2005年12月の記事


世界の中心で愛を叫ぶ★★★★★
WOWOWオンエア

一本百円の遠赤外線で焼いた焼き芋を近所のスーパーで売っているのを、この秋から冬にかけなんどか買った。今日もふと焼き芋が食べたくなってスーパーに。ほうじ茶を飲みながらまだ熱々の焼き芋を口に、なんとなくWOWOWをつけた。ちょうど映画がはじまったところだった。小説も映画もまったく興味がなかった。焼き芋を食べ終わるまでと思い、ぼんやりと見ているうちに引き込まれてしまった。涙があふれ、とまらなくなかった。日本映画も、いいじゃねえか。などと呟きながら、冷えてしまった焼き芋の残りを、さめたほうじ茶で流し込みながら、鼻をかんだ。忙しいときに見たら、きっと5分でやめていたと思った。大晦日のぽつんと空いた時間に、たまたまオンエアされていたことが幸運だった。行定勲のしなやかな力技を篠田昇のキャメラと中村裕樹の照明が際立った静謐さで支える、なんとも映画らしい映画だった。
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雪ロケのラフ編集終了。
日付が変わったところでアップ。去年と同じ、ことしもまた30日まで雪にからんだことになる。母娘が6シークエンス。情景が4シークエンス。計10シークエンスに編集。25分まで刈り込む。納得。挨拶代わりに、アドレスを関係者にメール。今年もこれで暮れていく。奄美と会津。真夏と豪雪。あいだに地の底に落ちていく吹き割れの滝。なんとも変化に富んだ後半戦だった。ま、よしとしよう。38年ぶり?の友人とも会えたことだしな。
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猛烈な吐き気
におそわれたのが未明2時ごろ。5時にジキニンをなんとか白湯でで流し込み、風呂にも入らずベッドに潜り込んだ。30分ほど前に目が覚めたときには、吐き気がなくなっていた。熱も出ていない。そっと起き出し水を飲んでみる。吐き気なし。考えてみたらこの10日間は一日3時間くらいしか寝ていないことに気づいた。仕事以外に発生したD2T問題対策のぶんが響いたのだと思う。昨日、ほんとうは+3時間は眠れるはずだったけど、水道の配管工事の音で起こされたのがひびいたのだろう。けっきょく食欲が出ず朝まで何ももともなものが口に入らなかった。インフルエンザだけが気になったが、少なくともそれはだいじょうぶだったようなのでひとあんしん。抱えた仕事量を考えたら、この年末年始はどこにも寝込んでいる時間がみつけられそうもないから。
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雑感
顕れてしまったのかストレートな表出なのか。とりたくもありとりたくもなし。1800オーバー。1100&700。ナンセンス。圧倒的現実。事実。本質。無・意味。情。迷。隘路。袋小路。視。ヴァーチャル。下。愚。超。仇。行き止まり。放擲。慕。
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もしかしたら…
何が起きたのか、一瞬、わからなかった。もしかしたら死んだのかな、とわけのわからない思いも過った。死んだと自分で意識するのもおかしなものだ、と思ったときに顔の右にYの頭が突っ込んできて「カントクダイジョウブデスカ!」と必死の形相で繰り返していた。そして頭の上の方から、ましさぁんといういくつもの声も聴こえてきた。ああ、おれは倒れているのだなと思った。それから誰かが雪が雪が、と叫んでいるのがわかった。Yが引きずり出そうとして引揚げてくれたときに防寒長靴の右が脚から離れていくのがわかった。屋根の雪が落ちて、その下敷きになったことをやっと理解できた。後ろにIがいたことを思い出し、姿を探した。崩れた雪に埋もれ影もカタチも見えず。自分たちがいたベースがあとかたもなく雪に押しつぶされていた。42inchPDPが乗った頑丈そうだったテーブルの脚の片側が折れ、残った方の陰になって助かったらしいことがわかった。Yが飛び込んできてくれなければどうなっていたのか。あらためてふり返り、肝が冷えた。館岩に行ったら、戻れないかもしれないと、つい数日前に書いたことを思い出した。吹雪続きの南会津にぽつんとあらわれた一日だけの冬晴れの午後の出来事。25日。館岩村のクリスマス。村は3メートル近い豪雪におおわれていた。
あのまま、終わってもよかったな、東京に戻ったときの最初の感想だった。そうすれば、もしかしたら悔いのないままに終われたのではないか。と。

