2005年08月の記事


雲谷と書いて「もや」
レガシイ「その花のもとにて」ロケのコスモスの丘が雲谷という場所であることを一昨日の山口ロケのときに知った。奄美越え、奈落越えのつぎは「雲谷越え」。でも読んでみれば「もやごえ」。ちょっとしまらねえか。明日、渡辺と高橋君がロケハンに行くことになった。青森日帰り。コスモスは二分咲きだそうである。
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甘い愛
けっきょく一睡も出来ずにホテルを出たのが7時45分。それから夜の10時まで14時間、くそのような曇天と湿度の下で撮影。なんどか気が遠くなりかけたがごまかしごまかしホテルにたどり着き、熱いシャワーで生き返る。甘んじて受ける、甘受という2文字は、読み違えれば甘い愛。ま、いいじゃねえか。すすきはコスモスになったのである。
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サウスバウンド★★★★
奥田英朗著/角川書店
なんといえばいいのだろう。おもしろかったともこんなものかとも。二つの相反する感想を持ったまま読了。けっきょくロケ初日の夜は、サウスバウンドを読んでいるうちに明けてしまった。きっかけになるといえばなるしならぬとすればならず。奥田はしかしどうしてこんなものを書いたのか。とても豊かな視点をはらみながら、主人公の造型の底浅さが最後まで小骨となって残る。ユーモアをどこかで誤解してしまっているように感じられてしかたがない。作家が最低限保持し続けなければいけない真摯さに決定的に欠けている。惜しい。7時45分にホテル発。スチール班と同時進行の2日間。
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テムジンと占うマッサージ師
博多のテムジンで念願のギョーザを食べ関門海峡を逆送し小郡へ。9時半過ぎにホテル入り。奄美に持参し、途中で読むのをやめていた奥田英朗の「サウスバウンド」を機内で読みはじめた。福岡に着き、ロケバスに乗り込んだところで第1部読了。第2部は「south」。出足のかったるさは霧消していた。石垣島の一夜を経、いよいよ西表島生活となるところで夕闇。ツリーハウスのplanningにこのロケをあてようと思っていたが、「サウスバウンド」を読了したところで書き出すのがふさわしいような展開になってきた。かなりいい弾みになる、そんな予感がある。奥田の文体は軽く読みやすいので、ほんとうなら奄美帰りの夜には読了したはず。めずらしく放っておいて一ヶ月半経過した、今になって残りを読もうとした今朝の気分が、当たっているのだ。郵船を書いたときの武揚伝のようなきっかけ、そんな気がする。シャワーを浴び、マッサージをとる。おかしなおばさんで、自分が考案したとかいうスポーツ整体というのを一生懸命説明しながらやってくれた。東京でよくかかるマッサージとたいした違いはなかったが、よく効きますよ、と言ったら喜んで手相を見てくれた。笑いをかみ殺して聞いていると、生命線が長く百歳以上生きるだろう、運命線が太く長いから楽しい時間が続く…などとヘボ易者のようなことを言っていたが、ふと黙った。何?と聞くと、眉をしかめて口ごもっている。もういちど聞く。いいにくそうに、二人の女のひとが見えるのだ、とぽつんと。あんたたいへんだねえ…とため息つきながらおれの顔をまじまじと眺めてくる。白衣を着けた豆ゴリラのような体形と表情のおばさんが、横を向いて深いため息を二度ついて、運命も生命線もこんなに素晴らしいのにねえ、二人の女人でねえ、あんた苦労してるねえ、とわけのわからないイタコ状態である。運命線が太くて長くて楽しい時間が続くんだから、それでいいんでしょ?と尋ねると、黙って首を振るばかり。そして、あんた思い当たってるんでしょ、と変な日本語で問うてきた。答えなかったら、そういう運命なのねえ、とまたため息。今夜はもういいよ、と金を払って帰ってもらった。長州はどうもなじめない。飯はまずいし、女は不細工。天候不順でホテルの部屋は狭くてみじめったらしい。ああ東京に帰りてえ。
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長いお別れをひさしぶりに読んだ
台風が2つ近づいている。これから出発する山口ロケに11号がちょうど影響が出そうだ。去年は10近くの台風が上陸し、そのほとんど全部が撮影にからんだ。この秋も、これでいいロケがつづくことになるだろう。ひさしぶりに福岡に降りてテムジンで親指ギョーザを食べてから関門海峡を越え山口に向う。カゼが脱けないが、いい気分転換にしたい。この一ヶ月あまり、地下に潜ってばかりで気がめいっていたので。

