2002年05月の記事


summertime'02の力を借りながら…
プレゼンビデオの構成。
こんなものつくったことないので
何かを参考にとも思ったが、やめる。

見せてもらいたい、
そう思えるものをつくろう。

BGMは菱沼コレクションのsummertime'02
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「千草」の記憶
この夜もっとも印象に残ったのは菊池さん自身の曲「千草」だった。
プログラムにはこう書かれていた。


《千草/命をねらわれた狐は、復讐のため美しい娘・千草に化けて男に近づく。しかし、男の超人的な力に魅せられ、命運を共にする。石川淳「紫苑物語」より構想》
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夜会・森の記憶と十七夜の月光
「樹間を吹き抜ける風がある。
  記憶の底よりよみがえるものがある」

東京オペラシティの[近江楽堂]。
菊池雅志さんの《森の記憶》と題したコンサートに行く。
近江楽堂の客席に腰を下ろし天井を見上げたら木組みの間に薄暮の空が見えた。
夏の藍。
近江楽堂はこぶりだが、コンサートホール同様に木の反響がいい。
笛と尺八のソロという地味なコンサートにもかかわらず、満席。
福島泰樹さんも来ていたので挨拶。
後で渡辺から聞いたら、パワーブックG4を使っているけど、まだネットのつなぎ方がわからん、と笑っていたとか。
DVDもまだ使ったことがないらしい。

この間、曼荼羅で会ったときに
短歌絶叫の映像をDVDにしたいな、と言っていたけど、
どうやって見るつもりだったのか。

三十一文字。
字数考えれば、電源入れて起動している間に、筆でさらさらと書いちゃえばいいのに…
と想像し、とてもおかしかった。

東京オペラシティは湯浅譲二さん、タン・ドンと隣のコンサートホールで聞いたが
木の香りが匂うようでなんとなく気に入っている。

帰りがけに昇りかけた巨大な月が見えた。
十七夜。

菊地さんはアンコールで月光をイメージした曲を吹いた。
そういう夜だった。

四日続けて首都は月の光に満ちている。
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ざらつき
9時間、夢も見ずに眠った。
カラダが海の底にいるようにダルい。
怒りは消えていたが、
ほかのものもいっしょに消えた。
冷え冷えとした感覚がつま先まで満たしている。
《仕事》というのは、こういうものかも知れないな。

熱いシャワーを浴びても
覚めるのは両目だけ。体の芯は殻を閉じたまま。

啖呵を切ればよかったのか。
殴ればよかったのか。
うつむいて背を向ければよかったのか。

これから六本木。
地下のスタジオで長い編集が始まる。

osXはふつうに使っているとアクティブなウィンドウだけが見える。
他は見えない。
今日は、これがうらやましくてならない。
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いやなことうれしいこと
いやなこと。
砂を飲んだようなざらついた気分が静まらずに閉口した。
が、
やっと消炎。
臨界点なのかな、とも思う。

うれしいこと。
倉持さんから小山の消息を聞かされた。
「上品で大胆です」と。
男としては最上級の褒め言葉だろう。
ちかごろこんな言われ方をされた男を見ない。
それが小山であったことが、とても嬉しかった。
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Spanish Ladyの昼と夜。
明日は7時過ぎに蒲田を出る。

なんとか寝ようと努力したが、眠れず。
日曜から聴き続けている菱沼さんプレゼントのSpanish Ladyをまた聴いている。

しかし、なんというイントロなのか。
そしてなんという展開なのか。
さらになんというフィニッシュなのか。

19分の息継ぐヒマのない熱狂。
おれは酒を飲まぬが、
独りでこんな演奏を酒を飲みながら聴いていると、どんなことになってしまうのか。

昼の光の下で聴くと、元気が湧き
夜の月明かりのもとで聴くと彼岸を想う
そんな曲なのだ。

いや、まいった。
くそして寝よう。
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《髪結いの亭主》★★★★★
とりあえず書いた。プロデューサーと渡辺君ののチェック待ち。買い置きしたおにぎりとサンドイッチで遅い昼食をとる。


