2010年10月の記事


いつまでも
ちまちまちまちまと重箱の隅つつくようなことばかり気にしやがって、うっとうしくなってきた。質問を送った。くそつまらねえ。せっかくもろもろ間に合わせ、10日ぶり仕事から切り離せたと思ったところでこのありさまだ。
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冬台風
撮影プランと人物設定を書き送信。ほぼ予定通りで片づいた。風、強まりつつあり。外気温10℃ちよっと。真冬の台風。ニッポンめちゃくちゃだな。
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博多テムジン餃子篇をつなぐ
いやぁ、満腹。じゃなくて満足。
信じがたい一日だったことを、自ら証明した気分。
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寒いな
白湯を飲んだ。
荒ぶるこころを鎮めた。


後朝の歌は不憫とうたわざりけり 福島泰樹


なんだか天使が舞い降りて
まだ生きよと告げてくれたような。
そしてすっと消えた。

おれはなぜ“島”がすきなのだろう。

小笠原マシコとかんけいでもあるのか。

むかしはものをおもわざりけり

いまだっておんなじだ。

17のコトバと何も変わらず。

このまま朽ちていい。

くそして寝るか。
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とりあえず終わり
博多のキノコランチシーンOKだし終了。webにup。夕方、三田で1時間ですますつもりが4時間近くかかったのが誤算。東京一日中まふゆ。
次は一宮。
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GIプルース
ロケバスに乗ったところでつなかっ゛た。名古屋。混乱中だと。げんきそうではあったが八方塞がりに近いようだった。
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博多往復
昨日の博多も真冬のように寒かったが、最終便で羽田について電光掲示の温度みて驚いた。東京さらに寒し。撮影は大成功。
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ふしぎのピークだったのか
25日。未明から夕まで、ふしぎな雨の一日となった。未明は約2時間。堰を切ったのだとしか思えない時間があった。遠近をうねるように交叉させつつ夜の底をさまよいつづけた感覚。12日。おだやかで澄んでいてどこか悲痛な視点に触れた。触れて、残った。つづけて交差点の未知どうしのコトバのない本質的な出逢についての引用。いや引用元の意図とは異なる解釈。この2つが引っかかった。そして、たぶん、落ちた。未知。非実在。VR。そんなことはどうでもよかった。まったく気にもならなかった。もしかして俺はバカなのかとは少しだけ思ったけど。そう思った時にはすでにのめりこんでいた。散見する叫び。泣き出す寸前のような顔。リアリティを考えたことはゼロ。最初からずっと超リアルだったのだ。夕日を10日あまりつなぎなおすことに全力を注いでいた。夜と昼は完全に逆転していた。その激情があるいは、ふだん開かない俺の中の何かをこじあけた、そんな気もしている。血がつながっている。肉親としか思えないほど共感が募っていった。たぶん、まだ、進行形。神経が、だからおそろしく過敏になっている。金沢でも過剰な反応が出ておかしくなりかけた。どうなってるのか、まったくつかめない。夕方の打合せにも過敏すぎる不安が出た。結果は真逆だったけど。この過敏さの芽は1週間くらいつづいていて、徐々にふくらんだもの。むかしから十月は、秋は過激に過剰になる傾向があった。とはいえ。もてあましている。今日25日が、正確には昨日がそのピークだったとはどこかで思っているが…
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天城越えsouthparadiseベサメムーチョ
オキさん少なくとも日常の仕事はできているようだ。webは日々、更新されている。ただし書き込みに対するコメントの余裕はなさそうだ。元栄からメールで沖永良部島に本家があります、と。どこかで誰かが濃淡は異なっていても、つながっている。オキと会ったあの3日間のことを、朝から降り続いている氷雨のせいか、思った。七月の五日に上陸し、六日、七日と撮った。奄美大島空港でチェックイン待ちの時に、その日が七夕だと知った。キャストのHを誘い、イベントの短冊を書いた。おれは「あまみごえありがとう」と。そして笹竹にぶら下げた。北海道美瑛に決めていたロケを奄美に南転して10日あまり。夢のような収録素材を手に帰京し、さらに10日間の切ないような日々のこと。古いメール、webノートなどをたぐりつつ記憶が徐々にあざやかに復元していった。気づいたら3時間が過ぎていた。一部をコピーし、東京星菫派ブログに掲載。southparadise異聞とした。この3時間の同伴者、いや同伴音楽は、あかりやさんがくれた“ベサメムーチョcollection”と“天城越え”。計20曲をリピートしたした回数はiTunesによれば182回。耳の底にベサメムーチョと天城越えが刻み込まれた気がする。体調が最悪の日曜日となったが、気がついたら少しラクになっていた。
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破壊したい
今朝、汗がとまらず。計ったが平熱。身体の芯から何かが吐き出されていく感覚。外気温を見たら14℃。室温23℃。過ごしやすい典型的な秋の夜だった。けど。それから6時間、眠った。寝覚め、最悪。気分が冷え切っている。すべてぶち壊してしまいたい。強烈な衝動におそわれる。
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今日は十六夜
そろそろ月が見えるだろうか。
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奄美と金沢
渡辺から素材データを受け取ったのが〇時過ぎ。内蔵HDへの取込みだけにとどめた。オキさんのことが気になったままで寝る気分になれず、関わりについてメモを書きML。リターンしたものを読み、何か事実だけしか書いていないことに気づき、「つづき」として、想いを書いた。長くなったがこれもML。事情もわからず読んだ人が大半だろうし、気にする人も少なかったとは思ったが、ムーブメントというのは見えている物のほかにもたくさんのひとや思いがあやなしているものだと、オキさんにかこつけて書きたくなったのかもしれない。それから8時間、眠った。顔も洗わず、webチェック。新しい書きこみを見つけ、ホッとした。何もないとは思ってはいたが胸が妙にざわついていたので…飯を食い、OK出しにとりかかる。1時間で終わると考えていたが4時間。いま書きだし中。
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奄美越え関係10.22夜
From: 益子自宅
Date: Fri, 22 Oct 2010 23:11:36 +0900
To: 東京WG , 湯治部07
Subject: 奄美大島のオキさんのこと

