2000年11月の記事


オフィス2001でフォントがめちゃくちゃに
PB1999でオフィス2001をインストールしようとするとCDをきちんと起動できないのはなぜだろう。デスクトップのG3は問題なくできたのに。
しかたなしにイーサーネット経由でコピー。
ろくに読まずにインストールしたためかフォントをでたらめにされてしまった。

オフィス98のときもこんなことがあった。
過剰なばかりで、ほんとにつまらんソフトだ。
仕事でもらうデータの関係がなかったら入れることもないのだが。
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楽天市場のCM
深夜にテレビを見ていたら楽天市場のCMの新バージョンが流れていた。どこかで見た顔だなと思ったら鹿角久美子さんのようだった。
ビクターのビデオのCMもオンエア中だから、ビエナを合わせると確認しただけで3本。
電脳娘・なみちゃんのその後は順調のようである。
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ねぎしのカルビ+麦とろ定食、再び
ふと思い立ち、レンタカーを手配してもらい、新宿へ。この間ロケのときに食べた「ねぎし」のカルビ+麦とろ定食が猛烈に食いたくなった。渡辺とバカ話で盛り上がりながら一路新宿南口に。いややっぱりうまかった。あのおまけでついてくる牛タンスープのやさしさも相当なものだな。満足して外に出たら日没。すぐ前のパソコンショップをのぞき、vaioの新タイプなど見ながら、相変わらずのデザインの下手さに立腹。ソニーの工業デザインのツメの甘さを誰かきちんと指摘したほうがいいと思うな。それとウェブ放送OK
と称している超小型vaioだけど、あれならなぜパソコンではなくカメラとして売らないのか見当がつかない。あんな小さいキーボードで日付とタイトル以外に何を打つというのか。
などとお気楽なおしゃべりをしながらひとときすごし、クルマの中から新宿のネオンツアーをしつつ戻った。
冬のネオンは哀しいくらいにきれいだった。東京に暮らす良さを実感する数少ない時間だな。

ほんじつはそんなわけで
麦とろを食いネオンを眺めるためだけに
新宿までレンタカーを借りて行ったことになる。
なんと美しい消費促進活動であろうか。
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Kacis
寒い。
デジベタからコピーしたS-VHSが届いたのでチェック。
赤が強い気がしたが、ま、いい感じになっていた。ひと安心、

Kacisという電子文書のソフトの案内が来ていたが、
はたしてどの程度のものなのか。アイディアストームの延長だとすると、期待は薄いが。試してみるかどうか、渡辺に任せる。

フォトコンテストの応募、なんとか500件を越えたとのこと。
これもひと安心、というところ。

シャーウッドにかかる前に、髪でも切りに行ってこようと思う。
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28日の東京の空と冬のいわきの海
昨日のバカな徹夜のせいで、まだ調子が出ず、ぼーっとしたまま。
それにしても今日の東京の空はきれいだった。
朝、スポーツ紙を買いに行った8時頃は、雲のカタチがすごかったし、タバコを買いに出た昼頃は雲一つない青空。
撮影部が空いていれば、すぐにも撮りたい光であふれていた。

北海道は吹雪いているという。
東京も午後からはぐんぐん気温が下がっている。
いよいよ冬だな。

いわきの冬の海のロケハンが5日決まったと渡辺からメール。
1314あたりであるいは本番。
そうなれば20世紀ラストシュートは、
真冬の太平洋を空へと立ち上っていく水の粒子となる。それも悪くないな。
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榊原良子の声の感じをご確認したい方…
http://www.m-circus.com/sekisuihause/cm1_hinnsitu.html

ここに榊原良子のNAを使ったCM30秒、2タイプをアップロード。画質を落としたのでアナログでも約4分でダウンロードできます。
好きな人はどうぞ。

だめなときは左のLinksの一番下をクリック。
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榊原良子の語り口にうなった。
わがはいはER緊急救命室のドクターコーディーのファンである。
俳優のキャラクターが好みだ。
ドラマ上の人物像が気に入っている。
なにより日本語版の吹き替えの声のニュアンスに魅かれていた。
特に、オクターブ調子をあげた笑い声の出し方など、声質の良さに負けずとてもすぐれた印象を与える。
吹き替えの中では、群を抜いていると感じていた。

こんどのCMのナレーター候補をあげるときに、ERのドクターコーディーの吹き替えをしている人、とオーダーを出した。

榊原良子さんというその世界では高名な方だとそのときに知った。

きのう広尾のスタジオで彼女と仕事をした。想像していた以上に、上質な話し方をする人だった。
いや、グッときました。
その声に。その語り口に。

おもねらず、こびず、冷たくならす、ある年齢を経過したことを充分ににじませながら、ときに年齢を超えた華やぎを表現できる。
同性にも異性にも受け入れられながら、どこか毅然とした、しかしやわらかさを感じさせる声。
べた褒めだな、こりゃ。

これからいろいろご一緒させていただきたいと思った。
ほんとに嬉しかった。


惜しかったのは買ったばかりのERコレクターズBOX/DVD版を持っていってサインしてもらうのを忘れたことである。ざんねん。
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自壊したアウトビアンキは偉い!
26日午前10時にヴェルトに入り終わったのが27日午前8時30分。それから10時30分に広尾のrstudio入り。午後1時にアップ。
スタジオの前に停めておいたアウトビアンキついに壊れる。
JAFを呼ぶという渡辺を置き去りに帰宅。爆睡12時間。目覚めたら午前2時だった。

それにしてもだ。
ヴェルトがまともなオペレターを用意してくれてれば最大9時間もあればできた内容だ。
途中で割り込んできて、ほんの二三十分の仕事といいながら三時間かけて、
ロクな挨拶もせずに帰ったTYOの礼儀知らず
のバカヤローといい、ろくでもないことばかりの一昼夜だった。
なのにそれなりの仕上げになってしまうことが口惜しい。

CM屋というのはなぜかとてもシャイで上品に見える連中と、いかにも業界的でクズ丸出しの連中の2通りに別れているのはなぜだろう。後者にはいまだに「本編志向」が色濃く漂っていたりするのが恥ずかしい。


「てめえがやればいいじゃねえか」と啖呵切って帰ろうかと何度か思ったが、怒り押さえて黙々とすすめている山岡の背中を見ればそれもままならず、オフィスの維持費のことなども女々しく頭に浮かび、妥協して過ぎたツケがしっかり社用車に出たらしい。

もらったときから壊れかけていたアウトビアンキだが、そこはイタリアらしい能天気さでこの二年、酷使に耐えてくれた。
居住性能をここまで無視したクルマ造りということに感嘆しながら乗り回したが、ついにサーカス団の怒りの身代わりとなって壊れた。あれはきっと自らの意志で倒れたのだ。

rstudioでの録音中にも二度ほど放り出そうとした瞬間があったが、きっとあの時に自壊したのだと思う。たいしたやつである。
みあげたやつである。放置して帰ろうと思ったほど、感動した。