明日はなんとかしのげそうな気配。
予報よりはいい天気になりそうだ。←願望


このあいだ十年ぶりくらいでルコントの「髪結いの亭主」をDVDで見た。
ラストの展開をまったく記憶違いしていたことに気付いた。


マチルドは男を捨てて逃げ出したのだと理解していた。
だからつまらねえ映画だな、と記憶していた。


ところがである。
マチルダは男を深く愛するあまり、その愛がいつか消滅すること、あるいは男が先に死んでしまうことを恐れ、愛のピークのうちに自死を選んでいた。

マチルダは過剰すぎる想像力に溺れ、濁流に身を投げたわけだ。
病的ではあるが、しかしある意味、理想的でもある身の処し方でもある。
時を経てやがて形骸だけになっていく愛の必然を思えば、絶頂で自死というのはベストな選択とも言える。はず。


ルコントが描きたかったことを、おれはまったくとぼけた解釈のままに十年過ぎていた。


ばかげた話だが、
他にもそんな勘違いがあり、そのことに気付き直せるとしたら、
ま、いいじゃねえか。


某所より指摘あり。
「ル・コント」ではなく「ルコント」だと。
恥ずかしい毎日ではあります。
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菱沼さんからもらったSpanish Lady
オフィス。今日は一人。
コンビニでタバコと飲み物、昼用のおにぎりなどを買って。
明日から1週間、撮影と仕上げ。

なんとか今日中に台本をアップしないととは思うが、カゼがぬけないせいか、
起きたそばから眠く、うすもやが1枚も2枚もかかった感じが消えず。

夕方からは、渡辺と荒編もやらなくては、
と思うだけでどっと疲れる。

菱沼さんからもらった
Spanish Ladyをリピートし、なんとか台本だけでも始末したい。
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《東京アウトサイダーズ》★
ロバート・ホワイティング著/角川書店刊

《東京アンダーワールド》の続編、というかおまけのような雑本。
たぶんこれも「ノワール好き」のマスコミに好意的に取り上げられるのだろうな。

《和をもって日本となす》どまりにしておげば、日本通のガイジンでとどまれたものを、どうしてこんなに中途半端に手を染めるのか。

それにしても《東京アンダーワールド》を
ドリーム・ワークスがマーチン・スコセッシで映画にするという。アメリカというのはほんとうにお気楽な国でうらやましい。
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コメントの抜粋をし、提出用にまとめる。
オフィスに来たのは三日ぶり。

これから新宿。
5時から打合せの後、
ライブラリー編集の件で相馬さんたちと検討予定。
できればDVDソフトも見てきたい。

渡辺は、明日、明後日で会津方面に行ってもらうことになるか。
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《天龍八部》第三巻「運命の激流」★★★★★
金庸著/徳間書店刊

しかし、金庸の面白さはどこからくるのか。
手に汗握りながら第三巻も没頭。
残り五巻。待ち遠しいような惜しいような。

今日はパジャマのまま一日を過ごした。
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《バカラ》★★★★
服部真澄著/文藝春秋社刊


面白く読めた。服部の小説ではピカイチだろう。
日継と名付けられた、どこか孫正義をモデルにしたような存在がよかった。
エピローグを読みながら、この日継を主人公に据えて書かなかったのはなぜなのか、ふと思った。

カゼの具合は相変わらず。自重。

大場さんからなんだか秋のようなメールが届く。
はじめて海外に行ったのがサンフランシスコ。彼と一緒だった。
仕事の途中で降板させられたことが一度。それも彼だったことなどを思い出す。

出会って14年になる。
近いうちに会ってこよう。
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四谷で髪を切った。
アスタリックの打ち合わせの後、満腹餃子館に行っているという菱沼さん達に合流しようかと迷いながら、四谷に髪を切りに。
なにしろ前が見えづらく、頭がやけに重く感じていたので…
店に行ったら、横江が昨日来た、と。
この十年で接近遭遇は毎月だが、ばったりというのはただ一度、去年の夏。
1日違いというのは数回だけだから、近いうちに連絡でもしてみよう。

