2009年07月の記事


夏のこない秋
backup用HDの残が30Gになっているのに気づき、整理。気がついたら560G分を捨てていた。ここ数ヶ月集中してきたGH関係をすべてゴミ箱へ。とっておくつもりで残しておいたが、何の音沙汰もないようなので、気が失せた。ここ一週間ほど、07初夏の「館岩素材」HDVを見ていたこともあり、世界の落差にがく然としたことも…昨夜から秋の気配。わがこころも、また。
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“Jeux  d'eau”みずのたわむれ
étude2009を29日夜からスタート。桧枝岐屏風岩の“水”を見ているうちに、その気になった。HD>HDV>1920×1080HDmp4。とりあえず2タイトル。約3分と約1分30秒版。
001 “Água de beber”
002 “Jeux  d'eau”
ラベルの“水の戯れ”を、音楽の分野におけるフランス印象主義の幕開けとなった、という人もいるらしい。借りたのは題のみ。音楽は菊池さんの[天然の日本/水]のプロローグ後半を仮あて。YouTubeにアップした。
http://www.youtube.com/watch?v=5seXOSl7y2s&feature=channel
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その、ガジュマルの樹の下で
虹を見たか、と聞かれるまでまったく知らなかった。webでチェックしたら6時過ぎ、雷いやさにベッドに潜り込んでいたころに出たらしい。見た写真は「虹のシャワー」とタイトルのついた一枚。お台場から撮ったもので、虹の縦線の部分に飛行機が重なっている。つくりもののような完璧なショット。あの年の夏、会場の虹の谷でゴンドラに乗っていたときにかかった虹の足もとを通過したことを思い出した。その後で、おきさんのプログで2005年7月の「奄美越え」を見つけた。モノクロの写真にキャメラを構える倉持さんの後ろ姿。そして、ひなたがかろうじて判別できた。熱に浮かされた7月の、そのいちばん熱が高まった日の午後の一枚。力が、ほしい。みなぎる想いに飢えている。
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湯の花温泉、六地蔵の黎明
2年前の初夏素材の整理をこの間から始めた。湯治部“館岩ロケ”。直後にまとめてはあったが、渡辺と長岡から届いたHDVarchive素材を再整理するつもり。原点に原則に戻ること。初日分は一昨日までに終わっていた。2日目の未明から夜明けにかけての“日の出”にとりかかり、みごとさにあらためて驚かされた。切るに忍びず、5カットをそれぞれサーチで1/5ほどに短縮し、迷った末、「色の日本」のvol1の曲をあてた。HDVからmp4高画質に切り出す。このまBDに焼いてビール片手に眺めたい…そんな気分。にしても、こんな瞬間があるのだ。湯の花温泉、六地蔵。あの夏満月をとらえた同じ場所。事故で亡くなった五十嵐が、最初のロケの時に案内してくれた、その場所。
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熟睡5日間。
日曜から連続5日間、一日平均12時間眠り、ひたすらぼーっと過ごした。その眠りのさなかに、ことしもまた河川敷に打ち上がる花火を観ることができた。のだと思いたい。
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東京打ち上げ。これで夏、本番。
ことしの荒川の花火が今日だということをすっかり忘れていて留守電に入ったメッセージを聞いたのが夕方5時30分。それからあわてて電車で北千住に。日暮里あたりから浴衣すがたがいっきに増えた。北千住に降りたら小雨。ビルの間の空が火事のように紅く染まり、打ち上げの音がとどろき、駅前を埋めた群衆のどよめきが重なっていた。焦る気持をおさえつつ人の流れに紛れ込む。途中から路地を選び近道をたどる。鈴なり。しばらく土手の上で眺めたが路面を照らす灯がまぶしくて階段を降りて河川敷へ。
適度な川風が火照りをしずめ、小雨も気にならず。これで東京の夏も本腰がはいったな…この花火を見、二日後の隅田川の打ち上げを眺め、突入していった2004年の[夏休み]。あのときをふり返りながら、最後まで堪能。川風に背を押されながら土手沿いに歩く。サンマルクでアイスティーを飲み、人ごみを避け曙町のココスまで歩く。満ちゃんが日本にいれば満腹餃子館、といきたかったが。タバコをふかしながら夏メニューの“つけ麺”を腹に。高揚していたせいだろう、まことにうまかった。

以下は思いで話。
荒川の河川敷で花火を見物するようになったのは2002年の夏。
強く記憶に残っているのが翌々年のこと。
以下にそのときのメーリングを引用。
きっかけとなった夏のことをあらためて記録しておく。
土手の打ち上げに拘泥しつづける、その根拠でもある…
長いけど、関係者のめたに。


From: 益子自宅
Date: Sun, 01 Aug 2004 00:09:35
Subject: [yumekoujou:00072] さて、帆があがる。

荒川の花火に続き、
今夜は隅田川の花火を見てきました。
空には十四夜の月と白い雲。
水面には色とりどりの花火の灯影。
この季節には珍しく乾いた空気が気持ち良く、
さすがに江戸の花火だと感心しました。
花火師の心意気が違うんだね。
二日前の荒川のものとは別世界だった。
端正で粋。そこに尽きるのかな。

さて、明日から三日間
湯治部は東北ロケハンに出ます。

湯治部メンバーにとっての「東北」は
いわば「湯治部」発祥の地でもあります。

数週間にわたって折々に検討してきた
誰もみたことのないような「夏の舞台」を、
digitalhigh-definition televisionの対象として
もういちど発見できるか否か。
HDで撮りHDで編集したものをHDで上映するという
HD超推進派の湯治部としても初の試みを成功させるための
橋頭保が明日からの三日間となります。

