2006年01月の記事


距離
ロケハンから戻った渡辺を誘い、ラーメン屋に。ラフな報告を聞いているところにD2から電話。大阪からのリアクションの心配。つづいてAからも。こっちは明日の件も含めて。留守電に4件。オフィスの留守電に5件。ラーメンもそこそこにコールバック。出た後。あらためる。H.264の変換を待ちながら連絡を待つ。「ハッピーフライト」を観たかったが、すでに終わりかけていた。ちらっとWOWOWをつけたが、色彩とカメラワークがおしゃれで、損した気分。お気楽そうでいい感じなのに…連絡がつき、部屋に戻ってからということになった。気づいたら11時過ぎ。肝心の連絡を忘れていた。まあ、いいか。こうしてだんだん遠くなる…浪花より東京の方がずっと遠い気がする夜になった。距離はkmだけではかれねえんだよな。ったく。
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♪なんでもほしがるぅ
ひさしぶりにフルスロットルで飛ばす。途中、2回out。なんとか回復させ10分前にアップ。レンダリング待ち。その少し前に連絡。催促があったらしい。にしても、編集するということがまったくわかっていないのだろうな、と苦笑。スーパーがどう入るか気になっているとのこと。こっちが聞きてえよ、と言いたいところだが、時間がもったいないのでごみ箱へ。一昔前に流れたマツキヨのCMを思い出した。あの♪なんでもほしがるぅマミちゃんはぁ とかいうつまらねえやつ。それにしてもこんなに集中したのはずいぶんひさしぶりだ。うっとおしさはさておいて、爽快ではある。かな?
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…野となれ山となれ
数時間眠って、体を動かしたくなって目が覚め、起きた。夜の残りのコーヒーを飲みながらビスケットを3枚。部屋の中が妙にあたたかい。窓を開けてみる。この冬はじめて感じたやわらかい朝の空気が流れ込む。少し湿っていてどこか匂うような、ふくらみのある空気だ。この気配を感じると、例年、春だなと思う。体を動かしたくなるような感覚も、また記憶にあるものだった。めずらしくタバコを吸わず、そのままベッドに。二度寝。睡眠時間は足りているはずなのに、眠くて仕方がない。春だなと、また実感。朝昼兼食をすませ、朝刊をゆっくり読み、ファイザーの損害賠償記事にゲスさには際限のない社会になったもんだと感心し、タバコを買いに出た。春雨。傘を持っていったが濡れるのが気持ちよさそうなので、ささず。あたりの植物がいっせいに芽生えていきそうな空気。では荒編をはじめようとメールチェックしたら古河からきつい一通。D2Tは、それにしても「学習」しねえもんだな、とため息。この件については放置と決めた。話しても話してもキリがない。厭きた。西も東も、“潮時”近し。しょせんは“利”だけで結んだ関係にすぎず。野でも山にでもなっていけばいい。
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巨大投資銀行★★★★★
黒木亮著/ダイヤモンド社刊 上下巻
さすがに元国際金融マン、世界12カ国を徹底取材!!
と帯にうつだけあって読みであり。
なにがリアリティなのん判断する根拠がないにもかかわらず
そうとうリアルな気分にさせられた。
刺激的なパワーがあって、月並みな表現が多いわりに
ぐいぐい読まされた。
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めんどうくさい
三竦みというのか、どうか。手がすくみ足がすくみこころが萎えてどうしようもない。ここらでまとめてお開き、にしてもいいな、と、生暖かい夜風にあたりながら。
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前向きに…
まとめた内容をDVD に焼こうとしてトラブル。携帯用のHDにコピーしようとしたら30分の表示。27Gあれば無理もない、と渡辺に相談。HDまるごと持っていくことに。もう少し詰めてあると思ったと感想。時間的に完全にムリであることを淡々と説明しながら、この10年余りは何だったのか、と砂噛む気分をねじ伏せる。はやく切り上げないと啖呵が出そうで流す。パレスビル。ホテルの隣。7階。数十メートルの距離が気が遠くなるほどであるな、と胸の底で。一日の不足が、あちこちで綻びとなった。さすがに笑顔になれず。放り出す寸前までいっていた。苦笑するしかない。渡辺は明日早朝から神戸ロケハン。こちらは今日のブラッシュアップ。ラフにまとめるという約束が、いつのまにか荒編試写と台本提出にすり替わっていた。ま、そんなもんだろうと思いながら、一刻も早くDJにかからねばと、前向きに。
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Harry's Game。符合。
をmusicstoreのギフトで贈られた。
25日のプレビューの日のメモリアルとして。
夏から冬にかけClannadのTheme From Harry's Gameを
よく聴いて過ごした。
ここ5年、鎮まりたいときに聴きづけた
ヨーヨー・マの「グリーン・デスティニー~愛のテーマ」
のようにここ半年は「Theme From Harry's Game」を
聴いていた。不思議な符合だな、と思った。
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ひさしぶりにハワイコナ
あかりやさんに教えてもらった新入荷のハワイコナを買いに“やなか珈琲店”に。店に入ったのははじめて。とてもいい雰囲気で納得。品薄のせいかずいぶん高くなっていてブルーマウンテンNo.1とほぼ同じ。ローストしてもらっている間、コーヒーを2杯、もらった。途中、斜向かいの焼鳥屋に行き「トントロ」を塩で2本焼いてもらう。食べながらぶらついていたら“currybar”という看板が目に入った。営業は6時からとあったので豆を受け取り、もういちど店に。明かりがついていた。外でメニューを見ていたらドアが開いてママが顔を出した。誘われて、中に。石焼きcurryというのを注文。カレーにあうというカクテルも一杯。ニンニク焼きも一皿。途中で自家製だという、抹茶とミントを合わせた冷たい飲み物を出してくれた。カレーの辛みが中和され、食がすすんだ。たいして辛くもなかったのに食べ終わる前に額に細かい汗がびっしり。真冬に食べる熱帯の食い物、というのもなかなか。店内にはかなりのボリュームでレゲエが流れていた。

昨日の夜中まで曜日を一日ズレて過ごしていた。今日が日曜ではなく土曜日だと錯覚していたのだ。たぶん一週間以上前からずれたままであちこち動き打合せしスケジュール調整などに反応していた。一日は完全オフにするつもりだったからかなり焦ったが、あきらめる。休んだことにしようと決めた。間にあおうとあわなかろうと、べつにどっちでもいい。それほどしゃかりきになって根詰めていくようななかみでもない、と、決めてしまうと肩のこわばりもラクになった。

ハワイコナ、ローストをまちがえたかな。
想像していたより、やや平板。
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1.28memo
utsunomiya案件 2.10プレゼン
1.50inch×3台 約20人 2ルーム
2.モール 未来
3.フローチャート マルチモニター 廊下/エレベーター/ルーム

S・scape案件 随時 
1.ソフト展開プラン バージョンアップ
2.スピーカー最終プラン
3.シアター5.1

sora_family案件
オーディション
「挨拶」との整合性
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西は鬼門。東は招福
大宮に着く前にアウト。けっきょく無抵抗となった。負け。

快晴だが風は冷たく、さすが北関東。手袋無しの手が泣きたくなるほど冷たかった。1時30分から4時間くらい。途中10分の休憩をはさんだ。生の声をあそこまで聴けることはないので、とても新鮮で眼からウロコも多かった。その後で1時間、近くのホテルの喫茶室で今後のすり合わせを古河メンバーと電通テックメンバーで。駅まで歩き、改札前で別れる。川田、相馬、渡辺たちと駅ビルのギョーザ店に。いちばん混んでいる店を選び、525円のギョーザライスを注文。4タイプのギョーザだったのでシェアして食べた。背と腹が急接近だったので感動的にうまかった。腹を空かしていると、しかし何を食べてもしみじみうまい。うまそうなクッキー店があったのでそいつもピックアップ。なぜか4タイプの味。車内でこれもシェア。大宮で二人は降りた。1時間も寝ていなかったので眠くて仕方なかったけど、気の晴れるいいワーキングvol1となった。西は鬼門。東は招福。まずはめでたい。
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秘すれば、花。 か。
金曜で48時間。土曜で72時間。日曜までいけば96時間。そこまでいければすでにフェードアウト。なんとか越えてしまいたい。Rの悲鳴のような訴えを背に、ここで戻るしかねえよな、と奥歯を噛んだ。4年余りとはいえ、おれにはすべてでもあったのだ。踏みとどまり、手をのばし、詫びる。あとは、黙る。筋を通すしか、道はない。秘して、春。
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ギョーザ道
これから風呂に入り髭を剃り、ひと眠り。
起きたら宇都宮へ。古河、大阪、宇都宮…
なんだかクスリの行商のような気もするが。
ま、ギョーザでも楽しみに行ってくる。

宣伝してるほど美味くないのが
宇都宮ギョーザの玉にキズだが。

トッパンに昔連れていってもらった
神社手前のなんとかいうえらそーで小汚い店、
あそこに行ってみたい。

ラーメン道とかギョーザ道とか
あれに人生賭けられるお姿を拝見し
おれも捨てたもんじゃねーじゃんと
自己満足しないと、ほんとに身が持たなくなっている。
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“2つのスプーン”
その日も夕日がきれいだった。
地形の関係なのかどうか。
ふりかえれば最初に行った十二年前の
土ぼこりいがい何もなかったような場所で
ぽつんと建った試作棟を撮っていた頃から
よく手を休めたくなるような夕焼けを見ていた。
高い建物のない工業団地だからからか
その奥に流れる利根川の水蒸気と関係があるのか
渡良瀬湿地が近いことと関係しているのか
なんの関係もなく、たまたま夕日を見るような時間に
あの場所に居合わせてきただけなのか。

道ばたですれちがった他人を見るような想いに瞬間とらわれた。
体調のせいだろうと思い目をそらせた。
何かの拍子に、また視野に入った。
近過ぎたせいなのか、煌々とともる蛍光灯のためか。

まさか、な。
それでは意地を通せまい。
そう考え、印象を頭から追いやった。

追いやって、後朝をつくした。
はずだった。

醒めていた。

新幹線が小田原を過ぎ
次は新横浜とアナウンスが流れたあたり。
窓の外は漆黒。
東海道も遅けりゃ、闇だな。
と思った瞬間に、つきものが落ちたような衝撃。

あわてて記憶をたどった。

たどってもたどっても
記憶から血肉が剥がれ落ちていることに気づかされるだけだった。
満ち欠けを逆にたどり、その新月にたどり着いた頃には
体中からなにかがこぼれ落ちていく、離脱していく感覚に溺れそうになった。

なぜ、いまなのか、
なぜここでなのか、
と自問を重ねているうちに六郷を越えた。

数えてみた。
1398と919。いつのまにか2317。
意味といえば意味。無意味といえばただの反古の塊。
誰の詩だったか“涼しい反古”なんて言い方があったな。

冬至を過ぎ、寒を越え立春を控え
ここまでか、と、ため息ひとつ。

これがなければ
たぶんおれはハードルを越せなかった。
どこかで利用していることを意識していた。
意識し、鎮め、昂ぶるにまかせた。

いくらかの痛みはあった。
あったが、ことばでねじ伏せた。
ひとりコトバ責め。

ハードルを越えたら
どう着地するのか、できるのか。
ソフトランディングなのかハードランディングか
秋の終わり頃から不安はあった。
でも、目を閉じ、乗り越えた。

乗り越えながら
もしかしたらこれが本願、と思ったことも。
思ったそばから、まさかな、と消し去ってはきたが。

手もとに福島さんの歌集でもあれば
暗喩を託しておくこともできるだろうが

ま、なくて、さいわい。
おりをみて、メモを消しデータを2フォルダーごみ箱に捨てれば
すべては消える。
あったことはなかったことに、なる。はず。

タガがはずれかかっていることに
雪に閉じこめられた山里の三晩をかけ
気づいてから
幕引きの時期ばかり考えていた。

ちょうど一ヶ月。
余情としては、ほどもいい。

21日の深夜に書いた
“2つのスプーン”。
あれが最後の後朝の歌となった。
そして、最良の。

しゃらくさくもあるが…。
いとおしくもある。
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原則論は、しかし気持ちいい
webニュースを見ていたら以下の話が。
ちかごろ珍しく筋の通った判決だ。
まじるにやりとりしている姿を想像すると
苦笑も出るが、ま、拍手だろう。

以下、アサヒ・コムより引用
●公園暮らしに「住所」認める 「実体ある」と大阪地裁
 判決は、まず住民基本台帳法が定める「住所」について「生活に最も関係の深い全生活の中心を指す」とした。その上で、山内さんのテントの所在地が住所にあたるかどうかを検討。テントが、食事の場所や居間として利用され、日雇い労働などの仕事に出かけている▽角材やベニヤ板で組み立てられ、四隅にくいが打ち込まれて地面に固定された構造物にあたる——と指摘。「原告のテントは客観的に生活の本拠としての実体を備えている」と述べた。

 区側は「占有権のないテントはいずれ撤去されるから居住の事実があるとは認められない」と主張していた。

 これに対し、判決は原告の占有権は認められないとした上で、「住民基本台帳は住民の居住の事実を正確に記録するのが目的であり、占有権と生活の本拠として実体があるかどうかは無関係。占有権を有していないことを理由に転居届を受理しないのは許されない」と退けた。
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大利根越えて、さて何処に行こうか。
さて。さて。さて。

   昨日勤王 明日は佐幕
   その日その日の 出来心
   どうせおいらは 裏切者よ
   野暮な大小 落し差し

   流れ流れて 大利根越えて
   水戸は二の丸 三の丸
   おれも生きたや 人間らしく
   梅の花咲く 春じゃもの

利根川越えて、か。
たしかに利根川越えるよな。
越えて、さてどうするのだろう。
古河か会津か。
「侍ニッポン」借りてきて観るか。
と思いあらすじをチェックしたが
これ観てもなあ。

