2002年04月の記事


《コレリ大尉のマンドリン》★★
DVDレンタル。
《恋におちたシェイクスピア》の
ジョン・マッデンの新作なので期待したが×。

キャメラワークの美しさが際立った分、
未消化なシナリオが目立つ。
ニコラス・ケイジはミスキャストだろう。
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《世界の終わり、あるいは始まり》★★★★★
「世界の終わり、あるいは始まり」歌野晶午著/角川書店刊

読み進むことがまことに辛い小説である。
共感できることはどこにもない。
にもかかわらず、小説らしい小説。
出版社は販売戦略でミステリーとジャンル分けしているが、
とてもおさまりきれない。

途中で歌野の意図に気づかされてからは
答えのない迷宮にどっぷりとはいりこんだ。
そして読了後も脱け出せなかった。

これは、怖い小説である。
人間が抱え込む「明るい暗部」をめくり続けていくと
どんな貌が現れてくるのかという
あるいは現れることはあるのか、という
できれば避けて通りたい問いかけだけで成立する
地雷のような物語。

エピローグの「パンドラの箱」のエピソードと
父と息子のキャッチボールが
とりあえずの救いとして描かれてはいるが、
これが歌野の本意なのかどうか。

 
  『世界の始まりはカオスだったという。
   カオスは混とんとは違う。そもそもは巨大な空間を意味するのであり、
   《空》は空虚ということではなく、
   あらゆる可能性を秘めた無の状態をいう。
   そう、今日のこの、まっさらな青空のようなものだ。
    白球が空から落ちてくる。それは私の未来でもある』
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《ポワゾン》★★★
期待せずに見た。
ほぼこんなものだろうなという展開だった。

が、一途さの、
朴訥なまでの描写ぶりに
最後まで見てしまった。

最後まで見て、ラストシーンで気が晴れた。
ちかごろこんな屈託のないラストにお目にかかったことがない。


鼻水と頭痛が止まらず。
ひたすら小説と映画で退屈をしのいでいる。
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《闇の楽園》★★★★
「闇の楽園」戸梶圭太著/新潮文庫

ひきつづき戸梶を読む。
98年デビュー作。ポップさを意識しすぎた感の強い最近の傾向よりも、
このデビュー作のバランスの方がかえって新鮮なのではないか。
ストレートに楽しめた。

解説をテレビディレクターの堤幸彦が書いている。
近来まれに見るくだらない解説だった。
かりにも新潮社。なめられたものである。
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映画《GO》★★★
小説と比べるのもどうかと思うが
不出来な映画である。
窪園の演技はなんだか池袋ウエストパークと錯覚しそうで辛い。
宮島官九郎のシナリオ、これはテレビだろう。行定の演出もテレビ。
テレビではない分だけ、辛さが増したように思う。
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《OUT LIMIT》★★★☆
「OUT LIMIT」戸梶圭太著/徳間書店刊

引き続き戸梶を読む。
書き下ろしであることと連載することに
どんな差異があるのか。
この書き下ろしには、
同じ時期の作品とも思えないほどに
微妙な良さがあった。

「アンタッチャブル」にはキワモノ狙いに淫したところが目立ちすぎたが、
「OUT LIMIT」の破滅警官には、奇妙な悲しさが漂い、その一皮が余韻となっている。
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《牛乳アンタッチャブル》★★
「牛乳アンタッチャブル」戸梶圭太著/双葉社刊

雪印事件を素材にした「戸梶流」キワモノ。
戸梶らしいしり切れトンボぶり。
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《国境》★★★★
「国境」黒川博行著/講談社刊

帯の《わしとおまえで、国境破りや。》に惹かれて読んだ。
北朝鮮潜入取材を二回、とあるが、
奇妙なリアリティとすっとんきょうな登場人物とが相まって、一気に読了。
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「その森のひとは、どこへ帰ったのか?」《森のひと戦記》本編(仮題)
まず、こう打ってみた。

満月の五月晴れの朝に書き始めた
プランの、その表紙である。

これなら、退くに退けまい。我ながら。
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とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
窓を開けると、青空。
五月晴れである。

エアコンを切って、タバコを手に近くの公園に。

穀雨をたっぷりと吸ったさつきの緑が
朝の光にきらきら光っていた。

夏の間、毎日お世話になったベンチに腰を下ろし三本のタバコを灰にした。

昨夜おそくというか未明に見た月は、
ほぼ満月だった。

このところ続いていたおかしな陽気が
一気に吹き払われたような空を見上げながら、
いい日にスタートになるな、と納得。

なにからどう書けばいいのかと迷ってもいたが、
朝の空を見ているうちに最初の一行が浮かんだ。


  《その森のひとは、どこに帰ったのか?》


企画書の冒頭一行は、これで決まり。
なんだか、わくわくするぞ。


隠れテーマは吉本さんの《涙が涸れる》の一節から。

  《ぼくらはぼくらに または少女に
   それを視せて とほくまで
   ゆくんだと告げるのである

   とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ》


さて、どこまで行けるか。
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日曜日 朝5時
土曜日は、結局20時間眠っていた。
カゼ。眠っても眠っても眠かった。