エレベーターに乗って4階のボタンを押し
ドアが閉じた瞬間に鼻の奥が痛くなって視界がぼやけた。
泣きながら家に帰るわけにも行かないな、と
また1階に降りた。
ロビーでタバコを一本灰にする間、涙が止まらなかった。
会津に引き返し、冬の続きを撮らなくては、と
わけのわからない思いにかられていた。
なんとか気を鎮め、エレベーターに乗った。
風呂に湯をはり、柚子を放り込んでつかっているうちに
少しずつこわばりが溶けていった。

四日間の会津ロケ。成功。
われながら奇蹟のような四日間だった。
あれ以上の冬を、おれは生涯撮ることはないだろう。

目を閉じると、
まだ吹雪が続いている。
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四日間の冬の遠足
みたいなものか。現地は猛吹雪だそうである。
会津西街道もまた吹雪いているらしい。
現地設営チームから送られてきた22日午後の写真を見ると
3m大の雪だるまがほぼ全貌をあらわしていた。
その奥に、かまくらも。
ブルドーザーで二日がかりの作業も峠を越したらしい。
スタッフが写っていたが、猛吹雪で
まっすぐ歩けないように見える。
ひとねむりしたら6時過ぎに蒲田を出る。
六本木で撮影部に合流し、機材車に同乗。
東北道経由、会津西街道づたいに館岩へ。
後発組は午後一時、築地電通テック発予定。
日暮れ頃に先発チームを含め湯の花温泉末廣で合流。
本隊は、塩原、不動滝と雪景色を撮りながら。
気がはやる。
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さて、まいろうか。
件名: [yumekoujou:01071] さて、まいろうか。
送信日時: 2005年 12月 23日 金曜日 1:15 AM

超巨大3mの雪だるま、かまくらが
てぐすねひいて待ってます。
大雪の舘岩村末廣で逢いましょう。
会津西街道は名にし負う難所です。
峠越え前に腹が減ったら茶屋で
名物辛み大根そばや熱々のけんちんそばなどで
不安をおさえ、吹雪いてもまっすぐ道なりに突き進むこと。
いつか湯煙も見えてきます。
その昔、国土庁が日本でいちばん暮らしやすいと認定し
立松和平が日本でいちばん過ごしやすい村とほめた
舘岩村湯の花の源泉かけ流しも
冷えたからだを温めてさしあげたいと待っています。
http://homepage.mac.com/torum_3/iMovieTheater154.html

一年ごしの大願ですので
みごと成就するまで雪の里山から
帰っていただくわけにはいきませんが
せめて、ホワイトクリスマスと良質な温泉を用意。
みなさんの心意気には
雪とお湯で十二分におこたえいたします。

夢テアトル四季編の最終巻「冬-春篇」
いよいよ最終コーナーとなりました。
では、みなさん「奇蹟の四日間」を合言葉に
ひとつ盛大にまいりましょう。

初日23日のテーマ曲は
SLAVAのトリニティ-21世紀のアベ・マリア
慎重に、そして一人も遅れることなく、大胆に-
いざ、雪の会津へ。

   2005.12.23 未明 T.M


・23日も日本海側で大雪=新潟の停電、復旧めどなし [ 12月22日

 日本列島は22日、強い冬型の気圧配置が続き、上空の非常に強い寒気は西日本から
次第に北、東日本にも移り、広い範囲で大雪となった。新潟県の停電は、午後7時現在、
約3万6000戸に上り、復旧のめどは立っていない。新潟市は、高齢者らを対象とした避
難所を約60カ所開設した。
 近畿北部から東北の日本海側では23日にかけても大雪となる恐れがあり、気象庁は
警戒を呼び掛けた。
 同庁は、暖冬と予報していた今冬について、20年ぶりの寒い冬になると予報を修正
した。
 広島県庄原市と島根県飯南町では、年間の最大積雪を更新。22日に12月としての積
雪記録を塗り替えたのは、東北から九州にかけての15地点以上に上った。

