2004年01月の記事


青の先の青へ。1974年の《夕静寂》
画家としての歩みの上で、唐招提寺の障壁画を描く機会を与えられたのは、私にとってまったく思いがけないことである。しかし、戦後、《残照》の作品で出発した私の道は、ここへ辿り着くことが自然であったのかも知れない。
「東山魁夷全集8 山雲濤声」1980年講談社


《唐招提寺-鑑真和上と東山魁夷芸術》から
「御影堂の障壁画」のパートを渡辺に頼んで
抜き出してもらいwebにアップしてもらった。
10回ばかり繰り返して見る。
ここまで十冊をこえる資料を読んだが
御影堂障壁画については、これがもっとも良かった。
自画自賛ではあるが。

開眼以来の五十年にわたる画業をどう切り分けるか。
夕方から、机の上にあれもこれも広げて再検討を愉しんでいる。

魁夷は、青に尽きるのだ。あらためてそう思った。
1974年の《夕静寂》が、今日はやけに目に止まる。
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双六な人たち
10時から11時30分まで新宿積水ハウスで打合せ。
改定台本、5タイトルで100ページ超。
10セットコピーすると1000枚。
夏苅はたいへんだったろう。

来週は月曜に一部を編集し、
札幌ロケハン、奈良ロケ、札幌ロケ、山口ロケと
一気に加速していきそうだ。

仕上げの日程を見れば
三月も四月も五月も、ほぼ完売状態。

東山案件、
福島案件を考えると
ますますJとは縁遠くなりそうだ。
1年かけて振出しに戻ろうという、
双六なみの展開にはついていく勇気が湧かず。
おれの人生は一度だけなのでね。

さてさて
作品篇。五十年の流転をどう描く。
あの圧倒的な静謐さの前で
虚しさを感じずに後押しできるスタイルはあるのか。

大山は越えられた。
が、着地が悩ましい。
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立春前の東風吹かば…
いよいよ東山魁夷にとりかかることに。
自分が思い描いていたことが
まずほとんど無かったことを
このかんの資料読みで思い知った。
幸いでは、ある。
知らずに遠ざけていたことが
無性に身近なものに見えてきた。
さて、どんな世界を構築できるか。
それを自分で
この目で味わいたいと思えるものに辿り着けるか。


と、書いたのが21日。
それから一週間。
台本を読みながら
見てみたいと、と思えた。

今年は、すでに東風が吹いている。

最後の一行
「東山魁夷このとき三十七歳」が
「三十九歳」の間違いだと気づいたのは十分前。
ご愛嬌である。
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ギャングと生命保険屋にはさまれて
PDFの添付8MBというのを強引に送ったが
さすがに凸版、問題なく届いたようなので
とりあえず散歩に出た。
紀伊国屋で雑誌と文庫本を買いタリーズに。
奥のスモークシートでのんびり1時間。
蒲田のタリーズは喫煙シートをガラスの檻にしていないのがいい。
ガラスで覆うなら禁煙席をおおってあげたほうが親切な気がする。
二つ離れた席に三人組のギャングが追い込みの話しをしていて
そっちの方がオモシロイのでつい聞きほれてしまった。
こういうのを聞きほれたというのも変だが。
くそとみそをこね合わせたようなカタギのビジネスマンとの打合せが続いたので
話法といい論理展開といい駆け引きぶりといい
圧倒的にギャングの方がエライ。
やっぱりてめえでリスク背負っている連中は違うもんだ。
あんなギャングに結論のない8時間の打合せなどに突き合わせたら
帰りに何人がぶじに帰り着けるのか。
蒲田は、しかしいいな。
街にきちんと不良が生きている。
しかも一人はトレンチコート!

左隣には朝日生命ののシステム担当二人組。
こっちの話しもなかなかだったが迫力とテンポがいま三つ。
聞いているとシステム屋の世界はなんだか野麦峠のようである。
先端のつもりなのに端で見ていると埃っぽい。

ま、
いい気晴らしになった。
コンビニでタバコと夕刊紙を買い月を眺めて一服。

もうすぐ立春だ。
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東山魁夷に感謝を捧げたい
A3サイズ横
縦書きで10ページ、脱稿。

9時から4時。今日も休まずに7時間書き続けた。
28日の日付でアップしたかったが、ま、トラブルだから。

二つに分かれてしまったデータを渡辺がひとつにし終わったら
GALAに届けてもらう。
データ送るだけでも、ということだが
やはり熱々を届けたい。

書いていて、なんともいえない静謐さを感じ続けた。
さらに突き動かされるような激情がときおり。

文字にすれば氷と熱。

福島泰樹の歌を思い出す。うろおぼえで叱られそうだが…

 《わかちもつ何もなければ持ってこい俺は冷えたる薪》

字数があわないようにも思うが、福島さんのことだ
そんなこともあるのだろう。


一休みしたら《作品篇.》にとりかかろうと思ったが
どうにも出し切った感じが強いので今夜は休息をとろう。

ひさしぶりに夜昼問わずに狂うことができた。
福島夜会、
DJシリーズの道すじも、おかげで見えてきた。

東山魁夷先生に感謝を捧げたい。
関わらせていただきありがとうございました。
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《その、揺籃。》参考資料一覧1.29現在
1.「旅への誘い」 東山魁夷自選画文集第一巻 集英社
2.「欧州巡遊」  東山魁夷自選画文集第二巻 集英社
3.「美しい日本」 東山魁夷自選画文集第三巻 集英社
4.「水墨の魅力」 東山魁夷自選画文集第四巻 集英社
5.「自然への讃歌」東山魁夷自選画文集第五巻 集英社
6.「自伝抄 旅の環」東山魁夷画文集 新潮社
7.「風景との対話」 新潮社
8.「素顔の芸術家 東山魁夷」 監修/東山すみ 執筆/佐々木徹 ビジョン企画
9.「東山魁夷ものがたり」 佐々木徹著 ビジョン企画
10.「新たなる伝統美 東山魁夷」 週刊日本の美をめぐる 小学館
11.「現代の日本画7東山魁夷」 東山魁夷/尾崎正明著 学習研究社
12.「東山魁夷展。ひとすじの道/カタログ」 日本経済新聞社
13.映像「東山魁夷 自然と美と風景の心をよむ」 香川県教育委員会製作
14.映像「美の巨人たち/東山魁夷 白い馬の見える風景」 テレビ東京製作
15.音楽「シューベルト/美しき水車小屋の娘」ヘルマン・プライ DENON
16.音楽「シューベルト/冬の旅」ハンス・ホッター Sony Records
17.音楽「シューベルト/白鳥の歌」ペーター・シュライアー LONDON
18.音楽「モーツアルト/ピアノ協奏曲」ルービンシュタイン BMG
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Captain of the shipで『開眼』まで
5時間熟睡し8時過ぎに自然に目が覚めた。
シャワーを浴び朝食をとりながらひさしぶりに新聞を3紙
すみからすみまで正月のように目を通す。
コーヒーも淹れたし、これからスパート。目標正午。

BGMはひさしぶりに長渕のCaptain of the shipと
ヨーヨーマのグリーンディスティニーのループ。
まず「開眼」まで。
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5億人が死ぬのだと…
TBSをつけていたら
どこかの怪しげな博士が鳥インフルエンザは
下手をするととんでもない結果になるかもしれないと
話していた。
そういや夕べから、豚、牛、鳥と食べていることに気づき
冷蔵庫から豆乳「スゴイダイズ」ミニパックを取り出して飲んだ。
中和蛋白。そんなのねえか。

それにしてもだ。
言いたい放題とはいえ、5億人はないだろう。
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問題はアプリケーションにあった。とほほほ
二回、アウト。さすがに腹が立って放り出す。
原因がつかめないまま八重洲へ。
二時間弱のプレゼン。そのあと桑田さん、佐藤君と次のスケジュールを。
東京駅まで桑田さんと歩き、そのまま電車に。
京浜東北の蒲田-東京往復というのはなんだかずいぶん久しぶりだった。
往復ともに座れた。
渡辺が免停の講習に行っているので今日はおもしろかった。
戻ってからシャワーを浴び、少し前まで記憶をたどりながら新しく書いた。
途中、ふと気になってwebでアップデートをチェック。
前回から間を置かず次のアップデートファイルを発見。
改良点を読むと、まさしく今朝から昼にかけて発生した症状対策。
試したが、壊れたファイルはやはりムリだった。
ユーザー登録してあるのだからメール告知ぐらいやってくれればと思う。
OSXはそのあたりたいしたものだ。

なんとか今迄かけてドイツ留学から日本に帰るところまで回復。
力が、というより脳が動かなくなったので今夜はストップ。
別件の打合せで4時間ロスした以外24時間ぶっ通しとなった。
東山魁夷、現在27歳の夏。
明日は早起きして39歳の風景開眼までをかたづけ、
小休止して、作品篇にかかりたい。
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クラッシュ。書きかけの原稿が…
美大卒業寸前まで書いたところでシステムエラー。
ソフトはイージーワードver.13。
いままで出たことのない「ハードディスクエラー」の表示と
OSXにしてから初めてのメモリー不足で開けませんもの2つの表示。
他のイージーワードファイルは開けるので
書いていたファイルに何かが発生したとしか考えられない。
夕方、宮本さん発のウィルスによるスパムメール連発があったけど
あれはウィンドウズの問題だろうし、添付は開かずにそのまま捨てたので関係ないとは思う。

乗ってきたところだった。

間に合わせにOS9の外付けから起動して
ノートンディスクをかけているが、さて救出できるかどうか。

まいったよ。
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これから朝まで
雪の予報は外れはしたが
午前2時、外は凍てつくような和寒状態。
がんこラーメンで満州ぶつ切りを半分ほど腹に入れ
セブンイレブンに寄ってタバコとカテキン茶を仕入れ
公園で一服。これが寒かった。
両手が雪の館岩ロケのようにかじかんだ。
慌てて戻り温水で温めた。
最後のハワイコナを10杯分淹れ、
ここまでを見直し、手を入れ、プリントアウト。

では久しぶりの深夜の原稿書きである。
いくぞ。
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東京、雪。の予報はどこにいったのか。
2時間仮眠して書こうとベッドで横になったら
ひどい寝汗をかきながら4時間眠ってしまった。
起きた感じでは、カゼのよう。
とりあえずシャワーを浴びた。

渡辺は11時過ぎにすべてアップして連絡をくれたようだった。
留守電が動作していることにまったく気づかなかった。
あわててオフィスに連絡し焼き上げたDVDを受け取る。

夜食がわりに熱いラーメンでも食べてこよう。
戻ったら、第一部を仕上げる。はず。
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39歳までを揺籃とした人のこと
タイトルを「その、揺籃。」とする。
生い立ちから39歳の風景開眼まで。
プロローグ「その風景」
少年時代「多感なり」まで書く。
ためていただけに順風。

小休止をとろうと外に出たら
凄い北風。
紀伊国屋の前まで歩き、あんまり寒いので引き返した。
これでは風景画家にはまず、なれない。

暖を取ったら続きにかかる。

午後の打合せの往復がなければ、たどりつけていた。
あっちは鬼門なのである。つくづく
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《幻夜》★★
東野圭吾著/集英社刊

東野の弱点がストレートに出た「大作」。
帯には「名作・白夜行から4年半。あの衝撃が、今ここに蘇る」と。
「白夜行」が名作というのは、しかしえれえ強引なコピーである。
何を描いても踏み込みが甘く中途半端な東野らしい展開で
ページはぐいぐいめくれるのに肝腎の主人公の片割れ「謎の女」が浮いたまま。
こんなへんな女に賭けてしまった主人公の男はやっぱり「じみへん」。
阪神淡路大震災の直後の生活シーンの奇妙なリアリティだけが印象に残った。
ミステリーであろうとすることの、くだらなさ。
タイトルは「幻夜」ではなく「幻滅」だったら
いろいろな意味で腑に落ちたのでは。

体調を崩した週末に読んだので、読みもまたぼーっとしていたが…
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読書メガネのふしぎ
2分35秒に。800inchを考えればあり得ないつなぎだが、これもまた要望。
しかし、もうこのあたりが限界だなとつくづく。
なにはともあれ、役目は果たした。

5日に青山のイワキで注文しておいたもう一つの読書メガネ/ベッド用をピックアップ。
寝転がって本を読むのにちょうどいい焦点距離に調整したやつ。
戻ってつけてみたらこっちのほうが見やすい。
なんだかなあ。青山イワキ。愛想がいいのはいいけどなあ。
ま、それもともかくだ。
今夜は早々とベッドに入ってベッド専用の読書メガネを試しながら就寝。
明日早起きで昼まで頑張り、神田の打合せから戻ったら仕上げる。
渡辺に頼んだ30枚ほどのキャプチャーが届いたら
今夜は眠る。
そろそろ「熟して」くれるだろう。
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おら、まだまだダイジョブ?
なんつー嬉しいメールであろーか。
あんまり励まされたので勝手に転載。
webを悪用していてホントによかった。

    小深田さんの曙橋オフィスにて 午後6時


*********************************************************
件名: いつだって
送信日時: 2004年 1月 26日 月曜日 4:16 PM
宛先:Mashiko Toru 

漫然と不安にさせてるものが
中にではなく、外にあるのなら
私ホントそれを許さない

答のない世界にあるとき
つまるところ共感できるかできないかだけ 
それだけ

もし心中奥のほうにあるのなら
それは 時間の経過の中で相当に厳しくなった
自分への視線があるって思います

前進は美徳だけれど 人の根は変容しない
だから 素敵な追熟を

果物をお部屋のなかで食べごろになるまで
さらに熟するのを待つでしょ
それが 追熟
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他力本願。錯綜するリニアと東山魁夷。
ハードルを上げすぎているのか
力が低下しているのか。
判別できないままいたずらに時間だけが過ぎていく。

ただのビデオパッケージと考えてしまえば
どうということのない10分あまりにもかかわらず
カラダと脳がきしむような戸惑いに先に進めない。

ひとこと。一行。1シークエンス。唯一つのビジュアルイメージ。
そのいずれもが帯にもたすきにもならないままに消えていく。

ともあれ、朝飯を食ったら曙橋へ。リニアがらみ。
小深田とのアップテンポなやりとりをしているうちに
何かきっかけを掴めるかもしれない。
リニア500km/hの編集と東山魁夷というのも
しかし突拍子もなく隔たりがありすぎるが…
しかし、掴めるのだと、そう願いたい。
今朝は、他力本願。まったくの親鸞状態である。

窓の外。
陽射しだけは昨日から春のようだ。
気温はともかく、光の春。
水仙の香りのような水気のある光。

窓辺だけはまちがいなく開明的。
ま、いいじゃねえか。それで
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60秒CM http://homepage.mac.com/y_natsu/CM/iMovieTheater92.htm
昨日の大阪女子マラソンで一回だけオンエアした
積水ハウスの60秒CM。手前味噌ながら出色だった。
冒頭20秒SEのみという15秒流行のCMタイムでは考えられない
圧倒的なインパクトがその後のナレーションを引き立てていた。
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二日間ダウンした。
土曜日曜と体調を崩し、仕事できず。
今朝、6時にひどい寝汗で目を覚ますまで
テレビをぼんやり眺める以外は半覚半睡。夢の中。
10時には曙橋の小深田オフィスでビデオクリップの編集。
これに5時間かかったとして、帰宅してから今夜と明日の午前中で
生い立ち篇をまとめ送りたい。
作品篇は、その後ひきつづき。

なんだか焦るが、カラダのことはいかんともしがたい。
せめて納得のいくものを書こう。
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東山魁夷オンエア
急にラーメンが食いたくなりコートを引っかけサンダルをつっかけ近くのがんこラーメンに。
食いたかった気分は、しかしすぐに消えた。
テレビや雑誌で紹介されるとほんとうにすぐに味が落ちるのはなぜだろう。
しかたなくギョーザを追加し、ギョーザとネギとチャーシューをつまみ食い。
なんだか総菜を食っているようだった。
それでも汗をかいたので紀伊国屋へ散歩。
金庸「鹿鼎記」第六巻が出ていたので、小説すばると一緒に買う。
コンビニに回り、スポーツ紙とタバコも。
ベンチに座って一通り目を通す。テレビ欄に今夜十時の「美の巨匠達」で
東山魁夷をオンエアとあった。
気ばかり猛っているのに原稿を開くと書ききれない。
あんがい今夜のテレビあたりが弾みになるか。

「馬」の連作をテーマにしているようだから
ちょうどいい。
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のりきれずブレーク
体調が悪く書きはじめて間もなくブレーク。
コーヒーを飲みながら見るともなしにテレビをつけ
ザッピング。東京テレビで地震特集。
ぼんやり見ていたら「免震ビデオ」が流れた。
あわててHDに録画する。
しかしこのHD録画というのはなんとも手軽である。
使い出してから録画率が増えた。

昨日の打合せで
「免震住宅篇」TVCMがCMデータバンクの到達効果・注目度No.1になったことを知らされた。
明日のCXオンエアの大阪女子マラソンでは60バージョンがオンエア予定。
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恵の本の九代目だった
昨夜ぐうぜん立ち寄って楽しい話しとうまい穴子飯をいただいた店が気になって
webで調べたらしっかり出ていた。単におれが知らなかっただけらしい。


http://www.tokyo-np.co.jp/yume/ajitanken/aji013.html

●伊藤佳子(「恵の本」九代目)

 「蛤(はま)なべについて書いて下さい」と依頼をうけたとき、「これは親から子へ
口述として伝えられてきたものを、文章として残しておく良い機会である。」と思い
安易にお受けいたしました。しかし、今となっては後悔の念にかられつつ書き始めて
おります。

