2002年07月の記事


会津からのメール
件名 : 心にしみるパフォーマンス
送信日時 : 2002年 7月 31日 水曜日 09:57 PM
差出人 : Fumiyoshi Sato

絶叫ライブ、友人にダウンロードしてもらい、
やっと見ることができました。
嵐の中とはいえ、
はじめから朝までやると決めてやるのがすごいです。

> これはその夜の記録のほんのさわり。
> ほんものの暴風雨ナイトが待っていた。

これがさわりなら、
ライブは本物の暴風雨と同じだったようですね。
主人公はボクサーでしょうか。
ボクサーでなくてもそのくらいハードな生き方をしている人には
かなり心にしみるパフォーマンスだと思います。
これはとっておいて、
忘れた頃に思い出して(結局忘れないのでしょうけど)
何かの機会に見たいと思います。
どうもありがとうございました。

私のMacが、
なぜか受信だけができなくなってしまいました。
受信の瞬間にアウトルックが予期しない理由ということで終了するか、
そうでなければエラーが返されたというメッセージがでてしまいます。
送信はできるのでなんとかなりますが、
メールの受信ができません。
受信できないのがこんなにがっかりするものだったとは
初めて知りました。
はやくなおるようにあれこれやっていますが
今のところだめです。

暑い夏になりました。
監督のことですからバテないでバリバリやっていることと思います。
お体を大事にご活躍下さいませ。

P.S
執筆途中ですが、
★「会津中街道」
地元でもあまり知られていない幻の街道を歩きながら検証した報告のページです。
http://www.tokyo-do.net/midway/
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「海運新時代」読了。
二日で約700ページの資料読み、終了。
ひとつ風呂にでも入って反芻してみよう。

明日は4時起きだから、二三時間は眠っておきたい。

倉持さん、長岡くん、小山くんたちと一日過ごせるという、いわば「ぼくの夏休み」。
遠足前に一生懸命お勉強に励んだ小学生のような気分である。
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もう一息。
ひきつづき「海運新時代」に入る。
ここまで読んだら、できれば
rエディットのコピーを書いて眠りたい。

明日は4時起き。
6時六本木発。
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「二引の旗のもとに」
十二時間ぶっ通しで読了。
「最適バンニングシステム」の頃が
総合物流サービスにシフトしようとする黎明期だったと納得。

仕事にもかかわらず
まことに愉しく読み進むことができた。
まずはひとねむり。
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第一次大戦前夜まで
三浦按針から、まず第一次大戦まで集中。
過度な装飾がほどこされているとはいいながら、設立までの経緯は手に汗握る痛快ぶり。
途中、二度ほどミントを大量に入れた水風呂につかりながら読み進めた。

海の話を水に浸かって読む。
供はロングピースとコナコーヒー。
なかなか快適な資料読みの初日となった。

この勢いで第二次大戦あたりまでは読んでおきたい。
小休止。夜食タイムとする。

途中から明後日のロケ用音楽選びも同時進行。
ブラジルもの中心に4枚を選んだ。
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萬月《狼の領分》★★★
白神山地に入山してからをメインストリームにしていたら、この物語は深く濃くなっていたのでしないか。
花村のそんな世界を読んでみたかった。
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◎資料
7.29受け取り

「二引の旗のもとに」日本郵船百年の歩み
「日本郵船株式会社百年史」
「七つの海で一世紀」日本郵船創業100周年記念船舶写真集
「海運新時代 日本郵船21世紀への挑戦」吉田泰治著
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水のひと
水の惑星などを仕事としたからでもないだろうが
どうにも水のような暮らし方から脱けられない。

低いほうへラクなほうへとだけ
カラダが向かう。
こころは逆だと思うのだが、
我が心はじつにあっさりとカラダに負けるのだ。

まいったな、しかし。
あちこちから借金取りのような催促がたまっている。

台風でもこねえかな、また。
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気掛かりを一つ片づけた。
内原さんに手紙。
「二つの記憶」と名付けたDVDを渡辺につくってもらう。
「森の滴」関連の映像と「水の惑星 ジ・アース」関連の映像をまとめてもらった。
「水の惑星 ジ・アース」には本編映像の他、「外伝2特別篇」「外伝番外編」「二つの記憶」などもプラス。

他にこの二年間の仕事をまとめた「作品集4」VHSと
1989-2001の仕事を一つにした「works」DVDを同梱。

いつか仕事で組んでみたいと思う。

夕方からはじめたかったが、
デスクトップ、ノートブックともにダウン。
ノートンをかけているうちに深夜になった。

明日朝からはじめることにし、今夜は花村萬月でも読もう。


明日の東京は酷暑となるらしい。
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「この国は海の国」
打ち合せ2時間。

話していて思いがけない交叉ぶりにおどろいた。
凸版の印刷博物館、GALA、空環研究所の田中俊行さん、建築の菊竹さん、環境システムの原田さん…さらに三菱グループ。

縁もさることながら、
話をしていて

  「この国は海の国」

というフレーズが唐突に浮かんだ。
だから、まぜてください、と思わずこぼした。

横浜に遊びに行った時に
ふらっと立ち寄って近代100年を振り返れる場所に
自分がからむというのも悪くないな…

それがいちばんだった。
ひさしぶりに全開できそうな仕事になりそうだ。
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秋のような風に押されて、新展開。
秋になったのかと思うほど
夕方から涼しい風が吹いている。


あれもこれも
じっくりと整理した。


演出ノートを新しくおろすように渡辺に頼む。


内原さんに送るDVD整理もできた。


明日から、新展開である。
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萬月の《ブルース》再読。★★★
文庫。92年の刊行時に読んでいるから十年ぶりの再読。
感想は、当時と同じ。尻切れトンボ。

ただ、その後の爆発の萌芽が、いくつも鏤められていることがよくわかった。

花村の小説は、主人公に違和が残り、
周囲の人間や世界そのものが
いつも魅力に富んでいるように思える。
そんなところも、
大宰を彷彿とさせるのか。

文庫の解説を北方謙三が書いていた。
作家の解説はつまらない楽屋落ちが多く
たいていは興ざめさせられるが、読ませた。
北方が乗り切っていることが、伝わってくる。
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机の塵を払った。
夕方、渡辺の電話で起きた。
はいずるようにしてバスルームに。

