2001年10月の記事


馬でもあれば…
朝日に明ける街を見た。
夕日と暮れる街も見た。
春のような眠りにひきこまれそうな一日だった。
朝の湾岸からはじめたロケハン。
都内を横断し、市谷で沈む太陽を眺めた。

思わず撮影部に連絡をした。
空いているHDカメラがあったら撮って欲しいと頼んだ。間に合ったかどうか。
もし撮れていれば、東京がアフガンの砂漠の都市のようにも見える年に何日かしかない不思議な夕だったはず。

馬でもあれば、思いきり疾駆したくなるような太陽の輝き。モーターのついたクルマでは、さすがに絵にはならない。
外堀ぞいの桜の一部が紅葉。街のあちこちで秋の色を見かけた。

今宵、満月。
予定ではいまごろ房総の海辺で月に挑んでいるはずだったが。
途方に暮れながら原稿を書いている。

渡辺は《むじな戦記/外伝2》に最後の手を入れている。この一本を松明あかしの熾火とするために。
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おにぎりと湾岸の朝
二時間眠って目が覚めた。浅い眠りが続く。6時半に渡辺が寄るから眠っても仕方ないのでコーヒーを淹れ夜明けを待っている。《C》のつづきはロケハン合間にすすめることにし、ぼんやりと時間を過ごす。頭の芯が重い。
今朝は麹町の阿部商店の握り飯が食べたくなった。ロケの朝によく買ってこさせたやつ。四谷を通るのだから寄ってみるか。
CATの仕事をしなくなってからしばらく食べていなかった。
早起きしても、結局頭を使ったのは朝飯のことだけ。社会復帰もなかなか大変なもんだ。
朝の湾岸を久しぶりに走ることになる。
おにぎりと湾岸の朝。悪くもないか。

はやく朝よ、来いと思う。
気がたかぶって、しずまらない。
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民話のような毎日である
どうも早寝早起きというのがカラダに悪いのではないか。日が暮れるころになると、とろりと眠くなる。まぶたがたれさがって開くまでに5秒くらいを要しているように感じてならない。つまりまばたき5秒。
風呂に入ったら出るのがいやになった。
明日は五時半起床。なんだか民話の世界に生きているようでおかしい。

三菱地所の[Tokyo Voices]が3年経過して仲通りの国際化が目覚ましいのに、いまだにクライアントに好評だと知らせあり。
6タイトル同時進行の春で、一ヶ月くらいスタジオに半ばこもっていたときの仕上げ。

朝の七時に、何も考えられなくなり、
仕事をしていてはじめて「ここまでで勘弁して下さい」と泣きを入れた作品だった。
1カットも撮影の現場に行くことができず、指示したものを編集室に届けてもらってはその場でチェックし即編集、というアクロバットのような仕事をした。俳優座の先にあるコトブキスタジオと有栖川公園の近くのアールスタジオとを廊下トンビのようにタクシーで往復したときのこと。
ま、いろいろあったな。
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プロローグ[SUNSET1993]
プロローグ[SUNSET1993]を書き終わったところで日比野と小山君から電話。長野日赤の安里に20年ぶりで連絡をとり、どうすればいいかを聞き出す。明日一番の手配をとった。懸念をつぶしておきたかった。

プロローグはいい滑り出しで書けた。
グレートバリアリーフの写真が欲しいので渡辺に世界遺産の写真集を手に入れるように頼む。紀伊国屋か熊沢書店で。

できればエピローグの目処をつけて今夜は早寝しようと思う。あとは登場人物と世界三極の配分。
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スパート
勤勉な一日となりつつあるな。
7時過ぎに起き、朝刊二紙とテレビニュースをチェック。コーヒーを二杯。タバコを五本。渡辺に拾ってもらい新宿へ。打合せの定刻前に着いたのはまことにひさしぶり。頭をかかかずにスタートできるというのはいい気分だった。先週の素材をチェック。来週以降の撮影内容の調整と仕上げのスケジュール確認。相馬さんを残し、中山、阿部君を誘い昼前の昼飯に向う。
「ねぎし」へ。エルタワーの地下の方に入った。定刻前で空いていた。麦とろ+Wカルビ定食を注文。んまかった。
中山たちと新宿で別れ、オフィスに。
どこまで書けるかわからないが、二時からスパートとして行けるところまでいってみよう。
化粧品の演出も引き受けてしまったことだし、そろそろせっぱつまってきた。

今日のBGMは
YANN TIERSENの《L'ABSENTE》でいくことにする。
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大島弓子の「夢虫・未草」で弾みをつけた。
すこし興奮したか短い眠りで覚めた。雨。
今朝の思いつきを読み直す。
いけそうだと思えた。

熱い風呂にはいり、髭を剃る。
やさしい気分でとりかかるために、
大島弓子選集第10巻《ダリアの帯》と《四月階段》を選ぶ。
「桜時間」「金髪の草原」「夢虫・未草」の三編を時間をかけて読んだ。
これでデジタルワールドに向かえるな、と思えたのでストップ。
これ以上読んでいると今日これからサイバースペースの展開を書く気分には戻れなくなりそうだ。
久しぶりに読む大島の世界は、しかし精緻だ。
ここまでいかれてしまうと、その後に続くものが出ないのはムリもない。小説で吉本ばななが大島の世界を活字に置き換えようと試み、かろうじて成功したくらいか。それも続いてはいない。
大島は描くのをやめたのだろうか。見かけないだけなのか。

これからオフィスへ。
たのしいシノプシスが書けそうだ。
こんな気分はひさしぶり。
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plan-B
俊太郎の《リレー》ではなくIPでシームレスに《個=人=モノ》がつながる、と想定しよう。sunrise sunset/時差を活かすとして配分を三極+どこに持ってくるか。例のプランはごみ箱としたうえで。
北米で2地域。NYを外すかどうか。いずれにしても一箇所はキーウェスト。40代の女性のライター。《沈黙の春》のアップデート版に取り組んでいる。夫は《画像》を扱う必然性。ネイチャー専門のキャメラマン/陳腐だ。ナショナルトラスト/仕事柄必然性あり。GPSマップ。マイクロプリンターの人間以外の利用。フィールドワーク中に妻の発病/眼科関連を知らされる。専門医はNY。遠隔医療。しかしドクターはアムステルダムに学会で出張中。さらにボンにしかない診断装置のことが判明。キーウェストでデジタルX線撮影。瞬時にアムステルダムの医師と、ボンの専門病院の診断チームとで診断。3Dディスプレイを通して該当する患部が明示される。遠隔オペ。無散瞳眼底鏡なども駆使され無事に成功。デジタルデリバリーをここで使うか。超高精細の印刷が不可欠な画像情報でそいつは病院には入っていなかった。

これを一つのシークエンス。
さらに東アジア/シンガポールと日本
フランスとナミビアの二つのシークエンス。
頭と終りをオーストラリアのオゾンホールの分析家とする。

ラストはオーストラリア。巨大な朝日。
グレートバリアリーフで全員集合。40倍、あるいは86倍ズームを使って、《視線入力》をするライター/回復中の療養を兼ねている/の女性から一気に超俯瞰へ。
ミッシングリングは《過去のボランティア活動》。アフリカのどこかのテントの一夜/8年前。炎。巨大な夕日。ここに分析家もいる。
あるいは8年前のオーストラリアでの《オゾンホール対策のイベント》もありえる。
あるいは南米。三国の国境が接する巨大な滝/名前調べる/の近くで《水質汚染調査+森林環境調査》。
回転する地球ではなく、メルカトール図法で描かれた大航海時代の世界地図が変容しながらメビウスの輪のようにつながり現代の地図へと変化。

10分+オープンエンド2分の12分前後。

時差の配分をチェックして地域は明日選び直す。ある一日、24時間として想定。
だから、sunrise-sunset。

構成のスタイルをとらない。
パラレルな断章を並べる。
水滸伝/三国志風の20字2行どりのキャプション/コピーではなく。

新世紀digital-リレー。
これで俊太郎から離れたろう。きっと。

検討は起きてから。
くそして寝よう。
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ほぼ半月のズレの記憶にぶちあたり、覚醒。
《高校教師》のDVDが手に入ったので、さっそく第一話で確かめた。記憶違い。
正確にはこう言っていた。

  「心配いらないよ。
   ワタシがいるもん。
   ワタシが守ってあげるから」 と。

新任の真田が教え子の桜井に、校門をくぐったところで背中から投げられたセリフ。
いずれにしても真田は、このおもいがけない言葉によって迷宮へと踏み入っていくことになる。
いつか通して見直そうと思った。


渡辺が秋葉原から戻る間、オフィスのソファで毛布をかぶって眠ってしまったようだ。起こされた。
すこし話をしてから、先に進めそうもないので今夜はやめることにした。

ロケで三階建ての住宅を何度も上がり下りしすぎたせいか、めずらしく脚がはっている。


進むことはかなわなかったが、
ぶれのコアがどこにあったのか、
あると考えられるのかはつかめた気がする。
思いいたってみれば、なんだそんなことだったのか、とも
これはきついことになっていくなとも考えられた。
森田の詩は対の幻想を描いているような衣装をまといながら、向かっているのは自分一人。そのことに長い間、気づけずにいた。数時間、執拗にリピートしながら、そのことに思いあたり、晴れ間がのぞいたように感じた。

事実は事実としてあるのだが、
自分を揺らす理解不能のぶれは、
たぶん今夜たどりついた感じ方で合っているはずだ。


その道に踏み入る方法がまったく視えないが、選択肢が他にない以上、前に出るだけだ。やっとわかったよ。
時間の記憶の半月ズレがこれだけ大きな意味をもっていたことに唖然とするが。


誰の問題でもなく自分だけの
自分一人の問題だった。

ま、いくらかは寂しくもあるが、
めでたくもある。


《G線上にひとり》に感謝だな。


気づいてみれば、午前1時半をまわっている。10時間あまり考え続けたことになる。
この間、奇妙なほど何も気にならなかった。こうして慣れていってしまうのだろうな。努力では敵わないこともあるのだ。


ここまで、来れたじゃねえか。
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最後の《春爛漫》の凄絶なまでの抑揚。
[春爛漫]。これほど美しく抒情的でありながら、ほとばしる激情を感じさせる歌を、俺は聴いたことがなかった。アルバムとして、何度かかけたはずなのに、どうして記憶にひっかかることがなかったのか。
春と青の畳み込みのすさまじさ、最後の《春爛漫》の抑揚。なぜ引っ掛からなかったのか。

 
  
    [春爛漫]


     《桜の花びら
      踏んで 歩いた
      君と肩くんで 熱くこみあげた
      春よ 春に 春は 春の
      春は遠く
      春よ 春に 春は 春の
      春は遠く
      悲しみは 水色にとけて
      青い空の 青さの中へ
      青く 青き 青の 青い
      青さの中へ
      青く 青き 青の 青い
      青さの中へ
      哀しい夢 花吹雪 水の流れ

