2008年11月の記事


得したような損したような
夕べはけっきょく長岡から届いたロック100リストで遊んだだけで過ぎた。徹夜の影響か、寒さのせいか、エンジンかからず。けっきょく韓流など観てだらだらとしているうちに朝。ベッドに潜り目覚めたら金曜夕4時30分。顔を洗うのもそこそこにあわくってデスクトップに向かった。飯も抜きでなんとか8時過ぎに第一弾を書きあげ送る。それから朝兼昼兼晩飯を食べた。顔と歯を洗い、ふたたびデスクトップに。nona算用の第2稿にとりかかる。意外と難航。午前1時までかかる。青二プロに転送するようにAN宛てにメール。なんだかんだと8時間。指折れば1日分のワークタイムである。得したような損したような。
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しし座流星雨の3日間
地下から出たのが午前5時50分過ぎ。六本木通りに出てタクシーを待つ間、頭の芯まで寒気。東の空に黎明。頭上に下弦の月。帰って6時間熟睡。朝、一時間遅れてスタジオに入ったときは、これで降りるというつもりだった。そう公言もし、残務整理気分で編集をスタート。途中で欲にが出てきた。気がついたら集中していた。“卒業制作”にしようと言ったBのテスト版のときのNGになった曲を入手させ、あててみた。はかったようにぴったりだった。5時間待たせたクライアントに午前一時にプレビュー。弾んだ声と表情を見ながら、この仕事のドラッグのような効果をあらためて。想定通りの、いや予想を超えた、いい出来になっていた。しし座流星群の秋。
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北に、行きたい。
しみじみうんざりさせられた。2つの出来事。待合茶屋がわりの一件。これは夕。相変わらずの3バカぶり。こっちは夜。台本を引き千切ろうと丸めて、これはおれが書いたのだと気づき、やめた。路傍の石のように無反応な3バカを捨てて、階段を上がった。こんなつまらねえ内容にひまにあかせて6稿も重ねたバカさ加減にもあきれつつ、汐留へ。それから北千住。京城。肉と飯が腹を満たすうちにいったんはおさまりかけた。北風。涙。そこからまた、ねじれた。もう厭きることにも、厭きた。きっと負けたのだと、自覚した。予報通り、深夜になってぐんぎん冷え込んでいる。北に、行きたい。ご破算である。