しかし、rstudioに降りていって
武田と堀本に笑顔で迎えられたときは
ホームグラウンドに帰ってきたようでホッとさせられた。
なんだか家猫になったような気分でもあった。

このところコトバの通じにくい世界で過ごすことが多かったせいか、そんなことが嬉しくなる。困ったものだ。

それにしてもアウトビアンキ。
スタイルだけは可愛かったのにな。

こんどは赤いブントの中古でも探そうか。
ブンドくずれの赤いブント。泣けてくるな。


実名を出したことに他意はありません。
ご不満、文句などありましたらいつでも
ご連絡ください。
実名が出ていなくても、これは自分のことだから文句を言いたいと思われたバカも同様。

すまんが、カラダをはって粉砕します。



数年間、社長の行方が知れず、心弱くなっておりましたが、先日めでたく連絡がとれ、いっきにヒートアップしちゃったのでね。
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後悔。
昨日10時からさっき午前8時までヴェルトで編集。しかしヴェルトはつくづくダメになったな。
途中で放り出そうかとも考えたが、
上がったリングなのでガマン。
つまらねえくだらねえ時間を過ごしすぎた。

これから広尾に行ってMAV。
さっさと終わって忘れたい。
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EDTVは★
「EDTV」DVD版を見る。
おもしろくなりかけるとしぼんでいく。
「トウルーマンショー」と比べると天と地。
ビデオに比べて映像のきれいなことだけが印象に残った。
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「水の惑星」の音楽についてのメモ
「水の惑星」の音楽についてのメール下書き


たとえば湯浅さんはこんなことを書いています。
「子どもは様々な物を叩いて音を楽しみ、
身の回りの音を口で模倣する。それが『音楽する契機になる』。
『音楽は、楽音だけでなくあらゆる音によってつくられるものだ』
という原則に心を開くことが必要である」
          -音楽の開かれた地平-湯浅譲二箸より

また、11月23日にぼくが聴きに行った
浜離宮朝日ホールで演奏された[新しい合唱団]による
[擬声語によるプロジェクション1979]のプログラムノートに
引用された発表当時(1979)の作曲ノートには
「4年ほど前から擬声語(オノマトペ)のみで声の曲を作ることを
考えていた。この曲は、その現実化を試みたものである。
私はこれまで、言語、なかんずく発声言語と音楽との間に、
新しい地平を見出す、いわばインター・メディア的視点での
作業を続けて来た」とも書いています。

[水の惑星 ジ・アース]のシナリオにかかるにあたって、
ぼくの頭の中には、ここでも書かれている「オノマトペ」による
音の世界へのこだわりがありました。
もちろんその時点では恥ずかしいことですが、
湯浅氏の取り組みについてはまったく不勉強で、
ぜんぜん知りませんでした。
ただ、人の肉声で、自然界のあらゆる音を構成したら
どうなるだろうという素朴な興味だったと言えます。
それが[1000voices]と名付けた合唱団の由来でもあります。

人は何かを前にしたとき、目にしたとき、
それだけでは実はあまり多くの情感を
引き起こすことはありません。
目の前のモノやコトを自分の中に取り込み
不確定なもしくは、はっきりとした言葉にとらえ直すことで
はじめて固有の体験や記憶となっていく。
だから万人に共通する同一のコトやモノというものは存在しない。
川の流れを百人の人間が目の前にしたとき、
正確には、百の川がそこに存在することになります。
でも居合わせた百人の人間は「流れる川」という
認識を持ち、そのことを声に出して身振りで伝えあい、
共感しあうことができます。

絵画も写真も映画は、せんじつめれば、
この百人にとっての百の川を、その中のただ一人の目によって
切り取り再構成し再びカタチにして提示するという
行為だと言えます。
つまり、個人による認識です。
作品の芸術的価値とは、この個人の認識に左右されることは
ご承知の通りです。映画は集団表現ですから、もちろん
ここでいう個人とはカメラマン一人のことではありません。
しかし、対象を切り取り再構成するという意味ではカメラマンの
感性と才能にすべてを委ねることにもなります。

自然の中に潜むさまざまな音の世界もまた同じことが言えます。
わたしたちはぼんやりと外にいるときには、ほとんどすべての音を
認識していないと言ってもよいと思います。
行動をうながす必要な音だけを、必要に応じて取り込んでは
捨てています。
それらの多種多様な音を「言葉」にしてはじめて、
わたしたちはその対象を記憶に残しても良いものとして認めます。
ここでいう「言葉」とは文字通りのコトバの場合もあれば、
ニュアンスとしての音=メロディの場合もあります。

冬から秋にかけて福島の各地の水景をたどりながら、
この豊かさを音の世界として再現するためには、
やはり擬態語/擬声語(オノマトペ)へのこだわりが不可欠であると
感じてきました。
たとえば、びっき沼の静かな水面の底には、湖岸の草むらには
無数の魚や虫や花や草が生きています。とらえられた3D映像に、
その気配はまったく現われることはありません。ただ水面が
風のそよぎにつれてさわさわと揺れるだけです。
しかしそこは「いのちたちのめくるめくようなざわめき」で
満ちています。カメラマンがとらえたのは実はそのざわめきです。
静かな気配におおわれた映像空間が、このざわめきを加えることで
いっきに濃密な「奇跡の空間」へと激変する。
そんなことを夢想していました。
そのざわめきは、即物的な自然音を重ねるだけでは成り立ちません。
なぜなら自然そのものにはいのちであることの認識が欠落してるから。

こうした思いを音場として表現し、
さらに壮大な一つの《音の世界》として構築してくれる
最適とも言える音楽家に、やっとたどりつくことができました。
そんな気がしています。