      春爛漫》



6時。その青も溶けて夕闇。
洒落にならねえな。
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たとえば「ラスト・ワルツ」
このベスト・コレクションの森田童子の岸田劉生の[麗子像]をほうふつとさせる肖像を描いたのは風間完。蒼い背景に右肩を下げ、胸元が大きく円く開いた淡い桃色のシャツかセーターを着た森田童子がまっすぐに前を見ている。涙がにじむその寸前でこらえてるように見える。風間はその全体をやさしくぼかしをかけて仕上げている。
眺めていると、抑え難いものが、ある。



  「ラスト・ワルツ」

   《美しき明日に
    ついても語れず
    ただあなたと
    しばし この時よ
    すべてが なつかしき
    この時よ
    すべてが終わる この夜に
    せめて 最後に ラストワルツ

    この暗き部屋の
    窓から 
    街の灯は まばゆく
    自由が 見える
    すべてが 遠き
    この時よ
    このまま 若い時が 終わるのなら
    せめて 最後に ラストワルツ

    美しき明日に
    ついても語れず
    ただ あなたと
    un deux trois
    すべてが 帰らぬ
    un deux trois
    すべてが 終わる
    un deux trois
    せめて 最後に ラストワルツ》
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[G線上にひとり]
virginに問い合わせたら[高校教師]のDVD -BOXが出たばかりだが取り寄せになるというので、渡辺が秋葉原に向かう。ついでに[トリコロール]三部作、[幕末純情伝]、ル・コントの[タンゴ]、[橋の上の娘]を頼んだ。

日が暮れだしたので窓を閉め、ダウンライトをしぼり、毛布を出してソファに横になって、森田のアルバムを聴き続けた。刺激が強すぎた。
たとえば次の[G線上にひとり]にまったく
引っ掛かっていないにも関わらず、きょうは妙に突き刺さる。



   [G線上にひとり]

  《夏草の上に
   ねそべって
   まぶしい孤独な
   夢がひろがる

   ひとり目ざめて
   あくびして 涙ふいた
   夏の空は
   ヒコーキ雲

   何にもいわない
   六月の空は
   ぼくの好きな
   みずいろです

   暗闇よ ぼくを呼べ
   遠い記憶へ
   あなたのところへ
   ぼくをつれてって

   やさしい風は
   ぼくをなでて
   ひとりは とても
   いい気持ち

   夏草の上に
   ねそべって
   いま ぼくは
   死にたいと思う》
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森田童子[ぼくたちの失敗]を聴いてしまった。まいった。
先の見えないままにタイトルだけは思いつけた。
書体は痩金体を斜体でサイズは30ポ。

   「その先の、《明日》。」

ここにサブタイトをlegend of the 《C》と入れてみた。12ポ。
語源の「読まれるべきもの」の意を強く意識して。悪くないように見えた。
で、止まった/ストップ。昼から4杯目のコナ。プリントアウト。
[environment for the earth=daynight]-[workingliving=stylebook=]
-[imaging technology] -[三極]-[environment for products=for the earth]
おおざっぱにそう考えた。オーストラリア・紫外線ホールからスタートとして止まった。
つまるところ進んだのはタイトル。それだけ。
てきとうにCDを探す。どういうわけか森田童子[ぼくたちの失敗]が目に入った。
なんでいまごろ、とぼやきつつセット。たぶんここで終わりにして2時間くらい
ソファに横になれば良かったのだ。あとで悔やむから後悔。すでに1時間経過。
[蒼き夜は]をリピートし続けている。まいった。

  《春はまぼろし/ふたりは悲しい夢の中/君といっそこのまま/
   だめになってしまおうか/もどろうか/もどろうか/それとももう少し/
   このまま君と眠ろうか/春はまぼろし/やさしいばかりの今夜の気持/
   君はぼくのひざまくら/眠れそうかい/眠れそうかい/それともこのまま/
   君と死んでしまおうか/春はまぼろし/淋しいだけのふたりなら/
   何にもいわずに/せめて君と軽やかに/踊ろうよ/踊ろうよ/
   それともこのまま/君と落ちてしまおうか/君と落ちてしまおうか》

べつだん毎日の暮らしにどんな屈託も、屈折もあるわけでもないが。

野島伸司が[高校教師]の冒頭で「ワタシガタスケテアゲル」とオフで
かぶせたあのシーンをふいに思い浮かべてしまった。
ビデオでまとめて見たとき、あのつかみで野島の凄みの底を知ったのだ。

森田童子ベストコレクション[ぼくたちの失敗]。
こんなもの抜き出してしまった、俺の失敗だ。


今日は、ここまで。あとは知らぬ。
[高校教師]でも買うか、借りるかするしかねえな。
それから蒲団かぶって寝ちまおう。

明日が、あるだろう。
きっと。
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今日書けなければ、降りよう。
丸二日、早朝から夜遅くまでの撮影をしたせいか、天候にめぐまれ順調にいきすぎたためか、帰っても興奮がつづいてすぐに眠れず、結局五時近くまで起きていた。
いちど七時すぎに目覚めたが時計を見て目を閉じた。九時少し前に小さい子供たちのたのしそうな声で起こされた。近くの公園の前に幼稚園児が数十人あつまって何かの行事がはじまるようたった。眠いなとも思ったが園児たちの小鳥のさえずりのような声のトーンに苦笑いしているうちに覚めた。
このところロケ用に朝に戻したのが効いているのかもしれない。節々は熱っぽいような疲労が残ってもいるが、光も風も昨日にもまして気持ちよさそうな秋晴れの一日になりそうだ。
今日こそはCの企画、行けるところまで行くことに決める。
思ったよりも脳は働いてくれそうだ。
カラダだけを酷使した二日間というのがいいバランスになったのかもしれない。
どこかで脳を使えという信号が出ているような気がする。
この気分につけこんでしまえば、カタチにたどりつけるはず。じつにひさしぶりの感覚ではある。

風呂、朝食を一時間ですませ、十時過ぎにはオフィスの机に向かうつもり。
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帰還。
0:00am
オフィスにたどり着く。
現場を出た直後から眠りに落ち、蒲田につく直前に覚めた。腹が空いて起き。とりあえずラーメン屋にとびこみ食べた。考えたら昼の油で固めたくそまずい仕出しに少しだけ箸をつけてからは、キャスティングディレクターの青木さんが差し入れてくれたケーキ以外腹にいれなかった。

HD-F900はしかし、ディティルの描写力が異常なまでにすぐれている。そのことはとても新鮮な驚きだった。

ひさしぶりの仕事で、
緊張したが、満足できた。

いや、沈没しそうである。
オフィスの椅子に腰を沈めたら立ち上がれそうにない。
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秋の夕闇と《Free Love》
カメラポジションから少し離れたキッチンにて。住宅街の輪郭を淡く残しながら秋のきれいな夕が暮れていく。
昨日、今日と撮影は順調に進んでいる。
はじめて本格的に使うデジタルHD-F900の威力は抜群である。

透明なガラスの水鉢にガーベラの花を浮かべて、明るめの木の床に置き、昼下がりの秋の陽で影をつくり、風で揺らし、その移ろいを撮った。これは水墨画のようなふしぎな趣があり、描写能力の高さをまざまざと証明してくれた。

一時間前からフレディ・マーキュリーの《Free Love》をエンドレスでかけている。
この曲は秋の宵によく似合うな。
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泥沼ぬけられず。つかれはてた。
一睡もできず。久しぶりの撮影に興奮したのか、つまらぬ気がかりから抜け出られなかったのか、不安定で苛立ったまま朝になった。

この状態を続けていると、もう底なしだな。

ひどく疲れた。むなしい気分が濃い。

夕べはきれいな半月だったとメールで知らせてくれた人がいたが、もう月など見る気にもなれない。
月は、渡辺にまかせた。


いちど東京をはなれようか。
本気で仕事も離れてみようか。

どこかで気持ちが切れてしまったように思えてならない。


なにをやっているのかな、おれは。


七時ジャスト。
とりあえずはロケに。
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http://homepage.mac.com/torum_3/Voices/にさらに6人を追加
電通の西田さん、彫刻家の安藤さん、副館長の村上さん、事務局長の柳沼さん、電通テックの笛田さんたちをアップ。単に動画でいくだけだとバカに楽だ。

明日は6時起き。
予報は晴れ。
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CLEO LAINE《A Beautiful Thing》も追加
追加の一枚。
CLEO LAINE《A Beautiful Thing》。
とくに《ALL in love is fair》などをかけたい。

Voicesに三人をアップしたが、腹を抱えさせられた。いや、強烈である。
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http://homepage.mac.com/torum_3/Voices/
左のメニューの一番下の《Voices》のクリックでもOK。
《むじなの森》をいろどった登場人物たちのインタビューを暫時アップロードしていく。
最初にアップしたのは、ご存知、菱沼大人である。粋でいなせな照明の人である。

引き続き、ジ・アース館を設計した青柳さん、会津磐梯山から雪を運んで降らしたのだと言い張る井上さん、3Dシステムの怪人・池田さんなども今夜中にアップ予定。
今後、時間のあるときにどんどん更新していく。人の顔と声は、やっぱりいい。写真では味わえない空気がある。

そんなわけで今夜はまったく仕事にならん。
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《tears of stone》とsummertimeコレクションも追加
さらに、THE CHIEFTAINSの《tears of stone》を選ぶ。アイルランドの歌姫たちのアンソロジー。
さらに菱沼さんにもらったsummertimeコレクションを持っていく。
よい音楽は季節を越えるから。ね。

これで退屈はしねえだろう。

パワーブックから出すために渡辺がドンキホーテに行きやけにむさくるしいスピーカーを買ってきた。ま、いいけど。
現場で見た人は、おれの趣味?とは思わぬように。

渡辺がバナナをくれた。
先端が悪くなっていた。
なんだこれ?
と聞くと、腐っているわけじゃないです。と答えた。
じゃ、何だろね、この黒いべちやっとしたのは?とおれ。
あ、それ、あたって傷んでるだけですよ、と渡辺。
仕方ないので食べた。明日、ロケ現場におれがいなければ、それはこういう経緯なのである。
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ヨー・ヨー・マ《プレイズ・ピアソラ》の《スール(南):愛への帰還》
フレディ・マーキュリー以外に用意する次の一枚はヨー・ヨー・マ《プレイズ・ピアソラ》。
聴きたいのは《リベルタンゴ》自由リベルタとタンゴを合成してタイトルとした1973年の奔放な曲。それと《スール(南):愛への帰還》と題されたフェルナド・ソラーナス監督の青のイリュージョン映画《スール》のテーマ曲。
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OUT.
昼少し前に起きる。頭はもうろう、鼻水、目はかすむ…

おっ、カゼじゃん!

