2005年05月の記事


ひさしぶりのシロクマ代理店
2案をH氏に送り、レイアウトをすませたところ。
現時点で明日のプレゼンの時間は不明らしい。
いくらシロクマ並の代理店とはいえ
それはねえだろうとあきれ果てる。
たぶん代理店として扱われていないのだろう。
舐め切られているのだろうと同情も。
こんなの相手にゆうべは怒り狂ったのかと振り返ると
なんだか気が抜けるぜ。
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クレイジーキャッツの万葉集
ロケハンをとりやめ昼過ぎまで寝たが鼻が鼻水でかちかちに固まって苦しくて目が覚めた。
イヤな夢を数えきれないくらい見続けた気分だけが残っていた。寝汗でベッドパッドまでぐっしょり濡れていた。水の底で寝ていたような気もする。
うんざりしながら、タイプBにとりかかる。
途中でH氏から絵コンテ5カットが送られてきた。まあまあ。
あわただしいやりとりにもかかわらず、ありがたい。すこしいい気分になったので途中まで書いたBタイプを捨て、取り組み直す。参考写真を添えH氏に送信。
飯を食ったらCタイプにかかるつもり。

本日のBGMはドリフのズンドコ節とクレイジーキャッツの万葉集。

ま、いいじゃねえか。
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エンカな夜になってしまったぞ
コンテの資料にしてもらおうと
“極上の宿”特集の雑誌を買いに寄ったABC六本木店で
“非国民”の森巣博の新作が目に飛び込んできた。
タイトルは“蜂起”。

こんなもの買ったりしているからダメなんだよな、おれは。

それにしてもほんとうにイヤな夜になってしまった。
悪いな、と席を立つべだった。

帯には東京壊滅!とある。
世情騒然、人心騒乱ともある。

地震ではなく、蜂起で、ね。

壊せ。壊し続けよ。ともな。
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鳶がクルリと★★★★★
ヒキタクニオ著/新潮社
乃南アサの重苦しい世界の後ではまことに
五月晴れのような一冊。
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7時から
これから五反田へ。
Vの打ち合せ。
久しぶりに絵コンテの服部氏とも。
リニア騒動以来の顔合わせだ。
ややカゼ気味。クスリをのむ。
それにしてもこのところ
午後7時から、という打ち合せが多い。
なんだか飲み屋関係のようでおかしい。
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晩鐘★★★★★
乃南アサ著/双葉文庫/上下巻
上下合わせて約1500ページ。
風紋が約1000ページだから、
この一つの事件が巻き起こした複数の家族たちの
7年間の物語は2500ページの大作となっている。
これだけの枚数を費やされてもなお、飢餓は残る。
乃南アサが素材とした世界は、救い難いほど深く濃い闇だ。
救いはがないにも関わらず、読まれるべき物語のひとつではある。

今様“罪と罰”。乃南、大才である。

不用意にジャンル分けされることがなければ
この物語はもっと大きな波動を引き起こしていたはず。
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風紋★★★★★
乃南アサ著/双葉文庫/上下巻
タイトルがどうして波紋ではなく風紋なのか
最後までわからずじまい。しかしたいへん面白かった。
その7年後の世界を書いた「晩鐘」を引き続き。

「晩鐘」の方はまあまあなのだが双葉社は
どうしてこんなにセコイ本づくりをするのだろう。
「風紋」の字詰め行詰めには呆れ果てた。
文庫本は、まず二流の出版社のものは造本が二流なので
しかたないとはいえ、これは稀に見るヒドサだった。
マンガヤだものな、と思いながらも苛立ちが消えない。

乃南は、こんな造本になぜOKを出してしまったのか。
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再生巨流★
楡周平著/新潮社
宝島からデビューした三文小説専門の楡の新作が
新聞で話題になっていると取り上げられていたので読んでみた。
ペケはやはりペケのままであつた。
どうでもいいが楡の日本語はどこかの町会長のお知らせのようで
やたらし古くさい表現が目立つ。接続詞を漢字にするなど
いったいどんなワープロを使っているのだろうかと、気になる。
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はや夏休み
眼科に行ったが予約システムが゜変更になっていて
今日はムダ足となったが、
建物の周囲の緑がすっかの初夏の色になっていたので
ちょっと気晴らしになった。
27日に再予約を入れてきた。
帰りに駅ビルに寄ってひさしぶりに崎陽軒のシューマイ弁当と夕刊フジ。
ぽっかり空いた午後をシューマイと松井の記事で過ごす。
Vの打ち合せは明日夜7時に。
古河のメモは今夜か明日には書くつもり。
夏休み初日のような午後となる。
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6時間打ち合せ
9時半から2時過ぎまで都合4タイトル分の原稿チェック後
ルノアールで別件2時間打ち合せ。
いや疲れた。
涼しくなるということだったがもわっとした天気で
東京の緑は薄汚く見えた。
ちよっと、ダウンだな。
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死んだ子の
年を数える…
というが
2年前の夏の終わりに書いた
シナリオ化のためのメモを
読みながら、苦笑がもれた。
その子は、二歳になったことになる。
笑えるじゃねえか。笑うしかねえじゃないか。

このままに手を入れさえすれば
少しは気の晴れるものになるだろうに、
頭ひとつ下げてくれれば、
いくらでも応えてやれるのに。
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凶気の桜★★★★
ヒキタクニオ著/新潮文庫
映画の出来はマンガだったが原作はなかなか。
監督がダメだったのか脚本が悪かったのか
持ち込んだという窪塚洋介が勘違いしてしまったのか。
ちよっともったいなかったな、というのが読後感。
気になったのでアマゾンに未読分5冊を発注。