思い描いた世界は、
カメラマンとCG作家によって明らかなカタチを結ぼうとしています。
あとは湯浅譲二氏の解釈によって最後の息吹を与えられることで、
予想を超えた世界にたどり着けることを胸弾ませて願っています。
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フレンズフ2の第一話-第八話★★★★
レンタルVHSでフレンズフ2の第一話-第八話までを見た。各四話ずつの二巻だて。
あきれるほどのセリフ劇ぶりは変わらず。
この面白さはコトバの国ならではのもの。
劇団や芸大で芝居を勉強中の連中は、
たとえばこのテレビドラマを教材にすると、もう少し元気になるのではないか。
ファーストシリーズをDVDで買ったので、あらためて見直そうと思っている。
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エリン・ブロコビッチ★★
「エリン・ブロコビッチ」レンタル・VHS
実際の事件をベースにしたこの映画は映像の色彩感覚だけは破棄がなく、すぐれていた。実話であるという前提がなければどうということもなく見終わったように思う。
しかし、実話であることが意識にのぼった瞬間に、つまらないことにテクニックを弄したハリウッド的なイヤな部分が気になる。映画館で見ると不満が残るだろう。
二時間ではなく二十四週のテレビドラマとしてなら成功しただろう。
映画にリアリティを求めるのは時代錯誤だから。
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青い山脈?
月島のスタジオで積水ハウスのCM音楽録音。17:00-21:00。小林亜聖さんが昔つくった「積水ハウスの歌」を、家でつま弾いてる感じで3タイプ録音。高校1年生の女の子の声で「積水ハウス」の部分だけを軽めに歌ってもらいあわせてみる。どこかホッとさせられるイメージの音ができたと思う。
ここにERのコーディ医師の吹き替えをしている榊原良子さんのナレーションが入ると、これはなかなか味わいのある新世紀・青い山脈のような、ちょっとモダンでおおらかなCMとなるのではないか。

そんなふうに感じた。
あとは明後日の編集でどこまで遊んでみるか、だ。
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HDサンプルムービー
セリエAのライブ中継が始まる4時過ぎまで起きていようと映画を見ていたがあきたので、オフィスのHPをのぞいたら、渡辺君が18日の銀杏並木ロケの一部をサンプルムービーとしてアップロードしていたのでチェック。
約2MB、20秒の映像だったが自宅の56kモデムで8分足らずでダウンロードできた。

しかし、これはロケハンで使えるよなあ。
ちょっと驚いた。

わたなべ、偉い。

左のLinksの「東京落葉サンプルムービー」というのが、それである。
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サーカス団の社長、辻
から久しぶりの電話。
酔っていたが元気そうだった。

意地になって「ルポ」を使い続けているらしいが、パソコンも始めたようだ。
誰にも教えないんだ、と言いながらメールアドレスを教えてくれたが、出してみると案の定リターン。
電話で郵便局の電報係のように1文字ずつ確認し再送信。こんどは戻ってこないから無事についたか、あるいはまったく見知らぬ人の元にボトルメールとなったのか。

横江と日比野にもアドレスを知らせた。
届くといいが。

辻は当サーカス団の社長だが、数年会っていない。不思議な人物である。
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OK出しに大満足
渡辺君が18日のHDロケ素材を約50分にまとめたS-VHSをくれたのでスタンダードとワイドの両方で確認。

いやあ、いいなあデジタルHD。
ディティルだけでなくニュアンスがとてもよく出ていた。
光、自然、人、建物、夜…
すべて満足。

映像というのは「情報」なのだとつくづく思い知る。
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1000VOICESと湯浅譲二
湯浅譲二の「擬声語によるプロジェクション」を聴きに、浜離宮朝日ホールに。1000VOICESの発想はまだ生きているな、と思えた。
大ホールで体感してみたい。
銀座の山野楽器で湯浅さんのCDを揃えようと向ったが歩行者天国で動きが取れず、あきらめ六本木のTSPに。スターバックスで買ったコーヒーを持ち込み山岡さんを待ちながら、26日の編集の予習を渡辺君と。そのあと久しぶりに山岡さんと話し、帰宅。

交差点からロアビルに向う途中左側に「紅虎餃子」の店を発見。
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東京Live晩秋版HDアーカイブ
総勢十人のCGプレゼンつつがなく終了。
川田氏と桑田氏の三人で、
ほっとしたせいか帰りの新幹線では笑いが絶えず。
宮本総合プロデューサーと偶然。ちょっと疲れ気味のように見えた。
東京駅で別れ、渡辺君と合流し、オービジョンに。大場さんが来ていたので驚く。昨日の同窓会?の続きをしばし。
帰宅して18日の積水ハウスロケの整理。
嵐の間のぽっかりと晴れた秋空の一日の
銀座・新宿・神宮のHDアーカイブ第2弾。

http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?m=0key=131724un=7047

つながらないときは左のLinksの東京Live
秋2000.11.18をクリック。
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22日
11時のやまびこで福島。
夕方帰京してオービジョンで三菱のCMプランニング。

明日は冷え込むと予報で。
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ひさしぶりの三菱電機
三菱電機のBSデジタル用企業CMの件で久しぶりにアド・メルコに。
大場さん、オービィジョンの佐々木さんと久しぶりに顔を合わせ、打合せ。
「ある秋の夏休み」以来の組み合わせで、なんだかなつかしい同窓会に出席したような気分にひたれた。
三菱電機の第一作を手がけたのが12年前の1988年。あれが大場さんとの最初の仕事でもあった。
今日の、24日プレゼンというテンポではあるが、楽しい企画になりそうな予感あり。
ホームグラウンドの仕事ととも言えるか。
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薮の中なれど…
11日の須賀川松明あかしのラッシュ試写。
例年より大松明が短時間で燃え尽きてしまったことが誤算だったが、風変わりな焔の祝祭らしい迫力は出たように感じた。

あとは「音」しだい。

明日は、福島でCGの説明。

昨夜の嵐の影響であちこちで電車が止まったりしているらしい。

泰山鳴動して残ったのは嵐と、
意味不明の無力感。

ミレニアムらしいバカバカしさと言い捨てれば、それでいいのか。

田舎芝居とも、断腸の幕切れともとれるが、ある段階まで加藤と山崎は除名覚悟で賛成票を投じるように見えていた。
その直後の脱力した表情からはそう窺えた。

もとより加藤、山崎という叛旗をひるがえすにしては小粒な組み合わせだが、
あるいは風穴になりかけて、予定調和のようにしぼんだようにみえても、
「この風格では一国の総理足りえない」という憲政史上初見の根拠によって立ちノンを言っても良いのだ、と市民をその気にさせた意味はあったのではないか。

「自民党的に解決したよ」としたり顔でこたえた小泉純一郎の本質的なつまらなさが露呈しただけでもよかったのではないか。



昼を過ぎてぼけたような青空。
あれだけの嵐のあとにしては政局のようにつまらない空である。
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BEATLES1を4回聴いた
2回聴く間に終わるかと思った荒編集だが、
ファイナルカットプロはなかなかスグレモノで、あれもこれもできるのでつい遊んでしまい、CDを4回リピートしても終わらず、明日に残すことになった。

聴いていて気づいたのだが、
ビートルズの最初のメガヒットは「プリーズプリーズミー」だとばかり思っていたが「シーラブズユー」だった。
リアルタイムで聴いたときはまだ中学生。
いやはやなんとも。
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CM荒編集
渡辺君が爆睡のため本日の編集は午後5時あたりからとなりそう。昨夜の北風で一気に冬日となった。