このあいだから3日かけ、ひさしぶりに“長いお別れ”を読んだ。清水の訳は、とてもらしくていいのだが、昔は気づかなかった杜撰な個所も目立つ。加えて誤植もひどい。早川は、もうすこしきちんちケアすべきではないのか。奥付を見ると64刷。儲けるだけが能ではないだろう。
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浮かれ踊りたくなるような十六夜月夜
明かりを消し、黒糖焼酎のうすい水割りを窓辺に、iPodを耳に差し込み、月を眺める。東京の月がこれほど輝いて見えることはもしかしたらはじめてのこと。外に出、浮かれ踊りたくなるような光の強さだ。月は想いが鎮められるというが、かきたてられるような月夜もある。どうにも気分がおさえられない。狼男の心境はこんなものだったのか。ともすれば月澄むそらにあくがるるこころの涯てを知るよしもがな。
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十六夜セレナーデ
いちばん深い声を聴きわけるしかない。幾層もの皮と身をはぎとり、おびえてちぢこまっている情けないものが漏らしている囁きを聴くしかない。窓を開け、のぼりはじめた十六夜月を眺めながら、そう思った。ま、いいじゃねえか、と。いまはいましかないのだから、なんであろうと舟漕ぎ出すほかに術はないのだ。十六夜の月と♪Captain of the shipはミスマッチだとは思うが。今夜は、こいつが十六夜セレナーデだ。
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「…英雄伝」を再び。
金庸先生/「…英雄伝」中国電影社版DVDseriesの残り10話を、解熱剤のんだ朦朧状態で見終わる。去年の秋に全42話を見、小説のほうを再読し、新鮮な気分で読み通せたことにおどろいたが、movieのほうもまた同様。まったく飛ばすことなくオープニング&エンディングさえ毎話かかさずあきず見られた。初見では、カンフーアクションの派手さがすこしうっとうしかったが、こんどはさほど気にならず。むしろ徹底した対幻想へのこだわりぶりに驚かされ続けた。原作を二度読んではいたが、そのときにはさほど気に留めなかったことが、丁寧きわまりない映像化で理解が深められた気がする。とりわけ奇っ怪な周伯通やお容の父親の黄大師の描き方に、破天荒な展開を見せる現代中国のありようが反映されているようでおかしい。クスリのせいでまだぼんやりしているが、とりあえずシャワーを浴びたら、SH改訂版のナレーションを調整。気力が出たら、古河にかかるつもり。
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夏の微熱。
> みごとな月だよ。みてごらん
> ほんとですね
十八日夜。十四夜の月を眺めながら浮世離れしたこんなメールをやり取りした。それから体調がくずれ、夏の名残の熱が出た。一昼夜。30時間。熱はひかず、このまま夏カゼとなりそうな気配。仮眠のつもりで横になったら8時間が過ぎていた。時間の感覚が一昨日から消えている。わずか30時間とはいいながら、はじめて体験することになる長さともなる。だから昨夜の満月が顔を出したのかどうかはわからない。夏の熱のまどろみのなかでただ過ぎてしまったのだから。行くのか、とどまるのか。そういう時期になっていたのだと思う。思い描いていたわけでもないが、それはもっと先の秋のさなかの頃のことだとタカをくくってもいた。焦熱がすべてを狂わせた。いや気温のままに感じ取れる暮らしをしていればなんのこともなかったはず。35℃の昼と夜に23℃のスタジオに籠らざるを得なかったことが因なのだ。南の男のように熱い陽射しをさけ木かげでハアハア息を吐いていれば、こんな混迷に落ちることもなかった。はず。ムリに醒されていたことが、フォーカスを絞り込ませた。絞ったフォーカスをゆるめることを許さなかった。気がつけば、みんな手遅れ。吹きざらし、とは言わないが。ま、そんなものだ。隠しようもない混乱の中にある。発熱のせいだと思えればいいのだが、自分で自分を誤魔化しようがない。真夜中に熱にうかされ起き出して冷や飯に水かけ、涙を塩味に喰いながら、ため息を殺している。わずか400kmに満たないはずの地図ではなく、同じ空間に肩ならべ温もりを感じながら36億kmの距離を隔てる感覚。絶対孤独地獄。カラダをつかまえられるようにこころをつかまえられたらいいのにな。こころにカタチががあって、手にとることができたらと、10代のころのように思う。息を吐くたびに熱帯夜の空気より湿度の高いこもった熱を感じる。つらくはないが、どうにもせつなく、これ以上、蓋しておくと暴発しそうで怖いのだ。そして、この状態こそが、求めていたものだ。わかってはいても身を切るような思いあり…。