天龍八部の第三巻が出ていたので購入。
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[tojibu2:00293] 報告と次のロケプラン
件名 : [tojibu2:00293] 報告と次のロケプラン
送信日時 : 2002年 5月 15日 水曜日 01:27 PM
差出人 : Toru Mashiko
返信先 : tojibu2@

国立ロケ、うまくいってよかった。
朝早くから、関係者の皆さんおつかれさまでした。


元シーナロケッツのパカッショニスト西山さんが
4年ぶりに顔を見せてくれたのは嬉しかった。
それにしても彼がβラボの建っている同じ町内に住んでいたとは。
なお彼が差し入れに持ってきたクッキーは「菓子の木」製。
店は、国立市東2-13-22にありtelは042-576-7724です。
西山さんのお勧めのアーモンドをまぶしたやつを
大半ワタクシが食べてしまったので、
どうしてもという方は上記の店を訪ねてください。

前川さんのお土産のチョコレートもまことにうまく
これも大半が我が胃袋に収まりました。
どうしてもという方は前川さんに泣きついてみてください。

有本くんが差し入れてくれたカンボジア仕込みの
「The Music of CAMBODIA」。いまPCで再生して聴いていますが、
なんだかとても眠くなるガムランの変種のような音楽です。
どうしても聴きたいという方は、わたなべくんに頼んで
CDに焼いてもらうか、MP-3にしてもらってください。

土産と差し入れのことばかりで
なんといやしいヤツだとお思いかもしれませんが
5月5日以来、ほぼ十日ぶりにのぞいた晴れ間のおかげで
予定した内容をしっかり撮影することができました。
積水ハウスのロケは、ほんとうにツキに恵まれている。
(差し入れにもね)

ただ次の週末に杞憂あり。
昼前発表の週間予報では18日/19日ともに雨。
今日現在で前線の東進が半日ズレたから
頼みにしていた19日はNGの公算大です。

二つの考え方があります。
1.物件を背景にするなら順延/仕切り直し
2.インタビューと物件を別に考える
 インタビューは新宿/シック・シティー
 物件は別班で編集までにロケ(撮影部NGのため)

ぼくとしては2をおすすめします。
2の場合は18日土曜日に新宿だけでOKです。
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ダウン寸前
国立ロケ、ぶじに終わった。
が、睡眠不足と天候不順でカゼ悪化。

国立でアップにしておけばよかった。
六本木に戻ってキャンドルのテスト撮影したのがこたえた。

12時間眠ったが、昨日よりひどくなっている。
これからなんとかオフィスに行き、
18-19日のインタビュー内容の原稿を送ること、
そのあと5時に秋葉原でビクターアーツとの打ち合わせまでをなんとかハードルにし、
ダウンかな。


髪でも切ってくるか。
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満腹餃子館はこんな店
http://homepage.mac.com/torum_3/PhotoAlbum475.html

むじなの森公認の店第1号
満腹餃子館について
つのきさんがレポートをつくったので
まず写真にしてアップ。
ひきつづきフラッシュをQuickTimeにしたものを
アップできる予定。

しかしここはほんとうにうまい。
桜のロケの帰りに湯治部の撮影チームを連れていったが
全員感動していた。

店主の上海出身の中国人と
手伝っている女性と若い青年ともに
笑顔が泣きたくなるほどまっすぐでステキだ。

こんな食べ物屋を見かけることがなくなった。

うまいものをつくり
うまいなと思いながらたべてもらう。
その笑顔を見ているだけでとても嬉しくなる。

かんたんに書くとそんな感じの店である。
そんな店、もうねえだろう。
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Mac Fanの表紙なんとかならんのか
頭が痛い。カゼがすっきり直らず閉口。
夕暮れ2時間ほどオフィスに行きメールチェックと渡辺くんとのかんたんな打ち合わせをしたらダウン。