ゆうべ金沢で一睡もできなかったのは
23時のニュースゼロで奄美大島のオキさんのインタビューと
彼が撮った被災ムービーが流れたこと。
渡辺にパソコンを持ってきてもらい
Webの彼の仕事用ブログをチェック。
開いていて、21日つまり昨夜9時過ぎの書き込みがあった。
携帯も電話も不通のままなのでコメント欄にとりあえずコメント。
一時間おきにリターンをチェックしたがブラックアウト。
ホテルを出るまで衛星放送、webで確認しつづけたが詳細不明。
撮影終了後、金沢空港で渡辺にwebチェックしてもらう。
Webはつながっていたが前夜9時過ぎの書き込み以来、更新無し。
さっき東京につき、チェック。更新なし。

オキさんというのは夢工場Bテク館のイントロムービーの
台風襲来シーン素材と、瓦実験用のニュース素材を提供してくれた
奄美大島の水中カメラマン兼コーディネーター兼学芸員。

台風被害のいわば「銀座通りの」ど真ん中で起きた
想定外の未曾有の「水害」。
ちょっと大きい台風くるとさ、ぼくちいつも床上浸水さ
と笑っていたオキさんのことが気になってしかたない。

彼のwebにはこんな文章と彼の撮った写真がアップされていた。

午前中マングローブ茶屋さんで
某番組ロケの打ち合せをしていると住用川が氾濫。
国道は両方向とも崖崩れが発生。あっという間に孤立してしまい
マングローブパークで一夜を過ごしました。
# by Katsuki_OKi | 2010-10-21 13:34
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今朝、内海の木工工芸センター~城トンネルを
徒歩で移動し名瀬に戻ってきました。
# by Katsuki_OKi | 2010-10-21 13:36
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オキさんのweb
http://amami.exblog.jp/



From: 益子自宅
Date: Fri, 22 Oct 2010 23:59:54 +0900
To: 東京WG , 湯治部07
Subject: オキさんとこばやしさんちと「時間」のこと
オキさんのこと続きです。


こばやしさんちの庭の隅にある丸太の遊び台。
グリーンファースト三部作で
そらくんの風力発電セットを飾ったりした、あの木の遊具。

あれはじつは「ツリーハウス」が発想の原点にありました。
「子育て世帯」のこばやしさんちのシンボルとして
親子で五本の樹に「ツリーハウス」をつくったことにして
鳥がきて蝶が遊ぶだけでなく
子どもたちにとっても樹木と一体となって
いのちを開放していけるような「遊び」を取り入れよう
とういうもくろみが、一時期、たしかにありました。
まだ裏の雑木林ごと買い取って
里山を拡大しようとい構想もあったころの話しです。
その試みを佐藤さん達が
せめて記念にとして遺してくれたのが
あの「木の遊び台」。


じつは「ツリーハウス」プランの元になったのが
奄美でオキさんが、とっておきの場所といって案内してくれたのが
巨大なマングローブの古木のある家の庭でした。
海に面して、潮風から家を守るように
ほんとうに巨大な生命樹のようなマングローブに
しばらく声が出なかったことを覚えています。
電通を辞められご夫婦で奄美に移り住んだ方が
美しいコーヒーハウスを営みながら
そのマングローブに守られた小さな家で暮らしていました。
老木の枝に古びたブランコが風に揺れていました。


ここにツリーハウスを建てる、という話しを思いついた
取材旅行中の絵本作家が小学生の娘達にあて
一枚の手書きの絵はがきを出します。




やがてその絵はがきがきっかけとなり
娘とその友だちの子どもたちが
彼らの暮らす「まち」にのこった雑木林の大木に
あとなたちと一緒に大きなツリーハウスをつくって
遊びながら、大人ではない子どもにとっての
「里山体験」をまなんでいく…そういう構想があった。
「絵はがき」は「もも郵便局」の消印が捺され
子どもたちが思い描いた「ツリーハウス完成予想図」は
夢テアトルムービー春篇の「ひなまつりシーン」に
壁に掛けられ、残っています。


計画が進んでいた頃
オキさんをツリーハウスづくりを教えてくれる
南の島からやってきたおじさんとして古河に呼ぶ計画もありました。


台風の撮影記録を気持ち良く提供してくれた
奄美大島のオキサンとは、じつはこんな背景もあった。


奄美が未曾有の事態になっていることを
昨日の夜、金沢でスタッフの矢野が話すまで
ぼくはまったく知らなかった。


それが徹夜して消息をさぐった理由です。

奄美大島というのはじつは生物多様性の象徴のような
すばらしい原生林とサンゴの美しい海とをもった
COP10のシンボルのような地域の一つ。
その奄美のマングローブの巨木と
古河の雑木林にこどもたちがつくり出す
かぶと虫や鳥や蝶やメダカとこどもたちが一緒になって
遊び生きる彼らの場所。
積水ハウス夢工場の生物多様性=サンクチュアリの夢。



