服は致しませぬ」と大見えを切ったらしい。
この故事を知って、ただ一つだけ挿入した祭りである。会津にも須賀川にも、福島には固有のきわめて激烈なまでの多勢に向う気概があるのではないか。

だからどうだというわけでもねえが、
多勢に無勢は、それだけで戦いじゃねえのだと言っておきたい。

アフガンでは、新生児が二十歳になれるのは三人に一人で、平均寿命は四十五才だと聞く。
明治維新の頃の日本なみだろうか。
さてその幕末に黒船が横須賀に砲艦外交をしにやってきた。だったよな。
愉快な国だよ。あ・じゃぱん国は。
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せつないぞ
オフィスで。
なんというか、ほっとした。

この雨が過ぎれば、秋。

むじなの森もいよいよシングルカウントとなった。
もう正直になってしまおう。
消えていく日が近づくことが胸がはりさけそうに寂しい。

わかっていたことではあるが、
あの《場所》が無くなってしまうことが、
無性にせつないのだ。
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正気なのか。
ニュースによれば。
17日に五百人の武装兵士を前に別れの演説をした後、四人の妻と子供を連れ馬に乗って北部山岳地帯に去っていったそうだ。

このニュースが正確なのかどうか、
確かめる術もないが、もし事実だとして、
このシーンにふさわしい音楽はやはり「月の砂漠」だろうか。

ターバンを巻いたヒゲ男は金の鞍と銀の鞍を載せた馬にゆられ、砂丘の彼方に消えていくのだろうか。

テロリズムは、しかしいったいいつからはじまった愚行なのか。ただ一人の主導者を消滅させれば、テロリズムは解決するのか。こんどのテロ攻撃はいきなり出現したものなのか。
アメリカはどうしちゃったのか。世界はどうなっちゃったのか。
たった一人をその生死に関わらずしとめるために、世界はほんとうに総力戦を挑むのか。

これはきちがい沙汰だろう。
少なくとも、ここには正義のかけらすら見えない。

経済がうまくいかないからといってこんなバカらしいしのぎはありえない。
純粋右翼や正統的な保守主義者というのは、いったいどこに雲隠れしたのか。

中学生でもわかりそうな愚挙がなぜ批判にさらされないのか。

どうせやらせたんじゃねえか、最後までやってもいいだろう。
こんな夜郎自大な言い分でいつまで国を誤ればすむのだろうか。
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秋風
午前3時過ぎて、外は21℃。
台風は来るのか来ないのか、妖しい風が音を立てている。
このタイミングで21℃ということは、このまま秋だな。
窓を開けると、冷たい風が吹き込んでくる。

こんな風を感じると、安曇野が恋しくなる。
三、四日穂高に行ってみるか。

起きて台風がきれいに抜けていたら
東京を離れる、それだけ決めた。

同じスタイルの持続がやや疎ましく感じだしている。厭きたか。
見るべきものを見、感じとるべきものを感じてしまったのか。
底も頂上もすでに越えてしまったのか。
こんなていどか。

円環の中で考えても行き着くのは同じ場所。この環から抜け出てしまえば、そのとたんに目は醒める。はず。
醒めることがいやなのか。まだもう少しこの湯につかっていたいのか。そこのところがもどかしい。
語ることが少しずつむなしくなっていく。
時間の濃密さが日ごと夜ごとに褪せていく。


あの森に行ったのが6月の23日。
あれから三ヶ月近くが過ぎた。
空が、雲が、木々が、空気が
すべてがうすめられ、記録された一コマに堕ちていく。

《特別な場所》からありきたりのどこにでもある光景と時間に堕ちていく。



あのとき、スクリーンをぶった切っておけば、こんなくすぶった想いは残らなかったのだろうか。
とどめて、断ち切る。

最高の映像効果を、あの瞬間におれは逃している。


無意味さにこそ、意味があったのではないのか。
《外伝》などと称してお茶を濁していただけじゃないのか。
何も終わっていないにも関わらず、終わったことにしたことがすべての敗因ではないのか。
もしかすると、すごくナンセンスな遊びに呆けていたことになるのか。
客観すれば、ただの道化?



自業自得じゃねえか。
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あ・じゃぱん国のこと
まだ世界地図にソ連があったころ、
Viva Revolution1989の少し前、
アフガニスタンはソ連に占領されていた。
解放後のアフガニスタンに最大の援助をしたのが日の出国「あ・じゃぱん」(矢崎風)。
それから幾星霜が過ぎたのか知らぬが、
こんどは世界正義連合のアメリカだ。

さて、あ・じゃぱん国はどうするのか。

靖国に眠る英霊というのはどこの《敵国》を相手に戦った人たちなのか。
真珠湾の賠償金を、という運動が起きていると聞く。では広島・長崎・沖縄・硫黄島の賠償金は。東京はいずこの国の無差別攻撃で焦土と化したのか。残されたフィルムは写真の類いはすべて絵空事なのか。

わずか十年余りで二大《帝国主義》に攻められるアフガニスタン、つくづく難儀な国だよな。

イスラム教とキリスト教は《旧約聖書》同じだろ?根っこが同じで相争う理由は誰が見てもただ一点《利権》でしょ。
こんなところにあっちにもこっちにも神様だらけの八百万の神々のあ・じゃぱん国が顔出して何するんだよ。

あざとい仕掛けでオフィス街おどかして危機感あおったってしようがねえだろう。
あれ、愉快犯のいたずらですか。
愉快犯は少なくとも二つ目以降だよな。
ああいうの国あげてやってきたよね、我があ・じゃぱん国は。
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ベサメムーチョというオフィスにするかな
ベサメムーチョを繰り返し聴きながらふと思った。

オフィスの名前を「メディアサーカス」から
「ベサメムーチョ」に変更しようかな。

電話がきたら
「はい、ベサメムーチョです。まだだれも経験したことのないすてきな世界にご案内するためにワタシがお役に立てるでしょう。あいことばはベサメムーチョ。はい、ご一緒に、ベサメ、ベサメ。ベサメムーチョ」
これっていいなあ。どんな仕事の依頼が来るのかなあ。

ちなみに現在の留守電メッセージは
「メディアサーカスです。激しい嵐にあっているため電話に出ることができません。メッセージをよろしく。のちほど必ず連絡します」だ。

たとえば
「ベサメムーチョです。激しい愛の嵐に遭遇し、難破しかけているため電話に出ることができません。ぶじに生還できたら、そのときはきっとご連絡します。愛をこめてベサメ、ムーチョ」
と吹き込んでみる。

いまでも誰も伝言してくれないのだから
変えたっていいよな。ひまなときに自分で聞いてりゃいいわけだし。

明日、なべちゃんに相談をもちかけてみよう。
うけるかな。


ああ、資料が1行もすすまねえよ。
ベサメムーチョなんか教えるんじゃねえよな。ほんと。
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ナイトシフト
夜十時過ぎにオフィスへ。
別に外で仕事をしていて遅くなったのではない。
いま、来たのだ。まるでナイトシフトの工員のようだな。

夜になってもまだむしている。
明日の台風が過ぎればひといきに秋になるというが。

明日、須賀川に音楽の井口君達が行くという。数日前なら、おれもつきあうぞと二つ返事で駆けつけたところだが、いかんせん本格的な秋の来る前に冷えた精神は反応がにぶい。はずみになればとビデオを渡辺に届けてもらうだけで息があがった。


昨晩入手したベサメムーチョを今夜は繰り返し聴いている。渡辺は帰宅した。
開けた窓から虫の声がはいってくる。

数日前なら、ここで深いため息が出るところだが、どうやって落ち着いたのか、平然としたものである。


いましばらく音楽でも聴きながら
資料を読んでから帰ることにする。
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操作
横田にアラブゲリラが小型機を使って突入する可能性ありと発表があった。