・気象庁、暖冬の予報を「20年ぶりの寒い冬」に修正

 気象庁は22日、11月末に「暖冬」としていたこの冬(12月—2月)の予報を「寒い冬」
に修正した。12月の平均気温が記録的な低さで推移していることから一転「1985—86年
の冬に匹敵する20年ぶりの寒さになる」としている。

 同庁によると、今月20日までの月平均気温と平年との差は、北日本でマイナス1.9度、
東日本で同2.6度、西日本で同3度、南西諸島で同1.7度だった。これは北極圏が寒気を
繰り返し南に放出する「北極振動」という現象が12月半ばになっても収まらず、予想
以上に長引いて現在も継続しているため。

 それどころか1月半ばまでは続く見込みで、22日発表した3カ月予報(1—3月)によると、
1月の気温は「北日本は低い。東日本は平年並みか低く、西日本は平年並み」。北・東
日本の日本海側は平年より曇りや雪、雨の日が多く、引き続き豪雪が心配だ。
(22:10)
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魔力の女★★★★★
グレッグ・アイルズ著/講談社文庫 2005.11.15刊

巻末の解説で翻訳者の雨沢泰が、ミステリーともファンタジーともホラーともつかない奇妙なねじれのある作品としかいいようがない、と書いているが、同感。グレッグ・アイルズははじめて読んだが、なんともふしぎな味わいの小説を書く作家だ。カバーの写真には驚かされたが、読み終わってみれば、ほかにどんな選択があったのか、とも思う。
作者自らも冒頭でこう記している。