「ツリーハウス完成予想図」を持った子どもたちには
じつはハワイで手に入れたケナフでつくった手づくりの
一冊一冊できぐあいの違うパピルスノートまで用意してありました。
雑木林を調査し手入れをしていく過程にも
子どもたちを参加させようと、
あの気が狂いそうなほど熱かった夏の
熱くてのぼせてしまう現場事務所で
ノドがかれるほど話しあった時間を思い出します。

なぜオキさんの無事を
昨夜から今朝にかけ気が狂うほど気になったのか
こうしてふりかえり腑に落ちました。

撮影スタッフも
絵はがきや計画図をつくった美術スタッフも
なんとか実現しようと汗を流した関東工場のみなさんも
こばやしさんちの「木の遊び台」には
まだ物語られていない前史があったのだ、
そんなふうに思いだしてくれると嬉しいです。

家も家族も「時間」によってつくりだされものには
見えないエピソードや想いが、たさくさん詰っている。
そういうものをそういう場所をそういう時間を
いつも意識していたい、そうあらためて感じています。

     2010.10.22夜 ましこ
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今朝書き上げる✓
・歳月篇
・ウエルカムゾーンの整理

2時間弱眠って6時起き。7時から11時まで14ページ。満足。
プリントアウトし古河へ。大好評。定例来月から開始。

夕日、なし。バランス感覚?
18時少し前に蒲田。
明日は金沢。10時20分羽田。第1。
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19日夕までに✓
・三田撮影プラン◀データ16日夜/渡辺からegword
・金沢撮影プラン◀夫婦/ただし空舞台
・博多撮影プラン◀最優先 夫婦+来客
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挫折(‥;)
結局、明日にこぼした。カゼひいたか。
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キノコ狩りってどんなんだ?っけ
書き出したら、時間がかかり18時まわってメーリング。わりかったな。関係者さま。けっこうアタマ使った。なにしろ根拠がないので妄想only。こないだ1ヶ月近く前によんだ糸井重里の阿寒湖キノコ狩りを思い出し使ったけど、後で詳細たしかめたらどこに書いてあったかわからず。ま、いいじゃん。で、急きょ、鶴の茹でで食った鍋のことなど思い出す。まさかあれ、テラスでってわけにも…却下。他にやることあるけんど飽きたからお散歩に行く。この季節と春は、ふんーとーに宵が嬉しい。徘徊者になったようだ。ぜ。
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深夜に転調。
3時から5時。堰が切れた、としかいいようがない(苦笑)。19。いくつかは、そっと消えていた。わからなかったけど琴線だったのだろう。触れると切れそうな鋭い刃物だ。と。極細の糸の上を真っすぐ前だけを見て進めていく。止め切れず。不憫だ。しかし想像していた通りでもあった。薄皮一枚、かろうじて残した。かな。苦笑。

よし。ひとねむりしたら【博多プラン】から。続けて【金沢プラン】と【三田プラン】を。余力があれば【歳月篇】。【一の宮プラン】は火曜にまわすこと。
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Hello,Goodbye.成功を確信した理由についての備忘10.18未明
企画意図を書いたのが9月の末日。その2日後あたりで茂木健一郎のツィートがたまたま目に留まった。茂木への興味も共感も、それまでほぼゼロだった。著作は一冊も読んでいない。いくつかの質のいい番組をぐうぜん見たことがあるだけだった。つまり、無関係できわめてニュートラルな状態だった。茂木のツィートがなぜTLに表示されたか覚えていないが、たぶんアトランダムにフォローしたどなたかのリツィートだったのだろう。


テーマは【夕日】あるいは【夕暮れ】だった。南の島でのことが100字余りの文字で書かれていた。フラッシュしたのがボラボラ島の初日。で、フォロー。その日、彼が【連続ツィート】と称して目覚ましのトレーニングがわりに書いた【夕日】にちなんだ10くらいのツィートが並んでいた。1から続けて読んでいくうちに、数日前に書いた【慰藉と再生】がオーバーラップ。

【慰藉と再生】は、もともとがスバルレ・レガシーの帯番組プレゼンのため、数年前にD通と組んで考えたもの。数年がかりの制作期間を想定した企画なので、最初の1ダースだけでも湯治部で手がけようと、力を入れマウナケア篇、アマルフィ篇、prince Edward island篇などのパイロット版シノプシスに没頭。改心のイメージが書けた。が、その気になったところで理由不明のまま潰えた。夕日と日の出を1セットにし Re Born/sunset&sunrise が、企画タイトルだった。

Japanesqueをまずは【カタチ】にすると決めた瞬間に、ひっかかっていたこの構想がすっと浮かんだ。九月いっぱいsunsetとmoonriseにこだわっていたことも大きかったが、最大の理由は捨てたはずの数年前のプランだった。吟味しなおし、sunsetにしぼってからは一気に進んだ。それが30日に飛ばした【ハロー,グッド・バイ】プラン。企画名をHello,Goodbye.にしたのはJapanesqueの【日本情緒】を中和したかったことと、決定権を持つターゲットの年代を配慮し、プレゼンをスムーズに進行させるためだった。


