2000年08月の記事


柳津温泉は星一つ。
県庁でシナリオ第二稿の説明を終え、玄関先で撮影部のロケハン車輌と合流。
高速で会津柳津に。
二月にシナハンで雪の中を走ったコースだが、斉藤清画伯の冬の世界は見る影もなし。ひたすら会津は蒸し暑い。
宿は只見川河畔の柳津温泉かわち屋。
中途半端なつくりの旅館である。
西山温泉が満杯だということでここになったが、ま、一泊だからがまんだな。

明日は朝の五時に宿を出て、金山の辺りをロケハンしてからいったん宿に帰って、朝食をとり出発。猪苗代町のコスモス畑などをチェックしてから、帰京。はやければ夕方には東京に戻れるだろう。

湯治部としては当温泉の評価は星一つ。
コメント (0)

HECATE
このあいだオフィスの大掃除で見つけた封を切っていない
ダニエル・シュミットの「ヘカテ」のLD版をこれから観ようと思う。
書き終わったらと思いながら机の上に立て掛けておいたが、もう大丈夫だ。
17年前か18年になるのか、この映画をはじめて観たのは六本木のいまはないウエーブの地下だった。
一週間の間に三回観て、その後ビデオを二回買って、全部誰かに持っていかれ、レーザーも持っていかれ、しばらくして買い直したLDは封も切らずに何年もオフィスの本の間で眠っていた。

「ヘカテ」を観たその年の夏は蜷川の芝居にはじめて触れた夏だった。舞台美術の凄さと太地の美しさに恐れ入ったことを鮮やかに覚えている。

さてどんな感想を持つことになるのか。
コメント (0)

いざ立ちませい。
花吹雪一生一度の断念を思いたちしよいざ立ちませい


               福島泰樹歌集より


こういうときには、やっぱり福島さんだな。
いや、気が晴れた。
コメント (0)

第二稿とサラ・ブライトマン
シナリオ第二稿、アップ。
一ヶ月もいらいらしていたが、今朝6時から午後3時まで
休みナシ、ぶっ続けで書き、終わった。

納得のいく、シナリオになったと思う。

そのあと落水システムのイメージを一枚書いて、
夏の仕事はぜんぶすんだ。

BGMは朝からずっとサラ・ブライトマンの「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」。
コメント (0)

「制作ノート」にはまった。
郡山の渡辺達にメモを書いて、バタンと寝ようと思ったが
ちょっとだけホームページの制作ノートを読もうと
アクセスしたのが大失敗。
けっきょくいままでかかって2月から8月までの全ページを読んでしまった。
撮影より、こっちの制作ノートの方がいいんじゃないか?
9月からは同時進行だから、なお面白くなると思う。

しかし、眠い。
コメント (0)

音楽はサティ。
サウンドシティで音楽録音アップ。ひさしぶりにピアノの山田さんやミキサーの福田さんの顏をみた。去年のトヨタ博物館以来になる。3分のアンサンブルも、6分のソロもいい感じにあがった。音楽ナシでも音が聞えるなと思っていただけに、厚みがついてさらによくなった。
ラストにメッセージコピーを二行追加することになり、明日音戻しのときに山岡さんの空き時間を待って完成することになる。
DVDオーサリングは予定通り明後日。
コメント (0)

ぼくは水だ。
『ぼくは水だ。
きみたちが太陽をいっぱい浴びながら
水遊びをしているときに、
きみたちの体をそっとつつんで
前に運んだり、回転させたり
きみたちが気持ち良くてしかたがないことを
いつもぼくがてつだっていること知ってたかな?

ぼくは水だ。
ぼくたちは
いろんなふうに姿を変えて
いつもきみたちのそばにいる。

ぼくは水だ。
丸まって緑の葉っぱの上ではねたり跳んだり、
夏の朝、まだきみが寝返りを打っているころに
できたてのクモの糸にみんなでぶらさがって
生まれたばかりの朝日を浴びるのが
大好きな、水だ。

のどが渇くと、
きみたちは水を飲む。
それはただの水だったり
ワインだったり
お酒だったり
炭酸水だったり
いろいろな姿やカタチをした水だ。

そしてうれしそうに
ため息をついたりするよね。

きみたちはどうして、
水を飲むと
おいしいと思ったり、ほっとするんだろう…。

きみたちは
うれしいときや
かなしいときや
くやしいとき、
涙を流す。

その涙も水でできている…。

涙にのってきみの体に入っていくと、
ジェットコースターの迷路のような
血管の中を血液が流れてる。
きみの体の中の血管は
ぜんぶで9万キロもあるんだ。
つまり日本列島の36倍もね。

それから、ひとつひとつの細胞、
そのすみずみが
水であふれているのがわかるよね。
きみたちはとてもたくさんの物質で
できているけど、
どれもすべてぼくたち水に溶けて
はこばれていくんだ。
きみの体の70パーセントくらいは
だから、水でできてるんだね。

この水はきみたちが大好きな
あの海の水と同じ成分でできている。
きみたちは体の中に海を持っているんだ。 
この星で生きている
ほかのたくさんの生き物たちも
きみたちと同じように体の中に海がある。

きみたちが体の中に
海をもっているように
地球もまた、
太陽系の惑星の中で
ただ一つだけ
地表に液体の水が
存在している星だ。

地球は
表面の約70パーセントが
海でおおわれている
水の惑星なんだ。

きみたちの体もそういえば
70パーセントが水でできていたね。
水の惑星の上に何十億もの
[歩く水たまり]のようなきみたち
人間が生きているんだな。
おかしいね。

きみたちはずっと昔に
この海から生まれたらしい。
じゃ、海はどうやって生まれたんだろう。

それは46億年も昔のことだ。

ある日、太陽が生まれた。
誕生したばかりの太陽を
円盤状に取りまいていた
ガスやチリが分裂して、
10兆個くらいの微惑星を生み出した。
      
この微惑星の中には、
すい星とよく似た
氷の微惑星があった。
その氷の微惑星に
炭素や水素、窒素や酸素という
いのちの材料になる物質が
ふくまれていたんだ。
       
そしていつか大気が生まれ、
その中にふくまれていた
水蒸気が雨になって、
原始の海ができた。
この原始の海にとけている物質は
きみたちの体をつくっている物質と
よく似ていたらしいのさ。

きみたちの体の約70パーセントが
水でつくられていて、
その水は、海の成分とほぼ同じで、
海ができるためには
すい星とよく似た
微惑星が衝突する必要が
あったらしいと話したよね。

そう、ぼくは
すい星で運ばれてきた
のかもしれないんだ。

すい星は、
約80パーセントが氷でできた
ものすごく大きな雪だるま
みたいなんだけどね。
巨大な雪だるまがものすごい勢いで
宇宙を飛んでいくの、想像できるかな。

火の玉みたいだった地球に
雪だるまみたいなぼくがぶつかって
やがて海ができた。
海がきみたちの母親なら、
ぼくはきみたちのおばあさんかな。

地球から1500光年も離れた
オリオン星雲の近くに、
地球の質量の100万倍もある
水蒸気のかたまりが発見されたんだ。

ここでは毎日毎日、
地球の海の60倍もの水が
生み出されているらしい。

いままでに宇宙で見つかった
最大量の水なんだって。

もし、
ぼくがそのずっと昔に
このオリオン星雲の
水蒸気のガス雲で生まれ落ちて、
それからすい星になって
長い長い旅をつづけて
きみたちの地球に
やっとたどりついたのかも…