陳腐な情報操作としか思えない。


こんなわかりやすいデマゴーグも効を奏すのだろうか。
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タリバンとタリバーン
朝日新聞の「タリバーン」という音引きは何のためなのか。整理部がバカなのか、チェック機能がないのか知らないが、妙なこだわりがいかにもオールドメディアライクでかわいらしい。
いつになったら「タリバン」に統一するのか楽しみにしていたが、今日の夕刊でもまだ「タリバーン」。
アエラの新聞CMのヘッドコピーで見かける薄ら寒いダジャレと同じような感覚なのだろうか。
人の名前も地名も平気で旧字を無視したり、ひらがなにひらいたりしているのに、おかしなところでディレッタントぶりを発揮してくれる。
無意味な音引き一文字分もデータの世界では膨大だ。朝日の好きな地球環境にプラスになるのだろうか。
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厭戦。
コナが切れたからハワイに頼んだ、とこのあいだ知人に話したら、危ない話と間違われそうだと笑われた。
このコナとはハワイ・コナのことだが、五日ほど切れている。しかたなしに間に合わせを仕入れてきて飲んでいるが、これほど違うのかとがく然とするほどの違いあり。

クリームかミルクをいれないと飲めねえなと思った。いままでどうして気にせずに過ごせていたのか。
知ってしまうことで戻れないことが、あるんだよな。難儀なことだが。

知り合いから未来博に行ってくるというメールが続々と入る。
なんで今ごろ、と思わぬでもないが、
再現できないことに気づくと火がつくということか。

反動のように、おれは冷えていく。覚めていく。むじなの森は、きのうから遥か彼方の幻のように遠い。
たかが三ヶ月。ひと夏のお騒ぎごと。

《外伝》シリーズを続けようと思っていたが、もういいだろう。撮影期間のあの膨大な永遠に続くような無の時間をあらためて見直す気にはなれそうもない。また、したくもないのだ。
意味があったのは仕上げの時間と、須賀川にこもってからのこと。それについてはすでにまとめた。

あちこちで温度差が目立ちはじめている。
戦いの終息というのは、そういうものではあるが。
だからといって、ことさら浮き彫りにしてみることもない。



おれは、むじなの森に、厭きたのかもしれない。新月は冷ましてくれるよ。
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予定調和
ITがらみで届いた返信がすでに6通。
みなさんひまなのか。ありがたいとは思いながら少し気になる。

ここまで寄せられた内容を検討した範囲では、この二年でめぼしい進展はなし、といえそうだ。細部へ分け入ればまた別な角度もあるだろうが、趨勢としては「停滞状況」。ま、予測通りではある。

とすると、ディティルには今日的なリアリティがないのだから、一気に原点まで戻るほうが早いのか。

マクルーハン、アラン・ケイ、トフラーと押さえ、さらにネグロ・ポンティの新作あたりを通読すれば、あとはおおかた分析できちゃうわけだ。
このまだと聞くまでもなかったことになるので、もう数日、週末までは待ってみるが。
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回帰。
キャンセルを一軒、ウエブ経由で。
ウエブで探し予約してウエブでキャンセル。ま、ラクには違いないが…

28日は積水ハウスの打合わせを優先させることに決めた。
夕方までは打合わせをキャンセルするつもりで相馬さんに話したが、なんだかもういいような気分が濃くなってきた。

終りを見届ける、ということにどんな意味があるのか、わからなくなっている。
すべてに立ちあってきたわけでもない。
「確かに存在した」のなら、それでいいじゃねえか、とも思う。

クロージング、か。
イベントの言葉はどうも好きになれそうもないな。

キャノンにまともに取り組むと、資料の精読とイチローさんとのやりとりだけで、例によって地獄のスケジュールになるのは間違いない。オリエン、プレゼンとつきあえば、月末は最初のヤマ場となる。

積水ハウスとGALAが同時に進行するわけだから、どのみちムリなのだ。

ほぼ3ヶ月ちかい夏休みも、
このあたりでピリオドとなるのか。



ま、しかたあるめえ。


余地が音立てて消えていくぞ。
こんなものか。
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愛惜。
《外伝2》をいま3回見直したところ。
今日、どうして六本木で街のノイズにやられたのか理解できた。

6月の末から聞いていた音を思いだしたから。
夕暮れのカナカナ、夜のカエル、革命へのオマージュを集めたピアノソロ、スタンゲッツ、サラ・ブライトマン、スラヴァ、トニー・スコット、フレディ・マーキュリー、雨の音、風のざわめき、雷、嵐、秋の虫…

とりわけくりかえし聴きつづけたのが8月12日に手に入れたピアノ・ソロ。そのなかの一曲《My Revolution》だった。盛夏から秋にかけて、この曲を数百回は聴いたのだ。
月光に重ね、夕日のジ・アース館に重ね、オフィスで過ごす多くの時間をリピートさせて過ごしてきた。いやまだ過ごし続けている。

《外伝2》では施工の点描シークエンスにこの曲をあてた。いちども居合わせることのなかった時間が、ここにある。雪の中での現場事務所開きから地鎮祭、基礎、施工と続く一連の乾いた記録写真が《My Revolution》とともに1分20秒にまとめられている。
ここにおれはいない。何があろうと万難はいして立ちあいたかった時間である。
ものがつくられていくことが、なぜこうもせつなく感じるのか、その意味をこの目で確かめておくべきだった。
そんな後悔も強い。

午前4時30分。
こういう仕上げを確かめるにはいささかきつい時刻ではあるが。
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なぶる。
匿えば敵と見なし殲滅するという。
経済制裁という名で進められる武器なき戦争。
ミルクを欲して泣く乳飲み子を制裁するためにはミルクを与えない。ミルクを買う金をやらない。これで即、アウト。
「正義」は数がまとまるとほんとに何でもありだな。たいしたものだ。

「よど号の妻」という人が今夜逮捕されたニュースを見た。旅券法違反だという。コペンハーゲンで昭和57年に北朝鮮の「工作員」と接触した後で旅券の返却命令に応じなかったからだそうだ。二年ほど前、国会でもとりあげられかけてうやむやになった橋本総理の中国人「美人」工作員との度重なる親密な接触というのはどうなったのかな。元総理は旅券を返したのだろうか。総理大臣の巨大印が押された旅券を閣下はどなたに返したのか。

アフガン一国攻め落とすために米国のネゴシエーションは見苦しすぎる。人口500人くらいの温泉町でほそぼそとしのぎを続けている3人くらいの構成員しかいないヤクザ組織を、5万人の組員がもてる武器のすべてを手にして攻めかかろうとするのは、きっと見ごたえのある戦いなのだろうな。

それにしても大リーグ、ほんきで再開かよ。アメリカもすげえもんだ。さすがメジャーだ。

ディズニーランドで好い歳した大人が夢見心地になれるだけのことはある。
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ER第六シリーズ第一話-第八話
ER第六シーズンの第一話から第八話までを見た。キャサリンの双子出産をピークに、ダグの不在によるストーリーラインの希薄さが解消されていくように思えた。
なかなかタダでは起きないね。

榊原さんのドクター・コーディの吹き替えがなければ英語版にしたいが、彼女のうまさはほんとうにきわだっている。
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外伝二、渡辺が宅配す
須賀川には郵送。他の関係者には渡辺が直接配達。これで、もうほんとうに終止符を打てそうに思う。
家に持ち帰り、朝までかけて7回見た。
こうすればよかったという思いがないでもないが、須賀川については、もうこれでよし。気も晴れた。
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ダイアナクラールのBesame Muchoを聴きながら
六本木から逃げ帰った。
いやうるせえ街だこと。
考えてみれば十何年通い詰めて、ほとんどスタジオからスタジオだもんな。

長岡おすすめのBesame Muchoをいま聴いている。
長岡は明日から十日間、秋の夏休みをとるらしい。どこへも行かずに静かに過ごすらしい。懸命である。おれはもう2ヶ月も夏休みを静かに過ごしているが、まだ社会に対応するのが難しい。
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六本木のイチローくん
六本木のイチロー氏から久しぶりの「ラブコール」。タイミングがいいので今夜六本木でお会いすることにした。
たまにはレイノにでも顔を出すかな。
お互いすこしは大人になったと思うので、前とは違う風が吹くでしょう。

