2007年12月の記事


平原綾香のジュピター
紅白を久しぶりに観ていたら山古志村のライブ中継の後に平原綾香のジュピターが。井口に焼いてもらったDVDを宇都宮でプレゼンした午後のことを思い出した。山田さんの編曲録音した日のことを思い浮かべながら、画面下に表示される歌詞をあらためて眺めつつ、悪くないなと納得。それにしても平原綾香、なんともいい声をしている。あれ以来iTunesに彼女の曲が数十曲。
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オーシャンズ13とBabel。天気と科学
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オーシャンズは長々と続くMTV。としてもしみじみつまらない脳天気な駄作。Babelは2時間の映画時間ではとてもムリなテーマを抱え込みすぎ、自爆。どこかで観る者を選ぶ映画という評を読んだが、噴飯。茂木健一郎の「脳科学で読み解く『バベル』」にも笑えた。行間を読むとは言うが、それも行間有っての芸当である。12話のミニシリーズにしたところで、救いがあるとも思えない。脳天気と脳科学。
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紺碧のカリブ
その最中になんども声をひそめ携帯でスタッフを叱りなだめ苛立ち続けながら手のうちようのない辻のことに悄然とする日比野が、仕上げた番組の案内を寄越した。NHK総合「世界遺産紀行」新年4日夜10時からオンエアの「紺碧のカリブ」。ナビゲーターは宇崎竜童と阿木耀子。
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恒例の忘年会
忘年会に向かう前に一部のOK出しをし、webにアップ。8時少し前に着いてから12時まで一年間さまざまな現場で仕事をしてきた人たちと楽しい時間を過ごした。撮影部からも長岡をはじめ古川、矢野、大嶋が、郡山も来てくれていた。やろうとしていることを、また少し前に進められそうだと、薄い水割りを飲みながら思えた。これで年内の仕事を終わる。例年になくハードスケジュールな年だったが、最後はあっさりと過ぎた。
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情歌。あるいは艶歌。
ほぼ10年ぶりになる工場の生産ラインの撮影のラストカットにOKを出したのが26日20時過ぎ。体感温度-10℃?工場建屋のシルエットの奥に大きな赤い月が出ていた。それから撤収に1時間余り。クライアントたちと別れ近くの飯屋に急ぐ。炭火が顔をあぶり冷えきったからだが溶けていく。肉のまずさより、きつい撮影がぶじに終わったことに祝杯をあげながら、このチームと一緒に旅芸人一座のような仕事ができたら、とふと思った。行く先々で、折々の花や野草や夕日や雲や川の流れや、吹きすぎる風などを撮りながらshortmovieにして、まず、その町でいちばん寂しそうな顔をした人を見つけ手渡し宿と飯と交換してもらい一夜を過ごす。次の日はいちばん幸福そうな顔をしている人を見つけ同じように過ごす。そして町から町へ村から村へ山を越え平野を渡り岬をめぐって、温泉を堪能しながらこのニッポンを流れていく。そんなJapanesquegypsyのようなイメージを硬い肉と鮮度の落ちた魚を焼く勢いだけは派手な炭火を見ながら、彼らの笑い声を聴き、店に入る直前にけつまずいて強打し出血した左ヒザをさすりつつ夢想していた。その店の駐車場でみんなと別れ、東北道に。iPodに入れた阿久悠全曲集を聴きながら帰京。高空にいつまでも冴え冴えとした月が見えていた。帰宅し紀州備長炭15本入りの風呂にながくつかり、今日正午まで爆睡。起き出してハワイコナを淹れタバコに火をつけた。3日から目を通さなくなった朝刊3紙の見出しだけを目の端にいれながら膝に赤チンを塗る。昨日聴いた阿久悠が妙にはっきりと甦っていく。情歌。あるいは艶歌。そんな言い方があった頃のgypsymusic。もしくはニッポンブルース。一年が、過ぎた。



♪舟歌
作詞 阿久悠 作曲 浜圭介 唄 八代亜紀  

お酒はぬるめの燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な人がいい
灯(あかり)はぼんやり ともりゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟歌を
 
沖の鴎に 深酒させてョ
いとしあの娘とョ 朝寝する
ダンチョネ
 
店には飾りが ないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
ときどき霧笛が 鳴ればいい
ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
あの頃あの娘を 思ったら
歌いだすのさ 舟歌を
 