30秒2タイプをファイナルカットプロで、約2時間でアップ予定。昨日の「ザ・ビートルズ1」を二回聴くあいだに終わらせたいと思う。
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『サイバーワールド』は必見。
大阪の試写で観た『サイバーワールド』が
12月2日から新宿高島屋のアイマックスシアターにかかる。これはかなり楽しめる3D。

以下はその宣伝コピーから。
詳細は左のLinksのアイマックスから。


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ようこそ!アイマックスが贈る、美と夢と感動の世界へ――。
2001年新世紀、アイマックスの大スクリーンを最初に飾るのは、CG版「ファンタジア/2000」ともいうべき超大作『サイバーワールド』。
世界最先端のテクノロジーを駆使して描きだされるCG映像のショーケース。全世界から集められた8つのエピソードは、ペットショップ・ボーイズの“リベレーション”、をはじめとする、「美」と「夢」をモティーフにした映像×音楽の万華鏡。
アイマックス史上空前のファンタジー・ワールドを3Dで体験してください。


■ 製作: スティーブ・ホーバン、ヒュー・マレー
■ 総監督: コリン・デイビーズ、イレイン・デスピンズ
■ ストーリー設定: ヒュー・マレー
■ 音楽: ハミー・マン
■ 提供: インテル
■ 配給: アイマックス ジャパン(株)
他シアターでの上映問い合わせ先:
TEL: 03-3234-8061 平日9:30-17:30
2000年製作/米国/45分/日本語吹き替え版
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獅子座流星群の流れた夜とHDロケ
IN10:00am
神宮外苑銀杏並木の落葉と行き交う人々。
落葉と戯れる仔犬。銀杏の落葉で遊ぶ親子。恋人たち。
インターバル/マインズタワーのスターバックスのカフェラテ
新宿中央公園のけやきの紅葉/逆光。白い花。水滴と雑草。
十年後の樹と都庁舎。鏡状のビルの壁面への映りこみ。
昼食/南口の「ねぎし」でタン塩+麦とろ定食。
モノレールと首都高と運河と八潮団地の見える歩道橋からのロング。
その逆側の迫り来るモノレールの超ワイド。
銀座、夜。ワーナーの液晶と行き交う人々。
ホットコーヒーとチョコ入りクロワッサンを路上で。
ミキモトのXmasディスプレイ。
四丁目、和光から三愛へのパノラマビュー。
和光のXmasディスプレイ。服部セイコーの時計台。
紅虎餃子銀座店で鉄鍋餃子と海鮮粥と青じそ炒飯。
六本木撮影部でポジ5点、イラスト6点。
OUT10:00pm

2000年11月18日快晴 夜になって北風が強まる。
夜空にこうこうと半月。獅子座流星群の流れた夜。
神宮、新宿、銀座でデジタルHDのライブラリーロケ第一回。
テーマは自然・人・都会をノーライトで、ぶじゲット。

撮影中に銀座で個人的にゲットしたもの。
山野楽器で長岡君推薦の[ザ・ビートルズ1]と、
衝動買いしたイツアーク・バールマンのヴァイオリン集[シネマ・セレナーデ]、
ヨーヨー・マの[プレイズ・ピアソラ]の三枚。

19日・日曜日は午後からメディアサーカスで荒編集予定。
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『アンドリュー』は★★★★★
『アンドリュー』をレンタルビデオで観る。
目覚めてしまったロボット『アンドリュー』の200年の『人』生を通して、
真っ正面から突きつけてくるのは《人間とは何か?》。
手塚治虫の『鉄腕アトム』で止まってしまったこの国の科学的世界観と、
彼の国の野放図なまでの《個》であることのこだわり。
差異を語っても虚しさがつのるばかりだ。
『オズの魔法使いの』ブリキ男から、
遥か『アンドリュー』までアメリカは来たのである。
想像力だけが、人を変え、そして救う。
晩秋の宵にふさわしい映画だった。
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キングの「スタンド」完全版ついに。
すごいらしいという噂を聴いてから十五年くらいになるか。完全無削除版が出たと聞いてからすら十年。ビデオ版を観たのが五年前。待たされた末に、本日めでたく完全版の日本語訳上巻を入手。
二段組で約800ページ。これが二巻だからな。アメリカはこんなものがベストセラーリストに入ってしまうわけだから、ま、いろんな意味で底力が違うよな。
下巻が12月中旬予定。
正月のイベントはこれで十分だ。
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タン・ドゥンの「新マタイ受難曲-永遠の水」
11.17に水の惑星MLに出した「感動と自戒」のコピー

「感動と自戒」
タン・ドゥンの「新マタイ受難曲-永遠の水」
/11.16 東京オペラシティコンサートホールについて

ヴァイオリンとチェロ、ソプラノとバリトン、三つのパーカッション、合唱団というきわめてシンプルな構成で演じられた
タン・ドゥンのマタイ受難曲は、アジアの才がヨーロッパをねじふせたようにも、みごとに溶け込ませたようにも感じられ、
いままでに一度も聴いたことのないマタイ受難曲を展開していました。
この試みはたぶん録音されたものの再生では、その卓越性を感じることは不可能ではないかとも思えました。
ひとり宗教だけが到達し構築しうる大伽藍=巨大な空虚という場所を得てはじめて成立しうる音のモニュメントであると感じます。
パイプオルガンを設置するために必然的に巨大な空間となった
東京オペラシティコンサートホールは、現代の大伽藍みたてとしては、なかなかの空間でした。

洗礼を象徴化するための「水」を使ったパーカッションは、
通常のコンサートと比べて意図的につくられた暗部と、
多用されている照明により、想像をはるかに越えた効果をあげていました。そのまま「水の惑星」の喜怒哀楽のシーンつなぎに使いたいと思えるほどに、ビジュアル的にもすぐれたものでした。

ラストの「水とキリストの復活」で、短い暗転の後、
十字架状に配置した水盤で演奏者達が洗礼の仕草を続ける場面は、
これまで観てきたどのコンサートともまったく異なった
震えるような臨場感を感じさせられました。

タン・ドゥンは、確かに偉才ですね。
一年前に井口氏から作曲家としてタン・ドゥンを推薦されたとき、
なぜこの凄さに気づけなかったのか、恥ずかしいです。
正直に言うと、家に帰ってあわてて去年買った三枚のCDを聴いたのですが、昨夜の感動はやはり感じられなかたった。板で再現される世界には昨夜感じたピュアさも凄みもないように思えました。
たぶんこれが自分の限界なのだな、と感じました。
映像の仕事は、各パートの専門家がいることではじめて成立するのだという原点をつい忘れてたように思います。
タン・ドゥンのマタイ受難曲に感動しながら、反省の多い夜になりました。