スタジオで小林とばったり。あれ以来。体調は回復したように見えた。なにかやろうと握手。鶴見さんともその直後に。夕方、井口、スタジオへ。
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岸波通信で「セクシー会津磐梯山」を見つけた
正調会津磐梯山」は、162番まであったらしい。
さて、この正調会津磐梯山」が2001年の夏にムジナの森で観たあのパフォーマンスと同じものかどうか。動き出した気がする。
ウエブをたどっていて「岸波通信」というサイトで発見。
http://www5f.biglobe.ne.jp/%7Edaddy8/x/info/t.htm
福島在住の人らしい。
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離れた土地へ行って風物を楽しむ
(5)〔漢字「遊」にその意味があることから〕(「…に遊ぶ」の形で)離れた土地へ行って風物を楽しむ。また、勉学する。
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08-09企画メモ
つなぐものとしての「川」。「まなぶ」あるいは「あそぶ」
すべてをインクルーズするものとして
11.17スタートとしたい
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十六夜のものすごい月光
を眺めながら北に向かって公園でひとり乾杯。
大成功だったと、あちこちから連絡が届いた。
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♪八月の濡れた砂
後年のセリ
http://jp.youtube.com/watch?v=En26n8uDN0s&feature=related
リアルタイム本編エンディング
http://jp.youtube.com/watch?v=xFOStNfCbx4&feature=related
望郷/山崎ハコ あかりやさんオススメ
http://jp.youtube.com/watch?v=gvpNFLtzxR4&feature=related
あるいは私は泣いています リリイ
http://jp.youtube.com/watch?v=y3o2rKwFL3c&feature=related
「青い鳥」のリリイを先週ひさしぶりに観た。
この唄を人前で歌ったときはNo.35と呼ばれる17歳だった
http://jp.youtube.com/watch?v=sIl6AE0hf5M&feature=related
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望郷。夢は夜ひらく。か。
あかりやさんの浅川マキにつられてYouTubeたどってたら三上寛の「夢は夜ひらく」を見つけた。
http://jp.youtube.com/watch?v=O9ylaLnp2v8&feature=related
氷雨に打たれ一日が過ぎた後、夢の東北道を疾走しながらベサメムーチョコレクション/あかりやを聴いていた。池田の最後の仕事となった“関東夢工場”の二日間。雨雲の切れ間に唐突に満月。たまらねえよ。
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♪みんな夢でありました
たとえば
みんな夢でありました
http://jp.youtube.com/watch?v=N4RaoKh7K2w&feature=related
たとえば
さよなら ぼくの ともだち
http://jp.youtube.com/watch?v=w50g5V7EGF8&feature=related
たとえば
球根栽培の詩
http://jp.youtube.com/watch?v=fkjorYBV0uc&feature=related
ほかに加藤登紀子の
時には昔の話を
http://jp.youtube.com/watch?v=-pLF_Ql4mr8&feature=related
また寺山修司の秘蔵っ子カルメン・マキの
時には母のない子のように
http://jp.youtube.com/watch?v=kd3SuK3gKWI&feature=related
そして弘田三枝子の人形の家/なかにしれい先輩の1969代表作
http://jp.youtube.com/watch?v=HkPIbzAEAR8&feature=related
さらにアン真理子の
悲しみは駆け足でやってくる
http://jp.youtube.com/watch?v=TAgFqqxuGSw&feature=related
もしブルーになったら
コンテンポラリーハワイアンの“19の春”で癒されたし
http://jp.youtube.com/watch?v=VI9dusGyQeg&feature=related
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ここではない…
台本をいったん中断し虎ノ門パストラルへ。見渡す限りただ一人の知人もいなかった。渡部潤一さんの顔を探したが人が多すぎてあきらめる。待っていた渡辺と蒲田にUターン。前半部の気になったところをまとめ終わり送信。古河の様子を前乗りの美術班に聞く。しっかり冷え込んだせいか紅葉の状態はちょうどいいとのこと。土曜、池田さんのところで町田さん、高橋さん、川田さん、完周さんたちと顔を合わせた。思いがけない話を聞かされたこともあり、いくつもの後悔があった。その後、北千住のココスで渡辺と三人、池田さんの思い出話を2時間。フィナーレの雨の夜のことなどを忍んだ。初号の受け渡しのことで電通テックとANプロにクレーム。クレームをつけながら、徒労。別になんだってかまわねえ、といきなりスイッチ。蒲田に来て詫びたいというのを、寝言は寝て言えと叩き切る。もうほんとうに面倒くさいのだ。好きにしろと、思う。誰一人知る人がいないパーティでぼう然としながら、それでもきっと道はこっちにあるのだと、奇妙な確信が湧いてきた。古川の「聖家族」ではないが、ニッポンの最後のエネルギーは東北にこそ眠っている。のだ。明日は、ロケ。東北の手前ではあるが、北に向かうことには間違いない。天気はともかく、きっと気が晴れる。はず。
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酔生夢死した池田さん
おれが仕事を一緒にしたのはトヨタ博物館が最初だった。9面マルチ[揺籃]と33面マルチ[曼荼羅]。次が未来博1000inch3D。そして夢工場330inchHDと情報館と環境館。10年足らずの間に、たった3回の機会だったにもかかわらず、ずいぶん鮮烈な印象を残して、逝った。有栖川のMAVの後、井口の誘いで軽い打ち上げに。当面の仕上げ祝いと、池田への献杯を井口の提案とおごりで。ソバを食べにいくまでの時間待ちのつもりだったが、そのまま2時間あまり話し込んだ。話のうねりの合間に、なんどか池田さんとの仕事の話が出た。それぞれの距離や温度差は違っても、話題のたびに話の口火を切った当人は涙を浮かべていたように見えた。バーのほの暗さが、その時間によく似合っていた。これからは撮影や編集のメンバーにも呼びかけ、毎回かるく打ち上げをしようと、帰りの車の中で酔った井口がなんども繰り返した。多摩川の手前で降ろしてくれ。橋を歩いて渡りたい、と言い張るので降ろし、別れた。気になったのでそのまま渡辺とタバコ2本分灰にした。で、橋を徐行で。ちょうど真ん中あたりで水銀灯に浮かび上がった後ろ姿を見つけた。近寄り、声をかけた。素直に乗ってきた。家まで送り、別れた。いろいろな想いがわけもなく交差しながら吐き出されていった…ふしぎな秋の夜だった。バーで祝杯をあげたのは、井口、武田、相馬、古山、渡辺。池田さん、そういうふうに最初の夜が過ぎたよ。酒がすべてだといって主食もおかずもすべて日本酒で済ましてしまったのだから、ま、本望とも言えるだろうけど。もうすこしのあいだ、いいのができましたね、という声を聞きたかった気もするよ。会津で一緒に雪崩に埋められた“相棒”だったのに、ね。もう南郷村の花泉をとどけなくていいんだと思うと、おれたちのあの“むじなの森”がすこしだけ遠ざかった気もして、さみしいよ。3D復活のニュースが聞こえはじめていたのに、な。
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♪ベサメ・ムーチョをひさしぶりに
YouTubeをだとっていたら、けっこうおもしろかった。

Besame Mucho" by The Beatles
http://jp.youtube.com/watch?v=EPqO47zlvao&feature=related

Andrea Bocelli - Besame Mucho (2006)
http://jp.youtube.com/watch?v=gPRESlT4Ccg&feature=related

Cesaria Evora Besame Mucho
http://jp.youtube.com/watch?v=Esdl_3kKSBk&feature=related

Tango - Lizi - Besame Mucho
http://jp.youtube.com/watch?v=6axAYbYvg6Y&feature=related

Bésame mucho - Rancapino
http://jp.youtube.com/watch?v=EQs4A6574bA&feature=related