ぽつぽつ飲めば ポツポツと
未練が胸に 舞い戻る
夜更けたさびしく
歌いだすのさ 舟歌を
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なんとか一枚
エラーの連続であきらめかけたが、8時ジャストに一枚だけOKに。他は全滅。ひとねむりしたらこれ持って利根川越え。こういうクリスマスも、ま、いいじゃねえか。
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最後は、「その冬の落葉」
辻和成に献ず、と書きアップ。
ラストカットの風に舞う落葉を嵯峨野で撮って山を下りている途中で携帯に知らせが届いた。それからは夢のように過ぎていった。まだその夢が閉じていない。途中までつないだが、知らせを聞いたその日の撮影分に手を出しては挫折。どう切っても、無念さが先にたち戸惑うばかりだった。昨日、やむを得ずつないだ仕事のせいでか、3年連続のイブを仕事で過ごすことになったスタッフへの気持ちか、今日は一気に最後までやり通すことができた。彼が好きだった福島さんの絶叫など「天然の日本」のときにつくった曲を重複しながら仮あてした。これからDVDに1枚だけ焼く。一眠りしたら古河に向かい、この秋を撮ったメンバーとホテルでプレビュー。つなぎ終わったとき、あいつの書斎を思い出した。十代の頃から今に至るまで、読んでいるものが共通し過ぎていることに愕然とした。DNAコピーのもう一人の自分を見ているような気がした。十年も、どうして逢わずに過ごせたのか。そのうかつさが悔やまれてならない。口惜しくてしかたがない。
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晴撮雨編?
渡良瀬をつないだ後、本屋に。雨。正月用の小説を仕入れカフェに寄り2時間ぼんやりと過ごす。戻って飯を食い、仕事にかかる。全撮影カットのOK出しが終わったのが午前3時。すべてwebにアップした終わったのが朝5時。DVDに落そうとしたところで原因不明のエラー。あきらめる。晴耕雨読と言うが、ここ10日余りは「晴撮雨編」?というところ。嵐山ロケの昂ぶりがずっと続いたままだ。
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冬木立と寒月
ダッフルの左ポケットに汗でびしょびしょになったTシャツをつっこんだままロケバスのシートに横になり真上に浮かんだ十二夜の寒月を眺めながら“岩槻”の表示を見ないようにし東北道を戻った。12時過ぎ、部屋でとり出したシャツは真冬なのにまだ濡れていてしぼれば汗が滴りそうだった。20日、3時過ぎに撮影が終わったとき長岡と渡辺がプライベートで夕日でも撮らないかと言い出した。候補は利根川か渡良瀬遊水池の二ヶ所。倉持さんに選んでもらい渡良瀬に。二年ぶりの渡良瀬の撮影ポイントに着いたのは日没の20分ほど前。それからの30分余りは息をのむような冬のJapanesqueが展開。体感温度0℃以下の北関東ならではの身を切るような底冷えに震えながら魂が湧きたつような色彩とカタチの変化を撮り続けた。嵐山で紅葉を撮ったその時間の連続で間に辻の10日間をはさみまったく同じメンバーが裸になった真冬の情景を撮っている。どこか現実離れした時間が過ぎた。あいつが見たらきっとうまい酒をになるだろう、ホテルのロビーで古いブラウン管テレビでプレビューしながら笑みが浮かんだ。その夜は打合せ中のスタッフを残し珍しく10時には寝入った。朝7時にモーニングコールがかかるまで熟睡した。起きたら目やにが出て両目が開かなかった。あいつが倒れた夜もおれは泥のように熟睡し翌朝目をこすりながらはい出した。目やになど無頼な時間をおくっていた20代いらいのこと。2007年友の逝った師走。髪でも切ってくるか。
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冬の花火
ロケ。古河の行きと帰り。いずれも夜。“岩槻”のランプを見ながら、12月に入ってから何度ここから出入りしたかと愕然とした。帰り、その表示を横にした後、東北道から湾岸へ。その途端、冬の花火が。今年一番の冷え込みとなったとか。未だ、信じられず。
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♪明日という字は明るい日と書くのね…
ゆうべビデオ屋に行き、ザ・ホワイトハウスを借りようとしたがゼロ。しかたなく借りたメル・ギブソンの「アポカリプト」が拾い物だった。朝まで観て、ベッドに。5時間ほどで目が覚めた。タバコを買いに出たら真っ青な空に白い雲が浮かんでいた。昨夜の雨のせいか空気が澄んでなんとも気持ちのいい昼だった。公園のベンチに座りタバコを3本。空を眺めているうちに面倒くさくなったので、あの日に嵐山で撮った素材を整理することにした。のんびりと1日の大覚寺分を切る。「天然の日本」の音楽を仮あてしwebに。横江の言う「法人」ではなく「同人」の景気付けがわり。大覚寺を撮り、明くる日に攻める常寂光寺を下見し、河原町で湯豆腐をつつきながら珍しく濁り酒を頼み、酔い出した頃に、彼は倒れたのだ。
http://web.mac.com/torum_3/サイト/Podcast/Podcast.html
ウエルカムメッセージをあの頃の流行り歌から引用した。
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トーク・レディオ★★★
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オリバーストーンらしい後味の悪さだけど、最後まで観てしまった。
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アポカリプト★★★★
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濃厚さだけで見る価値あり。
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ドットではなく「テン」と読む。
