2004年07月の記事


《Dojo-道場》★★
永瀬隼介著/文芸春秋刊

この中途半端さがどこからくるのか。
《ポリスマン》でもしかしたらと思わせたが元の木阿弥。
ライター上がりの限界を壊せず。
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音楽資料
Ensemble Planeta
1.Romance
2.Aria
3.乙女の嘆き
4.エトワール
5.アンサンブル・プラネタ

The Eccentric Opera
1.PARADISO
2.Hymne

浜田真理子
「月の記憶」2002.11.9 at Bunkamura Theatre COCOON
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浜田真理子
を紹介するメールが角木さんから。
まったく知らなかったが
現在手に入りそうなものをすべてwebで発注。

1.浜田真理子「mariko live 〜こころうた〜2003.11.21 at GLORIA CHAPEL」
2.浜田真理子「Love Song」
3.浜田真理子「mariko live〜月の記憶〜」
4.浜田真理子「聖歌〜はじまりの日〜」
5.浜田真理子「あなたへ」
6.浜田真理子「mariko」
7.浜田真理子「純愛」

カナカナの鳴く森で麓まで大福を買いに行った
汗だくの快男児を思い浮かべたら
不見転で買うしかないだろう。
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35人のオーディション
は、さすがにくたびれた。

帰りに、渡辺とラーメンを食べ別れる。
これから台本にかかる。
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《約束の冬》上下巻★★
宮本輝著/文芸春秋社刊

下巻を新幹線で読了。
上巻の可能性がことごとく消失し
陳腐な新聞小説になっていた。
京都に着く5分前に終わった。
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熱暴走と三日月
こんな熱暴走の時期に
氷点下での撮影ということになってしまうこと自体
仕事の筋が悪くなっていることの証明なのだろう。
あれもこれも引き受けることを
ほんとうにもうピリオッドにしないと
ほんもののバカになりそうだ。

セッティングのために前乗りしている長岡から電話で
もう終わりそうだから奈良に向かわなくてもいいと報告があったので
そのまま京都駅前のホテルの部屋で沈没している。

撮影チームが戻ったら
雲行きを見て、嵐山辺りで三日月を撮るつもり。
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件名: [tojibu3:00680] 東京都心、史上最高の39.5度
件名: [tojibu3:00680] 東京都心、史上最高の39.5度
送信日時: 2004年 7月 20日 火曜日 3:27 PM
差出人: Toru Mashiko
返信先: tojibu3@sml-z1.infoseek.co.jp
宛先:

東京都心、史上最高の39.5度 千葉・市原では40度

関東地方は20日、高気圧に覆われて朝から気温が上昇、東京都心(大手町)で午後
0時58分に39.5度まで上がり、同地点の1923年以降の観測史上、最高記録
を更新した。これまでの最高は94年8月3日の39.1度。午後1時までには千葉
県市原市で40度を観測した。気象庁は、日中にかけてさらに気温が上昇するとみて
おり、記録的な厳しい暑さになりそうだ。アサヒコムより



丸の内の路面近くの気温は46℃を越えていたらしい。
にもかかわらずスーツにタイ姿のビジネスマンの群れが
新幹線シートの過半数を占めていた。
京都は35℃。これがラクだと感じるだけ
すでに脳とカラダがバカになっているのだろう。
バカの壁など、この国にはとっくにないのだと
しみじみ思います。

西表島でもボラボラ島でも
こんな陽射しの午後は
みんな木陰でヘラヘラしていたなあ。

いつのまにか
世界で38番目にしか好かれないということになってしまった
この国のこんな夏にほんとうでほんとうに働いていてもいーんだろうか。
ガッツ石松になる以外に、どうやって生きていけばよいのだろーか。
ちと不安である。


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空を飛ぶ蜘蛛を見たことがありますか?
という帯に魅かれ宮本輝の《約束の地》を読みはじめた。
いま上巻を読み終わったところ。
予想した通り「飛行蜘蛛」のことだった。
何年前だったか、偶然見たテレビのニュースで
その映像を見た。
秋のきらめきの中を透明な何本もの糸が空に向かって
飛んでいた。それは蜘蛛の旅立ちで、とても貴重な映像だと報じていた。