IT関係の動向情報を知りたくて何人かの知りあいにメールを飛ばす。

大船だのみかな、やっぱり。
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コーヒー爆弾で撃沈
夜中にコーヒーをキーボードにこぼしてしまい、一切操作を受け付けなくなったため、マウスしか使えなかった。8時間経過後に試してもNGのままだったので、渡辺君にオフィスから届けてもらう。
これまで無数のタバコの灰襲撃とコーヒー爆弾の波状攻撃に遭遇しながらも、一年半にもわたって奮闘し続けてくれたキーボードである。ごめんな。
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ひとり祝杯をあげる。
夕方か今まで「外伝2」の仕上げに専念。
久しぶりに集中できた。まことに胸のすく一本となった。全体で12分弱。長さもほどよい。何よりも情熱が迸るようなものにできあがったことが嬉しい。

誰にでもない。
まず自分自身のこの夏に、今夜仕上げた一本を献上する。そして杯をかかげたい。

月の見えない新月の夜に、
極上の瞬間を迎えることができた。

関わったすべての人たちに深い感謝をささげつつ、仕事では絶対にありえないだけの時間と熱意を注いで完成にこぎつけてくれた渡辺サーカス青年にも1ダースの特製黒ゴマ酢を贈りたい。それは自分で買わせよう。

ああ、やったぞ。
またハードルをクリアした。


乾杯である。
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最初の反応。
午後3時。
9時間眠った。カゼのせいもあると思うが、まとまった時間を眠ったので、すこしホッとした。
ゆっくり食事をとり、目をさます。

「むじなの森」にちなんだ最初のリアクションがあった。我が栄誉として完結させるためには、「引く手あまた」となることを夢想した日があった。
今日の問い合わせが、その第一弾となることを願おう。先の長い話ではあるが。
それが目安だ。

これからオフィスに行き、外伝2をまとめる予定。
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回復と展望
クラッシュはなんとか昨土曜日深夜に回復。日曜一日はひたすらていねいにそっと動かしながら安定させることに没頭。
いままでになくスムーズに反応することを夜中までかけて確かめ、一安心。
最先端は、魅力的だが繊細なのでこんごは乱暴な扱い厳禁だな。

オフィスに戻り、外伝2のラストを構成。
できるたけシンプルにいくことにする。
前半の曲は使うポイントを前のブロックに移し、建築過程は半分にまとめ直すことになった。
厳しいチェックが入ったのである。
できれば明日にはアップさせ、各位に配布しておきたい。
閉幕まであと二週間。消えてしまう前に最後のビタミン剤を贈りたいので。
土曜日曜で10万人近く来場があったようだ。いよいよフィナーレだ。

むじな森の意味について、飯田橋の水辺のレストランで、今夜再確認した。
渡辺君が12日13日と霧の中で撮った夜景は、永く記憶されるものになるだろう。
おれもプロローグには魂を入れた。

いい秋を迎えられそうだ。
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クラッシュ。
クラッシュか。
原因、まったくわからず。
いまのところ打つ手なし。

なんの気配も感じることはなかった。
いきなり、のこと。
昨夜から、けっきょくほとんど眠れず。
体までクラッシュしそうである。

悪夢のようだ。
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葉山で三日月。二つ目ゲット。
渡辺から午前三時半に連絡。
横須賀で月の出を撮ろうとしたが曇っていたので葉山に移動してチャレンジしているらしい。
きれいな三日月が出たと。
こうして半年もすれば、かなり使える素材になりそうだ。
ただ深夜の三時過ぎに出る月まで撮ってこいとは言いにくい。

ERの新シリーズをレンタルビデオで見はじめた。第一話を見るかぎりではジョージ・クルーニーの不在はけっこう大きいようだ。
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Giovanni Mirabassiの《HASTA SIEMPRE》
外伝2のジ・アースができるまでのスチール記録約6分あまりはGiovanni Mirabassiの《HASTA SIEMPRE》と《MY REVORUTION》の2曲構成でいくことに決める。
雑談シーンをはさみ、夜景はSEオンリーで。
次に青柳さんのインタビューをはさんで、いっきに《夜霧のジ・アース》へなだれこみたい。
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ターバンとネクタイ
音を消してニュースを眺めてみる。

ネクタイ姿のブッシュというのはしかし貧相な顔をしている。対して何とかいうサウジ男は頭にターバンを巻き民族服を身にまとい颯爽と見える。

これはネクタイとターバンの差なのか。
どこに行ってもエアコンディショニングされた環境の中に身を置いて外気の状態とまったくおかまいなくスーツを着用しネクタイで首をしばる人と、テント1枚でノマド暮らしを辞さない生活スタイルの差なのか。
サザン朝ペルシャの末裔とインディアンをだまし水爆を後ろ手に世界警察を名乗る民主国家との差なのか。

単に個人の差なのか。


昔、ペルシャ絨毯の広告キャンペーンをてがけたことがあった。
一人の織り手が一生の間に十枚ていどの絨毯を織り、多くが失明して仕事を離れる、と聞いた。だからどうだというわけでもないが。


開拓時代、メイフラワー号で北米にたどりついたその末裔は、西へ西へと幌馬車で進みながら、原住民から二束三文で土地を掠め取っていまがある。


石油をめぐる利権の争いが、どこかで民主主義と正義を守る戦いへとすり替えられ、原爆を2発落とされた国はこぞってその傘下につこうとする。




悲惨で痛ましい事実を前に、そんなことはどうでもいいことかもしれないが、なんだかな。
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《バトルロイヤル》★
明け方、借りておいたレンタルビデオで深作の《バトルロイヤル》を見た。もともと出来不出来のはっきりした深作ではあるが、何よりどうしてこんなつまらねえ小説を映画にする気になったのか、そこが不思議でならない。
原作はたしかに話題になった。陳腐で底の浅いゲーム育ち特有の想像力が生み出した埒もない絵空事にも関わらず、何人かの体力のない批評家連中がころっといかれハイスコアをつけた。中学生を中心に火がついた。
まさか映画にするとは思わなかった。
三池あたりがてがけるなら、あるいは石井あたりが手を出すならわからないでもないが、本編として世に出すか、これを。
たけしはしかし、何を演じてもまったく同じだね。これだけ自分の作品でも他人の作品でも同じ種類の役づくりしかしないというのは、何なんだろう。使うほうは何を求めているのか。
それにしても不愉快な映画だった。
金とエネルギーをこんなことに消費して、どうして毎日、ベッドから起きられるのかわからねえ。
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夏カゼまたぶりかえす
湾岸の深夜の海風がこたえたか、
ついついONにしてしまう季節はずれのエアコンのせいか、なおりかけていたカゼがぶりかえしたようだ。

週末はダウンすることになるのか。
夏カゼはしつこいと誰かが言っていたが、まったくだ。
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緊急深夜試写会大成功!
急きょ、オフィスで深夜の試写を開催。
どのバージョンもバカ受け、大爆笑となった。
オフィスを蒲田に移して五年になるが、
これまででもっとも愉快な日となった。

福島泰樹歌集《遥かなる朋へ》をまとめて買ったのは小石川のオフィスの頃。
賢明さんが駆け落ちする少し前のこと。
一冊は賢明さんに、一冊は倉持さんに、一冊は今井さなえが持ち帰り、手元に二冊が残っていた。
あれから九年。二冊のうち一冊を新しい朋に渡す。福島さんも喜んでくれるだろう。
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アンちゃんとGiovanni Mirabassiの《JE CHANTE POUR PASSER LE TEMPS》
20%スローにし、Marvin GayeとDiana Rossのデュオ《PLEDGING MY LOVE》をあてる。

さらに《検証》用に1.5秒ずつのコマにしたものをつくった。こちらはGiovanni Mirabassiの《JE CHANTE POUR PASSER LE TEMPS》をあてた。

そこにジ・アースを設計したご本人の青柳さんから未来博訪問の絵コンテが届く。
タイトルは「アンちゃん」である。
どうもむじなの森関係者で故郷忘れがたしの想いに迷っているのはおれだけではないらしい。
秋はおもしれえな。
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判官いずこにありや。
五時のCXで木村太郎は湾岸戦争でブッシュ父が最後にバグダッドまで徹底的に攻撃しなかったことをブッシュ息子は教訓にしていると思います。あのときの躊躇がその後に禍根を残したのだ、というような世迷い言を真顔で語って見せた。魯鈍なのか聡明なのかいつまでも戸惑わさせてくれる安藤さんは納得したのかしていないのかわからないいつもの不思議な笑みを見せていた。
お台場のおにゃんこテレビだから別にこれでもいいんだろーけど…

