2009年02月の記事


ほんとうに、東京も緋にもみぞれとなった。
打合せのスタートが2時間延びたので、ちょっとのんびりする。
湯治部に、出したメール↓をコピー。


> From: 益子自宅
> Date: Fri, 27 Feb 2009 15:19:34 +0900
> To: 湯治部07
> Subject: [tojibu3:01061] 週末余談です


以下は、お時間のある方限定です。

近くの松竹撮影所跡の梅の蕾がふくらんで
淡雪がうっすらとその緋色を染めているのを見ながら
夕べ届いたホテル山水のおかみさんからの花便りのことを振り返る。
そういえば、もうひとつ親しくなった宿があったことを思い出し
古いメールを探す。で、発見。
7年半前の夏の初期の湯治部メーリングNo.174。
HDF900のテスト撮影に行った21世紀最初の夏。
キャノンもトヨタもソニーもミツビシもパナソニックも
まだどの映像先進メーカーも撮影システムにHDを導入していない
HD黎明期?に、積水ハウスは2年続けていたHD700から
さらにその先へ踏み出そうとしていた(*^O^*)
なんてことを思い浮かべながら読み返す。

ま、ちょっと照れますが。


------ Forwarded Message
> From: 高橋 采子 <ayachan91332@hotmail.co.jp>
> Date: Thu, 26 Feb 2009 22:27:48 +0900
> To: 益子自宅 <mashiko@mars.dti.ne.jp>
> Subject: RE: 撮影部のみなさん
>
> 益子様
>  
> いつも 素晴らしい映像を有難うございます。
> 桃の花の咲き具合もきっと今年は早いのではないかと 思われます。
> 近いうちにみてきて お知らせいたします。
> ロビーにお雛さまも飾ってあります。
> ぜひこちらにお出での折は お立ち寄りくださいませ。お待ちいたしております。
>