クスリもあまり効果なし。

紀伊国屋によって小説と雑誌を仕入れて帰宅。

「Mac Fan」の表紙は、しかしなんだってこんなにばかっぽいのだろう。
太もも丸出しにしたナイトウエアのようなファッションの女がカメラ目線でほほ笑みながらiBookを右手で触っている。

レジに持っていきにくい。
つい裏返しにして出すが、裏表紙のCMがまたダサイ。

雑誌本文のレイアウトも信じられないような品のなさというか、頭が悪そうである。

腹は立たんが、しかしなあ。


明日は5時に起きて6時発。
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吉祥寺 曼荼羅ライブ
12時間熟睡。カゼぬけず。

3時/新宿積水ハウス 台本打ち合わせ
7時/吉祥寺曼荼羅 福島さんLive

福島さん、菊地さん、石塚さんとは八年ぶりくらいか。
さてどんな夜になるのか。

日時、5月10日(金) 7時30分開演
 場所 吉祥寺南口下車、井の頭通り左、「まるい」斜め向かい、南口から3分
    �エ 0422-47-6782
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あれは喜劇か。
しかし、
外務省というのはスゴイ役所だな。
金と女にどれだけだらしがなかろうと、
それは「平時」の身過ぎ世過ぎで
いったん事あればいなせな外交官ぶりを発揮するのだろうと、
ま、思っていたわけでもねえんだよな。じっさい。

中国の領事館事件の外交官のとった態度、
そのことについて語られた一国の首相のコトバ。

おれは猿以下の国の国民なのだと
今日はほんとうに身を切るような寒さもあって
昼前から不愉快でならない。

何をいまさらと思わぬでもないが
それにしても それにつけてもだ。

あれは万死に値する行為だろう。

国などというものがあるとするなら
むきだしの国辱を見せられた気がする。


国が滅びていくということを
なんだかしみじみ実感させられて…



あの、日本国という看板の掲げられた柱に
必死でしがみついている女性を
いったいどんな顔して見ていられたのか。
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遠方より…パンプキンからのメッセージ
雪の残る須賀川の寒さに震えて始まった私のジ・アース
春先のサーカスのような器具つり込みに足が震え、
初夏のカナブン攻撃、歓喜のカブトムシ採集、
快男児、山田氏との出会い、
子供たちの歓喜の声、
アテンダント、バックスタッフたちの笑顔、
日に焼けた、テックのタッチャン、

いろいろ
しみこむ日々でした。

子供たちが、手を伸ばし、桜の葉や、魚にふれようとしていた姿、
一番嬉しかった
ホントは私も、やってましたけど。


あの日、近くの宿が取れず、
20k程離れた月光温泉に一人で宿泊した際
20畳は有ろうかと思える部屋の真ん中に布団に引き、
タマタマCDプレイヤーに入れてあった、ジョニ・ミチェルのウッドストックを聞いて
焼酎を飲み
デジカメに記録された須賀川の夕焼けを見て
いろんな空想をしてしまった夜を思い出します。

軽い酔いの中思ったことをちょっとだけ、

蛙たちの声に起こされた
あの森のちっちゃい住人の妖精が
リハーサルを繰り返すジ・アースの鉄骨足場の一番上に
毎晩カナブンの背中に乗って何人か遊びに来て、
スクリーンに映ったカタクリの花の臭いをかいだり、
初めてみる海に思いをはせたり、
大きな人間の動く姿に恐怖したり、
初めてみる魚に驚いたりして、
妖精社会で大人気になってたりして

博覧会が始まると
冒険好きな妖精などは
降り出した雪に飛び乗って、子供の髪の毛に飛び移り、
他の街に出かけていってしまったり、
妖精同士の大事件が起こったりして、