"鳶がクルリと"
"消し屋A"
"アムステルダムの日本晴れ"
"ベリィ・タルト"
"青鳥"
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3案、とりあえず。
プランを3つ、添付で送る。
もうすこし膨らんでいたような気分があったが
予算規模を聞くのを忘れていた。
ま、こんなところか。
これで11時からヤンキースを見られる。
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朝飯前の一仕事。目標5案
7時からはじまった打ち合せが11時近くに終わり
急ぎで帰って晩飯を食い、風呂に入り
「半島を出でよ」下巻の残り200ページを読み終わって
午前2時半。
目覚ましをセットし、眠りにつく。
セットした時間より30分はやく目覚め、シャワー。
これからVにとりかかる。
でき次第、おくってほしいというオーダーだったが
村上の残りが気になりすぎたのと睡眠が欲しかった。
久しぶりに脳がすっきりと晴れている感じ。
では朝飯前の一仕事。目標5案。とりかかる。
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半島を出でよ/下巻★★★★★
村上龍著/幻冬社刊
読了。
十本のシナリオができそうなコクである。
ただ、後半にかけては飛ばしすぎの感もあり。
いずれにしても、
これだけのものを書き下ろさせる
幻冬社のパワーもまた、おそるべし。
疲れた。
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私という運命について★★★★★
白石一文著/角川書店刊
書き下ろし。
いい小説だった。
村上龍の“半島を出でよ”下巻との
インターバルのつもりで読みはじめたが、
引きずり込まれ、最後まで。
主人公の亜紀という女性が
岐路を迎えたことになる2004年10月23日の夕、
おれは三田のスタジオで
“秋のクリスマス”の編集中だったな。
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五月雨というより、氷雨。
涼しいというより、寒い。
五月雨というより、氷雨。
湾岸を走っていたら
正月の夜のようにクルマが少なかった。
寒くて、みなさん家にこもっているのだろうか。
ロケ用のパッチを着込み、過ごす。
昨日の2件の新しい仕事は、それにしてもいい気分転換になりそうだ。
なによりテーマが近似値であるのが嬉しい。
季節外れの寒さとは異なり
風向きはたしかに、五月。
うれしいじゃないの。
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半島を出でよ/上巻★★★★★
村上龍著/幻冬社刊
やっと手を付けたら、一気に読まされた。
圧倒的な想像力である。
疲れたので、インターバルが欲しいほど。
下巻は、ちよっと時間を空けて読もう。
発売日に編集中にABCで買ってタイミングをみはからっていたが
予想通り、体力勝負の内容で
発売以来一ヶ月もしないのに35万部うれたというのが信じられず。
こんなハードなストーリーをそんなにたくさんの人が読んでいるのか。
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陰翳礼讃から輝度礼讃へ /参照
陰翳礼讃から輝度礼讃へ

 33年(昭和8年)、文豪谷崎潤一郎は著書『陰翳礼讃』の中で「美というものは、常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰影のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように、陰翳を利用するに到った。事実、日本の座敷の美は、陰翳の濃淡の美によって生まれているので、それ以外に何もない」と述べている。谷崎の『陰翳礼讃』は、当時の日本人の「あかり」に対する美意識を決定づけるものとなった。さらに谷崎は続けて、和室のほの白い紙障子に触れて、「春夏秋冬、晴れた日も曇った日も、朝も、昼も、夕も、殆どそのほの白さに変化がない。(中略)−ほの白い紙の反射が、床の間の濃い闇を追い払うには力が足らず、却って闇に弾ね返されながら、明暗の区別のつかぬ混迷の世界を現じつつあるからである。…諸君はそういう座敷へ這入ったときに、…時間の経過が分からなくなってしまい、知らぬ間に年月が流れて、出てきたときは、白髪の老人になりはせぬかというような、『悠久』に対する一種の怖を抱いたことがないであろうか」。
 ここで谷崎潤一郎は、戦前の日本家屋におけるほの暗い(ほの白い)明かりの中に、日本人の明暗感、美意識を見いだそうと試みた。前述したように、私たち日本人は陰影の濃い生活環境のなかでは、その陰影の細かな「ゆらぎ」に対して愛着を持ち、そのほの白さ、ほの暗さのなかに美を発見してきたのである。しかし、この「陰翳礼讃」の美意識が現在まで続いているかというと疑問が残る。
 谷崎が『陰翳礼讃』を書いた昭和8年ごろの日本家屋の明るさは、平均80ルックス(ルックスは面積当たりに入射する光の量を表し、明るさの単位として使われる)と言われている。しかし、現在、私たちの住居やオフィスは平均400ルックス以上であり、煌々とした蛍光灯の白じろとした明るさの中に、私たちは住んでいる。谷崎のころの5倍の明るさであり、蛍光灯は極めて陰翳に乏しい環境をつくり出す。現在、わが国のオフィス、家屋の照明が、まるで昼間のように「白々」と輝いていることは、多くの人が指摘しているところである。
 このような生活環境では、人々の美意識は「陰翳礼讃」から「輝度礼讃」へと確実に変化している。「輝度礼讃」の環境下では、高彩度、高明度の色彩、白・黒、白・赤、赤・黒などの対照トーン配色が好まれ、逆に曖昧な色、淡い色、中間色などの色は、その特色を喪失して、嫌われるようになる。特に演色性の高い照明器具の開発、カラーテレビの圧倒的な普及、生活環境の映像化、デジタルカラーの登場のなかで、私たちは高彩度、高輝度の色彩に取り囲まれている。このような環境下では、谷崎の説く「陰翳礼讃」は喪失し、鮮やかでコントラストの明確な色彩への嗜好が強くなっているのである。