今週は、ずっとひっかかっていた
《森のひと》の離陸の方法が視えた週になった。

その反動だったのか。

まだだるいが、
回復したら端午の節句、5月5日までには
大枠の構想をカタチにしたい。
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安藤さんの《夕焼けの空》
ぶっ通しで書いたせいか、火照りがおさまらず。昨日届いた安藤さんの手紙に添えられていたコラムを読んでいるうちに、
去年、須賀川のむじなの森でいっしょに眺めた夕焼けのことを思い出した。
安藤さんは小高い盛り土の上に立って見ていた。ぼくは現場事務所2階の踊り場から。
彫刻家安藤は、あの頃真っ黒に日に焼けて荒くれ者の土方のようだった。
《森のひと》を必ず継続させる。
そのことを銘じておきたいから、彼のコラムを写した。
キーを打ちながら、きもちのいい文章というのは、指がつかれないな、と思った。
そういうものだ。







●「夕焼けの空」安藤栄作
  河北新報の連載コラム[計数管]より


 先日、わが家の長男が熱を出して病院へ行った。
カミさんが息子と病院へ入って行った後、
私は駐車場の車の中で待っていた。
助手席では下の子がスヤスヤ寝ていた。
 ふと横を見ると太陽が雲を黄金色に輝かせながら、
ゆっくりと沈んで行くところだった。
その光は、次々とやって来る子供を抱えた親のほおや、
通りの向こうの店の壁を暖かい茜色に染めていた。
皆、自分がその光に輝いていることに気が付いていないふうだった。
 一日をあくせくと動き回って、ふと気付くとそれは始まっている。
何かにささやかれたように振り向くと、私はハーと息を吐いて佇んでしまう。
灰色の雲の輪郭沿いに金色に輝く傾きかけた太陽の光。
空がだいだい色と青とグリーンのグラデーションに染まって、
雲の向こう側で火事でも起きているように揺れている。
流れる雲の切れ間から巨大な光の柱が伸びて、
山の西側の斜面や森の木々の梢や家々の壁を黄金色に輝かせる。
人の顔にもあたって、夏の終わりのような、青春の切なさのような、
初恋のときめきのような、いとおしいような、
失うのだけれど満たされていくような、そんな心を呼びさます。
 なぜなのだろう。私はその状態がとても好きなのだが、
その訳はいまだ説明しきれない。子供のころからそうだったし、
友達と遊び回って大さわぎしていた若い頃もそうだった。
彫刻家として歩み始めた不安の日々の中でもそうだったし、
結婚し、子供ができた時もそうだった。
 ちよっとした心の琴線に触れて思い出したように感じる
個人的な感覚ではない。もっとずっと遠くから知っていたような、
愛されているような、切なさと、穏やかさと、
最初から与えられているような、手放しの喜びのような、あの感じ。
 私たちを包んでいる現実は本当はこっちなんだと思い、
私は無性にうれしくなる。
 私たちは、どんな人間も、気付いていようと、
気付いていなかろうとあの祝福の光を浴びている。
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初夏と晩春。
東北道、那須を過ぎたあたりから晩春の趣に。
遅咲きの桜が風に散って舞っていく。
福島で降りると料金所脇の公園で八重桜が満開。
市内はすっかり新緑の街になっている。

ろう学校で忍くんに会い、
その後、福島テレビに村上さんを訪ねる。
村上さんと連れ立って県庁に。
高荒さんの部屋に。
松崎さんも合流し、忍くんの絵のことなど歓談。

同窓会のようなひとときを過ごした。

市内のあちこちで紅白のハナミズキが咲いていた。

帰りに、千住で降りて満腹餃子館に寄った。
中国から仕入れてきたばかりというウーロン茶「自然美人」を飲む。
上品な味に疲れが溶けた。

それから蒲田へ。
安藤さんから長い手紙が届いていた。
読みながら涙がにじんだ。
河北新報に連載しているコラムの切り抜きも数点。
透明感と的確さを合わせ持ったふしぎな文体を読みながら、こわばりが溶けた。

菊地正志さんからは福島泰樹さんの短歌絶叫コンサート案内が転送されていた。

あれもこれも
さあ、動き出せ、
そんなふうに風が告げていると思いたくなる一日だった。

朝九時に東京を出発し、福島に。
昼飯抜きで忍くん、村上さん、高荒さん、松崎さんたちにお目にかかり、
夜の九時過ぎに千住で昼飯代わりの水餃子にありつくという、
ハードな一日だったが、
胸のつかえがすべて溶けていく、
佳き日でもあった。

まだ明るさの残っている空に、白い月が昇っていた。
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《著者略歴》★★★★★
丸二日間、ダウン。カゼ。

まだだるく、頭が痛い。
夢うつつの中で
ジョン・コラピント著《著者略歴》早川書房刊 を読んだ。

いままでに読んだことのないタイプ。
綱渡りのようなケレンが
きわどいところで均衡を保ち、一級のミステリーになっている。

寝ている間に、
福島の忍くんと会えることになった。
いきなりだが明日、福島往復。
わたなべがあわててスノータイヤを
ノーマルにチェンジ。

新緑の東北道を、一年ぶりに。
恋人に会うように、胸が高鳴る。
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《溝鼠》は最悪★
新堂冬樹《溝鼠》徳間書店刊を読了。