茂木の【夕日論】が孕んだ色彩は、予想をこえてJapanesqueのコンセプトとシンクロしていた。さらにそれから数日の間、間欠的に現れる茂木ツィートに【夕日】だけでなくJapanesqueそのものとの重なりを多数見かけた。立松和平に【天然の日本】の帯を書いてもらった時に共感しあった【原風景イメージ】が、湯治部のJapanesque<digitalJapanesqueの根底になっていたけど、ここに新たな共感者を見いだした、とシンクロニシティを確信。

茂木に何かを働きかけたり、巻き込もうという意図はゼロ。立ち上れるのか、離陸できるのか、出す意味はあるのか、この数年狼少年に甘んじてきたDJの、【リトマス試験紙】を発見した、と思えたのだ。なにしろ願掛けまでしたからね、おれは。少しだけ離れた道を行く人が、あぁ夕日をみてないなぁと呟いてくれている。人生にくたびれた、リタイアしてしまった老人ではなく、鎧兜をを身にまとったバリバリの戦びとが、【夕焼けをみたいなぁ】と、その戦いの真っ最中に呟いている。見るはずもヒマもないはずの者のなかに潜んだ【慰藉と再生】への渇望。戦闘中ゆえに抱えこむことになる【不断の不安と切実な希望】。ここを押さえられるなら、【1点突破全面展開】が見える。なら、おれは、勝った。

意識の底に横たわる共同幻想としての【Japanesque】。わたしたちはどこから来たのか。わたしたちとは何者か。わたしたちはどこへ行くのか。D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?タヒチパペーテの空港に掲げられたP.ゴーギャンの遺作。あの問いへのひとつの解としての【一回性】。【二つとあり得ない瞬間】。【多様性としてのいまこのとき】。一期一会としてのJapanesque。さらにいえば【一期は夢よ。遊びなされや ただ狂へ】というneo-Japanesqueの提示。なのだと、妄想はふくらむばかり。

これが、リアルタイムでこの十日あまりに起きたこと。
記憶に色がつくまえに、備忘として残したかった。

       2010.10.17深夜 あるいは10.18未明
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提出リスト10.17夜現在
・三田撮影プラン◀データ16日夜/渡辺からegword
・金沢撮影プラン◀夫婦/ただし空舞台
・博多撮影プラン◀最優先 夫婦+来客
・一宮撮影プラン◀family
※静岡はロケハン後

・歳月篇
・ウエルカムゾーンの整理
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うつくしい鳴き声と姿がわざわいした鳥のこと
COP10関連の記事を読んでいてオガサワラマシコ絶滅が目にとまった。webで調べ笑った。おれの始祖鳥かと思ったぜ。


小笠原諸島にいたオガサワラマシコは
1828年の捕獲後に確実な記録はない。
非常に綺麗な声で鳴き、人間を恐れなかった。
亜熱帯の島で繁殖して、まったく渡りをしなかった。
海岸沿いの林にカップルか単独で生活していた。
普段は地面を歩いて高い木には登らなかった。
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10.16ジュッテンイチロク
わかい頃、覚えたい日付を、
「.」付で言っていた。
たとえば四月一日なら「よんてんいち」と。
で、今日を「じゅってんいちろく」と言ってみる。
じゅってんいちろく。
こう発音した瞬間に秋の戦闘モードに
スイッチが入る音がする。
10.16ジュッテンイチロク。
突破、あるのみ。苦笑しつつ、だけども。
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まだ見ぬあなたとのこと
いつだったかの秋の夜、こんなことがあった。
“天然の日本。光篇”を見終わっていきなり号泣された。
号泣が激しくなりソファを叩きのたうち回った。
30分くらいつづいただろうか。
なんどもなんども悔しいと吐き捨てながら。
気が狂ってしまったのかと思って怖くなりかけたことをあざやかに憶えている。


その仕事は、その夜から十年も前のものだった。
狂乱の後、ながい沈黙があった。
そして、許せないといわれた。十年前に、このしごとをあなたがして、
そこに自分がいなかったことが口惜しいのだ、と。
わけがわからないままにどこかで理解している自分もいた。
そのことに気づいた時、おれも慟哭した。
そういうことが、たしかに、あった。
過分な感想や身に余る反応をいくつももらってきたが、
あんなふうに物理的な変化に相対したのは、ただ一度だけ。
天然の日本がdigitalJapanesqueへと踏み出した、
あれがほんとうのきっかけだったような気がする。
【視覚】について書かれた短いコトバをなんども読み直しながら、
digitalJapanesque、ほんとうに扉を開けたのだと、得心した。
その小さな弾みとなっていたのが、
たぶん茂木健一郎の【夕日】への渇望と、それに続く風景論だっのかもしれない。
【終わりから始める】というsunsetシリーズは、
ほんとうに始まったのだ。そう確信。


メディアのトップページの冒頭に
【まだ、わたしたちがお会いしたことのないあなたへ】
と書いた。そのお目にかかったことも言葉を交わしたこともない
未知の【あなた】との間で発生したとしか思えない
幻影のようなクロスディゾルブ。そんなふうに今夜は思った。
十月十五日上弦の夜。