6時過ぎに蒲田に戻った。シャワーを浴び、Macに向かった。何も振り返らず何も考えず何も思い出さず、待ってもらっていた企画書に取りかかった。バックアップマンが銀座と蒲田に三人。次々と指示を送りデータをバックしてもらう。12時を過ぎる辺りまでは順調だった。それからは30分刻みで頭が壊れていったような気がする。手が止まると、フラッシュ。音だけが甦る。あいつが粉砕されていった音だ。家に帰らずそれぞれのオフィスでスタンバイしてくれている連中のことだけを思い浮かべるようにし、十回は頭から冷水をかぶったか。まともなコーヒーが切れていたのでワタナベ土産のカンボジアコーヒーを濃いめに淹れしのぐ。この10日余り、2日に京都で知らされてから12日のわかれまで、すべてが夢の中のようだった。気を抜くと失神しそうになるのと、フラッシュバックする断片とで能率がさらに落ちた。4時半。アップ。かすむ眼をだましながらなんとか読み直し、webにアップ。メーリング・念のため、それぞれに添付も。10日間。眠った記憶がない。ベッドに入っても、信じがたい気分が襲ってきて眠っていたはずなのに、起きてみるとげっそりとくたびれていた。辻。はじめて会ったのが、九段の屋上部室だったか。パンドラだったか。大神宮の地下の雀荘すずだったか、その隣のバリケードに差し入れを持ち込んだママのいたバンバンだったか。靖国神社だったか。人形の家だったか。軽い心だったか。クラスはいちども一緒にならなかった。たぶん16歳の秋。お茶の水のMDに泊まり込んでいた夜更け、あいつと正門前に来る屋台のおでん屋によく行った。高校生だとわかってからは、おやじがいつも半額にしてくれた。引き手のところに汚く錆びついたような鉱石ラジオがぶら下がっていて、ひび割れた音で深夜放送がいつも流れてた。“突破あるのみ”が迫っていたある夜、腹いっぱいにしておこうとあいつが言い出し、ヘルメット片手に食いに出た。ラジオから♪明日という字は明るい日と書くのねぇ と ♪いいじゃないの幸せならば と ♪圭子の夢は夜ひらく が流れていた。がんも食う手を止めた16歳の高校生が二人、ため息つきながらその歌を聴いていた。あの頃のおれたちは日付を「.」をはさんで声にしていた。「ドット」ではなく「テン」と読む。あいつが倒れたのはだから「12テン1」逝ったのは「12テン8」通夜は「12テン11」告別は「12テン12」。さらに「テン」の前の月は素直に音で読み、以降の日は素数にして訓で読んだ。12月1日は「じゅうにーてんいち」。だからどうしたというわけでもない、が。春のようにおだやかだった「12テン12」は、未明から雨に。何の雨だか。辻、おれは寝るぞ。くたくただよ。
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バカやろーに見送られ、バカやろーが逝った。
須田、日比野、渡辺、井沢、西山、本間早苗以外に知った顔無し。予想以上に仕事関係の参列者がいたことにふしぎな驚きがあった。と同時に安堵も。横江の話では、あるいは雪かもと覚悟していたので着込んでいたが拍子抜けするくらいに温かく春の宵のようだった。香典を包みながら、なぜ見舞いではなく香典になってしまったのかという想いが消えなかった。NHKのそばで日比野を拾い迂回しているうちに飯田橋に出た。一緒に過ごしたオフィスの入っていたビルを横目に高速に乗った。土曜日にあいつの家で夫人が選んだ写真が飾られていた。関係者から、もっと地味なものにすべきだと反対されたらしいが、家族の意志として通したとのこと。麦わら帽を背に、涼しげな色のシャツを着た彼のウエストショット。背景は庭の緑。ちょっと照れたようないい笑顔だった。斎場は深い闇の中にひっそりと建っていた。外に出て暗がりにたたずみタバコを灰にした。一本はあいつのために、もう一本は自分のために。チェーンスモークを何度か繰り返す。寂しげな街灯の明かりの輪の外から、わりいわりいと頭をかきながら彼がひょっこりと現れる…そんな気分が少しだけあった。どこかで、何も認めねえよと想い続けていたけど、たくさんの参列者の群れを見ているうちに締めつけられるような気分にも襲われた。ビールとウーロン茶で誰が言い出したのか献杯の声。次々と献杯とつぶやきグラスをかかげた。バカやろーに見送られ、バカやろーが逝った。娘たちと、あいつのことを話す時間をつくっていくことを約束。井沢と安里は譲治の車で大宮に。日比野と本間早苗は渡辺の車で東京に。闇の底で別れた。
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消息の“行方”
ひとすくいの実感も湧かぬままに一日が過ぎた。冬らしい透き通った空気感に満ちた午後だった。空は青く澄んで昼の白い雲が夜中になってもはっきりと見えていた。29夜。ほぼ新月。あっけないといえば、なんとあっけなかったことか。戦うための時間も悲しみを見据える時間もくれなかった。もしかしたら、しっかりと見えていた三人の娘たちのたたずまいは、おれと同じように何の準備もなかったためなのかもしれない。彼の庭で遠吠えをしていたあの犬のほうがむしろ切実ではなかったか。酔って眠り込んだそのままの姿だけが残っている。悲しみを悲しみととらえることができない。想い描くことを仕事にしているつもりだったが、自分の想像力のあきれるような貧しさに、戦慄いている。いつか、この不在を、あいつの消息を実感することがあるのだろううか。
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12.8.am7:00
横江、須田、日比野、安里、渡辺。
あいつが座って樹を眺めながらタバコを吸っていたというベンチで横江とタバコを吸った。何の木か、30mはありそうな落葉樹から枯れ葉が舞い続けていた。あいつがかわいがっていたという犬がなついていた。その庭は、いまだ秋の盛りだった。あいつの部屋で、立ったままあいつの書棚を肴に献杯。そして乾杯。社研の部室見たいだなと、誰からともなく。カレンダーには10日先の締め切り日が2件。月齢28.62夜。暁月。帰りがけ、犬が狂ったように吠え、ウォーンという遠吠えを一つ。また来るからとと声をかけたら静まった。1日のpm7:00から一週間足らず。
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譲治へ12.7夜
譲治
過ぎていった時間を振り返って
どこかにかけがえのない一瞬があったのだと
苦笑とともに認めるとしたら
おれには、あいつやきみたちと過ごした日々が
その象徴のひとつだった。
あの時間がなかったら
少なくとも今夜おれがおれであると
思えるおれはいなかった。
おれは今現在の日々に何の後悔もない。
バカかと思われてもしかたないが
あいつに声かけられ十二年問のヒモ生活をやめてから
ずっと充実し愉しい日々を送っている。
ヒモ生活の時間も愉しく充実していたけどね。
そういうことの根底にきみたちと過ごした
短い時間があったのだと、
きのうあいつの寝顔を見ながら思った。
見舞いに行ったというよりも
自分のことを確かめるために
十年ぶりにあいつの顔を見に行った
そんな気がしている。
別れがたく、渋谷まで一緒に戻り
横江の案内で
むかし金がない頃に入ったような
時間の止まってしまったような店で
あてのない話をして過ごした。
横江は、あの頃より皮肉が減って柔らかな印象になっていた
日比野はひりひりしたエッジが少し丸くなって
昔は隠していた自分が弱いと思う部分をすっと出せるようになっていた。
ああ、こういうところを肴に
あいつと飲んだらうまい酒になるのだろうな
そんなふうに感じながら二時間を過ごしたよ。