なんて考えると、
なんだかさ、
気が遠くなりそうだね。
       
ぼくは水だ。
遠い遠い宇宙のずっと先で生まれて
雪だるまのようなすい星になって
きみたちの星にやってきた
きみたちがだいすきな
ぼくは水だ』



すっきり書き始められないので、もういちど原点に戻ってみることにした。1999年の4月、おれはこんなことを企画書に書いていたことになる。 
ここからもういちど見直そう。
コメント (0)

ミストブリッジ
落水システムのコピーを書き、送る。
観客がオーエン博士の天体宇宙論的スケールの地球の水の誕生の話しを聴いて、壮大な期待感を抱きながら入っていく映像空間で、
最初に待ち受けるのが巨大な落水装置であるとすれば、その落水は
単に自然の水の再現ではなく、観客ひとりひとりが心に秘めた「水のシーン」ほそれぞれに想起するきっけとなるべきだと考えた。
雪崩れ落ちる7mサイズの、スクリーン両脇の巨大なミストは、観客のカラダの一部に触れ実際に水の粒子が持つ冷涼な触感を通して、
それぞれに「わたとにとっての水」を一瞬ほうふつとさせられたら…
そんなふうに考える。
だから落水は、滝ではない。
垂直にそそり立つ二本のかけ離れた巨大なミストブリッジである。
当然のことながらその二本の幻想の ミストブリッジの間にそびえる
巨大スクリーンには「水の惑星ジアース」の映像世界が待ち受ける。
コメント (0)

萩とコスモス。
プレロケハン中の渡辺君と高見沢氏の話しでは、福島のコスモスは、ほぼ全滅状態。ヤフーなどあちこちの掲示板にも呼びかけたが、いまのところ思わしい情報はなし。
明日もう一日、彼らは福島県内を回るが、ぼくとしては、コスモスの大群生は今夜で見切った。
あとはコスモス、萩などをどう構図の中に配置して、季節変化のきっかけにするか、だ。造園部の出番かな。
コメント (0)

醒めてしまう、その前に。
興奮がしずまるまえにスタッフに出したメールの控え/8.28朝

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

積水ハウス映像チームへ


報告。


積水ハウスの「シックシティ」用の2つの映像の編集、アップ。
撮影も編集も炎熱のなかだったが、まことに気持ちのいいものになりました。
これまで関わってきた「セントレージ」「ジオ」「グルニエ・ダイン」「シャーウッド」「ビエナ」「ギャラリー」などから主要な映像を引用しつつ、「ウエルカム・積水ハウス」としてまとめたもの。
積水ハウスの仕事としてははじめてのDVD仕上げとなります。
ぼくたちはこれまで提案してきたCD-ROM仕上げから一気にDVDの世界に足を踏み入れたことになります。

まだ編集がすんだばかりですが、
家に持ちかえり、3回、サイズを変えて観ました。

とてもよかったよ。
いつのまにか、すごい量と質の材料がそろっていて、
おどろいのは、つないでいて、時期も商品も異なっていながら
撮影の呼吸、照明の加減、特機のリズムなどに統一性があったこと。
これは、ほんとうに感心しました。財産だと思う。
積水ハウスの仕事としてのトーンマナーが、
ことビデオに関してはきっちり成立し、維持されていた。


6年間の長期に渡る撮影期間を通して、ただ一本の作品を完成させるために、全スタッフがそのことを意識せずに取り組んでこれたことは、奇跡的だと思う。

これはですね、
まとめようと思えば、1万カット前後の質的に統一された撮影素材を懐に挑めるということなんだよね。
このことの気の遠くなるような意味がわかってもらえるかな?

ぼくは、今夜、継続してきたこと、継続させてもらえたことの
もつ力の大きさをあらためて知らされた気がしている。

半年先か、数ヶ月後かわからないけど、
この感動をカタチに変えていこうと決意してます。
なにもムダなことはないんだよ。ムダなことはひとつもなかった。
煮詰まったなと壁を感じたことは何度もあったし、
これからもきっと何度もあるだろうけど、
でもすべて活きる、という気がしています。

「シック・シティ」の仕上げは、その手始めになった。
そのことを、この気持ちに慣れてしまう前に、
みなさんに伝えておきたかった。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
コメント (0)

秋の水が恋しい。
コスモス、水田と川、潮騒、紅葉の渓谷、樹氷、雪の曲がり家集落、水の中の赤ちゃん、母と子の聖空間…


6時に目が覚めたので、シャワーを浴び、熱いコーヒーを飲みながら、このところ迷っていた「水の惑星」のシナリオの再検討を続けた。

秋と冬の福島はまだまだ堪能できそうだ。
秋の「水」が恋しい。
コメント (0)

夢の先の夢。
昨夜、寝そびれて、そのままスタジオに行ったが、やはり猛烈な睡魔におそわれ、帰りのクルマの中では、読みかけの小説の続きの夢を見ていた。
これからその夢が正しかったかどうか、少し確かめながら眠りにつこうと思う。
さらに夢を見たらどうなるのか。
読了ということになったらどうしよう。
コメント (0)

改行がなきぬれる。
「改行がなきぬれる
しかばねが所存の無言を渡る

こいびとよ
あなたへの美称も涸れた
そしていまあなたに向ける蔑称は
必死に熟れつつ
透きかえる風のなか
あなたの岸をそれる」

  -荒川洋治「雅語心中」より-
コメント (0)

フグとセナ。
フグとセナの表情はどこか共通するものがあるように感じていた。
なんだろう、目の前に向っていながら、内側を視ている、そんな印象か。K1を好きだという人の顔はみんな貧相だったが、フグは良い表情をしていた。
何歳までを夭折というのか知らないが、道の途中で倒れる者は、みんな夭折なんだな…
ファンではないが、涙が出た。
コメント (0)

紙フェチ
ひと仕事、区切りをつけると机の周囲は反古紙の山。
デジタルで進行しているつもりが、途中経過を小刻みにチェックするから、むしろ反古は多くなった。
ひと仕事とはいえ、フリーゆえに同時進行が常にいくつかあって、
なんだか毎日、毎日、あの東京都の半透明のゴミ袋を満杯にしている気がする。
なんか紙フェチ状態で腹が立つぞ。
コメント (0)

水駅
「…みずはながれる、さみしい武勲にねむる岸を著(つ)けて。
これきりの眼の数でこの瑞の国を過ぎるのはつらい。…」

           荒川洋治「水駅」より
コメント (0)

コスモス撮影場所
ヤフーなどいくつかの掲示板に、さらに撮影場所募集を載せた。
26日深夜〆切から27日〆切に変更。
さて二日でどのくらいの情報が追加されるか。
コメント (0)

ひねもすコスモス
「福島県内のコスモス撮影地情報を求む」の案内をあちこちに出したが、こちらでつかんだ情報以上のものになかなかぶつからない。
以外と反応のないのが御当地。ま、花どこではねーんだろうな。
宝の山が噴火するか、という状況じゃね。

この二日ほど、ワシはコスモスおじさんのようである。
可憐な花なのに、なんだかすまんな。
コメント (0)

生卵と納豆で興奮をさまそうと…
夜食というか朝食というか。
6時過ぎに生卵と納豆で飯を食う。
荒編で興奮すると、たかぶって眠れない。
知り合いのホームページをのんびり読む。
しかしこんな時間に他人の「diary」と書いてあるページを開くのはもなんとも奇妙な感じだ。
自分のためであると同時に、不特定多数の誰かが読むかも知れないメディア体験をこのままたくさんの人が続けていくと、人の関係はどんなふうに変わっていくのかな。