 以上、日本人の色彩感覚は、かつて照明度の低い生活環境で養われた色彩感覚−陰翳礼讃、地味色、暈しなどの生活色彩−から脱皮して、高彩度、高輝度、明確なコントラストの配色などに変容しつつある。モダン・モダンのなかで埋没しつつあった高彩度、高明度、高輝度の色は、今、ポスト・モダン色彩として蘇生しつつある。日本人は、無彩色を中心とした色彩を基底にして、一層鮮やかで、明快な色彩感覚に変わっていくと思われる。
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新しい日本の色/参照
新しい日本の色—黄、緑、オレンジ
 伝統は受け継ぐと同時に、新しく創造していくものである。時代が変転し、風土や環境が変化していくのに応じて、人々が前世代から受け継ぎながら、不要な部分を捨て去り、そして新しい部分を創造したり、付加していく。これが伝統なのである。前述した数々の色彩嗜好は、幾星霜の年月を経て、今日まで伝えられた伝統の色である。今なお、この現代にあって、呪術的な色彩の生命は薄れても、視覚言語的な役割や日本人の感性を表現する色として生き続けている色である。しかし、現代には現代にふさわしい、また現代だからこそ出現してきた新しい色彩がある。
 私たちの生活環境のなかで、今、新しく出現してきた色があるだろうか。それは黄色、オレンジ、緑、紫。これらの色は、私たちの先人たちが比較的、人為的に生活のなかで使うことのできなかった、また少なかった色である。黄色、紫色は、かつて高貴な人の色であり、禁色として庶民が使用することの少なかった色である。緑は青の範疇と数えられ、自然には存在したものの、意志的に作り出されることの少なかった色である。そしてオレンジは、赤のバリエーションであり、オレンジが独自な色として認識されたのは、ごく最近のことである。これらの色は、豊富な色材、新素材、視覚言語の多様化、あらゆる商品における新奇性の追求を背景にして、新しい日本の色として、自動車、家電、情報機器、標識、パッケージデザインなどに単独、または無彩色と組み合わされ、新しい色彩として登場してきている。これらの色は従来の伝統色とともに、また現代の新しい色となっていく。
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粋・意気色への嗜好/参照
粋・意気色への嗜好—青、鼠、茶色への嗜好
 江戸時代、江戸町人は度重なる幕府の奢侈禁止令(絹織物を着てはいけない。赤、橙、黄色の着物を着てはいけないなど)や公卿、武士階級に反発して、藍、鼠、茶などの地味色の中に「美」を発見し、これを「意気」「粋」に通ずる色として愛でた。特に経済的に裕福になり、実質的には公卿、武士階級を凌駕した江戸の町人たちは、上方(関西)文化や公卿、武士に対する反発から赤色を着用する御殿女中を揶揄して、これを「野暮」、地味色を着る江戸前の女性たちを「粋」とした。
 九鬼周造は著作『いきの構造』において「第一に鼠色は『いき』なものである。鼠色、即ち灰色は白から黒に推移する無色感覚の段階である。そうして、色彩感覚のすべての色調が飽和の度を減じたときは灰色になってしまう。灰色は飽和度の減少、色の淡さそのものを表している光景である。『いき』のうちの『諦め』を色彩として表現すれば、灰色ほど適切な色は他にない。第二は褐色すなわち茶色ほど『いき』な色として好まれる色は他にないであろう。『思いそめ茶の江戸褄に』という言葉によく表れている。また茶色は種々の色調に応じて実に無数の名で呼ばれている。(中略)第三に青系統の色は何故『いき』であるか。(中略)青中心の冷たい色の方が『いき』であると言いうる。紫のうちでは赤がちの京紫よりも青がちの江戸紫の方が『いき』と見なされる」などと述べている。
 以上のように久鬼周造は、江戸町人の「いき」色について、青、鼠、茶色を挙げた。江戸町人たちは、特に茶、鼠の微妙な色調の相違を愛で、「四十八茶、百鼠」として愛好し、この2色の地味色に限りない愛着を示した。これらの色は「わび茶」の創始者・千利休がことのほか愛好した色−茶室、備前、信楽の器、鼠志野−であり、この伝統は今日まで、ナチュラルカラー、エコロジーカラーを愛好する色嗜好とつながっていく。
 また青色は藍から生まれた色であり、江戸時代以前から、労働着、野良着の色として、ことのほか愛好されていた。特に藍染の藍は、江戸時代には奢侈禁止令の影響から、一般町人の街着として定着して、「いき」を代表する色として愛好された。
 この青(藍色)に対する色嗜好は、現在まで脈々として継続しており、さまざまな機会に現れている。特にファッションの分野では、58年、アメリカ映画『初恋』の折、モーニング・スター・ブルーとして流行したのをはじめとして、ジェームス・ディーン主演の『エデンの東』『理由なき反抗』以来、ジーンズ(元来はアメリカ・カウボーイの労働着である)が定着し、その後も、88年(昭和63年) の青ブーム、99年(平成11年)のジーンズブームとして、今なお流行を続けている。
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「バサラ」の系譜/参照
「バサラ」の系譜—コントラストカラー配色