●あらすじhttp://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25533/index.html
徳川末期、時の大老伊井直弼は開国政策強行のためこれに反対する攘夷派の人々に断罪の命を下し世情は騒然たるものがあった。彦根藩の藩医新納草庵の息子鶴千代は父の死後お鶴とともに江戸に出、沢村道場に学んでいた。だが菊乃との縁談を断られ自分の出生に疑いを持つようになってから、いつしか道場の親友、竹之介にすすめられるまま茶屋酒に溺れるようになった。実は、鶴千代は直弼がまだ部屋住みの頃、当時舞妓だったお鶴との間に出来た子であった。しかし直弼に傷のつくのを怖れた家老野坂のためにお鶴は実家に戻され、それから二十数年ただ鶴千代が立派な侍になることを願って生きて来たのだった。だが恋に破れた鶴千代は「武士も百姓もない新しい日本を創るのだ」と主張する竹之介を先鋒とする水戸浪士たちに次第に惹きつけられていった。そして異人館焼打ちに失敗した浪士たちに裏切者の疑いをかけられた鶴千代は、その汚名をはらすべく単身父とも知らず直弼を襲った。見交す眼と眼--愛国の至情をこめて開国の必要を説く直弼に莫然と父を感じた鶴千代はその偉大な精神力に打たれた。が、秘かに放獄されてからは絶望感に陥り紅燈の巷に我を忘れるようになった。そんな鶴千代の孤独な姿に芸者吉次は惹かれていった。一方、鶴千代と吉次の仲を知ったお鶴は、鶴千代出生の秘密を打明け吉次に出世の妨げになるから別れてくれと頼んだ。始めて直弼が真実の父であることを知った鶴千代は一瞬愕然としたが、「今頃になって……」と冷やかに呟くだけだった。浪士達が桜田門外に直弼を襲う時が来た。折りしも降りしきる雪を蹴立てて駈け出した鶴千代の心中に、直弼はすでに大老ではなく一人の懐かしい父親だった。かすかに自分の名を呼ぶ我が子の声を聞いた直弼が思わず駕篭から乗り出した時、その胸を浪士の白刃が貫いた。駈けつけた鶴千代もまた竹之介の刃に倒れた。雪はなおも父子二人の死骸を真白く染めて降り続いていた--。

大阪日帰り往復は、しかし疲れが残る。
こんなやりかたで仕事を進めて、
いったいなにがおもしろいのだろうと
他人事ながらため息がとまらない。

寝起きに読んだ東横インのトンマなニュース。
そういえば去年の夏の終わりにどこかの東横インに泊まった。
社長の自伝のようなわけのわからない自慢本が数冊枕元に乗っていた。
うっとうしいのでごみ箱に投げ捨ててから寝たのを思い出した。
たしがフロントのロビーで朝食サービスとなうった
難民への炊き出しのようなことをしでかす
とんでもないホテルで、D2TのSOUMに噛みついた記憶がある。
ホスピタリティとコストカットは相いれない。
世の中には、絶対に歩み寄ったり相容れられない組み合わせがある。
資本主義の成熟は腐食の暗喩。
アネハといい東横インといい
絶望的なまでに滑稽で、いっそ清々しい。

あの突き抜けたような釈明の仕方
黄金の7人のようなどんでん返し

たいしたもんではある。

こんな日々に
悩まされているようなことなのか、と
思った途端に気が抜けた。
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一日置き
新大阪でとりあえず駅弁を確保し乗車。
腹が猛烈に空いていた。
幕の内を何も残さず餓鬼のように食べ尽くした。
グリーンしておいて良かった。
隣に人がいたら、うんざりされたろうな、
と思いながらノドに詰まりそうな勢いで食った。
食い足りず、車内販売を呼び止めチョコレートとコーヒー。
チョコレートも半分ほどを貪るように食った。
あちこち放浪するような仕事の仕方をしてきたが
今夜のような飢餓感は、はじめて。
金を払って残飯をあさる浮浪者のようだったな、と思う。
品川に着いたのが12時ちよっと前。
蒲田に戻る間に、進行状況を渡辺にかんたんに説明。
正確な話は明日にのばす。へとへとだった。

刺さった小骨が一本。

この小骨、しかし抜きかたをまちがえると
大量出血となりそうな予感も。

男芸者であると比喩はしたが
まさかほんとに芸者扱いされることになろうとは。
とほほ、と笑えばいいのか
まなじり決したら良かったのか

などとくちくなった腹をさすりながら
タバコを吸った。

どこからご注進がいったのか。
いくつかの顔と名前が浮かんだ。
ま、それぞれ飯を食わねばな、と思い
先を考えるのをやめた。

潮時が居ずまいただしてやってきてくれた。
そうおもえねえこともない。
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大阪日帰り
プランアップ。紆余曲折があったが、いいものが書けたと思う。
渡辺に送り、プリントと大阪への転送を頼んだ。
これから髪を洗って、資料ビデオをチェックし品川へ。
昨日の成功が弾みになった、な。
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1.25顛末。
行きは東北道を降りるまで古いR&B。久喜から現地までは金子由香利の古いシャンソン。朝の氷点下がうそのような春めいた日ざし。1時30分にランスルーを見せてくれるという進行表が元になっていたので間に合うように渡辺が飛ばした。2分遅れた。スクリーンにもロビーにもどこにも誰もいない。電話。飯を食っているということ。どなりつけた。2時前に確認しておきたかった。しかたないのでゾーンを見て回る。2時からOとYと回る予定だった場所の予習。Kが戻ったのはOとYの到着とほぼ同時だった。謝罪があったが、時間は返らない。IとTと一度リハーサル。音量が大き過ぎるので抑えたものをもう一度。ほぼOK。調整を頼み、OとY、Sたちと敷地内を確認して回る。前日にアメリカから届いたスピーカーもチェック。建物の反響が予想以上の効果。音もかなりのもの。敷地内に複数台設置すれば相当の効果が期待できることを確認。Iとプレビューの段取りを最終的に決めたのは開始予定の5分前。冷や汗ものだったがなんとかスタンバイOKと聞いて。受付のところに着いたと同時に幹部たちがドアから。息が上がったまま挨拶。そのままシアターへ。上映が終わり、扉が開いてもしばらく声が出なかった。針のむしろ。謝罪と弁明モードに切り替えしかないか、と覚悟したところでみんな立ち上がり外へ。頭を下げようと近づいた。褒められた。喜んでくれていた。2年前の秋の最初の一本のときと同じ反応だった。それからは、もろもろが立ち話のうちに即決していった。古河はいつもの夕焼け。帰りに駅に近いデニーズに集まり、スタッフ・キャストで乾杯。東京に着いたのは10時近かった。風呂に入り、目覚ましをかけ、ベッドへ。6時間熟睡。急いで朝食をとり、原稿にかかっている。いま、コーヒーブレーク。11時までにアップさせ、プリントして大阪へ向う。スタッフのおかげで責任を果たせた。あの時点までは、無償。頭があがらない。たいした心意気だと、感嘆するほかにない。いっぽうでD2TのKの底なしの見当違いと理解の浅さが際立った。放り出そう、すべて渡してしまおうとも思いはじめていたところだったが、底なしの状態を半日見ながら気が変わった。見切ればいいのだと、思った。長いつきあいではあったが、こいつはもうここまでしか行けないのだと、実感。こんな無能のために、成功に影を落とす意味などどこにもないのだと、デニーズでスタッフたちの笑顔に囲まれ、得心した。待たれているところに、望まれているところに力を注ぐ。それでいいじゃねえか。まだまだ余地はありそうだ。顛末。
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礼。
これから古河。礼をつくしてきたい。氷点下の朝。ひざしはまるで春。
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gameover
何かの発作が起きたのかと思った。

古河も新宿も、ここまでにしたい。すべて投げ出し終止符を打ちたい。おもしろくもあり、おかしくもあったが、所詮はこんなもの。なにが哀しくて、こんなことを続けられてきたのか、叫びだすのを抑えるのがやっとだった。周囲のものを壊さないように体を両手で押さえた。おれはもう、ほんとうに限界点を越えたのだと、そんな思いだけが閉じた両目の奥で瞬いていた。何をしてきたのか、と振り返る気にもなれず。蒼き夜は&ラスト・ワルツ/森田童子をリピートしながら、もうほんとうにいいんだよ、と思う。こんな青くさい、二十歳の小娘がつくったような歌がなぜ聴きたくなるのか、わからない。若いときには嫌いな歌い手だった。オフィスに置いてあった一枚を、ふと手に取ったのが2001年の夏の終わりだった。古河に行く気になれない。東北道を走りたくない。過ぎてしまえば、あれもまた、ただの時間だ。逃げるというのではなく、もう矛を収めてしまいたい。誰にというのでもなく、ゲームオーバーなのだと、呟きたい。もう、未練は、ない。し残したことも、なにも、ない。というより、したいことなど、はじめからなかった。そういうことに気づいてしまった、ということだ。ま、いいじゃねえか。ではなく、「もう、いいですか」だった。仕事を始めたばかりの頃、亡命イラン人のペルシャ絨毯づくりの話を聞き、最初に浮かんだコピーは「人の夢。夢の美」だったか。冷たい春の雨の降る夕、立ち去ろうとしたおれをずぶ濡れになって走ってきた青年アザリが差し出した両手に焼けたピスタチオ。受け取って常磐道を戻りながらやけどしそうなその殻を歯で割った。うまかったのかどうか、覚えていない。あれから20年。おれは一粒のピスタチオも食べたことはない。あのときに密輸でも何でもつきあってやっていれば、それはそれでおもしろかった、か。

つかれた。ただ、ただ、厭きた。
ごめん、と言いたいが、さて誰に言えばいいのか。

わからないよ。
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25夜用のmemo
・image。カタリ無しも。ノスタルジー。ダレモココロニフルサトガアル?暮らしではなく街=時間。街への愛着とは何か。喚起させるブロック。
・展開。具体例。ex.ここにこんなまちあり。憲章との関連づけ?明日夜までに届くV参照。引用。
・コトバ。ことばだけもあり得る。環境の………家になる。ひとはいえにかえってゆく。etc。そのあとの報告liveにつながる。

コモンについて
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こっちの茶番も
メモし忘れていた。ホリエモン、ありゃどうみても「弾圧」だろう。
CXの日枝が「だまされたようなもんだ」と答えていたが
どこまでも見苦しい男だな、とあらためて書くまでもねえか。
ひさしぶりにむきだしになったケンリョクを見せられ鼻白む。
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満腹大飯店の満ちゃんと、銀座の安ちゃん
9時過ぎ。汐留で人待ちしているときに連絡が取れた。オフィスから。声はさすがにへとへとの感じだった。修正する方向がだいぶズレてきてるなという感じはあったが、より明快になってきたとも思えた。いずれにしても共通認識に達したものを明日、古河から戻ったらまとめ、大阪で調整させてもらうことに。「ぼくの言い方キツイですか?」「いや、いつももほどでも」で大笑い。抱え込んだ仕事量が、あのひとは、しかし多過ぎる。わかっているだけに、面倒がっている場合でもないか、と軽く反省。それから飯を食いに行った。ひさしぶりに三人で気分良く晩飯。寒の刺し身はさすがにうまく、時間をかけ、ゆっくりたのしめた。黒糖焼酎“れんと”があったので、お湯割りで乾杯。店を出たときにはかるく酔っていた。TSUTAYA経由でマンションまで送り別れた。湾岸は、クルマが少なく、窓をあけると冬のかたまりが飛び込んでくるようだった。それにしても真冬のネオンサインは、泣きたくなるような美しさだ。上海に帰ったという満ちゃんはいまごろどうしているだろう。満腹大飯店。草原情話。まっすぐの笑顔。きのう打合せの後、一生懸命話す安さんの顔を見ながら、ああどこかでこういう顔を見たな、と思い、忘れた。さっきお台場のあたりを通過しているときに思いだした。満ちゃんだった。はじめてあの店で彼の「ありがとござました」というぎこちない日本語に接した夜のことを思いだした。人を待っていた。待っている間に、とぼけた狸御殿のようなネオンサインが目に入った。「満腹大飯店」。極彩色のアーチ型のネオンサイン。待ち人がなかなか来ないので、店の様子をおもてからうかがっていたら店内にいた満ちゃんと目が合った。そしてニッコリされた。待ち人と店に入った。チャーハンと水餃子を頼んだ。目の覚めるような、それでいて懐かしさあるふしぎな味だった。焼き餃子も追加し、腹いっぱいになって金を払おうとしたら、腰が抜けそうになるほど安かった。にもかかわらず、まっすぐ目を見つめながら、しみいるような笑顔で「ありがとござました」とはっきり言われた。そりから三年。かれが突然消えてしまうまで、通った。そのたびに湾岸を往復したのだ。満ちゃんと安ちゃん。安ちゃんの新オフィスは銀座だけど…ひさしぶりにKathleen BattleのLoversを聴きながら。
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膿を出しきるかどうか。
東京氷点下二日目。明日も続くらしい。
D_fはD2Tがひとり混乱。要するにキーマンとなるべき人間が根本的な認識ができていない。新宿もまたそうだった。4年以上にわたって統括として関わってきながら、読本一冊まともに目を通してこなかった。そのツケと膿が年末にかけいっきに噴き出したことことがわかっているのかどうか。やけに細かい役人のようなメモをよこすかと思うと一転して断片化の大将状態に。どこにどんな事情があろうと4年越しに解決できない事情なら、匙を投げるほかにないと、昨夜から今朝にかけてのくそメールを読み直しながら吐息。
プランのほうは、入り口を徹底解体。昨日の示唆を前提にまったく別なプロローグにしてみた。書き終わって、とりあえずそこまでを送る。この方向でよければ続きをリライト。NGだったらさてどうするか。お手上げ寸前だな。時間もない。コンテマンを予約していたが、こちらはタイムアウトで断ってもらう。リアクション、まだ届かず。
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帰らざる日々★?
小暮俊作著/幻冬舎
アウトロー大賞受賞作。
いい文章だし、トーンも悪くない。作中に連綿と続く「陵辱シーン」の執拗さがなければ、たぶん★5つ。せっかくの持ち味が馬鹿げた悪趣味としかいいようのない鬱陶しさで減じている。むかし西村寿行が堕ちていったときがこうだった。這えとか銜えろとか、取り巻きのバカ編集に持ち上げられ安直なエロ劇画のようになっていって自滅した。馳星周もまた同じ袋小路にいる。文体が悪くないだけに小暮の場合は絶望的な気がする。わるくねえのになぁ。ほんと。幻冬舎、ちと浮かれすぎ。
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あと二波乱は
2時間速成コースで書いて新宿へ。
あちこちに雪の名残。
雪なめのビル風は耳がちぎれそうだった。
東京の冬は、つまらねえな、ほんとうに。
3時間近くかかってローリングストーンズのような打合せアップ。
あまりにもCMライクで空中分解の予感濃し。
ま、なるようになるだろう。
スケジュール的にはかなりハードだが、
気にせずなりゆきにまかせたい。
むしろDfactoryの先行きが不安だ。
全体を見据えることがまったくできていない。
なめてかかっているとしか思えない。
もうナカヌキなんてありえないよ、と何度言っても
理解しきれないようだ。
いまごろ「コンセプトが見えた」とはしゃがれて
さて、なんと答えれば良かったのか。
けっきょく往復を、グチでつぶした。
学習とかキャリアとかと
これほど縁遠いにもかかわらず席を温めていられる。
ぬるい会社もあったものだと嘆くほかになし。
このままこっちもどこかで破綻だろう。
春三月か桜の頃に、もう二波乱くらいはありそうだな。