朝兼昼飯を食べ、机の上と周りを徹底的に清掃。
TもSもFも、容赦なく捨てまくる。
先週末から一週間かかったが、これですっきりした。

新しい展開に向かう準備としては、まあこんなところか。

兎小屋での菊池さん達のライブ、あきらめた。
渡辺がカメラとDATを準備して向かった。

とにかく頭とカラダを休めたい。
二ヶ月かけて澱んでいったすべてをかなぐり捨てたい。
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十六夜。二ヶ月。百時間。
3時過ぎにアップ。
階段が辛かった。

二ヶ月間でのべ百時間の本編集。
三十時間近いMAV。
いま自分がやれることの
ほぼすべてをやり尽くした。
思い残すこと、無し。

五反田のイマジカを出た時に輝いていた十六夜の月は
白い雲に隠れていたが…

どこへ帰ればいいのか
一瞬わからなくなっていた。

二度とプレゼンビデオを引き受けることはない。
ただ一回だけにふさわしい仕事をできたと、
今朝は思いたい。


もし夕方までに回復したら
築地で開かれる菊池さんたちのライブに顔を出そう。


編集の合間に
金庸の「天龍八部」第五巻を読了。
萬月の「ブルース」文庫版を途中まで再読。

終わったな。
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日本郵船歴史資料館ウエブページtext
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船の変遷 有史以来、現在、未来、にいたる船の変遷が一望できます。
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近代海運の芽生え 明治初期、新しい日本の海運界が近代化に向けて努力してゆ
く足あとがうかがえます。
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競争の中での成長 外国船との競争をはじめ、切磋琢磨して成長してゆく海運界
の記録があります。
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遠洋への飛躍 外国航路の開設など、世界に飛躍してゆく日本郵船の資料が展示
されています。
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世界への躍進 ほぼ全世界にわたる航路網を築いた時代の資料が紹介されていま
す。
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客船全盛時代 古き良き時代の、優雅な船旅が感じとれる展示物が揃っています。
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嵐の中へ 国家管理となり戦時体制に組み入れられた日本海運のつらい日々の歴
史が展示されています。
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ゼロからのスタート  太平洋戦争後、ほとんどゼロから出発した日本海運の復
興の足跡です。
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映像でたどる 
船の歴史、船の未来  さまざまな映像によって船や海にまつわるエピソードを
ご鑑賞いただけます。
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引き出し展示
当館では、館内に展示しきれないような資料を来館の方々にできるかぎり見ていただ
けるよう、引き出し式の展示も行っております。各コーナーの引き出しの中には、資
料が数多く収められていますのでご覧ください。
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|歴史資料館のトップへ戻る |休館日・料金・交通|
|優待割引へ |団体見学申込 |船の豆知識とよくある質問|


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船の変遷 ▲
むかし、大海原へ小さな丸木舟に身を託して旅立つには、大きな危険がともなったこ
とでしょう。しかし新しい何かを求める素晴しい勇気が、人類にはありました。そし
てそこから人やモノが交流し新しい文化も生まれたのです。
30メートルに及ぶ、有史以来、現在に至るまでの「船の変遷」のパノラマは、船の形
や機能の変遷であると同時に、地上の人類の交流の足跡であり、海へのあこがれであ
り、そして知恵と勇気の歴史でもあるのです。
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近代海運の芽生え ▲
四方を海に囲まれた日本は、一時その海を閉ざすことによって、独自の文化を熟成し
てきました。しかし「黒船」の来航で、200年以上も続いた鎖国の時代に別れを告げ
たのです。開国当時、日本の海運は日本型帆船を使用した沿岸輸送がほとんどでした
が、欧米諸国では、すでに高速帆船全盛の時代から汽船の時代へと移ろうとしていま
した。明治維新政府は、日本沿岸に進出してきた外国船に対抗するためにも、一刻も
早く海運の近代化をはかる必要に迫られていたのです。
このコーナーに展示されている資料では歴史書や維新を舞台とした物語に登場する多
くの人物たちが、海運会社の設立に努力する姿をうかがうことができます。
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競争の中での成長 ▲
明治初期の海運は、エネルギッシュな競争の時代です。それは明治8年、上海航路を
開設した三菱商会とアメリカの船会社との競争から始まり、日本国内の船会社どうし
の速力と運賃引き下げの競争、さらには発達し始めた鉄道網との競争などが激しく行
われていました。そして郵便汽船三菱会社と共同運輸会社との合併で誕生した日本郵
船は、切磋琢磨の中で力を蓄え、日本初の遠洋航路であるインド・ボンベイ航路を開
設しました。
このコーナーには、日本の海運会社誕生の資料が展示されています。また船によって
日本を訪れ、新しい日本の国づくりに貢献した諸外国の技術・学問の先達たちの足跡
を見ることもできます。
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|優待割引へ|