------ Forwarded Message
> From: 益子自宅 <mashiko@mars.dti.ne.jp>
> Reply-To: <tojibu@ml-c3.infoseek.co.jp>
> Date: Tue, 07 Aug 2001 05:17:37 +0900
> To: 湯治部 通信 <tojibu@ml-c3.infoseek.co.jp>
> Subject: [tojibu:00174] リスタート
>
>    益子です。
>
>    積水ハウスのライブラリーロケ。
>    本格的なライブラリーロケとしてはじめての試みは
>    天気にも恵まれ、きわめて満足のいくものとなりました。
>
>
>
>    相馬プロデューサーのご英断に敬意を捧げます。
>    踏み切る勇気があれば、成果は思いのままです。
>    計算づくではあの映像はものにできなかった。
>    日常の仕事と超える仕事をきちんと分けられたこと
>    つまり「遠くまで行くんだ」という瞬間だったわけです。
>    5日の出来事は夢でも幻でもない。
>    ああいう時間を生み出せるのは才能を超えた何かだけ。
>    相馬さんにはその何かが備わっていることが立証されたね。
>    ぼくはあの夜の出来事が相馬さんの名の元に遂行された以上、
>    プロデューサーとしての相馬さんの力を最大級に評価します。
>    以後は、すべて相馬さんの指示にしたがうことを言明します。
>    がんばれ。あんたが大将だよ。
>
>
>
>    夏苅さんの大奮闘に感謝を捧げます。
>    あの酷熱の午後によく気を失わずに頑張った。
>    ああいう無謀な仕事の進め方は以後控えますが、
>    音を上げずに君が進行してくれたおかげで
>    なんとかぶじに最後までやりきることができた。
>    でも、いつでも音を上げていいよ。
>    たかが仕事なんだから、まずは自分第一。
>    そのうえで今日の午後のような頑張りもあればなおよし。
>    男でも女でも凛々しさがいちばんだ。
>    きみは、凛々しかった。おつかれさまでした。
>    おかげで素晴らしい愉しい時間と成果があった。
>    冷たい飲み物を両腕にかかえて坂道を走ってくるきみの愛が
>    倉持さんや長岡くんのもう一踏ん張りを生んだ。
>    愛は想像力。想い描く力だ。
>    想像力だけがこんどのような奇蹟の時間をもたらしてくれる。
>
>
>    
>    倉持さんをはじめ撮影部のみなさんには何も言うことなし。
>    湯治部らしいみごとな遊びぶり、いや仕事ぶりだった。
>    細部にこそ神は宿る。自然もまた細部にこそすべてがある。
>    ほとんどのカメラマンはこの細部をとりちがえ
>    単なるミニマリズムのお化けになるけど、
>    愛と想像力を持つ才能だけが、その境界を越えていく。
>    十年以上に渡る倉持さんとの仕事を通して、
>    ぼくはそのことを教えられてきた。
>    こんどの南会津ロケであらためてそのことを痛感しました。
>    花一輪、水面のさざなみひとつで、
>    これほど魂を揺り動かすカメラマンをぼくは知りません。
>    人もモノも自然も、
>    これほど愛情あふれる映像をつくれるカメラマンをぼくは知りません。
>    あの年齢でどうして作為を越えて表現できるのか、不思議でならない。
>    広告がつまらないのは、すべてこの作為を越えきれないところにある。
>    時に越えた表現者の仕事だけが後世には残るけど。
>
>
>
>    畑からとうもろこしをとってきてゆで、チーズケーキを焼き
>    冷たい氷水と大広間での昼寝を供してくれる宿、というのも
>    またこんどの仕事にふさわしい不思議な存在だった。
>    あれがホスピタリティの原点だよ。旅籠の原点。
>    対価なしであのホスピタリティを引きだしたのはもちろん
>    みなさんが前夜と早朝に見せた真摯な仕事ぶり。
>    共感がうまれちゃうんだよな、ああいうときには。
>    どっかで何かを越えちゃうんだよ。
>    畳の上で蝉しぐれを枕に大の字になっている諸君を見て
>    ぼくは今年いちばん幸福な気持ちになれました。
>
>
>   
>    まことにひさしぶりに湯治部の湯治部たる仕事ぶりに接し
>    感無量であります。やっと帰還できた気がしています。
>
>
>
>    メーリングなので意味がよくわからない方もあろうが
>    ま、なんだかマシコはこんな気分であるらしいとご理解ください。
>
>
>
>    生まれてはじめてオニヤンマの孵化を目撃しややハイになったかな。
>
>
>
>
>          2001.8.7 立秋 リスタート記念  益子 透
>
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緋にも、みぞれ
予報によれば、明日はこの冬いちばんの寒い一日になるらしい。明け方は小雪とも。古河の桃の蕾に名残の雪。いいなぁ。どこかで誰かと思いもかけないつながり方をしていた。今夜は、そんなことを実感させられた。如月二十七日未明。雨水。
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古河の桃林
蕾の写真が載っていた。ことしこそ桃を攻めたい。

