2003年12月の記事


ことしの主な仕事
ことしの主な仕事を東京星菫派webにアップ。

日本郵船博物館・「日本をひらく」前半分
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater642.html
積水ハウスの免震住宅「ひとは、家へ帰ってゆく。」
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater641.html
「住まいの夢工場vol3basic編」
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater643.html
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[tojibu3:00499] Re: ずんどこ節の出典
件名: [tojibu3:00499] Re: ずんどこ節の出典
送信日時: 2003年 12月 30日 火曜日 1:26 AM
差出人: 大関恒人


益子様


 有り難うございました。バブリング創世記に出会った時の様に一気に読んでしまい
ました。キャストを見るとなんだか見た事の有るような無いような。

 テンポよく出てくる当時の台詞を読んでいると、たしかにシーンが見えてくるから
不思議です。当時町内には映画館が3つ、小学校の学区内には8つありましたから、
60年代生れの僕達は兄の世代に連れられて、東宝、日活と東映、大映の封切りを結構
見てますし(そのうち半分は同級生顔パスで)、40年以降の青春映画に怪談、妖怪、
怪獣、特撮モノを見ると(読む)シチリアに帰ったトルナトーレの様になってしまい
ます。いつの間にか、映像でしか体験した事のないグランドキャバレーや、そのハコ
バンやら、ネオンやら、ラテンのリズムにまで郷愁を覚えるカラダになってしまった
のです。

 折からの昭和ブームを支持しているのは、色んなものにまだまだ飢餓感があったあ
の頃を、いまの生活レベルから眺めてほっとしたり、安心したりしているアトムの子
世代なんですね。

 仕事柄70年代の映画を見ると、セット、建築、ファッションに注目してしまいます。
当時の最先端モノを見るとどことなく背伸び感が有ります、が、不思議と音楽だけは
借り物感が薄く感じます。やはり演奏者やアレンジャーの肉体からのエッセンスが入っ
ているからでしょうか?リミックスしたモノと聞きくらべればそれはもうはっきりと
違いが出ますが、シャリシャリしたノイズや、フィルムの塵のような、ハッキリと夾
雑物と切り捨てがたい何かがあって、なんとなくイイネ! と感じてしまうのは私だ
けでしょうか?

 というわけで、今一つ整理しきれない思いのようなものをお礼代わりに綴ってしま
いました。

皆様、来年も宜しくお願いします。

 
お願い*どなたか大映の少年忍者ワタリのVTRお持ちのかたは御一報願います。


                大関恒人
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《月の影 影の海》上巻★★★★★
小野不由美著/講談社文庫
《十二国記》シリーズの第一作となった「月の陰影の海」の上巻。
《屍鬼》を読んだ直後に渡辺にあちつこちの本屋で集めてもらい全巻を手に入れたが
けっきょく読まずに数年。
一昨日、出がけに紀伊国屋でフェアをやっていたのでつい手にした。
出先で合間に読みだしたらいっきに引っ張り込まれた。
むじな忘年会の途中で近くの本屋に行ったが下巻だけが売り切れ。
家に帰って渡辺が買っておいてくれたものを探すか、どこかで続きを買いそろえているか迷うところ。
寝正月の読み物はこの《十二国記》シリーズ残り8冊と
仕事用の《東山魁夷》関係8冊。
どっちもそれぞれたのしめそうだ。
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《決裂》★★★
小川竜生著/光文社刊
5冊出ているシリーズの5作目。
同工異曲の典型だが、時事ネタにつられてつい最後まで読み飛ばす、そんな感じ。
小川をこの秋にけっこう読んだが
《桜と龍》上下間の鮮烈さはまったく別格。
きっと書きすぎるのだ。量をこなしてしまうことの愚。書く人も読むものも。
ひさしぶりにノベルス系を読んだ、それが感想。
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むじな忘年
あかりやさん、パンプキンマンたちとのむじな忘年会、今年もぶじに。
やまださんは昨日、佐賀から戻ったとのこと。
年明けすぐに佐賀に戻り三月まで長期滞在と笑っていた。
さほど寒くもなくカゼが抜けない鍋ちゃんが辛そうだったけど
来年を約して別れる。
夕日と虹をともに見たむじなたち。

今年もやっと暮れていく。
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今年の主な仕事2タイトル
日本郵船博物館のメインエピソードムービー前半分
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater642.html
積水ハウス「ひとは、家に帰ってゆく/全編
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater641.html
以上2タイトルほ「東京星菫派」にアップする。
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《誘惑》★★★
小川竜生著/光文社刊

読みやすいのはいいがなんだかどれも同じような出来である。
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ずんどこの出典は《海を渡る波止場の風》
海を渡る波止場の風
製作=日活 
1960.05.28 
7巻 2148m 78分 カラー 日活スコープ

企画
................ 
児井英生

監督
................ 
山崎徳次郎

助監督
................ 
河辺和夫

脚本
................ 
山崎巌 大川久男

原作
................ 
原健三郎

撮影
................ 
姫田真佐久

色彩計測
................ 
安藤庄平

音楽
................ 
大森盛太郎

主題歌
................ 
「鹿児島おはら節」 「ズンドコ節」 「南の空の渡り鳥」 小林旭

挿入歌
................ 
「ピンクのささやき」 水上早苗 「バナナ」 スリーキャッツ

美術
................ 
木村威夫

録音
................ 
沼倉範夫

照明
................ 
岩木保夫

編集
................ 
鈴木晄

製作主任
................ 
武藤良夫

振付
................ 
竹部薫

技斗
................ 
高瀬将敏

 

配役
 
 

野村浩次
................ 
小林旭

塚越尚子
................ 
浅丘ルリ子

奥山五郎
................ 
宍戸錠

野村光彦
................ 
青山恭二

みどり
................ 
白木マリ

塚越大作
................ 
山内明

峰岸
................ 
高品格

ラン子
................ 
南風夕子

山田利夫
................ 
武藤章生

庄司
................ 
深江章喜

丸山松三
................ 
深見泰三

石倉
................ 
野呂圭介

漁夫
................ 
山之辺潤一

松川
................ 
河野弘

執達吏
................ 
八代康二

ビワ畠の主人
................ 
鈴木三右衛門

丸松回漕店事務員1
................ 
英原穣二

サブ
................ 
高田保

丸松回漕店事務員3
................ 
露木護

乾分1
................ 
荒井岩衛

乾分3
................ 
倉田栄三

テツ
................ 
柴田新

ホテルのボーイ1
................ 
石丘伸吾

管制員
................ 
川村昌之

ロク
................ 
渡井嘉久夫

ホテルのボーイ2
................ 
浜口竜哉

乾分2
................ 
高緒弘志

丸松回漕店事務員2
................ 
東郷秀美

 
スリーキャッツ 水上早苗

「海から来た流れ者」に続く小林旭の流れ者シリーズの第二篇。脚色・山崎巌、大川久男、監督・山崎徳次郎、撮影・姫田真佐久といずれも「海から来た流れ者」のスタッフ。

奄美大島の復興資金五千万円を積んだセナス機が鹿児島上空から墜落した。しかし機の残骸からは金も操縦士野村光彦の死体も発見されなかった。事件は光彦の計画的狂行と見られた。光彦の潔白を信じる許婚者の塚越尚子は貿易会社の社長である父と鹿児島に同行した。桜島で尚子はやくざの奥山五郎に襲われた。五郎を追って来た愛人のダンサーみどりも住みついた。五郎の手から尚子を救ったのは流れ者の野村浩次だった。浩次は光彦の兄で、光彦の潔白を証すため二人は協力することになった。五郎と五千万円の行先を探し始めた。二人の疑惑は墜落事件後羽ぶりのよくなったキャバレー「エメラルド」に向けられた。支配人の松川は指宿にある丸松回漕店の船を乗っ取ろうと暴力の限りを尽していた。キャバレーに何故、船が必要か、浩次の目は光った。「エメラルド」の地下室には麻薬患者となった光彦が監禁されていた。そして、光彦の打つ無電に応答するのは鹿児島を麻薬中継基地にしようと企らむボス、尚子の父大作だった。次の夜、塚越一味は取引き用の船を丸松から奪った。三百万円を大作から借りた丸松の主人は帰途、一味に襲われた。浩次は乗っ取りの張本人が塚越であることを見抜いた。岸壁にある機帆船に乗り込んだ一味は屋久島に向うべく出航準備を急いだ。出発寸前、浩次と五郎が乗り込んだ。機関室では光彦が禁断状態に苦しみ、兄の姿も分らない有様だった。塚越から金を奪った五郎は、警察へ行くという浩次と対決した。しかし振り返りざま五郎は塚越を射つと、船を降り闇に消えて行った。光彦は自殺した。やさしく抱く浩次の手を尚子はそっとはずした。鹿児島駅のホーム、泣いて送る尚子の前を、ギターを肩にした浩次を乗せて列車は去って行った。
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《崩壊》★★★★
小川竜生著/光文社刊