パールハーバーはラブロマンスを残したようだが日本人は「卑劣で卑怯なイエロー」として収容所に送られたわけだよな。
広島と長崎の後で京都も東京も叩いとけばよかったのか。
ナパームで焼き尽くしてソンミでやり放題、そのあとでハノイにミサイルの1000発も打ち込んでおけばよかったか。
癒しに行くのにほどのいい国になったからあれでよかったのか。アジアンテイストな雑貨に満ちていてステキだものなベトナムは。
占領軍相手に「性の防波堤」募集して良家の子女ならぬ既得権益を汲々として守ったのはどこの都のことだったのか。

木村太郎と安藤ゆーこがおにゃんこ放送局でどんなニュースを垂れ流してもかまわねえけど、ちと調子に乗りすぎてないか。

いまさらフジサンケイグループにいちゃもんつける気もないが、出がけだけにくすぶりが後を引く。

国のくびきを越えたものたちを相手に、国家というのはどんな戦いを用意しようとしているのか。
犠牲のすさまじさに茫然とさせられながらも、民主主義連合対テロリスト集団という構図が臆面もなく語り続けられることに慄然とせざるを得ない。
いまどきどこに民主主義があるのかね。

すこしばかり調子に乗り過ぎてはいないだろうか。おれも世界も。

テロリストを革命派と置き換えると、何か見方は変化するのだろうか。テロ行為を戦争行為と置き換えてみると、どこかで何かが逆転することはあるのだろうか。
真珠湾というのはアメリカにとって悲劇で、その当時の日本にとってはどんな意味があったのだろうか。
もし第二次大戦が異なる着地をしていたら、この国の歴史観で真珠湾はどんな位置づけになっていたのだろうか。

テロだとして、テロはなぜ起きたのか。起きるのか。奇襲はなぜ選ばれたのか。

大なるものがある。小なるものがいる。
矛盾が発生したときは同じフィールドで同じルールの元でフェアに戦うべきなのか。
どこの世界の歴史をひもとくとそういう夢想が記されているのか。

総力をあげて叩くという。
総力をあげて支持せよという。
裸の世界王に盲目の奴隷がこぞってついていく。そんな時代じゃねえだろう。

判官をひいきにする国じゃなかったのか。
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1と30の間にある奈落
たとえばそのシーンは約12秒。
ビデオだから、コマなら30×12=360。

そのなかのわずか1秒前後の短い動きも、コマでチェックすると30前後の画像に分解できる。
一瞬の足の動き、指先の指す方向、手が向う先、眼の動き、全体の気配など、分析的に見ていくと、思いがけない《事実》というかコトの姿が現れてくる。

たとえば水を撮る。
流れる水はひとまとまりの流体にしか見えないのに、コマで見ていくと水の粒子が一瞬の間も休むことなくカタチを変容させ続けていることがわかる。
流れる水の表面は伸縮する無数の水の粒子たちがまるで永遠のダンスを踊っているように感じる。
焔もまた同じだ。

まさかと思った意味や意義が、一コマに分けてみることで見えてくる。
いや見えているように感じられてくる。

これは真実の破片なのか無意味の連なりなのか。おかしいが、すこし怖い。
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《PLEDGING MY LOVE》か《INCLUDE ME IN YOUR LIFE》
オフィスにて。雨が上がったせいかずいぶんと涼しい。
で、今朝から考えていた例の短いシーンに手を加えることに。
コマ送りで再生するとまったく別な意図を持つシーンが成立しそうなので、渡辺にレンダリングを頼む。出足をたとえば一秒でいき、ぶつかってからをその15倍あるいは2倍の時間に引き伸ばしてみることを想定している。
それとぶつかるまでをスローでいき、衝突後をコマ送りの2パターン。

音楽はアルゼンチンタンゴでいこうと決めていたが、オフィスまで歩く間に気が変わった。
Diana RossとMarvin Gayeの
《PLEDGING MY LOVE》か《INCLUDE ME IN YOUR LIFE》のどちらかあるいは両方のパターンを使うことにした。
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新種の心身症
このところほんとうにまとめて熟睡ができていない。
おれの年代には鬱病がけっこう多いらしく、その特徴のひとつにうまく眠れないというのがあるらしい。
そうか鬱病か、ストレスにやられたなんて、繊細そうでいいじゃねえか。などと思わぬでもなかったが、つづくとさすがに鬱陶しい。

しかし、きょうの湿気はすごい。
台風もつきあったし、水の惑星もそろそろフィナーレだし、そろそろ水気と遠ざかりたい気がする。乾いたさらさらした世界が恋しくなった。

熱いシャワーで目を覚まそうという心意気が見つからねえ。沈没しとくか、がんばってオフィスに行くか。

このところよくオフィスに行っている。
ついこの間まで年に一週間もいたことがないのに、この一ヶ月ほどほぼ毎日7-8時間は机の前に座っている。蒲田に移して5年になるが一ヶ月で5年分以上滞在しているか。
オフィスに滞在というのもおかしいが、ま、気分的にはそのままだ。
こういうのもある種の心身症か。
勤勉風な心身症というのは新種だろうか。
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わたしは鉄面皮な業界の者であるが
民放をザッピングしていると、さすがにこういうときのCMというのが致命的なまでに嫌悪感を醸成させることを思い知らされる。いまさらではあるが、広告業は、本質的にクズの仕事ではあることを、つくづく。
「CMをはさんで」という言い回しだけでも即刻やめたほうがいいのではないか。
何もことさら無神経ぶることもねえだろう。

ま、とってもポップではあるけどね。
ちよっと、ため息が深くなる。
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家庭用DVC、すでにここまで
http://www.m-circus.com/moon2.html
渡辺が昨晩、台風騒動のあとで撮った月に、適当なタンゴをあててみた。なかなかのものとなった。家庭用でここまでいけるなら、向こう半年くらいみっちり撮らせようと決めた。
ウエブ用として100%OKの画質である。
S-VHSにダウンして家のデッキで再生したが、べーカム以上の質感になっていた。
このことに非常に驚く。
画素数150万程度の家庭用DVCはすでにここまできているのだ。

左の《9月11日夜の月》をクリックでもOK。
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東京の月
昨夜というか今日の未明に渡辺が家庭用のソニーに望遠レンズをつけて撮った月を見せてもらった。
ほぼ150mm相当のレンズらしいが、台風一過の澄んだ空気のせすかおどろくほどクリアな映像だった。
珍しく星が数えられる夜ではあったが。

昨日の記念に残すことにする。
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プロローグは《Free Love》に決めた
プロローグをSEだけで行こうという話もあったが、手に入れたヒグラシのCD-ROMの音素材をあてたところもうひとつ足りない感じがあり、音楽を一曲つかうことにした。
冒頭のタイプ印字までをカナカナでいき、
夕日のジ・アースとシルエットからメッセージ、メインタイトル、七月七日グランドオープンまでのシークエンスに重ねてみる。
曲はフレディ・マーキュリー歌う
《Living on my own/生命の証》。

あててみるとなかなかキッチュでいい。

この後のスチール素材のドキュメント構成をノンモンとし、霧のジ・アースで《虹の彼方に》でエンド。そう考え、またあててみると、どうしてものっけは弾みすぎるよりも、どこか追憶のニュアンスが欲しくなった。いろいろ試して、《Living on my own/生命の証》は取りやめる。

《Free Love》にチェンジした。
これだけでけっこう引き込まれるのだ。
むじなの森、なかなか深いぞ。
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フレディ・マーキュリーの《Living on my own/生命の証》
日暮れ、オフィスに。Freddie Mercuryの《Exercises in free love》を繰り返しかけている。
さらに《Living on my own/生命の証》も。
外伝その二のラストソングはトニー・スコットの《虹の彼方に》と決まった。さてその他のもう一曲をどうするかだ。これも悪くねえよな。