リアクションの遅さに、もう腹たつこともなくなった。
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「マッサージあるよ」
「……」
「5000円あるよ」
「……」
「4000円でもあるよ」
「……」
「3000円でもあるよ」
「……」

なべと焼き肉を食べ先に店を出たら
夜のマッサージ売り娘に袖をゲットされた。
腹がくちくて返事するのが面倒なので
黙っていたら、10秒のうちに2000円ダンピング。
韓流のヒロインにしてもいいような美人だった。
蒲田ミスタウン。むかしの映画街。
ここもまた東京租界ではあった。

ヤクザもひまなのだからもう少し日本語を教えた方がいいな。

「5000円あるよ」
だと、酔ってたら、カネをもらえるのかと誤解する。
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残雪
日曜版の読書欄をひさしぶりに読んだのでつられて近くの本屋へ。あちこちに雪のかたまりが残っていて、なんだか雪国の先後のようでおもしろかった。降っている昨日は、長靴をはいて電車に乗り新宿をうろついたけど、そんなに感じなかったのに、やんでしまって一夜明けた今夜の方が強く意識した。天気というのもゲームや戦いのようなもので、その最中にはあんがい鈍感にならないとやってられないのかもしれない。そんなことを考えながら歩いていたら書票でチェックした本のタイトルをきれいに忘れてた。しかたないので適当にみつくろった。消しゴム状態である。やっとオフきぶんになれたかな、とすこし実感。柚子がないのでレモンを風呂に。これからレモン風呂。あがったら、とりあえず資料だけでも目を通し、書くのは明日にまわすつもり。
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奄美大島☆撮影日記
にひさしぶりに書き込んだ。
このところよく奄美の話が出ていたので。
DVD新作の編集中らしい。
さっそく予約を入れた。
大寒の冬のさなかに
あの七夕のころの濃密でむせかえるような
森と海と空気のかたまりを
いくどとなく思い返している。

♪何があっても もういいの
 くらくら燃える 火をくぐり
 あなたと越えたい 天城越え

あれは、たしかに「夏」だったな。
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5年前のメモ4「たみさんからの手紙」
2001 02/16 00:54
たみさんからの手紙
Category : 日記
水の惑星MLからの転載

山口で読んだ、舘岩村湯の花温泉の若女将たみさんからの返信を無断で「水の惑星」のメーリングリストに送った。
舘岩村は冬になると雪の中に閉ざされてしまう。
会津とは対極にあるともいうべき山口でこの手紙を読みながら、静かな涙がこぼれた。
しみいるような文章というものがあるのだな、そう思った。
この手紙の中に「ルーのことで立ち直れずにいた私たち…」
とあるが、吹雪の夜更けに明かりを落としたロビーで、たみさんからその経緯を聞いたときに浮かんだのは中原の妹だった。
「死んだっていいようと泣く魂をいたわりながら」と福島さんが中也絶唱で短歌にした、あの「妹」だった。

あれからほぼ一年が過ぎた。

*************************************

ましこ@雪の長州

会津の雪をぶじ撮り終え、はるか長州に来ていますが
大雪切望隊の行くところ、ことしはいずこも雪国となるもよう。
長州、山口もまた予想外の雪とあいなりました。
十二日から連日の雪のなか、渡辺ともども、たまった撮影をこなし、
これから最終便で帰京するところです。
撤収のあいまにメールをチェックしたところ
たのしいメールが入っていたので
みなさんにもお知らせしたく、ここに無断転載しちゃいます。
昨年の冬、そして夏、この冬とお世話になった
舘岩村の湯の花温泉、若女将、たみさんからのメールです。
「ポチ」と「せつこ」とあるのは例の二匹の犬のことです。

なんだか、うれしくて。
冷えてかじかんだ指先もふっと柔らかくなった気がします。


++++++++++++++++たみさんからの手紙++++++++++++++++++++++++
益子 透様
連休のお客様も終わり、ホッとしながら久しぶりにパソコンのスイッチを入れたら、
メールが届いていて、とてもとても、うれしかったです。
皆様がお帰りになった後、あぁ終わってしまった・・・・
と気がぬけるやら淋しいやらで、フクザツな気分でした。
この一週間本当に楽しい日々を過ごさせていただきました。
みなさんいい方ばかりで、お客様というよりすっかり仲間になってしまった様で、
その分おそまつになってしまったのでは・・・・と反省もしています。
あれもすればよかった、こうもしてさしあげたかった・・・そんな思いでいっぱいで
す。
昨年、ルーのことで立ち直れずにいた私たちを助けて下さったこと、
千恵ちゃんの明るく元気いっぱいの顔、
お名前はわからなくてもすっかり覚えてしまったお一人お一人の顔・・
いろんなことが浮かんできます。
未来博、楽しみにしています。
またいつの日かお会いできますよね
私たちは、この小さな村で雪と闘い、春の小さな花たちにうきうきし、
新緑に目を細め、あっという間の夏を過ごし、
燃える様な一瞬の紅葉を寂しく迎え、
そしてまた長い冬に向かい、
わんこ達を育てささやかに暮らしていきます。
スフレチーズケーキ、すごく上手になったのに、
食べていただけなくて残念です。
また、いつかきっと、遊びにいらしてくださいね。
お客様ではなく、お友達としてお迎えしてしまうのでは・・・と心配です。
川田さん、渡辺さん、
ほかのスタッフの皆様にもよろしくお伝えくださいね。

        旅館末廣  
               安藤 友晴  民子  ポチ  せつこ
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5年前のメモ3「さらば館岩。いつの日か、また。」
2001 02/09 21:44
さらば館岩。いつの日か、また。
Category : 日記
朝8時過ぎ、湯の花温泉を発った。
たみさんとご主人にお礼を言いながら
涙がこぼれそうになった。
ポチとせっちゃんの二匹の迷子の犬たちが
いつもと変わらず玄関の両脇で阿吽のように吠えてくれた。

空は雲ひとつない快晴。真っ青である。
田島経由で磐梯山を目指す。
気温−15℃。
氷結した木々が朝日を浴びてさながら氷の花を咲かせたように見える。
いつものメンバーならクルマを停めて
50mの間で50カットは回しただろうか。
10年は使い回せる映像が手に入ったと思う。
降雪の翌朝の放射冷却がもたらす1シーズンでも何度もないようなチャンスに、一週間で二回遭遇。
いつか我がスタッフを率いてこの地を踏もうと思った。

快晴の磐梯山は、泣きたくなるような美しさに満ちていた。
まことに「宝の山」である。

地吹雪のポイントをいくつか見て回ったが、昨日の成功の後では、気が抜けて集中できず。

磐梯熱海から高速に乗り、休み休みのんびりと帰京。

コーディネートを担当したバウハウスの高見沢チームと、新しく加わった電通テックのPM長沼さんたちの奮闘が、あざやかな成功を呼んだのだと思う。

雪の中、送迎のクルマに乗った少年剣士達に45度に折り曲げて感謝の礼をとっている姿を見た。子どもたちは彼を信頼する教師のように慕ってくれていた。
勝利の要因は、こういうところに潜んでいるのだ。

さらば館岩、湯の花のたみさんとご主人と迷子の犬達。
ありがとうございました。
この冬のことは、生涯忘れません。
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5年前のメモ2「電通テック相馬プロデューサーへ」
2001 02/07 12:31
電通テック相馬プロデューサーへ
Category : 日記
ユードラがうまくいかないので、とりあえずここにコピー。電通テック相馬さんへ
2/7正午


益子です。

待ちに待った雪が、やっと降り出しました。
いま、スタッフたちは現場で今夜の本番に備えて
雪の中、大喜びで準備しているはずです。
ぼくは、朝おきて雪が降り出したのを確認した途端
どっと眠気に襲われ、いままで布団にもぐっていたようです。
テーブルの上には渡辺が頼んでいってくれた朝食が。
窓を開け放ち、村に降り積もっていく雪を眺めながら
若女将手づくりのパンとコーヒーをゆっくり腹にいれたところです。
渡辺のibookでサラ・ブライトマンの
「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を聴きながら
相馬さんのメールを読み、返事を書いてます。
今年になって三日目と四日目という晴天に遭遇した現地は
ぼくたちが着いた日に比べて50cm以上の雪が水になり
蒸気となって消えていきました。
晴れ待ちの雨もつらいけど、
雪待ちの快晴というのも、とてもつらい。
クレッセの仕事で気が紛れなかったら
昨日あたりは確実にスタッフの誰かにとばっちりがいったと思います。


オーディション、おつかれさまでした。
ぼくのほうはまったく問題ありません。
お二方とかつのさんの三人の設定で構成にとりかかります。

和服の件は、志賀さんの違和感を大事にしましょう。
あの人はぼくの師匠?の亡き内田健太郎のスタッフです。
何か言ってくれるときは、まず間違いなくそのほうが
良いほうに作用します。着物はやめましょう。
どのみち茶室と言っても、あの程度のこしらえだからね。

倉持さんは、撮影技術だけでなく
モノの見方がきわめてオーソドックスな方だと思います。
彼がこうしたほうがいいと思うと控えめに言ってくれたときは
やはり従うことにしてます。十年以上仕事をさせてもらっていて
映像以外のことでもほんとうにいろいろ助けられています。
彼のようなタイプがじつは正当な東京者だと思うよ。
(横浜生まれだけど)

なんだか雪が降ってきて、ほっとしたせいか
よけいなことまで書いちゃったかな。

あらためて、オーディション、おつかれさまでした。
力いっぱい、こたえられるような台本を書きます。
期待していてくださいね。


      とりいそぎ  雪の村にて  M
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5年前のメモ「キャラクターについて」
2001 02/06 14:46
キャラクターについて
Category : 日記
夫 団塊の世代の50代前半。
中学生のときにビートルズデビューをリアルタイムに土井まさるの深夜放送などで聴いた。が、好きだったのはRB。オーティス・レディングを神のように慕い、ジェームズ・ブラウンは天才だと思っていた。一番最初のテレビ体験は近所の家で見せてもらった力道山のプロレス中継。交換手に申し込んでつないでもらう電話を体験したこもある。
ディスコではなくゴーゴー喫茶に通い、モンキーダンスの振りをまだ記憶している。高校生の頃になると渋谷や新宿のモダンジャズ喫茶に通いセロニアス・モンク、ソニー・ロリンズなどをリクエストしていた。一方でジョーン・バエズやパパスママスなどのフォークソングも好きだった。
ベースとなったファッションはおおむねアイビースタイル。ジーンズに折り目がつくことを野暮だと心得る世代。国や国境という意識からはじめて自由になった年代でもある。日本人が当たり前のように海外に行き来することになる最初の年代でもあった。1ドルが360円だったり、円の持ち出しに制限がなくなった最初の世代。つまり、はじめてふつうの生活者として海外を経験し、消費行動をした世代でもある。要するに、日本がたどりついたはじめての「国際性」とふれあうことになった一般の人々。
そんな来歴を持つのがひとまとめで語られる団塊世代。主人公となる夫の50代前半というのは、そんな背景を持っているとくくることができるはず。
妻を「きみ」と呼んだり名前で呼ぶことができる最初の年代でもある。
これからの消費革命のメインターゲットとなると、日経あたりがさかんにあおろうとしている世代です。そん雰囲気の人を選んでね。

妻、40代後半。
そんな団塊の世代の夫と、出逢い恋に落ち結婚しても不思議ではない人。
あくまで傾向だが、家としての婚姻というより、個人としての婚姻をした意識が強い。
娘が年ごろになると娘と同じようなファッションをしても案外似合ってしまったりする、それまでの日本人にはなかったタイプの女性たちが多い。おっとアメリカだとこの年代以降にマリファナの許容意識がぐんと高まる。要するに私はワタシというミーイズムを日本で体言した最初の女性群ともいえる。ファッションは男性に比べてむさまざまだが、バブル無くらいから自然志向に傾いた。つまりその後に続く世代よりやや先鋭的な時代感覚を持っている。災害時のボランティア、日常的なボランティア活動などを無理なく自分自身のテーマとしてこなせるのはこの年代以降の特徴となる。夫と異なる政治意識を持つことを当たり前とし、夫と異なる候補者選択に違和を覚えない最初の年代。団塊世代と数年へだてた年代だが、日本の女性の歴史の中ではじめて日常的に海外旅行を満喫しはじめた世代でもある。映画、芝居、コンサートともに彼女たちが最大最強のオピニオンとなっている。自分らしく生きたいと願い、そう実現しようと望む無数の女性たちの歴史があったが、彼女たちのの年代がメインストリートを歩くようになって、はじめて文字通りの自由を獲得した、実現したと考えてよい。きわめて自意識の高い、その自意識をカタチにできた最初の年代である。
凛々しくて、強さがあって、しなやかでかわいさのある人です。
ま、これは理想だけどもね…


もう少し踏み込んだイメージで言うと、
夫は体にぴったりフィットした服を着ない。
パパスのCMをもう少しふつうに戻した感じが似合う。

妻は、そんな夫と調和しながら微妙に異なるニュアンス。
いくつかのブランドをミックスして
合わせちゃうようなタイプかな。

いずれも、ピュア、清潔感、リラックスがキー。
さらにアホには見えないこと。ちっとは知的に見えること。

友人となる30代の女性(かつのさん)をついでに。
国境を越えた医師団に応募するような夫と
暮らすことができ、同時に好きなオペラを観るためなら
欲しかったドレスをあきらめちゃうような社会性と
遊びへのこだわりを同じレベルで持ち合わせている。
主役の妻とは地域のボランティア活動で知りあい、
気が合って親しく行き来している。
シルクのブラウスを洗いざらしのワークシャツのように
着こなせる人。


三人の共通点は「グルメ(いまどき死語だけど)」と「音楽」。
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東京都心で9センチ
1人死亡、133人けが 東京都心で9センチ積雪 [ 01月21日 19時08分 ]共同通信