まあまあの出来。
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Somewhere Over The Rainbow
あかりやさんからMP3のお歳暮が届いた。
Somewhere Over The Rainbowの8'36バージョン。
いまそれをかけながら書いている。
大慌てだった12月がいっきにしずめられていくような
静かでハートフルな演奏。

渡辺は、日本郵船に送る今年最後の資料のまとめ。
決定稿などは年明けにまわすことにした。

もうすこししたら新宿へ。
積水ハウスの打ち上げ。森本レオも来るというからにぎやかなラストになるだろう。
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The Godfather 1901-1959 The Epic★★★★★
レーザーディスク全4枚。裏表で8面。
パート1+2に1時間のシーンが追加されたコッポラ的ファイナルカット。
ひさしぶりに観たが、M・プーヅォの小説が備える香気が色濃く出た特別編であることをあらためて納得。
DVDに焼き直そうと思って観はじめたのだが、途中で面倒になってやめた。
レーザーのノイジーな画面も悪くない。

外にタバコを買いに出たらぐっと冷え込んでいた。
4℃。ことしいちばんの寒さだろうか。

投げ打ってうちこむだけの甲斐があったのかどうか。
過ぎてしまえば、過熱もまた冷める。
その先に向かいたいのかどうか、
正直なところ暗中。

ま、暮れと年始は忘れていよう。
松が明けて気が残っていたら本腰。
なければ、そこでフェイドアウト。

明日はひさしぶりに郵船博物館のムービーでも観ることにする。
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飛ぶ鳥も遠くの空へ向かうゆえ一生一緒にいてくださいな
実施設計図書をぶじに提出したというメーリングが届いた。
K氏からはベストを尽くしてプレゼンします、とも。
一年の混迷の総決算まで2時間余り。
風呂に入ってヒゲを剃り八重洲に向かうことにする。

この一年は
前半、失われた20世紀の夢、豪華客船をたどり
後半は21世紀の第三陸上交通革命・リニアで過ぎた。

そのつなぎに
《ひとは、家に帰ってゆく》キャンペーン。

ここではないどこかへと向かうその間に
《住まい》がある。巣が、あるのだ。


福島さんもこう歌っている。

  《飛ぶ鳥も遠くの空へ向かうゆえ一生一緒にいてくださいな》

春秋を愉しめたな。
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《不祥事》★★★
小川竜生著/光文社刊
なにもこんなタイトルを今読まずともとは思うが…
ま、それなりの出来。
《桜と龍》の小川を探しながら手当たり次第に読んでいるが
あれは特別だったのかもしらんな。
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The Godfather 1901-1959 The Epic
埃をかぶったLDを取り出しひさしぶりに観る。
アメリカでテレビ番組の特別バージョンとして
コッポラ自身が再構成した年代記版。
今夜はまず一枚目から。
たんたんとした叙述ぶりがなんともいえず、クリスマス気分をかき立てる。

やっとオフタイム。
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菊の湯ではクリズンドコス
東京星菫派音楽顧問から以下のメールが届いた。
音楽顧問は「菊の湯」というところで番頭さんをしている風変わり?な笛吹き男である。
http://www.cityfujisawa.ne.jp/〜kikumasa/index.html

*********************************************************
クリズンタコス:
クリズンドコスの誤称。クリズンドコスはクリスマス・ネット・イメージ・メッ
セージ・ズンドコの略称。本来、ネット上で行われた映像などをともなったクリ
スマスのメッセージを指す。
当時「ドンタコス」なるスナック菓子が販売されていたため、過って伝わったも
のといわれている。通常、二人の男性の映像が挿入される。メッセージだけでは
なくタコスを交換するようになったのは、2010年タコスチェーン店「コンタコ
ス」が、「タコスも贈ろう!楽しいクリズンタコスイメージメッセージコンタコ
スコンテスト」を催してから。

-------------
実際、タコスを夕食に食べたのです。クリスマスだというのに。では、よいお年を!
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八重洲のそば屋で前祝い
6時過ぎに現場。
プレビュー後、近くのそば屋の3階で前祝い。
高橋、松谷、井上、池田、佐藤、尾崎、渡辺の8人で3時間。
そばつゆのうまい店だった。
階段の急勾配には閉口したが。

やれることはすべてやったせいかみんな明るかった。
最後に酔った池田さんが明日の段取りの件で怒り出したのはご愛嬌。
一年。永かったな。
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もろもろスタンバイOK
いよいよあと2日。
打つべき手はすべてうった。
あとはのほほんと待つばかりである。
ゆうがた八重洲に行きリハーサル立ち会い。
これからひとねむり。
いいeveだった。
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http://homepage.mac.com/mctokio/aho/iMovieTheater526.html
クリスマスなのにまだ仕事中という方に
なんだ、仕事のほーがいいじゃん、と思っていただくために
ずんどこなeveの光景を公開する。
クリスマスキャロルの改心前のスクルージーのような
某クライアント氏から
聖夜の緊急呼び出しを食らったにもかかわらず
しごとと仕事の間に、サーカス団はしっかりと
メリークリスマスを祝ったのである。
しかし、それは哀しくむなしい夜でもあった。
まだあっちのスタジオやこっちのオフィスで
最後の追い込みにかかっているらしいみなさまよ
ま、がんばるんだよ。
どうころんでもあと数日で今年が暮れる。
2003.12.25 T.M
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チェ・ゲバラのメリークリスマス
去年、菱沼さんからもらった赤ゲバラの写真を
クリスマスカードとしてあちこちに送った。
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater607.html

あれから一年。
郵船は仕上がり、リニアもたどりつけた。
願掛けの真打ち「福島夜会」も宣言できた。
駆け続けたような一年だったが、それだけのことはあったのだと思う。
あらためてゲバラに詣でておきたかった。

ここ十年、こんなにおだやかなクリスマスははじめてのこと。
今日はひたすらぼーっとしていよう。
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DVDProではじめて遊ぶ
テレセンで高木さんからもらった5.1サラウンド用の音源を渡辺がDVDProを使ってはじめてサラウンドで焼いてみた。5.1のスピーカーでかけてみると、確かに再現されている。あたりまえのことだけど、けっこう感動。高木さん自身もはじめてだからうまくいくかといぶかしがっていた。渡辺もまた、はじめてのことだけど…と。疲労のピークにあって咳がとまらずクスリを飲みながら迎えた夜のラスト30分の攻防。こういうところにコクがある。ヒートアップしたゲームの余韻をたのしむゆとりというか切羽詰まった解消法。いずれにしても思いがけないクリスマスプレゼントとなった。持ち帰ってVRヘッドフォンで聞きながら、秋から冬にかけてサーカス団らしい展開となったことをあらためて振り返る。ま、いいじゃん。
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《天敵》★★★★
小川竜生著/光文社刊

3時間で読了。
新幹線か飛行機内の移動用にはもってこい。
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《鹿鼎記》第五巻★★★★
金庸著/徳間書店刊

お決まりの中だるみが延々と続き、いかにも
金庸ワールドではある。
半ば眠りながら読み進み、読了。
第六巻の予告にはやっと「鹿鼎」の記述あり。
やれやれ
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やっと
渡辺と二人、満腹餃子館へ。
ずいぶんひさしぶりに満ちゃんの餃子を食べた。
プレショー、展示、技術展…
まだまだ奮闘中のようだ。
余力が出来たので明日休めたら
すこし手伝おうかと思う。

やっとゆとりが実感できた。
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「24」全巻走破。★★★★★
最後の2話を観た。
セカンドシーズンにつなげるための工夫が目立ったが
それはまお決まりのこと。
一日の出来事を全24話で描くという
ありそうでなかった企画の勝利に
丁寧でスタイリッシュな絵づくりが重なり
まことに楽しめた。

こういうテレビドラマをつくれるアメリカはすごいし
こういうドラマを高視聴率で観ている市民がいるというのもなんだかすげえ。

まだ、終わらないが
気分的には終わった。
あとはお祭り気分で年の瀬をたのしもう。
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あわてて慌てた。
試写用の「来年度の課題」ペーパーをあわてて書きあわてて送る。
催促の留守電が5件。送ってから聞いた。これは後の祭り。
あわてたので「メインショー」と書くところを「プレショー」と誤った。
5分ほどで気づいたのでまたメール。
暮れらしいあわてぶり、ということで。
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切所、越える。
リニアの試写用12分バージョン、MAVアップ。
これで今年の切所はすべて乗り切った。
やれることのすべてをやれた。そう自負できる。

あとは一眠りして
来年の展望を書いてオーラス。

試写の結果と打ち上げを待つばかり。
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ことしの最後のディレクション
それにしてもあの熱意には感心するしかない。
またか、と出かかるコトバをのみ込んだいちばんのワケは
おもちゃを前にした子どものような好奇心にみちた顔。
「どうですか?できるかな」と笑顔を向けられれば
否!と吐くのは難しかった。

好奇心に加え、ひょいと顔を出す強い不安。
そしてカタチにしていくことへの強烈な渇望。

「技術屋」の直喩のような人だな、と
SONYPCLで今年最後の3D編集をしながら
共感をおぼえはじめている自分に気づいた。

そういうことにもっと早く気づけていたら
ここまでの道がいくらかはおだやかなものになっていた?