物語ではこの飛行蜘蛛が重要なキーになっている。
まだ上巻だが明日からの奈良ロケに下巻を持っていくことにする。
宮本はつまらない小説家なのに、震災以後の透明感は悪くない。
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ジ・アース状態
明日からのロケの打合せをしようと
近くのコーヒー店に、渡辺と。
帰りにアロマの前で
サラリーマンと派手なアロハとちょびヒゲの二人連れと
もつれる。
蒲田は物騒な町だから
控えめに生きていくよーに、と説諭し解放する。
保険屋がビルをつくってサラリーマンが増え
町は小奇麗になったが、そのぶん図々しいのが増えた気がする。
そのあと、紀伊国屋で仏頂面のマニュアルねーちゃんに説教しようとしたら
男の店員がかけつけてきてあっさり解決。
どーもこの夏は気候のせいで
よほど注意していないと
あちこちで小爆発を繰り返すことになりそうだ。
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自戒のため
照明かえるように人生も変えたいが。

at 2001 08/24 16:58 編集

午後からオフィス。
照明の工事。モニターへの蛍光灯の映り込みがきついのですべてスポットに変えることにした。まだ残暑がきつそうではあるが、明かりの色だけは一足先に秋になる。

工事のドリル音と例のピアノソロのCDとがセッションをしているようで、なかなかのにぎわいである。

仕事の動きは、来週あたりからとなりそうだ。さて耐えられるだろうか。週末の気分としては、まったくやる気なし。みごとなまでに仕事をしたいという意志も意欲も欠落している。どうしてあれほどひとときの中断もなく走ってこれたのか、あきもせずひたむきさを維持してこれたのか、奇妙ですらある。
その昔、資生堂を担当していた杉山登志が自殺したことを唐突に思いだした。杉山さんはピークのほんの少し先で死を選んだ。評価的には絶頂にあったがクリエイターとしては先が見えていたのだと思う。あの頃はつまらねえ死に方だなと鼻で笑っていたが、いまなら笑ってばかりもいられない。
天下の杉山さんと比べる気はいささかもないのだが、限界点には来たな、そんな思いが強いのだ。

おれの限界高度がいま現在だとしたら、
おれはさらに高みを望もうとしているのか、それはがんばれば行きつける場所であるのか、行きつきたいとほんとうに望んでいるのか、そのあたりが皆目不明。

この夏は、いろいろな意味で混迷の夏となった。これが正念場なのか。
いつもとはほんの少し異なる場所と異なる方法論に出会ったことからくるひとときの迷いなのか。
その見極めが、ひと月を経てもまだつかずにいる。
フリーランスの看板をあげているかぎり、これは完全に敗者である。
自分の中で何かが切れてしまい、あるいは尽きてしまい、なすすべもなくなったことを認める気になれずに、別な思いに逃げたのではないのか、そんな思いがある。
それが「むじなの森」と称していつまでも煮えきらずに引きずり続けた「水の惑星ジ・アース」の殿戦ではなかったのか。
むりやり意味を見つけ、強引に価値をつくりだし、見せかけの戦場を心のうちに構築することで、自分の限界を認識すべき時機を後送りにしてきただけではないのか。
あれもこれも、あの森で生起したすべてのことは、ただ己の弱さに、限界に向き合うことを避けるための方便ではなかったのか。

夜ふけの公園で、浮浪の人たちと並んでベンチに座りとりとめもないおしゃべりに興じながら、なんの違和も感じないことにおどろきもせず半月が過ぎていく。

試みたい方法が見えない。チャレンジしてみたい世界も見えない。昨日の続きに今日と明日をつなげるというコンティニューになんの信頼も愛も感じられない。
子をなさなかったことに因があるのだろうか。46億年の奇蹟の果てにいまがあるとしても、おれはその継続をまったく受け入れていないことにがく然とさせられる。
こんな思いにたどり着かされるために、あの二年あまりの仕事はあったのだろうか。
それとも水の惑星の仕事とはまったく関わりなしにこの限界は訪れていてそのことに気づかなかっただけなのか。