Carlos Rivera - Bésame Mucho
http://jp.youtube.com/watch?v=NBHseVrxo-Q&feature=related

Besame Mucho Pedro Infante
http://jp.youtube.com/watch?v=_v1K_j-f5zA&feature=related
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モスバーガーは偉かった。
なんとなくモスバーガーに入りモスバーガーをぱくつきながらテーブルの紙プレート「モスまんぷくドリルvol.2」を眺めていたらエコロジーの「エコ」はギリシャ語の「オイコス」が語源と言われているけど「オイコスってどんな意味?」というクイズがあった。解答欄には「家」「自然」「地球」と。こんなの「自然」に決まってんだろーが、と解答欄を見ると、ガーン。「家」だった。環境メッセージ以来足かけ5年。さかのぼれば他の企業の仕事で「エコロジー」を扱うためにはじめて意識的に勉強した結果が1990年のニューヨークでの厳冬ロケにつながり、リオの環境サミットにも京都議定書のときもしっかり関わり博覧会の企画書には「ecoだecoだと」二行に一回は書き飛ばしてきたはずなのに、「エコロジー」=「家」だったことを今夜初めて知らされた。衝撃に近いオドロキで、目の前が10kmくらい一気に開けた感じあり。で、ウエブでざっと見てみると、またまた感心。ふつーのひとが、もしかしたらいちばんエッジを走っているのではないか。個人ブログを読みあさりつつ「エコロジー」ってすごいんだ!と小学生のように昂ぶっる。
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愛想、尽かした。
説明を渡辺から聞きながら、腹が立つというより深い疲労があった。いままではそれでも、了解しました、と応じてきたつもりだが、さすがに二つ返事という気にはなれなかった。メーリングで「ここからは割り切る」と書いた。放り出してしまうことも考えたが、ま、仕事だしと。Fは、しかしもう逆ルビコンを渡ったのだ。付き合った時間の長さもあり、どこかで役立ってやりたいという気持ちを消せずにここまで来てしまったけど、もうダメだな、としみじみ。彼のいるセクションにほんらい必要とされる資質が、彼にはゼロ。どこか山の中で炭でも焼くしかないだろうと、言うしかない。このところ少しずつだが抑制しきれず、小さな否を伝えてきたはず。なぜ押し切れると思ってしまったのか、ほんとうにふしぎだ。今日、同席していたらと想像すると、ちよっと自分が怖い。思い上がりと勘違い。書いてしまえばこの二語に尽きる。サラリーマンらしく処世してりゃいいのに、どこで道を間違えたのか。不憫とはいまさら…
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楚歌。25時間爆睡。あじゃぱん
目覚ましを見たら午後3時少し前。25時間あまり眠りつづけたことになる。楚歌とメモして、ベッドに倒れ込み火照りのせいで6時間くらいもんもんとしていた。そのあと19時間熟睡。25時間というのは、記憶にない。火照りは消え、鼻水だけが残った。目覚ましにマンガのような防衛庁幹部のニュースを朝毎読の三紙で併読。論文を募集したのがアパグループで、論文審査委員長が「痴の虚人」として名をはせた渡部昇一。アパグループは帽子のおばさんで知られ、耐震偽造、足立のマンションで国の指数の最大8900倍ものレジオネラ菌が検出された、あの天才バカボンのような企業。三紙をざっと読んだだけで、出来レースが透けて見え、日本の「ネオコン」の底の薄さがよくわかる。「24」を1/00にスケールダウンしたシノプシスのようで、じゃぱんは、とことんマンガの国なのだと笑えた。「あじゃぱん」というタイトルの小説を書いた横浜の作家がいたけど、事実は小説より100倍奇なり。



  2008年11月1日 12時26分 共同通信より
  中韓メディアは冷静な反応 航空幕僚長の更迭
 【北京、ソウル1日共同】中国メディアは1日、防衛省の田母神俊  雄航空幕僚長が過去の侵略戦争などを正当化する論文を発表して  更迭されたことについて、新華社が未明に伝えたものの新聞各紙  は報じず、冷静な対応をしている。また韓国でも、この問題を報  じた1日付の有力紙は2紙のみ。田母神氏が即刻解任されたこと  もあり、日本政府への批判的な声もほとんどなかった。

わかりやすすぎて失笑の出るようなリアクションを読んだ。あじゃぱんは、もう無視されちゃっているのだろうか?昨日の国連人権委の「代用監獄制度の廃止▽虚偽の自白を防ぐための取り調べ録画▽女性の再婚禁止期間など民法上の男女差別撤廃▽従軍慰安婦問題での政府の責任認定と、生存する関係者の訴追」という付帯事項つきの「死刑廃止最終見解」といい、あじゃぱんというのは二重国家なのだろうかと、思えて仕方がない。そう思わないと日常と政治との極端すぎる乖離が理解できない。目をつぶっても日々は過ぎるとしても、だ。ここまでズレてしまっていることは、ある意味たいした国でもあるのかも。びっくり。
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