2008年10月の記事


楚の唄は、どんな哀切さをもつのかな
四面楚歌ではなく、湯治部と古河をのぞいた三面楚歌状態。24時間を越えて終わらず。熱の低さとF氏のなんでもありオーダーのむなしさに嫌気。さす。もうほんとうにやめようか。

ウィキより
韓信は自ら30万の兵を率いて10万ほどの楚軍と戦う。初めの内は楚軍が優勢だったが、徐々に漢軍が盛り返し、最後には楚軍が敗れた。 敗れた楚軍は防塁に篭り、漢軍はこれを幾重にも包囲した。夜、項羽は四方の漢の陣から故郷の楚の歌が聞こえてくるのを聞いて、「漢軍は既に楚を占領したのか、外の敵に楚の人間のなんと多いことか」と驚き嘆いた。この故事から周囲を敵に囲まれることを「四面楚歌」と言うようになった。
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3を一日遅れで
23時にメーリングに添付。4が先行。井口さんから曲想変更の知らせとmp3が送られてきた。撮影プランを書き上げてからiTunesで聴いた。OK。連絡し、これで明日からの編集を進めることに。5は今日昼に入手したと連絡。これでスタンバイOK。ま、うまくいくだろう。
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1と2はなんとか。
予定通りにめずらしく仕事ができた。編集台本2件、2時間ほど前にアップ。ほぼ満足。それなりの上りが見えた気がする。オリエンがあいまいで進行中に変更が続いて、さすがに降りようかと迷い始めたところで時間切れに。土曜昼下がりに渡辺とカフェでシミュレーションしメドがついた気分になったところで書き始めた。土曜夜に1本。ほっとしたのか日曜の昼には完全にやる気が失せていた。顔も洗わず、渡辺を呼び出し、1時間ぼやいた後、展開をふたたびシミュレーション。後は一気にゴールした。こういう崖っぷちの時間にプロダクションがいたためしがない。いても役に立つこともないのだが。クライアントが来ると代理店を差しやいてすり寄るのが目立つところがおかしいが。このごろよくイメージサイエンスのPM連中のことを思い出す。ものになる連中ははなっからどこか違っていたな、と。いずれにしても利根川越えの仕事にはまったく通用しないだろう。あそこは“情熱”むきだしだから。南会津南郷村で仕入れた花泉が1/3ほど残っていたので、冷やでひとり祝杯。なにに乾杯したのか、あいまいだったけど、ま、週末を無為にすごさずにすんだこと、を。か。
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メモ10.24-25
1.WH構成の整理→編集台本
2.円wipeシークエンスの整理→編集台本
3.flat/yukariの撮影プラン+シチュエーションイメージ→美術O氏/mailing
4.WHの♪プランは29日夜予定←I氏
5.多国籍People→25日リストアップ/入手or27日までに入手
6.flat/yukariロケは31日or7日
7.CO2off+ 11.14用→redit 11-12日
8.D改定は順延
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ゲリラ豪雨、初体験す
246を右折し東宮御所わ左に見てと思ったが雨しぶきで視認不能。10cmくらい冠水していたように思う。午後1時59分。打ち合せの後、11階から東宮御所を見下ろした。雨が上がった、その森はひっそりと静まり返っていた。話には聞いていたが、“ゲリラ豪雨”を体験したのははじめてのこと。あっというまに水が満ちていく。なんとも奇妙な今までにない暴力的な雨の勢いだった。
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ドミニカ餃子異聞
http://citrohan.sub.jp/be-eater/archives/000016.htmlから
車一台通れない路地にある。
餃子とアルコオルだけの店、店内に品書の類は一切ない。
高いとも安いとも聞く、旨いとも聞く、妖しいとも聞く、とにかく凄いのよと聞く。
地元古河の、予てから気をそそられていた一軒、餃子「ドミニカ」を訪ねた。
客は私達夫婦だけだった。民芸調の店内は、看板の後のように殺風景で、暗い。
引っ越しの直前、といった雰囲気だ。
店に入るなり「何人前?」と聞かれた。「二人前」。私は面食らったが、夫がさらっと答える。
このやりとりはこの店のセオリーと、人に聞いたのが咄嗟に役に立ったのだ。
「どうも。近所の人に旨いから行ってみなって言われたモンで」ますますナイスな挨拶である。
テーブルには水差しと冷タンふたつ。醤油と酢とラー油。
穴蔵の中みたいに静かだ、と微かに有線放送の音が聴こえる。
チャゲ&飛鳥の古い甘い曲が流れている。緊張して耳を傾けていないと掻き消えてしまいそうな、
静けさとの間の微妙なバランスを保った見事なボリュウム調整。老舗のバーもかくやと感心する。
厨房には業務用の縦型冷蔵庫がひとつ。ガステーブルがひとつ。
ステンレスが厨房の蛍光灯を冷たく反射している。
とうに定年を過ぎたと思われる御夫婦の、だんなさんが使う鉄板とへらのかち合う金属音、
おかみさんがばらばらと広げる新聞の日常音も、響く。
ややあって、餃子が運ばれてきた。
皮は厚めの小さめで、表面はたっぷりの油できっちり焼かれて香ばしい。
中はつるっ、もちっ、の歯ごたえで生地の香りもよく、あんもニンニクが効いてパンチがある。
見栄えのしない盛り付けではあるが、おいしい。
「皮は手作りなんですか?」と聞いてみた。おかみさんの顔は新聞の向こうで見えないが、
即座に「そーです」と、一本調子の答えが返ってきた。
一見で物珍しそうに質問を浴びせる客は、嫌われてもまあ仕方ないのだが、
ここで挫けてはBe-eaterの名折れだから、続けて質問する。
「ここって、何年くらいになるんですか?」
「ハア?」とおかみさんは新聞の壁から首を傾げて、声を高くした。慌てて聞き直す。
「こちらのお店は、何年くらい営業されているんですか?」
おかみさんは、「43年」と、事も無げに言った。
43年!私達は絶句した。御夫婦と街の年齢に応じて43年間変化し続けたと考えれば、
この店のあり方って、ひとつの完成形に限りなく近いのかもしれない、なんて思った。
此処は私達の知る最もミニマムな店と云えそうだ。
餃子を食べ終えた私達は間を置かず店を出た。
わずか15分程の滞席だったが、客は他に入って来なかった。
路地を出たところで振り返ると、闇夜に小さな灯りが浮かんでいた。
「一杯飲むのにいい店だね。今度はそうしよう」と夫が言った。
なんだかふわふわした不思議な心持ちだ。
口にニンニクの香りが残っていなければ夢と思ってしまいそう。
餃子二人前のお値段は、500円。
http://blog.goo.ne.jp/ns3082/e/d821441a95fe6ec8621f6a4b1e384670から引用
7月17日に「うまいギョーザの店がある。」というみゆき氏の引率で古河の「ドミニカ」というお店を訪ねた。
当初同行予定だった奥沢さんが館林まつりに息子が急遽出演するとかで不参加となりました。ギョーザ確定メンバーはみゆきカップル、みゆき氏の友人、石崎さん、私の5人。