しかし、フレディ・マーキュリーはなんとすっとぼけた表情をしているのか。ジャケットを手にするたびに苦笑が出る。
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いがらっぽさ
オフィスでロケ素材を簡単に整理。終わったのが深夜二時。というか終わらさせられたのがではあったが。
素材を家庭用のモニターで見るとどうしていつもマスモニよりも気持ちがいいのだろう。パッと見た瞬間のコントラストがストレートなのか。これはずいぶん前からのビクターのネットワークを使いだしたころからの感想。

久しぶりに撮影部でも収録分プレビューにつきあった。それほどあざやかな素材だったのだ。

あらためてオフィスでチェックして感じたのは、雲の形状がふだんとはまったく異なること。十七年ぶりに直撃した台風がつくりだした名残なのだろうが、どこか南の島にでもいかないとお目にかかれないような陰影があった。

フォトショップで静止画にしたもののコントラストなどをいじってみたが、倉持長岡コンビが調整したトーンが最適であることがよくわかった。レタッチソフトが活きるのはあくまで素材が劣る場合だけだなと納得。
しかしたまに使って思うのだがフォトショップのような安易なアプリケーションを気楽に使っていると、どんどんつまらない才能ばかりが育っていくように感じる。
なんでもできてしまうように錯覚できるというのは、まことに薄っぺらな世界だけが残っていくということにもなる。

デジタルの怖いところだ。


帰宅してさらに二回見た。文句なし。
そのあと朝八時まで例のニュースをザッピング。
テロというべきか、布告無き戦争というべきかわからないが、十数時間経過しても声明の発表が無いことが奇妙だった。情宣の必要がない戦いというのは、ひとむかしまえの終末思想の狂信派のようできな臭い。

誰がどういう角度で眺めても「言語道断」なできごとだと思いつつ、ふと南米で進行中のいくつかの米国絡みの戦争のカタチをとらない戦争、世界連合の名の元に一斉にミサイルをぶち込み続けた湾岸戦争、ベトナムのソンミ、日本に落ちた二つの原爆などの記事や映像がフラッシュする。

テロリズムと戦争の間に名詞の異なり以上にどれだけの差異がそんざいしているのだろうか。

いまさらな感想がふと頭をもたげるが、
興奮している周囲とさすがに肉声で語り合う気にもなれない。
横須賀が横手が沖縄が厳戒態勢に入ったという。あらためて戦後六十年近くなってなおまだ米軍が首都に国のあちこちに駐留し続けていることを知らされる。しかしついつい駐留なんて書くようになっちやったんだよなおれも。駐留だって。在日米軍。在日韓国人。だったらおれは在日日本人。
ま、おれの世代ではなんの思いも感想もほんとうのところないけど、かわぐちかいじ程度の韜晦もないが、しかし駐留ってなんだろう。この国はコインパーキングのようなものか。ボーダーレスだとなんでもありか。カネ以外にも何でも見境なしか。


どうしても参拝すると強行した我が国の総理は、どんな思いで靖国に行ったのか、深夜の首相官邸での緊急会見など見ながら、どうでもいいことに鎌首が反応しかけ、消えた。

第三次は見えないワールドウォーだったとすれば、これが顕在化した第四次世界大戦?
株価はついに一万円割れに。リンキングツギャザーなのだから、世界崩壊への序曲などと皮肉っている場合でもないけど。
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逆転大勝利。
あきらめて帰りかけたそのとき、それは起きた。
逆転大勝利。
さすがの湯治部撮影部である。
夏の満月につづき連戦連勝。

これでやっと帰還でてきた想いあり。

まだ誰も見たことのない《デジタルジャパネスク》。しずしずと歩みだしたぞ。
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ま、おもしろかった。
その後、銀座で追いついたが、ほんのわずかな時間でスイートタイムを逃がした。
台風は速度を増して一気に千葉に去っていった。
残念ではあったがまことにおもしろくわくわくする半日となった。
そのあと新富町の煉瓦亭でメンチカツ定食を久しぶりに。
隅田川と荒川の合流点近くに行き、増水した隅田川の川面を撮影。
多摩川が危険水域を越えたと聞き湾岸に乗ったが、雲が切れて富士山が見えたのでいったんお台場で降り、夕焼けのポイントを探す。いまいちなので再び湾岸に乗って四つ木へ。いまその四つ木のとあるビルの階上で夕日を撮っている。
雨に濡れたせいか、さすがに疲れた。
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横浜暴風圏
現在、横浜。
十分前に鎌倉に上陸したと発表あり。
横浜の最大瞬間風速は31.5m。
街路の枝が吹き飛び、道路は戦場のようである。

吹き飛ばされそうな勢いである。
デジタルHDの威力絶大だ。
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夢と知りせば
覚醒したくはない。

おれは空転し続けているのだろうか。
月末のクロージングをほんとうに見たいのか。
もう見るべきものも記憶すべきことも
ほんとうはすべて終わっているのではないのか。

迷いつづけることに、疲れた。
ここがおれの限界高度なのか。
努力ということばを受け入れきれそうもねえな。


明日の
暴風雨にどこまで向かえるか。
すべてはそれから。
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虹と台風。
台風15号が接近中というニュースと土曜日に5万人来場という二つのニュースで、思い立ち、須賀川へ。
夕方、着いたら虹がかかっていた。霧雨。
柳沼さんに頼んでVIPコースで見せてもらう。満席の最後列に座り三週間余りぶりに見るジ・アース。ま、こんなものだろう。

巨大な虹がかかっていた。
この夏二度目に見た虹。

今週半ばには50万人を突破とのこと。
ま、そういうことである。

帰京して、すぐ台風撮影のスタンバイをかける。都心+どこにするか。迷う。
明日早朝からの予定。
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頭をたれて膝を折りオフィスで過ごす
不安的中。

まいった。これからどうやってほころびを縫っていけばよいのか頭が痛い。
とうぶんはどこを向いてもひたすら頭をたれて膝おるのみである。
午後のオフィスは針のむしろのようで、プロローグはこれでいいかと聞く渡辺の声も遠い。

ああまたしばらくは閉門蟄居とせざるを得ないのか。こんどは一日というわけにもいかねえな。十日かひと月か。

また、雨だ。
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冷や汗と平伏
いろいろ反省しながら頭でもさっぱりさせようと髪を洗ったのはいいが、汗地獄となった。
外の気温をチェックすると30℃を越えている。きのうまでの涼しさが続いているとばかり思っていたのは、熱が引いていなかったせいなのか。
いやうっかりした。
あわててエアコンをオンにしたが
体の感覚が昨晩から狂いっぱなしである。

体調が悪いうえに反省などをせねばならぬのでとてもつらい。口を開けて炎天下のバカ犬のようにあえいでいる。

さてきょうはハードな土曜日になりそうだ。

飯を食ったらオフィスへ。
そして世界に向けて平伏する。
ひたすら平伏し、平安を願うことになる。

再生したおれはとても軟弱なのだ。
しかし汗がひかない。
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《青い鳥》最終章まで
気になることがあり眠れず、《青い鳥》最終章までを観た。
野沢の脚本はさておいて、カメラ、音響、選曲、編集、MAVどれをとっても完璧だと思う。最後の1カットまで、どこにも遊びなし。初見ではストーリーを追うことに気をとられすぎていたせいか、このディティルの仕事ぶりに気づけないでいた。
あらためてこのスタッフに敬意を表したい。
立ち上がって拍手を送りたい。

こういうのを観ると、捨てたもんじゃねえなと愉快になるよ。

いつのまにか体の熱っぽさも消えたように思う。 


それにしても野沢尚、お見事であります。
小説なんて書いてないでドラマに専念しようよ。
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飛ぶ鳥も
福島泰樹の短歌を唐突に思い浮かべた。



    《飛ぶ鳥も遠くの空に向かうゆえ一生一緒にいてくださいな》
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嬉しいメール
From: 鹿角 久美子
To: 益子 透
Subject: 行って参りました。
Date: Fri 7 Sep 2001 20:44:04