   「この小説はかなり常軌を逸している。
    だから、心して記憶と想像力を広げてほしい」

恐れ入りました。と書いておくしかない。
常軌を逸していながら、きわめてリアリティにも満ちている。
資質なのか、どうか。わからない。

原題 Sleep No More(2002)
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奄美越えの倉持さん
汗がひいたら、どうしても今夜のうちにcountdown1を出しておきたくなった。渡辺は昨日現地から送られてきた、ブルドーザーが雪ならしをしている写真を使うのでしょう?と言っていたので、そのつもりだったけど、あれこれ思い出しているうちに、雪の撮影のことを倉持さんと奄美の海辺で話したことに気づき、ロケ写真を探したら、海辺でタバコを吸っている倉持カメラマンの写真があった。「奄美越え」。これにしようと決め、countdown1を、そのくわえたタバコの先に配置。大きな画像のまま添付した。思い浮かぶままに8年前の雪かきのことや昨年晦日の「町の雪景色」などにふれ、メーリングを送った。いやなことがすべて過ぎて、今年はこのまま桃源郷となるのだ。来年こそは、あっちから離脱し、古河と福島に絞り込みたい。痛切にそう思う。
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その四日間のために…
始末がついた。れいによって一時間またされた。グチは出ず、お互い顔を見合わせて冷笑を浮かべながら、みなさん馴れた様子でことし最後の打合せを待った。帰り際に皮肉を放たれたが聞き流す。年内の自由を手に入れたことだけが嬉しかった。その後、ルノアールで3時間、SとK相手にお決まりの時間を過ごした。怒ってはいながら、もうどうでもいいなと投げやりになる気分を隠しつつ、堪えた。店を出たのが9時過ぎ。昼前に起きて何も食べていなかったから猛烈に腹が空いていた。代々木の踏み切りのところで美術部のWから電話。日本橋まで行こうか、と聞くとだいじょうぶですと笑った。雪だるまシーンを中心に細かな報告が続いた。腹がくうくう鳴った。隣の運転席では渡辺も腹を鳴らしている。14日から一週間。D2TのSとNは、いったい何をやってくれたのだろうか、とここ2日間の突貫工事をフラッシュバックさせながら、ため息が出た。Wがやさしい声でどうしましたと聞いてきた。笑いでごまかし、23日夜の再会を約し、通話を切った。それから六本木“れん”へ。撮影部に電話させたらさすがにみんな帰った後だった。渡辺とメンチとご飯とコーヒーで朝兼昼兼夜食をとった。赤ワインをグラスでもらい、自分自身に乾杯。くだらねえ時間によく堪えたと、夜の底でほめてやった。酔いざましにABCに寄った。気になった本を手当たり次第に買った。窓を開け、乾燥しきった真冬の夜気をたっぷり吸い込みながら蒲田へ。公園の脇にクルマを停め、30分ばかり密談。明日以降のプランをおおざっぱにシミュレーション。風呂を入れ雑誌とタバコを持って長い間つかっていた。汗が噴き出し、一年間のうっとうしい汚れがぜんぶ流れ出したように感じたのであがった。タバコを5本、灰にしていた。冷えた野菜ジュースと熱いほうじ茶を3杯飲み干したら、汗が止まった。買い込んだ本をめくり、年末に読む本のあたりをつけた。明日は会津ロケ準備。午後一にD2Tで衣装チェックをしたら、撮影部に向かう渡辺と別れ、街をぶらつくつもり。渡辺に、防寒用のくつ下、オーバーズボンなどを仕入れてもらうことにした。明後日23日は、7時六本木撮影部発。会津入りである。十二月は、このためだけに、いや九月も十月も十一月も、もしかしたら一月からずっと、この冬のロケのために、あらゆることをしのんできたような気さえする。四日間のために、すべてがあった。そうなったら本望だ。くそったれ。
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はや会津。
シャーメゾンの荒編集をとりあえずアップ。
ひとねむりしたら台本の手直し。
気持ちはすでに会津だ。

