2007年02月の記事


サラウンドと♪Moliendo Café
放り出す、と言うのを心配したらしく、ワタナベが四季篇とlinearexpressのサラウンド版を届けてくれた。ひととおり観ているうちに、気が変わる。茶々がはいろうと、どのみち群抜くものにはなるのだ。と得心*^_^*。
スタート前にiTunesで♪Moliendo Caféを30曲ダウンロード。BGMとし、それぞれ3回ずつは聴いたことになる。なかなかよかったのがBolero's 4のもの。
朝までかけ、2本を厳密に荒編集。ともにジャスト15分。やるなぁ、おれも…
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ひさしぶりの夕日の町ロケはムダだった
勝算は、ほんとうはなかったのだ。
よくあれだけ撮れたなと、OK出しをしながらすこし呆れた。ライティングも録音マイクの抜き差しも、すべて走りながらやっていたような気分がある。ひさしぶりの古河らしい美しい夕焼けも日没も銀色の月も星々も冬木立も、撮ろうとする余力がまったく無かった。惜しむ気持ちさえ、無かった。にもかかわらず、充足していた。まだ、撮り続けたいという熱がラストカットにOKを出し、お疲れと言った後もくすぶりつづけていた。
茅ケ崎のロケハンをはさみ、素材に集中。パッケージのために急がされたとはいえ、はじめたらすぐに没頭できていた。丸12時間ぶっ通しで編集みすえつつ丁寧に切っていた。仮眠しDVDに焼き、コピーし夕方までには望まれた先々に届けさせた。
それから急いで虎ノ門に。終了30分前に飛び込み、挨拶だけは間に合った。リターンし、また続きに戻った。

そこに1本の電話があった。伝言された感想を耳にしながら、もうほんとうに縁を切るべきなのかなと、泡立った。それから荒編の手が止まった。止まって5時間。あきらめた。放擲。

興味が、きれいに消えていた。
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音について/再録
2000 11/26 00:19
「水の惑星」の音楽についてのメモ
Category : 日記
「水の惑星」の音楽についてのメール下書き


たとえば湯浅さんはこんなことを書いています。
「子どもは様々な物を叩いて音を楽しみ、
身の回りの音を口で模倣する。それが『音楽する契機になる』。
『音楽は、楽音だけでなくあらゆる音によってつくられるものだ』
という原則に心を開くことが必要である」
          -音楽の開かれた地平-湯浅譲二箸より

また、11月23日にぼくが聴きに行った
浜離宮朝日ホールで演奏された[新しい合唱団]による
[擬声語によるプロジェクション1979]のプログラムノートに
引用された発表当時(1979)の作曲ノートには
「4年ほど前から擬声語(オノマトペ)のみで声の曲を作ることを
考えていた。この曲は、その現実化を試みたものである。
私はこれまで、言語、なかんずく発声言語と音楽との間に、
新しい地平を見出す、いわばインター・メディア的視点での
作業を続けて来た」とも書いています。

[水の惑星 ジ・アース]のシナリオにかかるにあたって、
ぼくの頭の中には、ここでも書かれている「オノマトペ」による
音の世界へのこだわりがありました。
もちろんその時点では恥ずかしいことですが、
湯浅氏の取り組みについてはまったく不勉強で、
ぜんぜん知りませんでした。
ただ、人の肉声で、自然界のあらゆる音を構成したら
どうなるだろうという素朴な興味だったと言えます。
それが[1000voices]と名付けた合唱団の由来でもあります。

人は何かを前にしたとき、目にしたとき、
それだけでは実はあまり多くの情感を
引き起こすことはありません。
目の前のモノやコトを自分の中に取り込み
不確定なもしくは、はっきりとした言葉にとらえ直すことで
はじめて固有の体験や記憶となっていく。
だから万人に共通する同一のコトやモノというものは存在しない。
川の流れを百人の人間が目の前にしたとき、
正確には、百の川がそこに存在することになります。
でも居合わせた百人の人間は「流れる川」という
認識を持ち、そのことを声に出して身振りで伝えあい、
共感しあうことができます。