オフィスの照明をチェンジするように
おれの人生もチェンジできたらなどとバカげた思いもよぎっていく。

これが、負けるということなのか。
萎えるということなのか。



けっこうやばいところにまできているのだな、とあらためて実感する。
もう逃げていく場所もない。
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冬のソナタ、最後の二話を見た。
Ps
「冬のソナタ」最後の二話分、今朝、見終わりました。
予想していた3つのシナリオと重なった部分もあるけど
そのあたりはやすやすと上まわった
なんとも予想外の展開でした。
19話のユジンのモノローグ
最終話のチュンサンのモノローグ
この二つのシーンに「冬のソナタ」のすべてが表現されていた
そんな気がします。
作り手の志と演じ手の心意気
そして何よりもそれらを受け入れる「土壌」。
こんなものが成立してたら
半導体も液晶もプラズマも根こそぎ負けるだろうな、
と腑に落ちる。
日本ではもう「プロジェクトX」という昔話にしか残されていない
《一途な世界》が、韓流ドラマを見ていると
未来形で広がっていることがよくわかります。
週刊誌や夕刊紙の批評は、そういう意味ですべて的外れ。
《青い鳥》と《恋人たち》を書いた野沢尚が自死を選んだのは
もしかしたら韓流ドラマを見てしまったからではないのか、
そんなふうにも思えます。
ちなみに、ぼくは吹き替え版で最後まで見、
吹き替えが大成功している希有なケースだなと感じていますが
すべてを見終わってから、
いくつかのシーンを韓国語版で見たところ
ああ、これは韓国語版で最初から見直してもいいな、と感じました。
色彩が二段階くらい濃くなっていく印象があります。
秋が過ぎたら、韓国語版でもういちど見てみようと考えてます。
余談ですが、興奮したので
「秋の童話」「ホテリアーズ」の二つのシリーズの
DVDボックスも買込んだところです。
免震実験が終わった頃に、まとめて見ようと楽しみにしています。
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酔生夢死
その夢をふいに思い出し
笑い話として話した。
それにしても醒めてから
なおはっきりと覚えている夢を
ほんとうにひさしぶりに見た。
-5℃と36.5℃
つごう41.5℃という温度差のせいだろう。
なにしろ24時間
起きては眠り
眠っては起きるその繰り返しだったから
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綱を渡る
きわどい綱渡り状態であることが判明。
どうにもならないので
このままあるがままに進めることに決める。
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4組の家族の肖像と揺籃。
古河のウエルカムシアターのシノプシス「家族の肖像」と
東山魁夷「その、揺籃。」第三稿をアップ。
15日の八連荘ロケ最終日に現地でコアスタッフだけでキックオフと決まった。
正味2ヶ月。卒業制作としたい。

若草山七夕の宵を2つwebにアップ。
明後日、古河で原さんに渡す予定のDVDを焼いている。
あと一時間である。
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-5℃と36.5℃の「冬のソナタ」
奈良ロケの初日は-5℃と36℃の気温差に
ホテルに戻っても寒いのか暑いのか判別がつかなかった。
ぼーっとした頭のまま「冬のソナタ」のDVDをパワーブックで見はじめた。
氷点下のロケだからきっとよく合うだろうと思い3枚、
9話分を持ち込んでいた。
第4話から第7話まで見終わったら午後3時。
涙目でうるうるしながら眠った。

寝起きにやけに生々しい夢を見た。

翌日はロケが3時過ぎに終わったので
一息入れに若草山へ。山頂に向かう森で季節外れのヒグラシが鳴いていた。
糞だらけの山頂?で鹿たちがのんびりと夕食の草を食べているそばで
染まりはじめた夕空を撮影。摂氏36.5℃。
-5℃の実験中はまったく開かなかった毛穴が全開。
いっきに汗が噴き出した。
この八年ほどで数十回、奈良ロケに来ているが
夜の平城京いがいどこも行ったことがなかった。
つまりぺんぺん草しか見ていなかったので
七夕の夜の夏の気配を数時間味わえて嬉しかった。
若草山から見下ろした奈良の街並みは
低い家並とネオンの少なさがとても良かった。
止まってしまった時間ゆえの切ないような気韻。
薄闇に溶け込んで気にならなくなった鹿の糞を踏みながら
日没までをたのしむ。ヒグラシがずっと鳴いていた。

その夜は、残りの2話を見た。先が見たくて気が狂いそうだったが
昼の疲れに負けて眠った。

昨日、隙をみつけ続きを3話。
なんという展開なのか、となかばあきれながらも
涙はとどまることをしらない。

まいった。
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メモ
松岡正剛「花鳥風月の科学」中央公論社より抜粋