以下、公園blogから引用
江戸時代初期、古河城主土井利勝(どいとしかつ)が、江戸で家臣の子供たちに桃の種を拾い集めさせ、古河に送って農民に育てさせたのが始まりです、領地では、燃料となる薪が乏しかったので、成長が早く、果実が食料となる桃が選ばれました。
明治時代には、花見シーズンに臨時列車が運行されるほど賑わいました。
古河市では開園を機に、花桃(花を観賞するための桃)を植えて桃林を復活させました。
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小説チェックリスト2.25
宮本輝「骸骨(がいこつ)ビルの庭」群像2006年6月号~2009年1月号
橋本治「巡礼」新潮2月号
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アホと3時間
バカだとは思っていたが、この時世でここまで低温症丸出しでいられるわけがわからない。発端は1通のメール。リアクション。音沙汰なし。再度リアクション。音沙汰さらに無し。同じテーブルで同じ空間で同じ空気を吸ったり吐いたりしていることが、ほんとうに苦痛だな、と感じはじめている。派遣が切られるのだから、たかがプロダクションの何も出来ない制作など行く末が知れているという不安はないのだろうか。同じ時代に生きていることが不思議でもある。夕方にかけての3時間、徒労感だけが残った。
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暴風圏★★★★★
佐々木譲著/新潮社刊
帯に「超弩級の警察小説」とあったので買うのをためらったけど、佐々木を信じて読みはじめた。当たり。コーエン兄弟に撮らせたら、それこそ超弩級の「雪嵐映画」になるだろう。「警察小説」などと間の抜けた惹句にたよらずストレートに「温暖化パニック小説」とでもしたら手に取る客も増えたのではないか。息詰まる緊迫感とクライシスに向かう静謐感とがみごとなカットバックで描かれ、出来のいい映画を体験しているような趣あり。読み出したら、止まらず。カフェ・ド・クリエで読了。唯一、欠点をあげつらえば、「その後」を知りたかった。群像劇だけに、丁寧な後日談が加わると超弩級の読み物になっただろう。佐々木らしい結末のあっけなさではあるが。収穫。
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五星大飯店上巻★★★★★
海岩著/講談社刊
間違えて上巻しか出ていないのに買ってしまい、たいして期待もせずに読み出したら止まらず。余華の「兄弟」のようなグルーヴ感はないものの、どこか金庸のような気配もあり、没頭した。CCTVがドラマ化し、国内でも放映されていたらしいが、丁寧に映像化されてるとはまりそうだ。
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長嶋ゲバラ隆明
台本の合間に一服しながら侍ジャパンの練習取材を激励に行ったナガシマの短いインタビューを観た。不覚にも、涙。神楽坂のオフィスを引き払うことになったとき、どこに行くか迷った末に、少しでも東京ドームに近くで長嶋さんを応援したいと小石川に移転したことを思い出した。歩いて10分のドームには、結局一度も行かなかったけど。その名を聴いたり、自ら口にするときに、体の芯に熱を持つ名がこの世に三人。長嶋さんと、ゲバラと、吉本隆明。吉本さんは「よしもと」か「りゅうめい」でけっして「よしもとたかあき」ではない。中学の時に、多摩川球場で握手してもらい生徒手帳にサインをもらった夕暮れをいまでもあざやかに記憶している。「勉強がんばるんだよ」とナガシマらしくないことを言われたのもいまだによく覚えている。
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2.21朝。山を越えた。
夕べはプロローグの手直しだけでupのつもりだったが深夜になってその気になり、中盤に取りかかる。結局11時から朝6時近くまでかけた。チェック用をwebにアップしメーリングした後、DVDに落とし、テレビでプレビュー。11分余りになったが、テロップを入れてみるとナレーションは不要な気がしてきた。ひとねむりした後、もう一度プレビュー。このままでいくことにする。webサイトに並べておいた経過順のmovieとプランファイルをすべて削除。19日から21日にかけての3ブロック荒編version2と最終荒篇11分版のみを残す。正味は1月り16日下見以降としても、丸1ヶ月余り、蕩尽した気分あり。そろそろ抜け出したい。飽きてきはじめた。
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カシミアマフィア★★
古河らしい仕事で古河に行った。定例後に外に出て、2年前の夏を過ごしたベンチでタバコを吸った。多橋さんが降りてきて、そのまま夕焼けを眺めながら立ち話。雪が降りそうだね、と話した途端に寒気。あわててホールへ。喫煙室で佐藤さんと短いやりとり。電通スタッフとも別れ、芳流。ひさしぶりにカレーうどんを頼む。ついでに板わさと天種。昼飯兼夕飯。蓮田でコーヒー。帰ってから3回目の荒編。気がついたら12時を回っていた。レンタルDVDの“カシミアマフィア”のvol2二話分を観た。ドラマはプロデューサーではなくシナリオ次第、だという典型例。金融クライシス以前のストーリーとは言いながら、唖然とするチープ感いっぱいの“ゴージャス”ドラマ。打ち切りは当然だろうな、と思いつつ、観ていられるのは音楽のせいか。12日の古河ロケからちょうど一週間。たかぶっていた気持ちがやっと溶けていく。いきつけたかな、そう思えた。
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d_Japanesque étude
ひっそりと?再開。
まず、渡良瀬遊水池の夕を60秒で
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問題は、「気配」。
編集台本第1稿。とりあえず9分20秒版をざっくりともとはじめたら結構いい時間がかかった。プレゼンの帰りに有栖川のミューズで井口さんと1時間ほど、あれこれ曲を合わせながら迷う。おたがい宿題ということで別れた。(夫婦の)会話。夫はさほど興味なく、妻は鋭く反応。【ある日曜日】2009年版?話しているうちに、見えたかな、と思った。夕日に照らされた街の光景を楽しみつつ麻布十番の撮影部へ。外で西村がタバコを吸っていたのでしばし雑談。長岡とも顔を合わせ、蒲田へ。むしょうに納豆が食いたくなった。