譲治
いつもつるんでいたおまえに
ひとりであいつを見舞わせるのは酷だと思うが
どうか勇気を出して会ってやってくれ。
あいつの寝顔を見たら
きっと火が灯る。
疲れてはいるだろうけど
まだ誰も何も終わっていなくて
燃え尽きる瞬間まで
めいっぱい愉しく生きていくのだと、
おまえはおまえの時間を生きろと、
そういう気持ちをもらえると思う。
おれには
「面白かったよ、楽しかったよ」
と酔ってつぶやくあいつのコトバが聴こえた、から。
三人の娘たちにもし会えたら
なぜおれがそう感じたのか納得がいくはず。
家庭の幸福は諸悪の根源と言ったバカもいたけど
辻の家族を眺めていると
なんだ、悪くねーじゃん、
そう思えるよ。
あいつは、幸福だったのだ。

譲治
時間というのは
経ってしまったと思ったときから
たぶん過去になっていく。
おれはそう思って生きている。
でもな
きのうあいつの寝顔を見
横江や日比野と安坂場でくだを巻きながら
時間は複数流れているのだと実感した。
しんどいことだけど、ね。
おれの中でもしかしたらきみたちの中でも
時間はひとつではなく複数流れている…
気づくことがどういう経過を引き起こすのか
見当もつかないけど。