この餃子ツアーに至るまでのみゆき氏とのやり取りは以下。

「日記(正月頃)を読み返していたら、みゆきちゃんから“古河にうまいギョーザの店がある。” “その店はギョーザとビールしかない。”“私はいつも必ず6皿は食べる。”という話を1月18日にお聞きしました。あれから半年。お暇なとき連れてってください。」というメールを送ってみた。
すぐに返信があった。
「了解しました。『ドミニカ』ツアーを組みましょう。ちなみにドミニカは店名です。FROM〓薗部。」という返答があり、17日夕に行われる幸手町でのとしえちゃんたち(セレ・シータス)のライブに合わせて実施の運びとなりました。

 目指す「ドミニカ」は、古河市内の住宅街の一角にありました。お店はいわゆる「餃子専門店」のイメージとはほど遠く、昔のスナックの建物をそのまま使った感じです。窓が少なく、入った瞬間は薄暗くて、油臭が鼻につきました。店までの道は、何度も細い道を右左折して一方通行もあったりで、覚えられませんでした。しかし、ギョーザは味も形もしっかり覚えてまいりました。焼きギョーザなのですが一度に5〜6人分を焼くのが功を奏してか、表面はカリッと狐色にで香ばしく、中身はふわっとジューシーでこれを熱々でいただくとビールがはかどること請け合いです。5人で15人前は平らげました。一度に焼いたギョーザは写真のようにお皿に丸く並びまるでスペインオムレツといった感じで見た目にもおいしそうです。
http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn007/dominika/dominika.htmlより引用
40年前、この店を借りて餃子屋を始めた時、前にこの建物が「パブ ドミニカ」という水商売の店で、屋号を変えるのに、お役所に届け出を出すのが面倒なので、そのまま、ドミニカの名前をひきついだそうだ。
高知の「エチオピア饅頭」ほど深い意味はないらしい(^_^;)
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Moliendo Café 社歌
http://jp.youtube.com/watch?v=P81bSZ9CztQ&feature=related
とか
http://jp.youtube.com/watch?v=LxrUkFQHYpg&feature=related
とか
http://jp.youtube.com/watch?v=RPhYqMrCmU8&feature=related
とか
http://jp.youtube.com/watch?v=bPSsx0EvWl0&feature=related
とか
http://jp.youtube.com/watch?v=BKXaCSXm-Us&feature=related
とか
http://jp.youtube.com/watch?v=3oBQO5K5oeI&feature=related
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月見ることもなくリターン
月の出をたのしみに、と書いて1時間過ぎ、東北道を北上しながら書いたメールの末尾は 
 > 不満であるなら、いつでも降ろしてほしい。
誰も着いていなかった。駐車場に車を止め、タバコに火をつけたところで渡辺に促された。西を見るとオレンジ色のくっきりとした太陽。雲一つない夕空に沈む寸前の夕日が燃えていた。着くまでにいったんは鎮まった気分が夕日を見ているうちに再燃。秋は狂おしいくらいに闘争気分にさせられるな、と苦笑。
突破あるのみといきたいが、突破する相手が不在。ま、漫画だな。
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古河リターン。下弦。弓張月。月の出 22時44分
夕べ、東北道を戻りながら月を見た。古河の帰り。これから再び古河へ。今夜は下弦。弓張月。月の出は夜10時半ごろ。この月を、さてどこで見あげることになるのか。古河、リターン。
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ワルツ上巻★★★★★
花村萬月著/角川書店刊