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遠洋への飛躍 ▲
海外航路への進出は、外国海運会社との新たな厳しい競争をも意味していました。し
かし20世紀を迎えるこの頃、日本は紡績業をはじめとし、造船・鉄鋼などの重工業、
さらには電力・電気産業も急速に成長し始めた時代でもありました。政府も外交進出
を援護し、黒船来航から40年あまりしか経っていない明治29年には、欧州・北米・豪
州の3大定期航路が一挙に開設され、船長・機関長などのポストもしだいに日本人が
占めるようになったのです。
このコーナーでは、日本の海運が日清・日露の2つの戦争の波にもまれながらも、た
くましく成長し、海の外へ向かって飛躍的な発展をとげる過程の資料が多く展示され
ています。
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世界への躍進   ▲
自由の気運が高まった大正デモクラシーの時代、日本は、アメリカ、イギリスに次ぐ
世界第3位の海運国へと躍進しました。大正4年(1915)に創立30周年を迎えた日本郵
船は、この時代、世界一周線・東航ニューヨーク線・ニュージーランド線・南米東岸
線・地中海線など13の遠洋航路を開設し、ほぼ全世界にわたる航路網を築き上げまし
た。
世界に空前の海運ブームが起きた時代でもありましたが、このコーナーでは、第一次
世界大戦、関東大震災での救援活動など、海運会社が果たした役割をもうかがうこと
ができます。
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客船全盛時代 ▲
昭和初期、サンフランシスコ定期航路のため建造された3隻、淺間丸・龍田丸・秩父
丸は”太平洋の女王”にふさわしい豪華客船として、国内外に好評を博し、欧州航路・
シアトル航路にも優秀船が次々と投入され、豪華客船の時代を迎えました。
このコーナーでは、当時、日本の西洋料理には「郵船式」と「帝国ホテル式」がある
と並び称された、郵船船上の料理メニューをはじめ、実際に使用された食器や館内イ
ンテリア、そして海外旅行のパンフレットなど、当時の優雅で豪華な船旅を感じとっ
ていただける展示物が多く揃っています。
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嵐の中へ ▲
華やかな客船時代も、満州事変、日中戦争とともに暗雲がたちこめ始めました。太平
洋戦争が始まるや、日本海運はほぼ完全な国家管理となり、海運会社の自由な営業活
動は事実上終わりを告げました。豪華客船は軍に徴用され、日本最大の客船としてデ
ビューする予定であった橿原丸、そして姉妹船出雲丸は、いずれもは航空母艦へと改
造されたのです。日本郵船が太平洋戦争で失った船は185隻、113万総トンにのぼり、
そのうえ多くの人命が喪われました。
このコーナーでは、日本人にとって、そして日本海運にとって、つらく悲しい日々の
歴史が展示されています。
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ゼロからのスタート ▲
太平洋戦争後、ほとんどゼロの状態からスタートを切った日本海運は、徐々に船腹そ
して航路の面で回復していきました。日本経済が高度成長するなかで、海運業は、船
の専用船化と大型化で距離のハンデを克服するという大きな役割を果たしました。
このコーナーでは、ますますグローバルになっていく現在、そして未来に向けて、船
の果たす役割を展望しています。世界の人々とともに発展していく海運の未来像、海
とのやさしい調和‥‥‥人と船と海の新しい歴史が創られていく姿をご覧ください。
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映像でたどる、船の歴史、
船の未来 ▲
チャップリンやヘレンケラーをはじめ日本の客船を愛した人々のプロフィール、サン
フランシスコ航路で活躍した龍田丸の様子、太平洋戦争レイテ島沖で沈没した能登丸
の乗船員による証言、ロサンゼルス港を舞台に編集された現在の海運のシステム‥‥
‥その他、海と船の取材映像記録のビデオソフトを随時楽しむことができます。また
オリエンテーションルームには、100インチビデオモニターがあり、壁には日本郵船
創業以来百年間の所有船750隻が壁画風に描かれています。
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日本郵船歴史資料館は、2003年春を目処に移転、リニューアルオープンします。

移転先は現在の資料館のすぐ近く。正面に並ぶ16本のコリント式円柱が目をひく横浜
郵船ビルです。クラッシックな歴史的建造物でのリニューアルオープン、どうぞご期
待ください。
なお、日本郵船横浜支店は引き続き同ビル内で営業します。



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開館時間: 10:00〜16:30
休館日: 毎週月曜日(但し祝日の場合は開館)、年末年始
臨時休館日 7月2日(火)〜5日(金) 及び 9月3日(火)〜6日(金)
入館料: ●一般300円 小中高生200円
 (15名以上は各100円割引)
交  通: ●JR・東横線・地下鉄桜木町駅から
  徒歩12分。又は、市営バス(1〜3番乗り場)「本町4丁目」
  下車1分。(26系統のみ平日「警察本部前」下車すぐ。)
  ●JR・地下鉄関内駅から
  徒歩10分。
所 在 地: 〒231-0002
横浜市中区海岸通3-9 TEL:045-211-1923
入館料: ●一般300円 小中高生200円
 (15名以上は各100円割引)

周辺スポット: ●開港資料館、赤レンガパーク、
ワールドポーターズなど
横浜市観光情報:横浜見るならここだ!
http://www.city.yokohama.jp/yhspot
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古来日本の多くの船名には“丸”がつきますが、その起源には諸説あります。主なも
のは、兵船を城郭の本丸・二の丸・三の丸に例えた事からくるという説、麻呂・麿が
転化したという説、特殊な刀剣や高価な品物に丸を用いたことによるという説、問屋
の屋号からきたという説などですが、定かではありません。
明治時代に発令された船舶登記取扱手続きに「船舶の名称にはなるべくその末尾に丸
字を付すべし」と規定されたことからさらに普及しました。

社内外の言い伝えによると、今や誰もが当たり前に思うカレーライスと福神漬けの組
み合わせは、明治35〜6年の日本郵船の欧州航路客船で考案されたといいます。福神
漬は高価だったので、一等船客のみに供され、二等・三等船客のカレーには沢庵が添
えらていました。

戦前まで世界の海を往来していた日本郵船の客船では、日ごと贅沢な食事が供されて
いました。中身は英語やフランス語で書かれており、さまざまな趣きある図柄が施さ
れたメニューは旅の良い思い出の品となったようです。太平洋の女王と称された浅間
丸のディナーを紹介しましよう。
昭和8年10月2日(金)

◆HORS-D'OE UVRES(オードブル)
くりぬきスイカのカップざくろシロップ漬け、ニシンの酢漬けピクルス巻きスライス
オニオン添え、鶏とピーマンのカナッペ、青と黒のオリーブ、トマトのマヨネーズ飾
り、チーズコロッケ
◆SOUP
コンソメコルベール、クリームスープ(アフリカ風)
◆FISH
ワイン蒸し大平目のクリームソースかけ
◆ENTREES
子羊の鉄板焼芽キャベツ添え、豚の上腰肉網焼きトウモロコシ平豆付甘酢ソースかけ、
ほうれん草のマッシュ湯煮卵添え
◆ROAST
ローストビーフ水芹と西洋ワサビ添え、若鳥のロース網焼きベーコンミモササラダ付、
粉吹芋と樽型芋の蒸し焼き、白ニンジンの天ぷら、スチームドライス(ごはん)
◆COLD
冷たい肉類ミルクで育てた子牛のロース、イギリス製ハム
◆SALAD
レタスと水芹のサラダ
◆SWEET
プリン、アイスクリーム ビスケット添え、リボンケーキ
◆SAVOURY(お口直し)
チーズと小さなパン、ナッツ、フレンチプラム、生姜の砂糖漬
◆FRUITS
りんご、柿、ネクタリン、コーヒー、アフターディナーミンツ(薄荷)