絵画も写真も映画は、せんじつめれば、
この百人にとっての百の川を、その中のただ一人の目によって
切り取り再構成し再びカタチにして提示するという
行為だと言えます。
つまり、個人による認識です。
作品の芸術的価値とは、この個人の認識に左右されることは
ご承知の通りです。映画は集団表現ですから、もちろん
ここでいう個人とはカメラマン一人のことではありません。
しかし、対象を切り取り再構成するという意味ではカメラマンの
感性と才能にすべてを委ねることにもなります。

自然の中に潜むさまざまな音の世界もまた同じことが言えます。
わたしたちはぼんやりと外にいるときには、ほとんどすべての音を
認識していないと言ってもよいと思います。
行動をうながす必要な音だけを、必要に応じて取り込んでは
捨てています。
それらの多種多様な音を「言葉」にしてはじめて、
わたしたちはその対象を記憶に残しても良いものとして認めます。
ここでいう「言葉」とは文字通りのコトバの場合もあれば、
ニュアンスとしての音=メロディの場合もあります。

冬から秋にかけて福島の各地の水景をたどりながら、
この豊かさを音の世界として再現するためには、
やはり擬態語/擬声語(オノマトペ)へのこだわりが不可欠であると
感じてきました。
たとえば、びっき沼の静かな水面の底には、湖岸の草むらには
無数の魚や虫や花や草が生きています。とらえられた3D映像に、
その気配はまったく現われることはありません。ただ水面が
風のそよぎにつれてさわさわと揺れるだけです。
しかしそこは「いのちたちのめくるめくようなざわめき」で
満ちています。カメラマンがとらえたのは実はそのざわめきです。
静かな気配におおわれた映像空間が、このざわめきを加えることで
いっきに濃密な「奇跡の空間」へと激変する。
そんなことを夢想していました。
そのざわめきは、即物的な自然音を重ねるだけでは成り立ちません。
なぜなら自然そのものにはいのちであることの認識が欠落してるから。

こうした思いを音場として表現し、
さらに壮大な一つの《音の世界》として構築してくれる
最適とも言える音楽家に、やっとたどりつくことができました。
そんな気がしています。

思い描いた世界は、
カメラマンとCG作家によって明らかなカタチを結ぼうとしています。
あとは湯浅譲二氏の解釈によって最後の息吹を与えられることで、
予想を超えた世界にたどり着けることを胸弾ませて願っています。
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その想い。
想いというのは吐き出すことで
静められることもあれば
吐き出したことで
さらに高まっていくこともあるのだ
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♪正調版会津磐梯山を口ずさみながら
郡山に着いたら真っ先に訪ねるように頼んだ、佐藤さんと直接お会いでき、たいへん喜んでいただいたと、ゆうがた渡辺から第一報。なぜだか涙がこぼれた。五年が、過ぎたのだ。夜、猪苗代経由で会津に脱けようとし、猛吹雪で通行止めとなり、下を走ってなんとかたどりついたという第二報。バレンタインの春一番といい、雪のない冬の猛吹雪といい、福島が歓迎してくれているのだ、と思ったら、気が晴れていった。2001年からずっとノドの奥に刺さっていた骨が数片、音立ててはがれ落ちた気がした。これでやり残したことに手を付けられる、呵々大笑である。陣太鼓である。2007年2月15日。その記念の日と刻みたい。
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限定版春一番
渡辺が明日から向う。worksと「うつくしま2001-2005」を携えて福島へ。今日14日の蒲田は雨と南風が春嵐のように吹きまくっている。他の場所はおだやからしいので局地的な天候なのだろうけど、福島へのもろもろの日付を14日にしたこともあり、春一番と決めておきたい。


件名: [tojibu3:00093] 業務連絡
送信日時: 2007年 2月 14日 水曜日 8:46 PM

明日15日から三日間、渡辺が何を思ったか
福島に行き、あちこちで温泉につかってきます…
と言うのでやむなく許可しました。
湯治部を名のる以上、拒絶するのもなんなので。

そんなわけで進行中の案件で
ご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが
できるかぎり、ワタクシが対応いたしますので
行方不明の素材、データ、出したはずの台本など
渡辺への問い合わせは、不肖ましこまで。