堪能。達者としか言いようがない。連載はとっくに終わっているのだから一気に出せば、なお上出来。それはともかく『私の庭 蝦夷地篇』の先をはやく読みたい。小説宝石で途中までは追いかけていたけども。

webニュースを眺めていたらWBCがほぼ星野で決まるだろう、と。間抜けなとはいいながら一気に付和雷同になだれ込んだバッシング騒ぎで安心していたら、いつのまに…どこから見てもこれほどうっとうしい嫌みな男もいないだろうに、ニッポンのスポーツ愛好者は、どっかへん。
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戦闘モードにチェンジ(*^O^*)
目覚ましを聞きながら二度寝。飛び起きて目が覚めないままにメモを書き始めた。残り時間30分。本質論に戻ってごまかした。シャワーを浴び服を着ながら衛星でレッドソックスをON。マツザカあっけらかんとホームランを打たれ、こりゃダメだと見切る。渡辺にピックアップしてもらい赤坂へ。途中、携帯でチェックしたら、さらにもう一本打たれ4回途中でノックアウトされたある。完全に頭から外し、今年のメジャーはもう終わりだなと切り替える。で、打ち合せ。大リーグも終わったので集中。うまい着地点をみつけ強引に着陸。展示チームを置き去りにホッとして外へ。蒲田に戻り、webを立ち上げたらレットソックスが追いつき、サヨナラ勝ちしていた。7回裏まで0-7。それから4-3-1。シナリオのないドラマとは、しかしよく言ったものだ。こんなストーリー書いたら、丸めてポイは、まず間違いなし。マツザカは微妙なところで生き残ったことになるのか。ふしぎな運の持ち主ではある。13日のオープンを終点とし今日から戦闘モードに切り替えた。約4週間。毎年、秋が深まると好戦的になっていく。三つ子の魂?いや17歳の、か。
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コーヒールンバから“別れのブルース”へ
秋が深まってきたので気分を換えたい。
http://jp.youtube.com/watch?v=pOUY7Twk5Ew
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谷川のビールのことなど。断腸。1015
地下に降りる前の習慣でスタジオのスケジュールプレートをふと眺めた。グミの名前が、あった。スタジオで聞いたら、小山が来ていたのだという。一昨日の吐竜のこともあり電話。小山が出た。いつもと変わらない口調で知らされた。一瞬、言葉を失った。ダイジョウブです、という声に、バカ野郎と返すしかなかった。近いうちに会うことを約束し切った。誰にも何も知らされていなかった。そしてみんな、知っていた。知っていておれに何ができたかといえば、なにもない。なにもないが、しかし、知らなかったことが、知らずに過ごしてしまっていたことが口惜しかった。腹立たしかった。誰に向かった怒りでもなく、苛立ちだけが濃くなっていった。会おうと言われ、うんと答えた。おれはなにをしてやれるのか。何年かして笑っていることができるのか。39歳になったと笑っていた。出会ったその日に他人とは思えなかった。弟のように感じていた。近すぎたその気分が、独立してからすぐに訪ねればよかったのに、またいつかと時間だけが過ぎていた。なんでもいい何か一本、はなむけに手伝うつもりだった。HD900の2回目の自主撮影をしたのは2002年だったか翌年だったか。吐竜の滝。小淵沢の里。アフガンのカレー。買い出しに行った元気甲斐弁当。きらめくような谷川の水しぶきのもとで食べた小山たちとの昼飯。あのときの素材を使おうと思う。まっとうにジャパネスクの仕事として解禁したいと、痛切に思う。ずいぶん見ていない小山の笑顔が、今夜はずっと浮かんだままだ。南天に、十七夜。しばらく見上げていたら首が痛くなった。いつか小山と湯治部で月を撮ってみたい。夜にはその撮りたての月を愛でながら、旨酒を酌み交わしてみたい。できることならこの命、換えてやりたいと、今夜は思う。バカやろの小山を抱きしめてやりたいと、しみじみ思う。おれはあいつと会えるのだろうか。あいつが会社を立ち上げたときにムリにでも一緒になってやればよかった。こうすれば、という無数のifが止むことがない。知りたくはなし。知るほかはなし。