余談ですが、
11月23日午後2時30分から浜離宮朝日ホールの
「新しい合唱団第9回演奏会」で、
湯浅譲二氏の「擬声語によるプロジェクション」が曲目の一つとして合唱されるそうです。
この演奏会のレベルがどんなものかまったくわかりませんが、
聴いてみようと思ってます。
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やっと帰京
昼まで大阪でアイマックスの予告編を十本観て帰京。そのまま六本木のエクスマキナのオフィスに。フランスから昨日来日したCGスタッフと打合せ、外に出たら氷雨。
タクシーで帰宅。
いやほんとうにくたびれた。

スイスの惨事、福島のコーディネートを担当してもらっている高見沢さんの娘さんと猪苗代中学の同級生たちだった聞いた。
言葉がない。
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大阪でダウン]
昨日、大型映像フェスティバルに参加のため大阪に移動。夜半から明け方まで下痢に見舞われる。猛烈すぎてベッドにいるのかバスルームにいるのかわからず。読みかけの小説を読了できたのがせめてもだった。
結局、明けがた一時間ちよっと仮眠し、会場へ。大型映像を午前九時から午後六時過ぎまでびっしり9本観た。へとへとである。
ホテルに戻り、夜の大阪に食事をしに行くスタッフを見送ってコーヒーラウンジでサンドイッチと野菜スープをとり、部屋へ。
松明あかしのロケが成功し、気が抜けたかな。

年内の大型3D映画のロケはアップ。
これから積水ハウスのCMとビデオにかかる。
ま、今日明日くらいは小休止。

昨夜、渡辺君が松明あかしの撮影風景を
http://www.m-circus.com/theearth/rokefukei/taimatu/1111_taimatuakasi-01.html
にアップロード。
福島の須賀川で撮影したものを大阪の中の島でアップというのもご時世ではある。
たどれないときは左のLinksのいちばん下からどうぞ。
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焔。
二時半に帰宅。
火祭り撮影成功。
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火祭りまで七時間。
11:00am 小雨。ホテルで。
予報では夕方から晴れるはず。ま、なんとかなるだろう。
スタッフは8:00amに場所どりもあって現場へ。後発は電通テック高橋・佐藤両氏と、これから郡山に着く池田さん。イマジカの金子さんと渡辺の六人。牡丹園そばにうまいそば屋ありと佐藤君がすすめるので、そこで蕎麦を食ってから会場に入る。

いよいではある。
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須賀川松明あかし撮影前日の記録
http://www.m-circus.com/theearth/ex/gougai_taimatu.html

これでダメなら左のLinksから。
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大黒屋と雅叙園
九日、甲子温泉大黒屋旅館に宿泊。
長い階段をとことこ降りてさっそく湯船につかる。ぬるめだが豊かさを感じさせる湯だった。
のんびりと浸かり、身体を冷まそうと外に出て川べりのベンチに。外気五℃。さびい。長い長い階段を上がり、飯を食う。
たんのうしているところに相馬プロデューサーから呼び出しの電話。
相馬さん大興奮である。
しかしこちらは湯上がりで休みモードなので鷹揚そのもの。怒らないようになだめるなどいつもと攻守所を変えた応対となった。
なんだかんだと12時ごろまでやりとり。
一段落ついたところで休む。

朝飯を食い部屋でのんびりしていたら、
もう時間だからと布団係に退出を促される。金を払って昼過ぎまで寝ようと思ったが、チェックアウトしてもらい渓谷へ。
撮影予定だった森を見に行く。
落葉してはいたがやはりかなりの森である。

その森の向かい側にあったひなびた神社の桂の巨木がすごかった。樹高45m、太さ7mの桂である。この社の風情はかなりのもので、新緑の頃に撮影してみたい。

大黒屋だが今週の日曜日で今年の営業は停止だとか。なお再開は来年四月中旬あたりとか。

ぶ愛想な蒲団係のことは、まあゆるそう。
山の飯がうまく、全体のホスビタリテイもなかにかのものだったから。
湯治部推薦、続行。

なお、このメモは郡山のホテルで温泉旅館大賞を観ながら書いているが、久し振りに九州の雅叙園が出ていた。あいかわらずいい感じだった。女将が少し老けたかな、と感じた以外は相変わらずのサービスぶり。
湯治部三大推薦の温泉旅館は健在だった。
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その前夜
水の惑星メーリングリストへのレポート
須賀川松明あかし会場から



《屈服はいたしませぬ》
ここは奥州みちのく。
とある小さな小高い山に、突如立ちのぼる真っ赤な火の手。
火はたちまち燃え広がり、山全体が炎の海と化す。
やがて、魔物のような火の化身は晩秋の夜空を焦がし始める。
折しも、詰めかけた多くの群衆からは感嘆のどよめきがわき起こり、
と同時に割れるような拍手があたり一面にこだまする。
遠くから聞こえ来る哀愁をおびた太鼓の音色。
あまり例を見ないこの催しものの正体こそ、
日本三大火祭りのひとつ、福島県須賀川市に伝わる伝統行事
『松明あかし』なのである。
この奇祭の歴史が四百余年にも及ぶと知るとき、
何故にかくも長い年月を経ながら、今なお現存しうるのか、
そして松明あかしの原点とは何なのかという疑問がわいてくる。
落城の憂き目をみた須賀川二階堂氏の苦難を忍び、
時の犠牲者の霊を弔うために挙げられる『のろし』。
それが松明あかしなのだ、と聞いたところで、ではなぜ、
気の遠くなるような年月を『火』を絶やさずに来れたのか、
松明あかしの存続を可能にしているものは一体なんなのだろうという
更なる疑問がわいてくる。
伊達政宗の手にかかり、須賀川・二階堂氏が滅亡したのは今から
約四百年前の天正十七年(1589)十月二十六日のことである。
伊達方一万の軍勢に対し、二階堂軍勢二千五百で応戦するという、
『負け』を覚悟しての戦いであった。
にもかかわらず我が身を捨てて善戦。一時は優位にたったものの、
反撃むなしく敗れ去った。
『最後の戦い』との思いから、死闘を繰り広げた二階堂勢の戦いぶりは、
敵の大将・政宗を唸らせたという。
二階堂氏の結束の堅さ、そして時の女城主・大乗院に対する忠誠心に、
ひとかけらの偽りもなかったという所以であろうか」
         -『松明あかし』国分ヒサ著/歴史春秋社刊-

暮れなずむ須賀川の空を目の前にこのレポートを書いています。
ちょっと長かったけど須賀川市内の本屋で買った「松明あかし」の序文から。
現在十日午後四時。照明部、ライトのテスト準備中。
数十本並べられた松明の前で地元須賀川高校の応援部諸君が
明日に備えて声を張り上げてます。
その松明の彼方に秋の夕日が沈もうとしています。
町にも会場にも、明日の松明あかしへの期待が高まっているように感じます。
天下の伊達政宗に弓をひき、女だてらに一歩もひかなかった大乗院の心意気
「屈服は致しませぬ」にあやかって、明日の二十世紀最後の松明あかしが
みごとに須賀川の夜空を染めあげ、新世紀の迎え火となることを願いつつ。