なお、
ワタクシはDNAと血圧の関係で午前中は苦手であります。
問い合わせは、できるだけ午後からお願い申し上げます。

なお、渡辺の逃亡先、いや湯治先は
添付の宿らしい。うらやましい限りではあります。
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項目リスト、アップ。
古河の定例受けた東京WG関係の制作項目リストを作成。予想以上にやることが多そうなことがわかった。こんなことD2Tがやってくれと、ふと思ったけど面倒なのでさっさとすました。プロダクションの制作関係、目に見えて質が低下。なんなんだろう。
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腹がへって死にそうになった。
8日に続き、9日は15時から5時間、ぶっ通しの打合せ。途中、腹が空いて気を失いそうになった。テーブルの上に放置されていたコーヒー用のスティックシュガーを3本、胃薬のむような顔して口に入れたが収まらず。背骨がふにゃりと曲がり、目の前の資料をシーツ代わりに潜り込みそうになった頃、やっと終了。24階から1階まで、苦衷を訴えつづけるプロデューサーを、悪い大切な話なのはわかるけど、ほんとうに腹が空いて死にそうなんだ、こんど腹が満ちているときにぜんぶ聞きますから、と振り切り一目散で“ねぎし”に駆け込む。麦とろを頼み、特急で腹にいれ、やっと人心地。長岡、渡辺と別れ、相馬と食後のコーヒーを飲める場所を探すが、スターバックスしか見当たらず、やむなくテラスに席を取り寒風の下、タバコとコーヒーにありついた。雨。濡れていくのがわかっても動く気にもなれず、そのまま30分ほど濡れるにまかせ、座っていた。春雨ですね、と負け惜しみを言いながら、相馬もまた、濡れていた。こんな気分は、初めてかな、とびしょぬれになって笑いながら別れ帰宅。熱いシャワーでカラダをあたためてからあらためてクナイプの菩提樹をぶっこんだ風呂につかった。この一週間ほど折りにふれ配ってきたワークスをひさしぶりに見ることにした。2枚で2時間。全部見終ったら、やっと興奮が冷めていた。2日連続のバトルロイヤルのような打合せ。22人+11人。時間はともかく、内容はのちのち思い出すことになるようなコクがあった。腹は、へったが。
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一日中口をあけていた。
8時にカワダさんに蒲田で拾ってもらい、カワダさん、クワタさん、ワタナベと作戦練りながら古河へ。10時半から16時半まで。途中昼飯休憩40分。正味5時間半の打合せ中、口を開いていたのは約5時間?出席したのは東京WG7人。クライアントは15人。その後、急ぎ足で1時間ロケハン。スズキさんのレガシーで芳流へ。天だねせいろとカレーうどんと板わさ喰いながら撮影カットの整理。古河駅前のコーヒー店に移動し、コーヒー飲みつつ話しを続け、スズキさんと別れ湘南ライナーにソウマさん、ナガオカさん、ワタナベと。大宮でソウマさん、大崎でナガオカさんと別れ品川駅のカフェで立ち飲みしつつ一服。10時過ぎ、蒲田に戻った。春のような一日で、古河はめずらしく汗ばむほど。今日は、ずいぶん長いこと口を開けたままで過ごした気がする。疲れたけど、いい一日であった。
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私の庭/蝦夷地篇★★★★★
花村萬月著/光文社刊
“浅草篇”に続く第二部。ただただ圧倒される。花村にしか描けない“蝦夷”と思うしかない。読了し、ため息。あわてて本屋に走り小説宝石を買う。第三部“北海無頼篇”はすでに第四回まで進んでしまっていた。まとめて読もうかどうか迷ったが、どの程度先に行こうとしているのかだけでも知りたくなり、読む。遡りたくなった。三回分さえ探して読めば、後は連載を追えるのだから。北方の“楊令伝”といい、連載を追うなど、半村“妖星伝”以来の珍事。人に勧めようもないが、作家の魂がのぞけるような凄絶さあり。
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湯治部に出したメール
   倉持さん、鈴木さん、長岡さん、山岡さん、渡辺さん限定