と合点。カゼならモノを詰めて考えるのはムリかつ無駄。で、懸案からOUT。
プラグを思いっきり引っこ抜く、ことに。

ま、ありていに言えば乗れなかった。
サボタージュ。今夜/明日/明後日の三日間で、これだ、という切り口にたどり着けることを神頼みすることにした。
それでだめなら、ごくオーソドックスなものを週末に書けばいい。

デッドライン越えるとどうしてこう極楽トンボに激変できるのかわからんが、明け方までずっとひっかかていた咽喉の小骨がきれいに無くなっている。
この一週間、こいつが原因であちこちに苛立ちをふりまいたようにも記憶しているが、ま、勘弁していただきたい。

酒もドラッグもやらぬワタクシは、自らハイローをつくりだすように遺伝子にプログラムされているようだ。袖触れ合ったのが不幸とあきらめてくれ。

いやしかし、すっきりしたので、昼飯を食べた後、ふっと眠くなり一時間半くらい午睡。これがまたなんともいい眠りで、このところ出てくる菱沼大人の夢を見ることもなく、おだやかでボラボラ島で巨大なハンモックに揺れているような塩梅だった。

急に暇ができたので日暮れとともにオフィスへ。このメモに出てくる菱沼大人をはじめ、何人かのむじなの森スタッフのインタビュー映像をキャプチャーしてもらい、アップロードすることにした。

年末あたりでまとめようと思っているメイキングビデオの下準備代わりを兼ねて。
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「人館一体」。なるほど
運営スタッフのディレクターの一人坂本君から以下のメールが昨日届いた。
「人館一体」という造語が気に入ったのでここに転載した。
1日に訪れたというアテンダントが誰かは知らぬが、その想い、よくわかる。
それにしても「金色むじな」の最後の一体を坂本が持っていてくれたのは嬉しい。
会津の少年白虎隊の起き上がり小法師たちとともに、「むじな」もまた86日間をよく守ったことになった。
松明あかし、時間があえばおれも行ってみよう。こんどはあの小松明の群れをのんびりと見てみたい。
福島の祭りにはどこか「耐え忍ぶ」ような想いにあふれたものが多い。須賀川の松明あかし、白河の提灯祭り…
8月12日に見たあの「すり足」行列の異様なまでの迫力を忘れられない。
アイリッシュダンスの奔放なエネルギーにも魅かれるが、ためこんだ想いを奔出させる寸前でとどめたような「すり足」の静かな気迫にはさらに深まるものがあった。



《会期中にジアースへ監督からメールを頂いた時に、
「須賀川と東京と離れていても、高ぶる思いは君たちのそばにあります。」
このフレーズの意味をきちんと確かめたく、ダイアリーをひとつづつ読みました。
監督の気持ちが伝わってきました。
あの儚い夏の伝説・・・いや今となっては神話かも?

閉幕の翌日の10月1日ジアース館の外壁があっという間に壊された。
その日、あるアテンダントから自分の携帯にメールが着ました。
「1日に入口にあるプランターを貰いに行った時に、ジアースの姿を見ました。
もうあそこには行けない、行くと悲しくなるから・・・。」

形あるモノは全ていつか消えゆく。

はじめから消えていく事はわかっていても、
どうにも収まりがつかない。
こだわりや執着心でなく、
あれほどまでに、情熱をかたむけ
感情移入した事はなかった。
まさに「それがすべてのはじまりだった・・」
あのフレーズの意味の大きさがわかった気がする。

人馬一体という言葉がありますが、
むじなのみんなは、きっと「人館一体」だったんでしょうね。
ジアース館は無くなっても、
9月30日に全員で分かち合った、あの感動は不滅です。

僕は11月に「松明あかし」を見に須賀川へ行って来ます。
あのスタッフと共に楽しんできます。
「俺たちのたいまつぅ〜〜」なんて叫んだりして(笑)

監督、こちらこそ長いお付き合いを宜しくお願いいたします。

PS10万人来館記念でお客様に差し上げた、
金色たぬきの「むじな君」の置物のもう一匹は
僕が大事に飼っています。》
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《外伝2》プロローグ特別篇アップロード
《むじなの森》の博覧会は9月30日に終わったが、なに、お楽しみはこれからだ。
30日のフィナーレの小松明あかしを加え、さらに29日の十三夜の月、1日の名残の中秋の満月でサンドイッチした《外伝2》プロローグを本日「むじなの森」にアップロード。5MBのムービーなのでブロードバンドの人じゃないと辛いと思うが、ぜひ見て欲しい。
昨日まで2分のプロローグが一気に5分近くに増えた。全体の1/3がプロローグで構成されるという、まことに奇っ怪な仕上がり。
須賀川の松明あかし、行きたくなってきたよ。
ま、あれがはじまりのひとつだったしな。

邪魔ははいったが、いや気分のいい夜になったぞ。
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マライアの《Glitter》を聴きながらなす術もなく
さてオフィスに移動して、書き始めようとやってきたらノートンがかかっていて「最適化」の最中。待つこと2時間。やっと終わったと思ったら「外伝2」の改定に1時間必要だというので明け渡す。原稿書くのにちまちまパワーブック使っていられないと思ったが、「ヒゲの渡辺」のおかげで21インチが使えない。まったく毎日のんびりオフィスで遊んでいるときにノートンかけてりゃいいじゃねえか。これで明日の夜までにメドが立たなけりゃワタナベのせいだ。

家に帰って広げ直すのも面倒なので、
コーヒーをいれてもらい順番待ちをすることに。その間、先週の金曜日のみなと未来のロケハン写真をじっくりと見る。日ざしがきれいなので、まことに美しく撮れている。使い捨てフィルムも捨てたもんじゃない。

「外伝2」は30日の松明あかしのシーンを点灯式の夜と差し替える。その前後に29日の十三夜の月、1日夜の名残の満月を加えるように指示。さらに短いメッセージを追加。

マライア・キャリーの映画《Glitter》のサントラ盤を勢いづけに聴いている。
そういやイチローさんと最初に仕上げたサイエンスシリーズの「情報の映像化とその可能性」の構成を書いているときにかけていたのがデビュー間もないマライア・キャリーだった。なんだ。それならこんども楽勝じゃん。

ああ日が暮れていく。
早起きしたので、もう眠い。まいったよ。
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エルロイ流の仕事スタイル?
ブレイク。メールをチェックしたら菱沼さんから今日退院した、とメール。朝、彼の夢を見たばかりだったから不思議な気がした。アパートを一緒に借りるという夢だから、なお驚いたが。おれの愛はもはや性別を越えてしまったのだろうか。ちよっとやだな。しかし、メールを読むと自主退院を繰り返したとあって、笑った。自主退院。繰り返す。そんなことがあったなおれも。

ジェームス・エルロイは《アメリカン・デス・トラップ》の引用によれば、
「いつ仕事をするのか」と聞かれて
「午前中、午後、夜」と答えたとか。また別なところでは、
「朝早く起き、一杯のコーヒーを飲み、仕事にかかる。頭がくたくたになるか、腹がぺこぺこになると、仮眠をとるか、食事をとる。そのあと、また仕事を始める。午後のほとんどの時間を仕事にあてる。夜も仕事をしている」とも答えている。

ノワールな作家はどこまでもノワールなのがおかしい。おれも腹がぺこぺこになったので、とりあえず食事をとろう。
それから仮眠をとったら、ただの怠惰か。


まだ、見えず。おぼろにしか。
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《tears of stone》THE CHIEFTAINSの朝
雨の音を聴きながら眠った。深い気持ちのいい眠りにつけたようだった。明け方、子供の頃にたいせつにしていたなつかしい人たちと場所の夢をつづけざまに見た。
さらに、おぼろだが、照明の菱沼さんと他に4人くらいが出てくる夢に変わった。どこか南の方を思わせる知らない町。鉄道の駅のすぐ近くに巨大な二階建てのアパートがある。そのアパートはもうすぐ取り壊されることになっているらしかった。菱沼さんとぼくを含む6人くらいの人間が以前にそのアパートの二階の大きな部屋に出入りしていたらしい。それぞれ別なところからその町に帰ってきて、アパートの持ち主に2週間くらいの間、借りられないかとみんなで交渉をしている。主に菱沼さんとぼくが話している。部屋は巨大な階段をあがったすぐの角部屋で、広さが40畳ほどのスタジオスタイルの1ルーム。南側一面が巨大な窓になっている。さらにもう一面も窓。明りの入り方を菱沼さんがとても気に入ったらしく乗り気になる。部屋には巨大な屋外式のバスルームがついている。半地下スタイルで、階段を下りると小川が流れていてその川に沿ってウッドデッキ。その一角に大きな桧の浴槽が置かれている。数人で入れるほどの大きさ。全員、大いに気に入り、2週間の間使わせてもらう交渉に入る。料金は25万。持ち主は6人だから一人8万でいいでしょう、とわけのわからない計算をしてみせたが、みんなそうだね手ごろだな、と納得して借りることにした。夢はそこからがあいまいになっていった。
菱沼さんとぼく以外の4人が誰だったのか覚えてはいない。おぼろには佐藤君もいたような気もするが。
1時には眠りに落ちた。記憶しているのはどこか田舎の宿で聴くようなやわらかい雨の音。雨の音が夜の街のノイズを吸い取ったのか、まことに静かな夜だった。
目覚ましなしで目が覚めたのが7時10分ほど前。
机のある部屋に入ると、朝日が部屋を染めていた。いまもまだディスプレイが見にくいほどキラキラしている。たっぷりと雨を含んだ朝の空気を通ったきれいな光が部屋に満ちている。
昨夜入手したアイルランド音楽の《tears of stone》THE CHIEFTAINSをかけて聴いている。ANUNAの参加する曲が1曲だけ入っているという理由でリストアップしたアルバムだが、そのANUNAが参加した冒頭のイエーツの古い詩の朗読ではじまる《NEVER GIVE ALL THE HEART》から、ラストの《TEAR LAKE》まで全曲、申し分なし。ディーバたちと伝統的なアイリッシュスタイルがじつに合っている。
今日から朝型に切り替え、戦闘態勢を整えるが、初日皮切りとしては上々である。

これから熱い風呂を浴びて、朝飯を食い、
秋の戦いをとっぱじめる。
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我が手の内に、火だね、あり。
渡辺が届けてくれた《外伝2》のプロローグに30日の小松明あかしのフィナーレを付け加えたもの。
フレディ・マーキュリーのFree Loveをフルバージョンで入れてもらうために長めになったが、それが余韻となってかえって良かった。
久しぶりに見たが、涙がにじんだ。
我が《祭りのあと》に。