そんな空想をしながら、
酔いを深めていきました

「夢のあと」など
今になって眺めると、
森の妖精たちは静かさが戻っていく森を
眺めながら、祭りの終わりを
どのように感じているのかなど・・

お話が地球の水の起源
気が遠くなるほどの過去のことですが、
もしかすると、その過去を知ってる妖精の子孫が
「やっと、水を考えたか?人間君は」
と、話し合っていたりして・・・

空想好きですいません、

僕にとっては、空想の中で続いています。

きっと、いつまでも目の奥に焼き付いている
赤紫のラズベリーのような山の夕焼け
あれは、妖精が
面白い映画のお礼に
見せてくれた
彼らのお礼だったのかもしれません


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
差出人は、パンプキン?
http://homepage.mac.com/torum_3/Voices/iMovieTheater101.html
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第2稿アップ
積水ハウス/シャーメゾン第2稿アップ。
イントラネットに入れる。

菱沼さんから連絡があり
レースクイーンがらみの企画とか。
森の人とレースクイーン。

うーん。
どちらもいいじゃねえか。
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八卦占い20002.5.6朝
ウエブをたどっていたら、八卦占いができます。
とあったので占ってみた。

本卦は
漸(ぜん)
山の上に木がある形。女が嫁ぐに吉。行動を起こしても行き詰まることがなく、進んで事を行なっても成功する。

之卦は、
渙(かん)
風が水を吹き散らす形。散らばったものは集めることが出來れば通る。大きなことをしてもよいが貞正でなければならない。


《森のひと》いまだ手つかず。
しかし、力づけられる占いではある。
端午の節句の、その夜のこと。


あせりはない。
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summertimeを聴きながら3時間
風呂上がりの火照りを冷ますつもりで
安藤さんのコラムを写しだしたら3時間経過。
「ゆらぎ」と「光の子」以外に
「森のひと」全文もついでに。
5月の夜風によく似あっているせいか。

さらに、歌野晶午の「世界の終わり、あるいは始まり」から
『パンドラの箱後日談』のパートを写す。

なんだか夏休み初日の中学生のような気分になった。

BGMは菱沼さんがくれた
《Summertimeコレクション'02》。


これで、前段階の準備は万端というところかな。

もうしばらくしたら夜が明ける。
夜明けの湾岸でも走ってみるか。
渡辺が電話で起きてくれればいいが。
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パンドラ後日談
「ないちゃだめ」
パンドラがとほうにくれていると、小さな声がしました。
「だいじょうぶよ、わたしがついているから」
声は箱の中からきこえます。
「あなたはだあれ?」
パンドラはおそるおそるたずねました。
「わたしは『きぼう』です。
人間が『わざわいに』まけないよう、
おてつだいをします。
くるしいとき、かなしいとき、こまったときは、
どうかわたしをよんでください。
わたしはいつも、あなたたちの心の中にいます」
パンドラは「きぼう」のおかげでげんきをとりもどし、
またエピメテウスとなかよくくらしはじめました。
「きぼう」はパンドラだけのものではありません。
わたしたちが、くるしいとき、かなしいとき、こまったときに、
くじけず、あきらめずにいきていけるのは、
心の中の「きぼう」が、なぐさめ、はげましてくれるからなのです。
ほら、ごらんなさい。
雪がふり、風がふきつける、寒い冬。
でも、春はもうそこまできているのです。

 歌野晶午「世界の終わり、あるいは始まり」
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《森のひと》後書き 安藤栄作
私たち人間や動物、木や草花、それに雲や大地は皆地球から生まれました。
地球自身が姿を変えたものたちです。地球もまた太陽や土星、夜空に輝く
無数の星々同じ、宇宙のチリやガスから生まれました。それぞれの中には
宇宙の精霊(スピリット)がいきづいています。

私たちは道や街を造るため、木々を切り、野山の形を変えて生きてきました。
そのありさまは何か人間が人間のためだけに行っているようで
つらい気持ちになったりします。

野山の木々やそこで暮らしていた動物や虫の精霊はどうしているのでしょう。
私たちは宇宙の精霊を宿した兄弟たちが共に幸せな心でいられるよう
想いを形にすることにしました。