これから水風呂に入って週刊誌を読み、眠りを誘って寝入れば、起きるのはきっと夜。
午後の積水ハウスの荒編試写はプロデューサーと渡辺君にお任せメールを出したし、
明日の編集に備えて体力と気力を温存しなくちゃね。

それに、難題の水の惑星のシナリオ第二稿。のど元まで出かかっているのに、もう二週間経っても書けない。

手直しですませるつもりがよお。
慾ばっかり深くなるよ。
コメント (0)

ファイナルカットプロ初使用。
結局、5時まで。
プレミアを使わずファイナルカットプロを使う。インターフェイスは、見た感じではプレミアよりすっきりしているが、このあたりは慣れだろうな。
すんなりいって、エンディングの3カット前で、「爆弾」。しかし爆弾は久しぶりに見た。つなぎの後半は団員Wが保存し忘れてパアになったが、切り取ったOKカットの大半が無事だったから、つなぎ直しは、ほんの30分ですんだ。テープなら間違いなく+4時間。もっともテープに爆弾は出ないが。
ファイナルカットプロ、なかなか快適だ。
プレミアのごちゃごちゃしたインターフェイスよりシンプルでやさしげである。
これで音声入力操作が実現すると楽しいだろうな。
なお、プレミアもファイナルカットプロもアイムービーも、俺は操作を直接したことは一度もない。すべて団員Wが操っている。
だから以上の感想は、あくまで脇からああだこうだと言っている者の発言である。念のため。
コメント (0)

男芸者
積水ハウスの黒星分、夕方から
インターバル映像約5分とウエルカム映像約4分のなかみを
すべて構成をやり直す。
パソコンの画面上だけで約7時間かけた。
これからオフィスに行き、渡辺とプレミアで実際につなぐことに。

便利になったのか、不便になったのかわからんが、
やり直しにストレスが減ったのは事実だ。

S・キングの新作を読み始めたとたんにハードになった。
きょう、アームズのYプロデューサーから久しぶりに電話あり。
タイミングあわず、断る。
今年はこれでずいぶんあちこちに失礼をしている。

売れっ子の男芸者、面目躍如ではあるが…

光岡さんや真部さんは、そういえばどうしてるかな。
コメント (0)

水の惑星HP
プロデューサー自作という涙ぐましい努力によって「水の惑星」の制作チーム用HPがもうすぐできあがる。来年の七夕までの限定だが、これからほぼ一年かけて、このHPが少しでもPRの役に立ち、スタッフ間の情報交換の場になればと思う。
ざっと100人を越える関係スタッフだけに、さてこれからどんな楽しみが待ち受けることになるのか。

コスモス情報もぼちぼち届きはじめた。
今日は同じ案内をCG2000のメーリングにも流した。
コメント (0)

求む!コスモス情報。温泉招待あり!!
このホームページに訪れたすべての方へのお願いです。
福島県内、とくに県南、県央、いわき、相馬あたりの コスモスの群生地を
ご存知だったら大至急おしえてください。
できればコスモスの群生から移動ショットで川の流れがいれこめるとなお嬉しい。
さらに、その現場近くに素晴らしい温泉があるなら…多くは望みませんが。
旅の途中で見かけたところ、
恋人とドライブしたときに記憶に残った場所(該当者は少なそう?)、
雑誌で見かけた、番組で見た…なんでもOKです。
決定的=撮影にまでいたれば、福島県内のご希望の温泉にご招待。
公序良俗に反しないかぎりは
どんなご要望にも迅速な真心からのホスピタリティでサービスに尽くします。
ご覧になった方で、思いあたることがありましたら、ひとつ、よろしく。

〆切は8月25日深夜です。
コメント (0)

コスモスと9月の光
晩夏ロケを行うことに今日決定。
コスモスを撮影することに決まり、27-28日に渡辺君がプレロケハンに行くことに急きょ決定。
そのあとメインスタッフと9月1日2日にロケハン。
只見川流域と合わせ、4日からロケに。

9月の光は、夏の名残りを引き立てる。
5年前の「ある秋の夏休み」を九州で撮ったときがそうだった。
それにみちのくの9月はスバル・レガシーの二回にわたる長期ロケでも経験済み。きっといい絵が撮れるだろう。
コメント (0)

仕事は不安なのに、眠りは深い。
25日の編集プラン黒星。当面、間に合わせでしのぎ一ヶ月後に完成させる方法も提示されたが、予定通り25日にさせてもらった。
頭が痛いが、なんとかなるだろうと考え、昨夜ははやばやと眠りに落ちた。じつに久しぶりに12時前に眠った。
今朝は7時30分に目覚まし前に起きた。

水の惑星の第2稿を、どうすすめるか、
混乱ばかりが先にたち、メドが立たずにいる。
書き始めれば3時間でアップできることも、
迷いだすと3週間かけても手が出ない。
予算の関係もあり、絶対的なシーン不足がきつい。
残った秋、冬で何をどう構成するか、
不安がつのりだす。

これから電通テックで定例打合せ、
そのあと鈴木カメラマンと今後の打合せ。
頭はまだ空っぽである。
コメント (0)

「マスク・オブ・ゾロ」
「マスク・オブ・ゾロ」を見る。レンタルビデオ。
「タクシー」のカーアクションにはシラけたが、この二代目ゾロの馬の追いかけっこは腹を抱えて笑った。夕べ見た「エリザベス」のカメラワークとセットの豪華さと内容の乖離ぶりに立った腹も、この抱腹絶倒ながらきわめてスタイリッシュに構成されたゾロの展開に癒された。
大スクリーンの映画館でポップコーン頬ばりながら足を投げ出して見たら、さぞ爽快なつくりである。
特に二代目登場のときに初代ゾロが大文字焼き風のZの一文字を送り火で描いたところはぞくっとさせられた。
エンディングのわかりやすさも感涙もの。
とにかく笑え、かつキメがスマート。

いい気晴らしになった。
コメント (0)

台本、ナイター、荒編
さて、これから二時間限定で、積水ハウスの構成を書き上げることになる。いま午後3時半。6時からはナイターを見て、試合が終わったら、ラフにつなぐ。明日は13時に打合せ。
明後日は水の惑星の定例会議と、撮影部との打合せ、さらに音楽録音、編集、水の惑星のシナリオ第二稿、と明日あたりからエンジンがかかりだすことになる。8月は結局、積水ハウスのプランづくり、石油連盟のHD企画案、水の惑星の撮影分のおさらいだけで過ぎた。
おかげで久しぶりにたっぷりと小説を読んだり映画を見ることができ、いい夏を過ごせたようにも思う。
しかしすっかり涼しくなった。
コメント (0)

「エリザベス」と「レ・ミゼラブル」
「エリザベス」「レ・ミゼラブル」の二本をDVDで見る。
感想は四つ。
第一に、じつに安定した絵づくりであったこと。あちこちにまことに巧妙にCGが多用され、時代効果を高めていたこと。
第二に、二本とも、なぜいま、こんなものを映画化したのかな、ということ。どんな情熱がこの二つの作品を支えていたのか、それが皆目わからないな、ということ。
第三は、エリザベスにしろダイアナにしろ、イギリス女はむかしも今もつまらねえのばかりだったな、ということ。
第四は、ジャン・バルジャンをつけ回す警部が最後に自殺するところの理由の希薄さにひっくり返ったこと。いまどきは中学生でももう少し陰影のあることを考えるだろうな。しかも、そこからすぐにラストになったからなおびっくりした。
技術的にとてもすぐれていながら、二作品ともにテーマの貧弱さが気になった。
ま、どうでもいいけど、レンタルにしておけばよかった。
コメント (0)