戦後大型旅客航空機が登場するまで、客船は海外渡航の唯一の交通手段でした。大
正9年の横浜/ロンドンの運賃は、一等客室が940円、二等客室が650円でした。総理
大臣の給与が月額1000円だった時代のことです。


http://www.nykline.co.jp/rekishi/index.htm
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とりあえず
スタンバイOK。
明日は10時からひさしぶりにイマジカの品川。
品川はポスターのHD編集以来になるか。
自転車で行こうか迷っている。

金庸《天龍八部》第五巻を午後からぽつりぽつりと読んでいる。

十三夜は雲間に見え隠れ。
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一堂に会す。
ほとんどの人とはフィナーレ以来だった。

Tの仕事の切れ目を塗っての3時間。
話したいことも聴きたいことも
無数にあった。

感傷ではあるが、
あの、森の博覧会がもたらした時間は
ほんとうに特別のものだったな、と
あらためて胸にしみた。

撮影監督の完周さんの挨拶に
鼻の奥が熱くなって困った。

山田さんとは6月の末に別れて以来一年ぶり。
あれからの3ヶ月とぽちのこと、一年後の風景など語り合いたいことがありすぎたので、何も語れず、握手だけをした。
含羞のある笑顔に久しぶりに触れ、うれしかった。

池田さんには地酒を送る約束をした。
この人の顔を見ると、いつも花泉を思い出す。

一年後にこんな会を開いて見せた
高橋さんの思いの底を見せられた気がする。
たかが仕事が、どこかでボーダーを越えることもある。
彼とも十年以上になるが、刮目させられた思いあり。

笛田さんの報告で
佐藤君が秋に結婚すると知った。
高校の同級生だとか。
むじなの若大将は名古屋ロケで欠席だったが、祝着である。

夜半に、冴え冴えとした月があがっていた。

さっき、今年はじめての蝉の鳴き声が聞こえた。


青柳さんと会えないのが残念だった。



今夜は待宵月。
七時少し前に十三夜の月が昇る。
久しぶりに公園で月見でもするかな。

二十三日朝 大暑
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10ヶ月ぶりになるか。
焦りつつ、Tの台本修正をアップ。
ウエブにアップし、PDFにしたものを添付で送信。

いや汗をかいた。
これから銀座。

30人近く集まるらしい…
さてみなさんどんな顔になっているのか。
夏休みが終わるのだと、思い至ったその夜に
なつかしい彼らと再会。そういうものだ。
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夏休みはもう終わる。
いつまで夏休みとってるのか!

とさっき井口さんからお叱りをいただく。
かれこれ一年になるわけだ。

長い夏休みだったが、
そろそろ休みを明けたい。
気付いたら
休むことに飽きていた。

夏が過ぎれば、アキが来る。

おやじだね、これじゃ。
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草莽枯れ行く★★★★★
1999年3月に刊行された時にタイトルが気になって買い、読まずに引っ越しのどさくさで消えていた一冊。
その頃は「三国志」できの悪さに、北方を読む気力も萎えていた。

連載中の「水滸伝」の、人が変わったような熱と迫力に、あらためて気になり出した。
一昨日の夜、六本木のABCで文庫判を見つけ、買った。

昨日から読み始めた。北方の「水滸伝」の執拗さの根っこが見えた、そんな気がする。

傑作だった。
その年に読んでいればベスト1だった。

北方版「水滸伝」の着想と展開はとどまるところを知らない。
梁山泊軍と官軍が最初の激突を繰り広げ、
108人の主人公の何人かはすでに倒れた。

太田竜が生きていて、平岡正明がもっと元気だったら
きっと大騒ぎして盛り上がったのだと思う。


こんな小説を読んでいると
仕事のすべてが空しくなる。
だから、大人は小説を読まない。

この国では、そういうことになっている。

「草莽枯れ行く」も「水滸伝」も一度も話題を聞いたことがない。
あたりまえか。
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青天の霹靂??
青天の霹靂、というほどのこともないが
ま、梅雨空の下でけつまづいというところ。

意外な展開でもあり、
ま、そんなもんだろうな、でもある。
あれこれいっても
餅は餅屋であった、と。
あきれつつ焦ってみたが、飽きているのもまた事実。

乗り切れないうちに東京は見事に梅雨明け。
聞いたら例年よりはやめの土用丑の日だとか。
夏休みも今日からだったらしい。

あれもこれもいっせいな感じにうちひしがれ
仕事を中断。放棄。

部屋に戻って、内原さんからいただいた
未来博の照明デザイン記録テープを見る。
三度、繰り返す。
ほぼくまなく見たつもりでいたが、さすがに見逃していた場所もあり。
シンプルでケレンのないつくりがとても良かった。

見直して、あの照明が3ヶ月でなくなってしまったことを、痛感。
継承とか継続、持続といった単語が浮かんでは消えた。

そういや昔「持続する志」なんて言い回しもあったっけ。

渡辺は梅雨明けを記念して沈みかけの月を撮ってくるそうだ。
12時半頃が今夜の月没らしい。場所は多摩川べり。10.4夜、若潮の月。カタチはぶざまだが、月光は冴えている。

日暮れ前、夕空に浮かんだ白い月を見た。


夏である。
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まずはなんとか
やっとアップ。
台本をなんとかまとめた。

同時に素材を取込んだ。

ひとねむりし、ビデオにまとめてもらうことにし
今朝はこれまで、とする。


眠くはないが
少しは眠ろう。
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のちのおもいに
《東京に未練はなきを肩にふる九段の桜 白山の雪》とふられた
コンビ結成20周年記念の短歌絶叫コンサート
「転調哀傷歌」CD
「弔い」ちくま新書
「朔太郎感傷」河出書房新社
現代歌人文庫「続福島泰樹歌集」国文社

福島さんからいただいた。


とても、仕事どころではない。
まいったな。

「転調哀傷歌」を聴きながら
この名を持つ歌集を読みふけった
二十代の無為の日々を思い出す。

矢口ノ渡。
多摩川べりの河口近くにたった
安普請の「マンション」。
正しくは「神庭マンション」。
仕事につくこともなく
その神の庭の一階の103号室で
十年近くを暮らした。