デジβ、digitalHDと、
日本のどこよりもはやく日常的に取り組ませていただくことで、
SHの仕事を通して学んできた、
この十年間の成果を、ここで結びたいと思います。
もし、満足する成果を挙げられなかったときは
湯治部を解散します。
具体的には、
僕自身がSHの仕事から
いっさい身を引くということです。

意志としては希望としては
圧倒的な作品世界を構築し成功させたいと強く願っており
また、その自信もまったく萎えていません。

が、
信託されたことに
応えていけるのかどうか、
そのことを見直すための切所がここにある、
と考えています。

何を大げさな
おれには関係ないよ
という方もいるでしょうが
これは、益子ひとりの覚悟です。
そういう想いであるかと、お受け取りください。

隅田川の花火を見ていたときは
雲間に見えていた月も、いまは冴え冴えと輝いています。
出発まであと6時間足らず。
読み返すと照れるかも知れないので
このままメールします。

向こう三ヶ月に渡る超ハードなスケジュールが
いよいよ皮切りとなります。
まことにひさしぶりに胸が高鳴っています。

湯治部のみなさん、帆を揚げます。
ようそろ!

    2004.8.1未明 T.M


From: 益子自宅
Date: Fri, 22 Oct 2004 03:31:11
Subject: [yumekoujou:00249] では、行きましょう。

この4ヶ月、ただ一日の休みもとらずに
積水ハウスの仕事だけに取り組んできましたが
いよいよ切所越えとなりました。
決算日を、25日としますので
各スタッフはスタンバイを願います。
持てる力のすべてを出し切りますので
一緒に、行ってください。
突破しましょう。
      2004.10.21夜 益子拝


From: 益子自宅 <mashiko@mars.dti.ne.jp>
Date: Wed, 27 Oct 2004 16:44:53
Subject: [yumekoujou:00256] 緊急放送

防災の仕上げ途中で倒れた中山に加え
今朝、夏苅が倒れました。
信頼できる制作スタッフ二人が倒れ
両手をもぎとられた感もありますが、
28日のSMJ仕上げ
31日の夢工場仕上げまでは
なんとかこのままで続行します。

夏苅は、回復すれば即復帰させますが
ここまで休みゼロで鞭打ってきたため
過労がピークに達しているようです。

キーパーソンゆえ
各方面への連絡等、
なにかと迷惑をかけることになります。

今夕以後、31日まで
SMJ、夢工場関係で問い合わせなどありましたら
直接、わたくし益子宛にご連絡ください。
即断・即決します。

益子携帯
090-3099-894×

なお、実験について
制作面の問い合わせは
相馬プロデューサーか渡辺登紀夫まで
撮影技術関係はTSPの長岡さんまで。

冷え込みがきつくなっています。
これ以後、
31日まで仕上げ関係スタッフには
くれぐれもカゼなどひかれぬよう
ご自愛にご自愛を重ねられんことを祈ります。

では、行くぞ!!!


From: "T.M"
Date: Fri, 29 Oct 2004 13:43:07
Subject: [yumekoujou:00262] 戦闘開始

ちょっと誤解されるかもしれないのでひとこと。
昨夜ミックスしたのは
各シークエンスを構成するひとかたまりごとの楽曲です。
一応、一本の長さに
先日仮編集したものに合わせてつないでくれているはずですが
これはあくまでイメージを通観するため。
26日から27にかけての仕事を逸脱したような
音楽家たちの熱狂が、心の底に震えるような想いを
残してくれたのは事実だけど、
つくっていったのは、まだまだ断片にすぎません。
あくまで、バラバラに録った楽器や声を
小さなかたまりごとにひとつにまとめた、ということです。

今日から明日にかけて行う編集で、すべてが決まります。

上陸したすべての台風のご機嫌を伺い、
ときにその風もとりこみながら
微笑を絶やさずに、最大の力を発揮して見せた
倉持キャメラマンを筆頭に
なぜ太陽が隠れたのかと理不尽な罵声を浴びられても
苦笑しながら陰影をつくりだしてくれた
照明の鈴木さん、
ベースにこもって最良のコンディションで
映像が記録されていくことを守り抜いた
VEの長岡さん、
はじめに与えた5.1サラウンドの教科書づくりという
「野望?」に応えるべく素材録りに疾駆した
録音の古川さん、
台風、大雨、足場の悪さ…悪条件をものともせず
黙々とクレーンを操り、カメラを移動させ
雨を降らせ、雪を降らした
特機の山家さん、
うるさい注文に年を省みず応え続け小じわがまたふえた
スタイリストの志賀さん、
彼らの手となり足となって
黙々と仕事してくれた各パートの助手のみなさん、
そして何よりもこれらのすべてを支えてくれた
プロデューサーの相馬さんと
プロダクションマネージャーの夏苅さん

忘れてた。
このチームがいなければ映像のレベルが30%は落ちたであろう
小池さん率いるパンダチックのみなさん。
映像の世界にホンモノだけを持ち込んで勝負する
デジタルHDエイジの美術的落とし子たち。
彼らの一人がかけても、こんどの夢工場ムービーはできなかったね。

名前をあげた人、あげなかった人
三ヶ月間の撮影にかかわったすべての「現場」組の
不退転あっての果実=映像ですが、
この映像群もまた、それぞれはひとつのカケラに過ぎません。
そのカケラをよりすぐったものが各シークエンスごとの仮編集素材。

昨夜おそくから今日未明にかけて行われた「ミックス」は
映像の各シークエンスごとの仮編集分にそって行われた
やはり仮ミックスです。
熱気が、これでいいのだと思わせることはよくわかりますが
現時点では、たくさんある要素のカケラのひとつ。