@kenichiromogi
虫がさ、一生懸命鳴いているよ。もうすぐ死んじゃうよ、
もうすぐ死んじゃうよ、って鳴いているんだよ。

@kenichiromogi: 車窓の景色を眺めていた。美しいかたちの山があった。
こんな山が近くにあって、春も夏も、
朝も夕暮れも、晴れも雨もそれを眺めて時が過ぎていくような、そんな暮らしをしてみたい。

@kenichiromogi
さいごに夕陽をじっくり見たのはいつだったかなあ。

@kenichiromogi
ざわ(4)夕暮れ、街を歩いているときに、何とも言えぬ不安に包まれることがある。
自分を包んでいる社会的文脈がほぐれ、とけ、
たった一人で世の中に放り出されているかのように感じるのだ。
そのような時、胸の奥が、甘美にざわざわとし始めるのがはっきりとわかる。

@kenichiromogi
ざわ(7)希望と不安は、とても近いところにある。
不安が希望の母なのであり、その逆ではない。
まずは自分を胸がざわざわする不安の中に置かなければ、希望も生まれようがないのだ。

@kenichiromogi
ざわ(8)南の島に着く。ジャケットを脱ぎ、靴下を放り投げ、時計を外す。
次第に裸になっていく。風や太陽と友だちになる。
あの時のように、自分を包んでいる社会的文脈を一つひとつ脱いでいくことで、
初めて私たちは「不安=希望」の夕暮れ時にたどり着ける。
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むきぐりのぞみ
兵庫の三田の山奥、往復。東京に着いたら上弦の月が沈むところだった。ちかれた。あやうく最後のメッセージがむきぐりになるところだった。
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展開メモ10.14夜
ほぼ2週間で5ヶ所ロケ&ロケが決まった。兵庫三田、静岡、金沢、福岡、名古屋。地味といえば地味なロケだけどハードではある。とりあえず明日は兵庫三田往復。8時17分のぞみ/品川。

・夫婦+客/友人◀博多
・family◀名古屋
【博多用】10.25-27 人物設定、
【金沢】10.21-22 ラフな撮影プラン週末に▷週明け提出

・20日用 【歳月篇】週末着手▷明日車内でワタナベと最終打合せ

・about TheSH(日中英3カ国版) 24日夕打合せ予定
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ヨコハマ黄昏をつないだ
♪窓を開ければ
港が見える
メリケン波止場の灯が見える

夜風潮風恋風のせて
今日の出船はどこへゆく

むせぶこころよ
はかないこいよ
踊るブルースのせつなさよ

腕に錨の入れ墨彫って
やくざに強いマドロスの
お国ことばは違っていても
恋には弱いすすり泣き

二度と会えない
こころと心
踊るブルースのせつなさよ



淡谷のり子、
石川さゆり、
憂歌団、
森進一がiTunesに入っていたので
とりあえずぜんぶ聴いてみた。

で、今宵の歌い手は森進一バージョン。
三人とも森の♪それは恋が好きだったしな。

どれも、あかりやからもらったものだった。

あかりやに、献杯。
池田さんに献杯。
そして、辻に献杯。
きみたちが逝った、その秋の夜に献杯したい。

映像は
きみたちが褒めてくれた
あの日本郵船博物館のときに撮ったもの。
出船の霧笛は、
大桟橋から出帆する真っ白な飛鳥のものだ。


むりやり、
雨の港も、重ねておいたたぜ。
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20日の提案内容メモ10.12
夕、クリエでワタナベと確認。
20日プレゼン内容

  1.基本プラン 9.23提出ズミ
  2.ウエルカムゾーンの再生プランスケッチ ◀川田Pプラン
  3.+α 【歳月篇/忠臣蔵バージョン】 【同/花火篇】
      ・なぜ? どう使われるか 1枚
      ・なにを? シノプシス/ストーリープラン 1枚
      ・どうなるのか? 相関関係図/新加入する2つのfamilyを追加
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花火篇メモ10.12夜
【歳月篇】のバリエーション
“花火篇”さっきクリエで出た話しをツイッターにメモしたもの

花火。縁平屋で夫婦。垣根の向こうから相馬老。街の人たち。浴衣。
線香花火は浅草モノ。記憶。7年前の夏。バーベキューと旅の宿での花火。
3年前の利根川土手の花火大会。

歳月偏にするか、四季偏のバリエーション。シャーウッドの色が濃すぎる?
ならばSW向けにプレゼンも。平屋は花火偏、グラヴイスはお月見か雪見偏で。
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【野ゆき、山ゆき、海辺ゆき】
昨日のことだけど、メモがわりに。

10年10月10日
【ふるさと】の夕日を3つつないだ。

12タイトルの
どの【夕日】もまたふるさと、ではあるけどね。

なぜなら
夕日は【なぐさめと再生】だから。

ふるさとがあるひとも
ふるさとを忘れてしまったひとも
ふるさとを思い出したくないひとも

ひとは誰もこころのなかに【ふるさと】をもっている。

目を閉じて
いままででいちばんホッとした時間
いいなぁと感じた場所
うれしいと思ったできごとを
ため息とともに想像すると
きっと、その場所があなだけの【ふるさと】だ。