「セラ」のブローチ
穂高のビンサンチに注文していた「セラのブローチ」大小11点が届いた。タヒチのゴーギャン美術館にいたあの真っ黒い犬と同じ種類の「セラ」という犬をモチーフにしたもので、ロケ用のお守りにしたいと思い注文した。
会津ではルー、マヤ、ジョン、コロ、ナナとなぜか犬と知りあう機会が多かったので、思いついた。
ちなみにぼくがいちばん好きな犬は「クレヨンしんちゃん」に登場する雑種の犬「シロ」である。シロは飼い主がいいかげんなので、いつも額に汗を浮かべながらも、けなげである。
シロが小さな犬小屋の隣にちょこんと座って、「オスですかわいがってください」とキャプションの入ったシールを見たときに、
オフィスのロゴマーク用に作者と交渉しようかと考えたこともある。
ま、そうはしなかったが…

ちなみに実物のセラは
http://www.valley.ne.jp/~vinsan/welcome.html
でその日常生活を知ることができる。
コメント (0)

「海の上のピアニスト」のモリコーネ的現在
エンニオ・モリコーネはなぜ、まだこれだけのエネルギーを持続していられるのだろう。ビデオで「海の上のピアニスト」を見終わっていちばん強く感じたことが、モリコーネのことだった。
主題歌の「ロスト・ボーイ・コーリング」をフィリッパ・ジョルダーノのカバーであらためて聴きなおしたが、映画のロジャー・ウォーターズよりジョルダーノの方が数倍いい。
気鬱なときにいまでもよくモリコーネを聴く。とくに「夕日のガンマン」を。30年余りたって力強さは消えたが、静かな情感を映画的に盛り上げる技は、アメリカの映画音楽家ではぜったいに真似ができないだろうな。
悪くない歳の重ね方をしてるのにおどろいた。
ヨーロッパは息が永い。
映画は、ま、いかにもな「ニュユー・シネマ・パラダイス」の監督らしい世界で終始していたが、楽しめた。
コメント (0)

君のありかは美しくとも
「方法の午後、ひとは視えるものを視ることはできない。
………
キルギスの草原に立つひとよ
君のありかは美しくとも
再び ひとよ
単に君の死は高低だ

わたしは君を
地図の上に視ている
ときおりわたしのてのひらに
錐のように夕日が落ち
すべてがたしかめられるだけだ」

    荒川洋治/娼婦論/キルギス錐情より

今日は渡辺君がオフィスの古くなった本を整理している。捨てることになった本、約3000冊。これでひとまわり広くなる。
しかし本が吸い込む埃はあきれるほどだ。
ちょっとだけ顔を出し、ようすを見て退散。
ついでに荒川洋治と吉原幸子のなつかしい詩集を拾ってきた。
「水駅」を書いた頃の荒川の日本語は研ぎ澄まされていて、いま読んでも冴え冴えとした魅力がある。詩人が詩人として生きることがかなわないこの国は、しかし野放図を絵に描いた比類なき国であるな。
コメント (0)

多感時代
「管弦楽を通じて啓示されたダイナミズムの使用は、独奏楽器の曲にまで適用されるようになり、ことに鍵盤楽器用のソナタは、いちはやく、これを取り入れた。
たとえば、大バッハの子、カルル・フィリーブ・エマヌエル・バッハは、その最大の例である。
彼のソナタはいわゆる《多感時代》の典型的なものである。そうして、彼の音楽は、このあとにくる音楽家たち、たとえばハイドンやモーツァルトにとっては、『大バッハ』というのは、ヨハン・セバスティアンではなくて、このエマニエルのことをさすくらい流行した」
吉田秀和/新潮社
コメント (0)

桜吹雪のヒロインからのメール
桜吹雪のヒロインからメールが来た。
ちょっと嬉しかったのでメモしておく。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


暑中お見舞い申し上げます。福島大学の+++++です。
春の会津での撮影ではたいへんお世話になりました。
撮影の方は順調に進んでいますか?はやく
来年の夏にならないかと今からとても楽しみです。
撮影といえば、やはり私はあの四月の体験が忘れられません。
自分は画面の向こう側の世界には向いてないと思い、
半ば諦めていたのですが、
やはりこのまま夢をあきらめて特に目的もなく大学生活を過ごすのは
もったいないと思い、
4年間という制限つきで『ダメでもともと、当たって砕けろ!!』の覚悟で、
いろいろなプロダクション等のオーディションを受けてみようと思っています。
お金の面は厳しいですがバイトをしながら頑張ろうと思います。
未来博開催まで一年近くありますが、体に気を付けて頑張ってください。

来年の夏、完成した映画が見られる事を楽しみにしています。
パソコンが無いので、PHSからのメールですみません。
皆様にもよろしくお伝え下さい。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

以下は、返信内容。

ひさしぶりです。元気そうですね。
人は自分が思い描いた世界をカタチにする力を必ず備えています。
大人になると、そういうことを忘れちゃうことが多いんだけどね。
まず、思い描くこと。次に踏み出すこと。
道は、そのあとにできてくるらしい。
福島の女性を妻に選んだ詩人がそんなことを言ってるよね。


その後、ほぼ順調に撮影は進んでいます。
いつのまにか、福島のこと、とても詳しく、そして好きになりました。
水の惑星のホームページももうすぐ立ち上がります。
そこでは撮影の進行状況などがわかるようになるはず。
でき上がったら報せます。

それまでのつなぎは以下のBBSをのぞいてみてください。
ぼく個人の落書きですが、撮影のことなども書いてあります。
http://eclat.gaiax.com/home/torum
それと次のホームページはオフィスのものですが、
水の惑星のページを見ると、撮影風景などの画像を見られるよ。
http://www.m-circus.com/
大学か友人か、どこかパソコンのあるところでね。

自分がしたいと思うことを、楽しいと思えることだけを
いっしょうけんめい実現していけるといいね。

桜は冬の間一途に春を待って、季節がくると一途に咲いて、
そして一途に散っていく。
その一途さがきっと人のこころをひきつけるんだよな。
一途であることは、楽しいことだよ。
だから、思い立ったら、立ち上がること。一途にね。
では、元気で。


PS
メールアドレスが変わりました。
今までのものも、新しい方も大丈夫です。
ときどき近況を教えてくれると嬉しいです。
コメント (0)

世紀末の噴煙がいちめんの黄の海に降り積もる。
磐梯山が揺れている。
ひまわりの撮影場所はすぐふもとの猪苗代町の郊外だったから、ロケは中止になって正解だった。あの巨大複眼カメラを数十人のスタッフで移動していたらと考えるとホッとする。ホッとはしたが、憂いも濃くなった。磐梯山噴火の可能性が報じられたのは、ちょうどふもとの旅館に泊まっていて大きな地震で早朝に起こされた四月だった。会津若松の待ち受けていた桜が満開の報せが届いたその日のことである。新幹線はストップし、けっこう騒ぎになっていた。それから春、初夏、盛夏とあの周辺で三度のロケを続けてきた。ロケハンなどをいれると磐梯山の周囲を周遊し続けていたようなものだ。
いささか不謹慎な想像ではあるが、磐梯山が噴火し、あのふもとのひまわり畑に火山灰が降りかかっている、そのときあの黄色い花の群れはどんな姿に見えるのだろうか。
あくまで人間への被害がないていどの噴火の場合だが、その光景をこの目で見てみたい、とは思う。20世紀の終わりの夏に宝の山と歌われたその磐梯山がミレニアムの大花火を打ち上げ、世紀末の噴煙が一面の黄の海を埋めていく。
やっぱり不謹慎かな。