これからはじまる本編集がすべてです。
4ヶ月前に提出したプランをともに読み込んで
全体の色彩をデザインしてきた
映像デザインの山岡さんと
腕によりをかけてまとめる10分あまりが
今夜決まるのか、明日決まるのか神のみぞ知るだけどね。

音の仕上げは
予定通り、30日にラフ。
31日にミックスダウン。

まだ全貌は
まったく見えていません。
お楽しみは、ここからです。

仮編集したもの
音楽録音したものの
できが良すぎて?
ついつい気がゆるみそうになっている己への
戒めをこめました。

では、これより
31日夜にシアターに完成原版を持ち込んで
この目で330インチスクリーンにかけて見るまで
編集と音の仕上げにこもります。

戦闘開始です。


From: 益子自宅
Date: Sat, 30 Oct 2004 16:20:15
Subject: [yumekoujou:00264] 3時にお茶を

益子です。
シアター映像の編集がほぼ終了。
あと一時間ほどで同時進行中の録音スタジオに入ります。
台風情報のようではありますが
今夜版、あるいは明日未明には完成予定。
明日朝にHD原版に仕上げ、古河入りします。

一時過ぎから映写テストになります。
お近くに来られる方
お近くにお住まいの方で
お時間のある方、
よろしければ上映テストにお出でください。
できたてホヤホヤのwelcomemovie330インチを
真っ先にご覧いただけます。

なお
「3時にお茶を」とタイトルしましたが
考えてみればシアター内は飲食禁止。
お茶は持参で上映後に外で飲みましょう。



From: 益子自宅
Date: Sun, 31 Oct 2004 04:30:13
Subject: [yumekoujou:00265] シアター映像完成しました

10月31日午前3時9分雨

プロデューサー相馬、プロダクションマネージャー夏苅
ミキサー武田、オペレーター小野、録音部古川、演出助手渡辺
黒酢&ごまだんご差し入れ人熊上、演出益子の8人が
完成の瞬間に立ち会い、広尾のrスタジオで夢工場ウエルカムムービー完成。

「やり残したことはありません」という
ミキサー武田の言葉を受け、OKを出しました。
武田の言葉は、そのまま全スタッフの思いを代表するものでもあります。

音の原版を電通テック夏苅が持ち帰り
明日朝一番に麻布でハイビジョンに音を戻して
原版完成となります。
その原版は夏苅がVE長岡のサポートで古河へ。
相馬、武田、渡辺、益子は別途古河へ。
以上6名は午後三時のプレ試写後も古河に残り
1日の工場長試写に備えます。
一時半を目標に夢工場に入り、テストランを開始予定です。


なお、「4つの窓」の修正版DVD納品用も焼き上がり
こちらも電通テック夏苅が持参します。

    以上、完成報告です。
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奄美大島に皆既日食おとこ、ありけり。
おきさん、明日の皆既日食撮影は準備万端のようだ。
http://amami.exblog.jp/
東京は雨。明日は曇天。たのみはネットライブのみ。おきさんの成果をたのしみに待つのみ。
おきさんの成功を祈りつつ、♪19の春をあと数日載せておく。奄美大島の海辺で日没を待ちながらタバコを吸う倉持カメラマンを眺め、島唄は、きっとこんなシチュエーションだったんだと、唐突に腑に落ちた。数日したら♪コーヒールンバに戻すつもり…
以下に4年前の「奄美越え」顛末をコピー。

******************************************************************
件名: [japanesque:00242] これが、極上至極である。
送信日時: 2005年 7月 19日 火曜日 1:29 PM
差出人: Toru Mashiko

ある水準を越えてしまうと正確な判断というのは、じつはとても難しくなることがあ
る。昨日、井口から再提案された曲に切り替えようと決めた瞬間、その懸念がかすか
によぎった。受け入れられなければ、作品丸ごと引き下げるから、とスタッフに言い
はしたものの。どこかでそれはねえだろうともタカをくくっていた。

もめているらしい、と聞き部屋に戻りながら、きたか、とは思ったが半信半疑いやま
さかな、とまだ思っていた。クライアントのNさんが哀願するような顔で目を伏せ
「音楽を代えてもらうわけにはいかないでしょうか」と切り出したとき、徹夜あけの
朦朧もあってか3秒くらい両目がブラックアウトした。腰から崩れそうになったと思っ
たとき誰かが背を支えてくれた。IPMのNYだったことは残念だったが。

「この時点ではこれ以上のものは考えられない。僕自身が予想していたことをはるか
に上回ったものであり、音楽は切り離すことができない。もし受け入れられないとい
うのであれば作品をお渡しすることはあきらめる」
という内容のことを、整然とではなくきっと悄然し蚊の鳴くような声で告げたはず。
しばしの間があり、D2の誰かが「D2としても最高の作品ができたと自負していま
す。どうかこれを社長試写していただきたい」と、これは強いはっきりした口調で切
り出した。その瞬間、鼻の奥が痛くてたまらなくなった。暗くて良かったからいいけ
ど。あの6月23日の夜にクライアントの前で殴り合いの寸前までいったD2マンからこ
んなコトバが飛び出てくるとは思ってもいなかったから。
その後は、D2テックのK,T両プロデューサーが必死となった。

ありがたいというより、行く末を考えていた。いまのおれは仕事の9割がD2がらみに
なっているから、ここで引かなければエキスポ超電導リニアの不始末と合わせ出入り
禁止になるのは当然。なにしろ持ち逃げ焼却のつもりだったから。さて、これからど
うするか。それだけを考えていたように思う。短い時間だったけどね。そういうとき
だけは頭が回るらしい。で、結論を出した。広告をやめる。食えなくても東京星菫
派=digital_Japanesque一本に賭けよう、そう結論した。せめて念願の「女鬼」はもの
にしよう、とね。もうみんな忘れてるかもしれないけど、あれがおれの発端だったか
ら。