スタジオで居眠りがとまらない制作スタッフのくたびれた顔を見ながら、そう思った。

予想以上に郵船博物館の仕事にのめりこんだことが
スタート時のエンジン不調になり、
それが一年、尾を引きづけた。

どこかで
まだいいじゃねえか
まだおれの仕事じゃないというタカのくくり方があって
その引いた自分と相手との温度調整をし損なっていたのだ。

つまりだ。

自業自得。
自縄自縛。

思い返せば一年前の26日だかに
満を持して提出したつもりの企画を真っ向から切り捨てられたとき
矢面に立って唇噛みしめたのは彼だった。
前日に電話をしてきて
「いっしょにサクラダ゜ファミリアに行きましょう」と笑ってから24時間後に
彼はたたきのめされていたのだ。
悔しかったのはおれではなく、彼。

にもかかわらず、
なぜおれを残して再スタートする気になったのか。
その後一年、接してきりきり舞いさせられながら
いつも気持ちのどこかにひっかかっていた。

クライアント3人、代理店4人、制作スタッフ9人
総勢16人が狭いスタジオの中にひしめいているのを
見ながらそんことを思い浮かべていた。
東京はことしはじめての冬らしい底冷えのする一日で
日本の各地では大雪のニュースが飛び交っていた。

今日は東京テレビセンターで音の仕込みのあと、Mix。

途中経過報告の試写とはいえ、
この一年の混迷の到達点にいのちを吹き込む。
だれも試みたことのない映像にだれも聴いたことのない音が5.1サラウンドで配される。

勝つか負けるかはもういい。

おまえでいいよねと一年間託されてきたのだと
遅ればせながら昨夜になって思い知った。
ことし最後の力攻めをしようと思う。
彼が一点の曇り無く戦えると自信をもてる
そういう武器を手渡してやろうと思う。

ジ・アースを仕上げたテレセンで
プレゼンとはいえ、あれ以来の仕上げである。

日本晴れ。午後2時。
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まず、ひと山。越えたぞ
午前2時に有栖川のrスタジオを出た。
積水ハウスことしの最後は「夢」2タイトル。
たのしい仕事ができた。

明日はソニーPCLで超電導リニアの3D本編集。
切所が、続くが。先は見えつつある。
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なるほど師走
今日、さらに再編集となる。
現在朝から東京テレビセンターでLの5.1チャンネル用音の貼込中で
3時からrスタジオでSのMAVを2タイトル。たぶんこっちは10時ごろにアップか。
さらに3時過ぎからLの追加編集を八重洲か築地で。
こっちは佐藤と渡辺に任せ、夜中に合流予定。

まるでさぼっていたサンタクロースのようなあわてぶり。

たしかに、師走だ。
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ヒートアップ
3時から11時まで広尾のrstudioで音付け立ち会い。
明日は3時からMAV。
その後でテレセンでリニアの音付け。

集英社の「東山魁夷自選画文集」全5巻を
八重洲ブックセンターで入手してもらう。
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切所越え
件名: [jrtokai:00653] 切所越え
送信日時: 2003年 12月 18日 木曜日 7:16 AM
差出人: Toru Mashiko

毎年11月に福島の須賀川市で開催される
松明あかしという火祭りがあります。
その昔、伊達藩に城攻めされた女城主が
「屈服は致しませぬ」と宣言し
戦い抜いたことをしのんで開かれる祭りです。
小高い丘の上に巨大な松明を立て
その松明に火を放ち見守るという
ふしぎに静かなそれでいて力強い祭りです。
なにがどうだというわけではありませんが
あと一週間。
2003年の踏ん張りどころです。切所です。
ここを越えれば、正月。
屈託をこえて、もう一押し。

がんばんべい!


2003.12.18朝  T.M




http://www1.vecceed.ne.jp/〜minimini/taimastu_akasi01.htm

 日本三大火祭りのひとつで、414年の歴史ある祭りです。天正17(1589)年、会津
黒川城を攻め落とした伊達の軍勢が須賀川に攻め寄せ、400年の権勢を誇った二階堂
氏の須賀川城は、町もろとも炎に包まれ陥落しました。松明あかしは、当時の重臣や
領民が松明を手に十日山に集結し抗戦を決意したという史実に因み行われる、慰霊の
火祭りです。長さ10m、重さ3tの大松明を須賀川の若衆150人が担ぎ、武者行列、姫行
列とともに五老山へと練り歩きます。五老山では創作太鼓の「松明太鼓」を威勢よく
打ち鳴らし行列を迎え、午後7時、二階堂神社からの御神火が30本もの松明に点火さ
れ、山は炎に包まれます。
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おわらない
3時から10時まで電通テックでJRの仮編集。
夜の11時に遅い昼食。

それから積水ハウスのナレーション原稿。
いま送り終わる。

けっこうかかった。
ひとねむりしたらRstudioへ。
積水ハウスの音の整理。
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《グロテスク》★★★★★
桐野夏生著/文芸春秋社刊

じつにすぐれた小説でひといきで読まされた。
しかし、おれはこの本を他人にすすめたくない。
タイトルどおりグロテスクにすぎるのだ。
桐野の中にぽっかりと開いた暗渠をのぞきこんでいるようで
終始おぞましさが消えなかった。
桐野の小説には、よくこんな思いをさせられる。
いやな小説だが、おもしろい物語世界はパーフェクト。
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スタジオ37時間滞在
15日10時にスタジオ入りし17日0時30分に帰宅。
スタジオ滞在37時間。
うち凸版GALAの打合せに移動を含め2時間。
ソファでの仮眠2時間。
疲れはしたが、二晩とも月と星がきれいだった。
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春のように甘い夜に
午前一時。さっき佐藤達也くんがPBに素材を入れて帰った。
自宅でDVDに焼いてみるという。明日のプレゼン用。
こちらは積水ハウスの編集の佳境。
たまに外に出ると春のように甘い夜である。
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reditは偉い!
有栖川公園までの道は12月半ばというより秋の気配。きれいな秋空の下、色づいた木々と歩道を舞う落ち葉。10時少し過ぎてreditに。
夢工場の編集にとりかかる。
大月で撮ったどの映像と比べても倉持さんには華がある。
linearでは4人のキャメラマンと組んだが、倉持さんのもつ艶のようなものは皆無だ。
対象がそうさせるのか、取り組み方なのか、才能なのか。
きっとそのすべてなのだろう。
組んだ一人は、いまいちばん売れっ子だそうである。
キャメラクルーや制作たちはそう言っていた。
でも、ここには歴然とした差異がある。
あっちでのおれは手足をもがれているような気分にさせられる、最大の因がここにあるのだ。
ま、今日明日の二日間、ひさしぶりに気の晴れる映像で遊べる。
それでいいじゃねえか。

reditは光ファイバーで外部と接続され、スタジオ内は1ギガのイーサーネットで結ばれている。

パワーブックを1ギガで100MBの光ファイバーにつなぐと
このマシーンが秘めた力をしみじみと実感できる。

知っている限りで
このreditは東京でももっとも進んだ環境をもつスタジオとなっている。
口を酸っぱくして進言しても名高いスタジオは対応が遅く、どこに行ってもエアエッジどまりである。
とても仕事にならない。

これからは小回りが利いてつまらぬ稟議などせずに
対応できるスタジオ以外使わなくなるだろう。
スタジオ選択の基準はただ2つ。
快適な環境と外部との接続。
機材的な差異は、すでにほとんど無いのだから。
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くそしてねるぞ
もっとやろうと努めたが、気持ちが続かずストップ。
いちど落とした火は、なかなか燃えねえもんだな。
クソ以下のクソだから、くそして寝よう。