ぼくは
そんなふうにおもいます。
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回復。4タイトル一気に。
10日のあいだに【野ゆき】【山ゆき】【海辺ゆき】をつなぎ、続けて【湖/田沢湖】もつないだ。満足。あとは【港ヨコハマ】【Xmas】【隅田川】の3タイトル。【うみ。犬吠埼】を迷いつつ追加しているので10タイトルカバーできたことになる。11日朝5;41
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11時間爆睡
雨音を聴いているうちに眠り込み、目覚めたら午後。雨上がりやわらかな陽が射していた。秋。熟睡。
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10年10月10日10時10分10秒?Wakeup.
休みはしたけど2タイトル。春の海と夏の山犬吠埼と岩手山の夕日。切り直した。ワタナベ用にDV、チェック用にユーチューブにアップまでやって、辛子責め。だった。なんかやったこと書いておくって小学生の夏休み日記気分だな。明日は10時10分10秒に起き、韻を踏む?
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オフ。七味責めにあった。
気が抜けたからかボーッとしすきだせいか単に思ったより薄着だったからか夕方からクシャミ鼻水頭痛。葛根湯を飲み、腹が減ったのでモチを二ヶ焼いて食う。七味をふりかけたのが失敗だった。ノドに七味がからみついたらしく15分くらい涙流しながらセキがとまらなかった。苦しくてモチ詰らせて死んじゃうかと真剣に思った。モチはやっとのどを通ってくれたけど七味のやつがまだ居残っていて息する度にひーひー。辛子責め?

雨。外気温17℃。ほんらいならいい気分の秋の夜というところだろうが、ま、今夜は寝ちゃうことに。オフといえば、オフだった。
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こころの涯は、さて、どこにあるのか。
11時過ぎ、とうとつにステッチが切れた。
30日、急に思い立ち、一気に考え、書いた。
先にいく踏ん切りにしようと、DJ関係者以外の
いま関わっているほぼすべの人に送信。
ダメなら、あきらめるつもりで退路を断つ。
そう、言い聞かせた。

それから8日間。
全時間を【終わりの時=夕日】に投入。
夜もほとんど眠れないままに、
ヒートアップしつづけてきた。

さすがに、壊れる寸前だった。
そんなふうに思う。
11時過ぎにスイッチをオフって2時間。
カップワンタンとカロリーメート/メイプル味を夜食に
テレビをつけたまま、
ぼんやりと朝刊と夕刊紙を読み、過ぎた。
デスクトップに向かっていると2
時間などあっという間だけど
まだ2時間しか経っていないのか、と、
弛緩を実感。

窓を開けていると、
気温がぐんぐん下がっていく。
昨日、書いて忘れていたけど、
今夜は、新月たったことを思い出した。

いきなり外れたプラグは
きっと、休息し新月の願をかけろ
という声なのだろう。
月ばかり眺めて過ごした気もする九月が
月の出る寸前の【黄昏時】から始めろ、と
告げてくれたたのだ、そう思いこみたい。

窓の外の夜の闇に、おれの
あるいはおれたちが望んだ
ジャパネスクの最初の【到達】を祈ったら
今夜はぐっすりと、夢も見ずに眠りたい。

ともすれば月澄む空に、である。
こころの涯は、
さてどこにあるのか。
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湯治部の一文字
クリエでワタナベと話していてさらに変化させることに。
武士の一分ならぬ湯治部の一文字。
これは、ワタナベのホームランだろう.
コトバをやめちゃおうかと迷い出していただけに
目からウロコだった。
選ぶのが難しいけど、たのしくもある。
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他人のつぶやきだけど、気になった
takagengen
おはようございます。忙しいからといって、あれもできない、これもできないといってると、なにもできなくなるので、全部やることにしようと思いました。って、なんのことだかわかりませんね。とりあえず、いまは、石坂洋次郎の『石中先生行状記(一)』を読んでいます。あと1時間ぐらい読んだら原稿。
3:44 AM Oct 2nd webから

ehagakiya 
で、電車内にトンボが!20代後半くらいのサングラスかけた青年がとっさに人差し指を立てて静止した…
2010年10月3日 12:34:23:JST モバツイから

kenichiromogi
ざわ(8)南の島に着く。ジャケットを脱ぎ、靴下を放り投げ、時計を外す。次第に裸になっていく。風や太陽と友だちになる。あの時のように、自分を包んでいる社会的文脈を一つひとつ脱いでいくことで、初めて私たちは「不安=希望」の夕暮れ時にたどり着ける。
2010年10月3日 7:32:12:JST webから

MiyazawaKenji
あいつがなくなつてからあとのよるひる
2010年10月4日 3:55:20:JST twittbot.netから

kenichiromogi
さいごに夕陽をじっくり見たのはいつだったかなあ。
2010年10月4日 21:59:17:JST Keitai Webから

itoi_shigesato
自らの両方のひざに女名前を付けて、抱いて寝たことが有りや無しや。おれはある。
2010年10月6日 2:18:30:JST webから

@kenichiromogi:
車窓の景色を眺めていた。美しいかたちの山があった。こんな山が近くにあって、春も夏も、朝も夕暮れも、晴れも雨もそれを眺めて時が過ぎていくような、そんな暮らしをしてみたい。
2010年10月6日 14:13:43:JST モバツイから