帯で放送作家の安達元一がべた褒めしているから、眉唾だなと懸念はした。
が、つい、「これぞ本物のノワール」というコピーにつられた。それが口惜しい。

《カリスマ》も下品だったが、この《溝鼠》は上を行く。いやこの場合はさらに下を行くと言うべきか。

こんな下司な奴が小説家として成立していることが、信じられない。

新堂は、しかし一作ごとに下品になっていく。
こんなものにまでノワールとつけてしまう
徳間の編集者の感覚に恐れ入る。

無知なのか、開き直りなのか、単に舐めているだけなのか。
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桃山晴衣の「遊びをせんとや…」
音楽顧問の菊地さんのページのLinkから
桃山晴衣のページに飛んだ。

冒頭に「遊びをせんとや生まれけん」の梁塵秘抄の一節。
これで惹きつけられ、ディスコグラフィをのぞく。
6枚のCDが出ているとあったので渡辺にヴァージンに行ってもらう。全滅。
1枚だけ注文を受け付けてもらえたとのこと。
残りはインディーズレーベルで扱えないらしい。
とりあえず注文したのは「梁塵秘抄の世界1」。

熊野の青岸渡寺でのコンサート、行ってみたかった。

ついでに頼んだフィリッパ・ジョルダーノのセカンドアルバム「ロッソ・アモーレ」は入手。


さてこれからエンジンをかけて、書くことに。
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天龍八部第二巻[王子受難]★★★★★
読了。
なんとも悠々とした展開。
帯には
「威力無窮!六脈神剣
至高の絶技を図らずも習得した
武芸嫌いの王子に降りかかる危機、また危機!
とある。

読み進むとその帯のままなのが金庸の良さ。

とぼけた味わいにも磨きがかかり
はらはらうはうはと、気の抜けるところ無し。

舞台は、大理の国から宋の江南へ。
さらに江湖の武林世界へと三巻で展開するらしい。

残りあと6巻。年内に順調に刊行されるといいのだが。


これから髪を洗ったらとりあえずオフィスへ。
あたりをつけて、残りは家で書くことに。
なにしろ2日がかりの渡辺の大掃除が続いているので…
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[tojibu2:00288] 今日の朝刊から
件名 : [tojibu2:00288] 今日の朝刊から
送信日時 : 2002年 4月 18日 木曜日 5:20 PM
差出人 : Toru Mashiko


朝日新聞朝刊でシャーウッドの[ヌード広告]を見ました。
とてもよかった。ハウジングのCMとして、
ひさしぶりにクリエイティブなものを見た気がします。
「裸を見たら、きっと好きになる」
これをヘッドラインにすれば、個人的には満点。

同じ朝刊に以下の記事。
これもとてもよかったのでコピーしました。



■米映画界、デジタル革命 撮影から配給・上映まで
 衛星やDVD、多媒体への利用に道 


 米映画界の本拠地ハリウッドを中心に、撮影から編集、配給、上映までを一貫して
デジタル方式にする動きが広がりつつある。このデジタルシネマ方式は、「声つき」
「色つき」に次ぐ映画の「第3次革命」(米評論家)。作品をいったんデジタル資産
として保存すれば、映画館だけでなく、様々な媒体で使いやすくなるという。(ロサ
ンゼルス=山本晴美)

 ●CGの映像、大作に定着

 昨年上映された「キャスト・アウェイ(難破)」の1シーン。漂流者(トム・ハン
クス)が、流れ着いた島のがけから大海を見下ろす。コバルトブルーの海、険しい岩、
点在する草木などが色鮮やかに展開する。

 だが、これらはすべてコンピューター・グラフィックス(CG)によるデジタル映
像。駐車場の高台からの映像に、編集段階で張り付けられたものだ。大海で漂流する
場面は、いかだを除き全部CG。空と水の色も、コンピューター操作で灰色に塗り替
えられた。

 「いまや、大作でCGを全く使わない映画は見当たらない」。ソニー・ピクチャー
ズエンタテインメント(SPE)の製作技術担当、ジョン・ニコラード氏は言う。

 SPEは傘下に、フィルム撮影した作品をデジタル化し、CG加工などを請け負う
約500人の部隊「イメージワークス」を抱えている。

 ●脱フィルム、コスト削減

 フィルムを捨て、撮影段階からデジタル方式を使う製作者も増えてきた。ジョージ・
ルーカス監督は、5月に公開する「スター・ウォーズ」の新作をソニーのデジタルビ
デオカメラのみで撮ってしまった。

 50分の35ミリフィルムが現像代込みで4千ドルするのに対し、デジタル方式で
使う特殊なテープは52分で75ドル。デジカメなら、どんな風に撮れたかを即座に
画面で確認できるうえ、色調整やCG加工も簡単だ。

 作業全体の効率化で、「新作では170万ドル(約2億2千万円)以上のコスト削
減ができた」(スター・ウォーズ製作責任者)という。

 露崎英介・SPE事業戦略部長は「うちだけで900の作品をデジタル方式で保存
している。3年後には2400作品に増やす」という。手持ちのデジタル資産が増え
れば、特殊映写機を備えた映画館、テレビのデジタル放送、インターネット配信、D
VDなどでの利用に道が開ける。