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放擲するほかに…
4時の新宿でのプレビューに行こうとしたが頭痛がひどくあきらめる。たぶんスタジオワークの疲労と23℃に設定されていたエアコンが原因のカゼか。ムリしていけなくはなかったが、気持ちが先に萎えた。このまま熱でも出れば山口もムリ。フェイドアウトのいいチャンスともなるか。とりあえず、ルルを3錠ほうり込む。夏カゼこじらせ一ヶ月も臥せていれば、すべては解決だ。古河についても、まったく書く気になれず。もうあれもこれも放擲してしまいたい。限界点を越えたな、と思う。奈落を越えられなかった、そう思う。奄美の終わりで休養していれば、まだ持ちこたえられたのかもしれないが、後の祭りだ。
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155+93
243/40 6/day
ほかに約100/40
343/40 8.5/day
これが盛夏の成果。
なんとむなしい無意味な成果であったことか。
しかし、この虚しさなしに越えられぬ夏でもあった、が。

さて、ここまで書き散らせばもういいだろう。
金庸movieに戻るとするか。
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♪なにがあってももういいのぉ
撮影から完成まで約2週間。それからさらに丸一ヶ月。新月からはじまり、満ちていく月を二回かぞえた。過剰になっていくわけをつかめないままに最初の月が過ぎ、その意味をつかんでからさらに数週間。叱咤するように持続しようとしたが、ガス欠。コトバだけが滑り、そのコトバに引きずられ感情がもたれる。砂嵐のような実態のつかめない焦燥も、さすがにネタが切れたのか。片づけるな、という声と、面倒だという声とが朝昼晩の区別なし。翻弄されたいのだ。本音では。ただパトスが続かない。あれもこれもほぼ正確になぞりながら、決定的な何かが不足していることに気づいてしまう。たかがしれている、という声がカラダを埋めていく。月を見ようと虫の声を聴こうと、ほんとうはなにも揺れ動かない。そのことが口惜しい。せつなさが続かない。意匠だけのせつなさを、だんだん誤魔化しきれなくなっている。仕事を続けていくことの限界が、すぐそこにきているのだとしか思えない。終わってしまいたいのか。まだ続けていたいのか。それすらはっきりとしない宙づり状態。あっちにもこっちにもすべて頭を下げ、半年くらい消えていたい。そのまま永遠に消えてもいい。炭焼きでもやりてえなあ。♪なにがあってももういいのぉ というテンションをコントロールできなけりゃ、手のくだしようがどこにもないのだ。みなさんは、どうやって乗り切っているのか。ふしぎだ。おれは、誰と天城越えをしたいのか。それがまったくわからなくなっている。深夜は地獄だ。吐き出して誤魔化すしか術が無い。
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「ひとり寝の子守歌」
加藤登紀子はしかし、「ひとり寝の子守歌」と「百万本のバラ」につきるな。彼女がまだデビューしてまもない頃、新宿のスンガリでコンパをしながら、藤本さんの噂話を小声でした頃を思い出す。日向翔。吉本が講演でせせら笑った世界=一国同時…。過渡期世界…。もし失敗したら、おれは温泉やくざにでもなるよ、とお茶の水明大学館で便所のバケツでもやしキャベツを炒めて喰いながら、笑った男。裁判で住所はと問われ、全世界ですと答えた男。ヒュウガショウ。藤本さんの門下生。その藤本をしのびながら歌ったという「ひとり寝の子守歌」と「百万本のバラ」の間に横たわる百億の夜と昼。藤本はもう他界し、17歳のおれを頬ずりしてくれた田宮もまた異界。あんな目をした男たちを見なくなってどれくらいたつのか。おれの目は、他人の目にどんなふうに映っているのか。どんなふうにもすでに映ってはいないのか。おんな相手に仙花紙散らして後朝の歌でごまかすしか道はないのか。このまま衰退していくだけなのか。たかのしれた小銭稼ぎに一喜一憂してみせながら、おれはまだまだ、などとひとりごちて終わっていくしかないのか。サーチライトに照らされた秋山のあの小さいカラダがアンドレアジャイアントのように見えた新宿nightが幻灯芝居のようにしか思い出せない。脳の細胞は三日で新しく生まれ変わるというが、なぜすべての記憶も拭い去ってくれないのか。どうして中途半端なカスのような記憶だけが残されているのか。ひとりで生きてきたわけでもないのに、深夜になるとひざ小僧を抱えて寝ているような気分に襲われてしまうのはなぜなのか。