 関東地方に降った雪の影響で21日午後5時現在、1人が死亡、133人がけがをしたことが共同通信のまとめで分かった。JR東海道新幹線が遅れ、羽田空港発着便に欠航が相次いだ。
 関東南岸を低気圧が通過し日本列島は、東京や神奈川などの関東南部を中心に、未明から雪が降り続けた。午後5時には東京都心で9センチの積雪を記録、1998年1月に16センチを観測して以来の大雪となった。
 気象庁によると、午後5時の各地の積雪は水戸17センチ、さいたま13センチ、千葉5センチ、横浜10センチなど。水戸で1月に17センチ以上の積雪となったのは、97年前の09年(23センチ)以来。横浜は2001年1月(17センチ)以来の積雪という。
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正午で6cm
東京にしちゃめずらしくうっすらと積もった。
2001年以来だというから、
館岩で3Dの雪シーンを撮っていたときの以来だ。
会津から東京に帰る道筋がすべて真っ白になって
あれは奇妙な時間だった。
五年経つのか。
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ふと気になってまどを開けたら雪。
がしがし降っている。
しばらく見ていたが寒くなったのであきらめる。
積もるのかどうか。
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六本木みぞれ
22階の打合せが終わったのが8時前。それから待っていた川田と相馬の三人でハイアットのラウンジへ。渡辺は六本木長岡のところにHDダウンコンバート素材を受け取りに。3時間ほどDnextを中心に話した。前半は混乱もあったが後半はかなり明快に道筋が見えた気もする。昼を食べていなかったので腹が空いてしかたなかった、とりあえずハイアットでケーキを腹に。コーヒーのお代わりを五杯くらいしたか。閉店までいて別れた。枠組み、方針などほぼいい感じで合意できたと思う。今夜が彼らにとって新しいスタートになってくれることを願うばかりである。そうするいがいに生き残る道が無いことを、きっと理解してくれたと思う。駐車場から渡辺がクルマを持ってくる間、22階あたりを見上げ相馬とタバコに火をつけたら、かすかに雪が落ちてくるのがわかった。晩秋の某日某夜、同じホテルの同じラウンジのかたすみで彼らの行く末が決められたことを思うと、いささか感傷的になったが、同じ空間で同じ夜景を見ながら、別な明日の姿を思い描くことができたのだ。それも人生。いやそれこそが人生。皮肉ではなく、誰かがきっと見ているよ、と肩を叩いてやりたかった。そんな夜に予報通りの雪。ま、悪くない。

腹がほんとうに背中とくっつきそうだ、と助手席で渡辺に言ったら、ぼくもです、と。六本木の“れん”に向かうことにする。れんには先客が一組。漏れ聞こえる内容から地上げ紳士の生き残りとそのおんな二人?できるだけ聴き取れないように気をつけていたけど、漏れてくる内容から世の中はまだほんとうに“バブル”が再燃するのだと思いこんでいる連中がいるのだとわかり、笑い声をあげないようにするのに苦労した。メンチカツと半ライス。物足りなかったが、時間を考えコーヒーを頼む。22階でテーブルに載った仕事の内容は、まったく隙間のないスケジュール。できてその半分だろうと思ったが、笑顔でノープロブレムと答えておいた。利根川越えが頭の中で渦巻いていたが、ここで顔色変えたら、また何をふっかけられるかわからないので、とりあえず当面のことだけを笑顔でしのぐことに即断。笑うセールスマンのように、笑顔をつくった。はず。ま、なんとかなるだろう。胸の底にあるのは、利根川からも新宿からも遠く離れた、DJシリーズのことだけである。こいつをカタチにできるなら、女衒だろうとぽん引き野郎だろうと、どんな難題でもへらへら笑いながら股を開いてやる。カタチにし、先が見えたら、その瞬間におさらばである。足抜けである。そのときにきってやろうという啖呵は、3年前からきめてある。
“れん”を出たら小雪がみぞれに変わっていた。
予報より、温度がさがらなかったようだ。

部屋に戻ってpowerbookを立ち上げメールをチェック。
あかりやさんからひさしぶりにメールが届いていた。
“十九の春”のちよっと変わったバージョン。
しかし、彼はいったいこういうものをどこから仕入れてくるのだろう。
ほんとにふしぎな人だ。

ひさしぶりに金子由香利の“再会”を聴きながらこのメモを書いている。だからどうしたというわけでもないが。気持ちが鎮まっていくのを確かめたかったので。こんなものを最後まで聴けるときは、俺的には、おだやかなので。
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無頼の掟★★★★★
ジェイムズ・カルロス・ブレイク著/文春文庫

去年のミステリー海外部門3位の小説。去年はまったく知らずに過ごしベスト6の発表で買った。元旦によみはじめ、20日かかった。数ページに1回の折り目が残っている。小説はコクがあってまことに上等なのに、三週間もかかってやっと読了。ほぼ半分ほどを今夜になって一気に読んだ。ま、ほんとうにハードだったのだ。
タバコを買いに出たら、マンガのような木枯らしが吹いていた。キンタマが縮こまるような寒さ。会津の雪の中であれだけがんばれたのに、東京の零度にすらならない冬が、こたえる。明日は新宿に呼ばれているが、このぶんだと半々。熱が出るのを半ば期待していたが夕方3時間熟睡したのが効いたのか、ノドの痛みも消えている。ま、明日起きてみて決めたい。熱が少しでもあれば、インフルエンザと診断し、ウィルスを拡散させたくないので自宅療養2週間とする。顔を合わせるといろいろ口をつくこともありそうだし、な。熱なら、旅に出る。平熱なら、新宿へ。つまらねえ結論だ。
昨日の5.1surroundファイルを張り込んだものをなべが夜持ってきてくれた。自宅のテレビで体感。素晴らしい。スタジオで聴いた環境がきちんと再現されている。スクリーンオンリーが急に惜しくなってきた。
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HDエンコードテスト素材
エンコードしHDVのwebtestをしたいもの
1.south_paradise
2.ある秋のクリスマス13分版
3.春-夏篇
4.夏-秋篇
5.秋-冬篇
6.冬-春篇
7.2004夏ロケハン素材
8.2001館岩素材
9.2002八ケ岳素材
10.2003犬吠埼素材
11.2003横浜素材
12.2005滝/すすき/紅葉素材
13.2004月/渡良瀬素材
ただしdigitalJapanesqueシリーズになっているものは
そのままエンコード
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夕寝
気がついたら三時間眠っていた。アタマが痛く、熱っぽい。トーストを2枚冷たいミルクで腹に。このところノドが痛かった。インフルエンザでさえなければいいのだが。もしかしたら熟睡できなかったのはこのせいか。
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春の夜は寂しき極みわがむねの闇のピアノが鳴りいづるとき 福島泰樹
話の接ぎ穂がなくなっているのだと、不意に気づいた。ひりひりするような感覚もメルトダウン。こういう変化はなにか物理的な作用、あるいは化学的な作用なのだろうか。想いはどうして維持できないのか。あるいは想いはどうして生起するのか。とどめることができずに暴走してしまうのか。個体差はどのくらいあるのか。17歳でわからなかったことは、この歳になってもなお謎のままだ。17歳であきらめられなかったことは、この歳になってもやはりあきらめがつかない。ひとは成長するのか。カラダだけでなく脳や想いもほんとうに成長していくのか。いや、おれはどうなのか、と書くべきか。睡眠がどうしてもとれない。四谷で髪を切ってもらいマッサージを受けながら、指が入らないよ、といわれた。いくたびにそんなことをいわれ、蒲田に戻ってマッサージを受ける。ここ半年以上は、それもさほど効果なし。連続している緊張が主因なのだと、わかってはいるが途切れさせることができずにいる。三菱のころのように、半年続けたら1ヶ月、といった単位で完全に切り放すべきだとわかっていても途切れず。おだやかな話しかたが五分と続かず、ささくれていく。それをとどめられない。疑心暗鬼だけがむやみに増大しつづける。歓びが維持できない。ほんとうに、いちどご破算にしたい。仕事も私生活もすべてリセットしたい。おそすぎるかもしれないが、ほかに手だてがみつからず。ひとを恋う気力もうすらぐばかりである。旅に出たい。おのれの意思を確かめられるなら確かめてみたい。見据えてみたい。日暮れ前に、すでに闇夜のような気分となった。高揚は、一日で消えた。旅行ではなく、旅に出たい。放り出して半年、いや三ヶ月でいい。戻りたいのかどうか問うてみたい。離れてもなお、執着がもてるなら、続けられるはずだから。
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昨日、okabeさんに出したメールから
ことにおいて、すべての根底にあるべきは、実は「ことば」である。
映像も、文学も、音楽も、彫刻も、絵画も、建築さえも
それはすべて同じだ。
はじめにことばが、ある。
表出されたか否かに関わらず、ことばでとらえた世界があって
それをカタチにすると音符の連なりになり、
色の組み合わせになり、
石や木や土の塊にいのちがふき込まれる。

ことばとは、「想い」のことである。
「想い」とは想像力である。
想像力とは生きる「志」のことである。
表現とは、この想い=想像力を
紙やフィルムや五線紙やキャンバスや大地に
思い思いに定着していく行為にほかならない。
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「明日のことはわからない」
なべのつくったmakingを確認。愛情のこもったいい上がりだと納得。ラストに相馬P。Vサインで「やりましたっ!」破顔一笑。昨日勤王明日佐幕。これが東京六本木スタイルである。東京租界・傭兵部隊の正しいありようである。斬られるときは顔を上げ、背中を向けるべからず。「明日のことはわからない」と、アメリカはルーカスのところで頑張るCG野郎ウエスギも言っておるではないか。なんだかわからんが、以下の唄を記しておきたい。歌詞を記憶したらどこでもいい、埠頭に行って南米行きの貨物船でも眺めながらカモメをともに口笛でも吹くといい。十一年にわたり苦楽を共にした、いやお気楽を共にした?畏友相馬Pを解放し、夢の四馬路(スマロ)にでも送り出してやってほしい。古河のあたりにあるらしいというその町に追い出してやっていただきたい。春までは湯治部通信を閉じたので、関係者の多くが重なっている東京星菫派の場を借り、追い出しコンパの顛末をご案内しました。


♪侍ニッポン 西條八十作詞・松平信博作曲/昭和6年

人を斬るのが 侍ならば
恋の未練が なぜ斬れぬ
伸びた月代(さかやき) さびしく撫(な)でて
新納鶴千代(注) にが笑い

昨日(きのう)勤王 明日(あした)は佐幕
その日その日の 出来心
どうせおいらは 裏切者よ
野暮な大小 落し差し

流れ流れて 大利根越えて
水戸は二の丸 三の丸
おれも生きたや 人間らしく
梅の花咲く 春じゃもの

命とろうか 女をとろか
死ぬも生きるも 五分と五分
泣いて笑って 鯉口切れば
江戸の桜田 雪が降る

♪カスバの女
大高ひさお作詞・久我山明作曲/昭和30年

涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴりこの頬(ほほ) 濡らしただけさ
ここは地の果て アルジェリヤ
どうせカスバの 夜に咲く
酒場の女の うす情け

唄ってあげましょ 女(わたし)でよけりゃ
セイヌのたそがれ 瞼(まぶた)の都
花はマロニエ シャンゼリゼ
赤い風車の 踊り子の
今更(いまさら)かえらぬ 身の上を

貴方も女(わたし)も 買われた命
恋してみたとて 一夜の火花(注)
明日はチュニスか モロッコか
泣いて手をふる うしろ影
外人部隊の 白い服
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spring has come.
♪春がぁくるよぉな
と書いて眠りについたら、ほんとうに春がきた。
六本木俳優座隣の公園近くを歩きながら
長岡と春みたいだね、と昼飯の後で笑いあった。

ひとは一日にどのくらい笑うものなのだろう。
おれは今日、TSPK2スタジオで朝から夜まで
笑い拍手しスタッフと肩たたき合っていた気がしている。

田舎者のやぼったい横やりを笑って躱しながら
見苦しい思惑に気づかぬふりをしながら
隙をついてここにたどりつくまでに
百度も二百度も放り出そうとしたが
そのつどスタッフに救われてきたな。

現場から駆けつけた古川の
真摯な顔を見た瞬間に、涙腺がゆるんだ。
真ん中のスィートスポットに座らせ
その隣に並んだ。
並んでいっしょに観てやることが
最大の賛辞になったかどうか。

2年前の夏の小岩井の蝉時雨と夏風からはじまった
古川の試行錯誤が、やっとひとつの最初のカタチを結んだ
その瞬間を祝福してやりたいと思った。

長岡も古川も門脇も浜田も武田も吉田も
考えてみれば、いいベテランである。
その彼らが夏休みの冒険を前にした子どものように
目を輝かせてとりくんできた答えのひとつを
スタジオでひとりの観客になってたのしみながら
麻薬のような時間だな、と苦笑がこぼれた。

ひとは一度しか生きられないのに
妻も子も親も兄弟も、
もしかしたら愛人もいるかもしれないのに
男盛りが十人も集まって
東京一刺激的で蠱惑的な遊びができる場所で
ガキのような声を上げながら
文化祭のような一日をおくっているのだ。

こんな一年中がカーニバルのような人生でいいのだろうか。

今夜は、ほんとうにひさしぶりに
夢も見ずに眠れそうだぜ。
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本日の六本木キックオフ参加者は以下11名+1名
プロデューサー 相馬/電通テック
ミキサー 武田/rスタジオ
ミキサー 浜田/TSP
オペレーター 浜元/TSP
音響効果 門脇/ TSP
録音部 (古川代理)菰田/TSP
サウンドプロデュース 吉田/ミューズクリエ
撮影技術統括 長岡/TSP
営業統括 郡山/TSP
演出部 渡辺/mediacircus
演出部 益子

終わって“れん”で飯をと言っているところに
ロケに出ていた古川が息せききって登場。
撤収を放り出して駆けつけたらしい。
本編とテスト版の両方を見、拍手し
仕事に戻っていった。

ひとつの仕上がりだけでなく
さまざまに示唆に満ちた一日となった。
D-Japanesque、いきなりカタチが見えた。

相馬、武田、長岡、菰田、渡辺たちと“れん”で乾杯。
この店で渡辺と乾杯をしたのが先月の21日夜。
そのとき未だ会津の成功は見えず。
ロケの完全勝利。冬-春篇仕上げ、SHM仕上げ、5.1サラウンド仕上げと、一気にここまで。笑顔の五人を前に感無量。そのまま温泉にでも行って雑魚寝して続きを聞いていたかった。

2005.12.21夜のメモから
それから六本木“れん”へ。撮影部に電話させたらさすがにみんな帰った後だった。渡辺とメンチとご飯とコーヒーで朝兼昼兼夜食をとった。赤ワインをグラスでもらい、自分自身に乾杯。くだらねえ時間によく堪えたと、夜の底でほめてやった。酔いざましにABCに寄った。気になった本を手当たり次第に買った。窓を開け、乾燥しきった真冬の夜気をたっぷり吸い込みながら蒲田へ。公園の脇にクルマを停め、30分ばかり密談。明日以降のプランをおおざっぱにシミュレーション。
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♪春がぁくるよぉなぁ
noteを閉じようとしたらメールが届いた。
胸糞の悪くなるようなその文面を読みながら
笑いがこぼれ、別な宇宙に生きているようだなと
国立天文台の渡部潤一さんのことを脈絡もなく思い浮かべた。
億光年の彼方ばかり見ていると、シャバに戻ったときに
どんなふうに人生が見えているのだろうか、と。
虎ノ門パストラルで2年続きで焼きおにぎりをほお張っていた
彼の少年のような笑顔を思い出した。
ましこさん、水平線の彼方に三日月が真横に出るんですよ。
まるで舟みたいに…
と教えてもらってから五年。
どうせなら、ああいう男と遊びたい。