すごいです。感動しました!3Dの迫力そして、映像の美しいこと!
幸いお天気にも恵まれて、郡山はとても爽やかでした。小学生・中学生が
とても多い日で、引率の先生方のなんとタフな事。
だいたい30分ほどの待ち時間で館内に着席することができました。
壁いっぱいのスクリーンに圧倒され、両サイドからの霧にびっくり!
あれほどまでの3D映像は母も私も初めてで(当たり前か…)最初、少し戸惑い
もありましたが、もう、いきなり映像の世界に引き込まれて可愛いおちょぼ口の
魚の歓迎を受け、思わず、手を差し出してしまいました。(私だけではありませんで
した。。。)水滴のリアルなこと!とにかく全てが素晴らしく10分という時間が
あっという間でした。最後の雪が舞う時は本当なのか映像なのか最初わかりませんで
した。そして、「この赤ちゃんのシーンがそうだったのか。。。」などど、
思ったりして。本当に素晴らしかったです。
一回目は割とオトナが多かったのですが、二回目・三回目は小学生や子供が
多く、最初の魚に驚き、恐竜に恐がり(泣き出した子供も!)
120秒の進化の過程は本当にタイムスリップしたかのごとく、覗き見ている感じ
で、ぞくぞくしました!これだけの映像を作り上げるのにどれだけの時間が
かかっているか。どうやって作っていくのか。子供たちに話してあげる事ができた
ら、と思いました。一人のおじいさんは見終わって、「もう、終わりか・・・」
小学生の男の子は「すげ〜!どうやってつくんだ?」
これは、上映終った直後の耳に入ってきた、感想です。
ちなみに母は、「もう一回見たい!」でした。

岳温泉に宿をとっていたので、3時半に会場を出たのですが、その晩温泉につかりな
がら、母が「温泉も水なのよね・・・」と。
当たり前のことなのにあらためて感じ入ることの多い「水の惑星」でした。

パビリオンの前で母と写真をとりました。写真をお願した方がテックの方でした。
(お名前が思い出せなくって・・・)
後で、証拠写真を送ります!

素晴らしい秋の夏休みでした。親孝行もできました。ありがとうございました。
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カゼ、ダウン。
どうも本格的にカゼをひいたようだ。
六時過ぎにオフィスにたどりついたが呼吸が苦しい。マウナケアの山頂にいるようだ。
きょうの目標は外伝《ジ・アース》編のプロローグのイメージを決めること。これだけできれば今週の意味はあるはず。と、勝手に思い込む。さてやろうかと渡辺に告げると腹が空いたので飯を食べて来ると言い捨てていなくなってしまった。
ったく、冷たいやつばかりである。

しかたなくさめかけたコーヒーを飲みながら、昨夜仕入れた「虹の彼方に」をリピートしながら外伝・特別編を冒頭から見ている。
この須賀川からスタートした特別編はハマツで見た門外不出の一本である。
この一本と五日の月光編がおれの夏の夢の記録。
体調の落ちているときは絶好のビタミン剤である。

とはいえいつまで飯を食っておるのか。
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二つの森を巡る消息
水のアトリエで《森のひと》の完成セレモニーのときナタで丸太を削る彫刻家安藤さんの横でニュージーランドの原住民の楽器を演奏していた臼井さんから手紙とCDが届いた。
《森の物語》の柳沢プロデューサーの電話の直後に《森のひと》の演奏者からの音が届く。共通項はニュージーランドと森。
ま、追い風をとらえた、というところ。
《遠い記憶…》とタイトルされた臼井さんのディジェリドウの演奏を聴いていると、広大な大地に流れる通奏低音そのもののようだ。

《波動》の映像化という考えが浮かぶ。
デジタルジャパネスクの第一弾が唐突に見えた気がする。

ここらが六方の踏み所か。
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買い手あらわる
秋風にもあきはじめたところに買い手登場。

なつかしの柳沢プロデューサー。
《森の物語》でニュージーランドのアウポウリの森を旅した仲である。

退屈を聞いたわけでもないだろうが
むじなの森の長い夏休みが続いていただけに、
森の知人からの誘いというのは愉しい。
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《青い鳥》第八章「再会」まで
《青い鳥》の第五話-第八話までを観た。
初見のときも香織の身投げから6年を経ての第二部という構成に度肝を抜かれた記憶があったが、やはり斬新だった。
野沢の《恋人たち》の夫婦の解体のさせかたと、恋する人の遺体の指を切り取るという発想にも度肝を抜かれたが、このあたりの発想は日本のシナリオライターが100人束になってもぜったいに敵わない部分だと思う。
物語の起伏に対する悪魔のような冴えはどこからくるのか。あきれるばかりだ。
それにしても、北の岬で幕を閉じた物語の第二部を「南へ」とは、並の書き手なら間違いなく陳腐な展開が、野沢は第一部のラスト近くの短い平安の時間の中で春になったら南十字星の一部を見るために鹿児島の先に行こうと香織と詩織の母娘に向かって主人公に約束させることであざやかに切り抜ける。閉ざされていく何の希望もない冬越えを目前にした、いわば唯一の越冬の炭火として。
それにしてもカメラワークのすずやかな美しさはみごとの一語に尽きる。
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JIMMY SCOTTの《Over The Rainbow》は凄い
渡辺君がヴァージンで買い込んできた中の一枚にJIMMY SCOTTの《Over The Rainbow》があった。
銀座に向かう車内で聴いて、魂をわしづかみにされた。
こういう出会いがあるんだよな。
だから捨てたもんじゃない。
のぞめば、もういいかと思わなければ、出会うことがあるのだ。
JIMMY SCOTTそのものがおれには初体験。

あの日の虹に、これほどにつかわしい歌い方があるのか、と思った。

素晴らしい一曲を手に入れると同時に、
いくつかの記憶を修整でき、
さらに完全に欠落していた記憶をよみがえらせることもできた。
ジ・アースとは、まことに不思議な物語であることを、あらためて思い知る。

夜になって二回もヴァージンに走った渡辺君の戦功、大である。
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《SomeWhere》をもとめて
日暮れとともにオフィスに。


信州にでも行ってみるかと思ったが、
目が覚めてみれば昼を過ぎていた。窓を開け放していたのがまずかったか、体もだるい。パジャマのままで夕方まですごし、シャワーを浴びてオフィスへ。

ここもまたどこかの高原の夕のようだ。
吹き抜けていく風が涼しいというより、冷たい。
渡辺君が淹れてくれたバニラコーヒーを飲みながら「外伝ージ・アース編」を考える。
できるだけシンプルで美しい構成にしたい。建設記録ではなく、消えていく美しさをとどめるものにしたい。

Slavaの《Over The Rainbow》でいくことにし、オフィス中を探すが見当たらず、ヴァージンに走ってもらう。

メインをSlavaでいくとして、さらに《Over The Rainbow》で埋めていくのはどうかと考えた。バージョンを変えながらひとつの世界にする。
テーマは《Over The Rainbow》の歌詞にある例の《SomeWhere》。
あの儚い夢のような建造物にかかった開幕前日の虹の夕を冒頭にもってくる。

それからは地鎮祭などを皮切りにシンプルに立ち上がりの記録と関係者のインタビューを短くカットバック。

全体で十分前後でどうか。

《Over The Rainbow》の歌手違いを至急そろえてもらおうと渡辺君が再びヴァージンに走った。念のためカノンの演奏タイプ別も集めるように頼む。蒲田のヴァージンだけで揃えるのは難しいだろうが、手元に集まったものだけでつくってしまおうと思う。

信州への秋の旅に行きそこなったのだから
せめて何か匹敵する時間を過ごさないと、また夜が深くなる。
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体感《明覚寺》
001 9/06 08:52 myokakuji_com@eggtown ★駆込寺♪http://go.to/48

というログを見て、行ってみたらほんものの「明覚寺」のウエブページだった。
興味がないので戻ろうとすると警告が出た。79秒で帰ってしまうのか?と。
その仕掛けははじめて見た。ちよっと面白かったのでBBSにひとこと書き込んだ。