そこまでたどり着いて顔を上げた瞬間にNさんと目が合った。Nさんは泣きそう
な顔をしていた。そしてこう言った。

   「わかりました。neo花鳥風月行2005、納品してください。受領します。ただし、
    (ここから笑顔になった)うちも企業です。万が一販売上の理由でどうしても
    他の対応をしていただきたいと要請したときは聞いてくれますか」と。

これが、昨夜の顛末。
一夜明けて、おれの首は皮一枚で残り
うんざりしながらSHのナレーション原稿に取り組んでいる。
つまり、日常に戻った。いつもと何もかわらない時間に戻っている。

ひとつだけ、昨日と今日が違うとすれば
長い仕事歴のなかで、ゆうべおれははじめて現実に
受け入れられなければ渡さない、という態度を貫いたこと。
他人はしらず、おれは見た目と差があってジェントルだから
乱暴な言い方をすることはあっても乱を好まない。
おれの乱は10代の終わりに逮捕された時で終止符を打っているから。
ゆうべはひさしぶりにいや仕事の上ではじめてその禁を解こうとした。

   「粉砕あるのみ」

と、10代の頃にバカの一つ覚えで使っていたコトバを吐こうとした。
たぶん、いろいろなタイミングが10秒くらいズレていたら、怖かった。
おれはこのスィッチが無反応になるために20代の10年間を
何の仕事もせずにヒモとして暮らしていた。
スイッチはどこかに霧消していったのだと思い込んでいた。
でも、あったんだよなあ。すぐそこに。見なかっただけで
あそこにもここにもそっちにもゴロゴロ転がっていたんだよ。
気づいてしまったおれが、忘れていた日々と同じように
この日常を消費していけるのかどうかよくわからない。
ただ、みなさんにこうなったよ、ということを正直に伝えておきたい。
ちなみに、ぼくの辞書に「キレる」という語彙はありませんので。
若い頃からいまに至るまで「キレた」ことはいちどもありません。
仕事の場で大声上げたりしているのは、単なるハズミ。いつも5分で忘れてます。
10代のときの暴発は確信の末。あれはかくめいだと思っていたからね。

東京がいきなり梅雨明けとなった、この夏一回だけの三連休の最後の日。
六本木のあのMAVルームで起きたできごとの意味を書き残しておきたかった。

美瑛から奄美へという無節操とさえ言える大変更から三週間あまり
長いともあっという間とも思えるが、ま、速かったか。
映像も音も音楽も仕事の進め方も
微塵の心残りもないパーフェクトな仕事となったこと
関わったすべてのみなさんに感謝とともに報告しておきます。
益子透の仕事歴としては、最高のものが

  「極上至極」

な作品が誕生したことをお伝えしておきたい。
みなさんひとりひとりにとってもまた、
この作品が最上のものとなっていれば、言うことはありません。

まことに、たいへん、しみじみとおつかれさまでした。
どうかそれぞの場所で乾杯を。

    2005年7月19日十三夜 益子拝




PS長岡君
きのうスタジオのディレクター席の小さなスピーカーの上に忘れてきた
ブルーシーサー一組は、奄美から密輸してきたおれの守り神なので
確保し大切に保管しておいてください。オールスタッフの時に受け取ります。
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最も遠い銀河★★★★
白川道著/幻冬舎刊/上下巻
3ヶ月半ぶりに[完全オフ]。10時間、夢見た記憶もなく眠り、読みかけの小説を持ってカフェ・ド・クリエに。さすがにガラガラ。2時間ほど読み、エアコンで冷えてきたので外へ。クナイプのミントとジャスミンを定量ミックスし、ぬるい風呂に浸かり最後の30ページを読んだ。上下巻約1000ページ、原稿用紙換算2500枚の書き下ろし「大作」。中だるみしながらも、最後はしっかり着地していた。読みごたえ、あり。とりわけ、うっとうしく感じていた老練引退刑事との病床でのやり取りシーンは秀逸。涙とまらず。客が少なかったのでよかったが。夜中になって、星を発見。夏休みで少しクルマが減ったか。熱帯夜。29℃。夏で、ある。宇野亜喜良の挿し絵をもう少し大きく扱って、タイトルを抑え2巻を平積みで並べたら、それだけで1割くらい売り上げが上がった?
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トンボホテルと満月と奥山ウグイス
♪奥山住まいのうぐいすが 梅の小枝で昼寝して
   春が来るよな夢を見て ホケキョホケキョと泣いていた…

真夏の八幡平ロケで、ウグイスが鳴いていた。蝉時雨とウグイスが混在する40℃近い気温の下で野犬のように舌だしあえぎながら夏の盛りを撮った夕、思いついてワタナベに鶴の湯に連絡をさせ露天に入らせてもらった。真夏の温泉で汗をしぼり出しひと息入れ、夕日と月の出を待つために再び湖畔へ。見つけた撮影ポイントに日暮れとともにトンボの群れが。数百匹の赤トンボが眠りにつこうとするように手を伸ばしても動かなくなっていた。群れ飛ぶトンボはなんども見たが群れ休む?トンボを見たのは人生初めてのこと。なんともいえない満ち足りた気分にさせられているところに見事な落日がはじまった。田沢湖畔、森の分校の近く。5年前の炎夏。その夜、湖面を染める冴えざえとした満月もゲット。童話のような夏を閉じた。東京、昨日で梅雨明け。やっとまともな夏の陽ざしに。