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元歌百万本のバラ
百万本のバラ                      A.Voznesnkij作詞 R.Pauls作曲
      
小さな家とキャンバス 他にはなにもない
貧しい絵描きが 女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい
ある日街中の バラを買いました
百万本のバラの花を 
あなたに あなたに あなたにあげる
窓から 窓から 見える広場を
真っ赤なバラで うめつくして・・・・・

ある朝彼女は 真っ赤なバラの海を見て
どこかのお金持ちが ふざけたのだと思った
小さな家とキャンバス すべてを売ってバラの花
買った貧しい 絵描きは
窓の下で彼女をみてた
百万本のバラの花を
あなたは あなたは あなたは見てる
窓から 窓から 見える広場は
真っ赤な 真っ赤な バラの海・・・・・・

出会いはそれで終わり 女優は別の街へ
真っ赤なバラの海は はなやかな彼女の人生
貧しい絵描きは 孤独な日々を送った
けれど バラの思い出は 心に消えなかった
百万本のバラの花を
あなたに あなたに あなたにあげる
窓から 窓から 見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして・・・・・
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十四夜を蕩尽。
今夜はずっと月を見て過ごしたような気分だ。お盆休みで吹き払われたのか、この間の雷雨できれいになったのか、東京とは思えない冴え冴えとした月で、窓を開けて眺めているだけでは惜しく、なんどか外に出て公園のベンチから眺めた。元GALAの大瀧からメール。夏の終わりに卒業します、とのこと。ポスターズから、鑑真、GG2000、東山魁夷と、いい仕事ばかりが記憶に残っている。GALAも解散してしまったことだし、あのデザイン室以来の凸版とのつきあいも、そろそろ終わりかな。生命樹、ボテッチェリ、マンレイ、ライト…と振り返れば美術物だけをやらせてもらった気がする。樋澤さんとも17、8年になるか。
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桃花島と南蛮屋のモカマタリ
渡辺が銀座に行ったついでに南蛮屋でモカマタリを買ってきてくれたので、ひさしぶりにまともなコーヒーを飲んだ。菱沼さんに吉祥寺曼荼羅でハワイコナをいただいて以来のまともなコーヒーだ。スタジオの連続だったので、熱いのが取り柄なだけのカスのようなコーヒーを飲むしかなく、買いに行ってもらう時間もなかった。「英雄伝」後半の20話に突入。実在の桃花島もあんなふうに桃が乱舞しているのだろうか。冬-春篇の桃の節句にこのイメージを忍ばせたい。
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「百万本のバラ」後日談
Amazonから加藤登紀子の「百万本のバラ」が届いたのであらためて聴きながら、なんともやりきりないなと思い、ちよっと後日談を考えてみた。絵描きと詩人とを取り違えていたことがわかったが、せめて、誰が贈ったものなのかくらいは判明してもいいじゃねえか、ということで。

●その後…
それからいくつもの冬と春が過ぎ、女優は行く先々の町で舞台に立つたびに、窓から見える広場を埋めつくす紅いバラの幻を見た。町から町へと渡り歩く彼女の元にひとつの噂が届く。それは貧しい絵描きの百万本のバラの物がたりだった。ある寒い冬の午後に白一色の窓の外を眺めながら、女優はあの日の真っ赤なバラで埋め尽くされた広場を思い出す。百万本のバラの海で窓を見上げる貧しい絵描きの姿を思い出す。翌朝彼女は舞台を捨てた。凍える指先にあの町に戻る切符を握りしめ、ブリザードでなにも見えない荒野を南に向かう汽車に乗った。列車の窓辺で目を閉じた彼女は真っ赤なバラだけを見ていた。やがて彼女は真っ白な冬の町に着いた。色一つない町を絵描きのことを訊ねながら探し歩く。