さて、これからどんなことになるのか。
磐梯山もわが水の惑星の撮影も…
コメント (0)

多感なり。
企画を提出し、帰りに新宿に寄ってG4CUBEの現物を触った。
やはり、画期的だ。
アップルの発想、ケタが違う。
17インチモニターもはじめて実物を見たが、
これもすごい完成度である。
どうしてimac17インチをつくらなかったのか信じられない。
出してれば飛ぶように売れただろう。
15インチでできることはやはり少なすぎるから。
こんなデザインならモニターもいいなと思う。

液晶への切り替えをやめてもいいかと一瞬、思えた。


提出した企画だが、
迷った末に「多感なり」とさせてもらった。
このタイトルをこの案で使っておきたい、
そう思える企画を書けたと思ったから。

エピローグだけ、展開例としてト書きを書いたが、
この時点で、あざやかに仕上がりが見えた。
こういう気分になることもそうはないので、
「多感なり」これでいくと決めた。

90社である。
ぞくぞくする勝負ではある。

とりあえず、アップ。
いい仕事をした。満足。
コメント (0)

ANDREA BOCELLIの「海とあなた」は強力ドラッグ。
午前11時30分、すべて終了。
かかった。ぶっ通しでさっきまで書いた。
しかしインターネットはすごいな、盆休みの深夜2時3時に文部省から環境庁から科学事業団から尼崎市から大阪読売新聞から朝日新聞から青森県から中国からおかまいなしで資料引っ張り込めて、ふつうなら気の利いたAD数人ががりでも満足に上がってこない質とスピードで休みなしにこなしてくれる…

当たり前のように使っているけど、ほんと誰に感謝していいのかわからないが、開かれようとしている世界そのものに感謝したい。
インターネットを使えなかったら、こんどの企画は想定していた構想の1/3も達成できなかった。

コンビニで買ってきたビタミンとカルシウムの大量摂取もいくらかは効果があったようだけど、インターネットには脱帽である。

使ったのはページメーカー6.5J、アクロバット4.0。
仕上げで7Mくらいあったけど、すんなり送れたし、
マックも今夜は機嫌よく仕事してくれた。
BGMがよかったかな。

この10時間、繰り返しかけたのは、
ANDREA BOCELLIの「Per Amore}の7曲目
「海とあなた」。
ポルトガルのドゥル・ポンテスとデュエットする
ファドとカンツォーネの二重唱、こればっかり聴いていた。
この世にも珍しいデュオがなかったら、
今夜のテンション持続はかなわなかったと思う。

音楽というのは、
ときにびっくりするような力を与えてくれることを
あらためて確かめた。

さて、一眠りすると、明日まで起きられそうもない。
シャワーでも浴び直して、タバコの匂いを落としたら、青山に行くかな。サングラスしてれば半分眠っていてもわかるめえ。
コメント (0)

イル・ミオ・クオーレ・ヴァ
資料の整理をしながら、しつこくサラ・ブライトマンのソプラノを聴き続ける。「エデン」の7曲目にある イル・ミオ・クオーレ・ヴァがすごくいい。「タイタニック」のカバーだが、あのちんけな映画の中で唯一素晴らしかった楽曲を、さらにみごとにイタリアサイズに歌い変えてくれた。
3時間くらいぶっ通しでかけたが飽きず。

さてこれからいよいよ企画書の仕上げタイム。
本番でのBGMをどうするか、これから水のシャワーを浴び、
コーヒーをポットいっぱ落として、とりかかる。
うまく書けなければ選曲のせいである。
コメント (0)

サラ・ブライトマンの「恋のアランフェス」
一晩中かけていたのは昨夜手に入れた3枚の サラ・ブライトマン。
どれもよかったが、とくに終章を読みかけているときにちょうどかかっていた「恋のアランフェス」が強く印象に残る。
耳慣れた曲だけに、わずかな歌い方の違いが受け手の印象を大きく変えることをあらためて実感。ミッドサマーの夜明けにはとてもしみる歌い方だった。
コメント (0)

「始祖鳥記」と二本のひまわり
「始祖鳥記」飯嶋和一/小学館

いや、ぶっ飛んだ。
熱い小説である。ページすみずみまで志と情熱だけで書かれた一巻。あの「雷電」のときにはこんな資質を備えた作家とはとうてい思えなかった。変わった題材と抑制された文体だけが記憶に残っていた。ついにストックがつきかけて、冬に買って積んでおいた未読の山の下から引き上げ、昨日寝不足でもうろうとした状態でソファに寝転がってさわりだけと思いながら読みかけて、すぐに手が止まった。目が覚めた。冷蔵庫から枝豆を出し、一山ゆで、こーピーをポットに一晩分用意。
いちどシャワーを浴び、頭をすっきりしてから机に枝豆の大皿とコーヒーポットを持っていって、再開。
結局、今朝8時過ぎに読み終わる。
ことしの夏を思い出すときのよすがとなる一冊だった。
なによりもすぐれた小説世界を堪能。
珍しく一語一語をたどるように丹念に読んだ。
冬に求めた、この夏最大の収穫だった。

ひまわりのロケが中止になったので昨日二本のひまわりを買ってきてもらった。読後のもうろうとした目にいちばんに飛び込んできたのが、そのひまわりの黄だった。

撮影はできなかったが、俺の胸には、一冊の小説とともに
二本のあざやかな黄の花が残った。

盆の送り火に、ふさわしい夜だった。
コメント (0)

アンドレア・ボチェッリもサラ・ブライトマンも知らなくてよかった。
広尾のミューズに打合せに行ったときに井口さんから聴かされた アンドレア・ボチェッリのことを今までまっく知らなかった。
同じく聴かされたサラ・ブライトマンも「サ」の字すら知らず。
徹夜明けでナチュラルハイが続いていたこともあったか、
ソファに沈み込むようにグッときた。
帰りに渡辺君にCD屋に走ってもらい、ボチェッリを2枚、ブライトマンを3枚入手。ずっとアルバムの写真だけを眺めて過ごした。
まだ一曲も聴いていない。
知らないことに出会うというのは、なぜこんなに広々とした気持ちにさせられるのかな。

今夜はもう眠ってしまい、明日目が覚めてから聴こうと思う。
なんというか起きるのが楽しみだ。
小学生の夏休みのようだ。
コメント (0)

60社ではなく90社コンペだった。
今日、60社コンペではなく、90社コンペと判明。この数をコンペというかな。
恐れをなしたのではなく、目が点になる。
コメント (0)

ひとつの夢。ふたつの約束
15日朝8時。
いま書き終わった。たった2000字のシノプシスに都合16時間かかったことになる。
タイトルは「ひとつの夢。ふたつの約束」
主人公は多感な14歳の少年と、9歳の喘息の少女の兄妹。
凛々しく気高いストーリーが書けた。納得である。
これから2時間、仮眠してから青山で提出。
そのあとは広尾で音楽の打合せ。電話の指示だけで1本つないだのははじめてのことである。持ってきてもらったVHSをチェックするとなかなかで、おどろいた。
ハイになっているときは何でもOKである。