あかりやさんが夕べ送ってくれていた「十九の春」嘉手苅林昌バージョンを10回リピートし目覚めとする。いろいろあったが「仕事」として最低限のハードルは越えることができた。14日深夜1時、チェック用DVDに落とし終わった。苛立ちはゼロ。奇妙な満足感あり。望まれたことを、望まれたままにカタチにすることが「仕事」なら…ま、満点(‥;)。

ウグイスでも聞きながら眠るように終わりたい。胸のうちにだけ、その桃源郷が見えている。

  ♪見捨て心があるならば 早くお知らせ下さいね
   歳も若くあるうちに 思い残すな明日の花
   私があなたに惚れたのは ちょうど十九の春でした
   

嘉手苅林昌も朝崎郁恵も終わりは「春が来るよな夢を見て ホケキョホケキョと泣いていた」なのだが、誰が唄うのか「infinix」版ではさらに一呼吸おいてから「♪春が来るよぉなぁ」と呼びかけるように語ってフェードアウト。この余韻を誰が発想したのか知らないが、この一点だけで気持をさらう。終わりなのに、始まりとなっていく。歌が「普遍」を獲得する瞬間、である。ふり返った風景は他者にもさらに当人にとっても動かすことのできない「記憶」なら、それは単なる叙景にすぎない。ひとしおの思いを忍び入らせることで「景色」はとうとつに「情」に変容する。偲ぶことすら「いま」と「あす」のための原資となる、その瞬間。叙「景」から叙「情」へ。「infinix」版は、この最後の1フレーズによって、うまさやアジを越えた[なにか]を獲たのだと思う。
「仕事」は、かくあるべし。いや、かくありたい(>_<)

コミュニケーションとは、いわば「恋歌」。
思いのたけを。いかにどれだけ想う相手に伝えられるか。
そこに尽きるのだ。
そして「恋歌」は「相聞」でなければならない。
いや、「相聞」であるべきである。

自戒をこめて。
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行けば逢うほかになし…
流行りことばをチェックしていて蟹工船が出てきたとき、笑ったが。
気を取り直すこともできないまま、不出来なプレゼンを見せられているようだとため息つきつつ、「オーソライズ」されているという「お得意」のNaに、いくらかでもと手を入れはじめたが断念。塩もコショウもダシのかけらもみあたらないonewayぶりにFの影を見つつ放棄。おれがなぜ「リライト」しなければいけないのかと思いはじめたらもうダメだった。広告やは、芸者のようなもんだよ、と言ってはいたが、な。movieを見直しても、やはりため息。これでいいのだ、とバカボンパパ丸出しの顔を思い浮かべ、また吐息。こんな紙芝居、パワポでやれよ、としみじみ。「行けば逢うよりほかにない夕暮れをざっくばらんと…」畳の上に放り出した福島泰樹は、その後でどんな歌をつないだったか。おんなと仕事では比べてみるのもばからしいが。
ガスが、抜けない。

19:20
気分点転換にクリエに。今年初めてのアイスコーヒー。猛暑日だと携帯newsに表示あり。わが気分は、はや秋風。タバコを吸いながらまずい砂糖水のようなアイスコーヒーを飲む。メール。プロデューサーのSから。「すっきりしましたね」とあった。すっきりしねえからいらだってるんだろうが、と電話しかけてやめる。こいつも他人事なのだ。“時宜”という文字が浮かび消える。方向が変わった時点で降りるべきだった、いまさらだが。明日のスタジオが苦痛。不登校児の心境?

14日02:25
クナイプのミントを5回分入れ、ナニがひりひりするよーな風呂に3回入り、小説を120ページ読んだあたりで、やっと抜け出せた。ま、いいじゃねぇか、と口に出た。やっかいな時間、ジャスト24時間。そういえば80年代の扉に[24時間戦えますか]というリゲインのCMコピーを入れていたことを思い出し、おれは24時間戦い放棄したのだと苦笑。残りは、きちんと仕事として片づけよう。明けて14日編集ラスト。17日が古谷徹のナレ録り、18日土曜には初号、だ。なに、どうということもない。…はず。
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解熱。
プレビューOKと西方からメール。だからナンだ、というわけにもいかず。8時間浅い眠り、というのもおかしいが、気分はまどろみ。寝汗。暑かったからなのか、悪い夢見のせいなのか。シャワーも浴びる気になれず。ハワイコナ3杯。胃薬。朝&昼めし。「うまくいった」という意味の通らないコトバが消えず。都議選の結果を朝刊3紙で確かめる。投票しないで確かめるというのもなんだけど。議席数の差より得票数の差におどろいた。小選挙区制ではなくシンプルな政党別投票だと、それこそ構造激変。東スポあたりの記事を読んでみたい。コンビニ経由でクリエに行くか。明日の仕上げから可能な限り身を遠ざけておくこと…奄美大島のオキサンの撮った写真を使った[皆既日食記念切手]は、結局入手困難のようだ。webを読むとドイツ製の天体観測用レンズを導入したり、けっこう盛り上がっている。日食自体より、その瞬間の居合わせた人たちの表情、周囲の気配…企画が通ったら、撮りたかったが、さすがにオキサンには頼めず。ま、上天気を祈っておこう。か。
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ごまかしきれなく…
1時近くに中断。典型的な消耗戦を15時間続けた。一瞬でもいい、はやく終わらせたい。カゼぎみ。薬を飲んだ。旗印のつまらない仕事はすすむほどに袋小路となっていく。バカの設計した遊園地で遊ばされている気分、日ごとにますばかり。
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奄美大島と西表島。2つの島の夏男たちのこと
明日、というか今日12日の編集用メモをまとめ、送る。金、土と2日間[なみblog]で遊び、気晴らし。西表島の[ロビンソン]の消息がわかったことなどもあったし…三線名人のギマ夫妻、小学生だったりえちゃん、星砂の浜、大潮満月のサンゴの産卵、板根、奇っ怪なマングローブの林、おかしな形状のカニ、そしてバラス島。
思いがけず、奄美大島、西表島とweb上とはいえ灼熱の暴力的なまでの夏をあざやかに再生でき、満足。しかし、ロビンソンもオキサンも、みんな若い。流れている時間が違うのだ、とあらためて実感。