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From: 益子自宅 <mashiko@mars.dti.ne.jp>
Date: Tue, 17 Feb 2009 23:52:08
To: 湯治部
Subject: [tojibu3:01026] 導入篇仕上げ各位

問題は、「気配」。
音楽がリード役になりますが
DNAに刻み込まれた「住まいの気配」、
可能な限り、挑戦してみてください。
映像にはありませんが
ぼくの記憶に刻まれている「家の記憶」は
雨の日に、軒先から落ちてくる雨だれが
土の庭の水たまりに永遠のような水紋を描いていったこと…
そのときの屋根瓦にあたる雨音と
水面に落下したときの水音をあざやかに覚えています。
同時に、この記憶は
たぶんなにも心配することも恐れもなく
誰かに、そして「家」に守られている
という安心感の原点になっているように思えます。
風の音、鳥のさえずり、水の流れ、潮騒、夕日
小学校や幼稚園の近くを通りかかったときに聴こえるざわめき
消火を知らせる消防車の鐘の音、火の用心の拍子木
遠くから聴こえてくるラジオ放送…
ま、おれの個人的な刺激物、だけどね。
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気力、なし。
目覚ましを9時にセットしたが起きられず、12時までベッドに。2時のプレビューに間に合わせるつもりだった編集台本は手つかず。きのうハイになりすぎた反動か、頭が痛い。これから赤坂。気持ちが持続するといいけど。
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スタッフ宛てのメール
深夜モードです。
題は「古河八艘飛びと終わりに光ありき」?

15日は[ふれる。みる]ブロックを見直し、1分40秒カット。
何度も見直しているうちに切る気になっていった。
今日ははやく起き、[ゆるぎない]を3分弱にまとめる。
想像していたよりもいい感じになった。そのまま[たたずまい]に。
パート別につないであったが仕切り直す。2分50秒。
渡辺に縦書きスーパーを追加。
東山魁偉のときのイメージ、と伝えたらいい出来のものが届いたので
気を良くして、全体を見直し、1本にまとめた。9分20秒。
3日あたりから10分オーバーを覚悟していたが、
さまざまな要素を満たしつつ、すっきりと仕上がった。
とりあえずコーヒーで祝杯を、と渡辺に連絡。
クリエで乾杯。コーヒーとゆずホット。
[床]と[壁]と[柱]と[梁]とをつないだだけなのに、
思いがけないほどハイになっていることに気づく。
12月いっぱい迷い、混乱し、1月半ばまでさらに混迷。
自信がなくなりかけたところで下見。文字通り光明がさした。
それからは、ほぼ一気。珍しく、プランにこだわれた。
これしかないな、と思って、そのまま突っ切るのは、
しかしずいぶん久しぶりのことだった。
9日の曇天には、うちのめされ、気を失いかけたが、
それでも撮ったものは想定外の良さがあって救われた。
12日。東京を出て東北道を古河に向かっているときは、
まさかあれほどのぴーかんになるとは思っていなかった。
現場に着いて[雲ひとつない青空]の下に立ったとき、
もしかしたら勝利かな、と欲が出た。
後で数えたら3つの建物を都合8回行き来していたことになる。
16日から3週間あまり切望しつづけてきた[光]が、
泣きたくなるほどありがたかった。
はじめにではなく、最後に[ひかりありき]。
このままいけば申し分ないが、ま、これは[仕事]。
どう落ち着こうと、それはそれ。
ここまで、今日の時点でたどりつけたことを素直に喜びたい。
ディレクターになって、はじめて、本気で[太陽まかせ]の仕事をした。
そして、ものにできた。だから、乾杯。
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バレンタイン荒編“ふれる歓び。みる愉しみ”5分バージョン
川井郁子の“エタナリー”がちょうど5分だったので、そのまま当ててみる。欲しいかと問われれば、ぜひ、と応じたくなる、そういう5分間になったと思う。現時点では構想どおりにいっている。ジャマさえなければSH16年のつきあいの集大成となるだろう。