 米配給大手のテクニカラーは00年秋から、衛星、光ファイバー、DVDなどを使
い、デジタル映写機を持つ映画館に配給を始めた。CG加工や色調整を手がける写真
関連大手、イーストマン・コダックも、デジタル配給に意欲的だ。

 映画会社は、デジタル資産を再びフィルムに焼き直す必要がなくなり、年間数千万
ドルのコスト削減になる。映画館にしても、千回上映しても劣化しない画質が保証さ
れ、スポーツやコンサートの記録映像でお客を呼ぶことができる。

 ●ネット使い視聴者配信

 米国内でデジタル映写機を持つ映画館は約50カ所。映写方式の統一規格がないこ
とが普及を妨げると言われたが、ディズニー、ワーナー・ブラザーズなど米7大映画
会社がこのほど業界標準づくりに乗り出した。

 映写機は1台15万ドル(約2千万円)と高いが、「年内に250館以上がデジタ
ル映写機を導入する予定」(テクニカラー)という。

 インターネットを使い、映画会社が視聴者に直接配信するサービスも始まる。SP
E、ユニバーサル・スタジオなど5社は今年後半、共同のウエブサイトを開設する。
お客はサイトにある約100本から好きな作品を選び、パソコンにダウンロードして
見る仕組みだ。

 映画のダウンロードは、DSL(デジタル加入者線)、ケーブル回線に加入してい
れば40分程度で完了する。米国ではこうした高速・大容量回線に接続できる家庭が
1千万世帯以上あり、各社は1本あたり4ドル(約520円)程度での提供を検討し
ている。
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気が晴れた
ひさしぶりに深夜の六本木をクルマで流した。
スタジオに入ると、いつもひとけが消えてから外に出るせいか、
人とクルマの多さに驚いた。

末永とは3年ぶり。
少し太ったが、元気そうだった。


昨日つくってみたDVDを山岡君に見てもらい
予想以上に使えることを確認。

気が晴れたので
これから「天龍八部第二巻」を少し読んで寝る。

明日は晴れるだろうから、
一気に書こう。
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自慢しに
つくったDVDを山岡君に見せたくなり
連絡をとったところ六本木で編集中だった。
末永君の仕事だというので、顔を出すことに。
二種類のほやほやDVDを持って二人に自慢してこよう。
これから渡辺と六本木へ。


今日は気圧のせいか、仕事にならない。


すべては明日だ。
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メイストーム?
4月なのにメイストームのようだ。
目が冴えて眠れない。
昨日手に入れた「天龍八部」第二巻に入るかどうか、迷う。

眠れないからか
あれもこれも放擲したい気分が濃くなっている。

東京で暮らすのをやめようかな、とふと考えた。

なら、どこで暮らしたいのか。
どう生きてみたいのか。
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伊原さん、無念だね。
以下、引用。
つきあいで会員になっていたが
立ち上げた伊原氏ももういない。
三菱電機、なんだかほんとうにじたばたしてるな。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

本日は悲しいお知らせを皆様にお伝えしなければなりません。
2002年4月30日24時00分をもって、M-BROS.は放送を終了させて
頂きます。

 この決定が3月末に突然なされたこともあり、十分な告知期間
を設けることが出来なかったことを深くお詫び致します。

 思い起こせば、DIRECTVのオリジナル・チャンネルとして1998年
4月にスタートした時、最初にお届けしたアーチストはジミ・ヘン
ドリックスでした。常に本物のアーティスト魂、ライヴでのドラ
イヴ感にこだわり、映像素材を選んできたつもりです。

 放送開始直後はPV(プロモ・ビデオ)をあまり使用しないために
違和感を持たれた視聴者の方もおられました。また、古めのアー
ティストが多いために親近感を持てないとこぼされた若い視聴者
の方もおられました。しかし、徐々に我々の考え方が浸透して
きて、最近はそうした苦情もほとんどなくなっておりました。

 ロック世代の年齢幅は広く、M-BROS.の視聴契約者は、十代の方
から80歳代の方までおられました。CDを買わなくなった社会人でも、
週末だけはかつてのロック・ファンに戻って観ているという方が
多く、「またエレキ・ギターを引っ張り出して弾き始めたよ」と、
葉書を送って来られた団塊世代もおられました。反対にリアル
タイムでは見たことのない伝説の人々に感動したという十代の方も
いらっしゃいました。

 4年と一ヶ月という短い期間でしたが、「多チャンネル時代に
こんなチャンネルがあってもいいだろう」と立ち上げたチャンネルを、
これまでご支援頂き、スタッフ並びに関係者一同、心より感謝して
おります。なお、4月30日までの番組編成は継続を前提としたもの
ですので、ぜひ最後の瞬間まで番組をお楽しみ下さい。(4月17日から
はノースクランブルです!)