貧しい絵描きは貧しいままだった。キャンバスも絵の具も無かった。あのバラの花を絵の具がわりに指先で窓ガラスにバラの花を描いていた。絵描きの小さな家はどの窓も壁も指先で描いたバラの花で埋まっていた。吹雪の町外れにぽつんと建った小さな家は、その一角だけが、百万本の手描きのバラの花で埋まっていた。
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後朝
の歌。というわけでもないが、ま、そんなところか。30枚ほど渡辺が焼いたDVD、昨夜奄美などとメインスタッフに発送。他のメンバーには彼が手渡しに回っている。仕上げからちょうど一ヶ月が過ぎてしまった。昨日、今日と完全オフにした。マッサージにかかるがまだ熟睡は遠い。どこか温泉にでもと考えたが、2日くらいしかひねりだせそうもない。しかたなく、金庸先生のDVDなどを繰り返し見ている。しかし、あらためて見ていると「英雄伝」はスタイリッシュにできていて驚かされる。さらに徹底して対幻想がテーマとなっていることにも。男と女、夫婦、兄弟、姉弟、友人、師弟、恋人…およそ想定できる人と人の一対一の幻想がすべて盛り込まれ、かつ40話を通して描ききる、というエネルギーぶりは、かなわねえなあ、としみじみ。4年前は金庸の小説をバネにしていたが、この夏は映像。気配があって、長い時間があり、落雷に打たれ覚醒。急傾斜。と、流は同一。というより、これがおれのツボの定石なのか。DNAなのか。シチュエーションにはまりやすい性格は、たぶんもう直らないだろう。
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16日。奄美越えを配布しはじめる。
予想通り、奄美DVDの一枚目をゲットしたのは長岡だった。古川、森川、慎之介の分も託す。編集の合間に、シュルー渡し用のDVDをまとめる。ある秋と夏とparadise。わずか一年。他にマキシオ、dyneも出てもらったので整理しておきたかった。昼少し前にすごい揺れ。宮城が震源地だった。NHKがずいぶん素早い速報を流していた。このところ遅かったのが嘘のようだ。寝不足のままだが、なんとか編集のメドもついた。しかし、いつから改定編集を続けているのか、どこで区切れているのかもうはっきりとしないが、とにかく一段落ではある。明日は休んで、明後日から夢テアトルに集中予定。
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セミが変だ。
東京の空がきれいだ。盆と正月だけ、東京は生き返るような気がする。圧縮空気のような濃密さが消え、呼吸がラクな感じだ。ま、とはいえ今日も地下スタジオだが。今年の東京はセミの鳴き声が異常なまでに高いように思う。数も例年の倍以上ある気がする。暑さこそ去年ほどではないが、どこかほんとうに異常度が深くなっている。
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去年の夏
のお盆休みも、今年とまったく同じような状況だった。
気分だけは、ずっとラクだが。
自戒を込め、そのときのMLとwebメモを関係者に送った。
長岡から、北海道ロケから戻ったというメールあり。
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ディア・フレンズ★★★★
ツリーハウスの資料として。レンタルVHS
やや冗長だが佳作だった。
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帰っては来たが
大小こみのトラブル勃発。鬱憤をタクシーの運転手相手にはらし、スタジオ入り。山口は暑かった。サウナの扉を開けたような乾いた熱風に包まれていた。とんぼ返りしながら、またすぐに来るのが辛いな、とため息。あっちとこっちとそっちにトラブルが転がっていたが、無視できるものは無視し受け流せるものは受け流し、どうしても無視できないものだけを対処。盆休みモードになったためか都内の混雑がひどい。今日は、編集と同時にMAを三本。mixだけ立ち会ったら編集に戻る。廊下トンビならぬ六本木-広尾の地下トンビである。
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メールを一通
夜明けに飛ばした。なにかあったら、ラストワルツ。コトバにはしなかったが、書いておいたのは、格別だった夢の味について。その夢を見るために、おれは生きていたのだから。帰ってこれれば、笑い話さ。
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森田童子は♪この暗き部屋の窓から街の灯はまばゆく自由が見える…と歌った
