2014年03月の記事


たったひとりの
こいつを、まだ手がけていなかったのだ。
カタチを結んでおきたい。
方法をいまいちど吟味し尽くすこと。

成田からの帰り
ひさしぶりに見た
東京夕日に
目を奪われ
しばしコトバを失った。

たったひとりの
そのためでもいいのだと
唐突に思えた。

そのひとりが
ぼく自身でもいいじゃないか、と。

3.11を起点とし
経過3年。

どこかに時があるのだとしたら
いまが、その時だと
決めればいい。

二年近く放置した
たぶん関係者の誰も知らない
このページに
メモしておきたい。




born again.あるいはhello!&goodbye.
Category : 日記
10月1日付。digitalJapanesqueseries vol.1の
「sunset」seriesの基本プラン。9.30夕 雨

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ひとは、ある日、
ふとした出来事をきっかけに
それまでまったく想像することもなかった
想いや行動を引き起こすことがある。

そして、その瞬間、
ひとは、自分の中に秘めたさまざまな
“いまとは異なる時間。世界。人生”の可能性に
直撃されることになる。

異化される時間。劇場化される日常。
だれにもいつでもどんなときでも、いまある日常以外の時間や人生や世界が、
ここではないどこかに必ず存在する。

ひとは、
その瞬間と思いがけず遭遇することで
なぐさめられ勇気づけられ力づけられ
可能性の存在に、不意に気づかされることになる。

自分の中にいつもと異なる
もうひとつの時間が、特別な瞬間が
たしかに流れていることに、思い至ることになる。

そして、ため息をつきながら、
ふたたび日常へと帰って行く。
昨日までとは、少しだけそして確実に異なっている
自分の中の、もうひとつの時間の存在を胸に。

いやされ
そして、再生する。

想いとカラダにかかわるあらゆる表現は
この“いやしと再生”を、目ざす。

“いやしと再生”こそが、
digitalJapanesqueの基本であり最大のテーマとなる。

日常生活において、
この“いやしと再生”を
もっともシンボリックに表現するのは
沈む夕日と昇る朝日である。

一日の=人生の最上の豊饒な時間としてのsunset。
沈む太陽は、同時に
再び昇っていく太陽の暗喩でもある。

sunrise=再生を前提としたsunset=いやしの時間。
夕日は、終わりではなく
再び生きていくための[始まり]の時間である。

日常の中に潜む極上のひととき
=再生のためのいやしの黄金の瞬間。

これをdigitalJapanesqueシリーズの第1弾としたい。

Japanesque “sunset”
《じゃばねすくさんせっと》
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ずいぶんひさしぶりに開いた
サンパウロからロンドン経由で戻る
rを迎えに成田往復。
沈む夕日に向かって東京に。
到着を待つあいだ吐き気におそわれ
北千住でおろし別れる。
二ヶ月かかった編集の
そのピークが昨夜で過ぎた
おそらくリバウンド
だったのだと思う。
ひと月おくれのチョコレートを
クルマの中で食べる。
弥生三月。
緋にもみぞれ。
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