日課といえば
あてもなく多摩川べりを歩くこと。
「麗蛮」という名のコーヒー店で一杯のキリマンジャロを飲むこと。

暮れていく空を眺めること。


何を求めて何を願っていたのか
まったく空白の二十代を
共に過ごしたのが福島さんの
「エチカ・1969年以降」
「風に献ず」
「晩秋挽歌」
「転調哀傷歌」
などだった。

焦りもいらだちもなく
老人のように過ごした日々だが
ごくまれに抜けられない地獄の時間があった。
そんな折りには
福島さんの歌がひときわ救いとなった。

  「まあ、いいじゃねえか」

ただの一度もお目にかかったこともない
ひとりの歌人が一升瓶を片手に
目の前で敢然と微笑んでいるような
幻想を抱いた。


俺は酒を飲まぬが
彼の歌はいつも酒とともにあったように感じる。

幻の酒。


どう書けば、いいのか。
胸が、つまっている。

そのことだけを書いておきたい。

福島さん、ありがとうござました。
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萬月の《皆月》★★★★★
しかし、花村萬月がこんなにいい作家だと
どうして感じなかったのか。
今さらながら口惜しい。

《皆月》。
これはまさしく大宰。

深く、哀しく、凛々しく、おかしい。

読み出したら止まらず。
結局、夕方まで寝てしまった。
起き出して、反芻しながら飯を食う。

シャワーを浴びてなんとかオフィスに。
渡辺は福島さんのお宅に、
この間のライブの記録テープと
12年前の「絶叫20周年/浅草公会堂」をDVDに焼いたものなどを持って行った。

さっき福島さんから電話。
酒の弱い渡辺相手に居酒屋から喫茶店にまわってくれたらしい。
お元気そうな声だった。
自分が福島さんと電話で笑い声を上げながら
会話を交わしているということが
どうもピンと来なくてまいった。
ファン心理というのは、かくなるものか。

台本をさっと書いてしまおうと考えたが
福島さんの声を聴いたり
ドットマックのアプリをインストールしたりしているうちに
3時間が過ぎた。

これから戻りますと渡辺が電話してきたので
帰りに健寿司の折り詰めを頼んだ。

内原さんからビデオと報告書が送られてきた。
あんな照明デザイナーと知己を得ただけでも、
未来博の意味はあった。

このところ、いろいろなベクトルが
まとまってうねり出した…
そんな思いあり。
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悲しみは三拍子で鷲津を追ってくる…
《二進法の犬》光文社文庫版読了。
ラストをまどろみの中で読み流したので
目が覚めてから読み返す。

花村を好きではないが
読み直して感じたのは
彼は現代の大宰のようだということ。

初めて読んだときには見えなかった
多くのことが胸に染みた。
花村、この一冊においては、天才的である。

巻末の吉野仁の解説にはたまげた。
いつも頓珍漢なことばかり書く吉野だが
これもまたひどいものだ。
こんなやつに評論書かせるから読者が目減りする。
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サヘラントロプス・チャデンシス=《生命の希望》=トゥーマイ
700万年前だそうである。
74年の300万年前のルーシーから
すでに400万遡上。

これで生物種として互いに孤立した初期人類がパラレルに存在していたブッシュ説の駄目押しか。

ま、ふつうに考えりゃそうなるよな。
吉本さんは、30年前の対談でよくそんな発言をしていたっけ。

につけてもだ。
C案のとっかかりにはやはり反映させておくべきなのか。
ちょっとめんどくさい希望である。
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萬月の《二進法の犬》
文庫版が目に留まったので買った。
1000ページを越す文庫サイズというのは
しかし読みにくい。
先週末から持ち歩いて少しずつ読み進めているが、
厚さがなんとも暑苦しい。

4年前の暮れに読んだばかりなのに
あらためて花村の描きたかったことが突き刺さる。
芥川賞受賞第一作に、こんな小説を書くのだから
図抜けた作家なのだとしみじみ。

高校生の倫子の造形に舌を巻く。
花村の良い読者ではないが
《二進法の犬》。
こいつは確かにノワールだ。

まだ半ばほど。
慈しむように少しずつ読み進めている。

梅雨のあいまの二度の台風が去って
これで梅雨明けとなるようだ。

問題は
俺の梅雨がいつ明けるのか、だな。
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二つの記憶http://homepage.mac.com/torum_3/iMovieTheater557.html
森のひとの置かれていた泉のあたりに
水たまりができ、雨上がりの空を映していた。

内原さんの明かりに胸をつまらせた花の道は、
むせかえるような夏草であふれていた。

この二つのシーンが
七月七日七夕の記憶として強く残った。
一年前。その当日を俺は見ていない。

東京は台風七号。

なんだか七尽くしの朝となった。
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嵐を祝って2つのムービーをアップ
梅雨が明けないうちから、はやくも二つ目の台風襲来ですね。
直撃前の静けさなのか、今朝の東京はどこか不気味な気配に満ちています。

先週末に須賀川の未来博跡地を再訪した折の映像をまとめました。
とりあえず7月6日の分をアップしましたのでご覧ください。
整地された跡地には夏草が茂り、蛙とヒグラシと鴬と風の音が
サバンナのようにも見える跡地を満たしていました。

むじなの森は、
何ごともなかったかのように、
去年とはまったく異なった静かなたたずまいを見せています。

◎むじなの森 2002年7月6日午後4時―8時
http://homepage.mac.com/torum_3/iMovieTheater556.html



こちらは、「のちのおもいに」というタイトルをつけられた
短歌絶叫ライブの1シーン。
福島泰樹という歌人が、
立原道造の「のちのおもいに」という詩を題材に歌ったものですが、
跡地を高台から見渡したときに、僕も立原のこの詩を思い浮かべました。
須賀川から戻った二日後の台風6号の夜に収録したものです。
いつかむじなの森で、あるいは福島のどこかの森で
こんなライブを見てみたい…と夢想しています。

◎のちのおもいに
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater555.html


午前5時。
窓の外を眺めると
さっきまで見えていた東京の街が激しい雨に消えました。

どんな嵐になるのか。
すこし、心が騒ぎます。みなさん、お大事に。
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はやくも七号上陸。
台風七号だとか。