明日は気分を変えて積水ハウスの本編集。
いっき、2本仕上げである。
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クソ以下のくそったれな時間
うんざりしながら
終わったはずの編集と整理に発破をかける。
徒労。シジフォス…
こうして欲しいと指示を出しながら
なんとくだらない空しい時間を強いているのかと
ささくれだった気分が苛立ちに変わる。
やらされるすべてのスタッフは
仕事だからしようがねえよな
という諦めだけで対応しているのだろう。
意地だけで維持しているが、
ほんとうにくだらねえクソ以下の師走が過ぎていく。

人生は
誰の人生も一度っきりである。

クソ以下でいいはずはねえよな。
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一夜で白髪
大月の町や都留の村々をトラックの荷台に乗って走り回る夢を見た。
夢の中のおれは、髪が真っ白で老人のような顔ただった。

きのう今日ときれいな冬の日差しが続く。

窓の外の冬の夕日に目をやりながら
なんと不毛な時間を過ごしているのか、とため息。

こんどこそ時機を逸せずに進退を決したい。
すべては26日。
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IEだけの不具合なのか
パンサーにするすこし前から
IEで、このページを開こうとすると途中で止まる。
PCを変えても同じ。サファリでは問題ない。
他のページは変わらず。
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《桜と龍》上下巻★★★★★
小川竜生著

あきれた出来である。
何年も前に出ていたのにどうして読みのがしていたのか。
たぶんこの倍の長さで描き込んでいれば
大傑作になっていた。

とはいえ、とても愉しめた。
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どんでん
どんでん。

と言えばいいのか。目論見どおりと言うべきか。
目論見とは、ただしこの「夏」の、だが。
いろいろなスケジュールをばらし再構築し
祝杯をあげるはずだった時間が徒労に塗り替えられていった。

みぞれのような雨の東京を
西に東に走り回った。

怒りも腹立ちもなかった。
と書けば嘘になるか。

でも、ふしぎと投げ出す気にはならなかった。

いつからだったかもう忘れたが
12月までは逃げない、と決めていた。
その一点だけが、きっと支えだった。

石のように口を閉ざしたままのプロデューサーを視野から外し
無理難題に笑顔を浮かべて応え続ける若い制作マン2人だけを視野に入れ
先へ行こうじゃねか、と呟き続けていた。

それが、11日。

きょう、テレセンで5.1チャンネル用にはじまった音の仕込みを聞きながら
映像も音も、まだ世界のだれも体験したことのない試みをしているのだと
実感できた。
この実感を、せめてひとつのカタチに結べるまでは、逃げまいと、思う。

勝ちも負けもない。
行こうという気持ちが潰えるまで、やろうじゃねえか。
と、胸の底に刻んだ。墨をいれた。
墨は、イブを過ぎ、26日の宵に消える。

勢いづけに藤純子の緋牡丹博徒でも借りてこようか。
それともくそして寝るか。
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徐福の湯と「桜と龍」
熊野土産にもらった徐福の湯という名の薬湯に30分つかって汗だくになりながら小川竜生の「桜と龍」の下巻を読み進めた。三部作を逆から読んできたが、この第一作は抜群。汗を乾かしながらさらに読み継ぐ。緋牡丹博徒を借りに出るのはあきらめ、「桜と龍」にしぼって正解だった。かな。
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ふりかえれば
あるパビリオンのプレゼンのために頼まれた
「世界観」。プランは4つあり、それぞれにちなんだ世界観を簡潔にと頼まれた。
プレゼンは勝ったが、どの案に決まったかは知らない。
よくこんな寝言のようなことを書いたな、とたのしい。
はずかしいほどほほ笑ましい。

きっとこんな気分だったのだろうな、と思うだけでも、ね。

エキスポは、けっきょく3連勝し、
このあいだの中国館が負けたから3勝1敗となった。

3勝のうちの1つが今日につづいている。
この継続が年内で途切れるのか
来年と再来年に渡っていくのか、もうすぐ決まる。

6案書いた企画の6本目のタイトルは「つなぐ」だった。
そいつもまた苦笑させられるが。
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がけろう 記憶4
熟した果実が落ちるのを見たひとりの男が《引力》を発
見し、大空を飛び交う鳥に憧れた兄弟がいつか飛行機を
つくった?
ほんとうはいつまでもモノに引きつけ合う力があること
を理解しようとしない人類に、あるとき大地が真っ赤な
リンゴをいくつもいくつも落とすことで気づかせてくれ
たのかも知れない。あるいはいつまでも地面にへばりつ
いて離れようとしない人類にあきれた大地が鳥に頼んで
空飛ぶたのしさを教えようとしたのかも知れない。
私たちが達成したことは私たちだけの力で成し遂げられ
たのではなく、地球という超巨大な生命体そのものが、
いっしょに快適に暮らしていこうじゃないかと、その大
きな指で私たちの背を少しだけ押してくれたからではな
いのだろうか。
私たちに遺された私たちを支える先人たちの発明や発見
は、そのすべてが地球とともにあったのではないか。ア
タマと体と大地がひとつになって、はじめて現在という
世界ができあがったのではないか。
私たちは46 億年の時針を持った地球時計の最後の数秒
間をかげろうのように生きている。そのすべてをこの超
巨大な生命体・地球にゆだねながら…
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アリスはかなしい 記憶3
熱いは冷たい。右は左。好きは嫌い。上は下。明日は昨
日。うまいはまずい。悲しいは嬉しい。余るは足りない。
固いは柔らかい。良いは悪い。前は後ろ。重いは軽い。
バカは利口。汚いはきれい。セリブはプアー…
わたしが私たちであるためにもっとも大切なことは言う
までもなく理解したことを伝えあえること。コミュニケー
ションにほかならない。
もしある日、互いに疑うことのなかったすべてのことが、
まったく相反する不思議の国に迷いこんでしまったアリ
スのようになったら、あなたはそこでどんなあなたと出
会うことになるだろう。
どこかずっと遠くの宇宙、あるいは異なる時間が生きる
宇宙の中で、あなたとは正反対の理解のしかたを持つ宇
宙人がいてコンタクトがとれたとしたら…そこで発生す
るのはデス・コミュニケーションなのか、それともあな
たのどこかと共鳴し合ったあたらしいコミュニケーショ
ンが成立するのか。
これは、私たちが私たちでありつづけるために大いなる
ヒントなる不思議な知性体との接近遭遇体験物語。
あなたやわたしは
まだ私たちでありつづけられるのだろうか。
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なにもなかった 記憶2
はじめは何もなかった。わたしたちはこの何もなかった世
界から、土を捏ね、木を切り、石を削り、鉄を取りだし、
豊かで信じられないような現実をつくりだしてきた。だか
らそれは《楽園》…のはずである。はるかなむかし。わた
したちは何か困ったことができたり、こんなものがあった
らいいなと思い浮かべると、いっしょうけんめい考え、考
えつかれると大地の声や風のささやきに耳を傾けた。する
と大地や風は、いっしょになって考えてくれた。そして素
晴らしい世界をつくりだした…はずである。
わたしたちはすでにはるかなむかしの人々のようにものを
思うことも欲しがることもない。なぜならわたしたちは
《おとな》になってしまったから。もしもわたしたちがこ
の少しゆがんでしまった世界に、もういちど奔放な夢と熱
い情熱を傾けようと願うなら、それは《はじめ》に立ち戻
ることで叶えられるかも知れない。
はじめ…。まだ誰も見たことも経験したこともないモノや
コトだけでつくられた世界。つまりこどもの時間。そこで
わたしたちはもてるかぎりの空想する力を引き出され、わ
たしたちを育んだ大地と交感しあいながら驚きにみちた何
かに触れ、つくりだすことになる。
そして、新しい《楽園》が生まれる。
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さようなら 記憶1
ある午後あなたが頬をなぜる風に小さな痛みを感じたと
したらそれはこの星の悲鳴。ある夕ぐれあなたがみなれ
た川の流れに波立つ想いを抱いたとしたらそれもこの星
の叫び。ある夜あなたがいつもの夢の時間を大地の揺れ
で覚まされたとしたらそれこそはこの星の怒り。
あなたの知っているところであなたが知らないどこかで、
この星はいくつもの黒いため息をつきながらいろいろな
ことをあきらめていた。もういいんだよ、と思いはじめ
ている。さようならを言いたがっている。
もしもまだ希望があるとするなら
それはあなたたち自身のなかにある。
一人ひとりの
かけがえのないあなたたちの
勇気と元気と力がひとつになれば
まだまにあうかもしれない。
パンドラの箱の底に
最後に残されているのは
希望という名の明日のはずだから。
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外気6℃。やっとまともになってきた
ベッドに入って「桜と龍」の上巻を読み出し気がついたら二時間眠っていた。ページを見たら3ページ以降の記憶無し。