   昨日、編集中にクリスタルのスワロフスキーの話になって
   5年前の秋に大森のマキシオのロケ現場で
   スワロフスキーをテスト撮りしたことを想い出し
   そのころのwebメモを読み返していたら
   東急エージェンシーの小泉さんのことを書いたものを見つけた。
   小泉が生きていたら、digitalJapanesque、
   しみじみ喜んでくれただろうな、とつくづく思うよ。
   これをメモしたのは八ケ岳の真っ暗な道路に寝ころんで
   一時間で数千個降った、あの狂気のような、
   しし座流星群を見た五日後のこと。
   以下、引用。
   
   



2001 11/23 22:35 その罪を忘れないために。

14日の熊谷ロケの帰りに小泉さんの死がガンだったことを聞かされ、引っかかっていた。オフィスで古いデータを整理していたら彼女と会った頃のメールが見つかった。亡くなる一年あまり前のことである。このすこし後から体調を崩していったのだ。いまさらどうしてやることもできないが、強引に温泉に引っ張っていって、胸のすくようなきれいな映像を見せてやればよかったと悔やまれる。その頃は読み流していた行間に、彼女の想いがいまはよく見えている。この世にいないことだけが、悔やまれてならない。30歳。明るく聡明で美しい人だった。いまさらではあるが、果たしそこなった秋の約束が口惜しい。すまなかった。
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Subject: メールテスト OK!
Date: Thu 03 Jul 1997 12:30:08 +0900
From: yuming-k@tokyu-agc.co.jp (小泉 由稔
ハハハハ )
To: mashiko@mars.dtinet.or.jp

  小泉です。

    昨日はありがとうございました。

    
    メールテスト、OKであります!
    
    今朝、アクセスし、思いがけないお便り発見…。
    まだ、異動まもなく「小泉」の“においつけ”がままならない
    ちょっと落ち着かないスペースの中で、思わず歓声を上げ
    一人ニヤニヤしているわたくしであります。

    スエちゃんとは、よく メールで遊んでました。
   
    そんなこんなで、実は今回の仕事でお目にかかる前から
    語りべスエちゃんのおかげで、益子さんのこと、存じ上げておりました。
    ですから、
    今回ご一緒できることを、本当に嬉しくありがたく思っているのです。

    いろいろ、制約の多い仕事で申し訳なく思うことしきりなのですが、
    スエナガクよろしくお願いいたします。

    わたしは非力な存在ですが、縁あって巡り合えた仕事、そして
    お世話になる様々な人たちのことを財産だと思っています。
    そのチャンス、1つ1つが刺激であり肥やしであり、楽しみであります。

    VPづくり、ワクワクしてます。
    あの美しい映像たちに出会えたこと、そしてこれからも出会えること。
    (ホントになんだか申し訳なく思ってしまうほどです。
                ホントに涙がででしまいます…)

    皆さんにご苦労をおかけしてしまいますが
    
    四季を通して、その世界の片隅にいれることを
    
    幸せに思っています。
    
    
   
    暑い日に、なんだか あっついメール になってしまいましたが
    
    また、明日もお会いできるのでこの辺にしときます。

    それでは…。

    

              7/3  TAG   YUMI KOIZUMI
    

Date: Fri 11 Jul 1997 21:09:27 +0900
From: yuming-k@tokyu-agc.co.jp (小泉 由稔
ハハハハ )
To: mashiko@mars.dtinet.or.jp

  小泉です。

  昨日、社内打の帰りにロビーを通ったら
  「お届けもの、お預かりしてます。」と受付嬢に呼び止められました…。

  思わぬ贈り物、本当に、嬉しい限りでございます。
  
  ありがとうございました。

  直筆のサイン、もったいなくって、思わず切り取って(封筒さん、ごめんね)
  DESKで眺められるように貼ってしまいました。
  (わたしの元気の素にしようと思って…)
  ホントに嬉しかったものですから。

  このところ、職場環境が変わり改めて少々緊張感のある日々を送っている
  のですが まぁ、新しいことを始めるのは悪いことではないって
  ポジティブに捕らえています。
  「慣れ」とか「要領」とかって、いい意味で気持ちいいし、心地よいし、
  嬉しいのは確かなんだけど、たまには違う目的意識の集団の中に身を投じて
  スポンジのように吸収体制に入っている裸の自分もよいものなのかも
  しれません。