P.S
演出部は昼過ぎに大松明が出立する二階堂神社に明日の晴天を祈願。
実行委員の経営する酒屋に立ちより「松明あかし」の絵馬十枚、
スタッフ差入れ用・特製地酒「松明あかし」などを入手。
これらの前準備の写真はのちほどWEBページにアップします。
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終わってみれば…
なんとか書けた。
いや長い袋小路だった。
考えてみれば「切り口」を望まれていたのに、渡された資料にこだわりすぎたのかもしれない。

実現できるかどうか、半年おそければクリアできるような仕掛けだが、今日現在ではやや困難かな…

自分で引き受けられればそのハードルを越えることもできそうな気もするが、時間的には完全NGだし…

ま、見せてもらった企画案とはまったく異なる切り口にできたからヨシとしよう。

依頼されて3週間。いや小骨がなかなかとれなかった。

これで明日は白河の奥。
大黒屋旅館の温泉につかれる。
まずはめでたい?
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LAの日比野へのメール
益子@日本


まだアメリカだよね。

こちらは午後6時過ぎ。
テレビの報道によれば大統領選スゴイことになっているね。

そういう瞬間にその現場にいるというのは冥利に尽きるじゃないか。いつかこの日のことを聞かせて欲しい。浅草の暮れ六つあたりで二十世紀最後の除夜の鐘でも聴きながら、どうだ。

同じ日の昼のニュースで
大阪に潜伏中の重信女史が逮捕されたニュース。
重信は顏を真っすぐ上げて親指を突き上げていた。
髪はショートになり、
明大の学館で風を切っていたころの面影はどこにもない。
でも彼女は何に向って親指を突き上げていたのかな。

単なる時代錯誤なのか。自らの四半世紀へのオマージュなのか、
ゲームオーバー、おつかれさま、ということなのか。

いずれにしても二十世紀が暮れていく。

東京はきょう春のように温かく、街にはTシャツ姿も。

しっかり楽しんで堪能してきてください。

いつまでたっても世の中は面白い事だらけだ。
退屈している暇はないね。


蛇足
夜のニュースでしたり顔の解説者が「あれは確信犯ですから」と語っていた。「確信犯」だとよ、久しぶりに聞かされたよこの言葉。
酔っぱらおうとドラッグで飛んでようとミニからはみ出した生足に心奪われようと、「できごころ」なんてあるわけねーだろう。
みんな「確信」して罪のボーダーを踏み出すんだよ。
確信無しで罪を犯して何か面白いのか?
ついだのできごころじゃ、スリルすら味わえまい。そうだろ?
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重信さんの髪の長さ。
大阪で捕まったと昼のニュースで。
17歳。高校生の頃を思い出す。
お茶の水、明大の学生会館。
赤い薄っぺらなヘルメットが転がっている
廃虚のような時代の坩堝。
長い真っ黒な髪をしたいつも元気な人だった。アラブのどこかでテントの中で砂塵とともに生きているのだと漠然と思っていたが…

オリアナ・ファラーチの肖像写真を「ひとりの男」のブックカバーで初めて見たとき、重信さんが年をとるとこんなふうになるのかなと想像したことがある。

極道の世界では女傑のことを「姐」と呼ぶとか。重信はあの頃の、時代そのものの「姐」の一人ではあったな。

田宮さんも北朝鮮で病死したというし、
ほんとに20世紀も終わる。
いささかセンチメンタルな午後となった。

東京11月8日正午、気温21℃
街でTシャツ姿を見かけた、箍の外れた晩秋。


しかし重信さんは何に向って誰に向ってどんな時代や思潮に対して、親指を上げたのか?
あるいは二十数年の自らの幻影へのはなむけか。

横江、賢明さん、どう思った?


おれはこれから資本の走狗として夜までを過ごす。書ければの話しだが。
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温泉逃亡者
三週間近く持ち歩いたイメージサイエンスの企画、ついにお手上げ状態になりそう。
この仕事をしてききて、依頼された企画に手を付けないままに終わるというはじめての不名誉な結果になりそうだ。
なんでだろう資料を3ページ以上読み進めることができない。
どこか針の穴ていどの美質を見つけ出せればと必死で読んでも、きっかり3ページまでいくと、そこまでの内容が欠落している。
単に共感するものが見つけられないだけなのか、対象となる企業がもうダメだということなのか。
困ったものである。いつまでも日本シリーズとアジアカップのせいにもしてられないし…
明日が勝負だな。
明後日は温泉だから…
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30分前にアップ
積水ハウスのCM2タイプとりあえずアップ。
30分前でぎりぎりセーフとなる。
シンプルでいい感じになったとは思うが…
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怒れベイスターズ諸君
ベイスターズの森監督が茶髪・長髪禁止令を出したとか。野球に関係ないから、というのがその理由。はやくも三浦はリーゼントをやめると言明したらしい。その理由が「リーゼントと野球は関係ないことに気づいたから」だって。
仮にも横浜。旭とと祐次郎が泣くぞ。波止場のマドロスが怒るぞ。
無国籍だけが取り柄のイケイケ軍団じゃねえか。
小役人上がりのような森に時代と世界を取り違えたようなこと言われて、いまさら良い子ぶってどうするんだ。
あんなスッポン強精剤の広告に出ているような恥知らずの慇懃無礼野郎は無視すりゃいいんだよ。
日米野球観ていて、出ていてわかるだろう。まだまだ日本は個性の表現が足りないじゃないの。
ベイスターズといえば港の★だろうが。
長野辺りの土臭え球団じゃないんだから、頼むから森なんかに負けないで茶髪でも腰まで届く長髪でも好きなように振る舞えよ。ピアスだって耳だけじゃなく鼻にもしちゃえよ。爪も七色にぬりたくれよ。いっそゲイにでもなってゲイスターズになってくれ。
なんでもいいから朝日新聞が一世紀かけてねじまげてきた「高校野球」から脱皮してくれ。来年は巳年だ。また皮かぶりなおしてどうするのか。
森はオリンピックやワールドカップを観たことはあるのだろうか。
怒れよべスターズ。おまえら浜の不良だろう。こんな陰湿な野麦峠の舎監くずれのようなやつにいいようにされるなよ。
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神の手のこと
発掘調査団長の「神の手」と呼ばれた人物のインチキ報道。魂消たことである。
日本はほんとに恥ずかしい国であるね。
役人、学者、市民…
ま、見てくれ通りの国ではある。
逆にワタシは愛おしいよ。不憫だもの。
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ERの布石のうまさに
ER5の第8巻を観る。
ミネソタ番外編、なかなかよかった。
それにしてもvol15冒頭のバス事故のシーンのカット割りには脱帽。緊急救命室という場面設定を徹底して活かしきったシナリオとシリーズとして数年間チームを組んだスタッフワークの勝利としかいいようがない。ありきたりのアクションシーンのつなぎがつまらない理由がよくわかる。そこに何の必然性もないからだ。感覚を支えるのはロジックである。ロジックを支えるのはパトスである。
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「チャイナ・ブルー」は★★
「チャイナ・ブルー」加治将一箸/光文社

