2000年06月の記事


開きし胸が匂うごとくに
葱むけば遥かならぬやそのひとの
開きし胸が匂うごとくに


福島泰樹「エチカ・わが語録」より


岩の上に二羽の海鳥。逆光に染まっていた。
巨大な夕日。その岩に沈みかかる。
あれで泣けたじゃないか。
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さらばばらばら
さらばばらばらばからしきほどあっけなく
肉の想いも断ちて来にけり

福島泰樹「月光の娘」より


久しぶりに福島さんの力を借りてみる。
天然の日本。自然を撮るなら、ここに戻る。
忘れてたよ。
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腐国。暗国。暗澹日本。
東京電力OL殺人事件裁判で無罪判決が出た外国人に検察の要求のままに、最高裁は拘留を認めたとニュースで。
事件の真実はともかく、無罪判決に対して拘留というのは、なんだこりゃ。
日本はいつから法治国家をやめたのかね。
いくら一国の宰相がダークサイドで談合で決められたばかりだからといって、何でもありになったわけじゃねーだろう。
マスコミはどうしてこういうニュースをしたり顔で報じることができるのか。

悪法も法なりなんて
寝言言ってる場合じゃないんだろうけど、
それにしてもやな国だね。
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さらば六本木、風吹くスタジオよ
A編集室の入っていたビルのスクラップがはじまったらしい。
夜になると隣のカラオケの騒音が聞こえ、
駐車場にコインを投じる音がした、
天窓を開け放つと風の通り抜ける
あの開かれたスタジオの入っていたビルが
森ビルお得意の再開発で取り壊されるとか。
三菱電機三部作、日立サイエンスシリーズ二本、レガシー、風のササヤンカ村、天然の日本シリーズ、ある日曜日、威風堂々…
思えば、いまなお己の記憶に残り、両手に余る賞をもらった作品をつくったのがA編だった。

編集に飽きるとウェーブに逃げ出して
新着のアルバムチェックをし、
ABCでミステリーを探し、例の立ち食いそば屋で握り飯とコロッケそばを食いながら飢えと
クライアントへの不満をごまかしていたな。

そのウェーブもない。シネ・ヴィバンもない。

六本木は、まだカルチャーの街であるのかね?
キャバクラと珍妙な仕掛けの風俗と見た目はエリートビジネスマンもどきの洗練?されたやくざのほかには、なにがあるのかね?


それにしてもだ、よ。
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夜霧のブルースが聴こえていた
きょうは終日、胸の奥で
宇崎版の夜霧のブルースが聴こえてた。

徹夜明けとはいえ、ちとまずいな。
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何が粋かよ!
昔読んだ本のタイトルを、ふいに思い出した。

午前三時まで編集し、帰宅するが、どこか興奮していて眠れず。
今日は9時からイマジカで3D試写。


疲れて尖ってくると、すべてを破壊したくなる。
17歳の迷いっぱなしの高校生と何も変わらねえよ。


49にもなって、
野郎ばかりの現場に立って、
フィリッパ・ジョルダーノの「ノルマ」ぴったりくるだろう?
なんてほざいてやにさがってて、
何がアリアだ、何がオペラだ。