ひとりで見舞わせることになったけど
流れているはずの もうひとつの時間で
おれたちはおまえと一緒だと感じている。
不安も会わずに過ごした時間を悔やむこともなく
太平楽な寝顔でいびきをかいている
あいつの顔を見にいってくれ。

英治
英治さんがドイツ人の奥さんとお子さんを
連れて遊びに来てくれたときのことよく覚えています。
と夫人が言っていた。
譲治の指示に従うのもいいが
おまえは辻とおれたちとはまた違う関わりがあったはず。
おまえの声を聞いたら
あいつはもしかして心配して目が覚めるかもな。

    2007.12.7 益子拝

PS横江
辻が倒れた1日は下弦の月夜。
見えていれば、ゆうべは鎌のような三日月だったらしいよ。
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クタクタヘトヘトな一日。
久しぶりに関東工場の中をラインに添って昼をはさみ4時間かけて歩き回った。何万歩もあるいたように足も腰もクタクタになった。その帰りに4ヶ所の施工現場を回る。最後は久喜。日が暮れて街明かりでロケハン。古河らしい夕焼け空だったが愉しむ余裕はさすがにゼロ。帰りに蓮田SAに寄ってはやめの夕食。東京駅で降りたときもまだヘトヘトだった。帰って風呂に入ったら足が倍くらいに膨らんでいた。嵐山でも豆がつぶれるほど歩いたし、ここ一週間、よく足を使った。渡辺が麻布の撮影部に行っているので、もう少ししたら素材を見ることができるはず。
現場ではひさしぶりに小さなマスモニだけで過ごしたため、なんともドキドキしている。
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Z…佳作座。人形の家
ほんとうかどうか確かめる気にもなれないが、ラストカットがフェードインすると同時に闇の中に「Z…ギリシア語で彼は生きている。」と字幕が浮かんだ。1969年フランス=アルジェリア合作。監督・脚本/コンスタンチン・コスタ=ガヴラス。その後にガブラスがつくった戒厳令三部作の残りをつば吐く気分で観たおれたちが、このときはひどく魅入られた。音楽はミキス・テオドラキス。この音楽とラストの「彼は生きている」というスーパーを今もあざやかに覚えている。神楽坂の人形の家の隣にあった佳作座でのこと。
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知りたくはなし知るほかになし
病院の駐車場に着いたのが7時を数分まわっていた。一帯に夜霧が渦巻いていた。面会時間が過ぎたことを知りながら車から出られずにタバコに火をつけた。吸い終わったら行く、と言い聞かせながら青い霧を眺めていた。看護婦に会った。一押しすれば諾といわれそうな風情だったが、原則を告げる言質をとらえ引いた。病状はお教えできないのですと辛そうに言われた。昨日、家族から病状を聞いていますが、昨日から変化はあったのでしょうかと尋ねると、首を横に。外に出た。夜霧が濃くなっていた。会うために行ったけど、会えなくてよかった。明日は横江が行けるという。譲治も日比野も数日中にと言っていた。渡辺の運転する車の助手席から何本も電話しているうちに蒲田に着いた。気配だけでもきっと伝わった。そう思うことにした。安里と日比野のことはインターネットで娘と甥が調べてくれたと聞いた。いつのまにか連絡方法があいまいになってしまっていることにあらためて気づいた。賢明は、まだ術がない。首都高で向かっている間、つまらねえ仕事の段取りで腹が煮えた。事情を知るわけでもないのだからと思いながらも、情けない話の山に刺だけが膨らんでいった。アドレナリンを放出したままで病室に入れないと深呼吸を繰り返した。同じことを年中厭きずに繰り返してはいるが、こういうタイミングは、きっと致命傷になっていく、そう思った。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とは金言か。我慢していく意味が見当たらなくなっている。同じ時間に川田から法外な助け船あり。出船入り船である。