三浦事件のヒントになったと言われているロスの冤罪事件の当事者でもあった著者だが、
波乱と万丈のロス時代の体験が色濃く活きているとも、ちょっと毛色が変わっただけの活劇だとも読める。
筆力はかなりのものでリーダビリティもかなりのものだが、小説としてのメリハリが弱いように思う。
リアリティと本人が想定している部分が逆にリアリティをなくしている、そんな堂々めぐりに陥っているのではないか。ただ、希有な資質があるように感じた。優れた編集者と組めば、その資質が開花していく、そんな才能のように感じた。不思議な読後感であった。しかし★★。
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大落葉の撮影状況
http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?m=0key=114440un=7047

NGのときは左のLINKSの「大落葉」から。
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ERのJ・クルーニーの去らせ方
ER第5シリーズの第7巻を観た。
ここまで14話を費やして主役の一人が降板するために錯綜した綾を織りなす、その力技に感心させられる。
視聴者をなめないというかなめられないというか、つくづく厚みの違いを見せつけられるな。
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アメリカン・ビューティ
「アメリカン・ビューティ」VHS/レンタル

ほんとうは劇場で観たかったが、やむを得ずビデオで。感想はひとこと。良い映画だった。こういう映画とタイタニックのような映画とを同時につくりあげる懐の深さは脱帽するばかりである。
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FAIL SAFE
CBSの生放送ドラマらしい。
これでどうして生放送なのか、ちょっとわかりかねたが、ひとつだけ感じたことがあった。
経済を勝利したいまのアメリカがどの程度自信を強くしているのかが、このドラマを見終わって実感した。
エピローグの踏み込みぶりに度肝を抜かれた。
「アリー」「ER」「フレンズ」とこのところ続けてアメリカのTVドラマを見てきたが、日比野の感想ではないが、日本はもう百年待っても追いつけないな、そんなふうに思った。

どんな理由を用意して納得しあったのか知らぬが、3日の銀座パレードで紙吹雪を禁じた一件に、公の無能さと、その公に追従し続けることになれきった民の覇気の無さにただあきれ果てるばかりである。

たかがと笑うなかれ、蟻の穴から堤防は決壊する。
もっとも堤防があればの話しだが。

知事の名刺を手折った役人は辞職願いを出したらしいが、あれは馘首すべきである。
しかしその県庁からおびただしい数の公選法違反による逮捕者が続出していることには安心させられた。大した役人達だもの。
役人の誰だったか「わたしら田舎もんですから難しい言い方されると…」と弁解していたが、公用語に英語をもってこようとかというご時世に日本語すら満足に理解できなくてどうするのかね。
まともに暮らしている者にはまず理解不能な用語ばかりを使っているから「しなやかに」とか言われてぽかんとするんだよ。
公用の文書、あれは日本語なのか?
抽象的すぎるとか言うけど、知事だの代表取締役だのが箸の上げ下ろしまで教えててどうするんだよ。
手前で「田舎者だから」とか言うやつは必ず上目遣いで、セクハラやり放題、飲んだら必ず無礼講、自前のカネは使わず…
確かにほんとの田舎者だからいやになる。
(ここでいう田舎者とは精神のあり方のことだから、勘違いしないように)

芝居っ気がなさすぎるというのは、どうにも野暮ったくて、うんざりするな。
東京も地方もさ。

ちなみに田中康夫くんは「野暮」ですけどね、おれ個人のモノサシでは。
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日比野からのメール
「この国の国境がますます堅固になりつつあるような気がしてならない。さみしくはないのだろうか?」
と書いたら、アメリカの日比野からいちばん速いメールが届いた。

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Date: Sat 4 Nov 2000 01:33:25 +0900
From: 日比野 研
To: mashiko@mars.dti.ne.jp
Subject: RE:歳末らしく
MIME-Version: 1.0

メール拝受。

さぼり気味などとおっしゃるが、貴兄の勉強ぶりには頭が下がります。

リストアップされたものの1割も読んでいません。恥じ入るばかりです。

しかし、明らかに、「この国」はご賢察のように衰退兆候にあると日々、実感できま
す。

愚民化、と喉元まで悪態がでてきます。そういうお前は?と問われると言葉を失うので
すが。

とはいえ、谷あれば山有り、と楽天的に思うようにしています。

今、大統領選挙の追い込み中のアメリカにいます。好景気を実感しています。世界は俺
達のもの!という自信があります。町はすっかりきれいになり、かってのすさんだ、凋
落気味のアメリカはすっかり影を潜めています。

「この国」は!というのは、なにやら年寄りの「憂国」気取りの様にも思えて、あまり
言いたくないはずだったんですけどね。

じゃ、また。


日比野 研(KEN HIBINO)

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馳星周の新作「雪月夜」は★
「雪月夜」馳星周箸/双葉社刊
「炸裂する暗黒小説問題作」と帯にコピー。ま、コピーだからいいけども…
しかし馳も最初の三作で終わった気がする。新宿の二部作と台湾舞台の一冊。
ほかはどれも縮小再生産である。
とりわけこの「雪月夜」。舞台は根室。
北海道弁だかなんだかもたもたした方言が鼻についてならない。なんだか「北の国から」の主人公達がいきなり不良になってしまった話しを読まされているようで腰が引けた。
哀れな出来だった。★
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別冊宝島用今年のミステリベスト6
●2000年ベスト6[海外篇]
1「神雕剣侠」金庸 徳間書店
2「骨の袋」スティーブン・キング 新潮社
3「囮弁護士」スコット・トゥロー 文藝春秋
4「子供の眼」リチヤード・ノース・パタースン 新潮社
5「フリーダムランド」リチャード・ブライス 文藝春秋
6「シグマの誓い」ロブ・キーン 早川書房
 
まずは愛。さらに愛。それなくしてこの世紀を越えることはできない。
金庸はその愛を波乱万丈の芯に据え、怒濤のように五感を刺激する。
キングもまた映像では絶対に実現できない、めくるめくような
フラッシュバックを駆使し、失われた対の愛を愛惜して見せる。
時代と文体は違っても、この二作からひしひしと伝わるのは
「愛におぼれたっていいじゃない」というそのひと言。そうでなくっちや。