 本音としては、あれもやりたかった、このバンドも出したかったと
悔いが少し残っております。M-BROS.チャンネルとしてはこれで
お別れですが、「日本人による日本人のための洋楽ロック専門チャン
ネル」は今後もどこかで立ち上がるかも知れません。ロック・スピ
リットは不滅だと信じるからです。その日まで皆様と一緒に待って
いたいと思います。

 ジェスロ・タルのアルバム・タイトルにあった「Too Old To
Rock'N'Roll : Too Young To Die!」(ロックン・ロールにはトシ
だけど死ぬにはチョイト若すぎる)という名文句を胸に抱いて舞台
を降りることに致します。本当にご支援ありがとうございました。
God Bless You!

敬具

エムブロス一同
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DVD焼き込み時間表示の怪。
表示された時間は60分あまりだった。
念のためわたなべの時計で計測同時スタート。

30分経過。
表示は50分。

1時間経過。
表示は35分。

表示35分から15分経過。
表示35分のまま。

マックよ、おまえもか、である。
昨日まで、続けてきたテストはこれで無意味。

デュアル1ギガ確かに速い。
しかし、アプリの出鱈目ぶりは相変わらず。
これじゃ、仕事には使えねえ。

CMはもう少し控えめに打つべきだろう。
いくらUSAでも、大げさすぎるな。
パソコン雑誌も、もうすこしジャーナリズムとしての役割の自覚を深めようね。

提灯記事ばかりじゃ、広告屋と目くそ鼻くそだろう。

行きはよいが、帰りは怖い。

まったくしゃらくせえ。
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絵本版パパラギ
素材のとりこみの合間に
和田誠が構成し直した「絵本版パパラギ」をめくった。

和田さんは絵本の体裁をとるために
シンプルさを優先させすぎたような気がする。
和田流の絵が付け加えられたことも
イメージの喚起を阻む。
この絵本は、きっと飛ぶように版を重ねるのだろうが、
それこそ元版の世界から逸脱していくことにならないか。

ちょっと惜しいなと思う。
デジタルジャパネスクシリーズが立脚するのは元版の方だから、
ま、いいのだが。
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DVDバージョンアップ続く
やり始めたら止まらなくなった。
結局、1989年あたりからの作品を拾い出し
整理している。
DVにしてあるものだけだが、
はじめたら止まらない。

サーカス団は、そんなわけで
本日も開店休業とあいなった。
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引用「含羞」
花屋で日本すみれを買ってきました。
小さな花で太陽から背を向けるようにうつむいて咲いている。
土手や斜面などの木陰で、ひっそりと咲いている小さな花です。
歩いているとつい踏みつぶしてしまいそうに目立たない花だけど
よく見ると、すみれ、そのものなんだよな。

この間、撮影の仕事で
ビオラとパンジーを撮ったけど、
手をかけて扱いやすくした西洋種には
日本すみれのような含羞がねえな、と感じていた。
ベランダで寄せ植えしたり、庭に置くには、
ま、ほどがいいけど。

仕事で森を歩くと、
鬱蒼とした大木の下に、ひっそりと咲いている
ひとり静やふたり静を見かける。
ほとんど陽のささないような木の下闇に
ほんのりと小さな白がたたずんでいる。

仕事柄、目につきやすい派手なものに
目を奪われがちだけど、
こんな羞じらうような身の処し方もあるのだな、
そんなことを思いながら
手のひらに収まるような小さな鉢に植えられた
小指の先ほどの日本すみれを買ってみた。

だからどうだと言うわけでもないが
こんな花を買ったと、書いてみたくなりました。
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バージョンアップ
昨日つくったDVDが面白かったので
今夜は他の予定を取っ払って
バージョンアップにチャレンジ。

昼過ぎ、2時まで熟睡。
風呂にのんびりと入り、新聞を1時間かけて読む。
それからゆっくり朝兼昼飯を食べる。

渡辺も蒲田温泉に行った。
こんな日も悪くない。
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記憶の濃度。
何年ぶりになるのか。
一昨日の夜、なつかしい顔と会った。
二人の男。
一人はすぐにわかった。玄後。
げんご、と読む。
髪が年相応にグレーになった以外は
10代の頃のままだった。
いや、その頃のエキスを見た、
そんな気がした。
もう一人は、すぐにわからなかった。
モーフィングを逆に再生しながら
やっと面影にたどりつけた。

この差異がどこから来るのか。
帰路の湾岸を飛ばしながら考えたが
わからなかった。

ひとの記憶。
ひとに記憶される自分。

濃度のようなものなのか
ひとえに物理的な差異なのか。

ふしぎな余韻の残る時間となった。


まだ4月中旬。
夜の街は八十八夜のような風が吹いている。
体が、発熱したような熱さに包まれて眠れない。
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DVD焼込みテスト
小休止。

works4から5タイトル、約22分の内容をDVDにしてみた。

オーサリング内容は2つ。
まず22分の「すべてを見る」。
次に5つのタイトルべつの「タイトルごとに見る」。

階層はしたがって4。
収録したムービーの長さは計40分余り。

1枚目の焼込み所要タイムは約50分。
同じ内容で2枚目は約24分。ほぼ半分。
さらに3枚目もほぼ同タイム。

DVC素材をimovie2で編集。iDVD2で仕上げた。
ディスクはアップルの約600円程度のDVD-R。
画質は、肉眼でチェックしていて、
ほんの微妙にマット感が減少してるかなという程度。
まずなんの問題もない。