写真2 陰陽五行説に基づく大相撲の青房、赤房、白房、黒房

 「バサラ」とは、室町時代に近江の戦国大名の佐々木道誉が、反体制の象徴として、奇想天外な衣裳を着用し、奇抜な行動をとったところから、これを「バサラ」と称して人々が揶揄したのが始まりと言われている。同様に東北の大名伊達政宗が上洛したとき、やはり伊達家・家臣一同が奇抜な衣裳を着て登場したため、「バサラ者」「ダテ者(伊達者)」と持て囃された。「バサラ」とは室町時代の流行語で、婆娑羅とも、時世粧とも書き、乱世の時代に反体制の象徴として、派手に見栄をはることを意味した言葉であった。
 以後、この「バサラ」の系譜は、織田信長、豊臣秀吉、小早川秀秋、上杉謙信などの奇抜な形態、大胆な模様、対照的な配色の衣裳、千利休の高弟古田織部の奇抜な陶器などに受け継がれていくのである。
 では、これらの「バサラ」の色はどのような色であろうか。有名な小早川秀秋の陣羽織は赤い羅紗地に黒の鎖鎌の模様という大胆な構図であるが、この陣羽織の特徴は赤地に黒を配したコントラストカラー配色にある。また伝上杉謙信所有の袖替陣羽織も前身ごろは黒一色で、両袖が真紅の陣羽織である。このように「バサラ」の色は、高彩度の赤と黒、赤と白、黒と白、白と青、黒と黄などの無彩色を基点にした高彩度色との配色が特徴になっている。
 古来、わが国では陰陽五行説に由来する色彩の対比関係は日常生活で重要な役割を果たしていた。祝儀の際の「五色の幕」「紅白の幕」「紅白饅頭」「紅白の水引」「青白の水引幕」、不祝儀の「黒白の葬式幕」「黒白の水引」「黒喪服(白の紋)」や「黒白の弁慶格子」をはじめとして、お白州の「青白の紗綾形襖」など数多くの事例をみることができる。また日常生活でも「赤勝て、白勝て」「赤組、白組」「赤鬼、青鬼」「赤旗、白旗」「青柿、赤柿」「青りんご、赤りんご」「白黒の海鼠壁」「黒白をつける」などさまざまな言葉や諺として、今日でも使われている。そしてわが国の国旗「日の丸」は周知のように「白地に赤く」である(図2)。
 以上のように、私たちは、典礼儀式、民俗行事、ハレとケなどの生活のなかで、明確な対比関係の配色を昔から好んできた。赤と白、赤と黒、黒と白、白と青、白と紫など、枚挙にいとまがないほどである。また日常生活の風景−青々とした緑色を背景にした神社・仏閣の赤い鳥居や建物、紺碧の空に映る満開の桜、初秋の白いススキと白団子、白秋を彩る紅葉・黄葉の風情−などコントラストの明確な色彩の彩りに、日本の美を見いだしている。
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黒色の系譜/参照
 中国に「夫れ玄黄なる者、天地の雑なり。天は玄(黒)にして、地は黄なり」という言葉がある。「天の色は黒であり、地の色は黄色である」という意味である。また陰陽五行説では、黒は北(天国、浄土の方向)の色であり、季節は冬に対応し、聖獣では玄武(蛇+亀)が配当されている。いわば東洋哲学では、黒は天の色、すべてを束ねる色であり、最も尊い色であった。また老子の言葉に「玄の玄、衆妙の門」があり、その意味は「黒は幽玄の色であり、生死を超えた、あらゆる優れた道理の源である」と説いている。さらに7世紀半ば、殷仲容は「墨は五彩を兼ねる」として最初の水墨画を描いた。これは墨色は天の色であり、すべての色を統括して表す、最も代表的な色であるという意味である。
 以来、有彩色の西洋絵画に比し、黒色の水墨画は、中国、韓国、日本の絵画の規範となった。特にわが国では、室町時代、雪舟、雪村などの優れた禅僧画家が輩出し、水墨画はわが国絵画のひとつの基層となった。以後、池大雅、与謝蕪村などの南画、伊藤若沖、曽我蕭白など個性的で自由奔放な水墨画を描き、明治の富岡鉄斎に至るまで、連綿として墨絵の世界は開花している。
 この黒色の系譜は、他の世界、そのひとつ「茶道の世界」でも潮流になった。特に安土桃山時代、茶の宗匠の千利休は「わび茶」を提唱し、すべての虚飾を排除した茶室に美の基準を見いだしたが、なかでも陶工長次郎の「黒楽焼」を愛用したため、当時の教養人たちは「黒色の陶器」(黒楽焼、瀬戸黒、黒織部、黒唐津、黒釉天目)などを、ことのほか珍重した。茶道の世界のみならず、この黒陶器を好む風潮は広く一般社会にまで連綿と続いている。また江戸初期、京七流の初代創始者吉岡憲法は「黒染」の技術を開発したが、この「黒染」は、黒の袈裟衣、黒の羽織の技術として、今日までの染色の世界の基底になっている。 
 以後、日本人の「黒好み」「黒の系譜」は、時を超え、空間を超え、近代社会の現在まで脈々として生き続けている。
 1960年(昭和35年)、歌謡曲の『黒い花びら』が第1回レコード大賞を受けて大ヒットすると、最初の黒ブームに火がつき、松本清張の『黒い画集』『日本の黒い霧』などの小説が話題を呼び、さらに「黒のダッコちゃん」ブーム、続いてスキー映画『黒い稲妻』の影響から「ザイラー・ブラック」の黒のスキーファッションが大流行して、黒の大ブームが到来する。
 また82年(昭和57年)、ファッションデザイナーの山本耀司、川久保玲は、パリ・コレクションにおいて、全点「黒のコレクション」を発表し、世界のファッション界に衝撃的カルチャーショックを与えた。特に山本耀司の「黒のドレス」は「衣服に哲学がある」と、黒の持つ精神性が絶賛された。以後、2人の発表する「黒のドレス」は「オリエンタル・ブラック」「ミステリアス・ブラック」として世界の若者ファッションをリードする。82年以降、日本の若者ファッションは「カラス族」と揶揄されるほど、黒づくめのファッションが流行し、この圧倒的な黒ブームは98年まで、延々と続いていく。そしてこの「黒」嗜好はファッションのみならず、86年(昭和61年)から89年(平成元年) における家電、音響製品の黒ブームなどにまで現れる。
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日本人と色彩/参照
日本人と色彩
城  一夫〔共立女子短期大学 生活科学科 教授〕
 日本人に固有な色彩嗜好や感覚は、日本の風土、自然、宗教、生活環境などによって、複合的に生まれるものである。南北に長く位置する自然環境下では、当然、北国と南国では自然、生活環境が異なるので、人々の色嗜好も異なった趣を呈する。またその生活環境も時代の変遷、時間の流れのなかで変化していくから、古代、上代、中世、近世、現代では、人々の色嗜好も変化を遂げる。
 古来、日本の色彩感覚には「シロ」「アカ」「アオ」「クロ」の4つの言葉があり、「シロ」ははっきりした様(顕)を、「アカ」は明るい様(明)を、「アオ」はあいまいな様(漠)を、「クロ」はくらい様(暗)を表したと言われている。この古代日本人の4色の色彩感覚は、当然、日本人の持つ基底的色彩として、今日まで連綿として続いているが、この稿では、近世、現代の急激な生活環境の変化によって誕生した色彩嗜好を考慮に入れながら、日本人の特徴的な色彩嗜好について考えてみたい。