こちらはいきなり5案から3案にしぼられた。
梅雨も明けぬうちに変化が急だ。

いろいろなことのペースがアップし出したように感じている。
エンジン始動まであとほんのわずか、
そんな感触が濃い。


しかし、蒸す。
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東京は不思議な風の吹く夜になった
この風は何なのだろう。

頭を休めようと外に出ると
風の叉三郎に出てくるような
不思議な気配に満ちた風が夏の夜を吹き抜けていく。

東京とは思えない
濃密でありながら湿り気のない
気持ちのいい、嵐のような風。

夜空には白い雲が流れていき
いくつもの星が見えている。

どうしたというわけではないが
不思議な気配に満ちた夜。

人を少しだけ
やさしくさせる、そんな夜だ。
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「summertime'02-2」http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/i
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater553.html
嵐去りし朝
梅雨のさなかに台風が直撃という
なかなか含蓄のある夜が明ければ
東京はこんな朝を迎える。
嵐の夜には、
またいくつもの嵐が巻き起こったとか。
それもこれも、いつかは過ぎる。
そして、美しい朝が生まれる。
短歌絶叫ライブに眠れぬ朝を迎えた
一人の男が眠い目をこすりながら
その朝を撮った。
2002年7月11日木曜日午前5時-6時
東京蒲田にて撮影されたものに
あかりや菱沼氏の
summertime'02から一曲借用
この夏は、こんなふうにして
うつりゆく日々の表情をコレクションしてみたい
東京星菫派提供のsummertime'02と、名うって。
                 
7.13朝 T.M記
□撮影/編集  渡辺登紀夫
□音楽/菱沼コレクション
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振り向けばあいつの美しい無念が見える…
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater552.html

7月10日 吉祥寺曼荼羅 暴風雨の夜
これはその夜の記録のほんのさわりである。
「今日は嵐の中をありがとう。
電車がまもなく止まるんで朝までやることにしました。
朝、みんなで帰ろうぜ」
絶叫/福島泰樹 
尺八/菊池雅志 ドラム・パーカツション/石塚俊明 ピアノ/永畑雅人
ライブが終わって地下から上がると
ほんものの暴風雨ナイトが待っていた。
「振り向けば今も喝采が聞こえる。
戦っている俺が見える。
振り向けば心臓にこだまする汽笛が聞こえる。
家を出た日の夜明けが見える。
振り向けばほつれ髪の女が見える…
振り向けば倒れてゆくあいつが見える…
同じ夢に賭けたあいつの美しい無念が見える。
振り向くな、振り向くな。
男の後ろにあるのは、いつも果てしない荒野ばかりだ。
人生は終わりのないロードワーク。
何ひとつ終わったわけじゃないのさ、
さらば、友よ」
ひさしぶりに涙がとまらなかった。
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ぼくのなつやすみ2届く
ぼくのなつやすみ2海の冒険篇が届いた。
虫カゴが同根されていて笑える。

ちょうど台風一過の夏空の一日となったからいいタイミングだ。

前は四日目でストップしたままだったが、
さてこんどは何日まで遊べるか。
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嵐のライブと青空
今日は嵐で電車が止まったら、そのまま朝までやろうじゃないか、
という福島さんの口火で暴風雨ライブがスタート。
のっけから引きずり込まれ、涙が止まらない。曼荼羅の薄暗い照明に助けられ流れるままに没頭。
観客は学生が多く、立ち見も出る盛況。
嵐であちこちに被害が出ているにもかかわらず、さすがに絶叫ライブである。

菊池さんも石塚さんも永畑さんも嵐の気圧に後押しされたか
乗っていた。

3曲目というか3シーン目に
なつかしの「後の思いに」。
目を閉じて、木かげから昇る満月を思い浮かべ、
「天然の日本」でめぐったさまざまな情景を重ねていった。

終演後、別件があったので打ち上げにつき合えなかったが
細胞の隅々にまでしみとおっていく夜となった。

明けて11日。
嵐の後の夏空を、渡辺が撮影。

高い空に浮かんだ雲は、どこか秋を思わせる。
すでに35℃を越えたらしい。
東京もいよいよ夏か。

弁当を食いながら
昨夜のビデオを見ていた。
福島さんが「笛、菊池雅志」と紹介した直後に菊池さん本人から電話。

元気出して遊ぶことを約束。

デッキの調子が悪いのでしばらく休ませることにし小休止。
着替えでもしてこよう。
ゆうべの嵐が体中にはりついたままだから。
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マンダラ暴風雨ナイトへ
吉祥寺のマンダラで福島さんのライブ。
台風の影響はかなり出そうだが、これから向かうことに。

さてどんな夜になることやら。
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長野的結論の奇々怪々。
支持率66%の不信任。

どこか偏屈さのとれない垢抜けしない県だと思っていたが。

たとえ、選挙の時期がズレていたにせよだ。
近ごろ、これほど間抜けな話を聞いたことがない。

不信任決議の後のデータである。

総辞職すべきは言うまでもなく県議会議員。

役人も恥ずかしかったが議員も恥ずかしい。
教育県の名にあぐらをかいた偏屈な風土が生んだ奇形である。

田中康夫は嫌いだが、
このあっけらかんとしたバカ丸出しぶりには
言葉を失う。

理念は理解できるが…という昔懐かしい拒絶法が未だに生きていることがスゴイ。

冬季オリンピックの運営経緯も無残だったが、
ほんとうにしみじみ救いのない土地なのだと思う。
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ポチ二代目は「ちび」
http://homepage.mac.com/torum_3/iMovieTheater551.html

七月七日七夕。むじなの森、未来博跡地。
建設の頃から86日間の会期中。秋のさかりの十一月に再訪したときまでいたポチとは会えなかったが、
生い茂った夏草と早咲きのコスモスの間に見え隠れする一匹のノラネコがいた。
はじめは警戒しおびえていたが、腰を下ろし何度も呼びかけているうちに近づいてきた。
勝手に「ちび」と名付け、持っていたビスケットを砕いて放ると、食べ始めた。
すぐになついてきた。

森には「ポチ」と呼んだノライヌがいた。
その犬は冬から夏まで、現場で山田さん達のなぐさめになっていたという。
秋のさなか、解体された現場の跡地で、その犬と再会。
砦跡を託すつもりで「ポチ」と名付けた。