ゴスペルかロックンロールでもお経がわりに聞えてきそうなページだった。
ウエブというのはいろいろ深いなと、あらためて。
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《青い鳥》をひさしぶりに
《青い鳥》の第一話から第四話までを観た。
「清澄駅」のホームで別れを告げられた瞬間に娘をかき抱き列車に飛び乗る、故郷を捨て出奔するシーンまで。
続けて観てしまおうかとも考えたが、四話まで観ているうちに急に篠ノ井線に乗りたくなった。起きられたら明日、篠ノ井線に乗ってこようと思ったので、ここまででストップ。
このまえ観たのはレンタルのVHS。
DVDだと情感がまったく異なっていて驚かされる。デジベタのいいところがよく発揮されており、空気感が圧倒的だった。野沢のシナリオの圧巻ぶりにはあらためて脱帽だが、キャメラワークの冴えもすばらしい。
本腰を入れて取り組んだときのTBSのドラマクルーはやはり群を抜いている。

6年前の野沢の《恋人たち》をこの間から探しているが手に入らない。もういちど確かめたい気持ちが強い。

五話以降を観るために篠ノ井線に乗ることを考えたが、穂高にもしばらく行っていない。二、三日信州辺りに沈没してみるのも悪くない。
東京でこれだけ涼しいのだから、山はもうすっかり秋の気配なのだと思うと、なんだか惜しくなった。
東京で秋風と鈴虫にひたっているのがばからしくなった。
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あけがたまで
さてまだ12時をまわったばかり。
秋の夜はこれからだ。

《ダメな女》村上龍
《最悪のはじまり》レモニー・スニケット
《パイロットの妻》アニータ・シュリーヴ
《泣きたい気分》アンナ・ガヴァルダ

のどれかにかかるか、
野沢尚の《青い鳥》全11話DVD版を見はじめるか、
夜の公園に散歩に行き浮浪の人たちと秋の話でも愉しむか、

窓を開けていると吹きこむ風は、秋の盛りのようだ。虫の声も消えた。
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《波のうえの魔術師》は★★★★
《波のうえの魔術師》石田衣良著/文藝春秋社刊



コンゲームの主役の一人70歳の老人が主人公に向かって最後に語る言葉は
「きみが諦めなければ、明日も必ず世界のどこかで市場は開いている」。
25歳の主人公の独白体で綴られた物語のラスト2行は
「誰ものりこなせないほどおおきな波がくるといいと思った。
そのとき、おれはひとりで海に出るだろう」。
《池袋ウエストゲート・パーク》をものにした石田のつくる金融コンゲームはどこまでも凛々しく、たのしめた。
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長き夜にそなえて
予定が、ひとつ消えた。

あてもない夜を今夜はさてどうすごそうか。
これから一時間は暮れていく秋空を愉しむ。
それから晩飯を食う。今日は小学生のように規則正しい時間に三食をとることになるな。
それから、石田衣良の小説の残りを片づけるのに一時間。
そのあとをどうしのぐかだ。

公園に行って浮浪の人たちに混じり名残の月でも眺めるか、たまっているDVDを片端から観ることにするか。

分厚いキングにとりかかるか。

とりとめのない想いに身を任せて朝まで起きているか。

ひまだと選択肢が多すぎて、とても疲れる。
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Sarah Brightmanの《EN ARANJUEZ CON TU AMOR》
一時間ほど眠り、朝七時に目が覚めた。
ニュースを見、朝刊を読みながら朝食をとったら眠くなりベッドへ。
十一時まで眠る。起きてBSのマリナーズ戦を見ながら昼食。ソファで小説を読んでいるうちに寝込んでいた。途中気づいてベッドへ再び。三時半まで眠る。
カゼのせいなのかどうかとにかく眠い。
熱いシャワーでなんとか目を覚まし、サマーセーターをひっかけてオフィスに。
ほとんど夜の商売の人のようである。

来る途中、空を見上げると雲がいかにも秋のようだった。むじなの森にも秋はきているのか、などとふと思った。まだあそこの秋空を見たことがない。

オフィスに着くと例によってSarah Brightmanの《EN ARANJUEZ CON TU AMOR》をリピート。このところ儀式のようにまず十回ほど続けて聴いている。

オフィスのBBは結局、電話番号が変わらざるを得ないことがわかり、専用線を引くことになった。

ヤフーへの申し込みでは問題なしとの解答だったが、ソフトバンク、あんがいいい加減であることが判明。ま、そんなものか。
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嬬恋とあんまんと十六夜
腹が空いたので外へ。コンビニであんまんを見つけ公園で雲の間から顔を出した十六夜の月を眺めながら食った。涼しいというよりは寒いような風。なんとなく嬬恋という地名を思い浮かべた。夫と書いてつまとも読むなら夫恋もありかなどとわけのわからぬことを思いながらあんまんを食べ終わったが、まだ腹が満たされずカップヌードルを買いレジでお湯を注いでもらう。割りばしももらってまた公園に。この頃はすっかり公園暮らしが身についた。
これならどこの公園でも生きていけるぞと妙な自信も湧いている。

昼のあいだ、妙にささくれ立っていた気分はすっかり身を潜め、まことに晴れやかで穏やかな気分となった。

さてこれからの長い夜をどう過ごすか。
公園に戻って十六夜の月の行く末でも追ってみるか。バスタブに湯をためて群馬辺りの粉末温泉にでもつかってみるか。

ひさしぶりに《TANGO ARGENTINO》2枚組を引っ張り出して聴いている。
神楽坂のオフィスでよくかけていたやつだ。聴いているとパソコンやめてまた手書きに戻るかな、などとりとめもない思いが浮かぶ。

秋風にタンゴはよく似合う。


嬬恋か。
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《忘我のためいき》★★★★
シャワーではなくお湯をはってバスタブに40分。帰りに仕入れてきた小池真理子のエッセーを読了。どこかささくれ立った気分が解消していた。のんきなものである。
窓を開け火照りを冷ます。四階まで公園の鈴虫の鳴き声が聞えている。風は変わらず秋。気象庁の発表によれば今年の梅雨明けは七月一日だったとか。十日ほど前倒しになるらしい。むじな森の日々はしたがって盛夏のできごとだっのだ。さもありなん。


「忘我のためいき」小池真理子/講談社刊
二十四人の俳優が取り上げられているが、ジュリエット・ルイス、ジュリエット・ビノシュ、エマニュエル・ベアールの三人の女優についての視点がとても新鮮だった。恋愛小説に傾斜してからの小池を読まなくなったが、このエッセイを読むと、案外元手がかかっているのがわかる。
おみそれしました。


表紙の装画を珍しいことに山口はるみが描いている。《エヴァの匂い》の大ぶりのワイングラスごしのジャンヌ・モロー。
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ばかやろな夕暮れがめんどうである
熱いシャワーでも浴びれば萎えた気分もホットになるかと思ったが、シャワーの湯はさすがに体内には届かず。
ふ抜けなままでサンダルをつっかけオフィスに。数百メートル歩くのもかったるかった。
先週末のカゼがぬけていないのだと言い聞かせながら、なんとかたどりつく。
渡辺君に熱いコーヒーを淹れてもらい、飲みながら支払いのチェック。仕事せずに二ヶ月。請求なしの支払いだけが二ヶ月つづくと、さすがにのんびり構えた渡辺君の表情にも陰りが濃いな、とよく見れば無精ヒゲだった。人騒がせなヒゲ男である。
このままだと来月も支払いのみなので、おれは知らんよ、と告げると相手をしてくれなかった。冷たいものである。
で、渡辺君は銀行へ。

おれはひとりなすこともなく、音楽をかけ、聴くでもなく聴いている。

耳には入っても胸には届かない歌がきょうはひどくわずらわしい。消してみる。
開け放った窓からしのびこむどうということのない街のノイズが耐えられない。
まことに鬱病のような午後である。
片腹痛い気もするが、ブルーである。

おれのコトバを、おれのイマジネーションを、おれの野放図な大風呂敷を
誰か聴きたくは、欲しくはないのか。

ありあまる才能が受け口もなく垂れ流されてどぶの彼方に消えていくが、それでいいのか。
などと書いてみても心弾まず。



バカヤローな夕暮れがまたやってくる。
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時速1万キロで遠ざかる風景
話していて、むじなの森にもジ・アースにもすっかり興味が消えていることに気づかされた。