ああ眠い。
コメント (0)

「麦の海に沈む果実」
「麦の海に沈む果実」恩田陸/講談社を読む。
着想の奇抜さはあるが、その奇抜さを支える構成力が弱い。
京極夏彦をはじめ、このテの小説はどうして登場人物の名前に
悪ごりするのか不思議だ。妙に飾りこんだ名前が出てくるたびに
気持ちがさめていく。
恩田陸には、とても涼やかな資質が備わっているように見受けられるのに、このあたりが限界なのかな。久しぶりにストーリーだけを追いながら、飛ばし読んだ。
コメント (0)

F1、インディ、「ネバーランド」、ピアノレッスンの夜
「ネバーランド」恩田陸/集英社

窓を開け、ドアを開けると北からの風。涼しいというより、肌寒い。穂高の山小屋で過ごす夜のようだ。
ソファに寝転がり「インディ」と「F1」を交互にかけながら、恩田陸の「ネバーランド」を読む。
F1はシューマッハが負けたので気を良くしたが、インディでモントーヤが突然エンジンストップでレースアウトしたのにはじんときた。見比べていて感じたのはF1はもう完全に終わりだな、ということ。ホンダが今後本腰をいれたとしても魂を揺さぶられるものにはならないだろう。制約が生んだ弊害はかなり深い気がする。
インディはこのままトヨタがホンダを上回るようだと意外なドラマツルギーが生まれていくように感じる。
あけっぴろげなアメリカならではのレーススタイルに、わずかにウエットさが加わることで日本人好みの見どころができあがる、そんなふうに思う。
恩田の「ネバーランド」はなかなか楽しめた。自身が後書きで書いてるようにいつか自分が成長したときに書きたい小説の原型になるような気がした、と書いていたがその通りだと思った。いま少し書き込んで、あとわずか恩田がむだな星霜を重ねれば、きっと素晴らしい「青春」小説に仕上がると思う。惜しいなと感じながら読み終わり、後書きを読んで、なるほどねと思った。こういう経験は珍しい。
こんな資質がありながら、どうして「月の裏側」などという安直な小説を書いたのか、そこが不思議だ。
二つのレースのあとはWOWOWに切り替えて「ピアノ・レッスン」を横目で見ていた。二度目だが、今夜の肌寒いような夜風には冷え冷えとしたその情感がよく似合った。映画自体はキライだが。
これで尻に火をつけることができた気がする。
よく小説を読み、よく映画を見た。
短く熟睡し、起きたら一気に書き上げよう。

勝算は我にあり?
コメント (0)

長嶋は詩人である。
昨夜から東京は5℃くらい下がった感じだ。
台風9号の影響らしいが、ほんらいの季節の流れからいえば
これがふつうだ。涼しいせいか小説ばかり読んで過ごしている。
昼夜完全に逆転して四日目。
たまった企画もそろそろ手を付けないとやばい。

そう思いながら日暮れになるとジャイアンツに心が向う。

12-11の派手な打ち合いで負けた夜、長嶋は「いや面白かった」と
答えていた。プロ野球でもサッカーでも、勝敗だけをテーマにする
スポーツの監督の中で「面白かったから良かった」という感想を
吐けるのはひとり長嶋だけだと思う。

長嶋はどんな戦況でも、最前線に陣取った観客の精神を持ち続けていられるのではないか。
状況の真っ只中でひとり局外者の視線を維持するというのは、
この世界ではすぐれた詩人だけに許された資質である。

長嶋は、詩人のまなざしでジャイアンツの監督を続けるという
前代未聞の偉業を果たしつつあるわけだ。

こんな日々に、その長嶋を観ずして
真夏の夜を仕事で過ごすなどという無粋なことを俺はできない。

だから、今夜もナイター終了まで企画書は手付かず。

しかたあるめい。
コメント (0)

「奴の小万と呼ばれた女」
「奴の小万と呼ばれた女」松井今朝子/講談社

松井はこの「奴の小万」で何を書きたかったのか、最後までつきあってもいまひとつはっきりとしなかった。
この主人公のどこに魅かれ、何に共感し、一冊の物語に仕立てたかったのか。本の雑誌の目黒はなぜこの程度のものを今年前半の収穫だと上げたのか。まことに不思議だ。最後のページまで読むこともなかった。妙なサンドイッチ構造の仕立てのちぐはぐさも間が抜けていて、ちよっと腹が立つ。

夏の気だるいうたた寝しながら読むにはほどがよかったとはいえ、
しかし、関西の作家は恐れを知らないタイトルをつけるものだ。
東京の本屋で顏突き合わせて書名を訪ねるのにはちと勇気がいるな。

名古屋、京都、大阪と、おれは西の言葉が大嫌いだ。
男はみんな星野かノックかさんまのように聞こえるし、女はみんな空っとぼけているか底なしの図々しさを感じてならない。

小説になると、その傾向が倍加する。

西で許せるのは八尾の朝吉とモートルの貞のやりとりだけではないだろうか。
コメント (0)

一年でいちばん東京の空がきれいな数日
朝、タバコとスポーツ新聞を買いに表に出た。お盆帰省がはじまってクルマと人がちょっと少なくなっただけで、東京の空気というか空がぐっときれいになった気がする。
公園のベンチに座って生茶を飲み、タバコを吸い、松井大爆発を読みながら、今日書く予定だった仕事を放り出すことにした。
一日WOWOWでも観てようと思う。

台風9号が来ているとはいえ、盆と正月は東京の空と空気がいちばんきれいになるのだから、仕事はやめて窓を開けて、とりあえずゴロゴロしていようと決めた。
コメント (0)

「バグズライフ」の雨の重爆シーン
ついでに「バグズライフ」をきちんと最後まで見た。
ピクサー、大したものである。脱帽モノである。
とりわけ、虫達を襲う夕立の雨粒が、巨大な爆弾のように
降りかかってくるという着想。その表現の想像力だけが可能にするリアリティ。これには心底おどろいた。

cg2000のインタビュー人選、稲蔭教授の眼力の良さに
あらためて感心させられている。
コメント (0)

ブレア・ウィッチ・プロジェクトDVD版
遅まきながら「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を見た。
企画の勝利だが、一発モノではなく、いくつかの示唆に満ちていた。
それはデジタルの持つリアリティに気づいている人間と、そうでない人間とでおどろくほどの落差が生まれ始めているということ。
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の見事な成功は、そのことをまざまざとつきつけている。

巨艦・巨砲主義がほんとうに過去のものになったことを、
少なくともいくつかある可能性の一つには
「フィルム」世界は懐古趣味としてしか残らないだろうということを明示した、そんな気がする。

ボーナストラックにあった記者会見のロングインタビューが
そのことをよく伝えている。

世界は変わる。
結構なことではないか。
コメント (0)