むかしは困ったときにナガシマシゲオのことを考えてしのいだものだけど。

くそメールのおかげて眠気が消え、腹が減った。夕べの焼き芋をんじりながら、また十九の春を聴く。いままで聴いてきた十九の春と違い、最後に♪春がぁくるよぉなぁ とリフレインしcutout。ここがなんともすげえなぁ、と思うのだ。

 
   
 
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夜更けにヤシの実を流した
寝ようと書き、風呂にはいった。柚子をつぶしゆっくりとつかっているうちに、また投げ出したい、という気分にとらわれた。しょせんは請負。程度の差こそありながら、あれもこれも頼まれ仕事にすぎない。百も承知とうそぶいてはいても、ほころべばすき間から鎮めた思いが顔を出す。モエで乾杯したあとに、Iguはこう言った。「スタッフはついていかないかもしれないよ」と。そのことを思い出す。SoumとKawaに気を取られていて聞き流してしまったその呟きが甦る。線引きが、ここ一年のいや数年の課題だったのだ。ここで切ろうとするときに限って意地を見せるような仕事をされ、迷ってきたのだ。ついてこなければスタッフじゃねえよ。そう考えればなんのことはない。重ねた時間ではなく想いのたけ、それが分け目なのだ。袂など、痰はくようにわかてばいいのだ。風も光も、じつはIguではなくYosだったじゃねえか。削って外してせんじつめていけば、残るのは風と光だ。とすれば答えはそこにあり、そこにしかない。くそシャンパンとKawaの涙に気を取られ、しゃれた啖呵をあやうく聞き逃すところだった。忘れるところだった。築地も汐留も新宿も梅田も古河も、そして広尾もまとめて潮時だったのか。越えても越えてもつきまとうササクレは、見えない場所にも、いや見ようとしなかった隘路にこそ、まとめて深々と刺さっていたのかもしれない。決めてしまえば、そこまで。いつ、どこで見切るか。明日か、25日か。まだずっと先なのか。眠いのに眠りにつきたくない。できることなら明日を投げ出し、南島にでも行ってしまいたい。あれもこれもそっちもこっちも放り出し、高楊枝で旅に出たい。

なに、賢明が駆け落ちして消えてから、なべと二人でやってきたのだ。スタッフがひとりもいなくても振り出しに戻ればいい。ふぐにでも戻ればいい。したいことをしたいようにやった、賢明がいて今井さなえがいて辻がいた、あの神楽坂時代にまで戻ればいい。なにもわからずとも、「ま、いいじゃねえか」を合言葉に眠る時間を惜しんだ頃に帰ればいい。故郷だというなら、ハイタウンの7階こそが故郷じゃねえか。五十番のかた焼きそばと肉まんで腹は満ちるじゃねえか。

この間、musicstoreからダウンロードした歌い手のわからない「十九の春」を聴いている。微妙に歌詞が違っているのと歌い手が女ひとりというのが最初気になったが、三線ではなく二胡とピアノ、ソプラノサックスを伴奏にしたのが功を奏したか、リリカルなところが胸に染みる。 Infinix「Relaxation Asia 3 〜琉球の波〜」の中の1曲。http://www.sens-company.com/jp/text/infinix.html

iTunesのギフトを使い、数人に「十九の春」を送ってみた。
どんなふうに聴かれるのだろう。よふけに、webのからまったクモの糸をたどって東西南北を気まぐれに経由しながら、南島の唄がヤシの実のように流れていき、やがてたぶん今ごろは熟睡している知人の枕辺にたどり着く。彼らの眠りがおだやかで春の宵のように満ち足りていてくれることを願ったりしてみる。ついでに自分用に、リリイの「私は泣いています」live版を1曲購入し、自分宛にギフトで贈ってみた。いや、これがなかなか。

いくらか気も晴れた。これで眠る。
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くそして寝よう。
明日いよいよサラウンド仕上げ。
六本木コトブキK2スタジオにて。

湯治部ML、53件から28件を外す。
一ヶ月塩漬け。春に再開。これは、ま、記念だし。

銀座の北風が薄着にこたえた。
とはいえ、ひとつだけ収穫あり。
収穫は、しかしつねにD2Tの外部からだ。
中心が空虚で周辺から、
ではなんだかトンマな文化革命のようじゃねえか。
ナカヌキ時代に逆行し続けたツケがいっきに噴出してきた、
ここ数年のD2Tをみていると、しみじみ海図を持たない豪華客船だな、とあきれる。
政治や社会と、これだけ乖離していることに誰か不安は持たないのかと、思う。
カードゲームの員数合わせにすぎないことに、いつになったら気づけるのか。
ひとごとながら、気にかかる。
しおどめのはきだめ。悲惨な未来。

ひさしぶりに十時間、眠った。
ひとつめの打合せは、まだ意味があった。
ふたつめは、まったくのゼロ。いやマイナス。
ああいう時間のつぶしかたはダメなサラリーマン特有のもの。
備えが、まったくなくて、どうしてゲームに挑んでくるのか。
なぜ参戦できていると思えるのか、不思議でならない。
はやばやと見切って酒を飲みに行ったIkの勝ち。
ワーキング、3回目にしてほぼ空中分解。
D2Tでは、ほんとうにムリなのかな、と思う。

昨夜のrstudioのパトスは、いったい何だったのか。
正体が見えなさすぎる。
正体があるのかどうかすら、も。

あれとこれ。
遠ざかっていく熱のありか。
時間のせいだと考えていた。
ぽっかりとあいてみて、
切迫が薄らいでいることにあらためて気づいた。
北風が、つらくて帰りたいと思い
気づいたら蒲田。

三千世界のカラスなど、はてどこに行ったことやら。
おれは、ひたすら眠っていたい。
文字通り、ひとり寝で枕を高くしていたい。
今夜は、そういう気分から回復せず。

あれもこれも
明治のように、ただ遠い。
近代ですらなく、ただの歴史に堕していく。

くそして寝るか。
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以心伝心。
湯治部MLがちゃんと閉じられたのかどうかテストメールを送った。失敗。まだ閉じられていないようだが、うまくいかない。明日、なべに頼もうと考え。額に冷えピタを貼りぼんやりとテレビを見ながらクールダウンしていた。ふと気になってパソコンをつけ、メールをチェックしたらNagから携帯メールが一通。件名はRe:[tojibu3:01609] Test。本文は「更にテスト」の五文字だけ。「元気だ。心配いらない」と返信。じつはNag宛てに状況を説明するメールを書いておこうと考えながらへとへとになっていることに気づきあきらめて電源を落としていた。以心伝心。即応の簡潔なひとことをあらためて読みながら、これでほんとうに熟睡できそうだと思った。ひとりでも通じれば、それでよかった。
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BBメディアと大広どの
面倒くさいからやめた。
問い合わせなどもうしなくていいよ。
厭きたから。
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湯治部ML中断の知らせ
さて、長い間活用したり悪用?してきた湯治部MLですが
契約終了が明日となりましたので、
このメールを最後に中断することにします。
ほとんど片道通行のようなメーリングに
あきもせず?おつきあいいただいたこと
こころからお詫びとお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
今後のやりとりは
それぞれ個人的にお願いします。
では、みなさんお元気で。ね。

    2006.1.16 pm11:55
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ジョン・レノンの“スタンバイミー”
クライアントが帰り、D2も帰った後、Mixが終わりコピーをしているときにIguがシャンパンを買ってスタジオに戻ってきた。もうよせ、と言おうと思ったが、そのコトバを飲み込む。KawaとSoumの目頭が目に入った。まいったよ。Soumが上司と連れ立って小石川のオフィスに挨拶にきたのが11年と3週間前。賢明が東京から消えて2年半経った冬。賢明と渡辺の三人で穂高の家具屋で選んだでかい一枚板のテーブルをはさんで会ったことをぼんやりと覚えている。Soumは緊張していたのか怒ったような表情を崩さず、とても丁寧でおかしかった。それから年に何タイトルを仕上げてきたか。11年で100か200か。狭いスタジオでIguから手渡されたシャンパンボトルを一生懸命こじあけるSoumを見ながら、ああこいつは最初から毛がなかったな、とはじめての夜を思い出し、鼻の奥が痛くなった。プラスチックのコップにIguがシャンパンを7人分注ぐ。居合わせた7人が寄り集まって乾杯。誰かが献杯、かなと呟いた。別な誰かが、はじまりを祝って、と呟いた。誰からともなく、おつかれさまでした、とコトバが洩れた。7人が狭いスタジオの虚空を見上げ、おつかれさまでした、と唱和。Iguが音楽をかけた。ジョン・レノンの“スタンバイミー”。おれが東京でいちばん信頼してきた選曲家Iguが選んだその曲がrstudioM1に流れ、満ちていった。そういえばこの間買ったiPodmovieの記念刻印もstand by me.だったなと思ったとたんに顔を向けていられなくなった。いつものディレクターズチェアに座り帰る支度をはじめた。その背中にKawaの号泣。ゴメンナサイ、ゴメンナサイと途切れ途切れに聴こえた。地下から表に出た。助手席に座った途端、どっと疲れが出た。徒労と絶望にとらわれた。奈良、古河と11年間に撮った万を越すカットがフラッシュしていった。俎板の鯉となってこの二ヶ月、いっさいじたばたせずに顔を上げていた二人を思い浮かべた。一緒に退くべきではないかと数日前に詰め寄ってきたIguの顔を浮かべた。完徹をしながら黙々と粛々とスタジオを清めていた一昨日の二人を思った。陣を払うべきか否か、いま自問している。その選択は昨日までまったく想像すらしていなかった。総退陣。それも悪かねえか、彼らと別れ、二時間。思いもしなかった迷いを迷っている。感傷に過ぎないと思いながら、咽喉まで一つのコトバがこみあけてきている。

2006.1.16 19時過ぎ rスタジオに居合わせた7人は
Soum Kawa Igu Take Mano Wata T.Mであることを記しておきたい。
ちあきなおみの“ダンチョネ節”と宇崎竜童の“夜霧のブルース”を聴きながら

  ♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
   友よ あの娘よ さようなら ダンチョネ
   おれが死んだら 三途の川で 
   鬼を相手に 相撲を取る ダンチョネ

  ♪青い夜霧に灯影が紅い
   どうせおいらは独り者
   夢のすまろかおんきゅの街か
   あぁぁ 波の音にも血が騒ぐ
   かわいあの子が夜霧の中へ
   投げた涙のリラの花
   何も言わぬが笑ってみせる
   あぁぁ これが男と言うものさ

   花のホールで踊っちゃいても
   春を待たないエトランゼ
   男同士の相合い傘で
   あぁぁ 嵐呼ぶよな夜が更ける

なお、理由はありませんが
本日1月16日をもって湯治部メーリングを閉じます。
その旨をアナウンスした上で、ML関係者を絞り直し
本来の湯治部メンバーを対象に再開予定。
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「万物は冬に雪崩れていくがよい追憶にのみいまはいるのだ」
雨。タバコを買いがてら公園を散歩。肌寒くはあるが濃密で匂うような気配も。なつかしい女の肌に顔をうずめているような奇妙な感触。寝不足を解消するため早寝しようと目論んだが、ことしはじめてというか数ヶ月ぶりに港に着けたようで、もったいなくて起きていた。明日のMAVが終われば当面スケジュールされている課題はゼロ。あっちがゼロになるのはもしかしたら一年以上ぶりかもしれない。やっと。ほんとうにやっと、晴れ晴れとした気分で立ち向かうべきことに向かい合える時間ができるのだ。夏の盛りのメモやメールなどを読み返しながら数時間。真冬の春のような夜更けにふり返る猛夏は、しかし陽炎のように遠い記憶となっていた。ふとアポリネールとローランサンの話を思い出す。♪ミラボー橋の下 セーヌは流れる だったか。感傷ではなく、歳月のことを。福島さんとセッションした立原道造の「夏の弔ひ」のこともまた、唐突に。コロムビアの天然の日本第一巻「光の日本」の冒頭だった。夏の終わりに鶴の湯で撮った満月に狼の遠吠えを添え、福島さんの絶叫を一首置いてみた。たしか

  「万物は冬に雪崩れていくがよい追憶にのみいまはいるのだ」

だったはず。山下亜美はイタリアに移ってすでに三年。さていまいちどdigitalで手がけるとして、誰と組もうか。光と風。この2タイトルだけは、なにがあろうと凌駕したい。越せなければ、先へは行けない。行く意味もない。映像の目算は、ほぼついた。そのほかの展開はともあれ、この2本だけは、おなじフレームで今と明日に備えたい。こいつをカタチにできさえすれば、あとはどうにでも跳べる。そう確信している。そう確信するほかにないと決めている。

恥じらっている歳でもないので臆面も無く書いておこう。

追憶ではなく、希望。
あってほしいと願う明日。
それを、初夢と決め、熟睡したい。
ことしはじめての数ヶ月ぶりの熟睡を。
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SHMナレーション第2稿アップ
打ち合わせのあと相馬さん、渡辺の三人で南口の“ねぎし”へ。麦とろを食べた。戻って、すり合わせ内容を反映させwebに。これですべてOK。肩の荷がおりた。

明日、終われば、そのあとは全力をDnextに傾注できる。いよいよである。アタマを空っぽにし、もろもろをたのしみたい。

それをはずみにDJを深めカタチにしたい。
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全面敗北。
ま、そういうことだ。認めてしまえば、気もラクになる。軽くなる。しばし柳でありましょう。
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今年の国歌を決めた。ツリャツリャツリャツリャララー
唐突ですが、「一週間の唄」
今年の湯治部の国歌に定めたいと思うので
気の向いたときには風呂に入って斉唱してね。

しかし、
ロシアの恋人たちは水曜にあって木曜に送っていくまで
いったいなにしていたのであろーか。
それと、日曜に買った糸と麻で最後まで糸巻きしないのに
恋人に向かって誇らしげに「これが私の一週間の仕事です」
なんて宣言している。こいつはたぶんイワンだと思う。