19時
ラストの「お月見」シーン2カットを外し、4分30秒に修正。


15日17時
再構成。3分21秒に。
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それでも…
よこえから辻の誕生日にふれたメール。おたがいむかしは誕生日のことなど気にもしなかったのに、な。おれも数日前に思い出し、ちよっと感傷的になっていた。あいつの生まれは紀元節というなんとも間抜けなもので、それだけに覚えやすく、あの頃はよくからかいのタネになっていた。南会津の花泉がまだ残っていたので、敬意を表し乾杯。若いときにはいちども祝ってやることもなかったが。ま、苦笑、してるか。夕方の予報から明日のロケ場所終日晴れになった。辻の功徳?気持ちをまとめに切り替える。最初にエピローグをつないでみた。60"。ラストカットは、縁側に用意された月見団子と二枚の座布団。手前ですすきが揺れている。水盤の水面に月光を浴びたいぶし銀のような陶板外壁が映り込み、軒先から落ちた雨粒を受けてあわく揺らめいている。そこにテロップをあてる。

  「目を閉じて
   ゆっくりと息を吸い
   そして、吐き出す。

   わたしが
   わたしであるための
   時間と空間を
   満たしてくれる場所…」

と。己とはまったく無縁の世界観だが。
ほんとうは啄木の詩集から引きたかったけど…

  「さて、その庭は広くして、
   草の繁るにまかせてむ。
   夏ともなれば、夏の雨、
   おのがじしなる草の葉に
   音立てて降るこころよさ。
   またその隅に
   ひともとの大樹を植ゑて、
   白塗の腰掛を根に置かむ……」