あれほど狂ったように求めたあの森の記憶が、昨夜はどこか古いアルバムを見せられているような思いが強かった。

夕方になると吹く涼しい風、朝の澄んだ空気、青い空と白い雲、夕日、月、カナカナ、カエル、夜の灯、深い闇…

六月の終りから二ヶ月あまりにかけて胸をはずませ恋い焦がれるように慕いつづけたむじなの森のあれもこれも、すべてが超スピードで遠ざかっていくロケットのようだ。

九月にはいって、親しい人たちがつぎつぎとジ・アースを観に行くと知らせてはくるが、こころはずむことがない。

どうしたらこんなに遠ざかれるのかと、胸の底まで探ってみるが、熱さのかけらすらみあたらず。
しょせんは仕事のひとつに過ぎなかったということなのか。いままでのようにMAVが終わった途端に狂おしいような高ぶりがすーっと溶けてしまい、一切忘れてしまうというサイクルが、すこしばかり長かったということだけなのか。

須賀川と書いても、何の感情も湧かず。
むじなの森と打ってみても、またしかり。


さっきまで明るかった東京の空は、いきなり黒い雲に覆われて、いまにも土砂降りになりそうな気配が満ちてきた。


まさか、こんな興ざめな終り方をするわけじゃねえだろうな。
いくらなんでもすこしは余韻を残して幕を閉じられると期待していたのに、このままでは新聞でフィナーレを知るほかにない。

福島、いつのまにか奥州である。
みちのおく、である。
せつなくないこともないが、
咳払いひとつでかき消えるような思いとなった。
意外ではあるが、これが秋。
水の惑星ジ・アースはどこまでも夏の祝祭だ。
滝も霧も雪も、夏の暑さと熱さがあってこその添え物。
涼しすぎる秋風には、どこまでも間抜けな代物にすぎない。

今日は、そんな想いが深い。
これは、不憫であると書くべきなのか。
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月下美人の名に惹かれて
ログをたどって月下美人の写真が21葉載っているページを見つけた。
名は知っていたが、見るのははじめて。
美しい白い花だった。
想像だが、さえざえとした月明かりをあびてこの白い花がひっそりと開花するのだとしたら、凄絶だ。
数時間で閉じてしまうらしい。
みごとな月明かりの夜に数時間の花見の宴など、してみたいものだ。
猛る心もいくらかは静まってくれるだろう。


福島泰樹の
《目を病みてひどくはかなき日の暮れをきみはましろき花のごとしよ》
をふと思い浮かべた。この白い花というのは和クチナシのようなものかと想像していたが、月下美人というのもあいそうだ。
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YANN TIERSENにふける。
三ヶ月ぶりに医者に行く。
大きな仕事がやっと終わったことを話し、礼を言った。雨。秋雨。

家に戻りYANN TIERSENを聴く。
ポスターズの時に偶然見つけたアルバムとどこか共通した印象があり、このところよく聴いている。
今日のようなしっとりとした雨の日には、どこかの裏町に流れている音を聴くようでにつかわしい。

渡辺君に携帯のチェンジを頼んだ。
きのう知人のをしみじみ眺めていて画面表示の視認性が格段とアップしていることに気づいた。502iNだった。同じものかその次の機種を頼んだ。すこしは通じやすくなってくれるだろうか。

未来博は昨日2日に35000人の来場者があったらしい。9月はかなりいくだろうとは聞いていたが、夏休み中よりも多いことにはおどろく。ジ・アースもすでに8月末で40万人を突破したとか。
二ヶ月に満たない言ってみれば単館ロードショーで40万人の観客というのは、けっこうすごいなと思う。
客足が一向に衰えていないことにも新鮮な思いがある。
もう三週間、顔を出していない。

きょうは夕方からオフィスに出る予定。
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今様浦島
二ヶ月余り、手に取っても読めなかった日経産業新聞をやっと読めるようになった。
記事のディテールをきちんと追いながら頭の中にスクラップできた。
ウェブでニュースを追っても、別に何の問題もなくジャンプできた。
少なくとも日常生活は取り戻せたようだ。
これで仕事相手とも会えるだろう。

そういえば四日前に久しぶりに横江とも会っていたのだ。

どこか浦島太郎のような気分でもある。

浦島物語と異なるのは、すべてが超リアルであったこと。いや、ありつづけていること。

これからはこの超リアルな世界と毎日のリアルワールドとをうまく折り合いをつけながらしのいでいけるだろう。

5時間、汗をかきながら熟睡。
熱いシャワーの後で窓を開けたら、晩秋のような風が入ってきた。

ゆっくりと腰をあげるのだ。
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《なぜ夏休みは終わってしまうのか》
8月の終りに読んだコラムをメーリングで送ったら、それぞれの身辺がかいま見えるような返信が続いた。意外でもあり、納得できる思いもあり。女の人の方が、より色合い濃い反応が多く、それが時代なのだなと実感。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
昨夜ぼんやりと夕刊を読んでいたら
ちよっと気になるコラムがあったので…

28日の朝日新聞夕刊2版の文化欄「永遠の宿題」に掲載。
書き手は大林宣彦。
タイトルは《なぜ夏休みは終わってしまうのか》
けっこう長いコラムなので冒頭と結語だけを引用しておきます。
お手元に本紙があればそちらをご覧いただきたい。





***************************************************************
『何かが終わっていくのは、さびしいしかなしい。
その哀切を感じる心は、人生歳(とし)を経るほどに増してくる
と考えられるが、じつはぼくはそうでもないのではないか、と思う。
子どもの頃の方が、もっとさびしかったし、もっとかなしかった…(略)』

『子どもはどんどん成長していく。
夏休みが終わって学校へ行くと、先生も、教室の机も、運動場も、
まるで見知らぬもののように小さくなっている。そこは未知の世界だ。
未知の世界に向かって一歩を踏み出すのは恐ろしい。
だから彼らは、いつも世界に向かって緊張している。
これが大人になれば、ひと夏の前も後もそんなに変わりはない。
さびしさやかなしさを忘れ、生きる意味さえも失っていく。
夏休みの終りを考えることは、だからこの人生において、
無くしてはならないものだと思う。
その哀切は、じつは来るべきあしたを創造する力なのだ。
さびしさやかなしさの向こうからこそ、新しい何かが、
生まれてくるのである。それは伝えるべきものの
大切さを学ぶからでもあるだろう』 以上原文のまま
***************************************************************





朝起きて窓を開けると秋風が吹いていたので、
昨夜読んだこのコラムをもういちど読んでみました。
ま、いろいろ思いもあるでしょうが、お伝えしたくなったので…

じつは昨夏に買って四日目までたどりついて挫折したゲームを
これから再開しようかなと思っている。
PSの《ぼくたちの夏休み》。こんどは最後までいけるだろうか。


よい秋を迎えてくださいね。


            2001.8.29  益子拝
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消息。
至福。
書いてみれば、そんな心境。
短い時間でいくつもの想いをたどり、巡らせてみれば、おだやかで満ち足りた気分に行き着けた。
何かの宗教体験のようなものなのか。
一時間あまりにすぎない。
哀しみや寂しさとは異なる種類の涙。
まかせていると、やがて疲れはて涙が止まり、笑みがこぼれる。
ただキーボードを叩いているだけの短い時間の中に、長い人生の消息が見えたように感じてしまう。
おとずれた時間は、まことに静かで平穏そのものの感覚。
酒もクスリもなしでまったくのナチュラルな状態で到達できたのだから、これを意識的にさらに短時間で、たとえば一分で再現できれば、すごいぞ、
などとなんだかバカな想いにとらわれた。

秋になるというのは、こういうことか。
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十三夜。もう迷いなし。
《むじなの森》と名付けられた忘れられない場所で
生涯でいちばん暑く熱い夏を過ごしておったので、
そこからどうやったら抜け出られるかを模索しているうちに
いつのまにか秋になってしまった。
虫の声を聞きながら思い至ったことがある。

それはむりに抜け出す必要がないということ。
処理しきれない体験なのだから、処理する必要はないのだということ。
身のうちに余地があるのだから、どこまでも応えていけばいいのだということ。

そう思ったとたんに、いまさら何を迷っておるのか、という天の声が聞えた。いや、聞えたということにした。

よって、今夜で修行はおしまい。
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