腹が空いていたので冷めたコーヒーでチーズを切って食べた。
室温は23℃。外は6℃。
予報通りの冷え込みとなったようだ。

今日はあちこちの雪だよりをめにすることになるのだろう。

湯を沸かし、熱いコーヒーを淹れ、ひさしぶりに仕事からはなれてパソコンに向かう。
こんな時間は何ヶ月ぶりになるのか。

去年の今ごろは
しゃかりきになってリニアの企画を書いていた。
たぶん今ごろからクリスマスにかけて
6本のシノプシス+構成案を書きなぐっていた。

そしてそのあいまに
もうひとつの短いが記憶に残る仕事を頼まれていた。
あらためて読み返し、可愛いじゃねえか、と笑いが出た。
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東山魁夷ウェブ資料http://www2.plala.or.jp/Donna/kaii.htm
東山魁夷
Higashiyama Kaii(1908-1999)

こんなにも美しい風景を見たであろうか。
おそらく、平凡な風景として見過ごしてきたのにちがいない。
もし、再び絵筆をとれる時が来たなら・・・私はこの感動を、いまの気持ちで描こう。


横浜で生まれ神戸で育った魁夷は、父の遊び癖に悩む母を喜ばせたいと、「大きくなったら偉い人になるんだ」と思い続けていた。自然に恵まれて育った彼は画家になりたいという願望が次第に強まり、反対する父親をしぶしぶ承知させ、現在の東京芸術大学日本画科へ入学する。実家が経済的に困窮しているときは自ら学費を稼ぎ、卒業後にはドイツへの留学を現実にした。初めは自分の蓄えで渡航、のちには交換学生の推薦を受けて、2年間の留学生活を送ったのだった。

 家族のためにも早くいい作品を描きたいと焦る魁夷だったが、友人たちが華々しく脚光を浴びる中で彼の作品はなかなか評価を得られなかった。迷いながら日々、自然を眺め、手探りの絵を描いていた彼に訪れた転機は、皮肉なことに戦争と家族の死であった。

 終戦近くに召集を受け、爆弾を抱えて敵陣へ飛び込む惨めな特訓の合間に、彼は熊本城へと走らされる。自らの死を目の前にして眺めたその時の風景に、魁夷の心には今までになかった感動が湧きあがる。「・・・どうしてこれを描かなかったのだろうか。今はもう絵を描くという望みはおろか、生きる希望も無くなったというのに・・・」汗と埃にまみれて、彼は泣きながら走り続けた。

 既に兄を結核で亡くしていたが、続いて戦中に父が、戦後ようやく再生の一歩を踏み出したところで母が、更に第1回日展での落選直後、結核で療養中だった最後の肉親である弟が、それぞれ他界してしまった。

 やっとのことで再び絵筆を手にしたとき、彼は全ての肉親を失い、絶望のどん底にいた。諦念、そして全てあるがままをうつす静かな心境・・・これが結実し初めての評価を受けたのが、2年後の「残照」であった。戦争のさなか開眼した魁夷の目は、確かに自然の息吹を捉えるようになったのである。

その後の魁夷の絵は、それまで以上に生命を感じさせるようになる。彼の「色」は反射光を捉えたものではなく、数え切れないほどの生命の存在を「影」として捉え、それを無数に重ねて生まれてくるものである。生きている木々の吐息を、風の匂いを、ひとつひとつつぶさに重ねてゆき、その画面からはさざなみのようにいのちの鼓動が伝わってくる。

 多くの画家たちは、光の反射を捉えて描く。魁夷のそれは、光を吸収したあとのものの「影」を感じ、描かれたものであろう。静謐で繊細な、四季折々の顔を持つ小さな島国であるからこそ気がつくことの出来る、自然界のささやかな生命の営み。魁夷は日本人ゆえに育むことの出来た、「影」を捉える目を持った画家だと思う。古来、日本に存在した「かさね色目」。彼の色彩にはそれに通ずる感覚がある。

 そしてそのやさしい色合いの絵からはとても想像できないほど、芯の強さを備えた人なのだ。本物の強さは、重なるとやさしさに変わる。

 日本画家としてその評価を確立した魁夷は、東宮御所や皇居宮殿、唐招提寺障壁画の大作をも依頼されるほどになる。その合間に北欧・京都・ドイツ・中国などを旅し、自然の姿に感動し、その画風に厚みを増していった。彼の絵には、かつて彼自身が人生で感じた何らかの感情を含んでいる。静かに自然を見つめたとき、そこには彼がどこかで経験した、心の風景が投影されるのである。人のあらわれない魁夷の風景を見たときに感じるほんの僅かな人為は、この感情が風景の中に隠れているからなのだ。心象の風景画・・・それが東山画伯の絵であろう。

 「こんな日本画があったのか」と思わせる油絵のような艶のある色彩もあれば、水墨画のように色彩を控えて崇高な自然を見せる作品もある。はじめ油絵を描いていた魁夷が日本画科で学んだのは、父親が画家を目指す条件としてそれを提示したからだったという。油絵の素養、ドイツへの留学、同志の仲間のさまざまな画風・・・それらが彼の作品に影響を与えたからこそ、独自の作風が出来あがっていったのだろう。底に流れているものは変わらずとも、彼の表現は非常に多彩である。

 魁夷の画面に独特のリズムを生んでいるのは、ひとつにはドイツ留学中の音楽の素養が、背景になっているようである。音楽が音楽として成り立つには、「変化と統一性」が大事な要素となるが、魁夷の絵には、まさにその「繰り返し=統一性」と「アクセント=変化」が認められる。
 モーツァルトを愛聴していたという魁夷。「弦楽器の合奏の中を、ピアノの静かな旋律が通り過ぎる」・・・『緑響く』に寄せた彼の言葉である。



「樹根」1955(昭30)
巨大な根を四方へとはって、
木は大地からのエネルギーを吸い上げる。
地上の身体を支えるためには、
その何倍もの足が地の中を這わねばならない。

 彼にとって絵を描くことは、『祈り』であるという。運命によって、 日本画家に「され」、風景画を「描かされ」ていると彼は言う。自然や人間の営みに対する敬虔な祈りが、彼に絵筆を運ばせる・・・描くことは、魁夷にとって自分のいのちの昇華でもあるのだろう。

 人生という長い長い旅路の中で、彼は出会った風景の中に自分の心を見つけ、そして祈った。その絵は決して対象を超えることなく、等身大に描かれているはずなのだが、そこにひそめられた心がどこからともなく涌き出て、私たちの心に共鳴する。
半世紀もの間、大自然の囁きに、そして自らに与えられたいのちに、
訥々と祈り続けた日本画壇の巨匠は1999年5月、この世でいちばん長い旅路を終えた。
しかしその作品は今までも、これからも、永遠に伝えられていくことだろう。

参考文献:東山魁夷 小画集(全6冊・新潮文庫)
東山魁夷 自然のなかの喜び(講談社カルチャーブックス)
東山魁夷 自選画文集(集英社)
東山魁夷「森への誘い」(日本経済新聞社)
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湯の花温泉の末廣に行きたい
いくつかのデフォルメを重ね
ダイナミック感を強めた。
今日までに出来ることの、ほぼすべてを試みることができたのだ、と思う。
くたくたになって外へ出ると、十六夜。立待月がこうこうと輝いていた。
渡辺は吉祥寺の曼荼羅の福島さんのライブにまわったのでタクシーに。
今年いちばんの冷え込みにもかかわらず
カラダの芯に熱。
火照りが消えず、後部座席でひとり悶々とした。

まだどこかにエネルギーが残っている
使い果たしてしまいたい
消尽してしまいたい余韻が残った。

ため息つきつつ身をくねらせていたから
運転手はきっと奇異に思ったはず。

たどりつき
今日はじめてのまともな飯を食い
風呂につかる。

三時間かけて気分をほぐしてから
仕上げた試写用のビデオをウェブにアップ。
ついでに積水ハウスの実験ムービーの短縮版もアップ。

それぞれのアドレスを送る。

明日はさらに冷え込む、と予報。

どこか温泉にでも行きたい。
舘岩村の湯の花温泉の末廣の木の香の漂う風呂に
ゆっくりとつかって三年くらい暮らしたい。
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C・C・オールズバーグ急行「北極号」★★★★★
あすなろ書房刊

村上春樹の訳は平凡だけどオールズバーグの絵は
いつまで眺めていても飽きることがない。
雪の中を白い蒸気を吐きながらゆく夢の汽車…
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エンディングではないエンディング
件名: [jrtokai:00600] ラスト1分あるいは2分について
送信日時: 2003年 12月 8日 月曜日 10:16 PM
差出人: Toru Mashiko
返信先: jrtokai@dentsutec.co.jp


「メインショーのエンディングはエンディングにあらず」

このシークエンスは実験線の「ある一日=最高速度達成の日」を中心に
紹介される等身大の山梨実験線から、さらに一歩踏み込むことになる。

それは
時速500kmで宙を飛ぶ超高速大量輸送システムがもたらす
わたしたち自身にとっての望ましい明日の世界ビィジョンである。

快適である世界とは?
真のユビキタス社会とは?
ほんもののユニバーサルデザインとは?