 ♪日曜日に市場へ出かけ 糸と麻を買ってきた 
  月曜日にお風呂をたいて 
  火曜日にお風呂へ入り
  水曜日にあなたとあって 
  木曜日は送っていった 
  金曜日は糸巻きもせず 
  土曜日はおしゃべりばかり 
  恋人よこれが私の 一週間の仕事です 


    2006.1.15日曜日 湯治部敬白
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ゲバラ螺旋階段そうまにーるO・レディング
雨は上がっていて夜風が甘く春そのもの。公園のベンチでタバコを3本。桜でも散ってきそうな夜だった。それからコンビニへ。タバコを買ったついでに浴用剤を。「3億8千年前の驚異の天然岩塩・マグマ風呂」というのを見つけたのであるだけ買った。真ん丸い顔をし体形も真ん丸なおやじかおばさんか神か仏か不明のフーマンチューのような絵が描いてあり気持ちがなびいた。よく読んでみると小さな字で「チベット産岩塩使用」などとも書かれていてますます興味がわいた。1袋210円也。しかし、けっこう高えな。春の夜のような温もりはあったがさすがにまだ一月半ば。歩いているうちに指がかじかんできた。部屋に戻り風呂に湯をははりながらなんとなくDo You Love Me?The Dave Clark Fiveをリピート。16歳の頃に通った新宿の「螺旋階段」を思い出したので。ディスコではなく、ゴーゴー喫茶と呼ばれ、そのあたりの店にジュークボックスが置かれ、100円で死んだばかりのオーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」が聴けたころ。「螺旋階段」には店のど真ん中に螺旋階段があり、その階段はどこにも続いていなかった。ポケットにそうまにーるがいつも突っこんであったな。ゲバラが殺され、街のあちこちで彼の顔写真を見かけた年だったと思う。
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ナレーションアップ。
起きたら日が暮れていた。4時間、眠った。寝たりない気がしたがほぐれていないのか、飯を食ったらふっきれた。渡辺に編集分のキャプチャーを頼み、待っている間に風呂に入り頭を洗った。髭を剃り、熱いコーヒーを5杯分淹れ、渡辺が送ってくれたデータでナレーション原稿にかかる。予想以上に時間がかかった。3時間経過。ウエブに保存しメーリング。渡辺に元原稿を送り、タイムチェックを頼む。これで今夜はオフ。寝るかもういちど風呂に入るか夜の街を歩いてみるか。読みかけのミステリーを片づけるか。と迷っている時間はずいぶん久しぶりな気がする。明日、小正月。ことしはなんだか勤勉な小役人のように年明けから仕事ばかりしていた。P3のHはよく与論に行くらしい。一本目の三菱が終わったとき、へとへとになって半年ぶんの疲れを落とそうと、横江を誘って与論に飛んだことがあったが、あのときはひどく疲れたという記憶だけが残っている。奄美とはまたちがった印象だったが、与論小唄でも聴きに行ってみてもいいな。
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♪春が来るような夢を見て
   男・女
   奥山住まいの鶯は 梅の小枝で昼寝して
   春が来るような夢を見て ホケキョホケキョと鳴いていた

まだ編集終わらず。HDルームからデジβルームに移動し原版編集中。編集マン二人のほかに電通テックのプロデューサー川田&相馬、メディア渡辺とおれの6人。クライアントと電通最後の一人はさつき帰った。いつもなら徹夜をすると苛立ちと疲労でどうしようもなくなるのだが、今日はきわめてさわやか。あのくそのようなプロダクションBBメディア/実名のとんちき騒ぎがあった時間がそのまま続いているとはとても思えない、静かでピュアな進行ぶりである。この状態があと数ヶ月はやければすべての事情は激変していたはず。そのことを考えると脱力するが、人は土壇場しだいでもある。KとSのラストウィークの粛々とした仕事ぶりは、たいしたものだった。負け戦も、今夜の彼らにかかればふしぎなことに勝ち戦の様相あり。たかが仕事だ勝ちも負けもないともいえるが、ふたりともなんだか威風堂々とふるまっていて見上げたものである。俺の力はおよばなかったが、さいごに敬意を払っておきたい。
それにしても、さすがに眠い。このところずっと二、三時間しか眠っていなかったからなお。
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はるはあけぼの
まだ六本木地下。あと二時間はかかるか。今年は絶対に徹夜をやめようと思ったが、はや小正月前に禁を破ることになった。予想していたよりもシンプルな出来になりつつあるのが、ま、救いだ。ときどき携帯をチェックがてら地上に出ると、春の宵のように空気が甘い。いつ降ったのか道路がしっとりと濡れていて、いまにも桜がほころびそうな空気が満ちていた。バカなプロダクションの珍事の間は眠気が覚めたが、夜食をとったら眠くてならない。指でまぶたをこじあけディレクションしようとするが、先を急ぐスタッフも代理店もクライアントも、おれを置いてきぼりで、よほどのことがないと声をかけてくれない。そんなわけで眠さがさらに濃くなっている。

ずいぶんひさしぶりにP3のHと話した。
「十九の春」のことを教えてくれた。このwebメモを見たと。Hとは日本郵船のたしかバンニングシステムが始まりだった。「こころ花にあらずんば」「天然の日本シリーズ」と、今でも原点となるような仕事をともにした。「天然の日本シリーズ」は、現在目論んでいる「digitalJapanesqueシリーズ」の原型である。おれはこのなかの「光」と「風」の日本をまだ越えられずにいる。HD素材で欠落していた冬が埋められたのをきっかけに、digitalJapanesqueを早急に具体化するとスタッフたちに話したその直後にプロデューサーだったHから連絡があるというのも深い縁を感じる。機が熟したと告げられたな、と思った。Hを古河に誘い330inchHDプロジェクターで映写する南会津の雪景色のシーンを見せてやりたいと思う。東山魁偉の冬が障壁画サイズで吹雪いているあのシーンを。

まだ2時間は続きそうな編集だが、さすがにここまでくると気持ちもおだやかになる。諦念。ま、あとひと頑張りだ。なつかしい友の声も聴けたし、名分のたつ気晴らしもあった。ま、いいじやねえか。そう閉じられる。
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十九の春 歌詞

私が貴方に 惚れたのは ちょうど 十九の春でした
今さら 離縁と云うならば 元の十九にしておくれ

男 
元の十九にするならば 庭の枯れ木を見てごらん
枯れ木に花が咲くならば 焼いた魚も泳ぎ出す


みすて心があるならば 早くお知らせ下さいね
年も若くあるうちに 思い残すな 明日の花


一銭2銭の葉書さえ 千里万里と旅をする
同じコザ市に住みながら 逢えぬわが身のせつなさよ


主さん主さんと呼んだとて 主さんにゃ立派な方がある
いくら主さんと呼んだとて 一生忘れぬ片思い

男・女
奥山住まいの鶯は 梅の小枝で昼寝して
春が来るような夢を見て ホケキョホケキョと鳴いていた

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

戦前、沖縄では「ジュリグヮー小唄」として歌われた。それを1972年の日本復帰後、本竹裕助が歌詞を補作してレコード化、大ヒットした。
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十九の春異聞2
以下
http://bakkers.gr.jp/~lami/revue/19noharu.htmlより引用
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
下の文章は8月に神戸市民映画サークルで上映される「ナビィの恋」にあわせて 会報のために書いたものです
映画「ナビィの恋」のテーマソングといえる「十九の春」は、別名「よろん小唄」 「尾類小(ジュリグワー)小唄」「吉原小唄」など、1970年代に入ってからいろいろな 歌手の歌うレコードが発売されたようだが、詠み人知らず、元々沖縄の遊郭で流行し たもので、歌詞もたくさんのバリエーションがあるらしく、山原(やんばる)地方、 奄美の与論島、与那国島などでも歌われていたという。歌詞はヤマトグチの七五調、 メロディも沖縄音階ではない。
手元に沖縄の「マルフクレコード」から出ているCD「沖縄民謡特集」(FCD-1, 1987) に収録された本竹祐助・津波洋子の録音がある。レコーディング日時が書かれていな いが、おそらく60年代終わり頃か。伴奏に奇妙なバイオリンの音が聞こえる。沖縄で バイオリンとは一体、と疑問に思っていたのだが、どうやら意味があるらしい。

大正の頃か、辻の遊郭に「ヴァイオリン・カミー小」と呼ばれる遊女がいてバイオリ ンを弾き、「カチューシャの唄」や「ゴンドラの唄」が十八番で人気だったという。 当時内地には添田唖蝉坊らの壮士演歌など、バイオリンを弾きながら歌う音楽の形態 があった。これがおそらく遊郭で遊んだ内地の商人や役人によって都々逸などと共に 沖縄に伝えられたのであろう。 「十九の春」はその過程で形成されていった曲ではないだろうか。録音にバイオリン が使われたのは、そういう意味なのだと思う。

参考と推薦CD
竹中労「琉歌幻視行 : 島うたの世界」(田畑書店, 1975)
CD 大工哲弘「ウチナージンタ」(オフノートON-1, 1994)解説
CD 高田渡&金城恵子「よろん小唄(十九の春)」(B/C Record, 1998)

* なお、内地の古い流行歌が八重山でポピュラーであったということが、石垣島出身 の歌手・大工哲弘によって証言されている(ミュージック・マガジン 1994.10. p. 1 34-135)。音楽の伝播力にはつくづく驚かされる。
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かもめ
「歌を忘れたカナリヤという歌がありますが、カナリヤは実際に歌を忘れる鳥なのです。春になると雄のカナリヤの脳の“歌う中枢”は、約2倍大きくなります。雌を自分のところへ引きつけるために歌を覚え、そしてみごと夫婦関係が成立すると、この歌の脳中枢は半分(つまり元に戻る)となります。こうして次の春がくるまでカナリヤは実際に歌を忘れてしまうのです」

  と、するならば。
  次の春がきたときに歌い出すその歌は
  “忘れてしまった”歌なのだろうか。

  あるいは、
  まったくあたらしい求愛の歌なのか。
  リセットなのか、リプレイなのか。

  リセットなら捨てて鞭打たれてもいいが
  リプレイなら、そっと寝かせておけばいい。

  知らなかったとはいえ
  西条八十の抒情の、そこが限界。
  
地上に上がり携帯をチェック。長岡からみなとみらいのホームでカモメのSEが流れていたよ、とメール。蒲田駅の蒲田行進曲にはまいどうんざりさせられるが、港にカモメ、悪くない。霧笛もあれば、なおよし。春だ春だ、とニュースが騒いでいたが地上は底冷え。5分いただけで芯まで冷えた。もっとも今日はスタジオワークなのでセーターにサンダル履きということもあり。遅々として進まず、というわけではないが、展開に刺激ゼロ。改定の改定の改定ゆえとはいいながら、ため息がとまらない。
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温もりの誤差感度。
携帯の電源をオフにしておくと、その間に着信した記録がメールで送られてくる。留守電とも違いドライな時間の記録だけが表示されているのを読みながら、悲鳴が聴こえるようだなと思った。ラグの分だけ、その悲鳴も遠い。リアルタイム幻想の落とし穴がぽっかり開いているような気がする。いずれにしても遠い空となってしまった。船舶で旅するほかにない時代の異国の出来事を知らされているような想いが濃い。時制が音を立ててズレていく。リアリティが霧消していく。

D2Tとの温度差・皮膚感覚・状況認識いずれも落差が増殖するばかり。厳密にはD2Tではなく特定の個人たちだが、組織の縦割りがある以上、そうみなすほかにない。一切合切を手放してしまうことも含め検討しはじめる時期なのだとあらためて痛感した。これほど日本語が通じなくなっていることに昨夜から未明にかけがく然とさせられた。Nについては見切ったが、それは瑣末。KとSのこと、いよいよ瀬戸際にきた。プロジェクトの離陸までに解決したいが、徒労感が増すばかりである。問題解決の免疫がここまで低下しているとはさすがに思わなかった。つまらないプライドがたぶんすべてを損なっていくのだ。

30分遅れてスタジオに降りた。
みごとなまでに一日置きに天国と地獄。
疎通のすくない仕事でもあり、朝からすでにうんざりである。
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四馬路と虹口メモ
以下のwebページより引用
http://www.duarbo.jp/versoj/v-senzenkayou/shanhaiblues.htm
1939年(昭和14年)リリース。戦前の上海には、英米仏や日本の租界があり、アジア随一の国際都市でした。租界は、中国の弱体化につけ込んで各国が強制的に借り上げた居留地で、中国の統治権が及ばない独立地域でした。上海には、各国から夢を追い求める野心家や食い詰め者、犯罪者、スパイなどが集まり、「魔都」と呼ばれました。そこでは、数多くの犯罪や陰謀、そして恋がありました。ほかの都市にはない独特の魅力があったわけですが、それは、中国の屈辱の歴史に咲いたあだ花だったということを忘れてはなりません。ちなみに、どこかの国の租界の入り口には、「犬と中国人入るべからず」という立て看板があったといいます。

 四馬路は、蘇州河の南側にあった歓楽街で、現在は福州路と呼ばれています。ディック・ミネのもう1つの上海もの『夜霧のブルース』や、戦後はやった『上海帰りのリル』にも出てきます。蘇州河の北側には、虹口(ホンキュ)という街があり、そのあたり一帯に日本人が多く住んでいました。虹口と四馬路を結ぶのがガーデンブリッジ(中国名は外白渡橋)です。
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十九の春異聞
三月の陽気で雪崩注意だとニュース。あの津南は393cm、最高積雪記録を更新。liveではまだ降雪中。今日の古河でも、絶好のタイミングだったという話題がなんども出ていた。たしかに、あれはどうしてうまくいけたのか。いまだに頬つねる気分が消えず。

昨日、編集中にwebで見つけた「十九の春」。誰が歌っているのか不明だが、透明感のある歌声とリリカルな唄い方がなんともいい。ゆうべから30回は聴いたか。この歌い手のほかの歌を聴いてみたいが、さてどうすりゃいいのか。webをたどっている間に元歌が壮士節系のラッパ節であったことが判明。与論島に伝わり与論小唄となってさらに南島へと伝搬していったらしい。歌詞の内容を考えればどこか島唄系とは異なっているのはそのせいらしい。竹中労の著作を調べること。