こいつを近いうちに闇に飛ばす。
さて、どんな波紋があるのか。

狙いは唯ひとつ。
《森のひと》の再生。
ムーブメントに火を点けること。
燎原を燃やしつくす大火のきっかけとすること。

あの夕、空に向けて蒔いた《森のひと》の灰を生命のタネに転化するために。
だてにこの両手を真っ黒にしたわけじゃねえからな。
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災い、転じた。
雨。仮眠3時間弱で起こされる。トラブル。
いったんは受話器をほうり投げた。キーボードを叩き壊そうとして踏みとどまる。昨日、コーヒーをぶちまけて3時間使えなかった上に、capslockキーは完全に死んだままなことを思いだしたのと、こいつも壊すと、あの醜悪でバカでかいプロキーボードを買わされるハメになるから。
熱いシャワーを頭にかぶりながら気を静めた。15分浴びていて頭から湯気が出てきた。渡辺に電話しクルマを用意するように頼む。方南町へ。高速も環七もすべて土砂降り大渋滞。2時間かかった。途中何度か催促の電話が入った。
現場。待っていてくれた。
一階から三階までの各スペースの撮影プランをクライアントと詳細に確認。さらにソファに座りタバコ一本吸う間、美術の大関さんたちとイメージの確認。きっちり30分で外に。帰りは40分で着いた。

ヴァージンに寄ってANUNA関係で注文していたCDとDVD6点をピックアップ。残りは待ってくれということ。廃盤も多いようだった。

帰宅。
収穫は美術スタッフと会えたこと。
メールでのやりとりはあったが、二言三言のやりとりで空気感はつかめあえる。
大関さんと藤崎さん。さらに小池さんも参加できるというから黄金トリオだ。映画屋には真似の出来ない本物のテイストを出してくれるスタッフのそろい踏み。これで半ばは勝ちである。
予定外のことで苛立ちが募ったが、
なに災いも転じりゃ福になる。

その福を、見た。

これで今夜はもうすこし眠って、
明日早朝からキャノンに没頭できる。
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眠れず朝。
結局寝そびれた。8時少し前からオフィスに。ガーベラ、すっかりしおれていた。
朝刊に見開きでキャノンの30段カラー。
このあたりがとば口だろうな、やはり。

ホッとしたのでこれからひとねむり。
他愛ないものではある。やんなるほどに。
ポチのような毎日ではある。あきれるほどに。な。
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消炎しきれず。あとは明日に
一時過ぎにタバコが切れたので外へ。
タバコとお茶とどら焼を買い公園で時間をつぶす。どら焼を半分食べたころにネコが来て足下で腹をみせて甘えてきたから残りを分ける。うまそうに食べていた。お茶もやろうとしたが、渋いのか見向きもしなかった。つれないネコだ。

今夜は夕方のいがらっぽい気分をうまく解消できずに、仕事にかかれずビデオを観て過ごした。いくらかは消えたかと思い散歩に出たが、まだどこかにくすぶっている。
こういう気分で最初の一行というのも気が引けるから、もう早寝することにしよう。

気分を換えるのに明日あたり信州にでも行ってみるかな。あるいは熊野へ。
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《LEON》完全版★★★★
昨夜買ったもう一本《LEON》完全版を観た。こちらはとてもいい状態だった。
前に観たときは何もおもしろくなかったのに、こんどはやけによかった。
マチルダの存在がとても鮮明に感じられ、こんなふうに見方が変わっていくことにおどろいた。
リュック・ベンソン自ら22分のばしたらしいが、出来としては抜群によくなっている。
マチルダはこの後、どんな女に育っていくのか。その行く末の物語を観たいなと思う。映画を見終ってそんな想いを抱くのもずいぶん珍しいことではある。
ナタリー・ポートマン、不思議な魅力を備えた少女だな。あらためて。
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《REDS》のD・キートンのうつくしさ
3時間15分。くたびれた。セルビデオ。品質いまいち。
どういうわけか夕べいきなり《恋と革命》の世界に浸りたくなりREDSを思いだした。本屋のセルコーナーで《レオン/完全版》と一緒に購入。
封切りのときは退屈して途中で帰ったので、評論でだけジョン・リードとルイーズの後半戦を記憶していた。

映画は《革命》の部分がやはり退屈だった。これはハリウッドの限界なのか製作まで手がけたW・ビーティの限界なのか。
しかしD・キートン演じるルイーズとW・ビーティ演じるジョン・リードの葛藤は、二つの強烈な自意識の持て余しかたが、黎明期の世界認識をよく描き出していた。
D・キートンはかくも美しい凄絶な演技をする女性だったのかと、驚く。この映画の時にW・ビーティと恋に落ちた、と読んだことがあるが、その感情の嵐がまっすぐに演技として表出されている。希有な瞬間なのだろう。どれだけ狙っても絶対に出せないものがある。D・キートン自身にとって、この《REDS》の映像はどんな宝飾品にもまして捨てがたいものになったのではないか。
メリル・ストリープの計算しつくした演技とは対極にある感覚だけが到達できる世界。REDSのルイーズ役のD・キートンは輝いていた。
3時間を越える長尺も、彼女のリアリティを感じるためだけにムダとはならないな。
それにしてもこのときのD・キートンはきれいだ。人は恋にこそ落ちるべきである。いつなんどきでも。
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むじなの消息、もうひとつ
ウォーレン・ビーティの《レッズ》が急に観たくなり、探してもらうがDVD化されておらず、近所のレンタル屋にはビデオの在庫なし。とりよせればLDならあるという。いまさらLDもなあ。明日、編集の直しが六本木であるので帰りに渋谷辺りで入手してもらうよう渡辺に頼む。

アテンダントのディレクターの一人坂本君からメールあり。報告書をまとめているらしく、3ヶ月のアテンダントたちの日録からの抜粋の一部を添付してくれた。
まとめながらセンチメンタルになったようだった。
まだまだ、と思い、火をつけるような返信を出した。

夕方からオフィスに来たが、
むじながらみの消息が二つつづいたせいか
何も手につかず、胡弓を繰り返し聴いていた。
秋の冷たいような夕風に胡弓の音色がよく似合う。まだいちども行ったことはないが、乾いた風の吹く大草原にこの身を置いてみたいものだ。
地平線に昇り沈む太陽や月というのを、この目で見たいものだ。

世が世なら
馬賊に身を落とすなどという生き方もあったよな。
そして浮世の義理とやらでアフガン向けて長駆し、世界連邦の特殊部隊のスーパーウェポンであっさり討伐されちゃう。
遺骸はからからに乾いて砂塵にまぎれて吹き散らされ、塵となって大草原に帰っていく。
何の意味もなくとも、清々しい人生だろうな。

それにしても正義の《特殊部隊》というのは、どうなのかね、形容矛盾にはならねえのかな。文法はともかく、言葉にも感情はねえのだろーか。アルファベットのみなさんは。

秋は、しかし血が騒ぐ。
秋と書いて《とき》と読んだ頃もあったしな。

さて、遊びに出かけて、夜の狼の遠吠えでも聴いてくるか。ひさしぶりに博打をしたくなった。あぶない空気が恋しくなった。
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死ぬほど苦しい笑い
「あかり屋」の義の人、菱沼大人と連絡が取れないとこの一週間、わたなべが心配していた。今朝6時頃に連絡があって、急性盲腸炎で入院していたのだ、ということらしい。寝込みにそんな知らせを受けたわたなべの豆鉄砲をくらったようなびっくり顔も見たかったが、あの菱沼大人が盲腸炎とはなおおかしい。
ひさしぶりに腹を抱えて笑った。
粋でいなせな男ぶりも、盲腸じゃなあ。
あの顔でかわいい顔したナースに
「ガス、でましたぁ?」なんて聞かれてるのかと思うと、腹がよじれる。
しかしダンディな彼はそんなとき何と答えるのだろう。窓の外の色づいた銀杏などながめながら、「もう秋だなあ」などと呟いてみせ、大好きなサマータイムでも口ずさむのだろうか。
それにしてもそのときかわいい顔したナースは職を放棄せずに、「で、ガスでましたぁ」と聞くはずだ。
さて菱沼大人、どうするのか?
勘九郎の大見得にとっておきのスポットあてるときと、どっちが難しいのだろうか。

入院したと教えなかったのは、たぶんからかいがてら見舞いに来られて笑わせられるのを怖れたのか。あれは身をよじる苦しさがある。昔、盲腸で入院しているときにバカな後輩が帰り際に天才バカボンの物まねをして風のように逃げていったことがある。笑いをこらえることができなかったおれは退院が一日のびた。枕を口につっこんで必死にこらえたが腹がひくつくのをおさえきれなかったのだ。
そのバカな後輩はいま信州あたりの大学で医学部の部長になっている。その後なんにんの善良な病人を苦しめているのかは定かではないが。
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ANUNA「DEEP DEAD BLUE」の《blackthon》
橋本君に教えてもらったANUNAの一枚目の入手アルバムの中では《blackthon》がとてもよかった。
river danceのDVDをはやく見てみたい。
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《満水子》★★★★
高樹のぶ子の《満水子》/講談社刊の下巻読了。
前言撤回である。小説家ならではのあるいは女性の作家ならではの、読みごたえのある洞察と物語展開にはこばれた。夜更けに、眠れないままに下巻を開き、そのまま朝の光がさしこむまで一気に読まされた。途中マッチがなくなりタバコが吸えなくなったというアクシデントに見舞われたがあちこち探し回って使い捨てライターを発見。5杯のコーヒーと1袋のピーナツが消えた。
上巻で見切らず、良かったと思う。
それにしても沈むダムの水の底に浮かぶ巨大な頭文字、高原の星空に描く頭文字、男の胸に描かれた頭文字のトリプルイメージはみごとだった。

[恋愛といえども人生の時間軸のある部分を染める出来事でしかないのは、誰もが経験上知っていることで、時間が経って振り返ってみれば、褪色もはなはだしく、恋した自分のおろかさが、懐かしい匂いと共に甦ってくるものだ。その意味では、病という言葉がぴったりである。
 しかし、時間の治癒力の及ばない病もある。それは恐らく、男と女の関係でいえば終り方に関係しているのではないだろうか]
[その夜、満水子を抱いたかどうか、これも思い出せない。あまりに痛切な記憶は、脳細胞の慟哭で、簡単に剥げ落ちてしまうもののようだ]

けっこうひりひりするような描写が多く、しんどいなと感じながら、しかしやめられなかった。ふしぎな出来の作品だった。
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Billy StewartのRock風《summertime》
3時間半で目が覚めた。
熱い風呂につかり、熱いコーヒーを淹れ、目覚ましがわりに菱沼さんからもらったsummertimeコレクションのBilly StewartのRock風からスタートとした。

窓を開けると夜風が冷たい。
昼のおだやかさが夢のようだ。

さて、この菱沼コレクション
44曲のsummertime集のどこまで聴くと終わるかな。
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みなと未来21でまどろむ
台風一過の秋晴れに誘われ、
みなと未来をロケハン。
去年暮れにイルミネーションを撮ったあたりを中心に。
春のような日ざしできのうの寒さが嘘のような一日だった。
赤レンガ倉庫の方にも足をのばし、のんびりした時間を過ごした。
ハンモックにでも揺られながら眠ってしまいたくなる昼下がり。
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《満水子》上巻読了、さて迷う。
高樹のぶ子の新作《満水子》/講談社刊の上巻を読み終り、先へ進むかどうか迷っている。帯に著者の言葉が引かれている。