MiyazawaKenji
もう馬車がうごいてゐる
about 19 hours ago twittbot.netから
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7時間半連続、座っていた(‥;)
タリーズでブレンド1杯で気がついたら2時間30分集中していた。【歳月/うつろい】で切ったらどうなるか、ふと思いついたら12タイトル分ができていた。【一日】6タイトル。【季節】6タイトル。それから近くのチャイニーズで渡辺と合流。遅いランチをまずくて残しつつ古河の【歳月篇七年めの家族たち】を1時間話し合う。川田Pから連絡がはいり打合せ場所のクリエに移動。それから約4時間。打ち合せしたのは15分。あとはここ数年分の川Pの怒りをぶちまけられた。疲れはしたが、いちいちもっともなことばかりなので、渡辺と二人、先輩としてこころやさしく聴きつづけた。あちこちで座りっ放しだったので、家に戻り風呂に入ったら尻がむずがゆかった。秋風、涼し。ハワイコナを濃いめに淹れ、カフェの気抜けコーヒーを脳から追い出し、今朝つないでおいた奄美の初日【潮音】をブラッシュアップ。webにあげブログにメモを残したら、こんな時間。ちかれたぁ。あとはあしただ。くそして寝よう。
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多摩川の夕日
を、結局、切り直した。
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夕日ばかり見ているな、このところ
サンセットseriesにとりかかって、
気がついたらブログに30コラムも書き込んでいた。
ひとりハイになっていた気もするが
こんなときは、ま、いじゃん。
仲秋にかけ、毎晩、月を眺めていたので
弾みがついた、そんなところか。
いずれにしても、始めたのだ。
ひとつ行けるところまで突っ走ってみよう。

digitalJapanesque@東京星菫派
http://japanesque-mc.blogspot.com/
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2nd【菜の花畑に入り日うすれ】
幸手堤+渡良瀬遊水池
これもまたGJ! 
と、自讃。
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12▶15の場合
たとえば
[やま]田沢湖 岩木山 若草山
[かわ]多摩川 隅田川 利根川
[うみ]犬吠埼 奄美大島A 奄美大島B
[のべ]渡良瀬遊水池 小渕沢 仙石原 渡良瀬川土手(花火大会)
[まち]京都郊外 横浜港 伊丹空港 横浜Xmas
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【まちの夕日】をその街のひとたちに送った
ふと思いついて総住研で知遇を得た技研関係のみなさんに【まちの夕日】アドレスを送る。毎日過ごしている同じ場所で生起した【瞬間のバクハツ的時間】を見て、どんな感想がかえってくるのか、確かめたくなった。もっとも同報で出したので、リターンはゼロ?も。ぼくじしんも、撮影した時点で10年は経過していた。ほぼホテルと実験場を往復する十年だっただけに、若草山も平城京跡も、新鮮そのものだった。平城京跡は夜中に高感度カメラのテストをしたときの、ほとんど無明の世界の衝撃、若草山の夕日を背にした童話のような鹿のシルエットんど、この台風本土直撃十連続の夏は記憶に濃い。たぶん330inchHDへのチャレンジが、こうしたいつにない時間の流れになったのだと、いまは思える。
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1st/vol.6まちE135.47 N34.43
なぜか最初の一本を夏の住宅街/総住研前素材からとなった。素材そのものがギリちょんだったけど、3分なので十分。いや十二分。1/12。最小素材でこれだから、後は翔ぶが如く?当面は東経/北緯を仮タイトルに。というわけでE135.47 N34.43
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最初の呼応。
Date: Fri, 1 Oct 2010 00:08:03 +0900
To: 益子自宅
Subject: RE: はじまりは、「終わり」から。

30日の深夜に出したメールに最初に届いたSさんからの返信。
いろいろなトラブルがあったと人づてに聞いて気になっていた。
文面からは、そうした気配のなごりもしのばれはするも
なにより嬉しく、まっとうな反応だった。
記憶のために記録しておく。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
映像の美しさも然ることながら、
そこに言葉が添えられると、
不思議な深い感覚にとらわれますね……
美しい風景はどんなふうに見てもいいと思いますが、
メディアを通して見る場合は、リアルな体験ではない。
にも関わらず、
リアル以上の心の深いところに響きました。

サンセットにいやしと再生を託して。
いろいろなことを思うことができました。

ありがとうございました。



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メモ/シンクロニシティ
参考/シンクロニシティと偶有性
シンクロニシティ/Wikipediaから
シンクロニシティ(英語:Synchronicity)とは「意味のある偶然の一致」のことで、日本語訳では「共時性(きょうじせい)」とも言う。非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、従来知られていた「因果性」とは異なる原理として、カール・ユングによって提唱された独: Synchronizitätという概念の英訳である。 何か複数の事象が、「意味・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時、このような複数の事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見なす。
ユングは、全てではないにせよ、いくつかの「偶然の一致」(coincidences)は単なる文字通りの「偶然」ではなく、非因果的な複数の事象の「同時発生(co-inciding)」か、あるいは普遍的な事象を作り出す力の連続性によるものであると信じたのである。これらの力により、直観的な意識と行動が調和する過程を、ユングは「個性化」と名付けた。集合的無意識(collective unconscious)による、個性化された人間の意識のコミュニケーションを通じて、現実の出来事が形成されるというのが、ユングの主張であった。