辻がいなくなった日の午後。あいつがタバコを吸っていたという
庭のベンチによこえと座り、目の前の大木の落葉を眺めていた。
あしもとであいつが散歩につれて行っていたという
マンガのような犬が横たわっていた。
音を立てて、屋根の上に落ち葉が散っていた。
光のきれいな、しんしんと冷えた晩秋だった。
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♪いいじゃないの…
10時過ぎに渡辺から撮影素材を切り出したものを届けてもらった。それからOK出し。11カット。カット別にチェック用としてwebにアップ。それから時間軸でディゾルブ。このあいだから気になっていた川井郁子のバイオリン曲“エターナリー”を仮あて。3分弱につないだその一本を、参考としてwebに。さらにDVDに焼き、テレビで3回プレビュー。深夜だったのでヘッドフォンで聴いたが、撮ったままにつないだだけの流れが水のようにスムーズなのにおどろいた。気がついたら午前3時を回っていた。それから2時間、レンタルビデオをぼんやりと眺め、撃沈。9時間爆睡。平熱。のどのこわばり、ほとんど消えていた。窓の外は春。昨日1日の冬は何だったのかと、歯がみする気分もあるが、ま、結果は出せていたのだ。いいじゃないの。
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下降曲線。
もうれつな吐き気と冷や汗。ラストシーンのスタンバイ中にコーヒーを飲もうと一人になったときに立ち上れなくなった。20分くらいして50mほど離れた現場に。モニターのある和室で寝転がったら相馬さんが毛布を掛けてくれクッションを持ってきてくれた。くるまって42inchのラストカットをチェック。月明かり仕立てをもう1カット撮って、ちょっと休もうとクルマに。それからをあまり覚えていない。気がついたら「着きました」という渡辺の声で起こされた。3時間眠っていたらしい。熱をはかった。平熱。インフルエンザではないらしいとホッとした。睡眠不足と寒気と乾燥、あたりが原因か。現地に着く寸前、短い時間晴れた。あとはずっと冬曇り。このところ天気には徹底して裏切られている。ロケハンや下見ではドピーカンが続くのに。古河の撮影でダウンしたのは去年の蓮ロケ以来2回目。なんとなくではあるが、自分が下降曲線をたどりつづけている、ような気分あり。撮ったものは、どのカットも悪くなかったが…ふと11日が辻の誕生日だったことを思い出した。
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十三夜。かぜぎみ
かぜぎみ。くしゃみ。吐き気。軽い頭痛。熱は平熱。昨日、定例のあと5時過ぎに“縁の家”で「月見シーン」用のロケハンをしていたときにぐっと冷え込んできたな、と思った瞬間にくしゃみ。蓮田SAでホットコーヒーとカレーパンを食べたが、もちろんなんの効果もなし。戻って撮影プランなど書いていて、気がついたら午前2時。窓辺はかにり冷えていた。頭痛。鼻詰まり。5時間で目が覚めて、渡辺が撮ったロケハン素材を見直し、ラフにつないでみたりしているうちに吐き気。今日は大人しくしていることにし、チェック用のDVDなど焼いて過ごす。
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利根川土手は春の光
古河。雲ひとつない絵に描いたような青空のまま日が暮れた。皮肉なものだなと笑いながらおなじみの東北道往復。プレ委員会に出席。そのあと2ケ所ロケハン。次のロケは9日に決定。晴れ曇りの予報。構成は大枠OKとなった。
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メモ2.6プレYW
・ミニマムアーカイブ/ある日のDF体験シチュエーション集
 さまざまな家族構成別 スナップ集
・限定CM/DF+ZC 1アイテム1タイトル シリーズ化 
ローカル/CS/BS 
・小中学生/地域 教育委員会 
 特定メディア→エコクラブ、小学生新聞、雑木林探検隊、子供倶楽部
 チーム-6%への登録
・ネーミング welcomeから[ ]へ
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OKだし、アップ。
晩飯を食ってからOK出しにとりかかる。5つのシークエンスに切り分け、ひとまとめにしたラフイメージを別に。音楽を仮あてしwebにアップ。長岡がキャプチャーした静止画データもiPhotoで公開。家に着いたのが7時半過ぎ。まだ11時だ。完徹とはいえ、気分は上々。
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久しぶりのロケ。天気はいまいちだけど
気が晴れた。やっぱり現場はいい。自分がなんでもできるような気持ちにさせてもらえる。考えてみれば11月の“縁の家”以来だから二ヶ月半ぶりになる。眠っていなかったのでくたびれたが、しみじみ愉しかった。
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アメニモマケズ
なんとかはね返す。7時から午前1時までかけ第4稿。明日は7時過ぎに蒲田発。天気は、まあ晴れそうだ。
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♪いいじゃないの幸せならば…。
コンビニのレジに山積みになっていた節分用の豆を買ってきて、あちこちにまいた。残りを食べる。夕飯は、和風でいくことにし木綿豆腐の冷ややっこ、たらの芽の焼き味噌+ごま油和え、下仁田ネギの味噌和え、寒しじみのみそ汁、麦7割飯一膳、露地物のいちご。カロリーは不満だが、ゆっくり食べたので腹は満ちた。気分も回復したことだし、さて今夜は小説の続きを読んで春宵値千金といくか、と念のためメールをチェックしたら、くそメールが一通。それから5本の電話を1時間半かけてやりとり。ちょうどバッテリーが切れたのでストップ。途方に暮れる。渡辺が気配を察したのか、「気分直しに」と添えたメールをくれた。アドレスをクリック。なつかしい「たとえば、ある日」10分版。あの鶏の鳴き声で始まり狼の遠吠えで終わる、わけのわからない企業PRムービー。社内のPCでデートの約束し、最後は留守電メッセージに「今夜は帰れないかも知れません♥」と案内を入れる、脳天気ぶり。見ているうちに肩のこわばりが消えた。気分が変わったので終息&前向きメールをメーリング。長岡への返事がわりにアップし直したwebムービー6タイトルもついでにメーリング加えた。♪いいじゃないの幸せならば…。一難去ってまた一難、という気がしないでもないが、ま、あれはおまけ。かな?
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落着メール。節分
From: 益子自宅
Reply-To: 湯治部07
Date: Tue, 03 Feb 2009 17:15:48 +0900
To: 湯治部07
Subject: [tojibu3:00981] 火鍋


長岡より「火鍋」が届く。
紀州備長炭、すっかり冷えていたけど
さっき点火しました(*⌒O⌒*)
落着。



------ Forwarded Message
From: 長岡オフィス
Date: Tue, 3 Feb 2009 15:47:17 +0900
To: 益子自宅
Subject: Re: なんだかなぁ


きのこそば
かねまんバージョン


------ End of Forwarded Message
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その「火鍋」
うっとうしい気分が晴れず、渡辺をクリエに呼び出し1時間ほどぐちを聴かせた。そのあと2時間近く、読みかけの小説を読んでコーヒーを3杯おかわり。陽が傾いてきたので家に戻り、パソコンを立ち上げたら長岡からメール。文面はただの2行。