腹が減ったので
長崎皿うどんをそのまませんべいがわりに食いながら
編集していたら、うまかったが胸焼けがしてきた。
これからあんかけスープだけあたためて飲むわけにもいかないだろうし、後悔。
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朗報。
古河往復。
ついてすぐ佐藤さんから大阪の首尾を聞かされた。
これで満願成就。まずはめでたい。
餌台に鳥の来たようすはなかったが、
かわりに大漁となった。
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色眼鏡。
神楽坂の小料理屋でSと会った。
毘沙門天の手前の小道を入った店。
38年ぶりだとSが笑った。
16歳の面影そのままの笑顔を見ながら
変わらないな、と言うと
君も、と返された。
ロックアウトの前夜にかけた電話が最後で
そのとき「さらば友よ」と
当時流行っていた映画のタイトルを付け加えたらしい。
ひねたガキだったな、とは思ったが
それから一度も連絡をとらず
38年間会わなかったのだから
ま、たしかに「さらば」ではあったのだ。
webのメモや、ムービーを見て
おまえは変わらないね、と言ってくれた。
いや、女衒のような毎日だ、と答えながら
そうか、変わっていないと思ってくれるまなざしもあり得るのだ、
そう思ったら目の奥が痛くなった。
昔のままの柔和な表情ながら
Sの瞳にときおり強い力がこめられる。
ああ、いい顔になったな、
と思ったら、鼻の奥がつんとしてきた。
話し続けていたら、涙がこぼれそうな気がしたので
何度か入っていた携帯をきっかけに、
またの再会を約し別れた。
出がけに、店の年取った娘?さんから
あなたたち赤ふんの人?
と聞かれた。
ああ、赤ふんだよ、と二人で答えた。
赤いふんどし粉砕などと騒いでいた頃が
さっと過っていった。
至大荘、と言ったか。
日比谷の白ふん。九段の赤ふん。
興津の先の守谷湾だったか。
仕事に戻るというSと毘沙門の前で別れた。
おれも仕事に戻ろうと思ったが
クルマをとめかけ、ふと気が変わった。
そのまま神楽坂の裏道をたどり
坂下に降りた。
橋を渡り、土手に上がった。
市谷まで冬桜のの並木を歩いた。
そのまま外堀から神楽坂に戻り
何と言ったか、昔からある山小屋のような
喫茶店に入った。
まずいコーヒーと昔ながらのケーキを頼んだ。
あの頃は、このケーキを食べるカネがなかった
などとつまらないことを思い出しながら
苦いコーヒーをお代わりし
タクシーを拾って蒲田に戻った。
このところたまっていた
仕事がらみのうさがきれいに晴れていた。
さすが弁護士。
人の気持ちも救うのか、と思ったら笑いが出た。
今夜のおれは
Sの色眼鏡を通し
おれではないおれを見せられた
そんな思いが強い。
そして、そのことが
叫び出したくなるほど嬉しかった。
まだ、捨てたもんじゃない
そんな高揚が残っている。
38年。16歳。
おれはまだ4回線ボーイですらなかったはず。
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メールを1通
出すべきかどうか迷い続けながら書き上げ、けっきょく送信したところ。4年と5ヶ月。水引神社の2枚の写真を見ながら涙が止まらなかった。晴れ渡った水引のあの聖夜から丸4年。古河で合流し、買ったばかりだと言うスラヴァのトリニティ〜21世紀のアヴェ・マリア〜をフルボリュームで聴きながら濃霧の西会津街道を湯の花に向かった。雪に埋もれた宿についてひとふろ浴びて眺めた夜空にきれいな月が出ていた。窓をあけ、月明かりに照らし出された雪の村を見ながら三人で酒を飲み、森の祭りの話に酔った。それが21世紀はじめての聖夜だった。あけて25日は雲一つない真っ青な一日になり、水引に向かったのだ。五十嵐の痕跡を発見したのをきっかけに水引神社にまわった。そしてあの湧き水で手を清め参詣。誓いを交わしたのだ。同じ年の8月に満月を撮った翌日に参ったときに手に取れと言うように放り出されていた弓と破魔矢は、きちんと堂内の壁にかけられていた。あらためてその弓を手に、交互に誓いの矢を射たのだ。立ち会いは亡き五十嵐と、渡辺。埋め尽くした大量の雪。冬木立。湧き水。ほかにはなにもなかった。いらなかった。その夕、カネマンを訪ね上がり込み話し、伊南川を目に収め峠を越えた。その日、手渡された小さな人形は、まだバッグの中に入っている。あれから一度、バッグを買い替えたが、ずっと持ち歩いている。ホテルで宿で眠れない夜になんど慰められたことか。それから4年。

おれはいったい何をしているのだろう。どうして、こんなことを忘れてしまっていたのか。ほんとうに生きたいと思い描いた時間を、なぜ陽炎のようにあつかうことができたのか。なにが哀しくてここまで愚かにふるまえたのか。
おれの時間は、ここまでなのか。

水引に行ったら、帰ってこれるのか。
帰ってくるべきなのか。
わからない。
わからなくなってしまっている。
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壊滅的
としかいいようがない。この土壇場でD2Tの三人、まったく動かず。Sをのぞいて連絡も取れず。週末になるとほぼ決まって体調を崩し寝込んだと弁解され、どれだけの時間が過ぎたのか。不明。指折り数える気にもなれず。午前1時をまわったとき、クルマの中で全部放り出す、と吐き捨てた。もう新宿も古河もいっさい縁を切ろうという気分になっていた。D2Tがガンであることは百も承知だが、この見苦しい組織を相手に何かを修正し再構築していく気にはとてもなれそうもない。それぞれがばらばらにねじくれて誤差を拡大しながら後ろにしか進めない永久運動装置。それがあの三人組である。渡辺が、熱があるのじゃないか、と焦らなければ、そのまま引き返し決定打をメーリングしてしまうところだった。さらに30分、話し、クールダウン。なんとか暴言だけはとどめられそうになって別れた。ほんらいならば、すでに新宿案件を済まし、古河案件のプランを追加して送り終わって、風呂にでもつかりながら読みかけのミステリーをかたづけていたはず。昨日夜半に綱島で渡辺とKURAさんが打ち合わせた詳細は何の意味があったのか。その前日、雪の会津日帰りしその夜のうちにレポートを送ってみせたSUZUやHASHIの力技はどんな意味があったのか。東京駅から代々木に直行しSHIGと話しあってきた渡辺の行為はなんだったのか。思い返すと胸の泡立ちがおさまらず。世が世なら、プロダクションと衣装部まとめてたたき切ってやりたいと思う。敵前逃亡は、21世紀のいまも、たぶん戦場なら即処断のはず。平和で良かった。ニッポンで良かった。ゴミのように無意味で醜悪な週末となった。最悪である。不愉快千万である。
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恋と詩と革命の超大作ロマン
という帯が目に飛び込んだ。矢作俊彦の新作。文芸春秋刊。タイトルは「悲劇週間」。表紙はモネの「日傘の女」。
ページをめくると一ページ目の第一行は