二日前の六本木地下。スタジオのエアコンが効き過ぎていたからか、iTunesのプレイリストを眺めているうちに、森田童子のフォルダーが目に入った。何のきもなしに、かけてみる。目の前の三台のモニターにはサステナブルmovieがたんたんと進んでいる。ぼくたちの失敗を聴き、G線上のひとり、と続いた。その瞬間、猛烈な勢いでフラッシュバック。青き夜は、にいたって堰が切れた。誰が弾くギターなのか、バイオリンなのか、ピアノなのか。誰のアレンジした曲想なのか知らぬが、なんという曲を書くのだろう森田は、と半ば腹立ちながら。気づいたらワタナベがティッシュの箱をよこした。鼻水をふきながら、そういやこんなことがあったな、と苦笑。オフィスのティッシュを使い切り、トイレットぺーバーを使い、ごみ箱では収まりきらなくなったティッシュを入れるためにワタナベは東京都のゴミ袋を広げてくれた。へんてつもない灰色の東京を眺めながらただ座って途方に暮れていたのだ。手にしてからの出来事だった。数ヶ月。うまくいったことになぜあんな混乱を来したのか、いまだに不明のままだ。ただ、いつか淡くなってあたりまえになって薄まっていった。そのことに驚けなくなっていった。いくつもある出来事のひとつにすぎないと、思うようになっていた…

そうじゃねえんだよ。そんなわけにやいかねえんだよ。
6人もの他人が狭いハコのなかで仕事しているのに、止まらなくなった。一時間もしてやっと鎮まってはいったが、のぞきみた風景はそのままだった。ふくらんだかと思うとそのままあふれて涙がこぼれおちる。顔はゆがまず、表情は微動だにしない。彫像のような姿勢のままで透明に泣くのだ。声は出ない。ただ透明な時間があふれ次から次へとこぼれる涙とともに過ぎていく。おれはひとがあんなふうに泣くのをはじめて見た。どう対処すればいいのかわからなかった。たぶんいまでも同じ。なすすべもない。見守っているうちに、いっしょに泣いてやるしかなくなる。いつもそうだった。夏も秋も冬も春もそうだった。死んでやればいいのか、といつも思った。去るのではなく、この世から存在と気配を消してやれば、いつか笑える時間もくるだろうと、そんなことばかり考えていた。気がつけばどんな思いも夢のようにおぼろになってしまう。そんなものだ、というさめた自分が顔を出し、遠くの空を眺めてしまう。ここではないどこかへ、などと気楽な豚になる。♪美しき明日についても語れず…すべてが終わるこの夜に…この暗き部屋の窓から街の灯はまばゆく自由が見える…ラストワルツより

ことのはじまりにこんな歌ばかり聴いていたのはなぜなのか。
夜霧のブルース、月の砂漠…。
ああ、加藤賢明は、いまどこで生きているのか。
話したいことが山ほどたまっているのに、見つけられない。

突破すべき人生など、青山など、どこにもありゃしねえよ。
2時間したら、羽田。山口へ。そのまま帰らず下関に寄り、春帆楼にでも行って三世世界の夢でも見てくるか。
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幻滅と追憶と。
夏休中の古谷徹は短パンにアロハでやってきた。原稿のその場修正もなく和気あいあいと進んだ。仕事は、こうだといいな、とひさしぶりに。明日は山口ロケハン。PのMAは無視。いやおれが無視されたようなもの。作品といっておいて、音楽いじらせろとは片腹痛い。スポンサー仕事は、しょせんちんどん屋商売。わかってはいるつもりでも、ときに自分にだまされる。明後日は本編集とMA2本が同時進行。あれもこれも…とつい書きそうになるが、もうそれはいい。夜の東京を見下ろしながら、なんてつまらない光景なのかと気が抜けた。階段一つ使ったわけでもないのに息があがった。つまらねえな、とため息を飲み込んだ。飲み込みながら、それでは不正義だと思った。同じコトバを吐き出しながら、三日のいのちか、とがく然。どのひとこともただ上滑りに滑降していくだけでとどまらない。なにがたのしいのだろうと想像しようとするが、どのイメージも砂のようにカタチをとどめてはくれず。なぜ、こんなことにざわめいていたのか、不思議でならなかった。まるで大林いうところの「夏休はなぜ終わるのか」そのものだ。もう、飽きた。と、感じている自分に気づき、その急変におどろきもしたが、ま、そんなところだ。冷静に戻ってしまったら、何の甲斐もねえじゃねえか、と知りながら冷えていく気分をとどめられなかった。東京は蒸し暑過ぎる。南馬込をしょっちゅう通っているのに、今夜はひさしぶりに窓明かりに目が行った。もう居るはずもないと思いながらも、あの窓明かりを見上げながら悔し涙にくれた幾晩もの眠れぬ夜を思い浮かべた。