未来博会場「水の惑星ジ・アース」館の前に、会場整備で出た木々を使い、
大きな、横たわる『森のひと』のモニュメントを造ります。
『森のひと』には、宇宙や世界、自分自身の想いや願いを記して
『森のひと』の制作に参加して下さい。
文字を書いたり、色を塗ったり、彫刻したり、
ただその枝を手でギュッとにぎるだけでもかまいません。
『森のひと』が皆の想いや
願いで輝いて、その光が、世界に宇宙に放たれることを願って…。


                           彫刻家 安藤栄作
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《森のひと》全文
  『森のひと』 安藤栄作


ある時、宇宙の神様が命の笛を吹いた。
神様はその音が大好きで、とても幸せな気持ちになった。
その響きは虹色に輝き、ゆっくりと宇宙に広がっていった。

大河の流れのように、大海原をいく波のうねりのように、
その音はゆったりと、ゆらいで、真暗な世界に幾筋もの光を引いた。

ずいぶんと遠くまで旅を続けた青い色の音が、
宇宙のかたすみで青く光る星になった。
そして、その星には青い魂を持った精霊たちが生まれた。

空は澄んだ心のように青く、吹く風は、
子にふれる母親の手のように草原を渡った。
鳥は光の子のように羽ばたき、魚は天の川のように泳いだ。
大地は精霊たちの祝福の歌で揺れていた。

その中に物を造ることが大好きな精霊がいた。
それはとても楽しくて、来る日も来る日も新しい物を造った。
ある時顔を上げると、大地が彼の造った物でうまっていた。
他の精霊たちは居場所がなくなり、少しずつ姿を消していった。

みんながいなくなることが寂しかった。
再び帰ってきてほしかった。
目をとじて、ずっと昔の事を想ってみた。
彼の魂がまだ青い音だった頃、
みんなと宇宙をゆっくり旅していた頃のこと。
すると、忘れかけていたあの音色が心に響いた。

神様が吹く、命の笛の音は虹色に輝きながら今も私たちを包んでいる。
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「光の子」 安藤栄作
「光の子」 安藤栄作
   河北新報より

私たちはいったい何をやっているのだろう。
光のようにこの世に生まれてきて、
「さあ思いっきり世界を愛しなさい」と神様から、
きれいな水と空気と太陽の光を与えられて、
歩み始めたはずなのに、
水は飲めなくしてしまい、
空気は汚してしまい、
空には巨大な穴まであけて、
体に悪い光を浴びて、
揚げ句の果ては人の上に爆弾をバラバラばらまいて、
人の歩く道に爆発物を無数に埋めて。
本当にこんなことをしようと思って
生まれてきたのだろうか。

雨上がりの朝に、
水蒸気と水滴で光輝く草原を見た時の
胸の震えを忘れないでほしい。
突然吹いてきた風に洗われて悩みが体からはがれていく
あの心地よさを忘れないでほしい。
夕日を受けて輝くあなたのその頬が
世界にやすらぎと、ときめきを与えていることを
忘れないでほしい。

この手は
土をほじくって地雷を埋めるために
与えられたのではないし、
人の上に爆弾をまくために与えられたのでもない。
この口は人をののしるために与えられたのでもなければ、
食べきれないほどの食物をガツガツむさぼるために
与えられたものでもない。
この心は人をさげすんだり、
出し抜くために与えられたのではない。

自分は自分以外の世界のすべてのためにある。
この宇宙が生まれた時、その創造のスピリットは
すべての空間や物質の内に受け継がれている。
宇宙の一部でもある私たち一人ひとりの中にも
それは宿っている。
世界をいとおしいと思い、祝福することは
自分自身をいとおしみ祝福していることなのだ。
すべては宇宙の一部であり一体だ。
一つの命を抹殺することは宇宙を抹殺することなのだ。
それを見聞きして私たちの魂が沈むのは
私たちの内にある宇宙の創造のスピリットに
逆行するからだ。