以下与論町のwebページから引用
掲載日:2005年07月06日
撮影場所:百合ヶ浜
コメント
 「与論小唄」と「十九の春」について調査しています。「19の春」について多くの疑問が解明しました。明治43年、日本国が日ロ戦争を国民の目からそらすために「ラッパ節」を作詞・作曲、蓄音機がなかった時代当時の演歌師たちが、全国各地で巡業が行われ、各地に歌詞を変えた「ラッパ節」が流行する。当時大牟田の炭坑で働いていた与論の同胞の皆さんが、重労働の合間に望郷の心が「与論ラッパ節」に変わる。終戦・アメリカ信託時代を経て、与論で広く「与論ラッパ節」として、「夜遊」(男と女の恋愛)をとうして島人の心の教訓として歌い継がれる。歌詞が同じで節の違う「大島ラッパ節」は、大島に紬の見習いの為に、島を後にした織娘たちが同じく望郷心から歌われた唄である。当時のラッパ節は男女の恋心を即興で、唄を作り男女交互に唄われていた。その後歌詞は変わらず、節が演歌調になり「与論小唄」に名前が変わる。  沖縄(コザ市)にも与論小唄と同様な歌詞・節で唄われていた唄があった。終戦後沖縄には多くの米兵が駐留していて、春を売る女性たちが各地の離島から無理やり集められ、悲しい青春を余儀なくされる。そのコザ市でも、若き女性達の望郷心からラッパ節の歌詞を変えて唄われていた。昭和47年沖縄が日本復帰する。沖縄の唄者が「19の春」をレコードを発売するがヒットしなかった。与論小唄の歌詞では「もとの18しておくれ」と唄われる。沖縄の唄者は「19」の方がゴロ合わせが良いので「19の春」として発売する。その後昭和51年田畑義雄が「19の春」をカバーして全国的なヒット曲として・・・・・・・以下 明日につづく     私があなたにきた時は    丁度十八花ざかり     今更離縁というならば      もとの十八なしてくれ   もとの十八なすけれど    枯れ木に花が咲くものか     枯れ木に花が咲くなれば      もとの十八なしてやる            与論小唄より抜粋
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春だもの
起きてメールをチェックしたときに気づいた。
気にならなくなっていることに。
眠りに落ちる間際まで、寝起きに顔を洗うその前に
強迫神経症のようになっていた想いが消失していた。
古河の往復の間も、戻ってからもなお
それは気配を消し続けている。いまもなお。
ほぼ半年ぶりのことになるか。
朝、眠りに落ちる直前に、
むじなの森をふり返る気になったのがよかったのかどうか。
いずれにしても今夜熟睡し
明日の不毛さえクリアすれば
あとはタカが知れている。
14の言葉の使い道とDnext関連のプラン
なによりJapanesqueプランに着手できるはず。
没頭し没入できるはず。だから…
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古河芳流の天だねそば
今年の食い初め。年の瀬に天だねそばを食べたとき
おかみさんから「ぜんぶ食べてくれたのはじめてね」
と言われたので
今日は完食したかった。なにしろ朝昼兼晩飯だったから
ぺろっと腹に入った。茶漬けでも追加したかったがガマン。

古河に入ったとき、夕日。利根川沿いに西に夕日を見ながら進む。
左折してから正面に白い月。背に夕日。
惜しみつつ右折し夢工場へ。
倉持さん、鈴木さん、長岡、古川、武田、森川が揃っていた。
このままロケにでも出発したくなるような夕だった。
ほかにD2Tの高橋部長、川田、相馬。
顔合わせを兼ねプレビュー。文句無し。
二回観た。スクリーンが上がり扉が開くと
ムービーとほぼ同じ位置に銀の月。

ここ数日の混乱と不安がすべて溶けていくのが実感できた。
彼らといるとなぜ呼吸がラクになるのかと
蕎麦を食いながら考えた。

男同士、しかもこんな人数で一緒に暮らすわけにもいかないが
そうできたら愉快だろうな、と素直に思えた。
ま、セックスできないのが問題ではあるが。

古河駅前で別れた。
コージーコーナーが出来ていたので
ジャンボシューを買い、なべとぱくつきながら帰京。

ことしはじめて日が変わらずに解散。
明日の不毛に備えおたがい睡眠をとっておくことにする。

帰り際、芳流のおかみが定休日変えようか、と言っていたらしい。
童話のような町だな。
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悪阻。
5時間、まどろんだ。
熟睡できず。寝たり覚めたり、半覚半睡。
起きられたらと思っていたが、
眠っている気にもなれないので
古河に向うことにする。
わずか2日で、興味がすっかり失せている。
古い記録を読みながら、
仕事の仕組みに飽きているのじゃないか
という気がしている。
見いだせるなら、
もういちどあのむじなの森を構築すること。
それにつきる。
そうでなければこの永久に続きそうな悪阻がおさまらず。

芳流の天種そばを目標とし、
今日は生きる。
とりあえず、一日一個の卑近な目標を立てよう。
そしてそのためだけに生きるエネルギーを
体樹の細胞からかき集める。
それならまだダイジョウブ?
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いまひとたびの
眠れないまま、古いメールを読み返す。4年半前の7月7日の未明から一週間で書かれた10通に満たないやりとり。うち7通は発信。2通が受信。“特別な場所”と“想像力”について。ほかに夕日と虹と月。むじなが生息していたというむじな森という地名を持つ空間。ひぐらし。蛙。雨。笑顔のきれいな男たち。ジャンヌ。森のひと。農夫のような彫刻家。わが希望。砦。白い威容。灯影。夜霧。勇気。愛。志。突破あるのみ。一期は夢よただ狂へ。
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歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
「かなりあ」詩・西条八十

 歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
 いえいえ それはなりませぬ
 歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す 
          「かなりあ」詩・西条八十

象牙の舟はひんやりしみじみ底冷えし、銀のかいなど重たくて腕があがらない。カナリアは、忘れた歌を思い出すのではなく、きっと苦しくて声にならない叫びをもらすのだ。西条の抒情は禍々しく品がない。

鳥にも、限界点がある。それぞれの極限がある。ある高さを越えれば、どんなに羽ばたこうと呼吸ができなくなるはずだ。もってうまれた力以上に高く飛ぶことは不可能だ。

ハードルを取り払う、と書いた途端に箍が外れた。必ず開いていたpowerbookもバッグから取り出されることもない。起きて古河に向う力が残っていればと願う。届いたのだ、と自覚はしたが、やはりこの体で確かめておくべきだろう。誰にというわけではない。己ひとりの儀式として。起きて、たどり着ければいいのだが。

●ウエブをたどっていたらこんな話を読んだ。どこかの医者のページだった。
「歌を忘れたカナリヤという歌がありますが、カナリヤは実際に歌を忘れる鳥なのです。
 春になると雄のカナリヤの脳の「歌う中枢」は、約2倍大きくなります。
 雌を自分のところへ引きつけるために歌を覚え、そしてみごと夫婦関係が成立すると、この歌の脳中枢は半分(つまり元に戻る)となります。
 こうして次の春がくるまでカナリヤは実際に歌を忘れてしまうのです」
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五稜郭。ダンシングオールナイト。腕に怒りの?
結局3時過ぎまでstudioに。こんなところでこんな時間まで何をやっているのだろうと、繰り返し嫌悪の波が寄せてくるのを、ノートから古い歌を引っ張り出して聴きながら、ごまかした。いや、ごまかせはしなかったが時間をひたすらやり過ごした。おつかれ、と声をかけながら、もうこれでお終いにしような、と言いそうになる。こんなもの誰がやっても同じじゃねえか、と吐きそうになる。人のアラを見つけることでかろうじて踏みとどまれたようなもの。息苦しくなるたびに階段を上がり、呼吸しては地下に降りた。こんな春のような夜に、街を歩くこともなく、何の意味も価値もない編集を続けていることに、カラダもココロも軋んで軋んで軋みつづけているのが手に取るようにわかった。前日の別な地下で過ぎた時間と比べながら、今年はこんな日を交互に繰り返しているのだとあらためて。家に着く頃には、そのマシな日すら、おれは夜更けに終止符を打とうとしたことを思い出す。最悪。たぶん疲れているのだ。疲れに負けていくのだ、と思う。東京を離れたい。どこか山奥で一ヶ月くらい、こんこんと眠りたい。太郎の屋根や次郎の屋根の見えなくなるような場所で、未曾有のその雪に閉じこめられて過ごしたい。馬上で振り返りVサインかざし、「夢の味は格別」と好きな女たちに言い残し、一鞭くれて官軍の乱射のなかに飛び込んでいきたい。風呂に湯を満たしながら、ダンシングオールナイトを三度聴いた。時間があったので、淡谷のり子の別れのブルースも聴く。♪踊るブルースのせつなさよぉ。腕に錨の入れ墨を彫ったというやくざに強いマドロスは、長いこと「怒り」の入れ墨を彫っているのだと思い続けてたけど、いま聴きながら「錨」だと知った。17歳の時から、おれはずっと勘違いしていたことになる。マドロスだもの、そりゃ錨だよ。いくらやくざに強くても、さすがに怒りとは彫らねえだろうな。おかしなときに気づいたもんだ。気が抜けた。風呂に入るか。
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♪ 花のホールで踊っちゃいてもぉ
叫び出しそうになり、あわててpowerbookにイヤホンをつっこみiTunesに入れた宇崎竜童の夜霧のブルースを鼓膜の許容限界音で6回リピート。目の前に並んだモニターを目をつぶってシャットアウトし、5年近く前のむじなの森の夜道を必死で思い出す。6月から7月にかけて。真っ暗な山道に浮かんだ鎌のように鋭利な三日月。蛙の合唱。闇を裂くヘッドライト。星の瞬き。6回目で呼吸がラクになった。7回目はボリュームをまともにして聴くことができた。きのうはちあきなおみのダンチョネ節、今夜は夜霧のブルース。明日の夜は練鑑ブルースか網走番外地か唐獅子牡丹か緋牡丹博徒か。ここ二日。どういうわけかジャンキーのように夜中に仕事が終わりかけると錯乱。何かを壊したくてたまらなくなる。放っておくと自分を壊したくてたまらなくなる。自傷趣味の十代の少女のように自棄の時間がおそってくる。けだもののような気分になっている。


♪青い夜霧に灯影が紅い
 どうせおいらは独り者
 夢のすまろかおんきゅの街か
 あぁぁ 波の音にも血が騒ぐ
 かわいあの子が夜霧の中へ
 投げた涙のリラの花
 何も言わぬが笑ってみせる
 あぁぁ これが男と言うものさ

 花のホールで踊っちゃいても
 春を待たないエトランゼ
 男同士の相合い傘で
 あぁぁ 嵐呼ぶよな夜が更ける
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鑑を割ったか。
淡々と編集がすすみ、昼食と夕食をスタジオでとり、この時間となった。薄もやが十枚ぐらいかかった世界を遠眼鏡で眺めながら1日が終わっていく。ときおり地上に出ると、この冬はじめて感じるあまやかな春の夜の気配。寒すぎずタバコを吸うのにちょうどいい夜風。考えてみればまだ十一日。例年なら動き出すかどうかの境目。ことしはなんと勤勉に過ぎていくことか。
後朝を義務のように歌った。
うんざりしながら
むなしい時間を笑顔で消化。

なのかどうかも判然とせず。
ひたすら眠い。

本日の収穫は
Nが差し入れてくれた麻布十番浪花屋の鯛焼きのみ。
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あるエール。
ひどい汗で目覚めた。三時間の熟睡。
カーテンを明ければ光は春。しばらく窓を開け放ち朝の風と光にぼやけたアタマとカラダをさらす。濃いコーヒーを2杯腹にいれシャワー。へばりついたヘドロのような汗を洗い落とす。ヒゲを剃り、メールをチェック。Hから曲が1曲、届いていた。本文はなし。曲は中島みゆきの「ファイト!」。おいおい寝起きに中島みゆきかよ、とぼやきながら家人の耳を気にしイヤホーンで聴いた。鼻の奥がつんとした。まあ、いいじゃねえか。と言葉が口をついた。誰に読ませるというより、ほとんど誰も読まないサイトを選び、吐き捨てるような気分で使ってきたwebメモだけど、どこかで誰かが見てるのだ、と思うと奇妙な感情に満たされた。トーストをかじりながら「ファイト!」を3回リピート。窓の外はまぶしすぎるほどの春の光。外気は7℃でもエアコンなしで窓辺は23℃。ほんとうに春なのだ。どうせいつかは終わるのだ、今日じゃなくてもいい。そう思いながらもう一度シャワーの下に立つ。50℃に設定。熱くてうめき声が出たが5分続けた。目が完全に醒めた。資料をつかんで六本木へ。また地下生活に入る。あかりやさん、エールたしかにいただきました。ありがとう。

渡辺にちあきなみの6枚組をミューズに届けてもらう。
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♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
ちあきなおみの“ダンチョネ節”を聴きながら、メーリングを書いた。

これ以上はのぞめない。
そういう場所まで届いた、と思った。
熱でぼんやりしたアタマだったけど
伝えられるだけは伝えておきたいと思った。
関わった一人ひとりを抱きしめ、
これでいい、と伝えてやりたかったけど
居合わせた連中に声をかけるだけで
せいいっぱいだった。
崩れ落ちそうなだるさが夕方からつづいた。
クスリと栄養剤を渡辺に買ってきてもらったが
効果なし。目をあけているのがやっとだった。
十二年。
百本を越えたのか、二百本を数えたのか。
いずれにしても、到達点に達した、というのが実感。
ここではもう何もやることがない、
そう実感しながら脱力していった。
いまもまだ脱力がとまらない。
深い沼の底に沈んでいくような気分が濃い。
ちあきなおみの歌を聴いていると
もういいよ、
と言われているような気がしてならない。
これから何をどうやって行けばいいのか
見当もつかない。深い霧の中にいるようだ。
もう、ここまででいいかな、と思う。
生きていくのをやめてもいいかな、と思う。
達成感ではない。
達成したいことが、じつは何もないのだと
気づいてしまったこと。
索漠。

館岩で終わっていればと、痛切に思う。
目が回っている。
このままどこかに落ちていければ。
眠ってしまい、そのまま閉じられたら。

  ♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
   友よ あの娘よ さようなら ダンチョネ
   おれが死んだら 三途の川で 
   鬼を相手に 相撲を取る ダンチョネ

仕事の行き先などどうでもいい。
誰がやろうとどうなろうと興味もない。
取るに足らないことにもかかわらず
妙な熱気でごまかしながら
身過ぎ世過ぎを続けすぎたのだ。
あれもごまかしこれもごまかし。
嘆くだけの気力もない。

目を閉じてしまいたい。
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根比べ。つまるところは覚有情。
結局、おれの負け。
白旗を掲げた。
たった1日にも満たない反乱。錯乱。
笑うしかねえよな。
データは消せても情は消せない。

覚有情。

しかし、何だったのかな。
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フラッシュ。
間の問題なのか。
これからしばらくは
こうしてことあるごとに
フラッシュしていく時間に悩まされていくのだろうか。
やむを得ず、とは知りながら
やっかいなものである。
あきれるほかなし。
ごまかしきれないのか未練なのか。
不憫だ。な。
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さて、後朝を
どうするか。