1.日本の風土のなかの色彩
 風土とは景色によってつくり出されるその土地独特の雰囲気のことである。景色の「景」は「日」と「光」、要するに「日光」の色のことである。つまり風土の色彩は日光の影響を限りなく受ける。この日光は光の色温度、照射率、純度・濁度によって変化する。色温度は緯度の高い北国(すなわち北海道、東北、関東など)では、紫み、青み、緑みに傾斜し、中程度の緯度(中部、近畿)では黄みになり、緯度の低い地域(中国、九州、沖縄)では橙みや赤みに偏向する。つまり北海道地域では太陽光線が紫み、青み、東北の地域では、緑みに傾斜しているため、物体色の青みや緑みが強くなり美しく見える。このため北国の人々は、全般的に青みや緑みへの強い嗜好を表すことになる。霧の摩周湖の水色が紫みを帯びたり、アイヌの着用する厚司あつしの藍色が美しく見え、仙台城の青葉が陽に映えて、美しく見えたりするのである。一方、中部地方では、太陽光線は黄みに傾斜しているため、黄色が美しく見え(美濃焼の黄瀬戸、金の鯱)、緯度の低い沖縄、九州本土では、赤が特に美しく見えるため、有田の赤絵、琉球紅型などが美しく映え、人々は赤みに対する強い好みを表すのである。
 一方、日光の照射率も風土に与える影響が大きい。北国では一年中、風雨の日や曇天の日が多く、比較的暗い環境のなかで生活しているため、陰影の濃い色彩となり、人々の嗜好は陰影(彩度が低い)色に集中する。一方、南国では一年における日光の照射率が高く、明るい環境のなかで生活しているため、人々は輝度の高い、高彩度の色に傾斜していくのである。つまりアルプス山脈を基点とした北側の地域(日本海側)では、冬も長く、曇天の日が多いため、その地域の人々は陰影の濃い低彩度色を選び、南側(太平洋側)では一年中、晴天の日が多いため、人々は高彩度の鮮やかな色に傾斜していく。
 さらに、日本海側の地域では曇天、雨雪の日が多いため、大気中に水蒸気、塵埃を多く含み、その結果、日の光はシャドウがかかり、物体色は濁色がかる。一方、太平洋側は大気中の水蒸気が少ないため、大気中の純度が高く、色彩は清色に傾斜する。そこで人々の色嗜好は、日本海側は濁色を好み、太平洋側は清色を好む。
 以上の結果、わが国では北国(北海道、東北)の北側の地域(日本海側)では、紫み、青み、緑みの濁色、低彩度の色を選び、南側(太平洋側)は、紫、青、緑などの鮮やかな色を好む。また関東、中部、中国の北側では、緑、黄色の濁色、低彩度色を選ぶのに対して、南側は同じ色相の清色に対する好みが強く表れる。さらに九州、沖縄などでは、人々は橙、赤の高彩度、清色を最も好むのである
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花鳥風月参照
●松岡正剛「花鳥風月の科学」中央公論社より抜粋

この本は花鳥風月を中心とした日本文化のなかの重要な十のテーマをとりあげ、それ
をいろいろな角度から照明をあててみようというものです。
それとともに、日本文化のなかのいくつかのイメージの起源と変遷を探り、そのイメー
ジが分母と分子に分かれていく多様なプロセスを追いかける目的をもっています。ま
た、花鳥風月にちなんだ科学的なイメージのアリバイについても、多少の応援団を繰
り出します。
なぜこのようなことを試みるかというと、われわれ自身が日本の歴史文化がつくって
きたイメージの発生現場がわからなくなっているように思われるからです。また、そ
の使い方がわからない。そこで多少の筋道をつけてみたい。それが第一の理由です。
第二には、日本について、われわれは適切な言葉で説明する勇気を失ってしまってい
る。とくに海外に向けて卑屈になりすぎたり、居丈高になりすぎている。これは日本
文化の特色を説明できるグローバルで鮮明な論理が極度に不足しているためだと思わ
れます。
一方でグローバルなイメージが氾濫し、他方ではローカルなイメージが不足する。む
ろん、その逆のこともある。この調整はなんとも難儀なことなのですが、何かひとつ
ながりの手がかりがあれば試みられないこと出もないような気がします。私は、その
手がかりを「花鳥風月」という、いかにも日本的で一般的な言葉に求めてみたのです。


花鳥風月とは日本人のコミュニケーション様式のためのソフトプログラム、あるいは
ユーザーインターフェイスだったのではないか。いったい何のための花鳥風月のコミュ
ニケーションで、何をあらわす花鳥風月のソフトウェアかというと、たいていは人々
が「景気」を盛りあうためでした。
しかし、昨今は、「景気」という言葉がもっぱら経済用語としてしか通用しなくなっ
ている。もともと景気という概念は山水画などでもつかわれていた用語です。
景気は自然や世間のうねりにも日々の生き方にも見え隠れしていた動詞であって、そ
れを丹念に掬ってみるとき、花鳥風月のしくみが有効なプログラムとしてつかわれて
きたわけでした。どうしたら景気を感じられるのか、それを工夫することが花鳥風月
を重視する本質だったのです。