あれから九ヶ月。
ポチの姿はなく、一匹のノラネコと出会う。

むじなの森は、まことに興味が尽きない。
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http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater549.html
須賀川からの帰りに有明けの鎌のような月が昇った。
蒲田に着いてから、おれは寝てしまったが、
渡辺が夜明けを撮影。

菱沼さんがコレクションしてくれた
summertime'02から一曲選び合わせる。

東京も、こんな瞬間があるのだと
あらためて思い知った。

この空の後、今年最高の暑さとなった。
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断想7.8夜
小林さんと「れいの」で2時間話す。
イメージサイエンスにより、キースのビデオを貰い別れる。

俳優座の地下の土風炉で日比野と3時間、話す。
抱え込んだつもりの問題が、あっちにもこっちにも同じような状態であることを知り、苦笑。
だからといって、互いに軽減されたものがあるわけではない。
しかし、どこか寛いだ、まあいいじゃねえかという気分にさせされる夜になった。

日比野と別れ、タクシーでオフィスへ。
オフィスで2時間あまり過ごし帰宅。

水の底にいるような湿気が六本木の夜を満たしていた。
珍しくスーツを着ていったせいか、汗がひかず、サウナにいるようだった。

渡辺が今朝撮った夜明けの映像は、秋の空のようにも見えた。
東京の蒲田で、こんな夜明けがあることを知り、ちよっとおどろく。

スタートの日付を一日ずらしたが、
日比野との夜は、ある意味で端緒となったのかもしれない。

募っていく想いと消えていくこだわりが
渾然となっている。
さてどこから手を付けるか。
行くか。とどまるか。
切所である。

あの場所は、
最初のひとしずくが湧き出し、こぼれ落ちる、
そう考えてみる。
漆黒の森。群雲を吹き払って月光。
やぐらを四隅に。
観客は全方位に向かう。
弦。パーカッション。笛。ピアノ。絶叫。
正調会津磐梯山。そのさらに先鋭化バージョン。
自然発生的な踊り。観客の中から。
観客が同調するかどうかは問わず。
各地へ。キャラバンサライ。ノマド。
点在する水辺。湖。海岸。
二年あるいは三年後。
猪苗代湖。水上ステージ。
恒常化。と同時に偏在する。
パラレルに深化していくその象徴。コアとしての猪苗代湖。

いわき/相馬/白河/南会津/桧枝岐/びっき/二本松/柳津…

もう一つのシンボルは
一切経山…

終わりのない[祭り]
確認の場
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むじなからの土産物
午後まで起きられなかった。
起きたとき右肩に痒み。
湿疹ができていた。

むじなの森の雑草にかぶれたかと思った。
渡辺に電話。
もしかしたら野良猫ではないか、と。

昨日、クルマの中でノミに刺された感じがあったという。

見ただけではわからないが
いずれにしても虫かかぶれかノミか
むじなの森の跡地の土産。

そう思ったら
愛おしくなった。

痒みが愛おしいというのもおかしな塩梅だが
愛おしい。
忘れないで欲しい…
そう呼びかけられているようで。


小林さんと日比野から電話。
小林さんの方は五年ぶりになる名古屋の次作。
ただし競合。Dがらみなのでどうするかこれから会うことに。

あのときはキースやフランス人、国内、自分の分と4人分をまとめて俺がプレゼン。
勝ちはしたが、希薄な気分だけが残った。

日比野とは七時過ぎに六本木で飯を食べることに。
二年ぶりくらいか。
ヒマになったとは言いながら、
矢継ぎ早に入っていた伝言を聞くと
それだけでもなさそうだ。

今夜はrEDITのコピーを書いて、
それから「夜会」プランに入ろうと考えていたが、一日延ばす。

動きついでだから、
身体を転がしてみよう。

東京練馬は今年最高の34℃を記録したとニュース。

さていよいよ夏。
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一年後の七夕
金曜日の夕、思い立って福島へ。

さっき帰京。
むじなの森に、真の暗闇を発見。

未明に釜のように細い月が上がった。
有明の月。

帰路、東北道の大谷の先で、天の川を見つけた。
2002年の七夕は、夜更けに雲が切れ、晴れた。

未来博グランドオープンから一年。


むじなの森は、整地され雑草と野の花が
夏風に揺れ、カエルとヒグラシの鳴声があった。

野良犬ぽちの姿はなく、一匹のやせこけた野良猫が細い身をすりよせるだけだった。
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深夜のメール。
いま、宮本さんから嬉しいメールがとどいた。
郡山にメディアマーケットの支社を開設することにした、と。
火をつけた以上、あのままでは終われないから、とも。

これで、駒がそろった、そんな気がする。
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MADREDEUSの[海と旋律]の夜明け
1曲目のMATINAL/夜明けが気に入って
itunesに仕込み繰り返し聴いている。

ほんとうに何だか闇が青に染まり明けていく瞬間に立ち会っているような、
そんな気配に満ちている。

ポルトガル。リスボン。
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発火。
小山が一緒に行きたいとメールに。


あいつと出会った吐竜の滝で
DJシリーズの口火を切るというのも悪くない。
考えあぐねていても先に進めそうもないのだから、
まず、動いてみようと思う。


朝からの短い時間に
たくさんのことが一気に動き出した、
そんな感じあり。

桑田の「月」の助けか
星菫派の「月光」ゆえか
たんに、「時」がきた、ということなのか。

いずれでもよし。

梅雨空が青に染まったら、その日が出発。

DJシリーズ、行けるところまで行ってみよう。


売り先は、たぶんついてくる。
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「月」と山崎さんの死
埃に埋もれていた桑田の「月」を8年ぶりに見つけ、
ふと思い立って、5月末に渡辺が多摩川で撮った月光の映像に合わせてみることにした。
4分あまりの曲なので、この間の編集済みの素材をベースにスローをかけてつなぎ直す。
桑田は確か、この曲を亡くなった母親を偲んで書き上げたと記憶している。
その曲を、俺は父を偲びながら聴いた。