あかりやさん、生存確認。よかった。
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美しい無念が見える…
福島さんの歌を写していたら、急に声が聴きたくなった。とりあえずwebをあたる。http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater552.html
“振り向けば…”を繰り返す。7年前の7月の、嵐の夜のライブ。菊池さん、石塚さん、永畑さんと、ほんとうにひさしぶりに再会した夜…

「美しい無念が見える…
7月10日 吉祥寺曼荼羅 暴風雨の夜
これはその夜の記録のほんのさわりである。

「今日は嵐の中をありがとう。
電車がまもなく止まるんで朝までやることにしました。
朝、みんなで帰ろうぜ」

絶叫/福島泰樹 
尺八/菊池雅志 ドラム・パーカツション/石塚俊明 ピアノ/永畑雅人

ライブが終わって地下から上がると
ほんものの暴風雨ナイトが待っていた。


「振り向けば今も喝采が聞こえる。
戦っている俺が見える。
振り向けば心臓にこだまする汽笛が聞こえる。
家を出た日の夜明けが見える。
振り向けばほつれ髪の女が見える…

振り向けば倒れてゆくあいつが見える…
同じ夢に賭けたあいつの美しい無念が見える。
振り向くな、振り向くな。
男の後ろにあるのは、いつも果てしない荒野ばかりだ。
人生は終わりのないロードワーク。
何ひとつ終わったわけじゃないのさ、
さらば、友よ」


ひさしぶりに涙がとまらなかった。 T.M記」
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Subject: ♪あれは3年前ぇー
と、書き、20人あまりにメールを出した。
東京は嵐のような暴風もおさまり、初秋のような気配となった。

  目を病みてひどく儚き日の暮れをきみは真白き花のごとしよ
                        福島泰樹

From: 益子自宅
Date: Fri, 10 Jul 2009 20:39:56 +0900
Subject: ♪あれは3年前ぇー

ちょっといろいろあって古いwebメモを削除するため
2006年1月のメモを調べていたら、こんなものを見つけました。
なにがどうということはないけれど、
みなさんと仕事で出会えてよかったな、そう思ったので…

To;は当事者です。
CC;は同伴者のみなさんです。

なお、「奄美ごえ」「奈落ごえ」「豪雪ごえ」と続いた、その冬のメモです。
まだ「雪だるま編」は完成前で
5.1サラウンドの試行中で
サウンドスケープの基本構想を出した直後あたりのこと。

ましこ、今日はしんみりモードになってます(>_<)


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2006 01/16 22:36
ジョン・レノンの“スタンバイミー”

クライアントが帰り、D2も帰った後、Mixが終わりコピーをしているときにIguがシャンパンを買ってスタジオに戻ってきた。
もうよせ、と言おうと思ったが、そのコトバを飲み込む。KawaとSoumの目頭が目に入った。まいったよ。
Soumが上司と連れ立って小石川のオフィスに挨拶にきたのが11年と3週間前。賢明が東京から消えて2年半経った冬。
賢明と渡辺の三人で穂高の家具屋で選んだでかい一枚板のテーブルをはさんで会ったことをぼんやりと覚えている。
Soumは緊張していたのか怒ったような表情を崩さず、とても丁寧でおかしかった。それから年に何タイトルを仕上げてきたか。
11年で100か200か。狭いスタジオでIguから手渡されたシャンパンボトルを一生懸命こじあけるSoumを見ながら、
ああこいつは最初から毛がなかったな、とはじめての夜を思い出し、鼻の奥が痛くなった。
プラスチックのコップにIguがシャンパンを7人分注ぐ。居合わせた7人が寄り集まって乾杯。誰かが献杯、かなと呟いた。
別な誰かが、はじまりを祝って、と呟いた。誰からともなく、おつかれさまでした、とコトバが洩れた。
7人が狭いスタジオの虚空を見上げ、おつかれさまでした、と唱和。Iguが音楽をかけた。ジョン・レノンの“スタンバイミー”。
おれが東京でいちばん信頼してきた選曲家Iguが選んだその曲がrstudioM1に流れ、満ちていった。
そういえばこの間買ったiPodmovieの記念刻印もstand by me.だったなと思ったとたんに顔を向けていられなくなった。
いつものディレクターズチェアに座り帰る支度をはじめた。その背中にKawaの号泣。
ゴメンナサイ、ゴメンナサイと途切れ途切れに聴こえた。地下から表に出た。助手席に座った途端、どっと疲れが出た。
徒労と絶望にとらわれた。奈良、古河と11年間に撮った万を越すカットがフラッシュしていった。
俎板の鯉となってこの二ヶ月、いっさいじたばたせずに顔を上げていた二人を思い浮かべた。
一緒に退くべきではないかと数日前に詰め寄ってきたIguの顔を浮かべた。
完徹をしながら黙々と粛々とスタジオを清めていた一昨日の二人を思った。
陣を払うべきか否か、いま自問している。その選択は昨日までまったく想像すらしていなかった。総退陣。
それも悪かねえか、彼らと別れ、二時間。思いもしなかった迷いを迷っている。感傷に過ぎないと思いながら、
咽喉まで一つのコトバがこみあけてきている。

2006.1.16 19時過ぎ rスタジオに居合わせた7人は
Soum Kawa Igu Take Mano Wata T.Mであることを記しておきたい。
ちあきなおみの“ダンチョネ節”と宇崎竜童の“夜霧のブルース”を聴きながら

  ♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
   友よ あの娘よ さようなら ダンチョネ
   おれが死んだら 三途の川で 
   鬼を相手に 相撲を取る ダンチョネ

  ♪青い夜霧に灯影が紅い
   どうせおいらは独り者
   夢のすまろかおんきゅの街か
   あぁぁ 波の音にも血が騒ぐ
   かわいあの子が夜霧の中へ
   投げた涙のリラの花
   何も言わぬが笑ってみせる
   あぁぁ これが男と言うものさ

   花のホールで踊っちゃいても
   春を待たないエトランゼ
   男同士の相合い傘で
   あぁぁ 嵐呼ぶよな夜が更ける

なお、理由はありませんが
本日1月16日をもって湯治部メーリングを閉じます。
その旨をアナウンスした上で、ML関係者を絞り直し
本来の湯治部メンバーを対象に再開予定。
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不完全燃焼。
としかいいようがない。中途半端な編集を中途半端なところで切り上げた。いや、切り上げられた。収めどころがなく、蒲田について渡辺と30分立ち話したが解消せず。まだ若いのに、みんなほんとうに巧言だけはたけていて感心するほかにない。

23:00
飯を食いコーヒーを淹れ3杯飲んでタバコを立て続けに5本灰にしたところで、飽きた。自分の考えではありませんがと、当人を20cmの距離においたまま誠実な声音で言って見せた伝言おとこ。10日近く前の27時間editの途中で無意味に気づいたと言ってのけた二枚舌おとこ。まだそれぞれが若く、さかりのさなかの歳ながら、その他人事ぶりはどこからくるのか。おれは今日、なぜあの場所にいなければいけなかったのか。矢を放ち、軌道を修正しつつやっと的に当たり出した瞬間に、どうして今日はここまでと口を出せるのか。負けつつあるゲームではあるが、なんと負けっぷりの悪いおとこたちなのか。歳だけは若いのに朽ち果てたような1日をどうして終われるのか。なぜ進むほど、腐っていくのか。スタジオに入って、踏みとどまる気力が失せ、ここには一瞬もいたくないと感じたのははじめての体験。シ・オ・ド・キなのか、ほんとうに。割り切ることすらめんどうになっている。

0:40
嵐のような風。窓を開け公園の樹木のざわめきをしばらく眺める。群雲に十七夜の月が見え隠れ。鎮まるにつれ、問題が自分へと向かっていく。うんざりしどうでもいいのだと思っているのは、おれ自身であることがしみじみと。キャプチャーされた画像が少し前に送られてきたのでiPhotoで一覧。ややクラシックな色調とデザインを眺めながら、悪くないなと思いはじめていた。この嵐で憂さが飛ばされてしまえば…
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8年前の七夕。十六夜の慕情。
眠れないままに外に出て月を眺めた。2時を過ぎても煌々と、すごい月明かりで、蒲田松竹跡の公園の暗がりさえも明るかった。風が甘く、重大の夏の夜のように胸がざわめいた。帰って七夕の記憶をたどった。ウェブメモ、こんなときには信じられない便利さを発揮してくれる。日記なら、まず紛失していただろう。8年、7年とたどりながら七夕当日は意外と何も書かれていないことを確認。2001年まで戻り、あの日の夜のメモにたどりつく。未来博オープン当日。逃げるように帰京した日の記憶。8年前の真っ青な空と真っ白な雲の一日。ホテルのフロントに「むじな」の鉢植えを預けて逃げ帰った、その夜。七夕、十六夜の慕情。むかし♪かえろかな、帰るのよそうかな…という流行り歌があった。故郷なら、場所ならば帰れるのだ。ひとは。時間は、しかし、二度と戻れない。愛惜するしか術がないのだ。


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2001 07/08 00:52
十六夜のむじなの夢。

昨夜の福島は秋のように涼しかった。

昼過ぎの新幹線で帰京。
車窓から田園風景をぼんやりとながめながら、この二週間をふりかえって、「感傷」にふけっていたら、三人連れのダークスーツが代わる代わる携帯で話しだした。しかも品質の悪いドコモでも使っているのか、(おれもドコモだからその品質の劣悪ぶりにはいつも泣かされている)声がやけにでかい。
しばらくはがまんしていた。

車掌が検札に来たので、下の通路に降りて電話をするように注意をうながすように頼んだ。
五分ほどは静かだった。

また始まった。
くわえ煙草のまま立った。
「はこ移ってくれませんかね」と丁寧に話した。
おかしなことに一人がいきなり立ち上がり
三回ほど頭を下げた。続いてバッグを抱えた三人が頭を下げながらドアから消えていった。一言も発しないで去っていった。
携帯だけ声の出る新手のオシかなとあきれながら自分の席に戻り、たった一人になった車内で、彼らはどこに行ったのだろうと考えた。
ふと気づいたのだ。サングラスを外していなかったことと、珍しく白い上着を羽織っていたこと、アロハのボタンを三つも外していたことに。
S建設のお三方には、まことに申し訳ないことをしました。いつもご指名いただいているのにね。
万が一、S建設の仕事があるときは髪を上げること、読書メガネを着用することの二点が不可欠であることを肝に銘じた。
しかしグリーンに乗っている好い歳をしたビジネスマンは、なんであんなに携帯が好きなのだろうか。いまどきヤクザでもロビーに出るか電源オフにしているのもいるのにな。