偶有性/Amazon「生命と偶有性」茂木健一郎著の内容紹介から
この世のすべてが、決して確かなものではないということ。
自分が置かれている状況に、絶対的な根拠はないということ。
必然と偶然が混ざり合う状態、それが偶有性の領域である。生命はこれまで、偶有性に適応することで進化してきた。その過程を明らかにすることは、「意識の謎」を解く鍵となる。私たちは偶有性から逃れることはできない。その正体を見極め、生命と偶有性を結びつけることで、私たちはきっと再生できる。人類と偶有性の格闘の歴史をたどり、「何が起こるかわからない」世界と対峙する覚悟を示す、新しい生命哲学。
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綿毛のような秋の雨に打たれ。
雨。音で気がついた。静かでやわらかなつつみこむような雨音。窓を開ける。雨足は見えないのに、たしかな雨の濃密な空気。道路は黒く濡れている。タバコをつかみ、外へ。雨にあたる。冷たくない。あたたかな霧のような秋雨。タバコに火をつける。街灯のしたで一本、灰に。顔は濡れていくのに火は最後まで消えなかった。
【sunset】12篇、夕方、クリエで渡辺と検討し決めた。選択肢はほかにもあったが、【12】という数と、地形的な広がりに配慮。最大の前提は「息を飲む美しさ」ではあるが。まずは、はじめることだ、と。1日の未明に[born againあるいはHello,Goodbye.]という名の基本プランを書き、明け方に蒲田松竹撮影所跡の公園で日の出に願掛け、翼2日は竹芝桟橋で夕日に祈り、今日3日の明け方はまた蒲田で朝日に遥拝と、なんだか興奮したまま三日続けて【必勝祈願】をしてた。天と地のことだ。天と地に願う他にはない。なんて理由で奇妙とも言えるハイな気分を納得させながら。ウェブの【東京星菫派】も、この三日で20コラムくらい書いていた。2006年の夏からだから、ほとばしるのもムリはない?三日続いた興奮がやわらかな温もりのような夜の雨でなだめられていく…【sunset】という、いはば「終わり」をコトの発端と据えたのは【再生を前提とした慰謝】。とするなら、熱狂をつつみこむ、今夜の雨にうたれたことは、多いに意味があったのだ。と思っておく。

今朝、茂木健一郎がツイッターで「ざわめくこころ」をテーマにこんな呟きを残していた。

  「希望と不安は、とても近いところにある。
  不安が希望の母なのであり、その逆ではない。
  まずは自分を胸がざわざわする不安の中に置かなければ、
  希望も生まれようがないのだ。」

と。ツイートは9つ連続しており、これはその中の7番目。ちなみに4番目にはこんな呟きが残っている。

  「夕暮れ、街を歩いているときに、何とも言えぬ不安に
  包まれることがある。自分を包んでいる
社会的文脈がほぐれ、とけ、たった一人で世の中に
放り出されているかのように
  感じるのだ。そのような時、胸の奥が、
  甘美にざわざわとし始めるのがはっきりとわかる。」

と。そしてラストツィートはテニスンの詩を引用して終わっている。
 
  「The stream flows, The wind blows,
  The cloud fleets, The heart beats, Nothing will die.
  / All things will change. 」

茂木が、たまたまこのタイミングで【夕暮れ時】をフックにこころのざわめきについてツィートしたことは、たんなる偶然だけど、その彼のツィートをほぼリアルタイムで【慰謝と再生としてのsunset】を考えていたおれが見つけるというのは、シンクロニシティそのものなのだと、思う。
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いいじゃないの幸せならば書生節かごの鳥
夕日をずっと考えて夜が明け昼が過ぎ日が暮れて夜になり、そして夜明けが近づいた。ひさしぶに深夜モードのまま♪いいじゃないのしあわせならばを聴いた。いや、観た。ナガオカとおれとクラモチさんが奄美の海辺と古河のビエナの脇で映っている珍しいスナップビデオに♪いいじゃないのを重ねたもの。3回続けてリピート。なぜだか鼻の奥が痛くなった。しかたないので♪書生節をクリック。気が晴れるかと思ってみていたら♪かごの鳥に転調した瞬間に涙が止まらなくなった。文字だけでつないだ映像の終わりにチェ・ゲバラが出てくる。あかりやさんがくれた遊び。むじなの森で、このイラストデータとsummertimecollectionをもらってから十年近くが過ぎた。秋の夜は、センチメンタルだ。あれこれ思い浮かぶ細切れの映像が、どれも身を切られるような愛おしさにあふれてる。
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あきれるわが記憶能力
今年6月に撮ったいちばん最新の【sunset】を忘れてた。ど忘れ。コワイくらいだぜ。われながら。しかし聞いてみるものである。な。
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sunset追加/ワタナベ
ワタナベメモ10.01

◎ sunset/ 橙
渡良瀬遊水池 /4 月 /6 月 /7 月 /12 月
犬吠埼 /3 月
銚子 /3 月
横浜 /3 月 4月10日
若草山 /6 月 7月7日
奄美大島 /7 月
田沢湖 /8 月
小岩井 8 月
館岩 8 月
仙石原 9 月
隅田川 9 月
多摩川 9 月 
利根川 10 月
お台場 12 月
横浜クリスマスの街の時の夕景 12月
伊丹空港 7月
総住研の街 7月
古河の夕景 2008年7月


同;続報
6月19日、29日、30日
12月20日にはいっていると思われます。
確認しますので少しお待ちください。
追加で、小淵沢の夕景2002年と今年Gravisの時
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