斉藤龍凰が書いた「何が粋かよ!」が
本棚から消えてはや15年。

ああ、
無頼の友は、いまどこにいるのか。
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巨大画面で観た「老人と海」
高島屋のアイマックス・シアターで
「アイマックス映画フェスティバル」を6月30日まで開催中ということなので、見逃していた「老人と海」を見たくて行った。
ついでに「ガラパゴス/3D」「エクストリーム/2D」も見たので、見終わるたびに上がったり降りたりの繰り返しで疲れた。
「ガラパゴス/3D」はほぼ満員。佐世保で見たときよりずっと面白く感じたのは劇場のせいか。観客席の中央で見る。「エクストリーム/2D」は呆れるほどに退屈かつ陳腐。席の中央上手から。サーフィン、山登り、ロッククライミングなどに挑むアスリートたちといううたい文句だけどナイキのTV-CMの方が100倍も巨大でパワフルである。
ナレーションが過剰、音楽がありきたり、とにかくうるさい。なにがおもしろくてこんなもの手間ひまかけてつくったのか不思議だった。
新作にも関わらず観客は1/4程度。市民はよくご存知である。
さて「老人と海/2D」。これは素直に感動。中央、やや上から。特に老人の船乗り時代の回想シーン、カスバでの腕相撲シーンはセザンヌの絵が微妙に動いていくような奇妙で深い奥行き感を醸し出し、
CGの世界でノンフォトリアリズムの追求がテーマの一つになるのもムリもないなと思えた。
指先でガラスに描く4年間という歳月を越えた意味と成果がよく出ていた。
しかし時間合わせのための前半20分の実写は、哀しいくらいに存在感がなく、いくら興業のためとはいえ、アニメ20分で徹底するべきだったと思う。
客は時間に対価を払うのではなく、その中味にバリューを見いだすのである。
アイマックスというじつに興味深い映写システムながら、興業を牛耳る人間がきっとダメなんだな。ソニーが手がけてもなお、このありさまだもの。
それはともかく、観客の入りは3/4。周囲のリアクションは、「言葉にならない感動」上映が終わって明かりがついても、しばし言葉がなく、退場の行列になってはじめて会話が聞えてきた。女性どうしの若い客が多かったが、切れ切れに聞えてくる言葉に、
さらに感動させられた。制作者が聞いたら泣いて喜ぶような深い理解が多かった。
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パパラギ
いちばん若い三歳の友人にメールを書くために、久しぶりに「パパラギ」を読む。
こんな一節はいまでも胸にしみる。

「私は言おう、そうではない!なぜなら私たちは、私たちのからだをいっそう強くし、心をいっそう楽しく快くすることでなければ、何もしてはならないし、
することは許されぬ。私たちは、私たちの暮らしの喜びを奪うすべてのものから、自分を守らねばならぬ。
心をくもらせ、明るい心の光を奪うすべてのものから、
私たちの頭と心をたたかわせてしまうすべてのものから、自分を守らねばならない」
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池宮の「本能寺」は革命論
「本能寺」池宮彰一郎/毎日新聞社
池宮の新作。変革者としての信長像にスポットを当てることで、光秀と信長の通説を気持ち良くひっくり返し、昨今の社会情勢とダブらせながら制度の根底からの否定こそが新たな高みへと向かうのだと説く、
池宮にしてはややストレートに過ぎる本能寺論。小説としては、「いま」へのいらだちをダブらせたぶんだけ生煮えな気もするが、池宮らしくない平板な終盤までの展開をがまんして読み進めれば、ラストの展開はさすがではある。
しかし、こういう角度となると、
網野史観を徹底してとりこんだ亡き隆慶一郎を乗り越えるのは難しい。池宮は最初の二冊で筆をおいてもよかった。
名作「十三人の刺客」の脚本家としての名を惜しむ。
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未来ササヤンカ村
ひさしぶりに佐々木洋一を読んだ

  「北のはて ササヤンカの村には湖がある   
   湖はサワッと揺れながら たずねて来る   
   人をまちわびていた

   絶望をかかえ
   昼でも暗いかげりを持ったあなたが
   ふとやって来たのは五月
   たんのようなため息を幾度かついた

   さあ あなた
   ここはササヤンカの村なのです
   ぶるぶるくまん蜂も適度な湿りのあね土も   
   森を開いた小道も咲きかかった花もびゅんびゅん風も   
   柵を越えるいい匂いも走る砂も
   どんどん太鼓も山姥の息吹をのせた林も   
   あなたのうつむいてばかりいる気持を   
   カッカッカッ燃え上がらせてくれるはず

   そらっ あなた自身
   足で空を蹴って びょんと跳ねて
   転げて
   一二三 身体をしゃんとして
   それからそうさ 湖へ
   湖はサワッサワッと揺れている
 