こりゃ、すげえな。
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Voicesに新インタビュー2件アップ。
14日に国立天文台の渡部先生宅で行われた
春のバーベキューパーティをカゼで欠席したが、
渡辺くんが先生、川田プロデューサーのコメントを録ってきたので
Voicesにアップ。
これで肩の荷がおりた。
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満腹餃子館と忍くんの絵
このところ腹にあるのは
満腹餃子館の上海出身の中国人がつくる
水餃子とチャーハンと鉄板餃子。

このところ頭にあるのは
福島の聾学校小学校二年生の忍くんが描いた「ぼくの頭に魚が来た」という絵。

東京はすっかり緑の街になっている。
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くしゃみ鼻水春がすみ
オフィス。午後6時30分。日没。

しっかりカゼをひきこんだようだ。
昨日からの鼻水が止まらない。

渡辺はこれから税理士の青木さんのオフィスへ。
おれは積水ハウスのデータを頭に入れながら、明日の打ち合わせに向けたラフイメージを。

頭の中は春がすみ状態。
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深夜の昼食は赤飯幕の内弁当。
しかし、なんだってこんなにさみいのだろう。震えるのでオフィスの窓をいやいや閉める。

神楽坂時代、小石川時代と、オフィスに猫がいた。
そのせいでベランダの窓は1年中開け放してあった。
打合せに来るスタッフ達にはまことに不評であったが、いつか慣れた。

猫は五年前から横須賀の渡辺の実家に転居。

もう必要もないのだが、
いまでも気がつくと窓を開けている。
だから、寒い。

少し前に、渡辺に買ってきてもらった栗泉堂の赤飯幕の内弁当を食べた。お茶は「しみじみ」缶。
本日二食目だから、昼食である。
BGMは「月の砂漠」。

弁当はうまかったかと言えば、んまかった。
ちまちました盛りつけが、妙に夜の寒さとあっていて、ゆっくり咀嚼しながら食った。

食いながら、オフィスにいた猫の飯の食い方を思い出した。
生まれたばかりで段ボールに入れられ、
オフィスのビルの入り口前の桜の木の下に
兄弟二匹で捨てられていた。
春四月。十二年前のちょうど今ごろのこと。
夜、タバコを買いに出たときに、春雨に濡れた満開の桜の下で、
か細い声で啼いていた。
タバコを買って戻ったときもまだ啼いていたので連れて帰った。
1匹は死んでいた。オフィスで渡辺や賢明とミルクを沸かし、スポイトで飲ませたりしていた。
一心不乱で食べているときに、ちよっとちょっかいを出すと、
ガルルーといつもとまったく違う声を出していた。
別に飢えているわけでなかったろうが、
きっと食べることにまじめなやつだったのだろう。

おれにはまったくなつかぬ猫だったが、
渡辺と、カメラマンの倉持さんにはよくなついていた。
倉持さんは横浜育ち、渡辺は横須賀。
潮のにおいが好きなのだろうと思っていた。

赤飯を咀嚼しながら、そんなことを思い出した。


さて、これから資料を読まなくては…
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森のひとへの手紙'02.04.10
深夜にくたくたになって部屋に戻ると、まずあの絵の前に座ります。
酒を飲まないので、タバコを二本灰にする間、絵に向かいます。
絵は梱包をといた夜からソファに立て掛けてあります。
真ん前にテレビがあり、画面をONにしてその青だけの明かりで、
ぼんやりと眺めます。そして、樹がざわめき始めるのを待つ。
やがて、風がそよぎ梢が揺れる。そして風の音が聴こえだします。
そのときによってそよ風のように感じたり、すすり泣きに思えたり
激しい嵐のように聴こえたりと、さまざまですが…
オフィスに置くつもりでいたのですが、
いましばらくはこのままにしようと考えています。

三日前から、額の左の方に、丈の低い白い花瓶に橙色の透百合を置いてみました。
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天龍八部第一巻★★★★★
金庸の《天龍八部》第一巻を読む。
朝刊を読み終えてから、寝る前にと思ったのがいけなかった。
そのまま昼前まで一気に読了。
奇妙なおかしみとおおらかさに満ちた出足である。
八部だから八冊。このまま月に一冊のペースを待つか、出そろってからまとめて読むか、迷う。
金庸。相変わらず読むビタミン剤のような作風。

七時過ぎにオフィス。
積水ハウス、結局金曜日からの再開と決まる。
バイク便で新カタログが届いていた。
これから目を通し、明日、箱書き。

宵の灯の下で公園のさつきが匂うような緑と朱を放っていた。
紀伊国屋に寄り、ジョイ・フィールディングの新作「グランド・アヴェニュー」を入手。「優しすぎて、怖い」を越えられるか。

ギャラリーいわきの藤田さんと、
安藤さんのところに手紙を出す。
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公式記録
協会から届いた未来博の公式記録ビデオを見る。
渡辺が家庭用のDVで記録したいくつかのシーンが使われていた。
仕事を離れ、森の熱気に突き動かされるようにして三ヶ月を過ごしたが、
こんなカタチで永久保存されるなら、
渡辺の汗もすこしはひくだろう。
彼が記録したDVは20数本を越える。