 ご存知のように「江戸前」とは広い意味で東京湾全体のことを指します。しかし正確
には、東下りで京都より江戸へ入る前、つまり大森、羽田、大師が本当の意味での「
江戸前」だったと聞いております。東京湾は多摩川、鶴見川などの一級河川から肥沃
な真水が入り込み、塩分が薄くなり、また、湾の中なので、波が静かなことから甘味
のある柔らかな魚介類が育ちました。これらを江戸前(地物)といってきたわけです。


 江戸時代は、大師の浜で獲れた蛤(はまぐり)を味噌仕立てにした「蛤なべ」が名物
で、門前町にはそれを出すお茶屋(料理屋)が軒を並べていました。日本橋を日の出と
ともにたち、六郷を渡し船で渡り大師詣でを済ませたあと、お茶屋に上り蛤なべで一
杯やり、気がつくと日の暮れ方、急ぎ家路につく、当時これが日帰りのポピュラーな
コースだったようです。


 江戸時代の初期、我が家は桃と枇杷(びわ)を作り日本橋まで卸をしておりました
が、その頃よりお大師様へのお参りが大変多くなり、兼業で茶店のようなものを出し
たのが今の店の始まりです。それは今から330年ほど昔になります。

 明治の初めに三代前の祖父伊藤市兵衛がアメリカ人が持ってきた桃と、日本従来の
桃とを接ぎ木(つぎき)して早生(わせ)の水蜜桃という新品種を世に送り出しまし
た。その後大正末期に河川改修が行われるまで、この桃は長十郎梨とともに大師河原
で栽培されて来ました。

 ある日、市の商政課の方が来られて、
 「同じ場所で同じ職種を300年以上続けている店は市内では見当たりませんよ」と
言われ、
 「これは潰すわけにはいかないかな」と、多少心を新たにして頑張っている次第です。

 赤い前掛けに赤だすきをつけて間口一杯に呼び込みをした当時を思う時、お芝居に
出てくる情景がそのまま目に浮かびます。
 「寄ってらっしゃい」
 「召してらっしゃい」
 「内は静かでございます」
 昭和三十年代までは私も外で呼び込みをしておりました。
 行きのお客様に、
 「お帰りにお待ち申しております」
 と声をかけながら頭を下げ、にっこりとして相手の顔を見ると、必ず、
 「オッ!姉ちゃん」
 と戻ってきてくれる。
 「私は呼び込みの名人だった」と母は88才で亡くなるまで自負していました。
 最近、正月に私もこれをしてみましたところ、何事が始まったのかとおもしろがら
れて人だかりができてしまい、逆にお客様に店に入っていただくことができませんで
した。やはり、古き良き時代だったのかもしれません。

 お客様がお入りになると下足番のおじさんが、中庭で良く熾(おこ)した炭を火鉢
にいれ、客室に配ります。なべ台にも火が入り、なべには斜めに切った長ネギと剥い
た蛤がはいり、汁は蛤を剥いたときに出た汁に味噌と酒と砂糖を入れ味付けしたもの
が蛤なべです。それぞれの店の味が多少あったようですが、むしろ地蛤のうまみで食
す素朴で単純な物でした。


 取り留めもなく終わりますが、この地拾のうまさは天下一品でどこの蛤もかないま
せん。
 今でも金沢八景の沖の小柴漁場で幾分獲れますが、一粒いくらの超高級品になって
しまいました。
 一度是非ご賞味下さい。
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快適【性】脳?! 波乱万丈な相馬P
4時半から7時まで、今年初の積水ハウス打合せ。
福田さんからのオリエンで予想以上にハードな展開となることが示された。
改定用に昨夏に仕上げた5作品の完成台本を夏苅さんが用意してくれたが
その厚さが2cmくらいあった。

立てられる台本、というのをはじめて目の当たりにした。

相馬さんがまとめたDVD用のチャプターリストの中に
「快適性能」が「性脳」と誤植されていて大笑い。
ひとしきり場が和んだ。
積水ハウスは新宿南口だからまだしも。歌舞伎町が所在地だったらさらに受けただろう。

いつだったかワインメーカーが与謝野晶子の
「柔肌の熱き血潮に触れもせで寂しからずや道を説く君」
をキャッチフレーズに使って新聞広告を打ったら
その二日後に蒲田のピンクキャバレーが立て看板に
「浴衣祭りはじまる!!!柔肌の熱き血潮に触れほうだい!!!」
と書いて浴衣ならぬ長襦袢姿で呼び込みをしていたことがある。

相馬さんの「快適性脳」を見たとたん、その夏の宵を思い出した。
真冬でも下着をつけずに素肌にじかにセーターを着てしまうというのが自慢?の
山形生まれの陽気なビサルノならではの迷言。
相馬Pは2004年も波乱万丈のようである。な…
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摂氏1℃。東京冷え込む。
大師から戻った時に3℃。
いま温度計を見ると東京は1℃である。
エアコンの設定をアップする。
もしかしたらこの冬いちばんの寒気なのか。
大寒二日目。
やっと冬らしい寒さになったともいえる。

インターバルのつもりで、今日は終日オフにした。
風の向きも変わるだろう。
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恵の本の穴子重は、んまかった
薄暮の空に一番星。川崎大師は5時で閉まっていた。
仲見世で開いていた店で飴を買いしゃぶりながら本堂前に。
閉まってはいたが強引に参る。
書きかけの一枚。東山のエピローグのプリントアウトを八つ折りにし
賽銭と一緒に小さな穴から投じた。

ふり返って空を見上げると夜空に白い雲とオリオン星座。

参道沿いの飯屋を二軒のぞくが今夜は寒いから早仕舞いと断られる。
三軒目がOKだった。
江戸前料理屋「恵の本」。
お茶をもらい、オススメの穴子重を注文。
こいつがまことにうまかった。
話し好きの女将の講釈を三十分ほど聞きながら
冷えきったカラダを温める。
創業三百四十年という老舗の女将の話しぶりは底抜けで
あれもこれも面白かった。

Jがらみの鬱陶しさに、入れ込みすぎたか行方がみえなくなりつつあった東山案件が重なって
今日は予定していた原稿書きがまったく頓挫していたので
夕暮れからの二時間の遊山が
なんともいい気散じとなった。

寺社仏閣はほんらいこういう接しようが適っているのではないか。

土産に買ってきた葛餅をほお張りながら、今夜は満足である。

2004年の初詣で、これにて落着。
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験直しに川崎大師に行ってみる
なんだか気分がすぐれないので
気晴らしに正月に行き損なった川崎大師にでも行ってくることにした。
すぐ近くに暮らししながらいちども行ったことがなかったので
のぞいてみたいとふと思った。
これから行くと夜参りということになるか。

誰に聞いたのか忘れたが
飴がうまいのだとか。
甘露水につられた冬のホタル、というところ。

参詣したら、東山の生い立ちにとりかかろう。
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しばらくすべてを放り出そうか。
築地に着いてビルに入る直前に足が竦んだ。
なんだか自閉症児のようだなと思い直し、上がる。
エレベータ前で一人、会議室で二人目、三人目と
目障り感が増殖していく。
共感も同感も、かけらすらも見当たらず
ひたすら無為に耐える。
のど元まで啖呵がこみあげているのを咳払いでごまかし
浮きそうになる腰をとどめた。
途中、ひどい汗をかいた。
ついにカラダが直接的に反乱をおこしたかと慌てた。
渡辺に頼んでシャツを買ってきてもらいトイレで着替えた。
バカがTシャツ一枚になっていた。
大寒の夜である。
こんな時代に室内の温度コントロールもできない連中と
四時間も打合せに付き合ったのかと思うと
ほんとうに腹も立たない。

続きにかかろうと書きかけのファイルを開いたが
遠い異国のコトバが連なっているだけで
およそ理解不能になっていた。

クソと過ごしたくその時間。
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寒のさなかに、東山魁夷の世界に入る。
大寒。
いよいよ東山魁夷にとりかかることに。
自分が思い描いていたことが
まずほとんど無かったことを
このかんの資料読みで思い知った。
幸いでは、ある。
知らずに遠ざけていたことが
無性に身近なものに見えてきた。
さて、どんな世界を構築できるか。
それを自分で
この目で味わいたいと思えるものに辿り着けるか。

胸が弾む。

立春までに、目処をつけたい。
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「人と防災未来センター」http://www.dri.ne.jp/
品川からのぞみに。初体験。富士山がきれいに見えていた。
新神戸でスタッフと合流し「人と防災未来センター」へ。
想像を超えた迫力に足がすくんだ。
呆然とした後、南港に移動しサントリーアイマックスシアターへ。
大型映像を3タイトル。
帰りは新大阪地下の「いづつ」に寄って牛スジネギ焼を食べ帰京。
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今年はじめての朝読書
5時に起き、7時まで東山魁夷の続きを読む。
唐招提寺御影堂壁画にかかったところで朝食。
残りは新幹線にまわす。
心積もりしたのがもう一冊。
きりがないので、そこまでで書きはじめるつもり。

寒さは少しゆるんでいるようだ。
8時には品川へ。
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品川開業を今夜知った。
明日はじめて品川から新幹線に乗ることになった。
蒲田から3駅15分。
築地で佐藤君からチケットをもらって
東京駅から乗る必要がないことを教えられた。

なんだ品川から乗れるなら、いまのままでもいいじゃねえか、
とも思った。

神戸の地震博物館で3DHDの上映システムを見て
大阪のサントリーミュージアムに寄ってアイマックスの新作を見る予定。

熱がどんどん下がっていく一方だが
その最大の原因がまことに身近にあったことを思い知る。

あたりまえのことだけど、男も女もけっきょくは顔に出るのだ。
気が緩むとふと殴り飛ばしたくなる顔。
関西出身でもないのに端々に混ざる「大阪弁」ふうの話しぶり。
丁寧さを装った慇懃・無礼。厚顔。
愛嬌のない男はクズである。
ああいう男はどんな顔をして女を抱くのか。
想像ができない。

あれがガンだけど、いまさらでもある。
まあ、なるようになればいいというのが正直なところ。

明日の希望は
帰りに新大阪の地下で牛スジネギ焼きをしっかり食って帰ること。
それにつきる。か。
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スピードマンダラ
スピードをどう表現するか。
曼荼羅でいってみようと思いつく。
すべての「移動手段」が同時に存在することで
「基準」の不明さを明らかにし同時に比類なさを強調する。
問題は、どの程度の立体感を担保できるか。

さらにインターミッションを設け
世界の超高速鉄道群との比較体感をはかりたい。

この2段階のスピードマンダラにより
3D感と超スピード感を一気に出せないか?
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横浜で魁夷体験
Hさんへ04.01.17

昨16日、横浜美術館で「東山魁夷展-ひとすじの道-」の前期展示分を観てきました。
「残照」「光昏」は2月6日からの後期展示からとなり、見逃しましたが
「月宵」「「郷愁」「道」「樹根」「松庭」
「青響」「暮潮」「たにま」「月菫」「冬華」「花明り」
「春兆」「緑映」「秋風行画巻」をはじめ唐招提寺御影堂関係のものなど
じっくり見ることができました。

「青響」の強さが予想をはるかに越えていて、ちょっとショックだったこと
じつはまだ本物を見ていなかった御影堂の仕事を見ることができたこと
思いがけないこの二つの出来事で帰ってから軽く熱が出たほどです。

資料を読み進めながらも感じたことですが
はじめてとも言える東山魁夷体験で
自分がいかにモノを知らずに知ろうとせずに過ごしていたのか
しみじみと途方に暮れています。

仕事だから
あるいはこういう時間と出会えたのかもしれませんが
とてもドキドキしたぞくぞくした気持ちを味わいながら
窓の外の初雪を眺めています。

ちょっと感想をお伝えしたくて。

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●東山魁夷展。横浜美術館
http://www.discoking.net/museumhtml/HTML2/index.html
概 要
 本展は、1999(平成11)年に逝去した日本画家、東山魁夷(ひがしやま・かいい)の没後はじめての総合的な回顧展です。
 東山魁夷は、1908(明治41)年に横浜で生まれました。東京美術学校日本画科で結城素明に師事。1933(昭和8)年から2年間ベルリンに留学し、美術史を学びました。
 戦時中の苦難を経て、1947(昭和22)年の日展出品作《残照》が特選となります。その後数々の名作を発表。やがて皇居宮殿の壁画や唐招提寺御影堂の障壁画など大事業を手がけました。1956(昭和31)年には日本芸術院賞受賞、1969(昭和44)年には文化勲章を受章しています。
 東山魁夷の生涯は、代表作《道》に象徴されるように、自らの脚で一歩一歩踏みしめ続けた、決して平坦ではない旅路であったといえます。20世紀を踏破した日本画家は、伝統と現代、和と洋、和と漢、あるいは南と北の精神風土の違いなど、時間・空間上の対極を常に見据えていました。魁夷の芸術の魅力は、そうした思索に裏付けられつつ、画家自身の内面の静と動、明暗両極の緊張から、精妙に紡ぎ出した調和の美を、自然の姿や古都の街並みに託すことからくるといえるでしょう。親しみやすい清澄な風景に展開される世界は、画家が私たちに直接伝えようとする心の物語なのです。
 この展覧会では、戦前の大作《凪》、戦後の《残照》、《道》をはじめ、北欧・ドイツ・オーストリアへの旅の成果、「京洛四季」の名作の数々、唐招提寺御影堂障壁画などを含む総数90点あまりを2期に分けて展示します。2月4日までの前期に約60点を展示し、2月6日以降の後期に約30点を入れ替えてご覧いただきます。

会 期
  2004年(平成16)1月5日(月)〜 2月24日(火)
    前期:1月5日(月)〜 2月4日(水)
    後期:2月6日(金)〜 2月24日(火)
    ※ 前期の展示作品約60点の内、約30点を後期で入れ替えます。

  休館日 :毎週木曜日
  開館時間:10:00〜18:00、金曜日は 20:00 まで開館(入館は閉館の30分前まで)

会 場
  横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3-4-1 TEL.045-221-0300)
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東京和寒。
そういえば小深田さんと会うのも2年ぶりくらいになるのかもしれない。
別れてから桑田さんと会うために築地に向かいながらそのことにあらためて気づいた。
噛み合うことと噛み合わないことがその時間のぶんだけふえたような感触が残った。

自分がやろうとすることしたいと考えていることが
あるいはあの頃とずいぶん隔たってきてしまっているのかもしれない。

そういう思いが、凍えるような風の吹く夜の街の底に残った。

東京はここ二日ほど、真冬である。
和寒の町のようである。
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池袋WGP第4巻《電子の星》★★★
石田衣良著/文芸春秋社刊

書くことがだんだん無くなったら書かなければいいのに。
すっかり色褪せてしまった池袋の若きマーロウを読みながら、
石田はどうして乞われるままに書き続けているのか。いられるのか不思議だった。
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《魔性の子》★★★
小野不由美著/新潮文庫刊

《十二国記》の外伝として明快にしておくべきだろう。読むタイミングを間違えると、まことに間の抜けたことになる。
出版社の問題なのか小野自身の思惑なのかわからないが、不実である。

巻末の菊地秀行の解説が平成三年に書かれており
奥付を見れば平成十五年に二十七刷りとなっている。
ま、野合だな。
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やっとムダが減る?
明日、2つのテーマ解決のため
小深田、桑田さんの二人と会うことになった。
これでやっとまともな話ができそうだ。

GALAから東山魁夷の画像data。
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ゆめ
明け方、ひどい寝汗で目が覚めた。
パジャマを替え水を飲んでベッドに戻り
眠りに落ちるまで目覚める直前に見ていた夢を
思い返す。祖父母と弟の夢だった。
三人とも若く、笑顔だった。
俺は窓から彼らが談笑している炬燵のある居間に入り
祖母から菓子パンのようなものをもらって玄関から出ていった。
後味はよかったが、びっしょりと汗をかいていた。

日本中に低気圧が吹き荒れ嵐になるという予報だったが
起きてみれば東京は気の抜けたようなのんびりとした空。

相馬さんと今月の積水ハウスの動きについて話す。
まず、5タイトルの改定とDVD化を月内に。
同時に東北の夢工場案件を進めることに。
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2003版幕末純情伝
筧も広末はとても下手だった。
にも関わらず畳みかけるようなつかのセリフ回しに
ひさしぶりに触れ、涙があふれてとまらず。
WOWOWで見たが、芝居の中継でアップを多用するのは
テレビ屋の犯罪。
ここが決まり、というところで必ず糞のようなスィッチングでクローズアップの連発。

オペラグラスを使うばあさんのような遣り口に辟易しながらも
つかのセリフに金縛りになっていく。

杉田成道の演出は、どうしようもないペケ。
テレビ屋は30inchあたりで生きるべきだ。

それにしてもだ。
凄かった。
日の丸が、なんと美しかったことか。
ラスト、話が目を疑った。

《飛竜伝.》2003年版を3月21日にまたWOWOWでオンエアするという。
こちらはつか自身の演出。
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「死んだヤツは死なしておけ、俺はこれから朝飯だ」
あかりやさんから。
GuevaraかCastroのコトバらしい。

「死んだヤツは死なしておけ、俺はこれから朝飯だ」
だそうである。

バロン吉元の「柔侠伝」に
「墓掘って寝ろバーロー」という捨てぜりふがあった。
「クソして寝ろ」というのもあったような気がする。
俺は長いこと「クソして寝ろ」を「クソして寝る」と自戒の言葉として記憶していたけど
今夜Song For Cheを聴きながら
古い時代がフラッシュバックしたので
自戒ではなく他を戒める言葉であったことを思い出した。


んなわけで
寝る前に書いておきたい。
バーロー墓掘って、あるいはクソして寝ろ!