この本は花鳥風月を中心とした日本文化のなかの重要な十のテーマをとりあげ、それをいろいろな角度から照明をあててみようというものです。
それとともに、日本文化のなかのいくつかのイメージの起源と変遷を探り、そのイメージが分母と分子に分かれていく多様なプロセスを追いかける目的をもっています。また、花鳥風月にちなんだ科学的なイメージのアリバイについても、多少の応援団を繰り出します。
なぜこのようなことを試みるかというと、われわれ自身が日本の歴史文化がつくってきたイメージの発生現場がわからなくなっているように思われるからです。また、その使い方がわからない。そこで多少の筋道をつけてみたい。それが第一の理由です。
第二には、日本について、われわれは適切な言葉で説明する勇気を失ってしまっている。とくに海外に向けて卑屈になりすぎたり、居丈高になりすぎている。これは日本文化の特色を説明できるグローバルで鮮明な論理が極度に不足しているためだと思われます。
一方でグローバルなイメージが氾濫し、他方ではローカルなイメージが不足する。むろん、その逆のこともある。この調整はなんとも難儀なことなのですが、何かひとつながりの手がかりがあれば試みられないこと出もないような気がします。私は、その手がかりを「花鳥風月」という、いかにも日本的で一般的な言葉に求めてみたのです。


花鳥風月とは日本人のコミュニケーション様式のためのソフトプログラム、あるいはユーザーインターフェイスだったのではないか。いったい何のための花鳥風月のコミュニケーションで、何をあらわす花鳥風月のソフトウェアかというと、たいていは人々が「景気」を盛りあうためでした。
しかし、昨今は、「景気」という言葉がもっぱら経済用語としてしか通用しなくなっている。もともと景気という概念は山水画などでもつかわれていた用語です。
景気は自然や世間のうねりにも日々の生き方にも見え隠れしていた動詞であって、それを丹念に掬ってみるとき、花鳥風月のしくみが有効なプログラムとしてつかわれてきたわけでした。どうしたら景気を感じられるのか、それを工夫することが花鳥風月を重視する本質だったのです。

日本の社会制度や風俗文化あるいは言葉づかいに、海外の要素がどのように混入しているかという研究もむろん大事です。しかし、万葉集の言葉づかいに大陸半島からの影響を指摘できたとしても、それだけでは万葉社会文化の意味の説明にはならないように、海外要素指摘主義というのも、どうもしっくりしない。だいたい日本のみならず、どんな国の社会文化だって海外からの文物導入と影響をうまく生かしてきたのです。
観音菩薩は古代ペルシャの、万葉集は古代朝鮮「郷歌」の、初期修道院のしくみは東ゴート王国の、千夜一夜物語はインドの「パンチャタントラ」の、株式会社の前身コンパニアはイスラム経済システムの、マイセンの陶器は中国や九州の、新聞連載小説はトルコの、ピカソのキュビズムはアフリカの、アメリカの百貨店にティールームができたのは東京の百貨店の、それぞれ文化混入によって成立したのです。ゲーテにとってのドイツは、それ以前のプチ・フランス主義からの脱却を師のヘルダーや友のシラーとともに成しとげることでした。
そんなぐあいだから、いちいちお里を調べあうだけでは社会文化の本質は見えてはきません。とくに日本はコードを輸入してモードに編集するのがたくみな歴史をもってきたので、日本の問題はおおむね「氏より育ち」にあります。日本はいま国際的にさまざまな《問われる時代》というものを迎えていますが、それは必ずしも「氏=コード」が問われているのではなく、「育ち=モード」が問われているのです。
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魁夷と《夢》
東山魁夷案件、凸版GALAで打合せ。
週明けにすみ夫人に提出ということに。
作品編は現状でOKだが、揺籃編が1/4くらいカットしないと
完全にタイムオーバー。詰め込みすぎた分を刈り込むことになる。
使いたかったデータはほぼ入手可能らしい。
「音楽」の問題をどうするか。
奈良に行っている間に考えることに。

帰りに電通テックの池田さんと古河のプレゾーンの
映写装置について電話でやりとり。
川田さんから奈良のホテル宛てに図面をファックスで送ってもらうことに。
明日以降、図面を元に電話で相談することにした。

川田さんに聞いたら「グラスビジョン」あるいは「グラスモニター」と言うらしい。
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《朽ちた花びら》★
白川道著/小学館

《病葉流れて》の続編。
週刊ポスト連載にふさわしい駄作。
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減衰
二つを合わせ、8分版に作り直す。
HDからDVに落としたものなので
こいつをHDでつないでHDで見てみたい。
池の暗部はさらに際立つはずだ。

金曜日にアクタスコラボビデオをアップ。
音響チームの奮闘もあり、当初予定した世界に
すこし近づけたように思った。
が、たどりつくまでに時間がかかりすぎる。
こちらの熱が醒めた頃にカタチになっても
歓びは半減。
いつのまにか生じたズレが
予想外に大きくなってしまっていることを
あらためて知った気がする。

あれもこれも組み直すべき時季が来ているのか。
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