このままにするのもつまらないので
ウエブにあげてパスワードを設定し
知人達にアドレスを送り、梅雨見舞いのかわりにした。

最初に返信があったのが積水ハウスの新谷さんだった。
その返信に、昨日、山崎取締役が亡くなったと書かれていた。

ショックだった。
シャープでありながら上品な人だった。
積水ハウスの次のトップが、この人なら
と思っていた。

桑田の「月」が、
文字通り慰藉のための歌となった気がしている。

すぐれた人だった。
突然の死でありすぎた。
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「月」桑田佳祐
熱せられたアスファルトが毎日蜃気楼を東京につくりだしていた。
父が死んだ年の夏。ほぼ毎日、銀座の代理店に通った。
FMの番組企画で、きざなヒゲをはやした取締役の名刺を持つその男を相手に、
意地になって番組の企画を書き続けた。
春に倒れ入院した父が日ごとに衰弱していくのを見ていられず、目の前の仕事にしがみついた。
ラジオは信じられないくらい安かったが、
ひと夏の間、30本は書いたか。
書くために聴いていたFM局から、その夏、桑田佳祐の「月」という曲がよく流れていた。
父は秋の終わりに亡くなった。
その後で、「月」のCDを買い、冬の間よく聴いていた。
オフィスに来る前になにげなく本棚を眺めていて、
すき間に潜り込んで埃をかぶっていたミニCDを見つけた。
1994年の夏のこと。自分の体調も最悪だった。
書き上げた台本は渡辺が綴じて製本してくれ、オフィスの書棚に眠っている。
たしかNECの文豪とかいうとぼけた名前のワードプロセッサーを使っていた。
父の葬儀をすませたその冬に、ワープロをパソコンに変えた。
マックのパフォーマー575。長岡の勧めだった。
冬の三ヶ月、桑田の「月」を何百回も聴きながら、マックを覚えた。




「月」桑田佳祐


遠く遠く海へとくだる
忍ぶ川のほとりを歩き
果ての街にたどりつく頃
空の色が悲しく見える
ふりかえる場所は
はるか遠くなる
やわらかな胸に
抱かれてみたい
きみを見ました
月見る花に
泣けてきました
ああ……

蒼い月が旅路を照らし
長い影に孤独を悟る
人の夢は
浮かんで堕ちて
されど
赤い陽はまた昇る
啼きながら鳥は
何処へ帰るだろう
翔びなれた夜も
ひとりじゃ辛い
きみと寝ました
他人のままで
惚れていました
ああ……

夏の空に
流れる星は
騒ぐ胸をかすめて消えた
波の音に悲しみを知り
白い砂に涙がにじむ
罪深き風が肌を萌やすとき
酔いながら
人は抱かれてみたい
きみと寝ました
月夜の蚊帳で
濡れていました
ああ……

揺れて見えます
今宵の月は
泣けてきました
ああ……
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オー・ブラザー! ★★★★★
コーエン兄弟の[オー・ブラザー!]
レンタルビデオで。

コーエン兄弟の仕事の中では、たぶんこれがピカイチだろう。
スタイリッシュでファンタスチックで申し分なし。
久しぶりに映画らしさに満ちあふれた映画を見た。
DVDを手に入れよう。
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9ミリの挽歌★★★★★
ロブ・ライアン著/文春文庫


テリー・ホワイトの佳作「真夜中の相棒」にも似た、ホロリとさせられるところのあるクライム・ノベル。
パルプ・ノワールと書かれてはいても羊頭狗肉がほとんどだが、
これはま、その範疇。
堪能した。

第1作の「アンダードッグズ」を探すこと。
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仁義なき戦い/広島死闘篇+新仁義なき戦いを見る
室田さんを見たいと借りてきた仁義なき戦いを二本見た。
菅原文太が嫌いなせいか、やはりガサツでいまいちだった。
家であらためて見直すような代物じゃねえな。

雨。

1年前は、40度近い日があった。
梅雨寒というには、ちと冷えすぎではないか。
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その男を想う。
狂乱するブラジル勢を彼は見ていたのか。
過ぎてしまった90分の中の、合計しても数秒足らずの二つのシーンを甦らせていたのか。
NHKのキャメラは小刻みにスィッチングを重ね、その機微を伝えない。
試合中のキャメラワークが見事だっただけに、禍根が残るのではないか。

名を忘れたが、鬼のような形相をしたこのキーパーは、ややあってポールに身を預けながら腰を落とした。
両の目は、見るものに忖度を許さず、
爛々と見開かれていた。涙はなし。

表彰式の間、ドイツイレブンは一人として
笑顔の者なし。
こんな表彰式を見たことがない。

ブラジルを応援しながら見ていた。
3Rといい、ロナウドの悲劇と再生といい、
直前の誹謗中傷といい、
ブラジルには勝負の華があるように感じていた。
いい試合ではなかった。
ブラジルが圧倒したように、見えた。

だからキーパーの眼差しの強烈さを
最初の十秒ほどは見苦しいと思った。

時間が経つにつれ、その見方が激変していった。

キーパー自身が崩れ落ちるようにしゃがみ込んだときに、そのピークがきた。
狂奔するブラジルに当てられていたスポットがかき消え、
崩れ落ちた鬼だけがブラウン管の中に浮かび上がった。
涙が止まらなくなった。
そのあとは表彰式でのイレブンの笑みのない顔の群れに止めを刺された。

たいして興味もなく、ハードスケジュールとぶつかったこともあり、
まともに見たのは今夜がはじめてだった。

サッカーのことは知らない。

しかし、
鬼気迫る、凄絶な美しい敗者たちの群れを見た。
僥倖だった。

放送が終わっても、言葉がなかった。
涙だけがとまらなかった。


NHKに言いたい。
(もっともここで書いてもなんの意味もないけど)
せっかくの技術的な研鑽も
志がなければ無意味である。
ディレクターは必死でキーパーの映像をチョイスし続けるべきであったし、
キャメラマンは、崩れ落ちる瞬間を持てる力のすべてを出して収録すべきだった。
事実の前に、映像の迫力が負けていた。
情を報せることを情報と言う。
ならば問いたい。
この夜、NHKは何を世界に発信したかったのか。

その昔、ベトナムでベトコンが射殺される瞬間を撮ってピューリッツア賞をもらった
報道カメラマンがいた。
これは屑の仕事である。
事実の意味など、そんなものだ。



日本は、サッカーをやめたほうがいいと思う。
この国に、ノマドたちのフィールドは似合わない。


ディズニーランドだけでいいのではないだろーか。
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