イヤなことも
この程度ですっきりしてしまう己がちと情けない。
それだけ遠くなっているのだと思うとちとさみしくもあるが。
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Song For Che.
菱沼さんからSong For Che.m4aをもらった。
百軒店の奥にあったファンキーの壁の落書きを思い出した。
恋文横丁という粋な通りの名も唐突に思い出した。
田宮さんの娘が帰国したというニュースを見た。

仕事でイヤなことがあった。

今夜は東山魁夷の続きを読み進めるつもりだったけど
コンビニで買ってきた「クレヨンしんちゃん」vol.37を読みながら寝よう。
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資料/東山魁夷年譜
明治41年(1908)  7月   東山浩介・くにの次男(本名 新吉)として、横浜で生まれる。
明治44年(1911)     父の仕事の関係で、神戸西出町に転居。
大正10年(1921)  4月   兵庫県立第二神戸中学校(現兵庫高等学校)に入学。
大正15年(1926)  4月   東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科に入学。
昭和 4年(1929) 10月   第10回帝展に「山国の秋」を初出品。初入選。
昭和 6年(1931)  3月   東京美術学校を卒業。引き続き、研究科に在籍。
昭和 8年(1933)  3月   東京美術学校研究科を修了。
            8月   ドイツへ留学の途に就く。
昭和 9年(1934) 11月   ベルリン大学哲学科美術史学部に入学。
昭和10年(1934)  9月   父危篤の報に接し、まだ1年残っている留学を断念して帰国。
昭和15年(1940) 11月   日本画家 川崎小虎の長女すみと結婚。中野区鷺宮に転居。
昭和17年(1942)  8月   父 浩介が心臓喘息のため急逝。
昭和20年(1945)  4月   妻と病気の母を伴い、岐阜県高山市に疎開。
            12月   疎開先より、市川市高石神に転居。
昭和21年(1946)  4月   市川市鬼越で味噌醸造業を営む、中村勝五郎氏が経営する工場の事務所2階で間借り生活を始める。
昭和22年(1947) 10月   第3回日展に「残照」を出品。特選・政府買い上げとなる。
昭和25年(1950) 10月   第6回日展に「道」を出品。
昭和28年(1953)  3月   市川市中山1丁目に美術学校で同窓であった建築家吉村順三設計による新居を建てる。
昭和30年(1955) 10月   第11回日展に「光昏」を出品。
昭和31年(1956)  5月   第12回日本芸術院賞を受賞。
昭和35年(1960)  4月   東宮御所(現赤坂御所)に、壁画「日月四季図」を制作。
昭和36年(1961) 11月   皇居吹上御所に壁画「萬緑新」を制作。
昭和40年(1965)  1月   日本芸術院会員に任命される。
昭和43年(1968)  4月   皇居新宮殿の大壁画「朝明けの潮」を制作。
昭和44年(1969)  1月   第10回毎日芸術大賞を受賞。
            11月   文化勲章を受章。文化功労者として顕彰される。
昭和49年(1974)  3月   日展理事長に就任。
昭和50年(1975)  5月   唐招提寺御影堂障壁画 第I期「山雲・濤声」28面を制作。
昭和51年(1976)  4月   日本文化界代表団の一員として、中国を歴訪。
             8月   ドイツ連邦共和国より、功労大十字勲章を贈られる。
昭和52年(1977)  8月   中国人民対外友好協会の招きにより、中国を歴訪。
昭和53年(1978) 11月   パリ市長シラク氏から金牌を贈られる。
昭和55年(1980)  2月   唐招提寺御影堂障壁画 第I期「桂林月宵」等、42面を制作。
昭和56年(1981) 11月   唐招提寺に鑑真和上像厨子絵「瑞光」を奉納。
昭和59年(1984)  6月   ドイツ連邦共和国 プール・ル・メリット学術・芸術院の外国人会員に選ばれる。
昭和60年(1985)     市川市文化会館大ホール第一緞帳原画「緑の微風」を制作。
昭和61年(1986)  6月   日本芸術院第一部長に選出される。
昭和63年(1988) 11月   市川の作家展シリーズII 東山魁夷 唐招提寺への道展開催。
            12月   市川市より名誉市民の称号を贈られる。
平成 2年(1990)  4月   長野市城山公園内に長野県信濃美術館 東山魁夷館開館。
             9月   今上天皇の御即位の式(大嘗祭)に飾る悠紀地方風俗歌屏風を制作。
平成 4年(1992) 11月   ユネスコによる芸術振興の促進に寄与したことにより、ユネスコ・ピカソ金メダルを贈られる。
平成 6年(1994) 11月   市川市生涯学習センター内に東山魁夷アートギャラリー開館。
平成 7年(1995)  7月   長野県山口村に東山魁夷心の旅路館開館。
平成10年(1998) 11月   第30回日展に「月光」を出品。
平成11年(1999)  5月    6日 聖路加国際病院(東京都中央区)で逝去。