1時過ぎに広尾r着。
すでにFたちが作業を先行。
昨日は仕込みで頑張ってくれたとのこと。

音が厚みを増していくのを聴きながら
後朝の歌を忘れていたことに気づく。
いまさらではあるが。
時間と想いにどう落とし前をつけるのか
という意味では、そのまま放置は、わが意にあらず。
なだらかであればいい。おだやかであればいい。
そうあるべきなのだ。

いつか、よみがえる記憶だってあるはず。

どんなばあいも
…格別であった。
はずなのだから…。
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死春記のことなど。
風呂に入り、ふり返る。
とりたてて変化なし。
消却の朝がある種の到達の朝というのも
なんとも皮肉なものでは、あるが。

それにしても東京の冬は
ずいぶん乾ききっていたのだと、あらためて。
わずかな雪の湿り気がノドを癒してくれるのを
はっきりと感じられる。
窓の外を走るクルマが水音をたてるのを
ずいぶんひさしぶりに聴く。

それにしても
あれはバブルの名残なのだろうか。
バブルに間にあわなかったことの焦りなのか。
どの時代にも、ありえることなのか。

輪郭が、哀しかった。
造型の、どの部分もつまらなかった。
質感が、貧しかった。
細部に至るほど、寂れていった。

代償だったのだ。
さほど切迫していないにもかかわらず
まぎれもなく、代償としてのめっていった。
とちゅうで気づきながら、とどめられなかった。

そのことを年の瀬に思い至った。
変えたのか、と問われた直後に、いや瞬間に気づいた。
一年前からなのか二年前からなのか三年前からなのか。
その丈を知らず。ただ迷いだけを知っていた。
瞬間的な交差だけは気づいていた。
気づきながら、捨てていた。
捨てながら、渇望していた。
知りながら知ろうとしなかった。
いや、信じようとしていなかった。
おびえていた。おそれていた。
逃げていた、のだ。

と、迷ってみても
しょせん、ではあるが。
せん無きこと、ではあるのだが。

無かったこと。気づかなかったこと。気づけなかったこと
にするほかはなし。

と、書いておく。
知りたくはなし。知るほかはなし、と書いたのは真崎だったか。

死春記だったか。もう30年以上前のこと。すべては朧である。
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東京淡雪
2時過ぎに雪に気づいた。
淡雪。初雪になるのか。
会津の豪雪とはうってかわって
儚い夢のように夜の底に白いものが降りていく。
車のヘッドライトに照らし出されるのは
まぎれもない雪だった。
気温2℃。
地面に着いた瞬間に溶けていく春の夢のような
東京の初雪を眺めながら
ああ、これで終止符を打てるのだ、と思った。
もう、充分だと、腑に落ちた。
熟睡すれば拭いきれるのか否か。
午前3時51分現在では、まだつかめず。
ただ、これ以上は行き止まりだ、ということだけが
せつせつとしみ込んでいく。

越えるべきものが、もう何もない。
ここまでだ、これ以上は行けぬと
淡雪が告げている。

ヘッドライトに照らし出された瞬間だけの輝き。
夜の底に着地すれば、溶けて消え去るだけ。
淡き、そして浅き夢。
儚い束の間の道行き。

ここでとどまる。
先には、もう行けない。
822+1239
2061の不毛。
7.8-1.9  約180 およそ12平均の混迷。

あがく以外に術は無かったのだ。
あれもこれも封印し
消去すべきものを消し去った。

もう、復旧する手段もない。
良かったのか否か、それもどうでもいい。
疲れ果てた。
痕跡を、のこしたくはない。

ただ、無かったことにしたいと、切望。
溶けて流れりゃ、みなおなじ。
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メモ1.7K3
・ぶら下がりスクリーンのlive化。音ふくむ。

・BDをフラッグとしたバーチャル。
潮騒の中。森林の中。夕日。日の出。月の出。月光。
タヒチ。音が見える。360度の音場。“完全なる楽園”シリーズ。そのど真ん中にいることで
いままで考えられなかった体験/体感が可能になるもの。
不動の滝/里見八犬伝06→初夏新緑。
麦畑の真ん中/ひばり。花畑たとえばひまわり?の真ん中。
花吹雪の真下。居ながらにして。
大人のセレクト。
サライプラチナ版。ダイナース。カード雑誌。JR東海。
イヴカ?トッパン。岡田さん。タイアップ。
パイオニア。ビクター。三菱。
シンフォレスト。大阪真鍋。ふくしま。アクアマリン。森のひと。
会津。飯森山。宗像窯。
舘岩村。
吉野家、TSUTAYA。ピア/ふくしま関係
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252
通りの読み方で基本的な14の挨拶言葉を表現してもらうことにした。
うまくいけば、かなりおもしろいことになるだろう。
失敗なら、プレゾーンや体験館にまわせる。
“はるらんまん篇”、渡辺がその日のうちに画像をキャプチャーし、
ラフなタイムをとってくれたので、さっそく仕上げ関係スタッフにまわす。
そのままMAV台本に転用。
D2Tを作業から外すことにしただけでこれだけ能率がアップする。
D2Tの制作上の存在意義と言うのは、ほんとうにいったい何なのか。
なぜ、SもNもあんな状態の自分に耐えていられるのか、
考えるほどわからなまなってくる。謎だな。八年越しの。
ひとが、どうしたらバカであることにガマンできるのか。
掃いて捨てるようなプライドすら持てずに、
どうして朝目覚められるのか。
ほんとに、いちど真顔で訊ねてみたい。
さて、どんな答えを返してくれるだろうか。

それはともかく。
持ち越してしまったSHMに焦ったが
おもいのほかすんなり推移してくれたのと
編集していたことをど忘れしていた素材の発掘とで
いっきに気分が春めいた。

なにより7日の3連休初日をつぶして組んだ
音仕上げのための打合せ/K3studioでの7時間が効いている。
前日は長岡が付き合ってくれたし
実際的な進行は、このところ何年もすべて六本木で進んでいるのだ。
築地も広尾も、かなり以前から停滞と阻害の源としての機能だけ。
もろもろを根底から考え直す時期なのか、とあらためて感じている。
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七草
1時過ぎから約6時間。六本木コトブキK3。井口、武田、門脇、浜田、古川と川田、相馬、郡山、渡辺で第2回ワーキング。テーマはサラウンド。10日のステレオ仕上げとは別に、平行作業にかかるサラウンド分の方向を決定。プレゼンスタイルも大ラフを決めた。18日に冬-春篇、テスト版をまとめ25日にプレビュー。はじめれいによってぎくしゃくがあったが、ぶじに進行。いいスタートを切れたと思う。まずはひとあんしん。
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綱渡り、大成功。
編集スタジオに読みかけの小説を持ち込まなかったのは、たぶん駆け出しの一年目くらい以来のこと。ほんとうに焦っていた。十時間眠ったことだけが、根拠とも言えない根拠だった。案の定、ぶれた気分は歪んだままに誤爆を重ねた。ワンカットもつなげないうちに、今日はお開きか、とアタマを冷やしに地上にあがった。風に吹かれてタバコを2本吸いなだめた。リスタートし、プロローグの「冬」をまとめたところで、11月につないであった編集素材を発見。いあわせた全員が忘れていた。というよりも俺が忘れ、彼らは俺が先に行こうとしていると考えていたのかもしれない。サーチしてみると、ドンピシャ。一気にラクになった。笑い話のようだが真実。これが思い出せていれば、この2日間の焦慮はゼロだったはず。笑うしかない。そのぶん結果的に考えることに時間を割けたので、出来は最上。離陸にふさわしい仕上げとなった。最初から最後まで長岡がつきあってくれた。そのことも大いに励まされた。山岡が、井口が、日向が、川田が顔を出し、内容に見合った顔ぶれでスタートできた。幸先のいい初仕事である。サーカスの綱渡りそのものの初仕事となった。これで今年は最後まで勝ち続けられる。まずはめでたし。
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痕跡
を消去していく。こんなことを何度繰り返したことか。笑いながらcutoutした。あれもこれもすべてまとめて、といきたいところだが、当面の問題だけにしぼった。rescueがかったるくなる。痛みも後悔もなくたんたんと片づけていった。外気温、9時ですでに2℃。上越から東北にかけて文字通りの豪雪となっている。あちこちで列車が止まり、幹線が切断されていると夕方のテレビで。3.8mの積雪となった津南は、今夜の寒気団でさらに1mが見込まれるとも。4.8m。およそ5メートルである。生きていくのもイヤになるような豪雪ぶりだ。年末の四日間。準備をいれて六日間、あれがベストだったのだとあらためて思う。そのベストをどれだけ明日の編集に活かせるか。と考えるとアタマが痛い。別ストーリーを遊んでしまうか、否か。迷うところだ。
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はや2000。マンガのごとく過ぎていく
読み返し、なんとつまらねうことを書いているのか、とあきれた。時期が過ぎれば道理がひっこむ。とは言わぬか。ま、そんな気分。旬を越えると、ほんとうにどうでもいいようなことを繰り返しているだけなのが明らかすぎて、かえっておかしい。ではなぜ、つづけているのか。そこがおれのウィークポイント。切りきれないのだ。まあいいじゃねえか、と思ってしまうと、行動もまたひっぱられていく。それらしいことば。もっともらしいふるまいが顔を出す。後朝といえば聞こえもいいが。情けというより、ただの怯懦。未練など、どこにも見あたらない。あえて、がわずらわしい、それだけのこと。にしても2000である。333.333だからおよそ334。狂気とは言わぬが、マンガ並ではあるな。
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登校拒否?
体調のせいだったのか、さだまらぬ精神ゆえなのか不明だが、
朝にかけてカラダもアタマもめちゃくちゃだった。
新宿に向かう間ももうれつな吐き気がおさまらず。引き返そうと
なんども思いつつ打合せに出席。
15分もしないうちに吐き気が消えているのに気づいた。
もしかしたら、登校拒否?
かどうかは不明だけど、それにちかいものがあったかもしれない。
今朝にかけての冷え込みと、とどめなければ、と意気込む気分とが
せめぎ合っているうちにカラダが負けた。
そんなところか。
面倒な気分をひきづりながら、なんどか連絡を入れておいた。
万が一、がすこしだけ気になっていたので。
結果、なんのことはなかった、と判明。あまりのたあいなさに
ずっこけた。こいつはバカなのか、と失笑が止まらなかった。
引っかかっていた小骨が取れ、体重が一気に軽くなる…
そんな感じだった。
面倒クセえなあ。それがただひとつの感想。
ほんとうに面倒くさい。
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夜の白昼夢。
一瞬、別人かと思った。目をこすって凝視。どこかで見慣れた顔だが、しかしまったくの別人という思いが一時間近く消えず。あれは何だったのか。その見慣れたしかし名指すことができない顔は、親しくはあっても隔たりがあった。路傍のひとを見ているような気分が澱になって沈んでいく。ウォードと偶然出会った直後から、その幻覚がはじまったように思う。その印象が消えてからも、ざらついた砂のような感覚が淡く残っていた。奇妙な夜だった。
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TSUNAMI(津波)★
高嶋哲夫著/集英社刊
M8の続編。しかし高嶋は小説が下手だな。いや下手というのはあたらない。物語るということについて根本的に何かが欠けているのだ。ばからしい気もするが、ソウルの欠如。テーマはおもしろいのに、子どもの書いた絵本のように陳腐。仕事にからんでいなければ放り出した一冊。つまらないのはわかっていたけど、ひどいもんだ。
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ソプラノズthird全巻★★★★★
DVD全13episode
secondseasonを観てからずいぶん経っていたので
記憶の欠落がひどく、乗り切れないままに最後まで。
コクがあって愉しかった。
どう考えても続きがないとおさまらない。
secondseasonを見直すことにする。
あの叔父のギャングはいったいどのあたりで仲直りしていたのか、気になってしょうがない。
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網走番外地★★
WOWOW
二日かけて4話分。これもあだ花。
高倉健が若かった、という以外に何もない。
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仁義なき戦い全巻★
WOWOW
晦日から元旦にかけて全七話だか八話だか
一挙放送を観た。ペケ。
あの時代にはそれなりの面白さがあったけど
いまとなってはほんもののクズ。
Vシネほどではないが、それにしても
第一話の脚本を笠原が書いていたことが信じられない。
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初仕事
シャーメゾンの4回目の台本改訂と荒編をアップ。大晦日から二日まで、3日間完全オフにできたので、案外、新鮮な気分で取り組めた。これから風呂に入り頭を洗ったらいよいよ「夢」に入る。目算では年内にSHMを終わらせ、年明けで「夢」の冬_春篇といきたかったが、ま、いいか。
ゆうべの初夢は、いろいろ見過ぎて、すっかり忘れた。いい気分だけが残っていた。
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白河越え'06
      > 日本中で雪はどこでも降りますが、「お天気」まで       益子さんを出迎えてくれるところは福島くらい

…だから、また来い、というメールが小名浜のKさんから。
言われてみれば、それも確かに。
ことしは、なにがあっても、「福島」にとりかかる。
いわきの海で「ジ・アース」かけ続けてくれている
「同志K」のお誘いだ。
白河越えの口実としては、まず申し分なし。

奄美越えたのも奈落越えたのも
なに、すべてはこの白河越えのはずみにすぎない。
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三日以後の予定メモ
1.シャーメゾン第4稿/荒編ver4
2.冬_春篇荒編集/ナレーション原稿
3.サウンドスケープ/ソフトプラン
4.室内環境音プラン
5.新家族/空良くん一家のプロフィール案
6.春_夏篇展開プラン
7.シャーメゾン館ソフトプラン
8.サステナブル館ソフトプラン
9.生活館ソフトプラン
10.FUKUSHIMA案件
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三島さんのweb賀状から引用
冬の朝はいつもおそろしいほど清潔だ 
ざらついた ぼくのこころは 
朝の冷気にたたかれて裏返され 
そこではじめてはるかな未知の声をきくのだ 
「宙ぶらりんの状態に置かれた感受性とは
いかなるものであるかきみはご存知だろうか」 

    長田弘「われら新鮮な旅人 婚礼Ⅰより」

ダダ。この一言こそが諸観念を狩猟に導く

エストラゴン「今度は何をするのかな?」
ヴラジミール「わからない」
エストラゴン「もう行こう」 
ヴラジミール「だめだよ」
エストラゴン「なぜさ?」
ヴラジミール「ゴドーを待つんだ」
エストラゴン「ああ、そうか」

  などの引用がコラージュされていた。
  彼の賀状はいつもプランナーらしい一枚で
  楽しめる。
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