 明治四十五年、ぼくは二十歳だった。
 それがいったいどのような年であったか誰にも語らせまい。

奥付の発行年月は2005年12月15日。

ま、買うしかないよな。矢作で恋で詩で革命だもの。
レジで支払い3軒となりのピュアへ。
髪を切ってもらっている間に20ページほどじっくりと楽しむ。
気持ちのいい文体に、呼吸がラクになり、いつのまにか一時間ほど寝込んでしまっていた。疲れているんですね、とやさしいコトバをかけられながら気持ちよく目覚めた。どこかで今年のキリがついたと、カラダの方がさきに納得してしまっていたようだ。年が暮れるなあ、と粋筋の年増の師走噺を遠くに聴きながら、また30分ほど寝込んだ。長い付き合いなので、そんなときに放っておいてくれるのがうれしい。首と肩を念入りにマッサージしてもらい外に。忘年会帰りのサラリーマンが黒い塊になって群れていた。収容所のワンシーンのように感じた。
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今夜も柚子湯。
会津北部に大雪・なだれ注意報が出た。天気マークは来週もずっと雪だるま。先月24日発表の長期予報から3週間。珍しいことに予報通りに推移してくれている。このままなら文字通りのクリスマス大寒波。凍てつくような冬景色のなかで誰も見たこともないようなdigitalwinterが撮れそうだ。この10年。チャンスがあっても手をこまねいて逃し続けてしまった、あれもこれもそれも…ほぼ手中に握れるだろう。春夏秋と揃えてきたHD900の情景集に待望の「冬」がシェアされる。新年6日に330inchスクリーンを仕上げたら、一気にdigitalJapanesqueにとりかかりたい。最後の1ピースが、あの舘岩村水引になるとは、因果は巡るとはこのことだ。無くなった五十嵐も、きっと笑ってくれることだろう。
渡辺たちは館岩に最終打合せに。夕がたまで連絡がとれずちよっと気になったが順調だったようだ。
気合いを入れるのに四谷に髪を切りに行く。
斉藤君とは神楽坂で再会することになった。たのしみである。