(東山魁夷アートギャラリー・東山魁夷年譜より http://www.city.ichikawa.chiba.jp/higasiyama/higasiyama.htm
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資料メモ/流行
1869(明治2)
チャラ金(贋造二分金貨)
1870(明治3)
男子の外套、とんび(インバネス) メリヤスのシャツ 牛鍋屋
1871(明治4)
西洋衣服類(洋服、帽子、靴)
1872(明治5)
ウサギの飼育 『学問のすゝめ』
1873(明治6)
西洋めがね 貂(テン)の毛皮
1874(明治7)
マント風外套 石油ランプ がまぐち(財布)
1875(明治8)
饅頭娘人形 市川右団次人気
1876(明治9)
玉突(ビリヤード) 藤八拳 ラムネ(沸騰散) 輸入ゴム風船 活歴物(歌舞伎)
1877(明治10)
博覧会 月琴 楊弓
1878(明治11)
お高祖頭巾 カジカガエルの飼育 毒婦物
1879(明治12)
鍋町まげ ウサギの飼育 激剣会 自転車
1880(明治13)
鍋焼きうどん 蘭の栽培 空気枕 鶏の蹴りあい 鉛のめんこ
1881(明治14)
会ばやり(演説会、書道会など) 〜商会 懐中時計
1882(明治15)
仕込杖 オモトの栽培 兵児帯
1883(明治16)
麦わら帽子 人種改良論 政治小説
1884(明治17)
吾妻コート マガレイト(洋風結髪) こうもり傘 義太夫節
1885(明治18)
貸し自転車
1886(明治19)
こっくり 吾妻下駄(東下駄) 女義太夫
1887(明治20)
ショール 自転車 トランプ 花札 かるた
1888(明治21)
小紋 よかよか飴 週末旅行
1889(明治22)
とんぼめがね ネル・シャツ 洋鶏の飼育 憲法ブーム
1890(明治23)
文身(いれずみ) お染かぜ(インフルエンザ)
1891(明治24)
絣の羽織 紺の足袋(女学生) 洋酒の一杯売り エビスビール 川上音二郎のオッペケペー
1892(明治25)
パナマ帽 メジロ、チャボの飼育 探偵小説 紙風船
1893(明治26)
バケツ 写真入り名刺 株式会社の設立 記念碑・銅像
1894(明治27)
婦人のショール 雨合羽(横浜の女学生) 戦争物(凱旋煙草、乗っ取り汁など) 電話架設
1895(明治28)
マント イガグリ坊主 かき氷 勲章徽章 軍歌 謡曲
1896(明治29)
二重まわし(インバネス) アサガオの栽培 野球 貸家の新築
1897(明治30)
あずまコート ビー玉あそび シネマトグラフ(映画)
1898(明治31)
指輪 コロッケ 小説貸本所(貸本屋) チーハ(南京賭博)
1899(明治32)
ショール 三つ折りカバン アイスクリーム ケーキ
1900(明治33)
えび茶袴(女学生)
1901(明治34)
娼妓の自由廃業 20世紀の予言 浪花節
1902(明治35)
ひさし髪 腕時計 卓球
1903(明治36)
シルクショール
1904(明治37)
千人結び(応召兵のために) 空気鉄砲 素人写真
1905(明治38)
二〇三高地(中央を高く結った髪形) 女性の新型履物(大和型、敷島型、鎌倉型など) 結婚リング 化粧せっけん アンパン
1906(明治39)
戦争物玩具(機関銃、艦隊積木など) 戦勝記念絵葉書 ジンタ
1907(明治40)
リボン 七三型(7分3分にわける髪型)
1908(明治41)
花束 オモトの栽培 マッチペーパーのコレクション
1909(明治42)
催促まげ(未婚女性の丸まげ) ビリケン
1910(明治43)
行灯袴(あんどんばかま) 博多人形 竹久夢二 座禅
1911(明治44)
毛皮のオーバー ラクダの帽子 目玉の松ちゃん(尾上松之助) デカンショ節
1912(大正元)
女学生の大幅リボン 二つ折カバン 安全剃刀 ジゴマごっこ 大正(屋号に大正屋など)
1913(大正2)
女優まげ 紙めんこ
1914(大正3)
大正琴
1915(大正4)
電気ゴテ(こて)で前髪ウエーブ 教訓入り日めくりカレンダー ガス灯
1916(大正5)
闘犬・闘鶏 歴史小説
1917(大正6)
避暑旅行 忍術映画 ハーモニカ 安来節
1918(大正7)
南米移民
1919(大正8)
土地投機
1920(大正9)
自動電話(公衆電話の前身)
1921(大正10)
耳かくし(ウエーブをかけた髪で耳をかくす)
1922(大正11)
断髪(若い女性に) オールバック
1923(大正12)
行方不明(まげを内側に巻き込み見えない型。関東大震災以後) リヤカー お好み焼き
1924(大正13)
小唄映画 チャンバラ映画 円タク 麻雀
1925(大正14)
ルパシカ(ロシア風ブラウス) ダンスホール 阪東妻三郎 キートン・ロイド・フェアバンクス
1926(昭和元)
つけぼくろ(ほくろ) シングルカット 住宅設計のガイドブック 丸の内病(東京)
1927(昭和2)
白ぐるみの赤ちゃん服 コーデュロイの乗馬ズボン 男子のスポーツ刈り テニスシューズ  マヨネーズソース めんこ べいごま マッチラベルの収集 女学生のスター・ブロマイド収集
1928(昭和3)
ラッパズボン おカマ帽 アイスキャンディー 郷土玩具の収集 いれずみ(大阪で若い女性の間に)
1929(昭和4)
レースのマクラメ編み ウサギの襟巻き ノーネクタイ ベビーゴルフ
1930(昭和5)
ロングスカート チュニック ジャージードレス カメラ 時計 万年筆 楓や桜の造花 ルンペン文学(ルンペン・プロレタリアート)
1931(昭和6)
スポーツ服 ウールジョーゼットのショール 野球見物用スタンド傘 アイスケーキ 電灯料の値下げ運動
1932(昭和7)
神代衣装を着たり、飛行機のなかでの奇抜な結婚式 カフェー 米よこせ運動
1933(昭和8)
ウサギの飼育 メジロ・ウグイスなどすり餌の小鳥の飼育 ワニ皮のバッグ キューピー人形
1934(昭和9)
日記 ダンス 懸賞付き尋ね人(懸賞広告) 軽井沢の別荘(外国人向け)
1935(昭和10)
ビーズ製の袋物 民芸品 女性のカメラ熱 競馬
1936(昭和11)
マフラー 男子セーラー服 白地浅黄裾ぼかしの蚊帳 二つ折りのモダン枕 郷土玩具の収集 女学生の喫煙、喫茶店通い
1937(昭和12)
軍国調の風呂敷 晴雨兼用傘 フランス人形つくり トラの毛(出征軍人用) 浪花節 おもちゃの防毒マスク・軍刀・機関銃 神風号のブロマイド
1938(昭和13)
竹スプーン 木のバケツ サケの皮のバンドとバッグ 女性の洋装
1939(昭和14)
ローズや水色の洋傘 代用コーヒー 眠り病 おばけの赤マント・青マント
1940(昭和15)
短髪 金文字入れ筆入れ・文鎮・鉛筆削り 名曲レコード鑑賞会
1941(昭和16)
折り紙 書道 そろばん塾 ヘチマ型の女子の髪型
1942(昭和17)
かつぎや ルーズ・フィッティングの背広
1943(昭和18)
飛行機の潤滑油としてのヒマ栽培 女子の着物の元禄袖
1944(昭和19)
男性のサスペンダー 「タコの遺骨」(「湖畔の宿」の替え歌) すいとん
1945(昭和20)
ベニヤ板の使用 青空市場 日用品の交換
1946(昭和21)
口紅 簡易電熱器(ニクロム線) 三角くじ遊び 旧軍払い下げ品 住宅要求運動
1947(昭和22)
レザーベルト ビッグコート ギャザースカート 竹製の塗り下駄 ダンス業 野球遊び 少年少女の家出
1948(昭和23)
アロハシャツ GIカット ペプラム(フレアスカートに共布を付けたもの)の下にフリルをつける セコハン・ルック アイスキャンデー
1949(昭和24)
テント型コート トッパーにスラックス・スタイル フレンチスリーブ ショートカット 木製冷蔵庫 新興宗教(新宗教運動) 1000円デート チャンバラ
1950(昭和25)
ボブヘアスタイル ネッカチーフ ショルダーバッグ 別珍足袋 お好み焼き バレエ 女性スポーツ 前衛いけ花 シネマスコープ 女剣劇
1951(昭和26)
西陣のベロアタイ カーディガン ウールスカーフ アクセサリー専門店 スープ皿 チューインガム 人造石研ぎ出し流し台 クレヨン 小型タクシー 婦人用金時計
1952(昭和27)
肩パッド入りセーター 女性用バケツ型手提げバッグ ビニールのレインコート 女性用サッシュベルト ピンク系白粉 男性用ジャンパー イタリアン・ボーイ スクーター 戦記物の小説 児童文学全集
1953(昭和28)
婦人用レースの手袋 落下傘スカート ショートスカート(床上43cm) ポロシャツ コロネーションカラー(高貴な色) 街頭テレビ 性典映画 株式
1954(昭和29)
変形ネクタイ イヤリング サブリナ・シューズ ダスターコート 美人コンクール 新書(新書判) うたごえ喫茶 時代劇
1955(昭和30)
アイスクリーム ソファーベッド 黒曜石のカフスボタン 若者の間にポロシャツ ビキニスタイル マンボ・ダンス 剣豪小説
1956(昭和31)
チャームスクール フレアスカート ダークグレイやサーモンピンクのバッグ パステルカラー 洋酒 家庭用乾電池時計 ロックン・ロール ホッピング マンボ トランキライザー
1957(昭和32)
ダッフルコート ターバン 豆ちくわ 主婦のパートタイム(パートタイマー) 雑誌 ロカビリー サイクリング 百貨店の新増築
1958(昭和33)
舶来のセーター シングル三つボタン 折り畳み傘 湯沸かし器 トリスバー(サントリー) 8ミリ映写機 神風タクシー フラフープ トトカルチョ エレキギター(電気ギター)
1959(昭和34)
ヘアバンド Vネック チェック柄 チャコール・グレー 男子用ピンクシャツ 第2次汁粉ブーム 占い エコー装置 歴史全集 男女合同ハイキング
1960(昭和35)
寝具・ベッド 落書きルック 革ジャンパー 忘年会 第一次遷都論 政治家によるテレビ・ラジオ討論会 オーストラリア・オパール アメリカン・アクションドラマ テレビの西部劇 リバイバル
1961(昭和36)
ヘアピース 革造花 ドドンパ 消費者金融 刑事物のテレビドラマ 駐車場建設(東京)
1962(昭和37)
ムームー カンカンドレス レジャーウェア ツイスト 折り返しのないズボン 白地の訪問着 シャーベット・トーン 刺繍のハンカチ マイカー 忍法
1963(昭和38)
漫画付き低学年用ズック バカンス・ルック エジプト・ルック ニットスーツ ベンケーシー・ルック ノースリーブ サングラス 宝石 ラーメン アンプル薬 ドリンク剤 英会話学校 切手収集
1964(昭和39)
オリンピック・モード ガードルとガーターベルト ヨットパーカー 振り袖 ホームサッシ
1965(昭和40)
メタリック・ワンポイントの柄 なめ茸 ソフトコーン ブルーベリー ハウス栽培の野菜 屋台 ゴーゴーダンス モンキーダンス 笛付きサンダル ピンク映画
1966(昭和41)
つけまつげ 少女ルック 人形ルック ミリタリー・ルック 刺しゅうブラウス フリーカット・タオル インスタント・スープ(インスタント食品) 最中アイス 詩吟 美容体操 ビヤガーデン トランシーバー サッカー 町の発明家の特許出願 トッポジージョ
1967(昭和42)
ジーン(ジーンズ) サマースーツ リボンピース リボンフラワー ブティック形式の店 ブーツ ハニーレモン アイスコーヒー メンズ・マガジン スキューバ・ダイビング サラリーマン金融 社用族のボウリング サイレント映画 人生論 アングラ 戦争ゲーム
1968(昭和43)
男子のタートルネック・セーター ジャンプスーツ 紳士用ダブルコート 新郎のお色直し キッチンユニット EEカメラ トンボメガネ 小鳥のペット
1969(昭和44)
ベスト ロングスカーフ アコーディオンプリーツ 金属のチェーンベルト パッチワークプリント 重ね着ルック ひげづら 家庭用氷けずり器 民芸家具 ミニサイクル(自転車) タウン誌 企業での特訓 シャワー付き給油器
1970(昭和45)
パンスト(ストッキング) 不燃内装材 ミニチュアカーの収集 スタントマン SL(蒸気機関車) 不幸の手紙
1971(昭和46)
紳士物ショルダーバッグ 男性用ワンポイントシャツ スマイル・バッジ カラーハイソックス ラムネ 誕生石 便利屋 グラニュー糖 レトルトカレーやシチュー(レトルト食品) ベビー用バギー 漢方薬 動物ものCM
1972(昭和47)
ホットパンツ サファリ・ルック 厚底の靴 きもの学校 スナック食品 ビジネスマンション 番傘 中国語 お風呂人形 オセロゲーム 観賞魚 パンダ人形
1973(昭和48)
男性のハイヒール・ブーツ・タンクトップ(ユニセックス化) トレーニングウェア スニーカー リモコンテレビ 民芸家具 ツチノコ 小型乗用車
1974(昭和49)
紳士スリーピース 細いエナメルベルト ロングマフラー 三重ネックレス スライスチーズ 羽毛布団 健康機能寝具 ゲイラカイト(凧) 邪馬台国
1975(昭和50)
つなぎ服 タータン・チェック ビッグスタイル コーヒーゼリー パック入りかつお節 紅茶きのこ 女性の自立論 同時録音8ミリビデオ スポーツカイト なぞなぞゲーム 電卓 超合金人形
1976(昭和51)
ポンチョスタイル ブルゾン ネームペンダント エスニック調ベスト ギャザースカート スケートボード ジョギング トーク番組 ラジコン(ラジオコントロール) 50ccバイク
1977(昭和52)
ハーレムルック コーデュロイ スポーツシューズ パーカー ワインカラー 長いイヤリング 冷凍ピザ つけ麺 薄型エアコン テレビゲーム 女子プロレス カラオケ 宇宙戦艦ヤマト テクノ
1978(昭和53)
タンクトップ ペア・ルック エナメルレインブーツ ニュートラ ハマトラ スカーフ ミニ野菜 クレープ 社員バー テニスコート付き民宿 ディスコ 怪獣 SF映画 ニューミュージック サバイバルグッズ
1979(昭和54)
サーファー・ルック デザイナー・ジーンズ ダイバーズウォッチ 超音波美顔器 太陽熱利用温水器(太陽熱利用設備) 金 ネコ 女性映画 カルチャー・センター
1980(昭和55)
肩パッド入りTシャツ グッチやルイヴィトンのバッグ 無彩色・ビビッドカラー 磁気ネックレス パンチパーマ 室内用ブーツ 高級磁器 マイコン 漫才 テレビ・ショッピング
1981(昭和56)
マリンルック シェイプパンツ(ワコール) メンズ・バッグ 風船ガム カップ入りみそ汁 金貨 ストレッチ体操 なめネコ ウルフ(千代の富士貢)
1982(昭和57)
パンツルック ダイアナカット パッチワーク チーズたら ビタミン・ショップ 森林浴 ゲートボール ラブ・コメのアニメ・マンガ 科学誌
1983(昭和58)
ミネラルウォーター DCブランド テクノカット 自然化粧品 アイスクリーム製造器 ワカメラーメン カフェバー ラグビー 北斗の拳ごっこ
1984(昭和59)
チェッカーズ・カット 商品のラッピング 1人前パック食品 チキンナゲット ハーブ 焼酎のイッキ飲み 石油ファンヒーター キン肉マン消しゴム 温泉旅行 エリマキトカゲ
1985(昭和60)
メンズDC ミニカップめん(インスタントラーメン) 食用サワガニ 入浴剤 ねずみ講(首都圏の高校生) 学習マンガ マル字 財テク 自分史
1986(昭和61)
リーボックのスニーカー 黒のフェルト帽 ソバージュヘア ワンレン ハイレグ水着 バーゲンに男性 マッサージ用天然たわし 激辛 ウーロン茶 のど飴 シャワー付き洗面台 財テク
1987(昭和62)
大正ロマン風着物 朝鮮料理 縁日のらくがきせんべい ドライビール ホームベーカリー(自動パン焼き器) 濃縮酸素の缶詰 ビリヤード おまじない(10代の女の子)
1988(昭和63)
ひまわりの柄 黒革のハーフコート 150円のコーヒー オートキャンプ 中国製育毛剤101 タレント・ショップ 10回クイズ
1989(平成元)
エスニック エステティック CDレコード 一杯のかけそば オペラ 純愛 カウチポテト ブーメランベイビー トレンディドラマ 茶魔語 ばなな現象 ビタミンブーム 加湿器 香りつき商品
1990(平成2)
ルーズソックス アメカジ 絹の下着 一番搾り 鉄骨飲料 生ハーブ ティラミス ライスバーガー 毒だみ健康法 ハンディカムビデオ ちびまる子ちゃん ダンスセラピー
1991(平成3)
美白化粧品 紺ブレザー ボンデージファッション もんじゃ焼き タイ料理 ねるとんパーティ ダイヤルQ2 ノーパン健康法 アクアリウム 瞑想教室 ボウリング
1992(平成4)
イージーパンツ ネイビーブルーの服 低カロリー商品 屋台レストラン 家庭用浄水器 ジェニーちゃん現象 紀子さま
1993(平成5)
透明グッズ スクールバッグ プロミスリング 女性用育毛剤 死の本 昼オケ クレヨンしんちゃん ヘアヌード レゲエ
1994(平成6)
たこ焼き 野菜スープ 塩もみ美容 抗菌グッズ 天使グッズ いるかグッズ 家なき子現象 お宝鑑定 キノコ狩り アロマロック
1995(平成7)
やせる石鹸 茶髪 ロンゲ 24時間風呂 NOMO(野茂)グッズ(野茂英雄) キムタク現象 インターネット エコロジー名刺
1996(平成8)
癒し(ヒーリング) レトロ オープンカフェ 小室マジック アムラー現象 ロンバケ プリクラ Windows95
1997(平成9)
男性メーク キティちゃんグッズ 携帯電話 G-SHOCK たまごっち もののけ姫 エヴァンゲリオン現象
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資料メモ/流行歌
1928(昭和3)
『波浮の港』佐藤千夜子 詩/野口雨情 曲/中山晋平
1928(昭和3)
『道頓堀行進曲』岡田嘉子(レコードは筑波久仁子) 詩/日比繁二郎 曲/塩尻精八
1929(昭和4)
『君恋し』二村定一 詩/時雨音羽 曲/佐々紅華
1929(昭和4)
『東京行進曲』佐藤千夜子 詩/西条八十 曲/中山晋平
1930(昭和5)
『ザッツ・オーケー』河原喜久恵 詩/多峨谷素一 曲/奥山貞吉
1931(昭和6)
『酒は涙か溜息か』藤山一郎 詩/高橋掬太郎 曲/古賀政男
1931(昭和6)
『女給の唄』羽衣歌子 詩/西条八十 曲/塩尻精八
1931(昭和6)
『巴里の屋根の下』田谷力三 詩/西条八十 編曲/橋本国彦
1932(昭和7)
『影を慕いて』藤山一郎 詩・曲/古賀政男
1932(昭和7)
『涙の渡り鳥』小林千代子 詩/西条八十 曲/佐々木俊一
1933(昭和8)
『島の娘』小唄勝太郎 詩/長田幹彦 曲/佐々木俊一
1933(昭和8)
『東京音頭』小唄勝太郎、三島一声 詩/西条八十 曲/中山晋平
1934(昭和9)
『赤城の子守唄』東海林太郎 詩/佐藤惣之助 曲/竹岡信幸
1934(昭和9)
『ダイナ』ディック・ミネ 詩/三根耕一(訳) 曲/オスカー・ストロック
1935(昭和10)
『二人は若い』ディック・ミネ、星玲子 詩/玉川映二(サトウ・ハチロー) 曲/古賀政男
1935(昭和10)
『野崎小唄』東海林太郎 詩/今中楓渓 曲/大村能章
1935(昭和10)
『大江戸出世小唄』高田浩吉 詩/湯浅みか 曲/杵屋正一郎
1936(昭和11)
『忘れちゃいやヨ』渡辺はま子 詩/最上洋 曲/細田義勝
1936(昭和11)
『東京ラプソディー』藤山一郎 詩/門田ゆたか 曲/古賀政男
1937(昭和12)
『露営の歌』中野忠晴、松平晃ほか 詩/藪内喜一郎 曲/古関裕而
1937(昭和12)
『ああそれなのに』美ち奴 詩/星野貞志 曲/古賀政男
1937(昭和12)
『妻恋道中』上原敏 詩/藤田まさと 曲/阿部武雄
1938(昭和13)
『愛国行進曲』(レコードは各社競作) 詩/森川幸雄 曲/瀬戸口藤吉
1938(昭和13)
『旅の夜風』霧島昇、ミス・コロムビア 詩/西条八十 曲/万城目正
1938(昭和13)
『雨のブルース』淡谷のり子 詩/野川香文 曲/服部良一
1939(昭和14)
『支那の夜』李香蘭(レコードは渡辺はま子) 詩/西条八十 曲/竹岡信幸
1939(昭和14)
『父よあなたは強かった』伊藤久男、松原操ほか 詩/福田節 曲/明本京静
1939(昭和14)
『出征兵士を送る歌』永田絃次郎、長門美保ほか 詩/生田大三郎 曲/林伊佐緒
1939(昭和14)
『上海の花売娘』岡晴夫 詩/川俣栄一 曲/上原げんと
1940(昭和15)
『暁に祈る』伊藤久男 詩/野村俊夫 曲/古関裕而
1940(昭和15)
『誰か故郷を想はざる』霧島昇 詩/西条八十 曲/古賀政男
1940(昭和15)
『湖畔の宿』高峰三枝子 詩/佐藤惣之助 曲/服部良一
1941(昭和16)
『梅と兵隊』田端義夫 詩/南条歌美 曲/倉若晴生
1942(昭和17)
『月月火水木金金』内田栄一 詩/高橋俊策 曲/江口夜詩
1942(昭和17)
『空の神兵』四家文子、鳴海信輔 詩/梅木三郎 曲/高木東六
1942(昭和17)
『婦系図の歌』小畑実、藤原亮子 詩/佐伯孝夫 曲/清水保雄
1943(昭和18)
『若鷲の歌』霧島昇、波平暁男 詩/西条八十 曲/古関裕而
1943(昭和18)
『勘太郎月夜唄』小畑実、藤原亮子 詩/佐伯孝夫 曲/清水保雄
1943(昭和18)
『十三夜』小笠原美都子 詩/石松秋二 曲/長津義司
1944(昭和19)
『轟沈』楠木繁夫 詩/米山忠雄 曲/江口夜詩
1945(昭和20)
『勝利の日まで』波平暁男ほか 詩/サトウ・ハチロー 曲/古賀政男
1946(昭和21)
『リンゴの唄』並木 路子 詩/サトウ・ハチロー 曲/万城目正
1947(昭和22)
『啼くな小鳩よ』岡晴夫 詩/高橋掬太郎 曲/飯田三郎
1947(昭和22)
『東京ブギウギ』笠置シヅ子 詩/鈴木勝 曲/服部良一
1948(昭和23)
『湯の町エレジー』近江俊郎 詩/野村俊夫 曲/古賀政男
1948(昭和23)
『異国の丘』竹山逸郎 詩/増田幸治 曲/吉田正
1949(昭和24)
『青い山脈』藤山一郎、奈良光枝 詩/西条八十 曲/服部良一
1949(昭和24)
『銀座カンカン娘』高峰秀子 詩/佐伯孝夫 曲/服部良一
1949(昭和24)
『悲しき口笛』美空ひばり 詩/藤浦洸 曲/万城目正
1950(昭和25)
『水色のワルツ』二葉あき子 詩/藤浦洸 曲/高木東六
1950(昭和25)
『ボタンとリボン』池真理子 詩/鈴木勝 曲/J.リビングストン
1950(昭和25)
『熊祭(イヨマンテ)の夜』伊藤久男 詩/菊田一夫 曲/古関裕而
1951(昭和26)
『トンコ節』久保幸江 詩/西条八十 曲/古賀政男
1951(昭和26)
『僕は特急の機関士で』三木鶏郎ほか 詩・曲/三木鶏郎
1952(昭和27)
『ゲイシャワルツ』神楽坂はん子 詩/西条八十 曲/古賀政男
1952(昭和27)
『テネシー・ワルツ』江利チエミ 詩/音羽たかし(訳) 曲/P.W.キング
1952(昭和27)
『リンゴ追分』美空ひばり 詩/小沢不二夫 曲/米山正夫
1953(昭和28)
『君の名は』織井茂子 詩/菊田一夫 曲/古関裕而
1953(昭和28)
『雪の降る町を』高英男 詩/内村直也 曲/中田喜直
1954(昭和29)
『お富さん』春日八郎 詩/山崎正 曲/渡久地政信
1954(昭和29)
『ウスクダラ』江利チエミ 詩/音羽たかし(訳) 曲/S.リー
1954(昭和29)
『オー・マイ・パパ』雪村いづみ 詩/井田誠一(訳) 曲/P.ブルックハード
1955(昭和30)
『おんな船頭唄』三橋美智也 詩/藤間哲郎 曲/山口俊郎
1955(昭和30)
『この世の花』島倉千代子 詩/西条八十 曲/万城目正
1956(昭和31)
『ここに幸あり』大津美子 詩/高橋掬太郎 曲/飯田三郎
1956(昭和31)
『ケ・セラ・セラ』ペギー葉山 詩/音羽たかし(訳) 曲/J.リビングストン
1957(昭和32)
『チャンチキおけさ』三波春夫 詩/門井八郎 曲/長津義司
1957(昭和32)
『喜びも悲しみも幾歳月』若山彰 詩・曲/木下忠司
1957(昭和32)
『俺は待ってるぜ』石原裕次郎 詩/石崎正美 曲/上原賢六
1957(昭和32)
『バナナ・ボート』浜村美智子 詩/井田誠一(訳) 曲/(キューバの労働歌)
1958(昭和33)
『有楽町で逢いましょう』フランク永井 詩/佐伯孝夫 曲/吉田正
1958(昭和33)
『からたち日記』島倉千代子 詩/西沢爽 曲/遠藤実
1959(昭和34)
『南国土佐を後にして』ペギー葉山 詩・曲/武政英策
1959(昭和34)
『黒い花びら』水原弘 詩/永六輔 曲/中村八大
1960(昭和35)
『誰よりも君を愛す』松尾和子 詩/川内康範 曲/吉田正
1960(昭和35)
『潮来笠』橋幸夫 詩/佐伯孝夫 曲/吉田正
1961(昭和36)
『じんじろげ』森山加代子 詩/渡舟人 曲/中村八大
1961(昭和36)
『有難や節』守屋浩 詩/浜口庫之助 曲/森一也(採譜)
1961(昭和36)
『スーダラ節』植木等 詩/青島幸男 曲/萩原哲晶
1962(昭和37)
『上を向いて歩こう』坂本九 詩/永六輔 曲/中村八大
1962(昭和37)
『王将』村田英雄 詩/西条八十 曲/船村徹
1962(昭和37)
『山男の歌』ダーク・ダックス 詩/神保信雄 曲/若松正司(編曲)
1963(昭和38)
『こんにちは赤ちゃん』梓みちよ 詩/永六輔 曲/中村八大
1963(昭和38)
『島育ち』田端義夫 詩/有川邦彦 曲/三界稔
1963(昭和38)
『高校三年生』舟木一夫 詩/丘灯至夫 曲/遠藤実
1964(昭和39)
『東京五輪音頭』三波春夫 詩/宮田隆 曲/古賀政男
1964(昭和39)
『幸せなら手を叩こう』坂本九 詩/きむらりひと 曲/有田怜
1964(昭和39)
『お座敷小唄』マヒナスターズ 詩/不詳 曲/陸奥明
1965(昭和40)
『柔』美空ひばり 詩/関沢新一 曲/古賀政男
1965(昭和40)
『涙の連絡船』都はるみ 詩/関沢新一 曲/市川昭介
1965(昭和40)
『愛して愛して愛しちゃったのよ』田代美代子 詩・曲/浜口庫之助
1966(昭和41)
『いい湯だな』デューク・エイセス 詩/永六輔 曲/いずみたく
1966(昭和41)
『バラが咲いた』マイク真木 詩・曲/浜口庫之助
1966(昭和41)
『函館の女(ひと)』北島三郎 詩/星野哲郎 曲/島津伸男
1966(昭和41)
『お嫁においで』加山雄三 詩/岩谷時子 曲/弾厚作(加山雄三)
1967(昭和42)
『ブルー・シャトー』ジャッキー吉川とブルーコメッツ 詩/橋本淳 曲/井上忠夫
1967(昭和42)
『夜霧よ今夜も有難う』石原裕次郎 詩・曲/浜口庫之助
1968(昭和43)
『恋の季節』ピンキーとキラーズ 詩/岩谷時子 曲/いずみたく
1968(昭和43)
『星影のワルツ』千昌夫 詩/白鳥園枝 曲/遠藤実
1968(昭和43)
『帰ってきたヨッパライ』ザ・フォーク・クルセダーズ 詩/フォーク・パロディギャング 曲/加藤和彦
1969(昭和44)
『黒ネコのタンゴ』皆川おさむ 詩/みおたみずほ 曲/ソリンツルロ
1969(昭和44)
『ブルーライト・ヨコハマ』いしだあゆみ 詩/橋本淳 曲/筒美京平
1970(昭和45)
『知床旅情』加藤登紀子 詩・曲/森繁久弥
1970(昭和45)
『今日でお別れ』菅原洋一 詩/なかにし礼 曲/宇井あきら
1971(昭和46)
『おふくろさん』森進一 詩/川内康範 曲/猪俣公章
1971(昭和46)
『私の城下町』小柳ルミ子 詩/安井かずみ 曲/平尾昌晃
1971(昭和46)
『よこはまたそがれ』五木ひろし 詩/山口洋子 曲/平尾昌晃
1972(昭和47)
『喝采』ちあきなおみ 詩/吉田旺 曲/中村泰士
1972(昭和47)
『どうにもとまらない』山本リンダ 詩/阿久悠 曲/都倉俊一
1973(昭和48)
『危険なふたり』沢田研二 詩/安井かずみ 曲/加瀬邦彦
1973(昭和48)
『女のみち』ぴんからトリオ 詩/宮史郎 曲/並木ひろし
1974(昭和49)
『襟裳岬』森進一 詩/岡本おさみ 曲/吉田拓郎
1974(昭和49)
『くちなしの花』渡哲也 詩/水木かおる 曲/遠藤実
1975(昭和50)
『シクラメンのかほり』布施明 詩・曲/小椋佳
1975(昭和50)
『我が良き友よ』かまやつひろし 詩・曲/吉田拓郎
1976(昭和51)
『およげ!たいやきくん』子門真人 詩/高田ひろお 曲/佐瀬寿一
1976(昭和51)
『北の宿から』都はるみ 詩/阿久悠 曲/小林亜星
1976(昭和51)
『岸壁の母』二葉百合子 詩/藤田まさと 曲/平川浪龍
1977(昭和52)
『勝手にしやがれ』沢田研二 詩/阿久悠 曲/大野克夫
1977(昭和52)
『渚のシンドバット』ピンク・レディー 詩/阿久悠 曲/都倉俊一
1977(昭和52)
『津軽海峡冬景色』石川さゆり 詩/阿久悠 曲/三木たかし
1978(昭和53)
『UFO』ピンク・レディー 詩/阿久悠 曲/都倉俊一
1978(昭和53)
『プレイバックPart?』山口百恵 詩/阿木燿子 曲/宇崎竜童
1978(昭和53)
『ジョニーの子守歌』アリス 詩/谷村新司 曲/堀内孝雄
1979(昭和54)
『魅せられて』ジュディ・オング 詩/阿木燿子 曲/筒美京平
1979(昭和54)
『おもいで酒』小林幸子 詩/高田直和 曲/梅谷忠洋
1979(昭和54)
『銀河鉄道999』ゴダイゴ 詩/奈良橋陽子 曲/山川啓介、タケカワユキヒデ
1980(昭和55)
『雨の慕情』八代亜紀 詩/阿久悠 曲/浜圭介
1980(昭和55)
『哀愁でいと』田原俊彦 詩/小林和子 曲/G.ヘンリック
1980(昭和55)
『青い珊瑚礁』松田聖子 詩/三浦徳子 曲/小田裕一郎
1981(昭和56)
『ルビーの指環』寺尾聰 詩/松本隆 曲/寺尾聰
1981(昭和56)
『ギンギラギンにさりげなく』近藤真彦 詩/伊達歩 曲/筒美京平
1982(昭和57)
『北酒場』細川たかし 詩/なかにし礼 曲/中村泰士
1982(昭和57)
『聖母(マドンナ)たちのララバイ』岩崎宏美 詩/山川啓介 曲/木森敏之
1982(昭和57)
『100%―SOかもね』シブがき隊 詩/森雪之丞 曲/井上大輔
1983(昭和58)
『矢切の渡し』細川たかし 詩/石本美由紀 曲/船村徹
1983(昭和58)
『1/2の神話』中森明菜 詩/売野雅勇 曲/大沢誉志幸
1983(昭和58)
『ガラスの林檎』松田聖子 詩/松本隆 曲/細野晴臣
1984(昭和59)
『浪花節だよ人生は』水前寺清子 詩/藤田まさと 曲/四方章人
1984(昭和59)
『星屑のステージ』チェッカーズ 詩/売野雅勇 曲/芹沢広明
1984(昭和59)
『迷宮のアンドローラ』小泉今日子 詩/松本隆 曲/筒美京平
1985(昭和60)
『ミ・アモーレ』中森明菜 詩/康珍化 曲/松岡直也
1985(昭和60)
『悲しみにさよなら』安全地帯 詩/松井五郎 曲/玉置浩二
1985(昭和60)
『俺たちのロカビリーナイト』チェッカーズ 詩/売野雅勇 曲/芹沢広明
1986(昭和61)
『DESIRE』中森明菜 詩/阿木燿子 曲/鈴木キサブロー
1986(昭和61)
『仮面舞踊会』少年隊 詩/ちあき哲也 曲/筒美京平
1986(昭和61)
『じゃあね』おニャン子クラブ 詩/秋元康 曲/高橋研
1987(昭和62)
『愚か者』近藤真彦 詩/伊達歩 曲/井上堯之
1987(昭和62)
『命くれない』瀬川瑛子 詩/吉岡治 曲/北原じゅん
1988(昭和63)
『パラダイス銀河』光GENJI 詩・曲/飛鳥涼
1988(昭和63)
『乾杯』長渕剛 詩・曲/長渕剛
1988(昭和63)
『ANGEL』氷室京介 詩・曲/氷室京介
1989(平成1)
『淋しい熱帯魚』Wink 詩/及川眠子 曲/尾関昌也
1989(平成1)
『Diamonds』プリンセス・プリンセス 詩/中山加奈子 曲/奥居香
1989(平成1)
『とんぼ』長渕剛 詩・曲/長渕剛
1990(平成2)
『おどるポンポコリン』B.B.クイーンズ 詩/さくらももこ 曲/織田哲郎
1990(平成2)
『さよなら人類』たま 詩・曲/柳原幼一郎
1990(平成2)
『浪漫飛行』米米CLUB 詩・曲/米米CLUB
1991(平成3)
『愛は勝つ』KAN 詩・曲/KAN
1991(平成3)
『Oh! Yeah! ラブ・ストーリーは突然に』小田和正 詩・曲/小田和正
1991(平成3)
『SAY YES』CHAGEASKA 詩・曲/飛鳥涼
1992(平成4)
『君がいるだけで』米米CLUB 詩・曲/米米CLUB
1992(平成4)
『それが大事』大事MANブラザーズバンド 詩・曲/立川俊之
1992(平成4)
『悲しみは雪のように』浜田省吾 詩・曲/浜田省吾
1993(平成5)
『YAH YAH YAH』CHAGEASKA 詩・曲/飛鳥涼
1993(平成5)
『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない』B'z 詩/稲葉浩志 曲/松本孝弘
1993(平成5)
『ロード』THE虎舞竜 詩・曲/高橋ジョージ
1994(平成6)
『innocent world』Mr.Children 詩・曲/桜井和寿
1994(平成6)
『ロマンスの神様』広瀬香美 詩・曲/広瀬香美
1994(平成6)
『恋しさとせつなさと心強さと』篠原涼子 with t.komuro 詩・曲/小室哲哉
1995(平成7)
『HELLO』福山雅治 詩・曲/福山雅治
1995(平成7)
『LOVE LOVE LOVE:嵐が来る』ドリームズ・カム・トゥルー 詩/吉田美和 曲/中村正人
1995(平成7)
『ズルい女』シャ乱Q 詩・曲/つんく
1996(平成8)
『名もなき詩』Mr.Children 詩・曲/桜井和寿
1996(平成8)
『I'm proud』華原朋美 詩・曲/小室哲哉
1996(平成8)
『アジアの純真』Puffy 詩/井上陽水 曲/奥田民生
1997(平成9)
『CAN YOU CELEBRATE?』安室奈美恵 詩・曲/小室哲哉
1997(平成9)
『硝子の少年』KinKi Kids 詩/松本隆 曲/山下達郎
1997(平成9)
『STEADY』SPEED 詩・曲/伊秩弘将
1998(平成10)
『陽のあたる場所』Misia 詩/Misia、Jun Sasaki 曲/Jun Sasaki
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資料メモ0110
■東山魁夷
(1908―99)日本画家。明治41年7月8日横浜に生まれる。本名新吉。1931年(昭和6)東京美術学校(東京芸大の前身)を卒業して研究科に進み、33年から35年までドイツに留学。47年(昭和22)の第3回日展で『残照』が特選。50年から審査員となり、第11回日展出品作『光昏(こうこん)』で56年に日本芸術院賞を受ける。65年には日本芸術院会員、日展理事となり、69年に文化勲章を受章。74年に日展理事長となった。この間、60年に東宮御所壁画『日月四季図』、68年には皇居新宮殿壁画『朝明けの潮(うしお)』を完成させ、翌年毎日芸術大賞を受ける。また73年から唐招提寺御影(とうしょうだいじみえい)堂障壁画の制作に携わり、81年にこれを完成させた。87年に所蔵していた自作を長野県に寄贈。90年(平成2)には、同県にそれらを所蔵した長野県信濃美術館・東山魁夷館が開館した。文章をよくし、『わが遍歴の山河』『風景との対話』など著書多数がある。平成11年5月6日死去。