すべての問いの中心にあるのは
「世界はどうあるべきか?」
という哲学であり、思想であり、世界観そのもの。

私たちの世界は
私たちのこれからは
私たちの毎日は

どんな色とカタチとにおいを備えているのだろうか?
あるいは「べき」なのだろうか。

第3次陸上交通革命の主人公 超電導linearの実現は
これらの問いにどう応えられるかという
その1点にかかっている。はず。

鉄道の
交通の
ありとある移動機関・システムが
抱え込み自らに問い続けてきたはずの問い


  「わたしたちはどこへゆくのか?」
  「ここではないどこかへ」


この問いにどれだけ近づけるか。
ラストシークエンスの存在理由がここにある。

だから
エンディングはエンディングではあり得ない。
それは終わりのimageではなく
JR東海が提示する交通システムを媒介とした世界のグランドデザイン。
この世界のさらに明日の時間を指し示すためのビジョンそのものなのだから…




来年の1月から2月にかけてlinearはメンテナンスに入ります。
12月26日を乗り切ったら、このあたりを精査するために
少人数での合宿をしませんか。
できたらゴージャス?な温泉で…
都留、大月以外のいずこかで…
手打ちうどんと油っこい弁当以外のメニューがある場所で…
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福島メモ
さらに今井さんの「女鬼」。
パパラギなどもある。
正調「会津磐梯山」ロックバージョンなども
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セント・オブ・ウーマン〜夢の香り〜★★★★★
試写はSONYで11時からだったが
目が覚めたら3時。完ぺきに寝過ごした。
というよりも起きるつもりも無かった。

朝昼兼昨夜の夜食を兼ねた飯を食いテレビをつける。
WOWOWでやっていた映画の秋の色彩がきれいだったので、
パジャマのまま見続けた。
「セント・オブ・ウーマン〜夢の香り〜」
90年代はじめのアメリカ映画。
アル・パチーノ主演。
盲人の退役将校と悩める貧乏学生の「ロードムービー」。
これが思いがけない面白さで、部屋の明かりを消して見入ってしまった。
青くささだけで出来上がったような映画だけど
青くささだけが映画的リアリティをつくるのだ、
とも言える典型のような作品だった。

見逃していること
読み逃していることが多いというのは
まことにハッピーなことである。
このところ寝る間を惜しんで奮闘したが
その褒美のような二時間を過ごせた。

渡辺から試写の報告のメール。
無事に好評のうちに終わったとか。

微修正はあるが、
それはまた後のこと。

今日はこのまま沈没、とする。

それにしてもこの二ヶ月、
いや半年、
いや一年。

よくやったな。
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約8分
朝の4時にアップ。
ま、この段階では満足である。
しかし、疲れ切った。
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7日。ここからスタート
まず1時間遅刻した。
さらに素材テープの整理に1時間。
なにしろすでに200巻を越えている。
外は秋晴れ。あちこちで落ち葉が舞っていた。
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その音が見えてくるか?
佐藤君が東京テレビセンターで音の整理に立ち会っている。
8日用にはとりあえずステレオで間に合わせる事にしたが
いままで不ぞろいだったlinear的音の世界がここで一気に表情を見せることになる。
5.1サラウンドの音作りは来週いっぱいかける作業になるが、
まずは自分自身にとってもまことに期待が募る。
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ラフな構成要素
その朝image
基地の気配
支持台変更
出庫1
出庫2
指令室1
トンネル走行1
明かり区間全景
明かり区間主観
明かり区間中央通路
開かれ区間埋め込みAB
トンネル走行2R8000
トンネル走行空力ブレーキ
明かり区間空力ブレーキ
トンネル走行並走/追い越し
明かり区間すれ違い
明かり区間追い越し
指令室
変電所
581km/h挑戦
指令室
基地への戻り
出迎え
記念撮影
その夕image
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ポール・ヴィリリォ著作メモ2
■訳者による解説全文
 最先端の科学思想を語るヴィリリオが、実は「手の思想家」であると言えば驚くだろうか。事実、多くのメディア・アーティストに影響を与え、またメディア・アーティストの方でも、しばしば言及するのがヴィリリオの名前だ。それは彼がアートの二つの語義(「芸術」と「技術」)の重なる場所で思索を続けているからだ。
 彼の出自をたどれば、このことは自然に了解できるだろう。彼の出発点は建築、すなわち「空間アート」だった。戦後の近代建築は、直交する壁と床によって空間を閉じ、人々の動きや、外部環境とのインターフェイスを遮断する「閉鎖空間」を次々と作り出していった。それはコルビジェですら例外ではない。こういった建築空間に、再び「動き」と人々の「生」を取り戻すために、ヴィリリオは「フォンクション・オブリック(斜め機能)」という概念を提案し、「建築原理」グループを組織する。それは、「大地は平らなところはない」という当たり前の事実を、建築空間に導入するものだった。壁を斜めに配置することによって、外と内の壁は崩れ、壁の両面は、ともに生活空間の内側であり外側であるようになる。斜めの床は、肉体に対して「動き」をアフォードする。さらに曲線を描く床面は・・・
 こういった魅力的な提言にも関わらず、効率的な居住空間を求める戦後の近代建築は、ヴィリリオから実質的な活動の場を奪っていった。そして以降、彼は建築理論家として現代建築に大きな影響を与えるとともに、「自然空間」を解体する建築を背後で支えている世界像を、「知覚」レベルから考察していく。
 まず彼が発見したのは、「時間」と「速度」による「旧世界の解体」だった。「知覚空間」は、すでに「時間」の「加速」によって、「肉体」レベルの知覚空間を破壊していた。実際、飛行機で旅行する人にとって、飛行場を結ぶ「実空間」は、距離と言う「抽象」以外は存在しない。実空間といわれる場に存在していた匂いや色は実体を喪失し、代わりに座席と機内の小さな空間と茫洋とした雲だけが存在するようになる。
 芸術は知覚の最前線だ。それ故こういった現実を前に、アート・シーンは変わらざるを得ない。1960年代末に出現した「ハイパー・リアリズム」は、「写実芸術(リアリズム)」はリアルでないことを逆説的に証明するものだった。
 しかし、さらに決定的な時代が到来する。辛うじて保たれていた時間的な秩序が、「瞬間の君臨」によって解体されてしまうからだ。「光の速度」による瞬時コミュニケーション技術は、かつて神だけに属していた「世界」と「力」を人間にもたらす。実際に私たちは「いつでも」「どこにでも」存在できるようになり、そしてその存在は「肉体」を越え、「エネルギーの及ぶ場」に、「力」にのみ依存するようになるからだ。
 新しい技術によって、私たちは「日本のここ」に居て「パリのそこ」を見ることができるし、語りかけることができる。こういった場の特性は、全く新しい性質を帯びる。すなわち、かつては存在する事物があり、それを表象するものがメディアであった。そして存在しない事物は、「モンタージュ」という技法によって間接的に表象するしかなかった。実体という信仰の上で、世界は堅固に成り立っているように思えたものだ。 しかし瞬間によって生まれる新たな時空では、電磁エネルギーという「力」が離れた場を結びつけた途端「新しい場―現実」が生まれる。 しかしエネルギーが及ばないと、その場は即座に消滅してしまう。ここでは旧来の意味での存在と表象の区別はない。存在か非在かの区別だけが点滅を繰り返すランプのように存在するだけだ。そして実在しない事物は、モンタージュによって間接的に表象されるのではなく、電磁エネルギーの操作によって実際に作り出される。さらに私たちは、このように作り出された場で生まれた世界像(例えばパリの街角に置かれたビデオカメラに写るナマの映像)を、現実のものとして受容し、生活世界の中に組み入れているのだ。
 こういった世界では、人間の肉体は再構成されるようになる。「視覚」を司る眼は、もはや眼球だけに止まらない。遠くに置かれた視覚機械も自己世界を構成する肉体となる。ステラークといった前衛パフォーマンサーが試みているのは、こういった新しい拡張された人間像といえるだろう。さらに重要なのは、私たちが肉眼で見ていた今までの世界像を、私たちは現実の姿と信仰してきたが、それは一つの世界像に過ぎないということをヴィリリオが明らかにしていることだ。
 彼は本書で天文学の最新の理論を取り上げて次のように説明する。人間が天体を観察するとき、光が拡散していく光円錐と呼ばれる境界の外にある世界は見ることができない(なぜなら光円錐の外は、光より速い速度で移動しなければ到達することはできないから)。しかし重力場が光を歪めている現象(アインシュタイン効果)を観察するとき、そこに作用している力は、光円錐の外にある肉眼で見えない重力場を含めた相互作用力によるものなのだ。とするならば、「可視世界」だけを観察しても実際の宇宙を知ることはできないことになる。こうして彼は、重力場による光の屈折という現象そのものを観察することによって天体を知ることができると考え、本書で重力天文学を提唱した。そしてそれは一〇年後に有効な手段であることが実証された。
 彼が考えたのは、事物そのものを現実の基本に置くのでなく、「事物間の現象」を、そしてまた「人間と事物との間の関係」を、言い換えれば表象されたものを本質として捉え直すことだった。ちょうど現代芸術が事物を表象することから離れて、表象の秩序そのものを構成することによって、あるいは主体と事物の間に成立する表象の秩序を構成することによって飛躍を遂げたように。
(土屋進)
●新評論刊 四六上製 236頁 本体2400円�+税 ISBN4-7948-0598-5
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ポール・ヴィリリォ著作メモ1
による解説
 本書『情報エネルギー化社会―現実空間の解体と速度が作り出す空間』(2002)の原題は「動力の技術L'art du moteur」(1993)。
 車や飛行機などの動力技術は人間や事物を物理移動させる技術だった。しかし現代社会に大きな転換をもたらしている情報技術は、人間や事物を物理移動させる代わりに情報を移動させる。移動を支配していた「内燃エンジン」や「外燃エンジン」は、徐々にその支配的な地位を、「情報エンジン」に譲りつつあるのだ。
 本書で展開されるのは、こうして作り上げられた「情報エンジン化社会」の実相であり、それに至る歴史であり、それが人間社会に波及していくプロセスである。本書によって読者は、「情報エンジン化社会」の基底に横たわる世界、すなわち「光の速度」(リアル・タイム)が作り出す「仮想現実」が、どのように「現実化」し、どのように古典物理的な「時空」世界を解体し、どのような変容を人間「存在」にもたらすのかを知ることができる。
 本書の魅力は、グローバル化やメディア社会の本質を明らかにしている点である。本書を「いたずらに危機を煽っている本」とみる読者もいるかもしれない。しかし新しい技術は、実際に多くの人々の仕事や生活を極めて短期間のうちに一変させてしまう。旧来の新技術は、特権を持つ人から社会全体へと長い時間をかけて波及していった。しかし情報にに関わる新技術は、社会全体を無差別に巻き込み、普通の人々の生活感覚やリズムを一挙に解体してしまう。
 メディア化やグローバル化に危機感を抱かない人々は、実際には社会の中で既得権を持ち、特権的な地位を享受している人たちだ。そして、この新しい技術によって真っ先に影響を被るのは、熟練植字工さんや町工場の人々のように、等身大の手の技術によって生きてきた人々なのだ。すでに社会のコモン・キャリアが鉄道から通信へと大きく変化をしている現在、新しい技術と社会の本質を伝える本が必要ではないか。
 ヴィリリオの原題『極の不動 L'inertie polaire』(1990、邦題『瞬間の君臨』新評論刊)では、仮想空間が実体化する物理世界に迫り、速度が作り出す新しい空間の物理的根拠が明らかにされる。(土屋進)
●新評論刊 四六上製 236頁 本体2400円+税�ISBN4-7948-0545-4�
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福島懇親会
ギリギリで虎ノ門着。
知事に挨拶し、宮本さん、菊池さんたちと「夜会」企画のことを話し、来年は福島三昧になることを宣言?
みなさん元気そうだった。
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boleroをあててみる。
ひさしぶりに熟睡。
佐藤君からボレロのCDが5枚届いたので
すべてiTunesにとりこみながらチェック。
迷ったが冨田勲のシンセバージョンとオリガ・ボロディナのメゾ・ソプラノバージョンを選ぶ。
あてがってみる。悪くない。
アレンジして2005boleroとするのもあり。
とりあえず日曜の3D編集にはこれでいく。
テレセンで作業中の音素材が入れば
まずまずのイメージになめはず。
試写の日程が26日に延びたと最新情報。
時間の余裕が吉と出るか凶と出るか。
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切所越えたか?
今朝までかかったDVDを見せた時点で笑顔。
あ、これで勝ったな、と直感。
そのあとはトントン拍子に進行。
この流れで
先に進む事に決定。