  -満水子という狂奔の川を、
  謎を追いかけて泳ぎのぼった中年男の
  甘苦しく哀れな一年がここに有る。
  恋とはかくも無残なもの、
  ゆめたわむれに始める勿れ、である。

と。
さらに上下巻の帯には次のコピーが分かれて記されている。

  「男にとっての恋とは、性を含む女の謎に振り回され飲み込まれていくことであり、
   女の恋とは、自らの生命の根源に向かって遡上する男を、
震え怯えながら受け入れることではないかと思う」

二年間、福島の水のある風景を追ってきたせいか、《水》という文字に、ことばに強く反応するようになっている。たぶんこの《満水子》もそんな気分の先にひっかかかったタイトルなのだ。「満ちていく水の子」と書いて「まみこ」と読ませる。この風変わりな名に興味を魅かれた。

高樹のぶ子の小説は苦手だったのですこし躊躇したが、読み出した。《満水子》の設定はいいのだが、とりわけ水に映った光景を描くのではなく水の底を描く水の画家という造型は新鮮だった。がそれ以外の色彩がどこか投げやりなのだ。昨日書かれた《時代小説》を読まされているようで、表現としての《リアル》さが決定的に欠けているように感じてならない。ところどころ出てくる女性固有のいいまわし、視点がなければつまらねえソープオペラだな、とさえ思う。

帯だけにすりゃいいものを。
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《水曜日の情事》第1話第2話
野沢尚脚本の新作。まとめて2話を見る。
CX風の荒っぽいキャスティングは割り引いたとしても、野沢はこの永山耕の演出に納得しているのか。あるいは永山は野沢のシナリオに満足しているのか。かみ合っているようないないような、もどかしさが残る。本木と石田という主役コンビに問題があるのではないか。二人ともどこかマンガのように見えてしまう瞬間が多く、その刹那にドラマの糸が切れるのだ。
衣装とメイクの違和感も気になる。
変化球と変化球を組み合わせているだけだと、芯が見えない。野沢尚が書いているのだ、まさかこのままとは思えないが、今日までの2回分を見たかぎり、これは失敗作ではないか。
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《泣きたい気分》★★★★
《泣きたい気分》アンナ・ガヴァルダ著/新潮社刊
原題は「誰かにどこかで待っていてほしい」
さりげない日常のピース・オブ・ライフをパノラマ仕立てで素描した短編集。1999年秋にフランスで刊行され、女性を中心に人気を集めたというが、たしかに[ありふれた奇妙な日常]の切り取り方に独特の角度があり、寝る前に数篇ずつ読むのに似合っている。じっさいおれもそんなふうにして読んだ。70年生まれの31歳のデビュー作。長編を準備中というが、たのしみだ。
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《DEEP DFAD BLUE》を入手
ANNUNAだが今夜の入手は1枚。
さらにvirginに他のアルバムをオムニバスものも含め9点を注文する。
《river dance》もDVDを注文した。

《snatch》のDVDはコレクション版が入手できた。
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ANUNA を探す
橋本君のすすめでANUNA を探している。
とりあえず近くのヴァージンレコードだと本命以外の1枚があるというので、渡辺君が向った。
ほかに《river dance》のニューヨーク公演のDVDが入手できそう。これは予約か。
Cのプランにひっかけたいな、と淡く考えている。
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SNATCH★★★★
Guy Ritchieの《SNATCH》をレンタルビデオで。
スタイリッシュ。途中タランティーノの焼き直し?と危惧したが、大丈夫だった。タランティーノは単純に阿呆臭いだけだが、ガイ・リッチーには突き抜けた才気がある。音楽もよし。拾い物だった。DVDのコレクターズ版を予約した。

《Xファイル》シリーズ8の第2巻から見始めたらモルダーが消えていたのにびっくりした。モルダーでもっていたシリーズだけに、終りだな。経緯だけは知りたいので第1巻を見ておこうとは思うが。

明日はかなり冷えるとか。
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落ち葉に気づいた。
4時過ぎに外に出た。雨。
公園の木々が落葉しはじめていることに気づく。
ひと夏の間、わがなぐさめの場所だった青葉の空間ももうすぐ紅葉していくのだ。
感傷的ではなく、充足した気分があった。

今日の昼に工事が入り、オフィスにADSLが一本追加になる。
番号が変わってしまうのでISDNはそのままにし、タイプ2に新加入することになった。
スタートは1.5MBだが二ヶ月ほどで8MBに変更になる。SONETを選んだ。ヤフーと契約したのだが、フォローが杜撰すぎたので解約することにした。BB革命の端緒を切ったと思わせられたが、ソフトバンク、羊頭狗肉の感あり。そのあたりが株価に直結しちゃうんだよな。孫さんの元気に周囲がついていけていない。今出来ITらしいとは言えるが。
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そのときの牧瀬里穂
沖田が土方への想いを告げ、打ちのめすシーンの牧瀬。寺田屋から沖田と土方と坂本の三人で逃げ落ちた納屋の中で坂本を切るときの沖田。坂本の独白。土方の切っ先を肩に受けたときの沖田の泣き笑い。つかの勢いをさらに映像のリズムが強め、なんともすさまじいシーンである。
二ヶ月余り前の再見から、まったく色褪せずに見直すことができた。やはり大変なものである。
牧瀬里穂と渡辺謙の力演は舞台を経たものだけが到達する迫力で、涙があふれてとまらなかった。
しかしこの映画の牧瀬里穂は女の華だ。
とくに土方に切られたときの泣き笑いの表情は絶品であった。
あんな顔をさせてみたいと、想うのだろうな。男は。
やるもんだよな。
DVDで買うことにした。
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《幕末純情伝》をまた借りてきた。
《れいの》で会った。二年ぶりか三年ぶりか。ロングピースはもう置いてなかった。ゆうべはごめんなさい、とママ。このあいだここで同じ席にすわってイチローさんとCの打合せをしたのだ。こんどは必ず勝とうじゃないか、と宣言。こんな宣言をしたのはいつ以来のことか。やるだけやってみようではなく、DとH相手にどこまでいけるかではなく、圧倒しようじゃないか、とはっぱをかけた。ま、自らにがいちばんだが。
これで退路を断ったわけである。
フランスのTのときのディレクターを加えれば切り口に一風かわった色がつくと話したが、社内事情でニューヨークに依頼したとのこと。そっちはカウントに入れず、おれはおれの世界だけで勝負してみることに決めた。ひさしぶりにプレゼンも引き受けるかな。

DT2の相馬さんと連絡をとったが、SHは後退のうえにさらに後退していた。これは当分、ビジネスに切り替える。100点とるだけなら眠っていてもできること。気は抜けたが、落とし所も出てくるだろう。そのときにまた仕切りなおせばそれでいい。

ほんとうのところ、さらにもう一つハードルの高い仕事が来ないだろうか。DJに手を付けるしかないのかな。

DT2に回らずにすんだので六本木から直帰。
帰りにビデオ屋で「幕末純情伝」をまた借りた。DVDセル版が今夜は手に入らなかったので。牧瀬の熱演をもういちど観たくなった。
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戦線拡大
さてこれから六本木のイチロー氏とおめにかかる。場所はなつかしの《れいの》を指定。
あっちは後退、こっちで前進。
といくかどうかはわからぬが、いずれにせよ膠着しそうなので戦線を常に拡大することにした。
まずは一勝を、はやくあげたい。
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《LORD OF THE DANCE》
代々木体育館で《LORD OF THE DANCE》を橋本君とアリーナで観た。リバー・ダンスの方がさらにピュアでいいです、と言っていたが、知らなかったのでとてもおもしろかった。とりわけアイルランドのなんという言い方かまた忘れたがヴァイオリンを2人の女がステージを所狭しとすべるようにステップを踏みながら演奏したところは鳥肌が立った。音をたのしむことが音楽の減点にあるとしたら、まさしく楽しい音の世界。二年くらい前に観たジプシーのラカトシュの愉快さにも共通するものあり。
その後、西麻布にまわり、橋本がイメージサイエンス時代から気に入っていたフレンチで晩飯。しかしフレンチはこたえた。苦しくなって少し歩いたら、「れいの」の灯がついていたのでのぞく。終わるところだった。あきらめて別れ帰宅。
風が寒かった。

帰宅してメールをチェックしたら、
いよいよ六本木のイチロー氏から召集がかかってた。
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咳の一つに消されたり
アテンダントのディレクターの一人、坂本君から手紙が届いた。彼もまた消炎するために苦労しているようだった。彼らは終わってからまだ2週間足らず。ムリもない。

古いメモを読む。
3ヶ月という時間が夢の彼方のように思えた。
そのメモを書いたのがたしかに自分だったのかどうか、笑ってしまうほどに遠い時間になっていた。
解体はどこまで進んだのだろうか。
あの幻のような夜の空間は、ほんとうにそのカタチを永遠に沈めたのか。
おれが蒔いた「森の人」を燃した灰は、確かに土くれのなかに溶け込んで、あの森の一部とひとつになってくれただろうか。

いつか季節が過ぎたら、
もういちどあの場所に立って
宇崎の「夜霧のブルース」を
誰もいない森に向けて最大のボリュームでかけてみたい。

だからなんだ、というわけでもないが。
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行けるところまで
午後5時前。窓の外に流れる石焼き芋屋の声で目が覚めた。今日もしっり日が暮れている。いそいで髪を洗い、飯を食う。この秋はじめてのコールテンのパンツをはき、カシミヤのポロセーターを着る。ソックスも秋のものにチェンジ。これでパッチをしこめばロケにも行けそうだ。
やっと夏の名残を体から脱ぎ落とせた気がする。大雨のあと、二日続けて眺めた未明の月と夜明けが背中を押してくれたようだ。

台本、さぼろうかとも考えたが、これからオフィスに行き、やれるところまでやってみよう。
これから5時間、集中して行けるところまで行ったら、それでストップ。ということで。

BGMはひさしぶりの古いロックオンパレードで。皮切りは《長い夜》か《吹けよ嵐》になるか。
いざオフィスへ。
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完全な三日月。
十四日未明、昨夜につづき月を観た。
過不足のない完全な三日月。
ベビーブルーではじっまった秋の一日は、
まことに気の晴れる時間だけで埋めることができた。
リスタートとしては、申し分なし。
ひたすら眠いが…
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謎の男についての回答
●深夜に届いた質問/スタッフSさんから
 「で、なんでも 知ってる 謎の男性・・・?
 すっごく 惹かれました。彼はいくつくらいの方?
 どこの国の方?どの時代の方?
 なんでそんなに何でも知ってるの?
 ・・興味がつきません」