日本の社会制度や風俗文化あるいは言葉づかいに、海外の要素がどのように混入して
いるかという研究もむろん大事です。しかし、万葉集の言葉づかいに大陸半島からの
影響を指摘できたとしても、それだけでは万葉社会文化の意味の説明にはならないよ
うに、海外要素指摘主義というのも、どうもしっくりしない。だいたい日本のみなら
ず、どんな国の社会文化だって海外からの文物導入と影響をうまく生かしてきたので
す。
観音菩薩は古代ペルシャの、万葉集は古代朝鮮「郷歌」の、初期修道院のしくみは東
ゴート王国の、千夜一夜物語はインドの「パンチャタントラ」の、株式会社の前身コ
ンパニアはイスラム経済システムの、マイセンの陶器は中国や九州の、新聞連載小説
はトルコの、ピカソのキュビズムはアフリカの、アメリカの百貨店にティールームが
できたのは東京の百貨店の、それぞれ文化混入によって成立したのです。ゲーテにとっ
てのドイツは、それ以前のプチ・フランス主義からの脱却を師のヘルダーや友のシラー
とともに成しとげることでした。
そんなぐあいだから、いちいちお里を調べあうだけでは社会文化の本質は見えてはき
ません。とくに日本はコードを輸入してモードに編集するのがたくみな歴史をもって
きたので、日本の問題はおおむね「氏より育ち」にあります。日本はいま国際的にさ
まざまな《問われる時代》というものを迎えていますが、それは必ずしも「氏=コー
ド」が問われているのではなく、「育ち=モード」が問われているのです。


●「花鳥風月の科学」文庫判解説から いとうせいこう

「花鳥風月」を《日本人が古来から開発してきたマルチメディア・システム》として
とらえる。それが本書の最も重要なねらいである。
つまり自然は、いや厳密に言えば外界は、すべて日本人にとってのインターフェイス
であり、そこに一瞬没入するだけで世界はありとあらゆる変化をし、ゆえに「景気」
が立ち上がってくる。むろん、没入した人間もしかりであって、このとき主体も客体
もない。あるのは「景気」ばかりである。
山、道、神、風、鳥、花、仏、時、夢、月と十章に分かたれてはいても、「花鳥風月」
がマルチメディア・システムである以上、すべての要素は複雑にからみあい、互いに
アクセスをし合いながら、その組み合わせ次第で様相を変え、つまりは我々自身を変
える。
現代哲学でいうところの「生成」にも若干似た概念である「景気」はしかし、「生成」
が持つある種の暑苦しさを逃れ、同時に主体をも「景色化」してしまうという断片化、
みしくは溶融を旨とする。となれば、むしろ最も近いのはインターネットのようなも
のだろう。
松岡正剛の言うマルチメディア・システムはもっと精妙で、科学的で、また気宇壮大
でもあるような仕組みのことである。五感と、それが培ってきた文化の層が一挙に立
ち上がってくるようなシステム。ないしは、一挙に消え去って、あとにはかすかな残
り香だけが漂うようなシステム。それがすなわち「花鳥風月」にほかならないのだ。
人類の脳と身体は、このようにインターネットを越えたネットワーク力やシステム生
成能力をすでにして持っている。逆に言えば、その力の一部がようやく外在化された
のがインターネットなのであり、松岡正剛が本書を通して夢見つづけるのは、《来る
未来に実現するかもしれないような、その人類の力のすべてをマルチメディア化する
科学的装置》ではなかろうか。
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東風吹かば
というわけでもないだろうが
今夜の打合せは楽しかった。
必要な資料をwebでチェックし終わったところ。
明日、資料読みにあて、明後日、書くつもり。
去年の雪辱戦というわけでもないが
いい刺激になった気がしている。

そんなわけで古河の打合せは欠席。22日に延ばすことに。
19、20で予定していた麦畑&不動滝ロケは
猪苗代の高見沢さんからの情報で6月アタマに延期。
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デスクトップも寅に
ちょっと気分が高揚してきたので
デスクトップもタイガーにアップデート。
いまのところ正常だけど…
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表情なのか仕草なのかこころばえなのか
長岡とオフィスの手前ですれ違う。
短くコトバを交わし見送った。
なぜ彼の顔を見ると弟と逢っているような気がするのだろう。
いつからか、そんな気分が濃い。
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桜小僧★★★
ヒキタクニオ著/集英社
面白いのかと思っているとカタスカシあり。
ま、こんなもんだろうな。
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声が嗄れた。
4時から12時までオフィスで打ち合せ。
さすがに声が嗄れ、腹がへって死にそうになった。
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小名浜の化学工場爆発
というニュース。港らしい。
アクアマリンが気になり小泉さんにメール。
わがジアースの聖地だから。
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ジアースのロケハンレポート
渡辺に頼みジアースのロケハン資料を送ってもらう。
達澤の不動滝、びっき沼、中津川渓谷など6月上旬にロケハンしたもの。
そのままメーリングで参考資料として添付。
思わぬところで役に立った。
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さまよえるロズウエルズ
さまよえるロズウエルズは、
20分前に渡良瀬遊水池で綿毛となったタンポポ群を発見し
二人で空に飛ばして遊んでいたらしい。
来週のロケ用に採取して保存しておこうかと相談したらしいが
綿毛の状態で保存はむつかしかろーと言うと黙ってしまった。
二人がどんな顔と姿で夕闇の遊水池で綿毛飛ばしをしているのか想像し
笑いが止まらず。
このあと夢工場近くの利根川土手を見て帰ると言っていたが
あそこって街灯とかなかったよね。
真っ暗闇の河川敷でソウマ&ナベ二人が
綿毛を飛ばして踊っている…
なんつーか、「まんだらやの良太」に出てくる悪夢のようで
東京待機組としては心配が深まるばかりである。
二人はぶじに帰れるのだろーか。
明日、オフィスで下見の打合せは開けるのであろーか。
古河の芳流でうまい天ダネ蕎麦でも食べられるといいと思っても
今日は水曜日で定休だしな…