■いわ‐えのぐ【岩絵の具】(いはヱのグ)
天然の鉱物を細粉にし、精製、乾燥させた絵の具。非水溶性。群青(ぐんじょう)類と緑青(ろくしょう)類の二系統がある。東洋画に用いる。近年、人工のものもある。


■ぐんじょう‐いろ【群青色】(グンジャウ‥)
群青1のようにあざやかで美しい藍青色。ぐんじょう。


■ろく‐しょう【緑青】(‥シャウ)
銅に生じる緑色のさびの総称。塩基性酢酸銅、塩基性炭酸銅、塩基性硫酸銅などが知られている。毒性はほとんどないことがわかった。緑色の顔料としても用いる。また、その色。




■にほん‐が【日本画】(‥グヮ)
わが国で発達した絵画。絹・紙に毛筆で描き、絵の具は多く岩絵の具を用い、独特の技法・形式・様式をもつ。特に、油絵や水彩画などの洋画に対して明治以後のものをいう場合が多い。

■とうきょう‐びじゅつがっこう【東京美術学校】(トウキャウビジュツガクカウ)
東京芸術大学美術学部の前身。明治一八年文部省に図画取調掛として発足。同二〇年改組して東京美術学校となる。

■日本画
日本の伝統的な絵画。日本画の名称が確立するのは明治10年代(19世紀末)で、西洋画=油絵に対する語として生まれ、伝統的な日本の絵画を流派・様式の区別なしに、一括して「日本画」と呼称するようになった。したがって、今日日本画とよばれている絵画領域には、広義には大和(やまと)絵(やまと絵、倭絵)、唐絵(からえ)、水墨画、南画、洋風画をはじめ、浮世絵などの風俗画まですべてを含むことになるが、狭義には、大和絵と唐絵の交流によって生まれた狩野(かのう)派や、江戸時代中期以降に発展した円山(まるやま)派、さらに明治以降流行した大和絵風な平面的で装飾的な絵画をさす。
 平安時代に中国から伝わったいわゆる唐絵は、日本の自然風土に適合した絵画表現となり、線の引き方、色の配合などに日本人の感覚を生かした繊細優美な画法が案出され、冊子(さつし)や絵巻物を彩った。これを大和絵という。鎌倉・室町時代に大陸から伝わった水墨画は、桃山時代に障屏(しようへい)画の大作となって発展した。これに大和絵の手法を取り入れて、金箔(きんぱく)や金泥(きんでい)をふんだんに使った濃絵(だみえ)の手法で、寺院や書院造のふすまを飾ったのが狩野永徳(えいとく)らの桃山の金碧(きんぺき)障屏画である。大和絵はそうした大作のほか、細密描写や風俗表現の面でいかんなく本領を発揮したが、このような大和絵のもつ装飾性も、日本画の伝統的な特色の一つにあげられる。江戸時代、狩野派は幕府の御用絵師として勢力を振るったが、江戸中期になって円山応挙(おうきよ)は西洋の透視画法と日本の大和絵の装飾的な表現を融合させて新しい様式を生み出した。この円山派の画風は、今日の京都画壇に伝えられている。
 明治以後は、岡倉天心(てんしん)が唱えた伝統的な日本絵画の再発見と認識のうえにたって、横山大観(たいかん)らが新しい日本画を打ち立てた。その中心発表機関となったのが、日本美術院(天心没後再興の日本美術院)による「院展」で、今日では「日展」と「創画会」とともに日本画三大勢力を形成している。今日の日本画は洋画と接近し、発想から表現までほとんど洋画と異ならず、絵の具を油絵のように厚塗りにする作家も出て、ただ材料と画家の出身によってのみ区別される傾向にある。→唐絵 →大和絵 →南画 →洋風画 →浮世絵 →障屏画
 日本画の絵の具は鉱物質の顔料が主で、天然の岩を砕いて粉末にした岩絵の具(群青(ぐんじよう)、緑青(ろくしよう)など)、金属粉末などの泥絵の具(黄土(おうど)、朱、丹(たん)、金銀泥など)、水に溶ける水絵の具(代赭(たいしや)、藍(あい)、臙脂(えんじ)など)の3種があり、金銀箔なども併用され、紙または絹に描かれる。その際、まえもって礬水(どうさ)(明礬(みようばん)を溶かした水に膠(にかわ)を混ぜたもの)をひき、絵の具や墨のにじみを防ぐ必要がある。技法的にも、線を引く運筆技法、色彩のぼかしの技法など、日本画独自の伝統があり、油絵技法と比べて、すぐにだれにでもできるというものではなく、かなりの修練を必要とする。
 また、旧来の日本画は軸装、屏風(びようぶ)仕立て、和額、巻物などの形が主であったが、今日では洋画と同じ額装による発表が多い。これも家屋の洋風化と、日本画が屋内の個人鑑賞から展覧会による会場芸術へと変貌(へんぼう)しつつある証左であろう。→日本美術〈中村溪男〉