その男性は、むかし、ホメイニ革命の起きたイランに嫌気がさして、家に代々伝わった手織りのペルシャ絨毯を三枚、金の鞍を乗せた一頭のラクダに積んで、月の砂漠をはるばると越えて亡命したオマール・アザリという名のイスファハンの人である。
サザン朝ペルシャの時代から連綿と続いた学者の家系の15代目の当主で、古代ペルシャ文字の研究家として知られていたとか。
やけに甘いザラメのような砂糖をたっぷりと入れたどろっとしたコーヒーと水タバコとピスタチオを強要する癖のほかは、日なたの子犬のように正しくかわいい学者である。
我が国の学者と異なり、なにしろサザン朝ペルシャの血を引く方だから、その学識たるやたいへんなものなのだ。なにしろ彼は、毎日毎日、あのみみずののたくったような古代ペルシャ文字で書かれた古本を三冊ずつ読破するのだから。
歳はたぶん四十代のはずだが、濃いヒゲのため、判別が難しい。
もし紹介してほしいなどという希望があるなら、どうぞサーカス団のヒゲ男・わたなべくんに問い合わせていただきたい。
気が向けば、きっと教えてくれる。はず。
なおアザリ氏は「コーヒー・ルンバ」が大好きだとか。
風貌はル・コントの「髪結いの亭主」の主人公と少し似ているわね、と広尾の犬好きのミセスが有栖川公園の砂場で砂漠ごっこをしながら話していたことがある。どんなもんだろ。
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夜の犬と女とガーベラと。
ひさしぶりに仕事で築地に向った。
相馬さんに三ヶ月ぶりですね、と言われた。数えてみれば四ヶ月が過ぎている。
鈴木完周さんとばったり、8月12日の濃霧の須賀川で別れて以来だった。顔を見ると、ふと明日にでも福島にロケに向うのだと錯覚した。完周さんもふわっとそんな気分におそわれたように見えた。顔をくしゃくしゃにして握手を求められた。できたこととできなかったこと、いろいろあったが、一年半にわたり、福島の山と川と村々と海を巡った年上の親しい友に思いがけずに出あったようで、鼻の奥がつんとした。
この頃のおれはやけに涙腺が弱くなっており、なにかにつけてこんなふうに鼻の奥が痛くなる。
握手して別れ、会議室へ。
きっちり3時間、話す。
途中で小腹が空いたので、制作の阿部君に頼み、そのへんに隠ししてあるスナックを確保してきてもらう。けっこういろんなものが集まって気を良くした。

終わって外へ出た。クルマを回す渡辺を待つ間、ふらっと聖路加の方に歩いた。向こうから30歳くらいの女が猟犬のような立派な犬を連れて歩いてきた。場所柄、ちょっとおどろいたが、しばらく見とれていた。姿勢と歩き方のきれいな女だった。犬もなかなか立派で、さすがに雑犬のおれとはずいぶんと違うなと感心。なつかしの「ふく源」の中にでも消えていくのかと思ったら、電通本社の先を右に折れて消えた。
渡辺が言うには「120点」。女と犬のことではない。今夜のおれの社会復帰の出来具合のことだ。20点というのはどこをさすのかわからぬが、満点を越えたのなら、ま、日常に戻れたということか、な。

オフィスに戻り、電気をつけると、机の上で3輪のガーベラがひっそりとほほ笑んでいる。CDプレーヤーに「Besame Mucho」を載せ、音を絞って再生する。

さて、これから一仕事。
オフィスが仕事の場所であることをすこしずつ思いださねば…
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生まれたばかりの青。
朝四時少し前にオフィスを出た。近くの公園でベンチに座り、月を眺める。星も出ていてみごとな中秋の星月夜だった。
しばらく眺めていると、青みがさしてきた。ベビーブルーと言うのか、生まれたての《青》。こんな空をはじめて見た気がする。
月と朝の色。
仕事を再開し、社会復帰したとどめとしては申し分のない区切りとなった。

笑いが止まらなかった。
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《望月集》
渡辺が11日の台風直撃の夜から撮りだめてきた月の満ち欠け記録を公開。
左の《望月集》をクリックするとtopページに行く。いずれもアイコンとなっている静止画をクリックすればほぼ同サイズで撮影したムービーの一部を見ることができる。
DVだが、かなりいい。
全満ち欠けを撮りきる予定だそうである。
ま、好きな方はぜひ訪ねてやっていただきたい。
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ガーベラの《神秘》とGAINSBOURG。
ガーベラについての武装しようと調べたところ、《キク科》と判明。これには笑った。まあ、見ればわかるか。花言葉は《神秘》とある。さらに別な資料では《前進》とも。十月の誕生花として選ばれることが多いとも。ウェブはまことにラクだ。辞書も辞典もほとんど不要になっている。
これで打合せでなぜガーベラかと聞かれても、ま、それなりに答えられる。

それにしてもだキク科の花とは…


GAINSBOURGの《LOVE ON THE BEAT》を聴きながら、もう一仕事してオフにするか。
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橋本くんと原宿駅で忍び逢い?
橋本と飯を食ったのは何年前になるのだろうか。六本木の泉屋本店の裏道を入った小さなイタリアンの店だったように記憶している。フリーになる決心をした頃だったはずだ。
思いがけずに、福島の仕事で再会。
月曜日に原宿の駅前で待ちあわせることになった。なんだか古い恋人と会うような気分でもある。
原宿ならレオンで落ちあおうか、と言ってから、レオンが生き残っているかどうかが不安になり、ではペニーレーンは、と言いかけ、それも不安になった。で、けっきょく駅前になった。地方から出てきた女子中学生のように思わないでもないが、橋本とはそんな再会もたのしそうだ。
イチローのうわさ話でも肴に代々木まで散歩しよう。トヨタの官能編のコンテを書いてもらったのが最初だったことを思いださせてくれた。あれから12年近くが過ぎた。
仕上げてみたい仕事だった、な。
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爆睡12時間
3時過ぎから午後3時まで12時間眠り続けた。途中、2度ほど汗をかいてパジャマを替えたが、すべてはベッドの上でのこと。
眠り続けたわりには寝起きが悪かった。
一昨日の未明に北風に吹かれたことと、ぬけきれていなかった夏風邪、ひさしぶりに仕事で頭と体を使ったこと、もろもろまとめて原因となったようだ。シャワーを浴びて飯を食い、新聞を斜め読みしながら熱いコーヒーとタバコを数本灰にしたらやっと目がさめてきた。
とりいそぎ電通テックの相馬さんと連絡。参考写真の量が膨大であることを確認。今夜もしくは明日夕、こっちのオフィスに来るというのが、それだとタイムアウトになりそうだから、今夜のうちにツメたい旨伝える。午前中のロケハンデータは阿部君がいままとめつつあるということだし、中山はこれから顔を出すということだから、基本的に今夜電通テックに行くことにした。これからオフィスに行き、進行状況を整理してから結論。
少しずつ頭が動き出している気もする。

とはいえ昨日ぼんやりして入手しそこなったガーベラの花を今日こそはなんとか手に入れなければ。
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イスファハン生まれの謎の男・続報
   オマール・アザリ氏についてちょっとした情報が寄せられたので
   記録しておきたい。


《わたしは奥伊豆のそのまた奥の方にある小さな港町で暮らす女です。一羽のオウムと暮らしながら海猫食堂というちっぽけな店をやってます。お客は小魚をとる以外にはギャンブルにしか目がないような土地のしがない漁師たち。ごくたまにですが、道をまちがえて腹を空かした旅の人がため息をつきながら寄っていくこともあります。おたずねのあったアザリさんとであったのは二年前の春でした。港のはずれに打ち捨てられて海猫の巣になっている廃船を見下ろす小高い丘の上の、村で一本だけの八重桜がざわっと吹いた春風に重たげな花びらを散らせていた頃のこと。アザリという方は、左手に茶色いカバンを下げ、右の肩にあざやかな色をした見たこともないような大きなオウムをとまらせて、八重桜の花吹雪の中をふらりとふらりと歩いていました。そのときのオウムが、いま店でいっしょに暮らしている「さよなら」です。えっ、「さよなら」という名前は変ですか?でもね、どうしたことかこのオウムは「さよなら」しか言ってくれないんですよ。朝から晩まで、客が来ると「さよなら」「さよなら」って話しかけるから、ばかな漁師達にいつのまにか「さよなら」なんて呼ばれるようになってね。だから名前は「さよなら」。
アザリさんのことでしたね。すこし長くなるかも知れないけど、お話しますね》


   メールはここまでで突然中断していた。
   もしかしたらギャンブル好きの漁師達がやってきたのか、
   あるいはまた小高い丘の方から風に運ばれて
   新しい旅の人が歩いてきたのかも知れない。
   海猫食堂の女と、謎の男アザリの間にどんなことがあったのか、
   続きのメールを待つことにしよう。
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無事?対処。
ひさしぶりに書いて、動転したのか、今朝もけっきょく2時間ほど寝て目が覚めてしまった。あと2時間は眠る時間があったが、風呂にお湯を張り、入ろうとしたら猛烈な寒けに襲われた。なんとか肩まで沈め、ひと息ついたが、あせった。体温を測ると平熱。そのあと玉のような汗がどっと吹き出してなかなか止まらず。しかたなしにベッドへ。1時間ほど毛布にくるまってすごす。ロケハンを中止しようとも考えたが、なんとか出かける。
青空と白い雲。
だるい体をシートに沈めて空を見ながら方南町へ。
クライアント、代理店、制作チーム、十人あまりの人たちとチェックしてまわりながら、なんとか必要な考えを浮かべては質問と指示を矢継ぎ早に出している自分に気づいた。
そのあと近くのロイヤルホストに移動し、オールスタッフ打合せに。ここでも図面を見ながら、きちんとイメージでき指示を出していることに気づいた。
店を出たら暗くなっていて、なんだかひどく疲れていたが、目の前で生起することにだけに対処していれば、それなりに問題に取り組み解決しながら時間が進んでいくことに、あらためて驚くとともに、こんなもののなのかと拍子抜けする気分もあった。

帰りのクルマの中で夕べというか今朝3時過ぎにオフィスの近くで撮影したすごいスピードで雲が流れていく月を見せてもらった。嵐の後のせいか、さえざえとして美しかった。

オフィスに戻った。
渡辺に言わせれば、本日の社会復帰は合格だそうだ。自覚の無いままにまとまった時間が過ぎ、人におかしいと思われることもなく、必要な指示を出したり話すことができた。たしかに。