三歳上の小さな夜の子。コワモテに囲まれ生きた心地もなかったが、どこかでここで終わってもいい、終わりたいとも願っていた。脳が焼けるような夏。ジェームズ坂の夏。山王の盛夏。ペンだこではなく雀だこが指にあった夏。無頼生活の最後の夏。ま、いまも無頼といえば五十歩百歩か。あのままつづけていれば、いまごろは企業舎弟か温泉やくざ、いや閑古鳥の鳴く温泉場で客のいない射的屋の店番あたりか。はじめて雀荘で目が合った瞬間、やくざの情婦かと思った。因縁をつけられているのかと見まがえた。直後に目の端に笑みが浮かぶのを見た瞬間に、脳天をひっぱたかれたような衝撃があった。数日後にはじめて卓を囲んだ時、真っ正面に座って上目遣いに笑みをぶつけられた。それから、にらみつけられた。雀荘に通いはじめて、はじめて勝ち負けを気にせず打牌することになった夜。ひりひりするような気分で数時間が過ぎ、ふいに席を立って帰っていった。残ったおれは、どうなったのか。たぶんぼろぼろに負けながら、すべての仕草を思い出していたはず。それから三ヶ月の夏があった。むじなの森で、また夏を生きるまで長い時間が過ぎた。あの夏の終わりに、なぜ滅びなかったのか、今もわからない。あるいは滅んでいることに今も気づけずにいるだけなのか。タクシーの後部座席からカラダを斜めにして見上げたその窓に、明かりがついていたのかどうか。ついていたようにも見え、街灯が複雑に反射しているだけのようにも見えた。幸せであってくれたら、とそれだけを思った。夜の街で、いつかあんな目つきと出逢ったら、いまのおれはどうなるのだろうか…。知りたくもあり知りたくもなし。
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テムジンのギョーザ恋し
予約から一ヶ月遅れで内科へ。問題なし。いったん戻り、広尾に向う。深夜にかけてのMAワーク。どこかで切り上げ戻って仮眠したら、朝山口へ。ロケハン。スチールチームと合同。本番では福岡に飛んで博多のテムジンでひさしぶりに親指ギョーザを腹にいれてから関門海峡越えて山口入りすることに長岡たちと決めた。ひさしぶりにあのうまいやつにお目にかかれると思えば、西行きもまたたのし。
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思案橋は何処に。
曖昧なイメージが3フレームずつくらいの短さでアトランダムにフラッシュしていく。睡眠不足のせいか冷え過ぎるエアコンのせいか。うんざりしている仕事のせいか。それはつねに笑みとともにある。前後がなく、瞬間瞬間の流れるようなコマが途切れがちに現れつづけていくのだ。35days。夏の深まりを意識する前に夏が過ぎていたような気分で立秋も過ぎた。二回目の新月も過ぎ、三日月も越えた。耳の奥に二つのメロディがこびりついたままで三日が過ぎる。お盆前というのに目を閉じれば色づいた景色が広がっている。鎮まるのではなく猛っていく秋。十代の頃のような荒ぶっていく秋。昂ぶりを抑えきれそうもない。暴発寸前だ。こんなに冷えながら燃えていけるのか。
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コイズミが嫌いである。
が、野党はどういう理由で法案に反対したのか。2年間はこのままにし2年後に民営化としたいと岡田がホームベースのような顔で会見していたが、だったら賛成なのではないのか。元社会党は、共産党は、はたしてどんな詭弁で反対票を投じたのか。組合の顔色うかがって賛成し損なった民主党が、遺族会の票をあてにするための靖国参拝だとコイズミを責める。目くそ鼻くそとは言いながら、昨夜のマンガはコイズミに一分あり。まなじり決して不退転を表明してからのコイズミのわかりやすさは際立っていた。嫌いではあるが、みごとでもある。郵政法案など、郵便やの話などどちらでもかまわないが、殺されてもいい、とまで言い切ったコイズミの圧勝。選挙ではなく、筋道の正しさにおいて。少なくともあのコイズミは郵政民営化を旗印にできた内閣である。大嫌いだったあの顔が、昨夜は凛々しくさえ見えた。それにくらべ脱藩組の下品ぶりと野党のトンチンカンぶりが情けない。民主党は、きっと惨敗だろうな。
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東京DOLL★★★★★
石田衣良著/講談社
帯に「わたしは、恋する人形。」と。
ひさしぶりに小説を読めた。
恋は、いつもイ、タ、イのだ。
いい出来だった。
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13人で5時間。