■日本美術
日本美術は、先史時代から歴史時代に入って中国や朝鮮の美術を吸収し、その動向を反映しながら、独自の美の世界を展開・創造してきた。これは、日本人のもつ優れた美的感覚と、恵まれた自然環境に負うところが大きい。近世以降、海外から、限られた分野ではあるが、日本美術に関心が寄せられてきたが、いまや世界のなかで日本美術の全体像をとらえようとする動きがあり、その特質および位置づけについて深い理解がなされるようになった。こうした広い視点にたって日本美術をとらえることは今後の重要な課題となろうが、ここでは、日本美術の古代から現代に至る流れを概観し、その展開の軌跡を、彫刻、絵画、工芸などに重点を置いて述べる。
なお、「書」「陶芸」「染織」「庭園」「日本建築」「神社建築」「仏教建築」「日本刀」「仏像」「仏画」などについては、それぞれの項目に詳述してある。
■先史時代■
縄文時代、人々は竪穴(たてあな)住居に住み、生活用具としての土器、呪術(じゅじゅつ)用とみられる土面や土偶を制作した。土偶の多くは女性をかたどったもので、これらのきわめて原始的な彫刻のなかに造形感覚の萌芽(ほうが)をみることができる。
 紀元前400年ころから弥生(やよい)時代に移るが、このころから大陸文化の影響が、初めは緩慢に、しだいに急速に全国に広まっていった。大陸から稲作が伝わり、農耕を中心とした生活が営まれるようになり、土器には縄文的な粗豪性や生命力の強さという特色が失われ、穏やかな造形へと変容を遂げていく。
 北九州に大陸から青銅器、鉄器などが伝わると、わが国でも銅剣、銅矛(どうぼこ)、銅鏡などが模作されたが、わが国独特の銅鐸(どうたく)もつくられた。銅鐸は出土品から推して近畿地方を中心につくられたと思われるが、用途はさだかではない。しかし、袈裟襷(けさだすき)文や流水文、トンボ・亀(かめ)・水鳥などの小動物、狩猟や舞踊などの人物の絵画的表現は、弥生時代の鋳造技術の水準の高さを示している。
 古墳時代、一般人はまだ竪穴住居が多かったが、支配者層は高床式住居で、切妻や入母屋(いりもや)などの屋根に鰹木(かつおぎ)をのせたものが権威の象徴とされた。今日まで古式を伝える伊勢(いせ)神宮、出雲(いずも)大社などの神社建築は、こうした古墳時代の建築様式を今日に伝えるものである。また、古墳の副葬品として、粘土を輪積みにした素焼の彫刻や埴輪(はにわ)がつくられた。埴輪には家屋や生活用具、人物、動物などがあるが、いずれも素朴な表現ながら対象の特徴をよくとらえており、文献の乏しい当時の生活を伝える貴重な資料である。また九州地方の装飾古墳の原始的絵画に、大陸壁画の影響がうかがえる。
 古墳時代に目覚ましい発展をみせたのは金属工芸品で、武器、武具、装身具などに彫金の技法がみられるようになる。竜、双鳳、唐草(からくさ)文、パルメット文など外来の模様が、透(すかし)彫りや毛彫りで施されている。金銀を他の金属地にはめ込む象眼(ぞうがん)の技法や、鍍金(めっき)の技術も進み、古墳時代には金工の基本的な技術はほとんど日本に定着したと考えられる。→銅鐸 →埴輪 →装飾古墳
■飛鳥・白鳳時代■
美術史では広義の飛鳥(あすか)時代を二つに分けて、仏教公伝から大化改新(645)までを飛鳥時代、それ以後平城遷都の710年(和銅3)までを白鳳(はくほう)時代という。仏教伝来によって経典とともに易学、暦、医学の博士(はかせ)たち、僧、造仏工、造寺工、瓦(かわら)工、画工らが百済(くだら)から献上され、聖徳太子という偉大な指導者の出現で、仏教美術は6世紀から7世紀にかけて飛躍的な発展を遂げるが、その際、これら技術者が果たした役割は大きい。
■奈良時代■
美術史では天平(てんぴょう)時代ともいい、710年(和銅3)の平城京遷都から794年(延暦13)の平安遷都までの約80年間をいう。この時代は律令(りつりょう)制度が確立し、官僚機構が整備された。とくに聖武(しょうむ)天皇の天平期(729〜749)には遣唐使によって盛唐の文化が伝えられ、これを受けて日本の風土に根づいた美術があらゆる分野で大輪の花を咲かせた。752年(天平勝宝4)の東大寺の大仏開眼はまさにこの時代の象徴といえよう。
■平安時代■
平安遷都(794)から平家滅亡(1185)まで約400年にわたる貴族文化の時代である。
この時期、空海が中国からもたらした真言(しんごん)密教、最澄(さいちょう)の天台密教は、仏教界のみならず美術の分野にも大きな波紋を投げかけ、遣唐使の廃止によって大陸からの文化移入がとだえると、それまで蓄積されたエネルギーによって自力で独自の文化を形成し、王朝文化の花を咲かせた。しかし、1180年(治承4)の南都の火災は豪華優艶(ゆうえん)な貴族文化を葬り、それはまた古代の終焉(しゅうえん)を告げるものでもあった。
■鎌倉・室町時代■
鎌倉の美術は、治承(じしょう)の兵火(1180)によって焼失した南都東大寺と興福寺の復興事業から始まった。その際、範とされたのは前代の藤原期のものではなく、飛鳥・天平の古典美術であった。このような、いわば一種のルネサンス現象は、建築・彫刻の分野でもっともよくみられる。宋(そう)代の文化、ことに禅宗は精神面でも大きな刺激となり、室町時代を通じて絵画・書跡に大きな影響を及ぼした。さらに鎌倉時代に生まれた浄土真宗、時宗、日蓮(にちれん)宗などの新仏教が人々に及ぼした新興の気運は、美術の面にも反映してくる。
 続く室町時代には、応仁(おうにん)の乱(1467〜77)によって文化面にも大きな変革がもたらされ、美術面でもその前と後では著しい相違がみられる。京都五山・鎌倉五山を中心に栄えた禅宗美術は、応仁の乱によって中国風は一挙に葬り去られ、日本古来の伝統を生かした新しい美術が台頭する。その際、絵画における雪舟や雪村のように、京都から離れた諸地方で美術活動が行われるようになったこと、前代まで一部支配者のためのものであった美術がしだいに階層の幅を広げたこと、そして、次代の近世文化勃興(ぼっこう)の基礎がそれによって築かれていったことが特筆されよう。
■桃山時代■
一般史では安土(あづち)桃山時代として、織田信長が足利義昭(よしあき)を擁して岐阜から上洛(じょうらく)した1568年(永禄11)から、江戸幕府開設の1603年(慶長8)をさすが、美術史では桃山様式が華やかな展開を示した慶長(けいちょう)・元和(げんな)(1596〜1624)を含め、寛永(かんえい)末年(1644)ごろまでを桃山時代とする場合が多く、ここでもこれに従う。期間にしてわずか70余年であるが、日本美術史を通じて、支配階級のみならず庶民のエネルギーが一つの方向をもち始めた時期として注目される。建築では、それまでの社寺建築にかわって、武将が自己の権威を誇示するために築いた城郭建築が中心で、これに伴い武将の住居としての書院造が生み出された。その一方で、草庵(そうあん)風茶室の小空間に静寂の境地が求められ、軽妙な数寄屋(すきや)建築もつくられた。豪華と佗(わ)びと、この一見相反する傾向は、桃山文化のみならず、近世以後の日本美術の両面性の本質を示すものである。→城
 天正(てんしょう)から慶長にかけて豊臣秀頼(とよとみひでより)による方広寺大仏、東寺諸仏の修理造立が相次ぎ、江戸初期では江戸幕府が諸大名に命じて、日光輪王(りんのう)寺、江戸寛永(かんえい)寺の建立があった。
そして、これらの造仏には伝統仏所の仏師たちが働いたが、鎌倉期初頭にみたようなエネルギーはついによみがえることなく、いたずらに前期の仏像を模するだけの職人芸に終わり、彫刻の不振は江戸時代も続いた。
■江戸時代■
美術史では、寛永(かんえい)(1624〜44)末年以降、明治維新(1868)までを扱う。
17世紀後半まで、美術は桃山文化の余光のなかにあったが、元禄(げんろく)期(1688〜1704)になると、文化の担い手は支配階級から、富力を蓄えた上方(かみがた)や江戸の町人階級に移っていく。鎖国によって西洋への門は閉ざされていたが、明・清(しん)の絵画・工芸・書などがもてはやされ、南画や漢詩の一大隆盛をみた。江戸時代の美術は時代を反映して大衆化に特徴があり、それによって培われた庶民のエネルギーが、明治の近代化を促進する要因となったといえる。
 彫刻は前代よりさらに衰退したが、いわば専門の彫刻家でない、異端に属する遊行(ゆぎょう)僧の円空(えんくう)や木喰(もくじき)の作品が、近年になって全国から次々と発見され、現代人の関心をよんでいる。また幕末から明治にかけて牙彫(げちょう)(根付(ねつけ)など)が盛んになり、宗教的主題を離れた愛玩(あいがん)用具に細密な技術を振るった。
 しかし、建築では桂(かつら)離宮と修学院(しゅがくいん)離宮という、庭園と建築が一つに溶け合った日本美の一典型をつくりだし、これと対照的な日光東照宮のような華麗な霊廟(れいびょう)建築も行われ、今日に残るものが多い。→桂離宮 →修学院離宮 →日光東照宮
■絵画■ 仏画にはほとんどみるべきものがなく、江戸の絵画作品はやまと絵、南画、風俗画に集中している。桃山時代に永徳や山楽によってその基礎を形成した狩野派は、探幽(たんゆう)が出て水墨画の瀟洒(しょうしゃ)な新様式をたてたが、やがて江戸幕府の御用絵師の地位に安住して作風は形式化し、土佐派も宮廷の画所預(えどころあずかり)の地位にあってやまと絵の古様をなぞるのみで、新風はおこらなかった。むしろ傍流の久隅守景(くすみもりかげ)や英一蝶(はなぶさいっちょう)が個性的な画風を確立した。
 狩野派、土佐派の伝統を取り入れ、独自の画風を打ち立てたのは在野の画家たちである。俵屋宗達(たわらやそうたつ)は桃山期から活動を始め、金銀泥絵(でいえ)、色紙、扇面などの大胆な画面構成と明快な色彩で、代表作の舞楽図や風神雷神図屏風にみるような独自の絵画世界をつくりあげた。ついで近世絵画に新しい展開をもたらしたのは尾形光琳(こうりん)で、京都の呉服商生まれの彼は染織によって培われた意匠感覚で、宗達とはまた異なる装飾的な絵画世界に到達した。燕子花(かきつばた)図屏風、紅白梅図屏風は彼の代表作であると同時に江戸絵画の傑作である。光琳の弟に陶芸家の尾形乾山(けんざん)がいる。
 次に絵入版本の作者として登場したのが、浮世絵の祖といわれる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)である。浮世絵は肉筆のほか、彫師、摺師の協力を得て開発された多色摺によって、飛躍的に豊かな表現力をもつようになった。
錦絵(にしきえ)を創案した鈴木春信(はるのぶ)、天明(てんめい)期(1781〜89)の鳥居清長(きよなが)、美人大首絵(おおくびえ)という新様式を編み出した喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、クローズ・アップによる特異な役者絵を描いた東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)、風景画で世界的な葛飾北斎(かつしかほくさい)や歌川広重(ひろしげ)ほか多くの浮世絵画家が輩出し、江戸美術に大きなウェイトを占める。
 江戸幕府が文治政策の基本とした儒学の興隆にしたがって誕生したのが南画である。中国南宗画(なんしゅうが)の様式と文人画の理念をあわせて取り入れ、日本独特の発展を遂げた。池大雅(いけのたいが)、与謝蕪村(よさぶそん)はその代表的画家である。南画が写意的であるとすれば写生に徹したのは円山応挙(まるやまおうきょ)で、多くの弟子を育成して円山派を創始した。
 1720年(享保5)8代将軍徳川吉宗(よしむね)がキリスト教以外の洋書を解禁すると、宗教色のない洋風画にふたたび関心が高まり、平賀源内(ひらがげんない)の指導で秋田藩に和洋折衷の秋田蘭画(らんが)がおこった。
この影響を受けて司馬江漢(しばこうかん)はわが国最初の銅版画を制作している。亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)は銅版画では江漢をしのぎ、江戸名所を描くとともに、油彩の大作、浅間山真景図屏風を残している。
 このほか18世紀後半から19世紀初頭の異色ある画家に、伊藤若冲(じゃくちゅう)、曽我蕭白(そがしょうはく)、浦上玉堂(うらかみぎょくどう)、青木木米(もくべい)、田能村竹田(たのむらちくでん)らがいる。谷文晁(ぶんちょう)はいわゆる烏(からす)文晁様式を打ち立て、文晁の弟子のなかでもっとも傑出した渡辺崋山(かざん)は洋画の手法を取り入れて、鷹見泉石(たかみせんせき)像のような優れた肖像画を残した。
 1815年(文化12)酒井抱一(さかいほういつ)は光琳百年忌を営み、光琳様式の復興を目ざした。夏秋草図屏風は抱一の繊細な叙情性をよく表している。→狩野派 →土佐派 →琳派 →南画 →浮世絵 →秋田蘭画
■明治以降現代まで■
明治以降の日本美術の展開は、社会一般の近代化とほぼ軌を一にしている。明治政府は産業振興のためにしばしば博覧会を開き、美術コンクールとその展示を行った。また、世界の博覧会に伝統的な工芸美術を積極的に出品し、世界にその存在を知らせるとともに、輸出への活路をみいだそうと努めた。こうした動きはやがて美術界に対する干渉と官展の創設につながり、これに反発して在野の美術団体が結成された。大正以後は、伝統美術の継承と新美術の成立という二つの流れが拮抗(きっこう)しながら展開していく。第二次世界大戦の暗黒時代を経て、現代では伝統の今日的認識と、世界的視点にたった日本美術のあり方が求められている。
■絵画■ 明治初期来日したお雇い外国人教師フェノロサは、日本の伝統美術に魅せられて日本古来の絵画を礼賛し、これに呼応して狩野芳崖(ほうがい)は『悲母観音』(1888)によってやまと絵の命脈を示した。芳崖亡きあと、フェノロサの思想は岡倉天心によって推進され、1889年(明治22)東京美術学校が開校されると、天心の周辺には新しい日本画を目ざす横山大観(たいかん)、菱田春草(ひしだしゅんそう)、下村観山(しもむらかんざん)らが集まり、それは次の世代の今村紫紅(しこう)、速水御舟(はやみぎょしゅう)、安田靫彦(ゆきひこ)、小林古径(こけい)、前田青邨(せいそん)らに引き継がれていった。一方、長い伝統のうえにたつ京都の日本画壇は竹内栖鳳(せいほう)を中心に近代化が進められ、上村松園(うえむらしょうえん)は典雅な色調の女性風俗によって閨秀(けいしゅう)画家の第一人者となった。官展系では鏑木清方(かぶらききよかた)が江戸中期浮世絵の伝統から独自の風俗画を完成し、平福百穂(ひらふくひゃくすい)は詩情ある画風を達成した。土田麦僊(つちだばくせん)、村上華岳(かがく)らは官展で認められず、離反してヨーロッパの後期印象派からの影響も受けながら、個性ある作風を展開した。こうした近代化の一方で、文人画の伝統を追求した者に富岡鉄斎(てっさい)、小川芋錢(うせん)がいる。また新古典主義ややまと絵に反発して、会場芸術を標榜(ひょうぼう)して大作主義を貫いたのが川端龍子(りゅうし)の青龍社であった。
 洋画は、江戸末期の洋風画にその萌芽(ほうが)をみせてはいたが、本格的な洋画の出現は明治10年前後であり、高橋由一(ゆいち)は明治初期の代表作家である。1876年工部美術学校が創設されてアントニオ・フォンタネージが指導にあたり、浅井忠(ちゅう)、小山正太郎(こやましょうたろう)、山本芳翠(ほうすい)らが学んだ。93年にフランスから帰国した黒田清輝(せいき)、久米桂一郎(くめけいいちろう)がもたらした外光派とよばれる印象派風な絵画は新鮮さをもって迎えられ、そこから藤島武二(たけじ)、青木繁(しげる)らのロマン主義的な絵画が生まれた。
 1912年(大正1)9月に印象派・後期印象派の傾向をもつフュウザン会が誕生、14年には官展に対する不満から二科会が創立され、以後、群立する在野集団の先駆けとなった。こうして大正期の絵画は、岸田劉生(りゅうせい)、萬鉄五郎(よろずてつごろう)、関根正二(しょうじ)、村山槐多(かいた)、熊谷守一(くまがいもりかず)、竹久夢二(ゆめじ)などきわめて個性的な画家たちによって彩られる。
大正から昭和にかけて、里見勝蔵(かつぞう)、佐伯祐三(ゆうぞう)、林武(たけし)、鳥海青児(ちょうかいせいじ)らによってフォービスム絵画が日本に定着した。シュルレアリスムは昭和初年に福沢一郎によって紹介され、三岸好太郎(みぎしこうたろう)や古賀春江(はるえ)に影響を及ぼした。官展系のなかでも大正から昭和にかけて自己様式の完成を示した画家に、坂本繁二郎(はんじろう)、安井曽太郎(そうたろう)、梅原龍三郎(りゅうざぶろう)がいる。安井・梅原は昭和前期の洋画界を二分する代表作家といわれた。
 第二次大戦後の画壇は各美術団体の展覧会によって活気を帯びてくる。国際的な視野が開けてくるのは1950年代からで、各種国際展への参加によって、世界美術の傾向が日本美術にも反映し、藤田嗣治(つぐはる)、荻須高徳(おぎすたかのり)のように活動の場を海外に求め、そこで高く評価される画家も多くなった。
 1951年(昭和26)神奈川県立近代美術館を皮切りに、近代的設備を整えた美術館の創設が相次ぎ、昭和50年代には地方での公立、私立の美術館設立ラッシュが続いたが、これも一般の美術愛好熱と理解を高めるうえで大きな役割を果たしている。