   「きのこそば
    かねまんバージョン」

とだけ。添付されていたのは二枚の写真。一枚は画面いっぱいの湯気の見えるような「きのこそば」俯瞰ショット。もう一枚は、店の入り口。大きな雪粒が降りしきっている。たぶん2005年末の師走「豪雪ロケ」のときのもの。スポンサーが金を出さないと言い続けていたが、見切りで出発した日の写真のはず。こういうこともあったのだと、眺めているうちに気が晴れた。長岡の「火鍋」なのだ。

   ♪夢の四馬路か ホンキュの街か
    ああ 波の音にも 血が騒ぐ

人生は、おもしろい。こんな切所越えもあったのだ。と。
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はるうらら
暦どおりのひざしがまぶしい。絶好の撮影日和ではある。午前中の2時間オンリーの予定だったから満点日和だ。2ヶ月がかりで検討して、ツメの甘さですべてがズレている。マンガのような2回のロケハン日和を通過しただけに、先が気になる。なんとなく自分の勢いがなくなりつつあるような、そんな気分も。おまえとやりたいと熱望してくれるプロデューサーが気づいたら周りにいなくなっている。こちらから持ち込んだことは皆無だったのだから、きっとついていたのだと、あらためて。受け身のツケ、だな。午後は、あかりやさんからもらった♪コーヒールンバ集でも聴いて過ごそう。春が恋しい♪ミヨちゃんの気持ちがよくわかる。
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プーさん印鑑
を見つけたのは10年くらい前のローソンのレジ。思わず、子供用にと嘘をつき申し込んだ。笑顔のアップにローマ字で名前を入れたものと、横走りの全身に名入れしたものの2タイプ。一週間ほどで出来上がったものを、台本や企画書などあちこちにベタベタ押していた。オフィスのロゴにしようかと真剣に考えたことも。いずれのプーさんも愛嬌があってキャラクター通りにほほ笑ましい。どこかで、額に青筋をたてたのや胸が張り裂けそうに哀しげなプーさんのハンコは売ってないのか。興がさめるからキ興醒め。


  きょう 【興】
  (1)心に感じる楽しさやおもしろみ。


興が醒めると、怒りもまた醒めていくことを知る。
いまさらではあるが。
熱が出てくれたら、ほんとうに放り出そう。


  わかちもつ何もなければ持って来い
  火鍋を 俺は冷えたる薪
              福島泰樹


という気には、もうなれねえなあ。
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どうでもいいやもう。
ロケハンの内容を反映させ第3稿とする。あちこちの温度の低い反応を見ているうちに、なんだか面倒くさくなってきた。16日、2月1日とロケハンが二日とも雲ひとつないきれいな日だったので、その日ざしにだまされてしまっていたのかと、ふと。15年、ライフワークのようにつきあってきて、はじめてこれだ、と思えたような気がしていたが、急速に解熱。タミフル効果のようである。満を持す、というコトバがあるが、おれの「まん」はどーなっておるのか。ズレているのはおれなのか、周囲なのか。なんだか出来の悪い年金課の小役人たちと埒の明かない時間つぶしをしているようで盛り下がるばかりである。夕べはロケハンの火照りか眠れずに5時まで机に向かい、底冷えに負けて仮眠。3時間でまた机に向かい夕方4時過ぎまで握り飯2ヶで書いた。興奮したままに、関係者に連絡すると、クライアントもプロデューサーも糠に釘。あげく、なぜ午後3時の光にこだわってらっしゃるのか、よくわからないんです、などと返される。日本語で書いたのがいけなかったのか、単なるカマトト?とわが耳を疑った。サンダルつっかけカフェに。まずいコーヒーを2杯とタバコを7本。真冬なのに超ミニの女子高生をむさぼるように眺めても、おさまらず。頭が痛くなり、鼻水も出たので戻る。インフルエンザということで投げ出したいような気分が濃くなるばかりだ。どうでもいいやもう。
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はかなくもまたかなしくも。
30日は雨。昼過ぎから夜10時過ぎまで有栖川の地下で過ごす。いい仕上がりになった。改定とはいえ27分もののナレーションを全部新しく取り直したのだから古谷さんもこたえたと思う。帰ってバタンと眠った。31日は嵐。昼過ぎからスタートし12時間近くかけて第2稿。啄木の詩を引用しようとしてし損なったことを思い出し古いメーリングをあたったが見つからず。けっきょくウエブメモで発見。たまたま全文コピーしてあった。読み返してみて納得がいったので、エンディングと表紙に引用。ま、使わないだろうけれど。