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タンポポ異聞
以下、スーパーニッポニカ/小学館より引用

タンポポは人里や野にありふれた草だが、『万葉集』や平安文学に記述はない。『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918ころ)や『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』(934ころ)には、タンポポの漢名の蒲公英に、タナ(多奈、太奈)とフチナ(布知奈)の和名をあてる。タナは田菜で、タンポポの名は、タナがタンに転じて、それに花後種子の冠毛(綿毛)がほほける意味のホホが加わり、生じたとする見方がある(『倭訓栞(わくんのしおり)』『大言海』)。これに対し、タナはハハコグサかタビラコとの説もある。タンポポの花茎を短く切り、両端を裂いて、水に浸(つ)けると、放射状に両端が反り返り、鼓(つづみ)の形に似る。柳田国男(やなぎたくにお)や中村浩(ひろし)は、そのツヅミグサから鼓を打つ音(タンポンポン)と結び付いて、タンポポの名が成立したと説いた。タンポポの名は江戸時代の文献からみえ、いけ花にも使われた。『抛入花伝書(なげいればなでんしょ)』(1684)には、根を焦がさぬもののなかに含め、花色に黄と白をあげる。また、江戸時代には種子を播(ま)き、葉をゆがいて、ひたし物や和(あ)え物、汁の実などにして食べた。
セイヨウタンポポはフランスなどでは現在も野菜で、改良された品種がある。セイヨウタンポポは明治初期に札幌農学校のアメリカ人教師ブルックスが種子を導入し、それが北海道に広がった。さらに明治10年代には東京にもフランスから野菜として輸入された。中国では唐代にすでに催乳や健胃などの薬に使われている。タンポポの漢名の蒲公英は字音の似た僕公罌の転訛(てんか)とされ、罌(オウ)はケシで、発音が英の呉音のオウと同じく、傷つければ乳液が出ることもタンポポと共通する。ヨーロッパでは花や根を強肝、利尿、強壮などの薬用に、根を炒(い)って、粉にしたのをコーヒーの代用に使った。綿毛を、愛される・愛されないと、交互に吹いて、どちらが残るかで恋を占う遊びがヨーロッパにはある。中国では綿毛を詰めて枕(まくら)をつくった。
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上陸★
五條瑛著/講談社
掲載順にまとめればまだしも妙な小細工で構成を逆にしたことでわけがわからなくなっている。思わせぶりなのに効果が出ないという五條の欠陥が隅々まで。ま、例によって装丁だけはいいんだよなあ。
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たんぼぼ募集
「綿毛を、愛される・愛されないと、交互に吹いて、どちらが残るかで恋を占う遊びがヨーロッパにはある」
というのが狙いではないのですが、画面いっぱいに綿毛が飛んでいる映像をどうしても撮りたいと考えています。
どこか、よい場所を知りませんか?
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天国の階段第21話、最終話★★★★★
DVDbox2
まいったなあ。
こういう展開になるというのはまったく考えつかなかったなあ。
すげえなあ。韓国。
全22話を一気に見て、ほんとうに恐れ入りました。
照れてる場合じゃねーだろう。真っ直ぐには、かなわない。

勢いでAmazonにサントラ盤と日本版のエンディング曲を注文。
誰が歌っているのか知らなかったがwebでユンソナと判明。

"会いたい"sona
"天国の階段 オリジナルサウンドトラック"
"コエヲキカセテ"sona
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断線寸前
となる。
家で電話をしているとバツが悪いのでオフィスへ。
なめてるのかとぼけているのか不明。
なべ曰く「もう引きましょう」。
同感なり。
てはじめに音環境を切り離すことにする。
真っ向から砂かけられている時に、後ろのご機嫌うかがいはムリなので。
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天国の階段第13話-第20話★★★★★
DVDvol7まで
朝までかかってその後を見た。
泪、とまることなし。
こんなに泣いていたら瞼が腫れると思いながら見続ける。
ティシュ、一箱が空になり
足りなくなってトイレットぺーバーで鼻をかむ。
なんつー都合のいい展開なのだ!とあきれながら引き込まれた。
いやはやほんとうに恐れ入りました。
最終巻vol8を開くのがコワイ。
またティッシュ買ってこなくては…
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ある夢
夏前にどうしてもリテイクしたいと泣きつかれ
法外なギャラをふっかけても受け入れられ
ではやりましょう、というところで目が覚めた。
超電導リニア…
メイストームのような夢だった。
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私の村★★
畑中純著/筑摩文庫
前に単行本で読んだが、すっかり忘れていた。
畑中の漫画を文庫サイズで読むのは、ちよっと辛い。
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天国の階段第1話-第12話★★★★★
DVDbox1
いやあ、おもしろかった。
韓流ならではのプロローグの長さがよく活きていて
気がついたら、すっかりはまって12話を一気に見た。
登場人物全員が一本気でアジア版クオレ物語を大まじめに演じているのだ。
あきれるほど、たのしめる。
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IWGPスープの回★
DVD
“骨音”をベースにしていながら
なんとも舐めたつくりで、途中からサーチの連続。
石田はこのことを怒ったのか怒らなかったのか。
陰影の無さがクロカンの本のせいなのか演出のせいなのか
長瀬を起用している事の限界なのか、
情けなくなるほどにくだらないできだった。
池袋の街そのもののようにつまらなかった。