アテンダントたちが
森の昼と夜が
押し寄せる観客の群れが
二年間、福島の各地を渡り歩いた渡辺の目を通して
記録されている。

協会の記録とは別に、この素材を近いうちに一つのカタチにしたいと思う。

去年の今ごろは、
白河のカタクリの群生を撮る準備をしていた。
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寒い。
オフィスのルーターが急におかしくなり、
すべての接続がアウト。
渡辺の話では、未払いの金が157円あるので
止められたかな、とのこと。

まあ、いいじゃねえか、と一切を放り出して表に出たら、
寒かった。
すっごく寒くて、震えた。

公園の青葉になった枝垂れ桜の下で
タバコを一本吸ったががまんできずに別れる。

ほどなく電話があり、
ルーターを接続しなおしたら復帰したとのこと。

一件落着。
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TBSサバイバーの悲しさ
オンエア中のTBS「サバイバー」をリアルタイムで見ているが、悲しい。
本家アメリカの「サバイバル」と比べて、
この圧倒的な貧困感はどこから来るのか。

いまどきだから、きちんと権利をクリアしての番組制作だろうが、
何より出演している素人の貧しさだけが際立っている。

しみじみ子供の国なのだ、と思う。
あるいは集団の、組織の国なのだ、と。

つまらないのではなく、
切なくかなしいオンエアであるな。

ナレーターは古谷徹さん。
つまらねえ仕事をしてるものだ。
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忍くんの絵が離れない
忍くんの描いた絵が強烈に焼き付いて離れない。

渡辺が大きなサイズにキャプチャーしたものを21インチのCRTでフルスクリーン表示。
そのままデスクトップピクチャーにした。

デフォルメの大胆さ
色使いのあざやかさ
構成の秀逸さ

どれをとっても小学二年生とは思えない。
海の水のタッチのつけ方などは、なまじの大人でも敵うまい。

この忍くんと、会ってみたい。
彼がほかにどんな絵を描く人なのか
知りたい。

福島は、いや未来博は、
もしかしたらすごい財産を手に入れたことになるのではないか。

忍くんは、傑出した天才なのではないか。
繰り返し、彼の絵を見ながら
その思いが深まる一方だ。

行ってみるか。福島へ
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枝垂れ桜、青葉に。
帰りに渡辺とタバコを買いがてら遠いほうの公園に寄った。花見をした枝垂れ桜は葉桜を過ぎて、すっかり青葉になっていた。
春の宵というより、今夜は初夏の夜。
寒くも暑くもむしぱむこともなく、
そのままベンチで眠ってしまいたいような夜。
もっとも近ごろのベンチは浮浪者いじめで仕切りがあって横になれないようになっている。
この国の役人は、いやになるくらい
おかしなところに気が回る。
横断歩道で目の不自由な歩行者向けに流す「とおりゃんせ」もすごい。
行きは良い良い。帰りは怖い…
と、盲相手に親切めかして流すのである。

カネに不自由の無い奴隷は、しかしいちばん始末が悪い。

「パパラギ」の絵本版を見つけたので紀伊国屋で一冊買った。
出たばかりの頃、何十冊配ったことか。
リアリズムとなった「パパラギ」の世界が、現在。
誰でも寓話だと思っていたよな。じっさい。

しゃれにもならない。
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春の灯、二題。ムービーを東京星菫派にアップ
昨夜、テスト撮影したフローティングキャンドルを渡辺にアップしてもらい、撮影部に資料として公開。

上野の森の露店で売っていたキャンドルが
春の灯となってF900で残ることになる。
これにクリスタル彫刻。ガラスなどを加え、
DJシリーズがさらに深まっていく。
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恋人たち★★
DVD版。
夜は確かに美しく、月明かりがかすかに照らし出すワイングラスのきらめきはデジタルだから昔よりはっきりと見えた。

しかし、テンポが…

もとよりルイ・マルにテンポを求めるのは筋違い。なんだがな。
眠くなった。生理的に、映画として成立している『間』が耐えられなかった。

モノクロの名作だと記憶していたが、
こんな記憶もいつの間にかノスタルジー。
ル・コントの「橋の上の女」を見た後では、
ルイ・マルの《恋人たち》のノワールは
ほとんど時代錯誤の感が強かった。

ぼやけたようなVHSレベルで見ていれば
あるいはこんな感想を持たずにすんだのかもしれない。

DVDがというよりは
デジタル化は、予想以上の選別を強いることになるのか…
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ロード・オブ・ザ・リング★★★★
前の席しか空いていなくて首が痛かった記憶がいちばん。
物語はまだまだ序章というところ。
峡谷の館のシーンを見ているときにふと
須賀川のむじなの森を思い浮かべた。

来夏のVOL2で、さてどんなファンタジーとなるか。
スクリーンよりDVDでじっくり見たい、そんな感じが強い。
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緑の海に花水木。
午後2時過ぎまで熟睡。
汗をかいて目覚めた。
カゼぎみのせいか、夏日だったという日ざしのためか。
シャワーを浴びてバスローブのまま2時間。日が陰るまで涼む。