さらにオフィスに戻ってすぐに橋本くんのところに電話をし、15日のライブの時間と二人だけで行くことになったとメッセージを入れることもできた。

ミューズに考えているという曲を至急知らせるようにも伝言した。

あとはベッドに直行し、眠りをむさぼるだけだ。

しかしこの体の沈み込むような重さはなんなのか。
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リアクション4時間で2件。
昨夜の10時過ぎに流した企画書へのリアクションがすでに二件。
わずか4時間である。ぼくはフレディ・マーキュリーなぞを想定していたが、これは音楽が争点になりそうな予感あり。
再開した第一弾のリアクションがこれだけはやいとさすがに嬉しい。なおF氏は「ぼくの夏休み」を二回クリアしたらしい。こちらは結局昨年の夏に四日目まででストップしてから時間が止まったままだ。
次回の打ち合わせは15日午後というオーダーあり。


●反応1/クライアントF氏 10月 11日 木曜日 0:40 AM
「何故か今、E・サティのジュ・トゥ・ヴのアコースティックギターヴァージョンがこの部屋に流れていますが、こんな気分だろうなぁ、と思っています」

●反応2/スタッフSさん  10月 11日 木曜日 2:06 AM
「きのう読んでから、ある曲が頭の中でずっと流れていました。
ENZO ENZO の “LES YEUX OUVERTS”
大きな大きなお月様が、ゆっくりとお家に話しかけてくるようなイメージに、この曲が浮かびました。
“瞳を開いて”(直訳) 瞳を閉じてでないところがまた・・・。
同じく ENZO ENZO で “Les naufrages volontaires”も印象に合いました。
なぜ“気が休まる”家を人が望むのか・・・。どうして“気が休まる”自分の場所が大切なのか・・・。
そこから 伝わってきます。
ヒトの力学から考えられる居心地の良さでなく、人の皮膚や呼吸が求める居心地の良さを限られた制約という現実の中で、とても素直に欲張った“家”が想像できます」
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●新・都市伝説〔マキシオ〕
●新・都市伝説〔マキシオ〕


ある街に、すべてのことを知りつくした、まことに変わった男がいる。
男は、古今東西の森羅万象について、気が向くと街で暮らす人たちに
おもしろおかしく語って聞かせることが大好きだ。
語り口はやさしいが、その男はけっしてウソをつかないことを
街のみんなはよく知っている。だからみんなは男が語りだすと、
彼の話に、いっしょうけんめい耳を傾けるという。
これはたとえば、そんな男によって語られる、
たくさんの家とたくさんの人が暮らす、ある街の家づくりの物語。
そんなニュアンスを醸し出しながら、
3階建てまで楽しめる新都市型〔マキシオ〕が紹介されていく。
ファンタスチックな新しいタイプの《都市伝説》として。
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●キーワード〔気の晴れる家〕
●キーワード〔気の晴れる家〕


限りのある都市の住宅事情にあって、
人がもっとも切実にのぞむことは、限界を越えた《無限の可能性》。
さまざまな敷地の制限を前提にしながら、あくなき広さ、のびやかさ、自由さを
際限なく求めてやむことがない。
軒を接していても最大限の自然を満喫でき、家族が多くても居住空間は
どこまでものびのびとした大きさと居心地の良さに満ちあふれていなければならない。
なおかつ、人はさらに木でできた住まいであることも望む。
限られた条件にがんじがらめにされた都市生活だからこそ、
ガマンではなく《開放》こそが最大のテーマとなっていく。
ならば新しい都市型の住宅にいちばん求められていることは何か?
それは《気の晴れる家》ということにつきる。
木の持つやさしさとぬくもりを前提に、室内外のあらゆる空間が
一人ひとりの体と心を解き放つ工夫で満たされていること。
その空間に身を置くだけで、都市生活が強いる多くのストレスからすっと逃れられて、
気分と体がすみずみまで、晴れやかになる家であること。
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不調
9時にベッドにもぐり込んだが1時間足らずで目が覚めた。そのまま眠れず。面倒なので、オフィスに行って書くだけ書いてみようと思うが、体が妙に熱いし、頭の中には薄いもやがかかったままだ。
今朝、オフィスからの帰りに雨に濡れたのがいけなかったのか。
初日にバカな時間の使い方をしたのが失敗だったのだ。
テンションがあがったところで静かにやめて、たっぷり休養をとってから挑みなおせば、スムーズに乗っていけたはず。
こんなふうに空回りしてるようだと、まだまだ本腰は入れられまい。
焦りはないが、脱力感がひどい。
とても使いものになりそうもない。

ま、書けなきゃそれまで。行くだけ行ってみる。
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《C》についてスタンバイOK。ただしハードルは高い。
《C》の資料の残りを読む。
なんとなく落とし所は見えたような気もするが、シナリオにせずコピーだけで企画してみないか、というイチロー氏のこだわりをどこまでカタチにできるか、そこが思案どこだ。

この3週間近く、淡い気分でそのことを考えていた。日米欧の3地域のリンケージは、一人にすべてを託すスタイルと、オーソドックスに3つの地域ごとの登場人物をシームレスに仕事とプライベートタイムで交差させていく方法とを考えた。ただこれでは弱い。それが彼の言うところのシチュエーションに踏みいらずにコピーだけで落とし込んでみないかということだとは思うが、どうだろう。

大枠を頭に入れてみて、俯瞰し直すと、けっこう難しいなと思う。9年間で3回負けた、ということが足枷になっているのだろうか。

さらにもう一日、二日寝かせてみて、トライの方法を決めたい。

四時をまわった。
今夜もまた冷える。
胡弓にも厭きてきたし、今夜はこれでアップにしよう。
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ポチとガーベラ
シンボルにガーベラの花。犬の名はポチ。
冒頭にすべてを集約できているので、これからさきはどうにでもなるだろう。
再開の一作目としては、ま、こんなところか。

午前三時を回った。
雨。そろそろ帰るか。
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プロローグのイメージ約2分
《黄砂》の胡弓のままに書くわけにもいかないので、フレディ・マーキュリーにチェンジ。Living On My Ownのどこか突拍子もないキテレツさでバランスをとりつつプロローグのイメージを書いてみる。
頭の中に浮かべたのは9月11日の台風が東京を直撃した夕の荒川べりから見た東京情景。さらにこのあいだ渡辺がチャレンジした9月24日の沈んでいく上弦の月と23日に撮った赤い月が多摩川べりの住宅に沈んでいく光景。朝倉めぐみの描いた《都市生活する家族たち》のイラスト数葉。
たとえばこんな展開を考えてみた。
CDをチェンジ。再び胡弓の世界に戻る。
さすがに深夜零時をまわると、よく似合うな。

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●プロローグのイメージ

・美しい夕暮れ。
   東京のどこかを思わせる不思議なニュアンスをもつ都市景観が広がっている。
   それは、人が胸の中で思い描く《想像上の都市》の情景である。
   上空に巨大な上弦の月が浮かんでいる。ゆっくりと街のシルエットに沈んでいく。

・ある街。
   画面全体に都市ならではの建物群のシルエット。ビル、平屋、2階建て、3階建てなど
   不ぞろいだがどこかなつかしさとやさしさを感じさせる東京情景。
   その3階建ての家に巨大な上弦の月がゆっくりと降りていく。

・ある家。
   画面全体にシンプルな3階建ての家のシルエット。背後には書き割りのように巨大な
   上弦の月が愉快な感じで輝いている。月がその家の後ろに降りてくると、まるで月明かりに
   透過されたように家の中のさまざまな場所にスポットが当てられていく。

・家族たち。
   月明かりが照らし出すのは、一日のさまざまな時間帯で、それぞれに憩い楽しむ家族たちの
   シチュエーションを描いたイラストである。そのイラストの一部が微妙に変化すると、
   実際の家族たちのシーンに変わる。この実際の家族たちは短い時間だけ垣間見え、
   その後の生活空間イメージの展開を予感させる。
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楊興新の《黄砂》を聴きながら
書くつもりが、冬のような寒さにほんろうされたか、単なるさぼりのせいか、寝てしまった。8時頃にいちど目覚めたが布団をかぶり直して二度寝。さらに6時間眠ってやっと起きた。日が暮れてオフィスに。資料を広げ、さてはじめようとしたが、音楽を聴きたくなり、一年ほど前にテレビ朝日映像の甲田さんに教えてもらった楊興新のCD《黄砂》をかけた。買ってから放り出したままで封も切ってなかったが、一曲目の《草原情歌》からわしづかみにされた。
胡弓は、しかしいい。《彝郷月夜》《七夕伝説》《黄砂》と聴き継ぐ。ときどき開けた窓から風のざわめきが聴こえてて、楊興新の胡弓の音色に重なっていく。
タバコに火をつけ、目を閉じる。
東京のはずれの変哲もない街の一角が、一瞬、とこまでも続く大草原のように変容する。たとえば地平線の彼方に巨大な火の玉のような太陽が沈んでいく。その手前を猛烈な勢いで砂煙が横に移動している。砂塵を突き破るように一頭の奔馬のシルエットが疾走していく。そのシルエットにはさらに人影が。地の果ての愛するものの待つパオに向かう男である。髪をなびかせ、馬に鞭をくれながら、ひたすら駆けていくのだ。愛するものの待つ地平線の彼方に向かって、思いきり体を前傾させ、少しでも早くたどりつきたいと願うように、疾駆していく。

《家》とは、きっとそういうものだ。

帰り着く、たどりつく、とは、そういうことなのだ。

これから書き始めるシャーウッドの根っこに、そんな思いを据えてみる。

これなら、キーを打てそうだ。
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《女鬼》のコピー
持ち歩きようにB4見開きでコピーをとって綴じてもらった。ひさしぶりに布テープで背をおさえてもらう。
絵本自体が退色していて読みにくかったがコピーしたことで黒が立ち、ずいぶんと見やすくなった。さてさて、こいつがスタートだ。

今井さんは二つ目の前書きの終わりにこんなことを書かれている。

  《もし独りの部屋でこの本を読まれるのでしたら、
自分に聞こえるだけの小さな声で読んで下さい》

そうなのだと思う。今井の童話は、誰かが誰かに読み聞かせたり、語り聞かせるものではなく、ひとりが自分自身に向って小さなつぶやくような声で読むものなのだ。そのことをあらためて心に記しておきたい。
この童話をいつかDJシリーズとしてカタチにするときには、前書きに彼が書いたように、自分に聞こえるだけの小さな声で読むような、そんな映像を実現してみたい。
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秋の夜のS.GAINSBOURG
オフィス。午後六時半。つるべ落としに暗やみがやってくる。昼過ぎになんとかベッドから這い出た。やはりカゼがぶりかえしていたのか、昨日から今朝にかけての体全体に薄いベールがかかったような感じがまだ少し残っていた。ハワイコナは今日になってもまだ届かず。伊原さんの妹はマンハッタンで暮らしていて出勤の途中で二機目が突入していくのを目撃したらしい。昨日、オフィスで会ったときにそんな話をしていた。あんまりコーヒー豆くらいのことで文句言ってる場合でもないのである。