とりあえず切所は越えた。

そのままPCLに居残り
3DのOK分をリストアップ中。

昨日まで現地に居残っていた尾崎たちも合流し、
戦場が東京に移った。
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ボレロ山野楽器在庫リスト
ボレロ クーラ(VO) ストラッタ/シンフォニア・オヴ・ロンドンのメンバー 他
2002年5月22日
【CD】WPCS 11282
2520円

ラヴェル;ボレロ/ドビュッシー;交響詩「海」 他 バレンボイム/パリo.
2001年12月19日
【CD】UCCG 8030
1500円 ★限定盤

ボレロ〜アンセルメ ラヴェル名演集 アンセルメ/SRO
2001年4月25日
【CD】UCCD 7011
1000円


ラヴェル:ボレロ/ラ・ヴァルス/スペイン狂詩曲/ダフニスとクロエ 他 ビシュコフ/パリo. 他
2000年12月20日
【CD】UCCP 9021
1200円 ★限定盤


ボレロ100%
2000年9月20日
【CD】BVCC 35063
1835円


ラヴェル:管弦楽曲全集第1集 〔ボレロ/ラ・ヴァルス 他〕マルティノン/パリo.
1998年12月9日
【CD】TOCE 3390
1733円


ボレロ〜スペイン歌曲集 〔ショスタコーヴィチ;スペインの歌/グリンカ;イネジーリヤよ,私はここに… 他〕ボロディナ(Ms)スキジン(p)

1997年12月21日
【CD】PHCP 11071
3059円


ラヴェル:ボレロ/亡き王女のためのパヴァーヌ他 ミュンシュ/パリo.

1996年5月22日
【CD】TOCE 3097
1733円
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この秋三十回は見た夜明けが、また。
ウェブにアップし、DVDに落としながら
渡辺の上がりを待っているうちに、朝。
大月で蒲田で、この秋はよく夜明けの瞬間を見ることになった。
これからプリントをしつつ仮眠。

疲れはしないが、よくやった。
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追い込み初日
明日の打合せの準備、ほぼ終わる。
ここまでのOKカットをキャプチャーし、一覧のデータベースにしたもの。
メインカメラのダウンコンバートはPCLからの最終便に入っていなかったので間に合わず。
ポスプロのワークが追いつかない、という
なんだかバカげたスピードで対応している気もするが、
ま、あと二週間、か。

合間に、2Dキャメラ2カメラ分の映像で一日のドキュメンタリーをまとめる。
メインカメラの3D、4キャメ分は入れず。

生沼さんの映像は、なかなかいい味が出ている。
友坂さんも慌ただしい中、よく健闘してくれている。

これから渡辺がデータシートをプリントしたら
2時間ほど仮眠してPCLに。
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昨日の記事、覚え
●朝日新聞
リニア、世界最高の時速581キロ記録 ギネス申請へ

 山梨県の山梨リニア実験線で2日、リニアモーターカーの有人走行試験があり、鉄道の世界最高速度となる時速581キロを記録した。JR東海は、ギネスブックへの登録を申請する予定だ。

 試験車両には、山梨リニア実験センターの白国紀行所長ら約10人が乗車。午後1時28分と同54分の2回、それぞれ5秒間にわたり最高速度を記録した。

 JR東海によると、動力となる電力量や実験区間の距離の関係から、580キロ程度が現在の上限とされる。今後は耐久性の検証やコストダウンのための技術開発の実験に取り組んでいくという。実用化のめどはたっていない。(12/02 20:24)



●中日新聞
有人世界最速581キロ
山梨のリニア実験線で記録

 JR東海と鉄道総合技術研究所は二日、リニアモーターカーの走行試験を山梨リニア実験線(山梨県都留市、大月市)で行い、有人走行で世界最速の時速五百八十一キロを記録した。