2002.8.6のwebメモから

2002 08/06 20:26
温泉で汗を流した湯治部を待っていた
ジャパネスク暮色、ここにあり。
音楽は菱沼コレクションより
渥美清《遠くへ行きたい》を借用
撮影日時は2002年8月5日午後5時-午後6時30分
カメラ■SONY DHD-F900
カメラマン■倉持正美
VE■長岡茂樹
CA■有本竜
ストリップ版編集■渡辺登紀夫
なおストリップ版はHD収録素材をDVCにコンバート
DVCを素材としMacG4/Final Cut Pro3で編集
記念すべきスタートとなる第一回目のロケには
小山 欣紹 が参加したことを付け加えておく。
小山は我が同胞である。7年の歳月の後に
共に歩めることになったことをあらためて悦びたい。
再会と出発は、吐竜の身を切るように冷たい
谷川の水に沈めた缶ビールと
小淵沢駅まで買い出しに行った元気甲斐弁当で祝った。

佳きかな。佳きかな
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十四夜と十五夜を
見ることができた。七年が過ぎた。
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メモ10.11
・意味/位置づけ/役割
・主な内容と時間配分
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雲間の十三夜
荒編とエディットシートを終え、気分転換に近所のカフェクリエに。渡辺を呼び出し素材を渡し別れる。公園の周りを歩いていたら群雲に見え隠れする月に気づいた。ベンチに座りタバコを三本灰に。昨日の陽気とはうってかわって寒さを感じた。未来博のフィナーレを見届け通い慣れた夜の東北道を東京に向かって疾走した夜に途中で眺めた十三夜のことなど思い出す。あの夜も高空に雲隠れしながら冴え冴えと輝いていた。ポケットにiPodを入れていたので中島みゆきの「帰れない者たち」をリピート。この歌を聴きながら十三夜を見上げていたのは二年前の晩秋。奈良の地震実験撮影のさなか。歌というのは、しかしせつないものだな。
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気晴らし
一日中雨が降ったりやんだりでパッとしない天気だっけどひさしぶりの撮影はいい気晴らしになった。7時過ぎに東京駅丸の内北口オアゾ前でロケバスに乗り、8時少し前に蒲田で降ろしてもらった。寝不足ではあったけどいい一日だった。
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あらためて×3
プレゼン5時間!半分は仕切りの悪さで費えた。自分自身ではなく他人のプレゼンだから見えたこと。視野狭窄。なのだとあらためて知らされる。それと人柄の不出来さ。なぜダメになっていったのか、できの悪い舞台を袖で眺めているような気分で過ごした。ま、笑い話でもあるが…。
福島から通知あり。8通めの招待状。まだ、切れていないのだと、やるべきことがあるのだと、これまたあらためて知らされた想いあり。ワタナベによれば、初夏、盛夏、寒とすでに3シーズン確保していることになる。これもまたまたあらためて、か。
軸足を移す。そういう潮時なのだと、秋の夜長にあらためて。
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コッチ全50話★★★★★
DVDレンタル
一週間かかかった。最終話を観たのが今日未明。文句なしのおもしろさ。第50話の展開は見事という他ない。シーンが飛ぶごとに予測をきもちよく裏切られていった。「ありがとうございます」といい「コッチ」といい、韓流のユートピアの描き方はスゴイのひとこと。時間をつくれたときに丁寧に観ていく価値あり。
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