2009年03月の記事


寒桜
編集スタジオからMAスタジオに向かう途中、有栖川公園手前の病院の桜がひっそりと咲いていた。ひさしぶりの中田浩二さんとの仕事。はじめと終わりの読みに、しみじみと得心。寒の戻りとはいえ、胸のぬくもるいい一日となった。
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顛末と夜桜
3連休をはさみ、想定通りに展開。ほぼ思い描いたハードルをクリアできそうだ。使える時間は3時間。最終的な打合せのため30分前倒しで六本木入り。ゆうべ深夜に渡辺と松竹撮影所跡の枝垂れ桜を眺めながらセブンイレブンのコーヒーで祝杯。いつのまにか春である。
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望郷の道★★★★★
北方謙三著/幻冬舎/上下巻
博徒転じて台湾で菓子屋になった男と女のサクセスストーリと書いてしまえば身も蓋もない。ものづくりの話なのだから日経連載?と斜に構え読み進む。桜吹雪から桜吹雪へのつながりに至り、もろもろのもやもやが消えた。
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「わたしのせいしゅんをかえせー」
明日のジョーのことを書いたら
なべが週刊現代の「連載再開」号をくれたので
おかしかった。
けんめいさんが少年院から帰ってきた夜
辻と3人で神田のラドリオで会った。
そのとき辻が少年マガジンを持っていて
連載中の「明日のジョー」を開き
「明日のジョー。昨日のケンメイ」と
言いながら笑ったことをよく覚えている。
その号で、ジョーもまた少年院を出所した。
たぶん南海でカツカレーを食べたと思う。
ちなみにケンメイさんは
少年院開所以来の知能指数の高さだったと言っていた。
「知能テストまともに受けるやつが少年院に入るわけない」
と、しばらくいい笑いのタネになっていた。
笑い話をもうひとつ。
国会議事堂の近くをデモしていたときに
女子高生が近づいてきてケンメイに向かって
「わたしのせいしゅんをかえせー」
と怒鳴ったことあり。
このひとこともしばらくの間、九段の流行語となった。
思い返すと、腹がよじれる。
「せいしゅんかえせー」と、ほんとうに叫んだのだ。
ははははは。

BGMは“哀しみは駆け足でやってくる” アン真理子
http://www.youtube.com/watch?v=TAgFqqxuGSw&feature=related

明日という字は明るい日と書くのね
 あなたとわたしの明日は明るい日ね
 それでもときどき悲しい日もあるけど
 だけどそれは気にしないでね
 二人は若い 小さな星さ
 悲しい歌は知らない