あいつとあの頃むさぼるように読んだ真崎の「死春期」だったか

 「知ろうとして知ったら負けると気がついて知りたくはなし知るほかになし」

そんなコトバ遊びがあったのを唐突に思い出した。
あいつはそういのを好んでいた。おかしな17歳だった。
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両の眼に針刺して
顔を見なくなって何年も過ぎていたことに知らせの直後に気づいた。会っていようといなかろうと何も変わるはずはないと、いつか肉親のような思いでいたのだ。まったく性格が異なっていたにも関わらず、血を分けた兄弟のように信じていることができた。いっしょに滅んでもいい、と無条件に思っていた二人の男がいた。その一人が彼だった。もう一人は女と消えて消息不明。常寂光寺から降りてくる途中で知らせを受け、イノダコーヒーで詳細をつかんだ。そのあとの東京までの時間を覚えていない。すべて無かったことにしたくて、考えないようにしていたことだけを覚えている。もう意識がないならそんな姿を見たくない。意識が戻ったとして、あいつはおれに会いたいと思うだろうか。見られたいのだろうか。目をとじると浮かぶのはあいつとはじめて会った頃のことばかりだ。16歳の秋。おれの魂の故郷は、彼と過ごした時間だったのだと、いまになって。
12.1の夜7時。そのとき俺は河原町のれんこんやの狭い卓に向かってめずらしく濁り酒を飲んでいた。寄ってホテルに戻り着替えもせずに着衣の上に浴衣をはおり朝6時過ぎに目が覚めるまで熟睡していた。ロケ先でシャワーも浴びずに、あんな眠り方をしたのは記憶にない。はいたままの靴下に血がにじんでいた。前日、ロケハンで嵯峨野路を歩いて豆がつぶれていたらしい。仕事をするようになってはじめてのこんな体験が、意識の下で行き来していたおれとあいつだけには見えている迷路だった…せめてそう思いたい。17歳の秋に二人でつくったガリバン刷りの同人誌に使ったあいつの名が塊打無鉄。書いた散文詩のタイトルが“無間地獄”だったはず。神田のウニタ書房に100部置いてもらったこと、唐突に思い出した。全部売れ、あいつが安酒に消した。走るとはやく酔えるからと九段坂を駆け足で3往復して屋上の部室でタバコを吹かしながらさぼっていた。女と消えた一人はハイライトをあいつとおれはピースを吸っていた。3人で授業をさぼっては屋上から白百合を眺めてため息ばかりついていた。あいつは鮎川信夫の詩“死んだ男”と吉本隆明の詩集だけを読む、老成した17歳だった。星霜が過ぎてもなお、あいつはそんなふうにおれの中で生きている。明日になれば、おれは違うコトバを吐き、違う自分を押し出すことになるのだと思う。病院に行き、意識の戻らないあいつに向かい声をかけたり、彼の妻や娘を元気づけたりするのだと、たしかに思う。だからいまこれを書いておく。おれは会いたくも見たくもないよ。酔うために九段坂を走り回り白百合眺めてため息つきながら“日向翔”のアジテーションで突破あるのみになったバカやローのおまえだけがおまえだもの。妻も娘もきっとおまえには幻だ、おれは今夜はそう思う。思いたい。同じバカやローのおれには、意識が戻らないおまえに会いに行く勇気が、ない。おまえが倒れた、と聞いた時間がまだ途切れていない今夜は。東京に戻ってから、携帯をマナーに切り替えた。震動するたびに深呼吸してそっと開く。そして、胸をなで下ろす。まだおまえの妻からの伝言は入らない。連絡が来て、仮面をかぶってしまうその前に、おれはあの日のままだよと、書いておきたかった。そう残しておきたかった。

 両の眼に針刺して魚を放ちやる君を受刑に送るかたみに
                   春日井健「未成年」より


このページのタイトルをひさしぶりに“夜霧のブルース”に戻す。歌は宇崎竜童版。
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