クロカンの“木更津キャッツアイ”のDVDboxが昨日Amazonから届いているが
見る前から後悔しそうだ。
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ロズウェル3rd第11話-18話★★★★★
DVDbox2
後半をまとめて最後まで。
ラストの展開は、うならされた。
むしろ“その後のロズウェル”を見てみたい。
異星ではなく異邦人の物語としての後日談を…
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なんつー寒さか
雨。寒い。
セーターを出し、エアコンを復活させ、クナイプの菩提樹につかっても
なお寒い。
麦畑、館林近くにいいところがあったとのこと。
撮影部がアキ次第、ロケする事に。
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ロズウェル3rd第1話-10話★★★★★
DVDbox1
まとめて10話、一気に。
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魂萌え★★★★★
桐野夏生著/毎日新聞社
去年、毎日新聞に連載されていた新聞小説。
きわどいところで成立された奇妙色の濃いふしぎなモノガタリ。
うっとうしいなあと思いながらいつのまにかはまって一気に読まされる。
媒体を意識したからなのか心境の変化なのか
これまでの桐野らしさの影がひそめられたぶん
読みやすさが増した。
たぶんいいことなのだろう。
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愚か者の楽園★★
畑中純著/新潮社
"まんだらや"の中年バージョン。
小説新潮と漫画サンデーの違いか
時代そのもののせいか
畑中の年齢ゆえなのか不明だが
経年劣化の目立つ“大作”。
漫画系は、どうしてもメジャーにからめられた途端に
山を下りていく感が強い。なぜかな。

Amazonで入手。2000年6月発行のA4版600ページ。
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朝日新聞、カネ返せ!!!といいたいが…
朝日新聞beの3月31日版の「会津春の旅」が必要になり
記事検索をかけたら会員にならないとダメだというので
アサヒ・コムの月三千円超のデータベース会員になったが
肝心の記事部分は著作権コードに引っかかるとかで閲覧できず。
朝日新聞、カネ返せ!!!といいたいが後の祭りとなった。
しかたなく、最小限だけtextに打つ。



・会津JR只見線七日町駅(なぬかまち)駅舎
「大正浪漫調」の駅カフェ/駅は無人駅

・大内宿
古民家の集落/江戸の宿場町/
国の重要伝統的建造物群保存地区指定
幅約5メートル、長さ約500メートルの道の両端に
水路が流れ、茅葺き屋根の家が並ぶ。
下郷町商工観光係0241-69-1144

・喜多方市(啓徳町新宮)の熊野神社
重要文化財指定「長床(ながどこ)」
創建鎌倉初期 1611年大地震で倒壊。3年後に再建された。
総檜寝殿造りの主殿形式、四方吹き抜け構造
茅葺き屋根で床の広さはおよそ330平方メートル 柱は44本
天喜2年源頼義の勧請の古社。拝殿の長床をはじめ神殿本殿、文殊堂など重文級の社殿社宝を残す。長床は、藤原時代の貴族の住宅建築としての寝殿造りの主殿の形式をふんだもの。
長床・銅鐘・銅鉢(国重文)・銅製鰐口・本殿・御神像・文殊菩薩騎獅像・牛王版木他(県重文)
喜多方観光協会
〒966-8601 福島県喜多方市字御清水東7244-2
TEL: 0241-24-5200 E-MAIL: info@kitakata-kanko.jp
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iMovieのHD版
を疑似体験してみた。
あとは素材としてどうしたらいいのかチェックすること。
世の中、ほんとうにあっという間に進んでいくな。
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汽車旅行★★★★★
大城のぼる畫/小学館
なんとも素晴らしい。昭和十六年に刊行されたものの復刻。
惜しむらくは値段がな、高すぎる。二ヶ月前から目にしていたけど
やっぱり欲しくなって購入。
リニアの最初のプランを思い出す。
あのまま続けていても絶対に受け入れられなかったとは思うが
実現していたら、やはり見たくなったろうと今さらながら。
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IWGP★★★★★
DVDbox全巻。
ひさしぶりに全話をまとめて観た。
堤とクロカンのコンビはたしかに冴えまくりで
希有なことだが小説の出来をある意味で越えている。
ま、石田は第3巻の「骨音」があるのだし、
あれは堤&クロカンだと意味を成さなくなるとは思うが。
第4巻以後なら堤&クロカン任せがベターだろう。
ただ、今になれば、あんな豪華なキャスティングはムリだろうが。
まとめて観たので約10時間。
最後はもうろうとした。
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反自殺クラブ★★★
石田衣良著/文藝春秋社

“池袋ウエストゲートパークシリーズ5”
3の“骨音”がピークだった。
4.5となればさすがのIWGPもただの続き物。
平成版銭形平次の捕物帳のようである。
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tiger大変。
あかりやさんのアドバイスを読んだのでデスクトップへのインストールはしばし見合わせることに。PowerBookはとうめんこのままで放っておこう。ブログを読むと、インストール直後のログインがおかしかったこと、など共通点あり。
風が雨風に変化。
三日続いた休日の五月晴れも予報通り雨になるか。
街のつつじが目にやさしい。気がつけばすっかり初夏である。
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OSXv10.4Tiger
をバワーブックにまずインストール。
面白いのかどうなのか、まだつかめず。
スポットライトは、けっこう良かったが。
イージーブリッジがうまく乗り換えられず、
これは再インストールする予定。
ひさしぶりにことえりを使っているが
ことえりは、まだアホのままだった。
はや、五月。
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ロケ順延
三日から六日までにかけ古河を中心にロケ予定だったが
昨夕、順延が決まる。
仕切り直しだと六月にずれ込むので
初夏のイメージをどこでおさえるか再チェック。
大館あたりが正解なのか、いっそ会津か。
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