●2000年ベスト6[国内篇]
1「希望の国のエクソダス」村上龍
2「GO」金城一紀 講談社
3「一瞬の光」白石一文 角川書店  
4「始祖鳥記」飯嶋和一 小学館
5「風転」 花村萬月 集英社
6「葬列」小川勝己 角川書店

もっともスリリングでミステリアスな一冊が「希望の国の…」。
作家だけに備わり許される錬金術のパワーを見せつけられた。
 翻訳ものと比べると、どの一冊をとっても日本がほんとうに
失速し失力しきっていることがよくわかる。小説はよくできた鏡だな、
そんなことを実感させられた一年。
 この国の国境がますます堅固になりつつあるような気がしてならない。
さみしくはないのだろうか?
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文化の日にちなんで…
水の惑星メーリングリストに載せたメール

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「文化の日にちなんで」 11/3 マシコ
11月1日雨阿武隈川源流ロケハンの折り、
打合せと昼食を兼ねて立ち寄った撮影予定現場近くの湯治宿大黒屋で、鈴木完周さんに「ここの温泉は一見の価値があるよ」とさそわれ、スリッパも履かずにすたこらと長い廊下を風呂に向ったマシコは、たどりついた風呂場のドアを開け、目が点になりました。
目の前1mほどのところに丸い巨大な尻が三つ、マシコに向って並んでいました。びっくりしてドアをしめ、完周さんに「あわわわ」と叫んでから、このままでは覗き男の汚名を着せられ、水の惑星撮影チームに甚大な迷惑をかけることになりかねないと、勇気を出して再びドアを開け、「あの、見せてもらってもいいですか?」と声をかけました。黄色いやや臈長けた女性達が「いいわよぉ」と合唱。こちらの質問は「撮影のために、ロケハンとして」といった気分が含まれていたのですが、それはコトバになっておらず、とすれば女性達の返事は「(のぞいても)いいわよぉ」という意味?
弁明するわけにもいかず、しかたなしに「湯加減はいかがですか」などと間の抜けた三助のような質問を発したところ「手ぇ入れてみてぇ」と返され、もうやけっぱちでしゃがみこみ手を入れたそのすぐ目の前に妙齢の女性達がほんのりと染まったもろ肌を惜しげもなくさらして笑っています。「いやほんとにいいお湯で」などといいながら、ふと目を上げると、いつの間に入っていったのか、女性達の後ろに照明の佐野さんがしゃがんで湯船に手を入れている姿が…。このままではとんでもないことになるかもと思い、元気で陽気な女性達の「はいっていけばあ」という声を背に、心を鬼にして礼を申し上げつつドアをしめました。山あいの、冬になると雪で閉鎖してしまうというひなびた湯治場で心温まりキモの冷えるひとときを過ごさせていただきました。いや、福島はほんとうに奥が深い。
そんなわけでマシコはとうぶんのあいだ県内で公の場には出られなくなりました。「あ、あの男!」なんて指さされたらヤダからね。

唐突ではありますが、おわびと感謝をこめて、
この大黒屋を湯治部(演出班)推薦の温泉宿とします。

甲子温泉/かしおんせん
所在地 福島県西郷村真船
泉質 硫酸塩泉
泉温 42
効能 皮膚病・胃腸病ほか
問合せ先 旅館大黒屋
0248-36-2301
交通  JR東北線白河駅よりバス40分さらに徒歩60分
    東北道白河ICより25km

大黒屋のHP
http://www.tpo21.com/hotel/daikokuya/index.html
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甲子温泉大黒屋
帰路、白河の阿武隈川源流をロケハン。
ピークは過ぎたが絶好の林を見つけた。
ブナ、カエデなどの配置が絶妙である。
5日に時間帯の再確認をしてもらい、
7日にスタッフを入れ8日に撮影を予定。
近くの甲子温泉大黒屋旅館に寄り、昼食のそばを食べながら段取りを打ち合わせる。
宿は秘湯を名乗るにふさわしい佇まいで、
温泉もきわめて良質。
初夏のロケハンの時に比べてずいぶんと趣が出ていた。冬も捨てがたい。

http://homepage1.nifty.com/gousyu/sub6.htm

http://www.tpo21.com/hotel/daikokuya/index.html

すごい霧の中を東京に向う。
いいいロケだった。
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落葉シーン撮影風景写真
http://www.m-circus.com/theearth/ex/gougai_kouyou.html

あるいは左のLinksページのmedia circusをクリックし、「水の惑星」の「号外NO10」を選べば、10.30-31中津川ロケの撮影風景が見られます。
ただし現地から送った号外なので詳しいキャプションはありません。
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一風呂あびて
雨。撮影中止し、朝食後帰京。
昨日一日だけが秋晴れだった。

一風呂あびて、凱旋。
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号外である
10月31日夜に「水の惑星」メーリングリストに送った撮影便りの前書き部分から。

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号外『待てば海路の…山路もあり』號 

10月31日 朝から秋晴れ。スタッフは午前六時半にホテルを出発。渓谷の「もみじ山」撮影ポイントでセッティング開始。
手のあいた順におなじみのコンビニお握りで腹ごしらえ。録音部は川上の音取材をすすめ、「もみじ山」班は、煙の具合などをチェック。午前九時、ホテルで衣装を着替えた出演者六人合流。「もみじ山」のリハーサル開始。
今年八十歳になる元磐梯町議会議長の佐藤一郎さんと猪苗代町町会議員の武藤勲さんが場を大いに盛り上げてくれている
うちに狙いの時間となる。煙の状態、風向き、落ち葉の三つの要素を同時に満たすためにテイクを重ねる。
もう一度だけチャレンジしたらカメラポジションを変えようと五度目のテイクの、そのときである。
神風が吹いた。渓谷の両側の斜面の木々の葉がいっせいに散り始めたのである。秋の美しい陽射しの中を、ともに
「もみじ山」を愉しむように、数えきれない枯れ葉が峡谷を漂った。広大な谷を埋め尽くすように乱舞していく枯れ葉。
もっと小さな規模での落葉を観たことはあったが、これだけの空間でいっせいに散っていく枯れ葉を体験したのは、
はじめてのことである。あまりの美しさに眼を点にした撮影監督と演出は同時に「もう一回」と叫んだ。
ロケハンとロケ本番を繰り返しながら延期を繰り返し、これが欲しいと願ったその光景をみごとにゲット。

杖を手に、首を横に振り続けた撮影監督が、はじめてこぼれるような笑顔になった。

長嶋が彩った二十世紀最後の秋が、新しい世紀に向けて美しく散っていくあで姿を、
映像チームがみごと手中におさめました。

大言壮語…してみるものであります。

この号外はその半日のドキュメントと、なすすべもなく過ぎた前日の記録である。
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