その手も口も心も世界を愛するために与えられた道具だ。
互いの魂を救いあったり、
風や光の中にあるスピリットが
自分の中にもあることを感じること。
世界を思いっきり愛すること。
私は宗教家でもなんでもない。
ただ山の中で地球を回って吹く風にあたって、
宇宙を旅してやって来た光をあびながら
彫刻を彫っていると、どうしてもそう思えるのだ。
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「ゆらぎの話」 安藤栄作
「ゆらぎの話」 安藤栄作
      河北新報より 


みなさんの心は、ゆらいでいますか。

彫刻を続けて見えてきたことがある。
命の輝きのライン、ゆらぎだ。

古今東西を問わず、
素晴らしい彫刻は皆、生命感に満ちている。
彫刻が工業製品やオブジェと明らかに違うのは、
それが生き生きと、そして、みずみずしい点だ。
いい彫刻は外側でなく内側を作っている。

大地の形が地球内部のエネルギーの現れであるように、
彫刻の形もその内側のエネルギーを
見続けた結果現れた形だ。
それがなければ彫刻は魂を失ったのと同じだ。

その内部のエネルギーは、
ただポンとあるのではない。
それはゆったりとゆらいで流れている。
一見ストンと立っている彫刻でも、
いい彫刻であれば必ずこのゆらぎを宿している。

この宇宙が生まれる時、
無の中に唯一あったのが、ゆらぎだという。
ビッグバンの後、
ゆらぎはこの宇宙すべてのものの中に
スピリットとなって受け継がれている。

空間の一番近い距離を走る稲妻でさえ、
大きくゆらいだラインを描く。
大地の低い所を選んで流れる河川は
山奥の水源から海に出るまでに、
とても美しいゆらいだラインを引く。
大地の形を変えることなく、
歩きやすい所、安全な所を通ることで
自然にできた昔の街道は、
うねうねとゆらいでいて心がほっとする。
山脈の稜線や空に伸びる樹木にも
心地よいゆらぎのラインがある。

みなさんの手を眺めてほしい。
そこには、あの稲妻や河川と同じゆらぎのラインが
血管や神経となって走っている。

私たちの体は、夜空に横たわる、あの天の川と同じように、
宇宙の始まりのゆらぎのスピリットで満ちている。
それは命がキラキラと輝いている証なのだ。
そして野山が風でゆれるように、
私たちの心も絶え間なくゆらいでいていいのだ。
それは心がキラキラと輝いている証なのだから。
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やっと目がさめた。
28日から今日まで4日間、近所にタバコを買いに出る以外は部屋にこもった。
カゼがぬけなかったこともあるが、
どこにも行く気分になれなかったことが大きい。
ふりかえればGWはロケに出ているかスタジオにこもっているか
オフィスで荒編集をしているかという記憶しかない。

ほんとうは「森のひと」を書こうと考えていた。
気がついたらごろごろしながら小説を読み、
借りてきた映画を見ていた。
4日間で小説を6冊。映画を3本。
ほぼ堪能しつくした。
そんな気がする。

4日間蟄居しているうちに
おかしな気候もやっと暦どうりに戻り、
身体もすっとラクになっていた。

1週間洗わなかった髪と身体を洗う。
救護所に保護された浮浪者はこんな気分になるのだろうか。

爽快である。
窓を開け放ち五月の風を入れる。
マルチビタミンとビタミンCを倍量摂取。

コーヒーを淹れる。朝までもつように5杯分。濃いめ淹れた。

夜が明けたら渡辺に連絡を入れて
5月の街をロケハンしてこようと思う。
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《ハルビン・カフェ》★★★★★
「ハルビン・カフェ」打海文三著/角川書店刊

打海文三がこんな凄みのある書き手とは思わなかった。
いやお見事である。
日本の作家もこんなノワールを書けるのか、ほんとうにおどろいた。
小説家のもつ想像力というのは、しかし底なしだな。
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