 若いという字は苦しい字に似てるわ
 涙が出るのは若いというしるしね
 それでもときどき楽しい日も来るけど
 またいつかは涙をふくのね
 二人は若い 小さな星さ
 悲しい歌は知らない
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アデンアラビアと美しい無念と
ビデオを4本。読みかけの小説の残りと新しいのを1冊。夜が明けて、まぶしいような春の光があふれ、エアコンを切り窓を開けコーヒーを淹れトーストを2枚食べ、読み終わったら昼を過ぎていた。目が覚めたら夜7時。時間を確かめてからしばらくベッドにいた。17歳の時に出逢ったひとのことをずいぶんひさしぶりに思い出した。医者の娘で5歳上の22歳。ロシアの血が1/4混じった鼻筋のとおった顔立ち。家の裏口にある駐車場の脇でバラを育てていた。出逢って2日目に訪ねていったときに、そのひとはちょうどバラを摘んでいるところだった。光あふれるまぶしいような5月の昼下がり。ウォッカと睡眠薬を飯がわりにしていた。半年ほどただれるような時間を過ごした。その頃のいくつかのシーンが暗くなった窓の向こうにフラッシュ。九段下の裏にあった旅館“むさし”。その人を宿に残したまま高校に行き、また宿に戻って不毛な時間を過ごしていた頃。街には“いいじゃないの幸せならば”が流れていた。ジュークボックスがあると必ずかけていたのがOtis Reddingの“The Dock of the Bay”とJames Brownの“It's a Man's Man's Man's World ”。新宿の螺旋階段のタバコで黄色くなった壁にはゲバラのモノクロポスター。通った店は渋谷の“ファンキー”ほかモダンジャズ。おしゃべりをすると「シーッ」と指を立てられた頃。お茶の水の医科歯科大正門前に出ていたおでの屋台にぶらがったラジオからはよく“あしたというじはあかるいひとかくのね”が流れ、連載中の“明日のジョー”は、少年院を出た直後のあたりだった。加藤賢明。辻和成。横江茂。篠田浩一郎が翻訳したポール・ニザンの「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ」という文章ではじまる“アデンアラビア”の、その1節だけを読んだ、「20歳」という年齢を想像すらできなかった頃のこと。3月5日啓蟄。あふれるような春の光の日のフラッシュバック。ひさしぶりにwebで福島泰樹を見る。「振り向けば今も喝采が聞こえる。戦っている俺が見える」ではじまる“4回戦ボーイ”の挽歌。歌はさらに「振り向けば倒れてゆくあいつが見える…あいつの美しい無念が見える」と続く。“美しい無念”という短いフレーズ戦慄した吉祥寺の嵐の夜を思い出しながら7回繰り返し見た。福島のこの歌の〆は「何ひとつ終わったわけじゃないのさ、さらば、友よ」。
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater552.html

昨日の苛立ちが、嘘のように消えていた。
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8稿まで書いて
戻ったチェック稿を見たら、赤の海。仕事なのだから、となだめてはみても、収まらず。これは降ろしたいという信号なのだとしか思えない。顔を上げれば引けなくなる。下げたままでは前にも進めず。さて、袋小路だ。世が世なら、男同士なら、無礼打ち。解体し破壊し再生するのだなどと、世迷言にとりつかれた己が情けない。もしかしたらもう通用していないのか、そんな落胆も。たかが。されど。ではあるが。この怒りが持続しつづけてくれたらいいのだが。寝て忘れないように、それだけを今夜は願う。東京ぽちとしては。
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うんざりしつつも
面倒くさくなってきて、放り出そうかと思っていたところに相馬さんから、編集に倉持さんが来る予定とメール。だったらせめて…と思い直し、仕切り直しに入る。飯も食わずに8時間。窓の外は氷雨。ときおりみぞれ。つま先がしんしんと冷えていく。BGMは年末に聴いた♪カンパニュラの恋 ~Acoustic Version~平原綾香。エンドレスで流す。iTunesのカウントを見ると108回リピート、とあった。うっとうしいのでメーリングは使わず、関係者に添付。スタート時に淹れたハワイコナを面倒なのでお湯を注ぎ足して飲んでいた。最後は麦茶のようになっていた。すべて頭の中だけでつないだペーパーedition。ま、なんとかなっている、はず。3日夜。桃の節句。
それにしても体制が変わってもたいした変化はなさそうだ。むしろダメなところが拡大されているような感じもあり。いまさらではあるが。
ホンジュラス方面に潜航中の日比野はぶじに帰国の途についただろうか。どうせつまらぬ仕事をするのなら、せめて危険な時間にこの身を置きたい。ギリギリのところでどうでもいいことに熱中し、ふっとカットアウトできたら。


22:55
頭を冷やそうと外に出た。雪。タバコを吸い深呼吸を繰り返す。指先がかじかむ。部屋に戻り、メールをチェック。迷路のようなメールが届いていた。お気楽なくそメールを読みながら、つきあいきれねえな、としみじみ。甘酒をねだるひまもなく、せっかくの雪のひな祭りが過ぎていく。ぐやじぃ。
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メーリングの潮時
情報漏えい?マンガのようなクレームが入った。絞り込むか、やめるか。
その電話のあとにカフェを出て空を見たら三日月。いくらか気分が収まる。
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