1868(明治元)
御一新 だんぶくろ 治まるめい(明治をもじる)
1869(明治2)
飛脚船
1870(明治3)
テリガラフ(電信=テレグラフ) 四民平等
1871(明治4)
ドン(正午をしらせる空砲=午砲) 邏卒(見回りの兵卒) 勝手(散髪、脱刀、制服の勝手など)
1872(明治5)
文明開化の七つ道具(新聞、郵便、瓦斯灯、蒸気船、写真絵、博覧会、軽気球) ポリス 陸蒸気
1873(明治6)
血税(徴兵の比喩として)(血税一揆) 検査(徴兵検査)
1874(明治7)
富国強兵 有司専制 天賦人権(天賦人権論) 炊きころび
1875(明治8)
社会(「ソサエチー」の訳語) 巡査 おまわりさん
1876(明治9)
半どん(どんたく) ダンナハイケナイ、ワタシハテキズ
1877(明治10)
なまず(官員、巡査のひげ)
1878(明治11)
猫(芸者、三味線など) 自由民権(自由民権運動) 起死回生
1879(明治12)
賄征伐 ペケ 官員ひげ
1880(明治13)
ヘナチョコ ヨカチョロ 紳商 民権熱 密偵 ランプ亡国論(佐田介石)
1881(明治14)
自由(自由党結成以後、自由亭など) パア 海坊主
1882(明治15)
雪隠演説 板垣死すとも自由は死なず(板垣退助) 女権拡張 月給鳥
1883(明治16)
壮士
1884(明治17)
改良(改良〜) 非職 六区(浅草をさして)
1885(明治18)
馬鹿車(自転車) 一銭蒸気 こりゃなんだい
1886(明治19)
ワルス(ワルツ) 西洋フハッション(ファッション)
1887(明治20)
鹿鳴館時代 エープリル・フール
1888(明治21)
帝国(会社名などに) 〜です(遊郭ことばの一般化)
1889(明治22)
万歳三唱 千石不磨の大典
1890(明治23)
エレベートル 十二階(陵雲閣) パノラマ インフルエンザ 醜議員(衆議院、大量の選挙違反で)
1891(明治24)
縁かいな 敵は幾万 民法出デテ、忠孝亡ブ
1892(明治25)
院外団 博愛 ありがたや 〜でがんす
1893(明治26)
速記術
1894(明治27)
金鵄勲章うけあいだね 日本大勝利 伏兵 ちゃちゃらかちゃん
1895(明治28)
臥薪嘗胆 バリカン カツレツ
1896(明治29)
いばりやんす スキ駆ケ
1897(明治30)
ハイカラ、バンカラ
1899(明治32)
ビヤホール 弁士 かかあ天下
1900(明治33)
自由廃業 ストライキ 心機一転
1901(明治34)
二十世紀 社会主義 七重の膝を八重に折り
1902(明治35)
〜てよ、〜だわ、〜のよ(女学生ことば)
1903(明治36)
人生不可解(藤村操「厳頭之感」) アジアは一つなり 恐露病
1904(明治37)
露探 紺屋の明後日、旅順の数日後 天に代わりて不義を討つ 軍神
1905(明治38)
皇国の興廃この一戦にあり 天気晴朗なれど波高し
1906(明治39)
廃兵 いちれつ談判、破談して(お手玉唄)
1907(明治40)
自然主義 美顔術 増税 女学生の隠語「ビューブル」(詰まらぬ男が美男ぶる)、「シューサイ」(醜哉)、「須磨の浦」(マスターベーションのマスを逆さにしたもの)
1908(明治41)
浮華軽佻 出歯る(出歯亀より) ああわからない
1909(明治42)
なんて間がいいんでしょ 馬鹿なやつじゃ
1910(明治43)
逆徒 八百長
1911(明治44)
新しい女 元祖女性は太陽であった 千里眼 高等遊民
1912(大正元)
諒闇(りょうあん)不景気(天皇喪中の不景気) 大正維新 オリンピック
1913(大正2)
玉座を胸壁、詔勅を弾丸(尾崎行雄の桂太郎内閣批判)
1914(大正3)
流行歌 まっくろけのけ 大正景気
1915(大正4)
銀ブラ 宙返り
1916(大正5)
民本主義(デモクラシー) 是々非々 缶詰爆弾
1917(大正6)
人道主義(ヒューマニズム) きょうは帝劇、明日は三越 映画(活動写真から呼び名が変わる) インフレーション
1918(大正7)
過激派 平民宰相(原敬) 女一揆(米騒動)
1919(大正8)
サボ(サボタージュ) ビール党 ペラゴロ(浅草オペラの常連)
1920(大正9)
示威運動(デモンストレーション) 溶鉱炉の火は消えたり
1921(大正10)
プロレタリアート 二枚舌 軍縮 一蓮托生
1922(大正11)
恋愛の自由 赤化(赤化防止団) 民衆芸術
1923(大正12)
流言蜚語 この際だから(関東大震災被害者から) アナーキスト
1924(大正13)
のんとう(漫画「ノンキナトウサン」) 綱紀粛正
1925(大正14)
軍教 トロッキスト(トロツキズム) 寄らば斬るぞ 猟奇
1926(昭和元)
モガ・モボ(モダンボーイ、モダンガール) 銀ブラ犯罪 ラジオ(無線から無銭飲食) 神出鬼没 福本イズム(福本和夫) 文化〜(文化なべ、文化住宅など)
1927(昭和2)
イット(性的魅力) シャン 何が彼女をそうさせたか 大衆 どん底
1928(昭和3)
人民の名において 怪文書 狭いながらも楽しい我が家
1929(昭和4)
大学は出たけれど 緊縮 モダンライフ
1930(昭和5)
ルンペン アチャラカ エロ・グロ・ナンセンス OK シック 男子の本懐
1931(昭和6)
いいじゃありませんか アメション 生命線 電光石火 減俸 テクシー メンタルテスト
1932(昭和7)
話せばわかる 問答無用 欠食児童 自力更正 挙国一致 時局 青年将校 赤色ギャング 特高(特別高等警察) 認識不足 ファッション 王道楽土 非常時
1933(昭和8)
ヅカガール(宝塚歌劇団) 転向 ナンセンス
1934(昭和9)
司法ファッショ(帝人事件) 明鏡止水 昭和維新 日本人ここにあり
1935(昭和10)
二人は若い ソシアル・ダンピング 弥栄(いやさか) 豊作貧乏 国体明徴
1936(昭和11)
今からでも遅くない 前畑ガンバレ!!(前畑秀子) サダイズム お宅の旦那は大丈夫? とんがらがっちゃ駄目よ ああそれなのに 尊皇討奸 準戦時体制
1937(昭和12)
トーチカ 持てる国と持たざる国 馬鹿は死ななきゃなおらない 日陰の村 国民精神総動員 千人針 挙国一致 尽忠報国 腹切り問答(広田弘毅内閣) 食い逃げ解散(林銑十郎内閣) 恋の逃避行
1938(昭和13)
〜を相手とせず 新秩序 代用品 統制 大陸の花嫁 抱き合わせ 没法子(メイファーズ) マル公 黙れ!
1939(昭和14)
複雑怪奇 日の丸弁当 総親和 鍬の戦士 産めよ殖やせよ国のため 靖国の母 一日戦死 一汁一菜 オカアサン、カチマシタ
1940(昭和15)
舌の新体制 耐乏生活 バスに乗り遅れるな 千載一遇論 紀元二六〇〇年 八紘一宇 南進(南進政策) 聖戦 科学する心 一億一心 節米 臣道実践 万世一系 祝い終わった さあ働こう 大政翼賛(大政翼賛会)
1941(昭和16)
子宝報告 月月火水木金金 ABCD対日包囲陣(ABCDライン) 産業戦士 徒食は恥だ 勤務秩序確立 勤労総動員 生産力増強 ニイタカヤマノボレ 幽霊人口 あの旗を撃て! 進め!一億火の玉だ
1942(昭和17)
職域奉公 敵性語 非国民 欲しがりません勝つまでは 見えざる敵を防げ イエスかノーか 軍神 空襲なんぞ恐るべき ご同慶の至り
1943(昭和18)
トンネル会社 タマネギ生活 撃ちてし止まん 買い出し 物々交換 国民相場 元帥の仇は増産で
1944(昭和19)
鬼畜米英 大和一致 戦争かぜ 疎開 代用食 特配 特攻(特攻隊) 勝ち抜くためにカボチャを作りましょう イースト菌
1945(昭和20)
本土決戦 一億玉砕 ピカドン 虚脱状態 一億総懺悔 進駐軍 四等国 ギブ・ミー・チョコレート 洋モク
1946(昭和21)
タケノコ生活 あ、そう 五〇〇円生活 カムカム英語 赤バット、青バット(川上哲治) バクダン焼酎 かすとり パンパン アメちゃん
1947(昭和22)
裏口営業 そのものずばり 陰の声 土曜婦人 アプレゲール ブギブギ 世直し 乱闘国会 不逞の輩 ゼネスト GIベイビー 青空教室 尋ね人
1948(昭和23)
てんやわんや 老いらくの恋 鉄のカーテン 冷たい戦争(冷戦) 斜陽族 こんな女に誰がした 個人として ノルマ バタフライ、全スト(ストリップショー)
1949(昭和24)
アジャパー 筋金入り 吊し上げ 駅弁大学(大宅壮一) 竹馬経済 ギョッ 暁に祈る ワンマン(吉田茂) トイチ ノー・モア・ヒロシマ(原水爆禁止運動) ガチャ万コラ千 夜バイト 厳粛な事実 人生は劇場だ 自転車操業 フジヤマのトビウオ(古橋広之進)
1950(昭和25)
とんでもハップン 金へん・糸へん 特需景気 レッド・パージ エチケット ナイター BG ニコヨン アルサロ 曲学阿世 自己批判 ネバー好き わてほんまによういわんわ 一辺倒 ディスインテリ 二五時 三八度線朝鮮戦争 零号(ゼロゴウ)
1951(昭和26)
アナタハン 社用族 ノーコメント 三等重役 折伏 三越にはストもございます エントツタクシー 逆コース(吉田茂) 天野勅語 老兵は死なず(マッカーサー) 親指族 プーバイ(符売) 戸締まり論
1952(昭和27)
黄変米 復古調 ヤンキー・ゴー・ホーム 火炎びん さかさくらげ 赤線・青線 アメション パンマ 恐妻 言うてみてみ、聞いてみてみ エッチ プー太郎 PR
1953(昭和28)
電化元年 八頭身 コネ さいざんす 家庭の事情 バッカじゃなかろうか クルクルパー 三十娘 戦後強くなったのは女と靴下 プラス・アルファ バカヤロー解散(吉田茂内閣) さんずい(汚職) キセルモノ(インチキ商品)
1954(昭和29)
えらいことになりにけり わたしはどうしましょう むちゃくちゃでござりまするがな ロマンスグレー 〜章もの  空手チョップ(力道山) 死の灰 流言蜚語 吉田デフレ 台風手形 燗頭の急務 リベート 戦力なき軍隊(自衛隊)
1955(昭和30)
ノイローゼ 最低ネ、最高ネ 頼りにしてしまっせ 抵抗族 ソーラー族 兵隊の位 お手伝いさん タレント マスコミ CM オールドリベラリスト 数量景気 春闘 オランコリー 特出し(ストリップショー)
1956(昭和31)
マネービル 戦中派 ドライ ウェット デラックス エレガント 一億総白痴化(大宅壮一) 太陽族(太陽の季節) 黒線 あなた買います キングサイズ ちょっとピンぼけ シスターボーイ
1957(昭和32)
カリプソ 三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫) グラマー ファニーフェイス ケ・セラ・セラ 団地 決定的瞬間 神武景気 永すぎた春 よろめき 何と申しましょうか 低姿勢 ストレス
1958(昭和33)
いかす ハイティーン ローティーン シビれる イヤーな感じ 団地族 ながら族 ビジネス特急 圧力団体 低音の魅力 ベッドタウン 神様・仏様・稲尾様 私は貝になりたい
1959(昭和34)
パパは何でも知っている タフガイ 岩戸景気 〜ルック アフターサービス がめつい 消費革命 曲がり角 マダムキラー セクシー
1960(昭和35)
安保反対(安保闘争) 私はウソを申しません 所得倍増 声なき声 トップ屋 異議なし 全学連 ナンセンス 高姿勢 インスタント(インスタント食品) 金の卵 家つきカーつき婆抜き
1961(昭和36)
レジャー プライバシー わかっちゃいるけどやめられない 申し訳ない 不快指数 六本木族 ムード 高度成長(高度成長政策) インスタント トサカにくる 渋滞 地球は青かった(ガガーリン) ありがたや 何でも見てやろう(小田実) 銀行よさようなら、証券よこんにちは トリスを飲んでハワイに行こう!(サントリー)
1962(昭和37)
人づくり 無責任時代 ハイそれまでよ(青島幸男) 吹けば飛ぶような スイスイ 総会屋 当たり屋 青田買い スモッグ 交通戦争 産業スパイ スカッとさわやか(コカ・コーラ) 現代っ子 ビジョン 残酷物語 いっぱいやっか 流通革命
1963(昭和38)
バカンス 押し屋 番長 ハッスル カワイコちゃん いいからいいから 三ちゃん農業 SF お呼びでない ガチョーン かっこいい 気にしない かもね 公害 ちーとも知らなかった なんである、アイデアル 巨人・大鵬(大鵬幸喜)・卵焼き
1964(昭和39)
根性 俺についてこい ウルトラC  コンパニオン いいと思うよ トップレス カギっ子 アイビー族 OL 録勉 不定愁訴 みゆき族 前がん症状
1965(昭和40)
期待される人間像 しごき マジメ人間 ベ平連 007(フレミング) 過密都市 夢の島 エスカレート 団地サイズ ファイトでいこう マイホーム モーレツ社員 やったるで
1966(昭和41)
黒い霧 びっくりしたなーもう いいじゃなーい ダヨーン ゴマする 遺憾に存じます クロヨン(9.6.4) トウゴサン(10.5.3) 核の傘 交通戦争 ボカァしあわせだなあ マッチポンプ 原宿族
1967(昭和42)
対話 かっこいい フリーセックス ボイン ハプニング 未来学 核家族 蒸発 戦無派 シンナー遊び 順法闘争
1968(昭和43)
昭和元禄 ハレハレ ハレンチ ズッコケる 失神 サイケデリック 大衆団交 とめてくれるな、おっかさん ゲバルト ゲバ棒 ノンポリ ノンセクト タレント候補 構造汚職 太平ムード ピーコック革命 ポップ ライフサイクル 拒絶反応
1969(昭和44)
はっぱふみふみ あっと驚くタメゴロー ニャロメ 造反有理 やったぜ、ベイビー オーッ、モーレツ!! エコノミックアニマル 欠陥車 告発 しこしこ 疎外 ちんたら ナンセンスドジカル フォークゲリラ 悪のり
1970(昭和45)
怨 ハイジャック ウーマン・リブ スキンシップ 鼻血ブー ドバッ へどろ シラケ 内ゲバ おぬしやるな 生活かかってる 人間性の追求 ppm やったぜセニョール モーレツからビューティフルへ 隣の車が小さく見えます
1971(昭和46)
脱〜 ニアミス がんばらなくっちゃ フィーリング 〜もあるでよう ゴミ戦争 ディスカバージャパン 日本株式会社 アンノン族 ヘンシーン
1972(昭和47)
恥ずかしながら 三角大福(三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫) 日本列島改造(田中角栄) 総括(連合赤軍事件) あっしにはかかわりのねえことでござんす 知る権利 ナウい 未婚の母 同棲時代 恍惚の人(有吉佐和子) のんびりゆこうよ バイコロジー 若さだよ、やまちゃん
1973(昭和48)
石油ショック(オイル・ショック) 省エネ じっと我慢の子であった 日本沈没(小松左京) ちょっとだけよ あんたも好きねえ いまなんどきですか ユックリズム 週末ぐうたら モノ不足 終末
1974(昭和49)
便乗値上げ 狂乱物価 千載一遇 超能力 それはいえる 晴天のヘキレキ ゼロ成長 諸悪の根元 節約は美徳 日曜大工 ベルばら 金脈と人脈(田中金脈問題)
1975(昭和50)
赤ヘル 乱塾 オヨヨ あんたあのこのなんなのさ ワタシ作る人、ボク食べる人 中ピ連 おじゃま虫 自宅待機 ちかれたびー ひと味ちがいます 複合汚染(有吉佐和子) ライフサイクル 植物人間(植物状態) 落ちこぼれ
1976(昭和51)
灰色高官(ロッキード事件) 記憶にございません 揺れるまなざし はしゃぎすぎ 〜さんちの〜君 構造汚職
1977(昭和52)
円高 魚ころがし 翔んでる たたりじゃー シルバー族 よっしゃよっしゃ ルーツ(ヘイリー) 飛んでれら、死んでれら デノミ
1978(昭和53)
サラ金(サラリーマン金融) ナンチャッテ アーウー 不確実性の時代 嫌煙権 家庭内暴力 試験管ベビー(体外受精) 足切り 田中軍団
1979(昭和54)
ウサギ小屋 口裂け女 ワンパターン 夕暮れ族 激〜 エガワる 地方の時代 天中殺 インベーダー オジン・オバン ダサイ M資金 電話っ子 ギャル 熟年
1980(昭和55)
カラスの勝手でしょ クレーマー家族 五無主義 昭和ひとけた病 竹の子族 それなりに クリスタル族 低成長 赤信号みんなで渡れば怖くない
1981(昭和56)
デリーシャス フルムーン ウッソー・ホント・カワイイ(三語族) ロリコン ぶりっ子 エレファントマン なめんなよ バイチャ えぐい 人寄せパンダ
1982(昭和57)
気持ちンよか ほとんどビョーキ 気配り ネアカ・ネクラ なめたらいかんぜよ 逆噴射 タケちゃんマン ひょうきん族 ルンルン まいっちんぐ 〜倍楽しむ法
1983(昭和58)
いいとも おしん タコがいうのよ 〜の輪 発展途上人 不沈空母(中曽根康弘内閣) 平常心 やるっきゃない ニャンニャン 軽薄短小 義理チョコ 戸塚る いわゆる、ひとつの いかにも一般大衆の喜びそうな ダサイタマ 積木くずし
1984(昭和59)
いっきいっき パフォーマンス 教官! キャピキャピ スキゾ、パラノ 疑惑の銃弾 かい人21面相 くれない族 ピーターパン・シンドローム 国易私難
1985(昭和60)
金髪 カエルコール おニャン子 私はこれで会社をやめました ダッチロール 奇跡の生還 うざったい やらせ 新人類 マニュアル人間
1986(昭和61)
究極 プッツン マジ オチャメ とらばーゆ 亭主元気で留守がいい ヤリガイ 知的水準 レトロ
1987(昭和62)
私を〜に連れてって マルサ(伊丹十三) 地上げ屋 懲りない〜 グルメ フリーアルバイター 美少女 サラダ記念日 ワンフィンガー 朝シャン
1988(昭和63)
しょうゆ顔、ソース顔 DINKS くうねるあそぶ ぬれ落ち葉 自粛 ドーピング ペレストロイカ
1989(平成元)
オバタリアン マドンナ セクハラ(セクシュアル・ハラスメント) おたく族 山が動いた おじさん改造講座 三過ぎ家族 マスオさん現象 逆タマ コクーン人間 ツーショット イタメシ
1990(平成2)
ボーダーレス バブル崩壊 成田離婚 オヤジギャル アッシーくん ミツグくん ぶっとびー
1991(平成3)
PKO(平和維持活動) 若・貴(若乃花・貴乃花) 管理野球 火砕流 結婚しないかもしれない症候群 テレクラ族 目がハート 逆タマ婚 おやじキッズ
1992(平成4)
ほめ殺し(東京佐川急便事件) ミンボー(伊丹十三) 冬彦さん現象 リクルート難民
1993(平成5)
規制緩和 リストラ(リストラクチャリング) シカト ねえ、チューして ジュリアナ現象 〜系 Jリーグ(日本プロサッカーリーグ) サポーター 清貧
1994(平成6)
価格破壊 すったもんだがありました イチロー 同情するなら金をくれ 就職氷河期 ドリカム現象 コギャル ゴーマニズム ヤンママ チョー(超)言葉「チョームカツク」
1995(平成7)
ボランティア元年 ポア(オウム真理教事件) がんばろうKOBE(阪神・淡路大震災) 無党派 変わらなきゃ マインドコントロール 官官接待 ライフライン
1996(平成8)
援助交際 シャネラー ゲーマー ジミ婚 自分をほめてあげたい メークドラマ ストーカー
1997(平成9)
チャイドル 複雑系 パパラッチ 個人ぐるみ イケてる 失楽園 透明な存在であり続けるボク
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NHKアニメ版十二国記★糞である。
勢いでNHKでオンエア中のアニメ版を見た。
「月の影 影の海」の第1話と第2話の2回分。
これは陳腐。NHKゆえの陳腐さなのか脚本の低級さなのか演出のセンスの悪さなのか不明だが
予想以上にひどいものでレンタルにしておいて良かった。
小野が苦心した色彩豊かな世界がチープな描画で全滅である。
なによりも視聴者をなめている。
三流のゲームソフト屋の作品でももう少しマシなのではないか。

webで調べるとこの糞のような2話分、50分に満たないものが1枚で4000円近いプライスとなっている。
なんつーか、アニメの世界はスゴイもんだな。ずんどこだな。

だますヤツもだまされるヤツもズンドコだ。

ああ、アニメなんて見なけりゃ良かった。
せっかく興奮して読み進めた十二国ワールドが色褪せる。
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「華胥の幽夢」★★★
小野不由美著/十二国記シリーズ/講談社文庫/第7部
短編五篇の番外編。これはつまらなかった。
小野の良さがまったく出ていない。
このテの物語はストレートはまず失敗する。
ループ状の攻めに限る。