今森さんあての撮影協力依頼を書き終わったのが3時15分。プリントをセットしシャワー。熱い湯ですっきりしようとしたのが裏目に出て汗ひかず。プリントアウトをさっと読み直し、とりあえずOKにする。渡辺に少し遅れるむね連絡し、駅に。駅までの3分で汗だく。やめちゃおうかなと一瞬おもったがなんとか電車に。品川で山手線に乗り換え新宿まで液晶ニュースを見ながらエアコンの吹きだし口の下から一歩も動けず。浜崎あゆみの中吊りの下に座っていた女の子が浜崎あゆみそっくりだったので、ちょっと驚いたりしているうちに、新宿。南口の駅前でタバコに火をつけ、やっぱり帰りたくなる。これもなんとか説き伏せてマインズに。ビルの入り口でまた一本。30分遅刻。あきらめて22階へ。佳境だった。そのまま、何本分の打合せをしたのか覚えていない、終わって木山さんや吉田さんと挨拶を交わし外に出たらすでに9時20分。留守電をチェックしたら2件。着信表示はなかったので機種が古くなったからなのか、22階の電波状況がよくないのか。とりあえずコールバックしたが留守電になっていたので、あきらめ相馬さんたちと南口のねぎしへ。とにかく背中と腹の皮がくっつきそうになっていた。5時間ぶっ通しで脳を使っていたから、いっきに空きっ腹となったのだ。むさぼるように丼一杯の麦とろと豚&牛を平らげた。相馬さんに、めずらしいね、と言われ、そっちと違っておれはアタマを使ったから、と答えたらイヤな顔をされた。店を出て携帯を見たら着信あり。コール音に気づかなかった。そのままタクシーを拾い蒲田に戻る。疲れこそしなかったが、タフな打合せだった。ま、タフなのはもっぱらあの人だが。電通4人、電通テック5人、つごう9人もまた、タフではあった。テーブルにはいちばん多い時で13人が。怒れる12人というのは聞いた事があるが…
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休符
スタジオでウグイスの鳴き声を聴き外に出たらヒグラシが時雨れていた。とりあえず休符をうてた。数日間のオフ。食欲があるようなないような妙な気分のまま生卵を飯にかけかきこむ。風呂に入り、公園で涼む。秋ではないが、あんがい涼しい夜だ。風を感じるよゆうが少し出たのか。
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広尾rstudioにて
とりあえずクリア。けっきょく眠らずにスタジオへ。Mixが終わりDVDを焼きはじめたところ。Pの件を、井口さんに話す。仕事として対応してもらうように頼む。昨日の仕事でひとつだけ印象に残ったこと。去年の夏ロケハンの素材をベースにつないだ「里山」のイメージが、ノスタルジックでとてもよかった。ああ、このテはまだ試していなかったな、という“発見”あり。近いうちに、忘れてしまわないうちに、山岡と、この感覚をまとめておきたい。一睡もしていないので、今日は帰ったら撃沈だろう。6月末のJVC仕上げから今日まで一ヶ月あまりで5タイトルの仕上げ。ふりかえればよくしのげたと、あらためて。振り返らなかったから、できたのだとも、あらためて。誰とというのではないが、祝杯をあげたい。乾杯である。
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脱出。
夜になってアップ。電通テック相馬さんに送信。湯治部ML
から自分を外してしまったので、こんなときはひどく面倒くさい。ま、あれは意地だ。トム・ソーヤというネーミングは違うのではないか、と気になりだしたので中断に。タイトルは、キモだから。south_paradiseの問題点の指摘が届いた。10回ばかりloopしている、その中心の厚み不足ではないか、という指摘。せつないのはいいが、帰る場所が見あたらない…とも。なぜ、終わったのに引きずっているのか、うなずける気がした。いい展開だが、救われない印象の原因ともいえそうだ。あと一日、いや二日、検討し直す時間が必要だった。勉強になった。と同時に脱力していることもねえのだな、とも。よし、脱けるぞ。脱出。
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天龍八部全40話★★★★★
DVD
最終話まで一気に。最後の10話分のパワーは、凄かった。アメリカナイズの方向が濃い韓流と比べると、中国パワーはどこまでもアジアンテイストである。底力は、圧倒的にこっちだろう。いや、おそれいった。
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