「行きましょう」GO.
「GO」金城一紀/講談社

帯に山田詠美が「古き良き青春小説の系譜として読むか、新しいレジスタンス小説の誕生として受け止めるかは、あなたの御自由。いずれにせよ、愉快、痛快なこの物語の主人公に、読者は、はからずも涙する」と。
これがいちばん正しい読後感だと思う。
さらに付け加えるなら、すべてのことをみごとなまでに対象化しきる力はどこから来るのか。金城自身が「在日」であることと、それはどのくらい関わりがあるのか。ないのか。日本では決して育つことのない感覚が200ページ余りの中編のなかにきらびやかに鏤められている。白石、村上、金城と傾向もスタイルも全く異なる小説家たちの作品を続けて読んだが、いずれもこの国がいま抱え込んだまま沈没していこうとする解決困難な課題を鮮やかにすくい取っていて、「日本」がいまほんとうに力を持っているのが、映画でもゲームでもなく、小説なのだということを実感させてくれる。
この国の小説が「普遍的な」問題を描いて成立しているという、いわば未曾有の出来事がいま目の前で起きていることを目撃できることをストレートに喜びたい。
一昔前なら「直木賞」ではなく「芥川賞」だと思う。
恐れ入ったよ。
コメント (0)

この国にはすべてがありながら、「希望」だけがない。
「希望の国のエクソダス」村上龍/文藝春秋社

二週間余りかけて、間にいろいろはさみこみながら昨夜読了。村上が提示したこのイメージは深く濃い。ひとり想像力に満ちあふれた小説家だけが到達する鋭い予感性に満ちたこの「エクソダス」を、時代のエッジとして読まれることを願う。それにしても村上龍はなぜここまで激変し続ける時代の波乗りをいちども脱落することなく維持し続けていけるのか。そのことが不思議でもあり、ごく当然のことでもあるように思えることを、あの不安定きわまる世代に共通する負の遺産なのだと考えることはできないか。
解決のタダ一つの方法は「不登校」であるという仮定。これはあのときに17歳だった世代ならではの実感だと思う。面白かった。元気が出た。真夏の強力ビタミン剤のような、鮮烈な小説だった。
乾杯。
コメント (0)

ゴビ、タクラマンカ、キルギス
「なみ」でいくか。母親を「なみ」にするか。少年は無名がいい。「ぼく」。
「おとうさん、おかあさん」なのか「とうさん、かあさん」なのか。妹は愛称かフルネームか。津軽かカリフォルニアか。ゴビかタクラマンカか。キルギスを通ることにするか。荒川洋治の「水駅」を探すこと。
タイトル。サブタイトル。シノプシスがいいのか、他の方法があり得るのか。
DVDのコンテンツをどこまで書き込むか。
いや、燃えるぞ。くそ暑い夏の余熱とはこれでさらばだ。そのはずだ。
コメント (0)

処女作即ち名作「一瞬の光」
「一瞬の光」白石一文/角川書店

一気に読んだほうがいいようになぜか思えて、机の脇に積んでおいた。で、一呼吸入れる必要ができて、手にとった。いま読了。ひさしぶりに飯を食いながら、風呂の中で、トイレに腰を下ろして読ん続けた。

何と言えばいいのかな、清い物語である。スゴイ物語である。この20世紀最後の日本に血迷ったチャンドラーがよみがえり、気高い騎士道物語を書き下ろしたらこの「一瞬の光」になった、そんな小説である。

チャンドラー没後、世界の誰にも書くことのできなかった、ハードボイルドという名の奇跡のファンタジーを、名も知れぬ新人が描き出した。
白石一文。
いやたいしたものである。
処女作にして名作である。
おそれいりました。

これでこの夏は点睛が入ったな。
コメント (0)

夜間飛行で落着。
『日向を三日も歩き続けると、
人は勇気の命令には従わなくなって、
蜃気楼の命令に従うようになる。次から次へと現われる幻影が
人を支配するようになる。人はもう自分の脚も、自分の精神も
号令できなくなる。感動がまるでなくなってしまう。
感動には適度の湿気が必要なものらしい!』
サン=テグジュベリ「夜間飛行」あとがきより 堀口大学訳
リビアの砂漠に不時着したときのエピソードを語ったもの。

海の扱いに迷っていたが、これで解決。
春はかすみとなって降り注ぎ、
秋には高い空へと昇っていく。
夏と冬が過剰な湿気だとすれば
春秋こそが「適度な湿気」。

黄金色の潮騒が寄せては返す渚。
これでいじゃない。OKだ。

雷とか大雨とか竜巻とか、今日の東京は
めちゃくちゃだが、昏迷のおかげで答えも見えた。
コメント (0)

月と鉄砲水
今夜はきれいな月が見えている。

福島にロケハンに行った3人と連絡がまだとれないので
ちょっと気になっている。ゆうべの豪雨で関東はあちこちで被害。
高崎では鉄砲水で犠牲者もというニュースをみたせいか気になる。

ま、のんびり温泉にでもつかっていてくれればよいが。

例のコンペ企画に手を付けようとして三日。
暑いからか、まったく空白で、先に進めず。
ちょっと焦りだしながら、ナイターを見てしまった。
コメント (0)

ロゴ
ホームページのトップが
「もうすぐ夏だね」としていたので本日チェンジ。
オフィス名をキッドピクスでつくり、それをそのまま使った。幼稚園のようにも見えるが、ま、いいだろう。
くそ暑いから、なんでもOK。
あと迷いこんだ人に悪いので、説明と弁明のメモをひとこと追加。
コメント (0)

スタン・ゲッツの夏
夏が深くなるとなぜゲッツを聴きたくなるのかな。
今日は日暮れまで雲を眺めながらストーンズをかけていた。
そのあとジャイアンツが術もなくヤクルトに破れていくのをAMで聴きながしながら、畑中純の「愚か者の楽園」を読んだ。
しかし、ジャイアンツは5連勝のベイスターズには3連勝し、5連敗のヤクルトにはそっと負けてみせるなど、さすがに江戸の野球団。

「まんだら屋」のスコンと突き抜けた頃から比べると畑中も妙にロジカルになって、ちよっと鼻につくな。
この間の湯の花ロケに、ふと思い立って「まんだら屋の良太」を持っていこうと、オフィスと自宅の本棚をひっくりかえして見つけた自選集十巻は、ひさしぶりに愉しめた。
畑中はあるいはマンガで宮沢賢治に近づいてくのかと、あらためて思え、新作を手に入れてきたのが甘かった。
新潮45に連載ではムリもない。先の見えすぎるセックスへの傾きが、ひと時代ずれてしまって、ものがなしかった。
シャワーを浴びた後、今年はじめてのスタン・ゲッツをかける。

エアコンをとめ、窓を開け放ち風を入れる。

ゲッツはいいな。
夏が深くなるとどうしてゲッツが好きになるのかな。

試写の後の今日の俺は、介護を受けている老人のように午後を過ごした。悪くない一日だった。
コメント (0)

湯の花温泉末廣旅館のタミさん
朝の夢は、結局、舘岩村のイメージだったのか。

真冬の雪のさなか、七月中旬のロケハン、下旬のロケと
末廣旅館の二階の同じ部屋から、ちょうどジョンとコロ父仔が
朝晩の合唱をするあたりを眺めていた光景と、
近かったのかもしれない。

真冬は一面真っ白の世界だった景色が夏には水田と集落と川、
緑と水の色と空の青に変わっていたことの印象深さが残っていたのか。
部屋を囲むクルミの木ごしに毎日見ていたあの光景がベースになって、いままでロケで歩いた牧歌的な場所のイメージが重なっていたのだろう。福島の、いや会津を中心にあちこちの旅館に泊まってきたが、撮影の内容と、派生したいくつかのエピソードを思えば、もっとも印象に残っていても不思議はない。

しかし若い女将は着物を着ており、それもいま考えればかなり仇っぽい着こなしだった。ロケ中、末廣旅館のタミさんが着物姿だったことは一度もなかった。

あれは、どこからきたイメージだったのか。
ちよっと気になった。
コメント (0)