  できるだけ多くをためこんで、何かを絞り出せるようになるときは
  きっと 所詮 わたしはわたしでしかないのですから
  形なりタイミングなりに「小泉由稔」がうつっているのでしょうけど
  それがはまるか、はまらないか、良いのか悪いのか、実はそれすらも
  わからない状態なのです。

  できあがっている水たまりに、わたしの落とす滴が
  音もなく溶け込むのか、はたまた みなも揺れるのか…。

  ここは、自然体でしなやかに、でも確固たる思いをもって
  とりあえず頑張ってみよう と思っている今日この頃なのです。

  でも 流石に ふと 「元気の素」を欲してしまいます。  
  
  MILKの仲間と接しているとき とても温かく、そして熱く、
  この心地よさは言いようがありません。
  (そう、財産です。元気の素です。)

  …ついつい訳のわからない話をつづってしまいまして、ごめんなさい。

  益子さんの世界を拝見すると、何だか思いをさらけだしてしまいたく
  なりまして…。(お許しください)

  今のわたし、ホントは あの 空や海や 緑のなかで 風のにおいをいっぱい
  吸い込んで おもいっきり伸びしながら“きもちいーっ!”って叫んで
  大の字になりたい気分なのです。
  (実は、常に わたしのDNAはこんな声を発していますが…)

    そろそろ つぶやきを終わりにしないと

     あきれられてしまいますね…。

    それでは また お会いできる日を 楽しみにしながら、
    つづっているうちに元気にしてもらったことを感謝しながら、
    ペン(?)をおくことにいたします。

                ありがとうございました。

                      7/11   小泉 由稔    
 
              
Subject: そろそろ温泉に入って、骨
ハハハハ 休めしたいです。
Date: Mon 06 Oct 1997 14:16:45 +0900
From: yuming-k@tokyu-agc.co.jp (小泉 由稔
ハハハハ )
To: 益子透

お元気ですか。

先日は、お忙しいなか、ついつい睡魔に負けてしまいがちの講演におつきあい下さい
ましてありがとうございました。
(ホント途中は気を失っていました。まぶたに目でも書いておけばよかった…。)

久々に益子さん、そして皆さんにお会いできて、とても嬉しく気持ちのよいひととき
を過ごすことができました。

感謝しております。

スエちゃんより、先週ロケのスケジュールを聞きまして、めちゃくちゃお供したくて
一晩悩んでおりました。
勿論、担当営業としても参加すべきと思うタイプですので、
(例えクライアント不在でも…そして何の役にたてないとしても…)
何とか、と思っていたのですが、物理的な問題でどうしても調整がつきそうになく
とても悲しい気持ちになっております。
ましてや、これは少々動機が不純ですが、今回の仕事は特に現場の空気を感じるのが
とても楽しみで、しかもロケのあと温泉入って皆さんと過ごせるなんてとても刺激的
で(スエちゃんからもずっと前から話聞いてましたし)こんなに行きたい気持ちなの
に、貧乏営業かけもちの悲しさに、やるせないものを感じてしまいます。

仕事の方は、益子さんも、皆さんも、スエちゃんも塚さんも、みんなついていてくれ
ますから大船にのっていますが。

残念で、そして申し訳なく思ってしまいます。

いろいろ、きつい仕事で申し訳ありませんが何卒よろしくお願いいたします。

また、画面を通じて日本の四季のすばらしさを、

そして澄み切った空気を、

感じさせていただけるのを楽しみにしております。

時間がない中かなりの強行軍になることと思いますが、
どうぞ皆様お風邪など召されませんよう、
乾いた東京の空のもと、ロケのご無事をお祈りしております。

                   10/6    TAG  小泉 由稔

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乾いた東京の空のもと、ご無事を祈っております。と書いてくれたその当人が死んで3年。小泉さん、東京の空の下は、地の果てのように乾いているよ。干からびているよ。オフィスで、ことしはじめて使った加湿器がかなしい蒸気を出している。

どこかの武道に3年殺しとかいう技があるという。きみのメールはその秘技のようだ。
読み返して、言葉が、ない。
せめて、罪を忘れないために、ここにさらしておく。
ほんとうに、すまなかった。
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十三夜につくり
今日から配布を始めた。
明日は、満月。頃や良し。
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