クナイプが切れているので昨夜から柚子湯に切り替えたが、やっぱり生はいいなあ。香りも温まりかたも格別。
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カポネ★★★★★
佐藤賢一著/角川書店刊
中世ヨーロッパから一転して近代アメリカへ。この倍は書いても良かったのでは…。にしてもラストはなかなか味わいアリ。良くも悪くも佐藤節で描かれたアメリカ物語だった。
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ことしさいごの満月
志賀の様子がなぜあんなにおかしかったのか最後まで不明。たかが仕事のやりとりでどうしてあれほど動悸が激しくなったり苦しそうになるのか。問い詰めても答えてくれないままに有栖川の先に消えていく枯れ木のような後ろ姿が目に焼き付いた。MAが終わったら長岡も誘って匠に行こうと考えていたが、志賀が弁明しないままに消え、長岡も出ていってしまったので後を任せ防衛庁先の匠を探した。2時間ほど話し馬場に送り渡辺を呼び合流。段取りを付けてから長岡たちと会いレンで晩飯を食べたと笑っていた。だったら匠で一緒になれたな、と後悔。期待のへぎそばはイマイチだったので、ま、それで良かった気もするが。いずれにしろ撮影前に東京で話す時間がとれたのははじめてのこと。渡辺のつくったロケハンレポートなどをもとに説明し、イメージを理解してもえたと思う。蒲田に戻りノドが渇いていたのでモスバーガーに寄りコーヒーを飲みながらここ数日の騒動などについて渡辺と。明日の館岩行きもあるので一時前に渡辺を解放する。戻ってML。カウントダウン7とする。今日は今年さいごの満月。メールを書くのに2時間近くかかり、それから風呂。柚子湯につかりヒゲを剃る。それにしてもSのアタマはどうなっているのか。どこを押したら志賀の動悸が苦しくなるような展開にできるのか。タガが外れているとしか思えない。深夜の宛先違いのメールといい、末期的としかいいようがない。
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さて、ここではないどこかへ。
なんと書き残せばいいのか。途方に暮れる。前だけを見ていたいと切望しても後ろにしか道が無い。ここでないことだけが確かなのだ。
ひさしぶりに福島泰樹の3年前の嵐の夜のliveを観る。「振り向けば」
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater552.html
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昭和歌謡大全集★
DVD。村上龍原作。
つまらないどうしようもない出来。とはいえ、ラストには腰が抜けた。判断留保。いや停止。今夜の気分では、ま、いいじゃねえか、というところ。それなしても、ではあるがな。
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それにつけても
寄ってたかってのなます切りである。なぶり殺しである。Sがダメなら、いままで11年にわたって彼に任せてきた側の責任はどうなるというのか。いい歳をした野郎が寄ってたかって陰湿なガキのようないたぶりかたは、何なのか。ダメなのはSにとどまらず。築地のの体質そのものがシステム自体が腐りきっているのだ。汐留もまた同罪。目くそが鼻くそを笑うという、陳腐すぎる落とし前が昨夜つけられた。せめて、ゲーム終了まで待てなかったのか。Sを外すことに異論はないが、梯子に乗せておいて斬りつけるというそのやり口が、どうにも腹に据えかねる。志など、片腹痛いが、あんな屑たちと、これからどうつるんでいけるのか。Sはなぜ矛を収めてしまったのか。どうして猛進しなかったのか。なぶられることに疲れ果てたのか。
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背中から
斬りつけられた傷はなんというのだろうか。
汐留も築地も、ほんとうに根っからの陰謀好きだ。
つくづく愛想が尽きる。
顔の向こう傷ならスカーフェイス。
一ヶ月以上にわたってなぶり殺していくようなえげつなさに
いまさらではあるが唾を吐いておきたい。
ゲームの真っ最中の出来事だった。
十四日の一日前。
Sの声は沈んで、重く、逆らう気力のカケラすら無かった。
力が足りなくて悪かった、と伝える以外にコトバなし。
身から出た…とはいえ
なにもこの冬いちばんの冷え込みの夜に
首切ることもなかろうが。
魚河岸の次は酒屋だそうである。
汐留の無芸、極まれり。
田舎者は、やることが泥臭い。