ボラボラのココナツ石鹸
ボラボラのスーパーで買ったココナツ石鹸を机の上に置いた。秋のような空に秋のような雲が浮かんだ夕暮れを見ていたら、急に甘い香りをかぎたくなった。
風呂で使うとひどいことになるが、香りだけなら濃厚すぎるほど南の島をしのばせる。
長岡が数年経過したホテルボラボラから持ち帰ったミニ石鹸をくれたときも、香りは強烈だった。
夏の仕事は終わったな、と思えたその日に、タヒチの香りが欲しくなるというのもおかしなものだ。
コメント (0)

サティスファクション!
イマジカからの帰りの冷房のまったく効かないアウトビアンキの窓も屋根も全開にして、第一京浜をとろとろ走らせる渡辺の隣で、口をついて出てくるのはストーンズの「サティスファクション」。
隣にいるのがひげ面のむさくるしい男でなかったら、思わず抱きしめてキスの雨をふらしてやりたい、そんな気分だった。
通りを行く女がすべてまぶしく見えた。
試写、勝利。
20m×15mの3D、おれは少なくともサイズについてはモノにできたと思う。伊南川の俯瞰と移動は、ぼう然とするほど明るく光り満ちていて、なお神話的に撮れていた。
満足である。
大言壮語で鼓舞しながらごまかしながらここまで来たが、
冬から夏まで薄氷だけを踏み続けていた気がする。
「かんべんしてください」と謝って、なんど現場から帰ろうと思ったか。
逃げなくて良かった。俺はまだまだ可能性をもっているじゃないか、そんなふうに思えた。
すべてはすぐれたスタッフあってのことではあるが、
勝利の旨酒は、まず俺が飲む。
痛快である。

これから古いCDを探して、ヘッドフォンつけストーンズを
ガンガン大音量で日暮れまで聴こう。

満足といえば、会津で痛めた足、
昨日、医者にもういいだろうと言われた。
良いことは続くものだな、ジャイアンツも俺も。
コメント (0)

若女将と黒い「こわばり」と。
かなりの人数の撮影隊と、どこか地方の山あいを旅していた。何の撮影かわからないが、何人かは見慣れた顏だった。
くたびれ果てて、ある大きな宿に着いた。二階の広間のようなところで寝転がって窓の外を眺めていたら、なだらかな丘が広がっていて、牧草地のようにもニュージーランドの田舎のようにも見えた。しかし、部屋のつくりは純然たる日本家屋。
若い女将がやってきて、「ことしも楽しみにして待っていたんですよ、待ちくたびれるくらいに…」と笑いかけた。
見たことのあるようなないようなはっきりしない気分のまま笑っていると、広間に黒いカタマリが猛烈な勢いでとびこんできた。
まっすぐにとびかかってきて、しきりに鼻をこすりつけてくる。犬のような猫のような生き物だった。
その生き物に強い親近感を感じているらしく、とても嬉しい気分で懐に抱いた。抱きしめるといとおしさがこみあげてきた。

若い女将が婉然と笑いながら「ほらね」と言った。
待ちくたびれていたのは女将ではなく、その生き物だったらしい。
なぜかはぐらかされた気分にはならず、ぼくはその生き物を抱いて布団に横になり、窓の外に広がるどこか懐かしいしかし異国のようにも思える景色をおだやかな気分で眺めているうちに寝入った。

…寝入った、というところで目が覚めた。
午前七時。寝ついて三時間。すっきりと目覚めるには少なすぎる時間だったが、目覚めはすごく爽快だった。


なにかとても良い報せを告げられた、そんな気分だった。
2000年8月4日朝のことである。
今日は10時から五反田のイマジカで夏ロケの試写。
さて20世紀最後の夏の水の光景は、
どんなふうにフィルムに定着されてくれたのか。


大型、3D映像への初挑戦、
勝つか負けるか、
正念場ではある。
コメント (0)

2.5℃
東京の平均気温が例年にくらべ2.5℃高くなっているという。
平熱が36.5℃の人が毎日39℃の熱にめげずに生きている、
比喩を使うと、これは怖い。

四方津のロケで、妙に外に出ている人が少なく、
ふだん寂しい暮らしなのかなと思っていたが、
あれは単に暑かっただけかもしれない。

あんな陽射しの下で撮影していたおれたちが変だったかな。

新聞みて、いまごろ思うのも間がぬけてるが…
コメント (0)

夜の海に月の舟。
「水の惑星」の仕事でアドバイザーをお願いしている国立天文台の渡部潤一教授の新書判に、「月の舟」の話が出ていた。
日本ではまずあり得ないらしいが、ごくまれに三日月が平行に沈むことがあるらしい。水平線に「月の舟」が淡く浮かぶ。
渡部教授はハワイ沖で一度だけ観測したことがあるらしいが、
今夜の三日月を眺めていると、水平線に浮かぶ「月の舟」を思い描くことができた。
居合わせたら、ふるえるだろうな。
東京で名月を見る。世紀末の夏にふさわしい。
コメント (0)

セラの散歩道
http://www.valley.ne.jp/~vinsan/welcome.html

セラの散歩道を眺めていたら
また初秋の穂高に行きたくなった。
森の中でじっとしてると枯れ葉が落ちる音と
鳥の声だけが聞こえる、穂高に行きたくなった。

中房温泉が雪で閉じる前に訪ねてみるか。
コメント (0)

アルバム版「笑うひまわり7/29-30」
http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?m=0key=28175un=7047

撮影記録の大容量があちこちで大変な思いをさせたらしく、
怨嗟の声が集まったので、しかたなくアルバム版「笑うひまわり」にして配付し直す。
面倒なのでカット数を1/5に減らしたのでラクだった。

しかしこんなことが無料でできるのだから
世界はほんとに変わったよな。
コメント (0)

60社コンペ
いままで勝ったり負けたりしてきたけど
60社コンペというのは、さすがにはじめての体験だ。
なかみはともかく、60社コンペどうです?
といわれては引くわけにいかない。
コンペは常に時の運とうそぶいてきたけど、
この60社コンペというふざけた話には
なんとしても勝つ。

世間をなめきっているとしか思えない
役所がらみのバーローどもに一泡ふかせてみたくなった。
コメント (0)

秋風?
31日は日中35℃。
しかし風は乾いていてどこかさわやかだった。
夜になって、めずらしく窓を開け放ち
エアコンを一ヶ月ぶりにストップして風をいれた。

さらさらと秋のような夜風だった。
もう夏は飽きたな。

横江から連絡、いよいよ9月にスタートさせるとのこと。
コメント (0)

村上龍「希望の国のエクソダス」
「勢力争いはほとんど起こらなかった。それは、ポンゃんによると、むかしの反体制組織よりもナマムギ通信のコミュニケーションの効率がよかったからだ、ということになる。勢力争いというのは、各派閥の政治的権力への固執によるものではなく、単なるコミュニケーションの行き違いで発生する、というのがポンちゃんたちの考えだった。すべてをオープンにして、ネットワーク内の各グループ間に疑心暗鬼が起こらないようにすることを目指したそうだ。敵意を持っているグループがそれぞれ自分たちだけで固まってしまうことがもっともまずいです、と中村君は言っていた」

138p
中学生に言われてりゃ世話ないな。
読み進むのがもったいなくて、ひさしぶりにちよびちょびと
なめるように読んでいる。
コメント (0)