ま、勝手に思い違いされたとはいいながら、悪かったな、と反省している。
回想に戻った。しばらくして夕日から虹にかけてのシークエンスにたどり着いたので、心が晴れた。

むじなの森の風を運んだせいか、
東京もずいぶん涼しかった。

部屋でぼんやりと半日を過ごしているうちに、この時間になった。


カラダの深いところに「虹」が出たことを告げようとする高い声が、まだ残っている。
あの山の上に、ジ・アースを見下ろすようにかかった虹。緑の山。青い空。回り続ける観覧車。ジ・アースの白。耳の奥にこだまする高い声。その昔、夜の校舎の暗がりの中から「とっぱされたぞお」と叫んでバリケードの外でサーチライトで照らされながらぼこぼこ殴られていた女子大生を思いださせるような、やけに切迫した声だった。

あの虹は現実だったのだろうか。
おれの名を呼ぶ高い声は幻聴だったのではないか。

夕日は、たしかにおれが告げた。
出てきて見ろと大声を出した。
そして、小高い丘に立って夕日と染まった雲を見た。
ジ・アースに投じられたシルエットが弾むのを、たしかに見た。

では、虹は、どうだ。

事務所の二階の奥でかなりのボリュームで
FILIPPA GIORDANOの「清らかな乙女」が鳴っていた。そのソプラノを突き破るような、悲鳴のような呼び声だった。何かあったのかと一瞬身構えた。次にはっきりと聞えたのだ。おれの名と、虹だよぉという叫びが、もう一度。

トラブル続出のあげくの成功だった。
昼前には音のテストをするかどうかでTとIが一触即発になった。ぎりぎりのタイミングまで、あわやと思うことが無数に起きては、いたのだ。
そのあとの圧倒的な大勝利だった。

そういう時間の先に、雨が降り、夕日が染めた。
だからあるいは、ほっとしたあまりの、
一足先に森から逃亡した、おれの弱さがつくり出した幻想なのかもしれない。
こうあれば完璧なラストシーンだと、夢想したあげくの、むじなの夢?

確かめようにも、おれひとりが東京である。こんな時間に電話して、昼の疲れで眠りに落ちたばかりの日焼けしたむじなたちを起こすわけにもいかぬ。

夏の夜は、しかし想いが乱れる。
十六夜の夜は、なぜか切ない。


くそして寝るか。
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tojibu3:01499] 再び、ここがロドスだ。
窓を開け放ち、むっとする夏の湿気を部屋中に充満させつつ、高空の満月を眺めていたら携帯に着信。しばし放っておいて留守電を聴くと、男の悲鳴。西からの伝言メッセージが一通。リダイアル。東の月見をよそに西は今日も嵐だったようだ。電話を切り、メーリングを一件、流す。こんな月見も、悪くない。

> From: 益子自宅
> Date: Tue, 07 Jul 2009 22:41:55 +0900
> To: 湯治部07
> Subject: [tojibu3:01499] 再び、ここがロドスだ。
>
> Hic Rhodus, hic salta!
>

> これに「ルビコン川」のエピソードもプラスしたい。
> 賽を投げたら、あとは勝負から降りることはできません*^_^*
> いけるところまで、いこうじゃないの。
>
> グリファーズ諸君
> 西も東も、空を見ればあっけらかんとone world。
> いろいろあろうが、ハードルは越えるためにこそ、ある。
> たのしみましょう。まずは月でも眺めてください。
> 今夜は深夜まで空に、ある。
>
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空に
七夕の満月が冴え冴えと銀色に光っている。忙中閑。
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七夕満月、再。
星は見えず、か。奄美ロケの最終日が七夕だった。その前夜打ち上げを兼ねたバーベキューのとき空に出ていた月もまた、満月だったような…まだ4年とも、すでに4年とも。北を南へと反転させた、奈落から百年豪雪の冬へとつづいていく、その夏。ゆうべ夜半にタバコを買いに外に出たとき、ふと空を見たら雲隠れのいびつな月が一瞬。コンビニを出たら、雲におおわれていたが、あれが十四夜月。とすれば、きのうの宵に、その人の声を聴きたくなったこと、むりもない。のか。すべては過ぎていくのだが。

4年前の奄美ロケがちょうど七夕かけてだったことを思い出し、月齢表でたどったら新月だった。6日の夜に浜に張り出したデッキでバーベキューをしながら月談義をしたことも。一口だけよ、とホテルの女主人から出された50年ものの黒糖焼酎の濃厚さと芳醇さも、また。奄美越え、奈落越え、豪雪越えと続いた2005年のことだった。
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いろいろな意味で
リフレッシュしたことに。なった。なべに、たくさん助けられた。感謝。2日間、湿度は低く、涼しいままに。流れる川面を眺めながら行く末を案じるも、捨てる。ひとつひとつ行ければ、いい。
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呼吸をしに古河
往復。こばやしさんちのゴーヤ、すずきさんちのバラの小道とミニハーブガーデン、環境館のゴーヤを見たあと、まるまんでほうとん定食を腹にいれ、再び戻る。ゼロエミハウスのゴーヤと緑化屋根を確かめ帰京。戻ったら息がらくになっていた。小雨。
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夏休み初日の“夏休み計画表づくり”
ふり返ってみると3月半ばからオフはゼロ。今日が3月半ぶりのオフタイムとなった。ひたすらとろとろとした時間を過ごす。気になっていたひとへのメールを一通。読みかけていた小説の続き、見損なっていたドラマの続きと計画しているうちに日暮れに。子どもの頃の夏休み初日のようでおかしい。
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夜の消息
祭りのあとのような気分で11時間爆睡後の夜を過ごしていたところに古河からメール。ゴーヤが実りはじめた、と。撮影の小道具が、リアルライフを生きていく…。クリスマスイルミネーションといいゴーヤといい、古河は、やさしい町だ。グーンファーストが終わったあとの脱落感が、すこしなぐさめられた。花匠の竹達さんから。明けて7月。外は雨。
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