 午後一時半ごろ、指令室の速度計に「五百八十一キロ」と表示。室内に記録更新のアナウンスが流れると、緊張した面持ちでモニターを見つめていた所員から一斉に拍手がわき上がり、互いに握手を交わした。JR東海によると、今後は五百八十キロ以上の走行試験の予定はないという。


●山梨日日新聞
2003年12月03日(水)

山梨リニア実験線 有人で世界最速「581キロ」
一般区間建設なお不透明 県や沿線首長ら思い複雑
 山梨リニア実験線で行われた走行試験で、リニアモーターカーが世界最速(有人走行)となる時速五百八十一キロを記録した二日、JR東海や鉄道総合技術研究所員は「信頼性や耐久性の目標をクリアすることができた」と、達成感に浸った。実験開始から六年半余りで、現有設備の限界とされる五百八十キロ台を樹立し、県や沿線市町村からも一定の評価が聞かれたが、実用化に向けてはコスト削減が大きなハードルとなる上、着工がさらに先送りされた実験線一般区間(二四・四キロ)の行方は依然不透明なままで関係者は複雑な表情。「技術力とともに、実用化に向けたハード整備ができなければ、リニア構想を推進する“両輪”が整ったとは言い難い」と、地元からは早期一般区間着工など、課題解決を求める声があらためて上がった。

 この日の実験は午後零時半ごろ開始、午後一時半ごろに五百八十一キロを達成した。乗車した同センターの白國紀行所長は「予想した通りの走りが体験できた。安定性、安全性は新幹線と比較してもそん色ない」とリニアの完成度の高さを強調。「これまでの実験で、リニアの信頼性や耐久性については目標をほぼクリアしたと思う。今後はコスト削減に向けた技術研究が課題だ」と話した。

 JR東海などによると、同実験線では距離や電力設備などから、五百八十キロ前後が限界の速度という。

 五百八十一キロ達成について山本栄彦知事は「山梨から世界に向けて世界記録達成を発信したことを誇りに思う。今後も最大課題であるコスト削減に向けた技術開発をはじめ、実用化に向けてこれまで以上の取り組みを期待している」とのコメントを出した。

 一方、未着工の一般区間をめぐっては、国が一九九九年に「五年以内(二○○四年)の着工を目指す」との方針を示し、県が合意。しかし国土交通省は今年、○四年度中の着工先送りを決定。来年度から五−六年かけてコスト削減に向けた技術開発に取り組むなどとし、建設実現はさらに“後退”した。具体的な着工時期は依然明らかになっていず、沿線市町村には国などに対する不満がくすぶっている。

 沿線市町村のうち東八代郡八代町の古屋貞次町長は「最高速度の達成で技術力を伸ばしているのは良いことだが、地元は何よりも一般区間の一日も早い実現を望んでいる。一般区間建設と実用化に向けた努力をさらにしてほしい」と注文した。

 また同郡境川村では、用地提供した地権者も多く、実用化の具体的時期や一般区間建設のめどが立たない状況に「リニア実験そのものに疑問を持たざるを得ない」との声も漏れ、住民らは複雑な表情を見せる。

 同村では一般区間建設に伴う残土置き場を利用した村営住宅整備など活性化を当て込んでいただけに「リニア計画が地元に与える影響は大きい。技術力向上もいいが、(用地提供など)住民の協力が無駄になるのは納得できない。計画通りハード整備も進めてもらわなければ困る」(五十六歳農業男性)と指摘する人も。

 技術開発が節目を迎えた一方で、リニアが抱える課題を実感した沿線住民は多く、国や事業主体、行政に対して、早期解決や現実的な対応を求める関係者の声もあらためて浮き彫りになった。


●読売新聞
山梨リニアが581km/h、また世界最高更新


世界最速を更新する時速581キロを記録したリニアモーターカー(山梨リニア実験線で)


 JR東海と鉄道総合技術研究所が山梨リニア実験線(山梨県都留市―大月市、18・4キロ)で行っているリニアモーターカーの有人試験走行で2日、鉄道の世界最高速度となる581キロを記録した。

 都留市の実験線車両基地を出発した3両編成便が、職員を乗せた有人走行で実験線を3往復する途中の午後1時28分と同54分に世界最速を記録した。

 同実験線のリニアは、1999年4月に当時の世界最速だった時速552キロ(有人走行)を記録。今年11月からは、車両の耐久性などを検証するための最高速度更新試験に取りかかり、19日に時速579キロ(無人走行)を記録していた。

 最高速度での試験はひとまず終了し、今後は空力特性の改善やコスト削減などに向けた研究を進める。
�(2003/12/2/21:40 読売新聞
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standby
実験センターで明日のギネスレコード撮影会議。
総勢四十人はいたか。明日はさらに十人増える。
3DHDカメラ3セット
HDカメラ3セット
3DCCDHDカメラ1セット
計7カメ体制。HDカメラの台数は11台。
3時ごろからはじまった打ち合わせが
延々6時間続いた。途中でカメラセット追加あり。
総力戦の様相である。

明日は6時起床。
今年秋の決算の日となる。

ホテルは4カ所に分宿。
一風呂浴びたら小説でも読みながら朝を待とう。

外はまだ雨、
予報は晴れ。
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温度差いかんとも…
雨。
新宿を通過して眠りに落ちた。
談合坂SAで渡辺に起こされた。
雨。雨。
磯部焼、スパゲティサラダ、横須賀海軍風カレーパン、焼きおにぎりというおかしな取り合わせで朝昼兼食。
さらにリトルマーメイドで焼き立てのパンを数個。
コーヒーをお代わりして都留に向かう。
都留、実験センター。スタッフはトンネル内に。
ここもまた雨。雨。雨。

現場に入ればあるいは気が変わるかと想ったが
なに、ひどくなるばかりである。
スタッフを総チェンジしたいという思いがさらに濃くなった。

降ろすか降りるか。
3ヶ月前なら降りるほうを選んだろうが
今は迷わずに「降ろす」だ。

おれ自身が切られればともかく。
12月を切り抜けたら、年末年始で大掃除にかかるつもり。

温度差、いかんともしがたし。
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糠と暖簾と。
電通テックにバイク便。
30分便が取りに来るまで1時間待ち。
雨。大月は、どうか。
バイク便がつき次第、東京を出る。
朝飯は談合坂あたりか、現地のほたるで。
起きてみて、テンションが下がっていることに気づく。
2Dつないで、あるいは飽きたか?
やろうとしたことはほぼ終わってしまったような
達成感とは異なる消耗感。

糠に釘うち
のれんに腕押しさせられるような
撮影部や照明部、制作部とのやりとりが
なんだか面倒くさい。

ハイテンションはクライアントと代理店の一部と
むじなの森の現場事務所2階の残党のみ。

それなりの技術的蓄積を備えながら
自ら発露することができないベテランたち。
反応のあまりの鈍さに28日の夕は
「やれないないら撮らなくていい」と宣言した。
すると、「やります」と返ってきた。
その刹那、たぶん何かが途切れた。

途切れたものを引きずりながら帰京して撮影済みの素材をつないだ。

あげく残ったものはうっとうしさ。

《世界》を持たないキャメラマンとライトマン相手に
何をどう伝え、キャッチボールすればいいのか
さすがに手だてが見えなくなった。
基礎と骨組みはほぼできている。
あとは化粧。色づけ。
そこに信を置けない。

難しそうにしているのか、
ほんとうに難しいのか。
単なる燃えかすを相手にしているのか。

前半戦最後のヒートアップを前に
憂鬱が募るばかりである。

システムの池田、CGの桑田、制作の佐藤
この三人のむじな残党に、車両の杉田を加えて4人。
さらに制作の豊岡か。
疲労に負けなければ尾崎も計算に入れられる。
あとは後発の録音部の2人とSONYPCLの矢部。

撮影部、照明部は全滅。
あてにならず。あてにする気にもなれず。

湯治部を使えたらと、切実に思う。
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《サクラチル》★★★★
小川竜生著角川春樹事務所刊
ロケ先で読み終わり、三部作のラストだと知り、あわてて都留市の本屋をかけまわる。
結局、第二部の「龍二」を入手。
読みはじめたところで、渡辺が第一部「桜と龍」を入手してくれた。

みもふたもない殺し屋の話だが、妙に読ませる。
意外だった。
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ルコントの《歓楽通り》★★★
独りよがりのほうのルコントだった。
微妙な気配も、2時間のムービーでは舌足らず。
ただし映像は、おみごと。
DVDで見た。
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