寸暇惜しんで、というかさぼりの後始末でねじりはちまきで読み進めている。いくつかのフラッシュが湧きつつあるが、書くのはまだ早い。

夕方、オフィスに来たときは蒸し暑かったのに、いまは窓を開けていると寒い。
セーターが欲しいほど。

タンゴばかりかけていたが、ちよっと前に
S.GAINSBOURGの《LIVE IN PARIS》にチェンジ。しかし、セルジュ・ゲーンスヴールを聴くのはずいぶん久しぶりだ。このパリの初ライブ盤、それにつてもパワフルでおどろく。

これでノリで読めるぞ。
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《さらば友よ》★★★
引き続きA.ドロンとC.プロンソンの《さらば友よ》をVHSで観る。これは四回目か。ま、男のお伽話として、うまくできているなとあらためて。これでC.プロンソンがブレイクしたわけだが、いま観ても納得させられる渋さではあった。コインをグラスに落としていく遊びを、あの頃はあちこちでよく見かけたが、C.プロンソンの渋みと茶目っ気が同居した表情があってはじめて成立してたのだと実感。ラストの廊下で、手錠をかけられたC.プロンソンがタバコを銜えると、A.ドロンがマッチで火をつける。互いの顔を見ずに。そのシーンの気障な演出ぶりに当時もぞくっとしたが、ま、相変わらずいいシーンではあった。それにしても、禁煙ばやりのストイックな世界で、道を誤った男たちは、どんな小道具で情を交わしあえばいいのだろうか。タバコとマッチの炎の出てこないフィルム・ノワールは果たして成立するのだろうか。

《長いお別れ》のグールドもまた、じつによくタバコを吸っている。吸っているというよりほとんど銜え続けている。あちこちでマッチをつける瞬間がまことに映像のリズムを助けていた。このテも、もはや使えない。新しい時代のマーロウはポケットからデンタクロス引きだして白い歯に磨きをかけるのだろうか。ハードボイルドも難しい。


資料を読むつもりが、ちょっと弾みをつけようと古い映画を観たのがいけなかった。
カゼぎみのせいか、妙に白けた気分の日となった。気がかりだったことが、ぽかっと抜け落ちたような、漂白されたような、とまどいを感じた。

須賀川が終わったことが、やっと体のすみずみにまで行き渡っていく、そんな感じもある。
焦熱感が帰京してからもまだ続いていた。昨日の未明までは。なぜ落ち着けないのか理解できないままに、三日間が過ぎた。深夜になるとあれこれ思い描き、地団駄ふむような焦りと、脱力感に包まれるということを繰り返してたが、それがいきなり金曜の午後に目覚めたときに消えていた。

消えてしまったことを確認するように、仕事のスケジュールをチェックしていった。他人事のようにしか見えなかったことが、自分のこととして目の前に並んでいた。
すこしばかりさみしいような気もするが、これでいいのだとホッとする思いも強い。

熱はどこかで下がる。いつかは消えていく。そうしてぼくらはいつもの日々に帰っていくのだ。
あとはその日々が、以前よりは、わずかでもハリのある時間となることを願うだけだ。
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R.アルトマン版《長いお別れ》★★
アルトマンの《長いお別れ》レーザーディスク版。十年ぶりぐらいで観た。グールドのマーロウ役というのはミスキャストだが、やはり妙な説得力もある。前に観たときもそう感じていた。アルトマンがなぜ最後にレノックスを撃ち殺すというストーリーにしたのかやはり謎だ。マーロウとレノックスの男同士の長い友情というのが深夜の短すぎるエピソードだけでは説得力が薄く、それがすべてをぶち壊しているのだと思う。とはいえ、飼い猫のエピソードは秀逸で、ロスの乾いた空気がよくにじんでいる。ジョン・ウィリアムスのテーマ曲がさまざまな変奏で使われ、いい効果をあげていることに前に観た2回のときは気づいてなかった。フィリップ・マーロウは映画的にはとても難しい素材であることを再確認。とりわけ《長いお別れ》は、清水俊二の翻訳以外は無意味だなとあらためて。

引っ越しで、チャンドラーはどこかに見失った。書棚を探したが見当たらす。ひさしぶりに《長いお別れ》を読み直したくなった。そういう意味では観てよかったか。
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尻の火
オフィスで今後の予定を整理。焦る。
予想していたよりも、かなりキツイ。
とりあえず今夜から本腰をいれることにした。
放っておいた読み込まなければいけない資料がうんざりする量になっていた。目にはしていながら何も頭に入っていなかったのだから自業自得ではあるが。

Cの一部だけはこの間、髪を切ってもらいながら読めたからいいが、SHも印刷関係もDJも、段ボール一箱分にはなる。メモとりながら読む時間はないので、久しぶりの一期一会流でいく。

夏休みの終りの小学生のような気分である。
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知恵熱
やっと資料がまともに頭に入るようになった。思い立って四谷のヘアサロンに。髪を切ってもらいながら資料を開いた。
おどろくほど鮮明に情報がしみ込んでいった。
これで復活できるな、と思った。
厚着をしていたのでひどく汗をかき、コンビニでTシャツを買い、あわててオフィスに戻った。全身びっしょりと濡れていた。

たぶん知恵熱だろう。
しばらくこんなことがつづくのか。

それにしても東京はうるせえ街だな。
クルマのノイズがあんなに耳に障るものだとは。
むじなの森を経験してから、いろいろなことがズレはじめている。
ま、いいことなのだと受け止めて。
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[the-earth:00502] 再見
ひと夏の感傷の記録として転載
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Date: Wed 03 Oct 2001 05:48:39 +0900
Subject: [the-earth:00502] 再見


益子です。


30日の夜、雨が降りしきる集いの湖に小松明の炎が揺れ、
その向こうに青いジ・アースの姿が見えたとき、
体の底のほうから震えるような想いが湧いてきました。


青い幻のようなジ・アースに浮かんだ
「さようなら」の五つの文字を見たときはさすがに
胸が詰まったよ。


7月6日まで、帰りそびれて居座り続けた夜、
むじなの森からホテルに戻るときに、よく
宇崎の「夜霧ブルース」をバカみたいなボリュームで
かけていたことを想いだします。
「青い夜霧に灯影が紅い」ではじまる古い歌です。
アナクロだとからかわれたので最近は聴かなかったけど
30日の夜に三ヶ月ぶりに甦りました。


気がつくと、自分の映像より、いつのまにかぼくは
あのジ・アースそのものを愛していたのだと思う。
とりわけ夜のジ・アースのたたずまいを。


みなさんが帰られてから、
湖の上のステージにはじめて立ってみた。
そしてジ・アースに向かって手を合わせました。
信仰がないのででたらめな拝礼だったけど。
水面に映った青い影、
雨に濡れたボードウオークに移った青い影が
風に揺れて泣きたくなるような美しさだったよ。
人影のない会場で、ジ・アースは想像上の神殿のように
ひっそりとあざやかにそびえ立っていた。


カタチのあるものはいつかは滅びる。
まして86日という会期の定められたものだから
ひきずることはないのだと思う。
そうはわかっていながら、なんだよね。
終りがあるから美しいというのは、嘘だな、と思った。
できることなら終わらないでほしかったよ。
あのままいつまでもそのままでいてくれねえかな、
そんな女々しい想いにどっぷりと浸りました。

翌1日の解団式を終え、
12時少し前に渡辺の運転で雨の郡山を後に。
東北道の栃木との県境を越えるあたりで空に月明かりが。
2001年の中秋の満月が顔を出し、みごとな月夜となりました。
大谷でクルマを停めて、30分ほど家庭用のビデオで撮影。
朝4時過ぎに帰京。
福島が満月で見送ってくれたようで、嬉しかった。


お目にかかれた人も、かかれなかった人もいましたが、
「むじなの森」は最後の最後まで心に残るものとなったこと
ご報告しておきます。
折りをみて、例のホームページにも
この数日の顛末を紹介していくつもりです。
だからときどきはクリックし、後日談をたのしんでください。



山田さん、それでは後を頼みます。
いつか東京で会いましょう。




 
菱沼さん提供のCleo Laneの「Summer Time」を聴きながら
2001.10.3朝 T.M
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十六夜の向上心?
夕方まで寝た。
十六夜の月が出ていたので駅ビルに行き、新宿追分団子の出店で「朝一番搗き/草だんご」を買って公園で月を見ながら食べた。粒あんをつけすぎたのですこし気持ち悪くなったが、ま、月見だんごである。このところ月ばかり追いかけてすこしおかしな気分になっていたが、こうしてだんごなど悔いながら眺めてみると、いくらかゆとりが出たようにも思える。気温はそれなりに高いようだが風が心地よく須賀川の火照りを吹き払っていくようだ。

これから三ヶ月放ったままで散らかり放題になっている机の上をかたづける。予定より一日遅れたが、秋の仕事に向けて態勢を整えようと思う。
それにしてもキーボードとモニター以外は何がなんだか皆目わからなくなっていて、これでは仕事どころじゃなかったな、とおかしい。

面倒だが一時間を目安にやってみよう。
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ジ・アースハ65万人強の来場者
30日、博覧会閉幕。
以下は未来博協会のホームページから転載

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開催期間の来客数

1657002人


−御  礼−
 「美しい空間 美しい時間」をテーマに7月7日に開幕しました「ジャパンエキスポ イン 福島2001 うつくしま未来博」は、86日間にわたる全日程を終了し、閉幕いたしました。

 未来博はうつくしま、ふくしま。県民運動のシンボル事業として、企画・準備の段階から運営にいたるまで、多くの方々のご参加をいただきながら進めてまいりました。

 2001を超える多彩な参加プログラムを通し様々な形で応援いただいた約7万人の未来クラブ員の方々、各パビリオンの出展者や大小様々なステージに出演された方々、未来博に連動して県内各地で展開された地域イベントにかかわった数え切れないほどの多くの方々、そして博覧会の運営や会場内の各種サービスに当たっていただいたボランティア、アテンダント、サービススタッフの方など、実に多くの方々のご協力によって未来博は運営されてまいりました。

 そして、何よりも、県内はもとより、全国さらには海外から未来博会場に大変多くのお客様をお迎えすることによって未来博は、森に囲まれた美しい会場を舞台に、21世紀を見通すレンズとしての開催目的を果たすことができたものと考えます。

 「自然と共生」、「循環の理念」、「参加と連携による地域づくり」など、未来博を通して様々なメッセージをアピールしてまいりましたが、同時に、福島県の様々な魅力を広く世界に向け、発信することができました。

 うつくしま未来博が大成功の内に閉幕できたことに重ねて御礼申し上げますとともに、その成果を今後の県づくりに継承し、反映させてまいりたいと考えております。

 未来博の閉幕に当たり、多大なるご支援、ご協力を賜りました多くの方々、また、未来博にご来場いただきました全ての方々に重ねて心から感謝を申し上げ、御礼のご挨拶といたします。

うつくしま未来博協会会長
福島県知事 佐藤栄佐久
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