こっちも潮時というほかなし。
あんな輩と12年、つるんできたのかと思えば
おれも同罪。

それなしても汐留は
はしごを外したり
背中から斬りつけるなんて
姑息なことばかりが得意だ。

あきずに
ほんとうによくやるよ。
男の屑を広告屋というのだろう。

おれもまた、広告屋。
女衒、ぽん引きの連れで、ある。

笑うしかあるめえ。
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冷え込み
約6分詰め、構成を切り直す。虚しくはなるが仕事と割り切って淡々とすすめた。冬篇も書きたかったが、今夜は脱力。この冬いちばんの冷え込みだとか。明日はその冬篇の撮影打合せと、サウンドプランの打合せが二つ。15日には「窓」3つの音づくり。少しずつ埋まっていく。あとは予想通りに寒波となるかどうか。
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悲しき恋歌全20話★★★★★!
「悲しき恋歌」を最後まで観てしまった。
いままで観た韓流のなかでは群を抜いていると思った。
最後の巻は、途中から予測したとおりに展開したけど
予測通りに関わらず、涙があふれてとまらなかった。
ストーリーの予測をはるかに役者の演技が越えていったから。
ステージを見守りながら死んでいくあの演技は
しかしほんとうに素晴らしかったとしかいいようがない。
救いはないけど、こうなる他に20話に渡った
徹底した愛と友情の物語に幕は降ろせないよな
そう感じながら泣いていた。

暗転し、ああ終わったな、と思った直後に
さらにラストシーンが待っていた。

あの湖の母と息子のラストだ。
これはまったく予想外。

これは陳腐ではない。
救い、というのは
きっとこういうことなのだと思えた。
それでもなお悲しみを満面にたたえたパクヘイン。

なんといえばいいのか
ことばが、ない。

せつなく無念ではあるが
「これでいいんだ」と思ったよ。

これほど全編に渡って涙を流す男の演技を観たことがない。
これほど説得力のある涙の物語を観たこともない。

韓流「悲しき恋歌」。脱帽である。
このストレートな真情の表出に、ニッポンははるかにおよばない。
およばないのは半導体と液晶だけではなかった。
文化の根底を支える民族のパトスが、まったく別物である。
深く絶望し、敬意を払うべきである。
学ぶべきである。  おそれいりました。
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興ざめ
と書くのが正しいのかどうか。幽霊の正体見たり…という間抜けぶりである。過ぎていく時間のおそさが苦痛だった。ここでなにをしようとしているのか、とふり返るたびにため息が出た。もう充分だ。凍てつくような夜となる。
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何をいまさら「覚有情」。
打ち止めたい。と、いう思いが消えない。ひしが家に帰ってゆくなら、おれはどこへ帰りたいのか?葉の落ちた光景を前に立竦むような気分がいつまでも続いた。北関東特有のさびれた冬の気配が濃密に町をおおって、点灯しはじめた豆電球が去年の夢の跡のようで寂しさをかきたてていた。歳月は人を深めるのか否か。町を、住まいを…。その冬ざれた景色の底でよどんだ会話がいつまでも続いた。屑によって語られる屑の物語が電線に引っかかった迷い凧のように木枯らしに揺れていた。たとえ、場所に思いを注げたとして、こいつらにはムリなのだ、と痛感。痛感しながら、ひとはなぜ情だけで関わってはいけないのか、とガキのような想いに足をすくわれる。帰りの東北道は、沈みかけた冬の三日月が冴え冴えと輝いていた。あばよ、とでかかったそのひとことを、結局は飲み込んで帰ってきてしまったのだ。おれは。それからほぼ2日間、うんざりしながら集中。どこへも出かけず誰とも会わず。集中していれば、世界にこもれてしまうことにうんざりしながら今夜早い時間に脱稿。そしてムービーも同時に荒編アップ。やればできる、とも、こんなものだからできたのだとも。アップしたら会おうとは思っていた。しかし足が止まった。なにがかきたてていたのか、いまとなっては闇。ばからしい、という気分だけが色濃くなっている。季節に負けていくのだろうか。コンビニにタバコと茶を買いに行ったら、漫画本のコーナーにバロンの柔侠伝。思わず手に取ったが、そっと戻した。何をいまさら「覚有情」。
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こんなものか。
昨日は大阪日帰り。くそ寒かった。きょうは古河日帰り。やはりくそ寒かった。こんな温度の低い相手にあれこれ思い迷っていたのかと思ったら、しみじみバカらしくなった。デニーズを出たら夜。帰りの東北道に沈む三日月。蓮田で休憩。途中いくどかメールと電話でやりとり。潮が引くようにカラダがやわらかくなっていいくのがわかった。興味が音を立ててうすれていった。
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