渡辺と映画街の喫茶店で待ち合わせ、
ことしはじめてのアイスコーヒーを飲みながら、今週の打合せ。
すべての環境をOSXに移行することにする。

未対応のアプリケーションについては気にしないことにした。つまり切り捨て。
はじめてマックを使ったのが94年の暮れ。
OSXを少し使ってみて、あの年の冬を思い出した。
すべてが新鮮で、眠れないほど興奮し続けた3ヶ月。
それまでラクだと喜びながら3年間使ってきたワープロ「文豪」が子供のおもちゃのように思えた。
あの冬から春にかけてを彷彿とさせる。
それにつけても「文豪」。
日本のメーカーというのは含羞が無い。
3年間使いながら、機種を問われて
答えるのが恥ずかしくて仕方なかった。

それはさておきOSX。
ひとことで言うなら、「可能性」。
なんだかわからないのに、自分に可能性が無限に広がっていくイメージ。

そういうことをしみじみ感じさせてくれる。
ちなみにIMはEGBRIDGE13。
書くことを弾ませてくれるインプットメソッドが、
やっと誕生した。そう思う。
EGWORDの過剰さはやや閉口させられるが、
ま、これはご愛嬌。

DOCの遊びに惑わされ、店頭で見かけても食指が動かなかったが、
使いだしてみて、一年をムダに過ごしたなと痛感。

あれもこれも小賢しい猿慈慧勝負のようなアプリが山になっていたおれのマックも、
あれもこれも捨てて、これで身軽になった。

録画してもらった教育テレビオンエアの「未来の教室」のアラン・ケイを未明に見た。
フラワーチルドレン。健在だった。

寝る前にパソコン雑誌を眺めていて
東芝のダイナブックの記事を読みながら
日本のメーカーの無神経さというのは
どこから来るのか、ふしぎだった。
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朝のメール
件名 : [tojibu2:00284] 行ってらっしゃい
送信日時 : 2002年 4月 5日 金曜日 5:58 AM
差出人 : Toru Mashiko


  深夜まで、ほんとうにおつかれさまでした。



  自宅に帰り、S-VHSをチェック。
  まったく問題ありません。
  現時点では最高品質クラスの仕上げであることを確認しました。

  考えにくいことではありますが、
  プリント会社のケアレスミスと判断します。
  エクサは、信頼に足るプリントサービスで知られていますが
  今後こういう問題が繰り返されることの無いように
  電通テックからきちんとした申し入れをお願いします。



  山岡さん、明後日からのラスベガス行き
  あたらしい刺激をたのしみにしています。
  今年はブロードバンド(放送の方だけど)の正念場だけに
  なんとしても同行したかったのですが果たせなかった。
  放送というメディアがどこに向かおうとするのか
  こんどのNABで、その舳先が見えるはず。
  きっと数年後には、
  ターニングポイントだったと振り返られる年になる。はず。

  小深田さん、菊地さんにもくれぐれもよろしく。
  自腹切って毎年勉強に行?いる君たちが
  東京で勝ち抜いているのは当たり前だよな。



  中山さん、
  駆り立てられたのがなぜなのかを問うことはないよ。
  人は、自分が思いもよらなかったときに、転回するものだ。
  あの情熱と思い込みが消えないうちにネクストステージに進むこと。
  発熱は、あんな仕事のしかたをすると、つきものだから。
  いちどきに複数のものが視えると自覚できるときは
  そう何度もやってこない。波が来たときに見逃さないこと。
  たぶん今の君がそうだね。放っておくと、心はすぐに眠くなる。
  いっきに行けるところまで行くんだな。
  こちらのオフィスを全面的に解放・提供します。
  好きなように使って下さい。



  スタジオから帰る途中で月が昇った。
  未明の月の下で、葉桜が強風に揺れていた。
  思わぬ時間がかかったけど、いい夜だった。
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その少年の描いた絵
《むじなの森》のトップに
《ぼくの顔に魚が来た》と題された
聾学校の2年生が描いた絵をアップロード。

おれのジ・アースが、耳の悪い子供に
こんなに見えていたのかと考えるとなんだか不思議だ。

オフィスで、ひさしぶりにのんびりしている。
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ぼくの顔に魚が来た
と題された詩。
県立聾学校福島分校の小学部2年 忍 浩和くんが書いたもの。
《児童・生徒によるうつくしま未来博感想文集》の123ページ。

  七月十三日(金)晴れのちどしゃぶり
  学校のみんなとみらいはくに行った。
  ジ・アースは楽しかった。
  ぼくの顔に魚が来た。
  びっくりした。
  
その短文の上に、忍くんが描いたステージの絵がある。
絵は深い紺をベースに白で縁取られた数十人の子供たち。たぶん聾学校の生徒たち。
右端にアテンダントが立っている。
絵のほぼ3/4のスペースに巨大なスクリーン。
スクリーンには冒頭の飛び出す魚のシーン。
飛び出してきた魚の顔はスクリーンのほぼ1/3を占める大きさとなっている。


きっと目に見えるすべてが、彼にとっては
驚きに満ちていたのだと思う。
音の分も加えて、忍くんには、
こんな大きな魚に見えたのだろうな…
だったらスクリーン全部を埋めてやれば良かった。
そう思った。

聾学校の子供たちは、みんな両手を上げた姿で描かれている。
3Dもいいじゃねえか。そう思った。


この忍くんの描いた絵、ほしい。
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