   そんな中
   こぎ出した舟とともにあなたも揺れだしたら   
   そこは確かにササヤンカの村
 
   さあさあ あなた
   ここはササヤンカの村なのです
   ええと考え込みまして ふんと嫌いまして   
   シャンと背すじを伸ばしまして
   むだな言葉は棄てまして
   るるるというふうにして
   えいっ
   どんどん永遠の方まで
   生きてしまおう」
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「月の裏側」なんだこれ!
忙しいので朝日の三人読みくらべ書評を信じて「水」のロケハンに持っていった恩田隆「月の裏側」幻冬社刊だが、腹立ちまくりだ。いくら「水」の恐怖がテーマでも、水っぽい必要はねーだろう。
水増しを重ねたようなすかすかの文体と決まりの悪い比喩、まだ40前の若さなのに一昔前の中間小説もどきのような間抜けな描写。せっかく「猫啼温泉」なんてちょっとそれっぽい名の温泉で読み始めたというのに…
朝日の書評はしかし本紙と同じであいかわらずつまらねえ「教養主義」で、うかつに信じた俺がバカだった。
ひとときよくなったと思える日本のミステリーも、現実に見合って、ま、こんなもんなのかな。
ところでなんで「月の裏側」なんだよ。
教えてくれよ。
それといつから「恩田ホラー」なんて言い方ができたんだ?
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『無間地獄』新堂冬樹はキワモノ
『無間地獄』新堂冬樹/幻冬社刊
本の雑誌で茶木氏が「アウトロー小説の金字塔である!」とべた褒めだが、キワモノに過ぎない。
馳星周の新作と同じレベルのことだが、ヤクザや都市難民が出てくると小市民は途端に判断が狂ってしまうらしい。「情報」を知りたければドキュメントの方がベターであることは自明じゃないか。もっともらしい過去をつくってさえあればどんな破天荒なアウトローも共感の対象になるという安易さは、もうとっくに現実に追い越されてるよな。
天童荒太の「永遠の仔」がかろうじて読ませたのは、分水嶺越えて書くときの心意気があったからではないのか。
それがなければあんなものただの火曜サスペンスのシナリオどまりだよ。
アンダーグラウンド書くときには、徹底した取材と、その取材を維持する情熱の背景を自らに問うべきである。
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愛する人のスナップショット
『愛する人を、さまざまな角度からいつまでも眺められるスナップショットのような新しいメディアこそが、世界的にアピールしていくだろう』

マトリックスのCGディレクターJohn Gaeta.に
「2015年のCGはどんな世界を獲得していか?」
という質問への答えである。
あのマトリックスや「奇跡の輝き」を手がけた当代随一のCGクリエーターの答えとしては
やけに軟弱ではないか?
そんなふうに思った人に、なぜこのコトバを
エピローグのキーワードにしたかをちょっと弁解。

一年あまりまえの冬、
一緒に仕事をしている人の妻が急死した。
その人はどんなふうに痛みや哀しみをこらえたのか手がけていた仕事を完成させた。
完成した仕事を一緒に見ているときに、
スーツのポケットからそっと取り出した
一枚の写真。その人の妻の写真だった。
一年以上をかけた仕事の仕上げだたった。
きっとその人はいなくなった妻に、「ほらできたよ…」といって見せたかったのだと思う。
見せられた強気が自慢の某プロデューサーは、それからすっかり泣き虫になり体調までくずしてしまった。

コンピュータグラフィックスが
これからどんなふうになっていくのか
どこまで到達しようとするのか
ぼくにはわからないが、
たった一枚のスナップショットにも
これだけのインパクトがあるのだ。
そのスナップを元に
愛する人のなつかしい仕草や
言いまわし、なんでもない
ちょっとしたコトをできるだけリアルに
手を触れたくなるような現実感をともなって
再現することができたら…

怖いようにも
素晴らしいことのようにも思える。

John Gaetaが、はたして
どのあたりまでを射程に入れて話したのか、
想像するしかないが、
生まれてわずか50年も経たずに、
コンピュータグラフィックスは
はるかな高みへと向かっているように思えた。

かなうなら、
ぼくも何人かどうしても会いたい人がいる。
もういちど会って、
「ありがとうございました」と伝えたい
人たちがいる…
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葬列/小川勝己
角川書店
第20回横溝正史賞受賞作

桐野の「OUT」に比べる向きもあるが、あの気持ち悪さは皆無。テンポも悪くなく楽しく読み通せるのだが、後半のマンガのようなペンの荒さでちよっと白けた。
逆に後半の展開、渚の登場以後がメインになるとどうなのか。
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