とりあえず講談社文庫版は全巻読んだ。
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「黄昏の岸 暁の天」★★★★★
小野不由美著/十二国記シリーズ/講談社文庫/第6部
それにしても戴国に戻った泰麒は王を救うことができるのか
ここで終わるのは不法だろう。
病院の待合でいらいらしながら読了。

なんともスゴイ展開ぶりではある。
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正月の目算
明日9日。11月から行けなかった医者に行くこと
読書メガネを青山のイワキに受け取りに行くこと
まずこのあたりから今年をはじめる。

来週の水曜に本部長とお会いすることになった。
リニア、nextstageをどう展開していくか、
こちらもまずはこのあたりから。

懸案だった積水ハウスのDVD化第一弾としてBテク篇など数編を今月中に再編集。
さらにグラヴィス、夢のバージョンアップ、シャーウッドの実大実験と続く。
こっちははじまったら一気に春の盛りまで走りそう。

《東山魁夷》企画。小正月あたりには第一稿を書き上げる予定。ひさしぶりの美術もの。これはたのしみながら進めたい。

《福島夜会》企画。コロンビアの詩人会議について福島さんから資料を集めたら、早い段階でラフプランにかかるつもり。春分前にはカタチをつくりたい。
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《ソラリス》★★★
ソダーバーグ脚本・監督版
「惑星ソラリス」をなぜリメイクしたのか
見終わっても不明のまま。
キャメロンのプロデュースだけあって絵面はとてもキレイだったが、
ソダーバーグらしさはどこにも無し。
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「図南の翼」★★★★★
小野不由美著/十二国記/講談社文庫/十二国シリーズ第5部

四年前、《屍鬼》を読んであわてて渡辺にあちこちの本屋で手に入れさせた《十二国記》を、むじなの忘年会前に紀伊国屋で見かけ、なんとなく第1部の上巻だけを買った。
前はうっとおしくて読みすすめられなかった文章だけど、なぜかすいすい読み進む。すぐに世界にはまった。指輪物語とゲド戦記とエンデと金庸と北方版水滸伝を足してこねて味わったことのない香辛料で仕上げたような奇妙で凛々しくて元気の出る物語。
いや、はまった。
ひさしぶりに、はまりきった。
けっきょく晦日から今日まで、夜と昼を逆転。
途中、口直しに宮本輝の《流転の海》四巻をはさみながら
小野の十二国ワールドにどっぷりと浸った。

今朝四年前に仕入れた分をすべて読了。
その後の2冊も入手してきたので、こちらはのんびりと惜しみながら読むことにし、年末年始のクリーンオフをここまでとする。

《屍鬼》も破天荒だったが
《十二国記》はさらに突き抜けている。

こういうすぐれた物語世界がファンタジーなどという
卑小なジャンル分けでくくられてしまうことが情けなくもあるが
帯を見たらすでに530万部突破。四年前で100万部だったから、若い人の趣味は捨てたもんじゃねな、とあらためて。

こんな物語読んでりゃ、この国の行く末もそう暗くない。
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「風の万里 黎明の空」上下巻 ★★★★★
小野不由美著/十二国記」/講談社文庫/十二国シリーズ第4部上下巻
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「東の海神 西の滄海」★★★★★
小野不由美著/十二国記」/講談社文庫/十二国シリーズ第3部
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「風の海 迷宮の岸」★★★★★
小野不由美著/十二国記」/講談社文庫/十二国シリーズ第2部
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「月の影 影の海」下巻★★★★★
小野不由美著/十二国記」/講談社文庫/十二国シリーズ第1部下巻
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♪コンガ マラカス モカマタリ
カゼでダウンしていた渡辺からコーヒーの差し入れあり。
南蛮屋の銀座出店で買ってきてくれたハワイコナとモカマタリ各200g。
さっそくモカを挽く。
ひさしぶりにコーヒーらしいコーヒーを飲んだ。
ついでにコーヒールンバを流す。

ことしはじめてのうまいコーヒーと
能天気な湯治部テーマ音楽。

日中は北風が吹き荒れこの冬いちばんの寒さだったとか。
北の各地は猛吹雪だともニュースで。
やっと季節らしい気分になってきたように思う。
明日あたりからプラグをつなぐか。


  昔アラブの偉いお坊さんが
  恋を忘れた あわれな男に
  しびれるような
  香りいっぱいの
  こはく色した
  飲みものを教えてあげました
  やがて心うきうき
  とっても不思議このムード
  たちまち男は
  若い娘に恋をした
  コンガ マラカス
  楽しいルンバのリズム
  南の国の情熱のアロマ
  それは素敵な飲みもの
  コーヒー モカ・マタリ
  みんな陽気に飲んで踊ろう
  愛のコーヒー・ルンバ
   
     コーヒー・ルンバ
     訳詞 中沢清二
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朝日新聞コラム「四海開国」から
年が明けてはじめて読んだ新聞に船橋のこんな四文字で結ばれるコラムが載っていた。
船橋の屈託のなさすぎる国際情勢分析はともかくも
あらためて思い知らされたのは、この国が海洋国家なのだという事実。
時差2時間。国土の10倍の海洋面積。
年明けの気分に浸れないままに新聞もテレビのニュースも閉じて
小説だけを読みながら過ごしてきた正月休みだが
ここらで年明けとしたい。
夜と昼を逆にして10日。
さすがに昼の光が恋しくなってきた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
以下は
http://www.asahi.com/column/funabashi/ja/TKY200401080129.html
からの転載。

南鳥島。「153°59’11”E 24°
16’59”N」
 午前5時27分。
 東の海から太陽が昇った。
 オーッ、浜の上のどよめきが、ザーッ、波の
音に吸い込まれた。
 お日様はなかなかの役者だ。演出家だ。ま
ず、空を茜(あかね)色に染め、それから橙
(だいだい)色に焦がす。カーテンを開けるの
はそれからだ。出た、と思ったらそれは雲に反
射した光だった。気を持たせる術も心得てい
る。それから徐々に頭をもたげるが、右に揺れ
たり左に膨らんだり、忍術まで操る。最後は思
い切りよく、赤光の火の玉、尻まで全部丸裸で
お出ましだ。この間、2分。
 島民の半分近くが浜辺に繰り出し、日本で一
番早い元旦の日の出を拝んだ。ここは日本で一
番東の端の島である。島に5度も所長として勤
務し、元旦の日の出を何回も見てきた気象庁南
鳥島気象観測所の前田光喜所長が隣で言った。
「ここでこんな完璧な日の出を見たのは初め
てです」
 顔は朝陽(あさひ)で火照っている。そんな
風に年賀の言祝(ことほぎ)が交わされる。
 厳密には島民はいない。交代勤務の政府職員
のみである。海上自衛隊12人、海上保安庁
10人、気象庁14人、全員男性の計36人。
 ケータイもインターネットも通じない。それ
がいまでは最果て、なのかもしれない。
   ◆◇◆◇◆
 午前7時。海上自衛隊(南鳥島航空派遣隊)の隊員が飛行場滑走路で清掃作
業を始めた。
 石ころやカタツムリのようなアフリカマイマイを一つ一つつまんでいく。
パチンコ玉をエンジンが吸い込めば飛行機が落ちる、と隊員は教わる。飛行
機の離着陸の日には必ずこの作業を行う。根気の要る仕事だ。
 午前8時。国旗掲揚。
 隊員が隊舎前に整列した。隊長の宇野憲弘3佐の「あげっ」の合図で「ラッ
パ譜君が代」吹奏と合わせてゆっくりと掲揚。ラッパ手はいない。音はカ
セットテープからだ。毎朝、この時刻に行う。快晴。気温23.3℃。
 終戦後、先の戦争でここを哨戒基地としていた日本軍は米駆逐艦上で降伏
調印した。1968年、小笠原諸島返還。この島も日本に還ってきた。
 午前8時半。
 気象庁職員が、水素ガスを込めた高層気象観測ゾンデを上げた。毎日朝夜2
回、欠かさない。空高く上がり、ほぼ2時間後に破裂する。その間、気温、
気圧、風速、風向きなど情報を地上に送信してくる。
 二酸化炭素、地上オキシダント濃度の大気汚染観測は地上測量である。こ
こは一番近い小笠原諸島からも1千キロメートル以上離れている太平洋上の
絶海の孤島だ。人間社会の色と匂(にお)いの影響を受けない地球データが
得られる。それは全世界にあまねく提供される。「気象に国境はありませ
ん」と気象官の一人は言った。「気象官にも国境はありません」と付け加える。
 島の中央に、海上保安庁のロランCサービス用アンテナがそびえ立ってい
る。高さ220メートル。電波を使って漁船や商船に自分の位置を知らせる
航行支援システムである。1日24時間、継ぎ目のない勤務態勢だ。衛星に
よるGPS(全地球測位システム)時代になったが、日本の漁船5万隻、商
船5千隻がなお利用している。この航行支援電波網にすき間をあけないよ
う、日本は中国、韓国、ロシアと協力している。
 週1便、月1隻、必需品や生鮮食料品が運び込まれる。問題は水である。
天水貯水池と海水淡水化装置が命綱だ。戦前、駐屯した日本兵はスコールが
来そうになると体にせっけんを塗りたくって待ったという。風呂には入れな
いためだ。島では海上保安庁の宿舎に泊めてもらった。これも礼儀かと思
い、持参したペットボトルの水を飲み、夜、シャワーを使うのは遠慮した。
   ◆◇◆◇◆
 南鳥島へは朝日新聞社機「あすか」で羽田から直接、飛んだ。沖の方から中
へと、インク、コバルトブルー、紺、藍(あい)、空色、ターコイズブ
ルー、薄緑と、光や背景の具合で海の色は青色の虹のように変化(へんげ)
して見えた。島のまわりを真珠の首飾りのようにサンゴ礁の白波が縁取って
いる。
 午後、出発。硫黄島へ1100キロメートル飛び、そこから沖ノ鳥島ま
で、南西へ600キロメートル、足を延ばした。北回帰線より南にある日本
唯一の領土である。
 そこだけぽっかりと口を開いた青緑の海にドーナツ状の円盤が浮かび上
がっている。サンゴ礁の上の凸型に突き出た二つの島が浸食されたため、そ
れを鉄板の消波ブロックで囲い、コンクリを流し込み、保護するとりでをこ
しらえた。そうしないと広大な排他的経済水域(EEZ)を失うおそれがあ
る。10年以上前の工事の際に使ったヘリポートと作業棟はそのまま残して
あった。
 沖ノ鳥島は、南鳥島と違い無人島だが、どちらもサンゴ礁が隆起して太平
洋のど真ん中にひょっこり首を出した孤島である。サンゴ礁のおかげで日本
はこんなにも広い海域を手にしている。サンゴ礁をもっと大切にしなきゃ、
それから時々は島に声をかけてやらなくちゃ、と何かとても済まない気持ち
になった。
 こんなことも考えた。
 日本中みな同じ時間であるのは不自然だ。最東端の南鳥島は内地より1時
間早くていい。その逆に、最西端の与那国島は1時間遅くていい。この両者
の間の距離は3千キロメートルを優に超えている。2時間の時差を導入して
はどうだろう。日本の海域の広がりとたくらみをもっと認識するためにも。
◆海を拓き、守り、繋ぐことの大切さ
 実際、日本は広い。
 地図をながめ、南鳥島、礼文島、波照間島、沖ノ鳥島、与那国島の島々を
線でつないでみる。日本は東西、南北、ともに長い。南鳥島も沖ノ鳥島も小
笠原諸島、つまり東京都に属するが、前者は亜熱帯、後者は熱帯である。
 国土の面積は37万平方キロメートルだが、領海・経済水域は447万平
方キロメートル、国土の10倍以上もある。世界で6、7番目の海域大国
だ。その経済水域の3分の1を小笠原諸島の海域が占める。南鳥島は半径
200海里の円形分、まるまる稼ぎ出す。沖ノ鳥島は一部他の水域と重なる
が、ここもしっかり貢いでいる。ところが、そうした視点は政策でも教育でも
希薄だ。日本の多くの地図はこれらの島々を「分図」で扱っている。
 日本から浜辺がなくなり、海岸線が消えていく。どんな小さな港も消波ブ
ロックで岸壁を塗り固める。海をゴミで冒涜(ぼうとく)し続ける。親は子
供を海で泳がせなくなった、海辺で遊んだことのない子供たちが増えてい
る、とある調査報告は指摘している。
日本の漁獲量はここ20年で、近海もの、遠洋ものいずれも半分に減ってし
まった。水産物自給率は53%に過ぎない。私たちの祖先が海から得てきた
恵みと知恵、海と育んできた伝統と文化が失われつつある。
 90年代に新たな国際海洋法秩序が現れたのに、日本は海で生産する資源
と海上の輸送についての総合的な海洋政策も国内体制も大幅に遅れている。
 もう一度、四海に幸を求める「四海開国」の海洋戦略を打ち立てる時であ
る。
 まず、海を開くことだ。
   ◆◇◆◇◆
 日本海もオホーツク海も魚たちはアムール川から運ばれてくる栄養を糧に
して成長する。その源はシベリアの森である。東シナ海の魚は、長江がもた
らす低塩分の真水に潤される。その源はチベットの大雪である。日本近海の
魚の多くは東シナ海で産卵する。ここは魚の揺りかごなのである。海と森
と、人間と魚とプランクトンとの共生、それによる漁業資源の持続的な利用
と開発、そして、周辺国すべてに海の幸が行き渡るための海の平和と安定。そ
れらを作り出し、海を開く。
 次に、海を守る気概を持つことだ。
 米国との同盟関係を維持し、米国とともにアジア太平洋の平和と安定に寄
与する。太平洋の平和は日本の平和にほかならない。南鳥島も硫黄島も、助
けを求める漁船、漁民の救難、小笠原諸島島民の急患対応などを重要な任務
としている。「例年、正月、餅がのどにつかえた父島のお年寄りをヘリでこ
こまで運び、厚木からの飛行機に乗せて東京の病院に担ぎ込む。幸い今年は
平穏な元旦でした」と海上自衛隊の硫黄島駐在幹部は言った。日本の東と南、
外敵の心配はまずない。日米同盟故である。
 しかし、他の海では、ミサイル、工作船、環境破壊、領土紛争などが日本の
安全を脅かしている。拉致もあった。密輸と密航と麻薬、いずれも海から
入ってくる。海上保安庁の仕事も「救難から治安」へと力点を移さざるを得
ない。
 ただ、一つ忘れてならないのは、日本の島々に日本人が住み続けることが
もっとも確実な海の守りだということだ。それでこそ海域を守ることもでき
る。
 最後に、海をつなぐ構想を描くことだ。
 日本は戦後の出直しに当たって、島国根性を反省し、海洋国家として再び開
国するとの誓いを新たにした。島国から海洋国家への視座の転換を行った。
こうした考えは、大平内閣の環太平洋構想へとつながり、さらにはAPEC
(アジア太平洋経済協力会議)として実を結んだ。アジアと太平洋の融合
は、今後とも日本の歴史的な役割であり続けるだろう。
 同時に、アジア、なかでも東アジアの地域主義を育てる機会が広がってき
た。日本海と東シナ海のそれぞれの周辺国の経済と文化の文明的交差を促す
ために日本は大きく貢献できるはずだ。
 日本とアジアの文明形成の上で海はかけがえのない要素となるに違いな
い。台頭する陸の大国、中国に対して、日本は海の大国としての「違い」と
「強み」を打ち出すことがこれまで以上に求められるだろう。「航海の自
由」を維持し、海のアジアの平和と安定をつくりだし、中国もそこに組み入
れる。海を自らの文明の糧とし、平和と繁栄の礎とし、戦略と外交の軸とす
る。
2004年。そうした「四海開国」の幕開けである。
(2004/01/08)
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