2001 03/15 23:15
1000杯のコーヒーと44行詩

湯治部MLに出したメール
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『家』
1911.6.25.TOKYO

今朝も、ふと、目のさめしとき、
わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、
顏洗ふ間もそのことをそこはかとなく思ひしが、
つとめ先より一日の仕事を了えて帰り来て、
夕餉の後の茶を啜り、煙草をのめば、
むらさきの煙の味のなつかしさ、
はかなくもまたそのことのひょっと心に浮び来る……
はかなくもまたかなしくも。

場所は、鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構え、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても、
広き階段とバルコンと明るき書斎……
げにさなり、すわり心地のよき椅子も。

この幾年に幾度も思ひしはこの家のこと、
思ひし度に少しづつ変へし間取りのさまなどを
心のうちに描きつつ、
ラムプの笠の真白きにそれとなく眼をあつむれば、
その家に住むたのしさのまざまざ身湯る心地して、
泣く児に添乳する妻のひと間の隅のあちら向き、
そを幸ひと口もとにはかなき笑みものぼり来る。

さて、その庭は広くして、草の繁るにまかせてむ。
夏ともなれば、夏の雨、おのがじしなる草の葉に
音立てて降るこころよさ。
またその隅にひともとの大樹を植ゑて、
白塗の腰掛を根に置かむ……
雨降らぬ日は其処に出で、
かの煙濃く、かをりよき埃及煙草ふかしつつ、
四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の
本の頁を切りかけて、
食事のしらせあるまでをうつらうつらと過ごすべく、
また、ことごとにつぶらなる眼を見ひらきて聞きほるる
村の子供を集めては、いろいろの話聞かすべく……

はかなくも、またかなしくも、
いつとしもなく若き日にわかれ来りて、
月日のくらしのことに疲れゆく。
都市居住者のいそがしき心に一度浮びては、
はかなくも、またかなしくも、
なつかしくて、何時までも棄つるに惜しきこの思ひ。
そのかずかずの満たされぬ望みと共に、
はじめより空しきことと知りながら、
なほ、若き日に人知れず恋せしときの眼付きして、
妻にも告げず、真白なるラムプの笠を見つめつつ、
ひとりひそかに、熱心に、心のうちに思ひつづくる。

       第二詩集『呼子と口笛』より


  
  1911年、明治四十四年という年は中国で辛亥革命が起き、
  日本最初の洋風劇場である「帝国劇場」がオープン。
  暇を持て余した金持ちの奥さん達が
  「今日は三越、明日は帝劇」とモダンな浪費生活をはじめた年。
  同じ年、35歳の野口英世はニューヨークでスピロヘータの培養に成功し、
  25歳の平塚らいてふは雑誌「青鞜」を創刊している。
  松井須磨子が女優としてデビューし、「人形の家」のノラを演じ、
  フランスでオートクチュール協会が設立され、
  「大洋裁師」ポール・ボワレが会長となった。

  この詩を書いた啄木もまた若く、二十五歳だった。
  啄木は翌年、二十六歳で夭折した。

  電通テックの熊上さんが古河での1000杯ものコーヒーづくりの
  疲れにもめげず、石川啄木の『家』の全行の載っている本を
  探しだして送ってくれました。
  書き写しながら、ぼろぼろ涙がこぼれた。
  時代が若く人も精神もみずみずしい日々には
  こんな二十代が成り立ったのだな、そう思うと、ね。

  この詩の中の一部だけを使って、
  こんどのシャーウッドに引用しようと考えていたけど、
  全行を読み、その不明を恥じました。
  ベルサは、たしかに今までのシャーウッドの中では
  すぐれた佇まいのある家だけど、啄木の詩には似合わない。
  大量につくられ売られていくものにはどんなに糊塗してみても
  見えてきてしまうものがありすぎるんだね。
  恥ずかしいです。
  
  いつか、こんな詩が似合う映像をつくってみたい気もするけどね。
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